2012年8月31日金曜日

今月の本棚-48(2012年8月分)



<今月読んだ本>
1)反ポピュリズム論(渡邉恒雄);新潮社(新書)
2)世界鉄道史(クリスティアン・ウォルマー);河出書房新社
3)海幹校戦略研究 第2巻第1号;海上自衛隊幹部学校

<愚評昧説>
1)反ポピュリズム論
小泉首相時代あたりから、トップと大衆がメディアを介して、直結する傾向が強まってきた。郵政選挙、それに続く参議院選、そして民主党政権誕生がその総仕上げのようだったが、人気先行で当事者能力を全く欠く二人の総理で、民主人気は急落、次の選挙での大敗は必定である。目下話題の中心は維新の会とそれを率いる橋下氏に移っているが、地方行政と国政では大違い、人気だけで世直しが出来るとは到底思えない。しばらくは衆愚政治が続き、日本の衰退に歯止めは掛からないのではないか?こんな鬱々としている時に出版されたのが本書である。
親の代から朝日新聞を取っている(私は日経もとっているが)。読売新聞は芸能・スポーツ新聞、インテリの読む新聞ではないとまで言われていた時代があった。もう20年近く前酒席で尊敬する大学教授から「まだ朝日なんか読んでいるんですか!?」とたしなめられたことがある。体制批判がはなはだしく、害毒を流し続け、国を弱体化させているとの評であった。「では何新聞が良いんですか?」と問い返したところ、「読売ですよ」との返事。率直なところ意外な感じがした。それ以来読売が気になりだし、インターネットで電子版が無料で閲覧できるようになってからは、毎日見ている。確かに政治的に中道保守の位置が感じられ、先入観をかなり払拭しつつある。気に入らないのは相変わらず“ジャイアンツ新聞”であることだけだ。
著者は読売新聞主筆、あのナベツネである。政治はとも角、この人を目にするのは相変わらず“ジャイアンツ”であることが多い。それもワンマンとして球団や球界を動かそうとする“嫌な奴”との印象が拭えなかったのだが、最近総合誌に発表した論文のタイトル(文春「日本を蝕む大衆迎合政治」;中身は読んでいない)は、読んでみたくなるようなものであった。そんな経緯もあり、たまたま待ち合わせに時間があり、書店に立ち寄った時目にして本書を求めた。
内容は、自らが関わった政界裏面史を披瀝したり、現代のわが国政治家や政策を批判もしているが、いわゆるジャーナリスティックな興味本位でそれを書くのではなく、何故大衆迎合(ポピュリズム)の政治が行われるようになったか、大衆迎合主義の弊害はどこにあるか、またその中でマスコミが果たした役割は何か、わが身をどう正すべきかを論じたものである。
目指す政治形態は、政界再編制による、安定多数を制することが出来る中道保守であり、その実現に向けた改善点の一つとして中選挙区制の復活を提唱している(このために2007年福田内閣のねじれ解消に民主党との大連立を画策した経緯があるが、この件は振り返ってみれば、わが国現代政治の岐路だったことがよくわかる)。こう要約してしまうと55年体制(保守合同)に戻るように見えるが、ここに至る背景として、ロイド・ジョージ(英国;ワン・イシュー選挙;論点を一つに絞り賛否を問う)、ヒトラー、マクガバン(1972年民主党の大統領候補として急浮上し、また急降下した;この時期著者はワシントン支局長)、近衛文麿など、大衆扇動者あるいは人気者の政治がどのように発し、どんな結末を迎えたかを紹介し、これらの歴史を踏まえながら提言していくところに、ただの思い付でない説得力を感じる。
加えて、太平洋戦争に至る政局の動きとその当時のマスコミの論調を、反省を込めて、赤裸々に語るところも好感のもてるところである・
さらに、現役時代の著作や記事が多く引用され、巷間知られるナベツネとは異なる気骨あるジャーナリストがこれを書いているとの感を深くした。

2)世界鉄道史
読書の中でも乗り物、特に鉄道関係は大好きなジャンルである。従って、英国における鉄道誕生から始まって、北米やシベリアにおける大陸横断鉄道建設、新幹線がきっかけとなる鉄道の復権など、鉄道史の本はかなり読んできたし、本欄でもその一部は紹介してきた。この本の広告を見たとき、最初に思ったことは、「もう語り尽くされているのではないか?」と言うことであったが、ファンとしての興味に抗せず購入した。結果は、鉄道の政治・経済・産業・外交・軍事・科学技術等への影響の大きさを、地球規模であらためて認知し、新知見を得ることが出来、大いに知的好奇心を満たされた。
この本の原題は“Blood, Iron & Gold – How the Railway Transformed the World(鉄道は如何に世界を変えたか)-。内容はこの原題通り、空間的・時間的広がりをもって、鉄道が社会に及ぼした影響が語られる。
例えば、北米大陸を横断する鉄道は、米国に5本、カナダに3本建設されている。米国はとも角、人口希薄なカナダで何故3本もの横断鉄道が建設されたのか?理由はカナダが英国の植民地を脱し、一つの自治領としてまとまるために、西部の諸州が統一の条件としてその建設を求めたからだ。また、南北アメリカで最初に横断鉄道が建設されたのはパナマであり、運河が建設される前には、大西洋と太平洋をつなぐ重要な交易路であったこと、その工事が鉄道史上希に見る難工事で、たった50マイルの地峡を横断するのに、控えめに見積もっても6千人の死者を出している(1.6km120人)、ことなど小規模で特殊な存在である鉄道にも目が向いている。
鉄道経営も確り分析されている。大きく分けると官営か民営かと言うことである。英米は伝統的に民営、大陸ヨーロッパは官営の傾向が強く、後者の場合領邦国家(特にドイツ;最初に鉄道を国有化した国はプロイセン)が近代的国民国家にまとまるために果たした役割が大きいことを、周辺国との関係も含めてよく理解できる。
民営化で進んだ英米には新幹線タイプの高速鉄道がいまだに無い。ユーロスターも車両こそ高速鉄道タイプだが英国内では既存の鉄道と変わらない。米国では時々話題にはなるもののなかなか前へ進まない。何故か?米国の鉄道業の歴史を辿ると、如何に国家の金・資産(特に土地)を騙し取るかの歴史と言ってもいい。スタンフォード大学にその名が残る、リーランド・スタンフォードはもともとはカリフォルニアの食品卸売業者、利権を手にして、“鉄道王”にのし上がっていく。多くのアメリカ人は未だに鉄道はダーティービジネスとの思いが強く、政府(中央、地方)が鉄道に関わることを頑なに拒む下地になっているのだと言う。
鉄道と戦争も切っても切り離せない。スペインやロシアが広軌を採用しているのは独・仏を恐れてのこととはよく知られているが、一時期地域戦争の多かった南米などもゲージが統一されていない。また、軍事作戦における鉄道の役割はその国の戦略とも密接に関係するので“戦略が鉄道に何を求めるか”によって平時の鉄道運営も変わってくる。19世紀末、ドイツはスピードを重視し、フランスは柔軟性と即応性を求めている。ドイツは先制攻撃能力(攻め)を、フランスは複数の拠点からの即応態勢(守り)を戦略の要としていたからである。
19世紀末に頂点(敷設距離、機関車数、列車本数など)を迎えた鉄道も第一次世界大戦を契機に、先ず道路交通(自動車)に、次いで航空機に圧され始め斜陽の時代に入っていく。それが復権の兆しを見せるのは1964年のわが国新幹線の開通である。最終章(第13章)のタイトルは“鉄道の再生(ルネサンス)、書き出しは「1964年秋、東京-大阪間に世界初の高速鉄道が開通した時、大げさでもなんでもなく、それは鉄道の新時代の幕開けだった」で始まる。半世紀も前の話ではあるが、久し振りに日本人として誇らしい気分で、約5百ページもある大部の本を読み終えることが出来た。
専門書に近い内容だが、訳も不自然な表現が全く無く、優れたものである。
戦争と鉄道は二大関心事であるから、同じ著者の“Engines of War”を発注し、既に入手している。

3)海幹校戦略研究 第2巻第1号
通常本欄では、雑誌、学会誌・論文集、研究機関の紀要などは取り上げていない。本書も紀要の範疇のもので、かつ電子本(PDF)でもあるので、本来掲載対象外であるが、以下の動機、背景等から紹介することにした。

5年ぶりに始めた仕事は中国との関係が深い。中国滞在者や長くそこでビジネスをしてきた人と話す機会も頻繁にある。ある時30年以上中国ビジネスを担ってきた大手商社マンOBの話を聞くことがあり、彼の地に骨を埋めるに近い人生に感銘を受けた。その際「一党独裁で資本主義を採用、目覚しい経済発展は世界が注目するところだが、人民解放軍とこの経済活発化にどんな関係があるか?(主に利権と言う意味で)」と質問してみたが、解放軍に関する一般的な回答(解放軍は国軍ではなく、党の軍隊と言うような)しか得られなかった。これに限らず、中国の安全保障上の脅威が語られるときにも、新聞やTVで人民解放軍の深奥に及ぶような解説は滅多にお目にかからない。そんな不満を自衛隊に精通した、古くからの勉強仲間の一人にフェースブック上でつぶやいたところ、送ってくれたのが下記のURLである。
本書のタイトルを成す“海幹校”は上自衛隊部学の略、この学校は旧帝国海軍の海軍大学校に相当し、それは参謀養成を目的とした軍の最高学府であった。だから“戦略研究”はその核心を成した筈である(“筈である”と書いたのは、卒業生が、本来“戦略”が講じられるべきものを、実際は旧兵器(例えば大艦巨砲)中心の戦術研究ばかりであった、と批判しているからである)。そしてこの“海幹校戦略研究”は旧海大とは異なり文字通り、戦略を論ずる研究報告書であった。
私がフルに読んだのは、特別寄稿の「リアリズムの復権-国家と主権をめぐって-」(袴田茂樹;青山学院大名誉教授)と、この本を読むきっかけとなった「人民解放軍の意思決定システムにおける中国海軍の影響力-人民解放軍と海軍との海洋を巡る認識の差-」の二編だが、新聞の論調や訳け知り顔でTVなどで語る“識者”の見識など足下にも及ばない、奥の深いものだった。
例えば袴田論文は、冷戦崩壊後の“ポストモダニズム”が如何に一時的・表層的なものであることかを論じた後、次期ロシア大統領に返り咲いたプーチンが北方領土に関して述べた内容が、(朝日)新聞紙上で我々に知らされたものと如何に異なるかを教えてくれた(二島返還さえ確約したわけではなく、もし返還したとしても歯舞・色丹に何がしかのロシア主権を残すことと取れる発言をしている)。
また、後者は空母建造などで“危機迫る”と騒ぎ立てる、中国海軍の解放軍内での地位が如何に低いかを、長く中国に駐在した防衛駐在官(実質的には武官に相当するが、軍隊でない自衛隊には武官は存在しないため、このような官位になる)が調査分析した報告である。これを読むと中国では海軍は陸軍の一兵種に過ぎないことがよくわかる。当然軍事外交は解放軍中枢を見ていない限り、その挙動はつかめない。わが国が四界海で海軍・海上自衛隊との交流を欲しても、陸軍がその気にならなければ、政府間交渉の合意事項ですら話題にならないのだ。
リベラル系知識人と大衆メディアの偏向で、異常な軍事アレルギーに冒されているわが国では軍事学を一般大学で学ぶ機会はほとんど無い。国家安全保障を真摯に学ぶ良書として本研究報告を紹介した次第である。
この他にも「東シナ海における油ガス田開発とその背景-「利権集団」といわれる中国海洋石油公司(CNOOC)の役割-」など、ユニークな研究があり、ビジネス関係者にも役立つ情報が掲載されている。
なお、著者の多くはこの学校の教官・研究者で、この本に記載された研究内容はこれら研究者の個人的な見解であることが明記されていることを、ここでことわっておく。
詳しい論文内容は下記のURLにアクセスいただきたい。

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2012年8月23日木曜日

決断科学ノート-110(メインフレームを替える-4;予兆-2)



ダウンサイジング、ネットワーキング、オープン・アーキテクチャー、情報技術が大変革する時代は直ぐ近くまで来ていたが、1970年代後半、IBMを始めとするメインフレーマー達は、まだそれへの対応を見せてはいない。IBMS/360アーキテクチャーの最新機(S/370の後継機)であるS/30311978年に発表、メインフレームの世界で更に独走態勢を固めているように見えた。ハード・ソフト分離販売命令は、アムダールやナショナル・セミコンダクタ(NS)のようなIBM互換機メーカーを出現させたが、わが国でも日立と富士通がこの路線を採用することになる。
両社のメインフレームへの進出は1960年代から始まっているが当初は機能・性能ではIBMを追いかけていたものの、“互換機”ではなかった。日立は国鉄(当時)の座席予約システムや東大の計算センターに納入実績をつくり、富士通はFACOM230シリーズが国内ユーザーに多数納められようになってきていた。
互換機路線へ踏み出すのは、通産省(当時)の指導で日立・富士通グループとしてまとめられてからである。この時日立はRCA(後にはNS)と提携、富士通はアムダールに資本参加して互換機技術の導入を図っている。両社ともMシリーズといわれるものがそれで、富士通の場合1974年に発売されたM190が最初の互換機、日立では1976M180が出荷されている。このMシリーズは通産省の思惑通り成功、1979年それまで市場の過半を占めていたIBMを抜いて、富士通のMがトップに立つことになる。
市場にPC(当時はマイクロ・コンピュータ;マイコンといわれていた)が出てくるのは、米国では19778年頃で、タンディ、コモドールそれにアップルなどの名が記憶に残る。国産ではNEC8000シリーズが1979年に発売され、従来コンピュータの導入されていないところや個人へ利用範囲が広がり始めていた。また、ソードやエプソンなどがこの分野へ進出の動きを見せていた。しかし、主力メインフレーマーの参入は、話題先行でなかなか姿を見せなかった。
工場で計測・制御・情報に関する技術を取り扱う私の部門(技術部システム技術課)では当然これを使ってみたいという声が出ていた。金額が工場内で決済できる程度のものであったから、事が大きくならぬよう、コンピュータと言う言葉は使わず、マイコン組み立てキットを、“計測データ分析機器”として導入した。最初に開発したアプリケーションは目的通り計測データ収集・分析であったが、プログラミング次第でいろいろな分野に適用でき、当に“コンピュータ”であった。しかし、プログラミング作業が必要なことは大型機と同じで、ユーザーが気軽にその効力を発揮できるものでないことも明らかになった。今のPCなら購入した時に組み込まれているアプリケーション・ソフト(ワープロや表計算機能)が何も付いていないのだ。まして、少々数をそろえたからと言って、メインフレームに代われるようなものでは全く無かった。
そんなある時(1981年春)本社情報システム室次長のMTKさんが工場にやってきた。何の打ち合わせだったかは記憶に無いのだが、この時期私の秋の本社異動がほぼ固まった時で、本社組織内活動の一部が話題になった。「まだ本格的に取り上げられている段階ではないのだが・・・」とことわった上で、次期メインフレームについて検討が始まっていることを明らかにした。それを聞いたとき、てっきり既存のIBM3031の能力アップの話しだと思ったが、「一応この際国産機も候補に入れて調べようという空気なんだ」との言葉が続き、びっくりさせられた。即座に応えたのは「国産機を入れても値段がやや安くなる程度で、IBMを凌駕できることなど考えられないのに、敢えて危険を冒すことはないでしょう。IBMのままでいいじゃないですか」と言うことだった。その場の話はこれで終わったのだが、この一言が、あとでいろいろなところで、自分でも思っていない出来事につながっていった。

(次回;本社勤務へ)

2012年8月17日金曜日

決断科学ノート-109(メインフレームを替えるー3;予兆)



70年代後半から、少しずつではあるが、メインフレーム(つまりIBM)中心のコンピュータ利用に変化の兆しが現れてきていた。具体的には、ミニコンピュータやオフィスコンピュータの普及、更にはパーソナルコンピュータ(PC)の出現がその代表例だ。それらの裏には、演算処理装置(CPU)や記憶装置(メモリー)のIC化、通信技術の多様化、小型機、特にPC専用のオペレーティングシステム(OS)やプログラム開発言語(BASIC)などの新規技術が存在し、コンピュータ(計算機)システムが計算機械から言語を含む情報処理機械に変ずる、夜明け前の蠢きが随所に見られたのである。
IBMの圧倒的強さは、技術的にも経営的にも自らを縛る結果をもたらしてきていたし、一人勝ちを許さない環境がそこここで散見されるようになってきていた。
前者の例では、ユーザーにとって最大の資産である、アプリケーションソフト(例えば、会計計算や技術計算)が、技術環境が変わっても動き続けてくれないと困るので、OSを始めとする基本ソフトは、古いものから最新のものまで、より幅広くカバーできることが求められる。必然的にOSは複雑化し、主記憶装置の容量を拡大して対処せざるを得なくなってくる。そのため最新技術の旨味を最大限に発揮できなくなることも出てくる。この複雑巨大化(従って、コストパフォーマンスは良くなっても、絶対価格は高い)するメインフレームのマンモス状態の隙を突いて進展してきたのがミニコンピュータである。東燃でも川崎工場管理システムにはヒューレット・パッカードのHP30001978年に導入している(本ノート-2740、事例、迷走する工場管理システム作り参照)。
後者の例では、1970年独禁法違反提訴を受けて導入された、ハード・ソフトの価格分離(アンバンドリング)政策がある。これによって、IBMは情報開示を一段と求められるようになり、IBMハード(主にS/360系)の上で動くアプリケーションソフトを開発・販売する専業メーカーが輩出するようになってくる。また、リバースエンジニアリング(分解・分析によって作動原理を解明する技術)を行い易い環境が生まれて、類似機さらには互換機開発の芽が出始めてくる。因みに、IBMメインフレーム(S/370)完全互換を売り物にしたアムダール(S/360の開発技術者だったが、1970年自分の会社を立ち上げる。1997年富士通の子会社となり社名は消える)470の発売は1975年である。
前者は小型化(ダウンサイジング)への流れ、後者はオープン化の黎明であり、これにインターネットを代表とする通信技術の大変革が合体して、新しいIT利用環境が生まれてくるのだが、それが実現するにはさらに20年近い時間が必要であった。
この頃(70年代末)今で言うIT関係の見本市(例えば、データショウ、ビジネスショウ)に出かけるとマイクロコンピュータを使った面白い商品を目にすることが多くなってきた。中でも多くの参加者の注目を浴びていたのが、初期(試作品)の日本語処理機械である。キーボードから平仮名やローマ字で入力すると、ディスプレーの上に漢字が表示される。8ビット構成のマイコンでは漢字を数字と対応させるコード化に制限があり、点で構成される文字も電光ニュースよりはややましな程度であったが、それまでコンピュータで扱える文字はアルファベットかカタカナしかなかったので、日本のユーザーに与えたインパクトは、他のコンピュータ技術とは比較にならぬほど大きなものだった。やがてこの技術は日本語ワープロ専用機として結実、1979年東芝のJW-10が発売される。値段は7百万円位した!
各種の最新技術がドッグイヤー(犬の寿命)と言う速さで出現・進歩するIT開発・利用環境の中で、この日本語処理機能ほど影響の大きなものは無い。メインフレーム評価の決定因子としてこの時代以降重要性を増してくる。

(次回;予兆;つづく)

2012年8月11日土曜日

決断科学ノート-108(メインフレームを替えるー2;非IBMという考え方)



1960年代から80年代中頃まで、汎用コンピュータの世界はIBMが断トツだったが、それでも70年代半ばあたりまでは多くの会社がこの分野で、覇を競い合っていた(50年代まで遡ると、米国初の商用コンピュータはUNIVAC-Ⅰである)。米国ではUNIVAC、バローズ、NCR、ハネウェル、CDCGEなど。欧州では英国のICL、フランスのマシン・ブル、ドイツにはシーメンス。わが国は富士通、日立、東芝、NECが頑張っていた。
このような混戦の中からIBMが抜け出すのは、何といても1964年のS360発表以降である。この機械は、真空管→トランジスタと移行してきた電子回路を構成する素子がICになったことから“第三世代”と呼ばれ、最新技術を売り物にしていた。性能・信頼性が抜群に向上、言語もアッセンブラーは無論、COBOL(事務用)、FORTRAN(科学技術用)が使え、主記憶装置を初めとする各構成部に幅を持たせることが可能な作りになっていたので、用途・ユーザーが一気に広がった。真の意味での“汎用機”出現である。各社は当然これに対抗する新型機開発にかかったが、技術的にも経済的にも極めて厳しい状況に置かれ、やがて撤退かニッチ・マーケットへ追いやられていく。そんな中で、日の出の勢いの日本経済と国策(富士通・日立、東芝・NEC、三菱電機・沖の3グループに集約、グループ内では大・中・小を分ける)をバックに国産各社はIBMの巨城に挑み続けていた。
IBMの商売の仕方は、“自社標準製品を売る”ことに徹している。選択肢はあるが顧客向け特注はない(NASAのようなところは別だが)。顧客がコンピュータを買うのは、それを使って“従来の業務の仕方を変えること(それに依って経営効率を高める)”である。素のコンピュータは何の役にも立たない。ここには明らかに売り手と買い手の間にギャップがある。今ならシステム・インテグレータと言う仲介者がここを埋めるのだが、それがはっきり独立したビジネスとして認知されるには、90年代まで待たなければならない。IBMがこのサーヴィスを始めるのは、ダウンサイジングの流れの中で、経営危機に陥り、1993年ガースナーが乗り込んで、大改革を断行してからである。
国産各社のIBM対抗策の決め手はここにあった。「期待通り動くまでお手伝いします」 コンピュータ導入初期の頃のサーヴィス報酬は“ハードのオマケ”程度で、とても儲けるところまでいかないが、各社ともここに力を入れていた。結果として、知らず知らずのうちにシステム・インテグレータとしてのノウハウを身に付けることにはなったが・・・。
IBM商法の第二の特徴は厳格な定価販売である。それも国産機と比べると高い。仕様が決まると営業が見積書を持ってくる。調達部門は何とか値引きを求める。ここが彼らの力の見せ所であるし、売り手の方も同様である。しかし、IBMとの間ではほとんどその余地が無い。営業が出来ることは、性能や規模を落とすこと、一部に中古品使用を薦めること、リース会社を咬ませてリース料金を下げることくらいである。“出精値引き”でぎりぎりまで頑張る国産各社とは担当者の遣り甲斐も変わってくる。
何とか採用が決まると契約である。IBMは自社様式・内容の契約書を持ってきて「済みませんが、この通りでサインしてください」と置いていく。買う側から見るとIBMに一方的に有利な内容に受け取れるが、基本的に修正は認められない。「(社内事情があるので)ペナルティなど絶対課さないから、稼働率の数字を一行入れてくれ」などと頼んでもダメである(実際には、現場;営業・SECE、はそれに向けて頑張ってくれるのだが・・・)。
嫌米思想、くたばれヤンキース!突出した強者に対する、嫌悪感はどんな社会にも存在する。「IBMは慇懃無礼な会社だ!それに引き換え、国産X社はよく日本的経営を分かっている」こんな話をしばしば聞いたものである。

(次回;予兆)

2012年8月6日月曜日

決断科学ノート-107(メインフレームを替えるー1;メインフレームとは)



ダウンサイジング、ネットワーキング、サーバー、クラウド、etcITInformation Technology;情報技術)の世界は横文字・略字のオンパレード。そんな中ですでに死語となった“メインフレーム(以下MFと略す)”と言う言葉をどれくらいの人が知っているだろうか?今なら、会社の中核業務を扱うサーバーで、既にクラウド化され自社内には存在しない、基幹システムとでもでも言えばいいのかもしれない。しかし、最近の中核サーバーは機能や業務別に分散されていることが多いので、さらにこれらを統合した情報システムをイメージすれば、ほぼ近いものになる。会社を象徴する汎用大型コンピュータシステム、これがこけると全社の業務処理に著しい障害が出る、最重要の情報処理システムのことである。
2000年代までは、大企業は自社内にこのメインフレームを持ち、これに支店や工場の中核システムをつなげて、全社の経営・業務管理を行うのが一般的だった。現在ならばPCや分散されたサーバーで簡単に処理できることもそこで集中処理するのだから、性能も価格も他の社内システムとは比較にならぬほど高かった。提供できるメーカーも限られ、IBM、富士通、日立、それに東芝・NEC(両者は共通のメインフレームを扱うようになる)と一部外国メーカー(ユニバック、NCR、バロース)くらいしかなかった。
オープン性(自在に他社システムとつなげる自由度、アプリケーションソフトの互換性・移行性)のほとんど無かった時代、このMFに何処のものを採用するかは、メーカーにとってもユーザーにとってもきわめて重要な経営課題で、トップセールスが繰り広げられるが、社長といえども軽々しく決定できることではなかった。また、他社のシステムに乗り換えることなど、危険がいっぱいで、一度メーカーを決めたらそこの後継機に移行するほか選択肢は無いと言ってよかった。
東燃のコンピュータ導入の歴史を辿ってみると、1958年のパンチカードシステム(PCS)から始まる。資本・技術提携先のエッソ(後のExxon)・モービルの影響もあり、機種はIBM420統計会計機に決まった。これは会計処理や給与計算などには効力を発揮したものの、所詮会計機、広範な事務機械化は無論、技術計算や製油所(数学)モデルによる生産管理などへの展開力は無く、それらのための手段は1963年の事務用計算機、IBM1401の導入と日本IBMの計算センターに在ったIBM7090利用、それに米国エッソ・エンジニアリング・センター(ERE)の機械(これもIBM7090)を利用してしのぐ他なかった。
東燃が自前のMFを持つのは、IBM1964年発表したS/360汎用機(同社初のICコンピュータ)を19675月に稼動させたことからはじまる。その後このシステムはS/3701974年)、S/30311979年)と機能を強化しつつ、より高性能の新型モデルに移行して行った。
また、工場においても時代の要請に基づき、工場管理システムが導入されていたが、和歌山工場はS/370の比較的小さいものを1970年代末期に導入していたし、プロセス制御システムにも全社的にIBM汎用機の利用が進められていた(本ノート;TCSプロジェクト参照)。
そんなわけで一部工場管理システムに東芝やHPが使われていたものの、東燃グループはIBMの模範的ユーザーと内外から認められていた。
陸軍の組織では中隊と連隊が特に意味を持つ。中隊は戦闘の中核組織、士官学校の卒業生は先ず中隊配属となる。連隊は駐屯地があり、それがある町は城下町、それぞれの連隊にはその象徴として連隊旗がある。旧陸軍では連隊旗は天皇から親授され、攻撃に際してはこれを押し立てて進み、負け戦で壊滅するときは、敵に奪われぬよう焼却して玉砕する。システム屋仲間ではMFを“連隊旗”と呼ぶことがあるが、東燃の連隊旗はIBMであった。
そんなグループに1982年、次世代MF検討の動きが胎動、1983年末それが実施されることになる。今回の“メインフレームを替える”はその顛末を明らかにするものである。

(次回;非IBMという考え方)

2012年8月3日金曜日

今月の本棚-47(2012年7月分)



<今月読んだ本>
1)オーディション社会 韓国(佐藤大介);新潮社(新書)
2)フェイスブックが危ない(守屋英一);文芸春秋社(新書)
3)The QuestDaniel Yergin);The Penguin Press
4)2050年の世界地図(ローレンス・C・スミス);NHK出版
5)チャーチルの亡霊(前田洋平);文芸春秋社(新書)
6)快楽としての読書[日本編](丸谷才一);筑摩書房(文庫)

<愚評昧説>
1)オーディション社会 韓国
私はゴルフはやらないがそれでも韓国女子選手の圧倒的強さはいやでも目に付く。これは日本ばかりでなく数年前アメリカでも同じような状態で、女子プロ協会が「英語の試験を課す」と言い出し、社会問題になったほどである。一方でこの本の中にも出てくるが、フィギャーのキム・ヨナ選手が「韓国では2位になっても誰も褒めてくれない」と嘆いている。とにかく“No.1”でなければダメなのだ。多分今度のオリンピックでも日本はメダル数で彼らに圧倒されるだろう。豊かになった今の韓国、単純に「彼らはハングリー精神が旺盛だから」で片付けられない、独特の競争社会・ブランド志向社会がそこに存在するからなのだ。そんな特異な価値観とそれに因る歪を、長く韓国に駐在した新聞記者(韓国語に精通)が多面的に調査・分析したのが本書である。
書き出しはTVで圧倒的な人気を誇る、歌謡オーディション番組の紹介から始まる。ここでは歌の上手さばかりでなく(いやそれ以上に)ルックス、そして自らを売り込むための生い立ち・生活に関する自己紹介(如何に聴衆の同情・共感を得られるか)が重要な採点因子になっている。就職も結婚も容姿と“スペック(結婚相手を選ぶ場合は特に、出身大学、勤務先、役職)”が決め手になる。女性は整形美容に励み、男性は一流校から一流会社を目指す。
その結果どのようは社会現象が起こるか?先ず受験競争の過熱、一流校を目指して塾通い、家庭教師による指導に、多大の時間と費用がかかる(一例として、40歳代前半のサラリーマン・娘二人の家庭で、私教育費が140万ウォン(約9万円)、これは月収の4割に相当)。更に、「高い英語力が必須」との考えが徹底しており、高校進学前に英語修得のために、英語公用国(最近はフィリピンや豪州、シンガポールが多い)に母親と伴に留学するケースが増えており(半年以上留学経験のある“小学生”;2000705人、200712000人(中学生;27000人))、この場合さらに教育費は増加して、国内で働く父親はかつかつの生活を強いられる。
受験戦争の勝者は一流大学に入っても、一流企業の正社員(1997年のIMF(通貨)危機後、正社員採用は著しく少なくなり、派遣・契約社員が圧倒的に多い)や公務員への入り口は狭い。勉強とコネ作り(政治家などへの)が必須だ。運良く大会社に入社できても、そこでの競争も激しい(社内試験、特に英語力や営業成績)。日本に比べ遥かに実力・成果主義が徹底している(いわゆるリストラ(実質上の馘首)も多く、定年は45歳とも言われている)。
行き着く先は格差の拡大である。子供を塾通いさせ海外留学に出せる家庭は当然収入の多い階層になる。一流大学を出て一流会社に就職した者と、派遣・契約社員では経済レベル(正社員の6割)が違うだけでなく、生活の安定度・将来性も違ってくる。順風満帆の人生をおくれる人は限られる。グローバル企業と中小企業の格差も日本の比ではない。現代・サムソン・浦項・SKなど大手企業56社の売り上げだけでGDP56%を占めるのだ!
日本を上回る少子化率(1.15人、日本1.37人)、それにOECD加盟国中1位の自殺率(10万人当たり21.5人、日本19.1人(3位))と言う現象が、このオーディション社会の自己評価なのである。
本書で不満なのは、凄まじい競争社会の実態は丁寧に説明されているものの、「何故そのような競争社会がもたらされたのか?」が明解でないことである。IMF危機はそれに輪をかけただけであり、その本質ではない。歴史的背景(例えば、同民族で複数の国家が覇権を争ってきたことや儒教の影響)、地政学的(例えば、大国の存在・利害と半島の位置・地形)分析に全く及んでいない。評者としては、これらにこそ問題の根源があると考えるのだが・・・。
韓国との付き合いは長い(1988年から)。親しい友人も何人か居る。IMF危機以降、韓国企業が勢いを回復したある時「最近の韓国は元気だなー」と言うと、すかさず「日本企業は日本一を目指す。韓国企業は世界一を目指す!」と応じて、ニヤッとした。しかし、しばらく置いて「でも日本には同じ業種に必ず何社かあるよな」と続けた。そこには、2位以下が存在でき、選択肢のある社会を羨む含みが確実にあった。
蓮紡議員の「何故2番じゃいけないんですか?」には困ったものの、ジャイアンツだけがプロ野球界で突出した強者になるのも健全ではない。地元・弱小球団(横浜ベイスターズのファンです)を応援し、金メダルを期待されながら、銀・銅で終わった選手にも拍手を送ろう!

2)フェイスブックが危ない
3,4年前国際的に活躍する人からフェイスブック(FB)に誘われた。その人は“友達”に私のことを紹介したので、外国から沢山“友達”になることを依頼するメールが送られてきた。しかし、いまさら縁もゆかりも無い外国人と知り合いになりたいと思わなかったので、一切返答しなかった。それでFBとの縁は切れていた。今年4月初め、東燃時代の後輩から「FBの“友達”になってほしい」とのメールが届いた。以前と違いSocial Network SystemSNS)としてツイッターとともに存在感を増していることもあり、「勉強をしてみようか」との思いで“承認”し、プロファイル(名前・写真・生年月日・出身校など)を登録し、公開した。直後に「もしかして友達では?」とのリスト(名前と写真)が示された。「エッ!何故こんな人と知り合いであることが分かるんだ?」「知りもしない人が何故友達?リストに入っているんだ?」 第一印象は「気持ちが悪いなー」である(この辺は“おじさん感覚”なのだろう)。直ちにプロファイルから名前(FBでは本名が原則)、写真、メールアドレス以外の情報を削除した。“友達”として承認したのは、既にその人をよく知っている人に限定した(約50人)。従って友達の輪は広がらない。これは本来FBが目指すものとは異なるようだが、それでいいと思っている。
インターネットによる個人(企業などの組織もあるが)情報の開示は、ホームページ(HP)、ブログ(Web Logの略)、SNSと移ってきた。作るための技術が容易になるに従い、プライヴァシーの保護が甘くなってきている。特にSNSは気楽に他人とつながること(同窓会・友達作り・恋愛チャンス・仕事探し・同好の志交流など)を売り物にしているので、その感が強い。そこがこれを悪用(例えば、他人に成りすまして悪事を働く)あるいは商売に利用しようとする者にとって付け目なのだ。
本書はFBを始めとするSNSの利点を分かり易く紹介すると伴に、その陰の部分を多数事例で示し、システムの持つ特質からその原因を探り、被害防止策を具体的に教授するものである。
著者はIBMの不正アクセス防止の専門家、インターネット安全活用マニュアル(あるいはガイドライン)と言っても良い性格の本で、決して読んで楽しいものではないが、大変役に立つものである。(スマートフォーンなどを含む)通信に関して、プライヴァシー保護、セキュリティに少しでも不安を感じたり、関心のある方には是非手にとってもらいたい。

3)The Quest
2月に会社同期の飲み会があった。その席でF君から「Yargin読んだか?」と問われた。Yarginは知っていたが本書のことは知らなかった。4月日本経済新聞から訳本「探求(上、下)」が出版された。二巻で5000円近くする。円高もあるので最近は洋書が安い。原書は半値であったので挑戦することにした。届いた本はわが国の標準的なサイズよりひと回り大きく、ページ数は800、訳本が二巻になるわけである。読破するに3ヶ月近くかかっているが、これは本書に集中したわけではなく、他の本と併読したことや、6月から仕事を始めたことも影響している。興味深いテーマ(エネルギー)、小説のように起伏のある筆致、平易な英語、これだけ読んでいれば一ヶ月位で終えることが出来ただろう。
訳本が出版された際の新聞広告に、“「世界の指導者のすべては本書を読むべきだ」ヘンリー・キッシンジャー”と言うのがあった。読んでみて、“指導者”に限らず、多くの人が、エネルギー問題を自らの問題として考える一方で、それが世界の政治・経済、さらには人類の将来と如何に複雑に絡み合っているのかを理解する手引きとして、優れた本であることを確信した。
On March 11,2011, at 2:46 in the afternoon Japan time, ・・・. At the Fukushima Daiichi complex ・・・” 本書の書き出しである。大震災はわが国に歴史的大災害をもたらしたばかりでなく、これからの世界に多種多様な問題を提起している。つまり原発事故は、核・放射能問題ばかりではなく、拡大する新興国のエネルギー需要、地球環境問題、旧ソ連や中東の統治体制、再生可能エネルギーや代替エネルギー開発、輸送システムの変革、発送電や電池の効率向上技術、一層の省エネルギーを可能にする社会システムの追求、そしてエネルギー資源を巡る利権・覇権争いの危険、を論ずる引き金となったのだ。
6部(1.The New World of Oil2.Security of Supply3.The Electric Age4.Climate and Carbon5.New Energy6.Road to the Future)・35章の構成は、上述の各種問題とエネルギーの関係を丁寧に解説した後、最終章;A Great Revolution(大変革)で終わる。我われはエネルギー革命の真っ只中にあることを自覚し、大変革を成し遂げないと人類の未来が危ないと。
この本を多くの人に薦めるのは、スケールの大きなテーマながら、特定な思想や学問としての論理などに縛られた固いものではなく、かなり専門分野に立ち入りながら、一般人が惹かれ読み進みたくなる書き方にある。特に、現代の最新技術を、歴史を遡り、解説していく件など、思わず少年時代読んだ英雄伝を思い起こさせたりした。フォードとエディソンが協力して電気自動車開発に取組むところや、アインシュタインがスイスの大学を出た後、適当な就職口が見つからず、父親の縁で特許事務所に勤めているとき発表した太陽光による発電(太陽電池)の話などがその例である。
また、政治・経済問題が中心になる内容でも同じように興味を惹くよう工夫されている。第一章は、Russia Returns(ロシアの復活)だがここではソ連時代国有財産であった油田を含む石油施設の民営化とマフィアの暗躍が、まるでサスペンス小説のように語られるのがその一例である。
エネルギー問題は経済性を含む“効率”の問題である。この効率の良し悪しを考えるところでも技術や経済に疎い人への配慮がある。例えばバイオ燃料。石油と比べた場合、同じ発熱量を得るのに、玉蜀黍や砂糖黍畑に極めて広大な面積を要し(つまりそこでエネルギーを消費する)、其処から精製設備までトラックで輸送するために消費されるエネルギーも大型タンカーやパイプラインに比しはるかに高い、と言うようにである。
原発に限らず“日本”もしばしば登場する。中でもエネルギー問題で重要な部分を占める省エネルギーでの努力を高く評価している。その中で一項を設けて“Mottainai(もったいない;「この言葉を英語にするのは難しい。強いて訳せば、“Too Precious to Waste(捨てるにはあまりに貴重なものだ)”」)”の説明を行い、家庭から企業まで、あらゆるセクターで継続的な省エネ活動が必要なことを訴えている。
このような“読み易さ”は、著者がエネルギー研究のシンクタンクを主宰し、ハーバード大学ケネディ行政大学院教授であることから“学者”と紹介されることが間々あるのだが、1980年代「石油の世紀」でピュリッツァ賞を受賞し、金融財政に関する「市場と国家」を出版していることからも分かるように、本質的にはジャーナリストであることと無縁ではなかろう。
「探求」の翻訳は冒険小説などで評価が高い伏見威蕃が行っている。大先生の“監訳”などにしなかった編集者の見識に期待したい。

4)2050年の世界地図
地球温暖化によって、極地や氷河の氷が融け出し、海面の水位が上がって、多くの陸地が水没する。今や環境問題の定番である。しかし、海に浮かぶ氷山が融けても水位が上がらないことはアルキメデスの原理、コップに氷を入れてみれば分かることであるし、温度が上がれば海水の蒸発量も増えるはず。それに、地球の歴史を見れば氷河期もある。本当はどうなるんだろう?地球物理の知識はこの程度である。
新聞の書評で本書を知り、どうやらこの疑問に純粋に科学的(環境信者による似非科学ではなく)に答えてくれるような内容ととれたので読むことになった。期待通り極めてニュートラルで科学的なものだった。
著者はUCLAの地理学教授。特に極北地帯の研究を専門にしている人である。気象・気候学(これは天候と違いかなり長い期間の変化を対象)を基盤に、地質学、動植物学のような自然現象ばかりでなく、人類学(特に北方民族)、経済学や社会学などを動員した、総合的な極北研究で、文中から推測するに夫人は、この研究を通じて知り合った北欧系北方少数民族の人らしい。そこまで入れ込んだ研究成果の一端が本書として結実した。“人類にとって「北」の重要性が増している”と。
カナダ北極圏高緯度での北極熊ハンティングは、大物狙いのハンターにとって憧れの狩である。限られた人が45千ドル払い、一頭を仕留める権利を買い取る。2006年米国人の一人が運よく北極熊と思しきものを射止める。しかし、そばに寄って見ると、それは純粋の北極熊ではなく、北米大陸に広く生息する灰色熊(グリズリー)の特徴を多く備えた混血種だった。当初は単発的な奇種とみられていたが、やがてこの混血種が繁殖していることが明らかになり、地球温暖化との関係が取り沙汰されるようになる。少し振り返って動植物の生息域を調査・分析すると、世界各地で緯度のより高い地域に移動していることが分かってくる。定量的には平均10年毎に6km両極寄りになり、山岳地では高度が6m上昇しているのだ。これが40年後(つまり2050年)にはどうなっているか?単純に計算すれば、南北両極へ24km、高度24m、地球規模で見れば大した変化ではない。
しかし、経済発展の広がりと度合い、各種資源需給などの変化率を考慮すると、ことはそれほど単純ではなさそうだ。北極海は?ツンドラ地帯は?領海・領土は?資源は?そして人間の居住域は?そこに住む人々の生活は?現地調査とコンピュータ・シミュレーションでその姿を予測(本書では“思考実験”と名付けている)して、これらの疑問に答えていくのが本書の内容である。
この思考実験のルールとして著者らは以下の前提を設定して、これに臨む。1.「打ち出の小槌は無い」(科学技術の進歩は緩やか)、2.第三次世界大戦は起こらない、3.隠れた魔物はいない(長期大不況、致命的な伝染病大流行など)、4.モデル(気候、経済)が信用できる(ただし、条件を変えて幾つかのケーススタディを行い、楽観論・悲観論などを明記する)。
結論は、低緯度地域の一部で一層の乾燥化が進み、海面水位がやや上がるものの、対応策はあり、北半球北部が今世紀の間に大変な変化を経験して、現在より人間活動が増え、戦略的価値が上がり、経済的重要性が高まる、と言うことである。具体的な国・地域としては、アメリカ(アラスカ地方)、カナダ、アイスランド、グリーンランド(デンマーク)、ノルウェイ、スウェーデン、フィンランド、ロシアの8カ国である(これらを著者は「環北極圏(ノーザン・リム)」またはNORCs(Northern Rim Countries)と名付けている)。
本書の特徴は、単なる自然科学を中心とする環境問題の研究書に留まらず、先にも述べたように、社会科学面からの考察を加えていることである。例えば、先住民(イヌイットなど)の人権・諸権利(土地所有や自治)回復の動向(米・加・グリーンランドでは進んでいるが、北欧は無関心、ロシアはむしろ差別されている)やそれに基づく経済活動の盛衰(東シベリアは人口減少が止まらない)も併せて“思考実験”を行っている点である。さらにこれら社会活動変化を資源問題や領土・領海問題に波及させているので、40年後の世界が現在の我われに身近なものとなってくる。
研究対象域を広げることにより、専門分野を一般人に理解させる好例の書として高く評価する。

5)チャーチルの亡霊
ヨーロッパ連合(EU)の前史は1951年フランス外相ロベール・シューマンの提唱した欧州石炭鉄鋼共同体(ECSC)に遡る。それが欧州経済共同体(EEC)、欧州共同体(EC)と発展し、現在のEUに至るまでに半世紀を要している。ポイントは各国の国家主権をどこまで統合上部統治機構(欧州大統領、欧州会議・欧州中央銀行など)に委ねられるかにある。もし、この上部機構が欧州全体を統治することになれば、EUは欧州連邦(USEUnited States of Europe)に変ずることになる。しかし、連合が連邦になる可能性はあるのだろうか?この疑問に深く関わるのが“亡霊”なのである。
この欧州各国政治指導者が関わる、統合のアイディアを彼らに先駆けて披瀝した人物にリヒャルト・クーデンホーフ・カレルギー(日本名;青山栄次郎;オーストリア外交官と青山光子の次男)が居る。彼が1923年出版した「汎ヨーロッパ主義」は第一次世界大戦で荒廃したヨーロッパ人の間にセンセーションを巻き起こし、有力者にシンパが続々と現れる。しかし、この考え方は勃興するナチズムとは真っ向から対立し、最後はアメリカに難を逃れる。
戦後欧州に戻った彼は、平和なヨーロッパを実現するために、この汎ヨーロッパ主義が必要なことを各国指導者に訴えていく。彼の目指すものは“連邦”。これに注目した一人がチャーチルである。
連合国の指導者の一人として大戦を勝ち抜いた英雄にも拘らず、戦後の選挙戦に破れ野に下ったチャーチルは捲土重来を期すべく、国際社会激変の中で、自己と大英帝国のイニシアティヴ回復に向けて、精力的に政治活動を進めている。バラバラで貧しい欧州はやがて共産主義に席巻されてしまう恐れがある。一つにまとめる役割を英国が引き受け、アメリカの援助(マーシャルプラン)を効果的に投入出来る環境を整える。併せて大英帝国の維持のために、統合された欧州に英国自身は、主導権は残しつつ、距離を置く。老獪な国際政治家の本音は“連合”まで。国家主権を上部機構に預ける考えは全く無い。
チャーチルからの手紙で汎ヨーロッパ主義を称えられたクーデンホーフは、これ以上の支援者はいないと全面的な協力を約束する。チャーチルが先ず知りたかったのは、汎ヨーロッパ運動に同調する各国の政治家、特に英国国会議員である。目的を明確にせずクーデンホーフの持つ支援者名簿を入手する。これをもとに自分の考えを実現する政治工作を進めようというのだ。両者を繋ぐ役割は専ら娘婿に任せ、チャーチルはクーデンホーフとの直接的な接触を避けるようになっていく。いつまで経っても前へ動かない統一運動。クーデンホーフの不安は、不信へと転じていく。
クーデンホーフが一民間人として進めてきた活動は、別次元で政治家によって、密かに進められていた。195058日、丁度ドイツ降伏から5年目の日、仏外相の密使が乗った列車が西ドイツに向かう。アデナウァー西独首相に宛てた書簡はECSCの提案書である。アデナウァーは直ちに賛意を示す。59日これが全世界に知らされたが、英国は蚊帳の外であった。
1951年チャーチルは首相に復帰する。しかし、体力気力は衰え、ECSCをぶち上げられた今、欧州統合に向けてのチャーチルの出番は無かった。
19469月、チャーチルがチューリッヒ大学でヨーロッパ統合に関する演説をして以来既に半世紀を越す時間が過ぎた。一見ヨーロッパの復権を窺がわせたEUは加盟国の財政破綻を契機に、各国の思惑が食い違い、国家主権と統合統治の関係が問われている。当にチャーチルの亡霊が蘇り、ヨーロッパを徘徊し始めたと言って良い。
本書は“チャーチル研究”(修士論文)からスタートしたもののようだが、ヨーロッパ統一とチャーチルの関係を取り上げた本は寡聞にして見たことが無い。チャーチルの周辺に興味を持つ者として、新しい発見が多々あった。ただ、EUとクーデンホーフ(“EUの父”と称される)と言う視点では、系統立てた理解はし難い。

6)快楽としての読書[日本編]
作家?丸谷才一の名前は知っていたが、全く読んだことはなかった。偶々5月に音楽評論家の吉田秀和氏が亡くなった時、新聞に追悼文が記載され興味を持った。NHK FMで毎土曜日放送される「名曲の楽しみ」のファン(聴き流すだけだが)だったからである。そんなときAmazonから本書([海外編]も併せて)の知らせが来たので読んでみることにした。本欄執筆の参考にもなると思ったからである。
そして大変勉強になりました!
先ず50ページにわたる書評に関する三つのエッセイ。ここからわが国書評史が如何なるものかを知った。著者に言わせれば「戦前は書評など無かった」「小林秀雄の書評なども酷いものだった」と言うことになる。まともな書評が現れるのは19512月週刊朝日に登場した「週間図書館」から、この時の書評委員の浦松佐美太郎(没個性的)と中野好夫(個性的)の評は両者とも英国雑誌・新聞の書評スタイルを取り入れ、これがその後の書評モデルになったのだという。当然のこことして両者はよく衝突したらしい。こんなものまで外国から学ばなければならなかったとは、この本を読むまで全く知らなかった。
次いで書評の要点;しっかりした文章、芸のある話術、該博な知識、バランスのとれた論理、才気煥発の冗談などを駆使し、紹介と批評を行う。ダイジェストと主観的“読後感”を書き連ねる本欄はとても良質な書評とはいえないことを、はっきり思い知らされた。
さて、著者の書評である。主に「週間図書館」と毎日新聞の「今週の本棚(ここからヒントを得たわけではありません)」などに記載された122編が選ばれている。現代小説あり、古典あり、詩歌あり(これがかなりある)、伝記あり、辞書あり!随筆あり、紀行文あり。執筆年代も1970年代から2003年位まで及ぶ。しかし読んだことのある本は一冊も無かった(広辞苑は利用するが、こう言うものも批評の対象だから驚く)。
率直に言って、興味の持てない本のオンパレードなので、書評も今ひとつ面白く読めなかったが、「こう言う読み方をするのか!」「こう言う書き方をするのか!」「こう言う批評をするのか!」を学ぶためには得難い本といえる。
最も辛かったは全文旧かな遣いで書かれていることで、今時こんな本は珍しい。これも大変勉強にはなったが・・・。
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