2011年5月29日日曜日

決断科学ノート-76(大転換TCSプロジェクト-13;比較調査への取り組み-2)

 比較調査の対象はメーカーの提供する製品ばかりではない。プラント運転部門のメンバーがこの調査チームに加わったのは、その使い勝手や将来のプラント運転の在り方を探るためでもあった。本稿-4で紹介したような、計器パネルの無いコンソール(操作卓)中心の運転がエクソン・グループでも実現しつつあり、これへの関心が高まってきていた。
 秋口になると横河や山武から製作中の最新式オペレータ・コンソール見学(主としてDCSマンマシーン・インターフェース標準機能)の機会が、国内発注者の了解を得てもたらされるようになってくる。両社とも関東地区に在ったので、調査チームの見学会に合わせて、川崎工場から運転員を連れて参加することも出来た。そこにはハネウェルのダリモンティが’70年代前半に描いた将来像が実現していおり(TCS-4参照)、彼らから感嘆の声が発せられた。第一世代ではシステム関係者によって推進されたプラント運転・制御システムの導入も、数々の試練と経験(特に石油危機)を経て、運転部門を含めた工場全体の関心事になってきたことに世代の違いを感じると伴に喜びを禁じえなかった。
 正確な月を記憶していないが、晩秋運転部門の課長を含む調査チームの面々は、アフィリエートの最新システムが導入されている工場訪問調査に出発して行った。欧米の四、五ヶ所のリファイナリー、石油化学工場を訪れているが、目玉はエクソン化学USAのBOP(Baytown Olefin Project;ハネウェル)、それにTCCでも発表のあったアントワープ製油所(IBM)であった。
 BOPは当時エクソン・グループ最新鋭の工場で、技術文献や会議の交流を通じ、計器室内に八角形に配置されたコンソールで全プラントを運転する斬新な設計で知られていた。TCCの出張時見学を希望したが千客万来で断られたいきさつがあるのだが、今回の東燃の求めにはOKが出た。SPCはハネウェルの最新制御システムPMS(Plant Monitoring System)のExxon版PMX、DCSはTDC-2000で構成されていた。TDC-3000が完成すれば、DCSだけ違うだけでほぼこちらの望む次期システムが実現する。最も調査に力が注がれた訪問先である。
 一方のアントワープはインペリアル・オイル(カナダ資本とエクソンの合弁)ストラトコーナー製油所に次いでACSが導入された所で、これもACSとしては最新のもの、ストラトコーナーで洗い出された問題点がかなりつぶされていた。
 訪問調査は最新システムの工場ばかりではなく、既存のプロコン導入工場やEREも含まれており、それらの考え方も当然その後の比較検討・要求仕様に反映されることになる。その重要情報の一つは、この時点で、エクソンUSAがACSにより強い関心を示していることであった。TCCに参加し、そこでのボブ・ボルジャーのACSへの思い入れを知る私にとって「やはりそうか」との感を強くさせた。
 この海外調査団の結論は、ハネウェルのPMX+TDC-3000とACS+CENTUM最新モデルを東燃グループ次期システム候補として絞り、両社の良いとこ取りを狙おうと言うものであった。
(次回;比較調査-3;工場での準備)
注:略字(TCC、ERE、ECCS、SPC等)についてはシリーズで初回出るときに説明しています。

2011年5月22日日曜日

決断科学ノート-75(大転換TCSプロジェクト-12;比較調査への取り組み-1)

 EREでの議論は、ハネウェル新システムとACS+横河DCSを同列で比較対象とすることに同意を取り付けたことで大任を果たせた。その後は、ヒューストンのエッソ・イースタンとパロアルトのヒューレット・パッカード本社訪問があったが、これらは表敬あるいは顧客としての情報交換で気楽なものであった。二週間強の二度目の米国出張を滞りなく終え、5月19日サンフランシスコを発ち帰国の途についた。忘れられないのは第二次石油危機で、米国でもガソリンが市中でも不足気味。スタンドはどこも長蛇の列。挙句JAL-001便はジェット燃料を当地で満タンに出来ず一度北上、バンクーバーで給油しての帰国となった。
 出張報告は、Foxboro、イースターン、HP訪問なども含めたものの、重点はTCC参加とEREでの議論に大半を費やし、特に次世代制御システムについては私見も盛り込んで詳細にまとめた。この骨子は、これからの標準システムは、今までその時々のベストを主に国産メーカー中心に選んできたが、Exxonの取り組んでいる二つの新システムに絞り込むこと、ただしDCSはFoxboroの採用は適当でないことから、横河の製品を東燃の責任でACSと組み合わせる案を具体化すべきこと、二つの新システムの比較検討はEREも含めて行うこと、比較検討のためにシステム部門(計装を含む)とプラント運転部門合同チームを作り、海外系列会社で最新システムを導入中の製油所・石油化学工場を訪問調査すること、というものであった。
 工場の一課長の報告ながら、この提言は全面的に受入れられ、夏が過ぎる頃には石油精製・石油化学本社・工場メンバーを含めたチームが構成され、国内を皮切りに調査活動が開始された。メンバーは本社情報システム室次長のMTKさんをリーダーに、プロコン・システム基幹技術の第一人者TKWさん、技術部で計装・DCS専門管理職のSGWさん、石油化学のPSEで滞米経験もあるHRIさん、石油化学川崎工場のプラント運転課長NZKさん、和歌山製油所のプラント運転課長MEDさんなどがその中核となった。
 国内の対象システム・ヴェンダーにも当然声をかけた。当時ハネウェルは山武の筆頭株主だったから、新システムへの取り組みも山武が全面的に窓口になり、国内での情報交換も問題なく開始できたが、ACS(IBM)と横河は当初問題だらけであった。ACSは、販売権がIBMにあるものの国内では全く専門家がいなかった。従来の国内営業が窓口にはなるものの話にならず、ACS専任部門作ってもらい、そこの責任者にMTIさんが決まるまでは随分苛苛させられた。また横河電機は東燃との関係は極めて深く、国内ではIBMシステムとの結合システムも数々経験しているものの、グローバルに会社として協業することなどまるで経験が無く、やる気はあってもどうこれを進めていいのか右往左往していた。EREの懸念は決して脅かしではなかった。
 このIBMおよび横河の体制を何とか整理し、一体システムとして対応出来るようにするための仕掛けは、ほとんどMTKさんが親しい両社のトップと膝を突き合わせて作り上げていったものである。
 1979年秋の段階では、ビジネス対応と言う点においては明らかにハネウェル勢が一歩リードしていた。
(次回;比較調査への取り組み-2)

注:略字(TCC、ERE、ECCS、SPC等)についてはシリーズで初回出るときに説明しています。

2011年5月14日土曜日

決断科学ノート-74(大転換TCSプロジェクト-11;Exxonコンピュータ技術会議-5;EREでの議論-2)

 時間を半日戻して11日の午前、9年ぶりのERE訪問先は、もともとは計測・制御のハード部門であったが、ディジタル化が進む中で分派したディジタル制御システム担当セクション。その長は前回紹介したダッソー氏である。彼は東燃との交流が深く、何度か来日していたが私は初対面だった。しかし今回の出張に関して細かいところまで面倒を見てもらった本社情報システム室次長のMTKさんとは昵懇の仲でもあったところから、打ち解けた雰囲気で迎えてもらえた。陪席したのはこの分野の上級専門職(Engineer Associate;個室を持つ)であるアラ・バーザミアン氏。彼とは1970年訪問のときに会っており、後で述べるようなやり取りで忘れられない男である。
 打ち合わせ用件は次世代制御システムに関するEREの見解であるが、話の切っ掛けは「TCC(Exxonコンピュータ技術会議)はどうだった?」とこちらが話しやすい話題から入ってくれたので、一気に緊張が解け、後の話にスムーズにつながっていった。
 会議の前半は専ら東燃グループの工場管理・プラント運転用コンピュータの現状説明で、第一次石油危機以降(実は訪問時第二次危機が起こったばかり。ガソリン不足が生じていた)如何にプロセス制御用コンピュータが重要な役割を担い、実効を上げているかを説明し、それがどんな問題(拡張性、保守性、アプリケーションソフトの移行性など;本シリーズ-2、3参照)を派生しつつあるかを縷々述べていった。
 状況説明とそれらに関する質疑の後、「有効なツールであることは皆認めるところだが、さらに長期に効果的な利用を進めるために次期システムの検討を始めなければならない。これからのシステムはグループ全体で標準的なものを決め、それで統一していきたい。また、その候補はExxonグループ・EREで実用実験や開発が進められているものを対象にしたい」「今までに得ている情報、今回のTCCにおける関連発表および会議場での関係者との情報交換から、対象となるのは①EREがハネウェルと進めている新システムと②ExxonとIBMが共同開発し実用実験しているACS+DCS、の二つに絞られることになるのではないかと思う」と本題に入った。
 ダッソー氏もアラもこの絞込みには即座に同意してくれ、これら新システムへのEREの取り組み状況を説明してくれた。その内容は、ハネウェル新システムについてはTCCで発表したロイ・リーバがこの組織から出ていることもあり、重複するところが多かったが、プロジェクト推進の本陣であることから、それへの期待が如何に高いかが強く伝わるものだった。それに比べるとACSに関しては「あくまでも実験的な取り組みである」ことを強調し、「汎用機を利用するところから、経済性は現時点ではむりがある」との意見であった。この経済性に関してはこちらから「最近発表された中型機4300を採用すれば改善されるのではないか?」と問いかけてみたが、彼らも4300に関してはほとんど情報が無く「しかし汎用機を使うことはいろいろ問題があるだろう」と決して前向きな返事をしてくれない。そこで「TCCの会場でExxon USAのボブ・ボルジャーと話したが、彼らはACSに強い関心をもっており、次期システムの有力候補と言っていたが・・・」とさらに畳み込んでみた。この話は彼らにとって意外で、知って欲しくない話題だったようである。二人は顔を見合わせ苦笑いしている。「そんなことを知っているのか?!」と言う雰囲気である。
 一呼吸おいてダッソー氏が「あそこは力があり、EREなしでやっていけるからね」と、関係が微妙であることを窺わせる発言をし、「ところで東燃がACSを検討する際DCSはどうするんだい?」と返してきた。「横河とはディジタル化推進で緊密な共同開発環境を作り上げてきた。彼らもDSCを既に製品化し、次期システムも具体化しつつある。出来ればACS+新横河DCSとしハネウェルの新システムと比較したい」と答えると、再び不満気な顔になった。横河システムはEREの公式評価を全く受けていないからである。
 この後の話は、如何に次世代制御システム(SPC、DCS、マンマシーン・インターフェース、通信)の開発と現場導入が難しいものか、一社でまとめたシステムが如何に取り扱い易いか、つまりハネウェル以外のシステムをEREとしては積極的に推したくないと言う説明が続くことになる。
 私もこの時点でACS+横河だけに絞り込むつもりは無かったし、EREの立場も理解しているので、“ACS+横河DCS”を比較対象として取り上げることに了解を得られるよう話を持っていった。また、「比較調査はEREにも積極的に関与してもらう形態を考えたい」と表明すると、「東燃もプロジェクトを自力で進める力があるからな」との返事を引き出すことが出来た。
 昼食はEREの食堂で4人(ERE、東燃それぞれ二人)で摂った。その際アラに「1970年訪問した時、コンピュータ制御に関して今回と同様の情報交換の場を持った。私の英語があまりに拙いので、貴兄が“ほかの外国語は話せないか?ドイツ語は?フランス語は?”と訊ねたのを覚えているか?」と問いただすと「エッ!そんなこと言ったっけ?」と大笑いになった。彼の一族はアルメニア人、戦後の欧州の混乱の中で辛酸な環境を生き抜いてきたに違いない。
(次回;比較調査への取り組み)
注:略字(TCC、ERE、ECCS、SPC等)についてはシリーズで初回出るときに説明しています

2011年5月7日土曜日

決断科学ノート-73(大転換TCSプロジェクト-10;Exxonコンピュータ技術会議-4;EREでの議論-1)

 TCCが9日に終わりその日の内にニュージャージに移動、10日はExxon全体の情報技術部門ECCSを訪ね、工場管理システムに関する調査を中心に、何人かの専門家(主に機械・金属・設備保全)の話を聞いたり、同じ敷地内のEREのビルにある旧知の石油化学プロセス・システム・エンジニア、ハンク・モズラーの部屋などを訪れた。
 翌11日は、いよいよ今回訪米の主目的の一つである次世代制御システムに関する打ち合わせのためのERE訪問である。会議は午前・午後の二部構成で用意されており、午前が次世代制御システム(主にSPC、DCS)、午後はプロセス制御アプリケーションを中心にしたもの。午前の部が課題(次世代システム)に対する方向付け検討会だったのに対し、午後はEREのPSE関連部門との情報交換会(主に彼らが東燃情報を収集する)と言う性格で、後者は広範な部門から参加者があった。全体の調整は制御システム課長ともいえるウォーレン・ダッソー氏が取り仕切り、彼と彼のスタッフであるアラ・バーザミアン氏は終日出席だった。
 ここで検討会の概要は一先ずおき、当時のEREと東燃の制御システム関連業務に関する関係を少し述べてみたい(必ずしも正確に理解しているわけではなく、記憶を基にして)。Exxon(旧Standard Vacuum Oil Corp.)と東燃の間には包括的な技術提携契約が結ばれており、設備能力に応じた分担金を払うことにより、グループ内のあらゆる技術を共同利用できるようになっている。当該分野の技術は当初プロセスに付帯した計測・制御に限られていたが、情報技術の進歩・拡大に連れて適用領域を広げていった。そのため汎用コンピュータや通信技術領域とその応用分野(工場管理は両者の境界領域)は別組織のECCSに移される(場所は同じだが)。訪問時EREがカバーしていたのは大別すると、①伝統的な計測・制御システム(計測機器、計装、マン・マシーン・インターフェース)、②ディジタル制御システム(プロセスコンピュータ、DCS)、③プロセス制御アプリケーション(プロセスモデリング、高度制御手法)の三分野に整理できる。この内②は最も新しい部門だが重要な位置を占めつつあった。
 1960年代初期まで導入された計器がハネウェルあるいはフォックスボロー製であるはこの提携の影響であるし(強制力は無いが、EREが製品評価をしたものだけが推薦される。横河は対象外)、ダッソー氏は石油化学工場建設(1961年末スタート)の際川崎工場に滞在している。しかしわが国の経済・技術発展が著しかった時期、’60年代後半に始まるDDC導入では、事前スタディーのためEREでの調査・研究が行われたものの、横河製YODIC採用は東燃独自で決定したし、詳細な(英文による)技術報告も行われていなかった(何かのついでに、断片的にと言う程度)。それだけにEREには刻々変わる最新の状況を知っておきたい、知らせておきたいと言う空気が高まっていた。
 そんなわけで午後の情報交換会は②のメンバーの他に、①部門の課長、ウォルファング氏、③部門の課長、オレント氏や専門職幹部のディーム氏、パーソン氏などが参加し東燃システムについてあらゆる角度から質問が相次いだ。’70年の初めての訪米時に比べ多少は改善した英会話力だが、先方が納得できる対応が直ちにできるわけもなく、持参した資料や黒板を使って出立時間ぎりぎりまで悪戦苦闘させられた。最後の質問者は途中から参加したらスペイン系の人(XXX氏)、英語が分かりづらいことはなはだしかった。ウォルファング氏が「XXX、フィナール(終わり)!フィナール!」と終会宣言してくれた。しかし、東燃グループがプロコン利用を進める力のあることをEREに周知でき、今までになく充実感を感じた会議だった。
(次回予定;EREでの議論-2;次世代制御システム検討)
注:略字(TCC、ERE、ECCS、SPC等)についてはシリーズで初回出るときに説明しています。

2011年5月3日火曜日

今月の本棚-32(2011年4月分)

<今月読んだ本>
1)定刻発車(三戸裕子);新潮社(文庫)
2)蘇るスナイパー(上、下)(スティーヴン・ハンター);扶桑社(文庫)
3)官愚の国(高橋洋一);祥伝社
4)ジェームス・ボンド仕事の流儀(田窪寿保);講談社(新書)
5)サルコジ(国末憲人);新潮社(選書)

<愚評昧説>
1)定刻発車
 乗物に関する面白い本がないかと探していたところ、新潮文庫のリストで見つけた。書店には無かったのでアマゾンに発注した。届いた本の奥付を見ると、平成17年(2005年)5月1日に初版刊行(文庫本として)、6月までに何と6刷に達しているがそれ以降今日まで増刷されていない。こんな本も珍しい。著者(経済ライター;この本を契機に巨大システムに関心が高いようだ)の名前も知らなかったのでWebで調べてみて、この謎が解けた。この年の4月25日福知山脱線事故が起きているのである。あの事故の原因とされているのが遅れをとりもためのスピード違反と言われている。タイムリーな出版にマスコミや法曹界に随分参考資料として利用されたようだ。
 わが国の鉄道の正確なことは世界に定評がある。これはどこから来ているのか?そしてこれからどこへ向かうのか?これが本書の内容である。この種の近代技術史は一般に明治維新以降の欧米からの技術導入部分から始まるのが通例だが、本書では日本人が“時間を気にする民族”であったことを、江戸時代を中心に、平安時代まで遡り他民族(他国)との比較を行うことから書き出している。5分や10分の違いは異常と意識しない国は今でも決して少なくない中で、2003年度のJR東日本の定刻実績(1分以内)は、在来線で90.3%、新幹線で96.2%、一列車当たりの遅れは在来線で平均0.8分、新幹線では平均0.3分である。
 この正確無比の運転が如何に実現されたかを、Ⅰ.環境(社会・歴史・地形など)、Ⅱ。仕組み(運転技術、車両技術、ダイヤ編成ノウハウ、保線、駅務など)、Ⅲ。正確さを超えて(将来展望;正確さ維持の問題点、社会変化への対応)の三部構成でまとめ、特に第Ⅱ部ではその内容を詳細に説明している(例えば、ラッシュ時の新宿駅混雑整理のように、とても他国では考えが及ばぬほどの努力が払われていること)。しかし、その誇るべき実績の裏に貧しい国家を急成長させるための無理が重ねられてきたことも見逃していはいない(駅設備の貧弱さなど)。成熟社会になりこの“定刻発車”も見直す時期にきたのではないか、これが本書の結びとなっている。
 この本は文庫本であるが、工学・社会学・経済学境界領域の学術書ともいえるもので、ちょっと肩に力が入ったが、大変勉強になったし、技術と社会の関係を見つめ直すために大いに刺激になった。

2)蘇るスナイパー(上、下)
 お馴染みサスペンス作家による“スワガー・シリーズ”の最新作である。原題は“I、Sniper”このI(アイ)にいくつかの意味が秘められているが邦題“蘇る”はそれを上手く訳している。半ば引退生活に入っていた、ヴェトナム戦争時の海兵隊狙撃手、スワーガーJrが久々に狙撃手として現役復帰するのだ。それもヴェトナム絡みの事件である。
 明らかに反戦女優ジェーン・フォンダがモデルと言える中年女優が、パーティの会場で射殺される。彼女の夫は政界にも影響力のあるビジネスマン。次いでヴェトナム戦争時過激派活動家として活躍し、今は大学教授に納まっている夫婦が自宅ガレージ前の車の中で射殺死体となって発見される。更に政府批判を売り物にしてきたコメディアンが、自著のサイン会会場で射殺される。犯人の姿は見えず、銃の発射音も聞こえない。優れた狙撃手が長距離から狙った犯行に違いない。FBIに特捜班が組織され、事件解明に当たる。やがて容疑者として浮かび上がってきたのが、ヴェトナム戦争でナンバーワン記録保持者となった海兵隊の狙撃手である。既に引退して久しい彼が、ヴェトナム反戦活動家を血祭りに上げる理由もある。姿を隠した犯人はやがてFBIによってモーテルに追い詰められ、銃で自殺する。一件落着。ここまで上下巻800ページの内の約一割だがちょっとした短編小説になる。しかしこれはほんのイントロに過ぎない。
 この出来過ぎた犯罪にFBIの若い女性捜査官が、犯人の銃の照準器アタッチメントに残る微細な金属片に疑問を抱き、捜査終結に待ったをかける。そこでFBIの主任捜査官が旧知のスワガーに協力を依頼する。ここから、政界・ロビースト・FBI・メディアが絡むドロドロの世界が展開され主任捜査官とスワガーは窮地に追い詰められていく。
 狙撃のための銃器、特に照準器との関係が一つの鍵になり、この最新技術の話はなかなか奥が深い。また、主任を危機に陥れることになる銃製造会社試射場における汚職嫌疑証拠写真の処理でも最新のディジタル技術が披露され、テクノサスペンスとしても楽しめた。


3)官愚の国
 著者はキャリア財務官僚で、小泉内閣・安部内閣で内閣参事官を務めた人である。“埋蔵金論争”はこの人が仕掛け人らしい。二つの内閣で“改革”推進役を担当したことから官僚組織の問題点と正対することになり、官僚批判を外に向けて発信するようになった(当然停年(国家公務員は“定年”ではない)前に退職することになる;本書に先立ち出版された「さらば財務省!」も同趣旨)。
 内容は今までの官僚批判と本質的には変わっていないが、自らの体験・事例を豊富に利用しているので、生々しさがよく伝わってくる。例えば、国家公務員試験の問題作成担当者となったときの人事院とのやりとり(受験勉強を真面目にやった人が良い成績を取れるような問題を作ることを求められる。つまり新規性のある問題は排除する)など、「なるほどそう言う方式になっているのか!」と妙に納得させられたりする。
 また、国家公務員は法律でストライキを禁じられている見返りに、解雇できない仕組みになっている(従って失業保険は払わない)。政治任用が容易に出来ないのは、この制度によって事務次官まで“労働者扱い”になっているからなのだ。改革推進の中で「普段は社長として振舞いながらこういうときだけ労働者になるのか!」と憤慨したりしている。
 従来型官僚支配からの脱却は必須である。しかし政治主導とは言ってもなかなか実現は難しい。これを改革する一つの手は“議員立法”を増やすことだと著者は主張する(もう一つの立法手段は内閣提出;閣法;実際は官僚が作文;現在はほとんどこれ)。このためには議員の日ごろの勉強・党内外での影響力が大切で、その点で田中角栄は議員生活を通じて46の法案を提出、その内33件を成立させ他者と大きな違いを見せている。田中が「官僚を使いこなした」と言われるのはこの実績によるものなのだ。民主党に限らず他の政党もこの主張は真剣に検討してほしいものである。
 著者は東大理学部数学科を出た後再度経済学部に入りそれから大蔵官僚になっている。人とは違ったバックグラウンドだけに型破りな発想・行動が出来、二人の総理や竹中総務相の信を得たようなのだが、退官後東洋大学教授の時都内の温泉施設で窃盗(高級時計など)の現行犯として書類送検されている(読了後Webで調べて知った。事前に知っていればこの本を購入することは無かったろう)。国家天下を語るこの本にはそぐわない信じ難い行為である。官愚形成要因を語る冒頭、“受験秀才”を取り上げているが、人格卑しい愚者以下の著者がエリート官僚になれたのはその通りであった。

4)ジェームス・ボンド仕事の流儀
 若い頃(40数年前)映画「ロシアから愛をこめて」で007を知ってから、映画に限らずジェームス・ボンド物のファンとなり、シリーズの大方は読んでいるし、ショーン・コネリーがボンドを演ずる映画もすべて観ている。本と映画を比較すると、当然のことだが著作の方が人物に深みがある。残念ながら若き日のショーン・コネリーには知性が感じられないのだ。ボンドのモデルはMI6(英諜報第6部;海外担当部門;米国のCIAに相当)に勤務した経験を持つ著者イアン・フレミング自身と言われているが、育ちがよく(国会議員の子、イートン校→陸軍士官学校→欧州大陸の大学数校で学ぶ;独仏語に堪能)ダンディーで美食家としても知られた彼の日常生活がよく原作には反映されている。
 本書の著者は1966年生まれ、1989年日本に進出間もない英ヴァージン航空日本支社に採用され、それ以来英国と長く付き合ってきたビジネスマンである。現在は英国ブランド商品(主としてファッション・洋品)マーケティング会社を経営しているようだ。私とは親子ほど年が違うが007ファンとしては遥かに著者が上である。そんな経歴を持つ著者が英国紳士・ビジネスマンの日常を、シリーズの中のボンドの立ち居振る舞いから解説し、わが国ビジネスマンの生き方に参考情報を提供しようと書かれたのが本書である。
 貫かれているのは、自分の好み・自分のスタイル・自己のペースを、周辺の先輩から学びながら時間をかけて作り上げていくことの重要性である。決してブランドなどに惑わされてはならないということ。自慢をしたり薀蓄をひらけかしたりしないこと(特に趣味・道楽の世界)。人に弱みを見せないこと(やせ我慢の精神、泣き落としは最悪)。リーダーシップはチームワークに優先すること(日本人はこれが不得意)などが007のシーンと伴に語られていく(映画ではいろいろな小道具にスポンサーがついていることを知った)。
 この種の“外国に学ぶ”物には嫌味なものも多いが、それを感じさせないところは多分著者が英国スタイルを完全に体得しているからと言えよう。ターンブル・アッシャー社のシャツはボンドも纏う英国紳士御用達品。オーダーメイドで寸取りに2時間かかる。これに顧客毎のシリアル・ナンバーが付けられ、作るのは6着(半ダース)単位、一着5万円程度する。シャツのロールスロイスと言われるものだ。何年も前に著者も作っているのだが、「いまだにそれに袖を通す機会も勇気も無い」と白状している。こんなところにも人柄が偲ばれ、気持ちよく読み終えることが出来た。

5)サルコジ
 孤高の愛国者ドゴールは別としても、ジスカールディスタン、ミッテラン、シラクいずれのフランス大統領も見てくれ、押し出しが立派である(サミットでは米大統領相当かそれ以上の存在感がある)。しかしサルコジ大統領の写真を初めて見たとき「この人が!?」と思ったのは私だけではなく、フランスを除く全世界が感じた第一印象ではなかろうか。背は低いし顔も見栄えがしない(品かない)。おまけに出自はハンガリー移民だと言う。にも拘らず内相時代は厳しい移民政策を標榜して貧しい移民たちの反感をかっていた。何故こんな男が大統領になれたのか?こんな興味から本書を手にすることになった。
 先ずハンガリー移民の件は、決して貧しい食いつめ者ではなく、ハンガリー貴族であった父の代に共産革命がありフランスに亡命し、パリ西郊フランス最高の高級住宅街と言われるヌイイ市に実家のある女性と結婚、ニコライ・サルコジ(次男)を含む三人兄弟ここで育っている。長兄はエンジニアでフランス経済団体の副会長を務め、弟は医学の道に進み毒物学の専門家である。問題児はニコライで移り気な性格のため小学校6年生で一度落第、大学入学資格(バカロイレア)も兄弟の中では一番遅く18歳のときである(他は16歳)。
 彼の成功への切っ掛けはヌイイ市長のとき(1993年38歳)起こった幼稚園児人質(身体に爆弾をかかえ金を要求)事件で犯人との交渉役を買ってでたことにある。彼の巧みな説得で人質が解放され犯人は警察官に射殺される。このときまでに右派の若手成長株となっていた彼は全国にその名を知られるようになる。とにかくニュースの主役になり国民に常に注目を浴びること。これが今に続く彼の売り込み手段なのである。党内での駆け引きもあるが、大統領選挙は国民投票、このやり方が功を奏してついにその座を射止める。
 大統領になってからもこの手法(ストーリーテリング・マーケティング;自分の行動をあたかも物語のように作り上げ、感動・注目を集めるようにする)によって存在感を示していく。その際たるものが離婚騒動である。現在の妻は三人目。大統領になったときの妻との離婚劇(一旦別の男に離れて行った妻とよりを戻し、しばらくして離婚に踏み切る)はメディアに周到にさらされ、本来ならスキャンダルものを支持材料に変じていく。ここら辺の感覚は米国とはまるで異なる国民性(ミッテランには隠し子がいたし、シラクも艶聞が絶えなかった)もあるのだろうが、「そこまでやるのか!?」とあきれてしまう。
 無論このような下世話な話題ばかりではなく、国内外政治におけるユニークな言動にも計算し尽くされたところがあり、純粋に平等な競争社会を目指すのではなく、“フランス国家に有利な競争環境作りを目指す”したたかな彼の挙動に目が離せないことを本書は教えてくれる。
 著者は朝日新聞パリ支局長、大学卒業後フランスに留学その後入社したフランスのスペシャリスト。従って人脈も豊富でフランス社会・政治の裏面にもよく精通しており、サルコジ個人・大統領制・政界事情・社会問題の関係がきっちり描かれているので、現代のフランスを学ぶための好書といえる。
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