4.大連市内観光
今回の旅で訪れる、大連・旅順・瀋陽(奉天)・長春(新京)・ハルビン5都市の内旅順を除く4カ所は、引揚げまでの間、何らかの形で滞在している。そのうち大連は、母の実家への帰省で1940年(1歳)と1942年(3歳)の2回立ち寄っている。初回の記憶は全くないが、2回目は新京から列車で大連到着前見た景色をかすかに覚えている。進行方向右側(北側)に低木がわずかに生えるはげ山がしばらく続いたことだ。新京で山や丘を見たことが無かっただけに、印象づけられたのだろう。
大連空港は市街地中心部の北西に在る。ここからバスで見える地形に山など全くない。高架の自動車専用道路から最初に目に入ったのは大連船舶工業とあるクレーンの林立する広大な造船所。今はみなとみらい地区に変じている三菱重工横浜造船所に倍する規模、何隻かの大型船が建造中で造船大国をいきなり実感させられた。市街に入り現地ガイドの孫さんが説明開始、車窓から見た大連駅は上野駅そっくりだった。ここで列車と港との間を2度往復しているはずだが、何も思い出すことは無かった。子供の時の記憶など曖昧なものなのだ(はげ山記憶は後日記す)。
空港を出て最初に下車したのは市街メインストリートの一つ魯迅路、旧満鉄本社の近く。ここから南に一本入ったところが旧日本人街として残っている。とは言っても当時の建物で現存するのはわずか、馬込宿や大内宿のように通りや建物は観光用に建替え・整備され、いくつかの店は明らかに日本人観光客が対象だ。それでも満鉄幹部の邸宅のいくつかは地方政府高官などが最近まで居住していたとのこと。
次いで魯迅路に出て旧満鉄本社前に至る。ここは党鉄道本部として現在も使われているが、内部に立ち入ることは出来なかった。関東軍と並ぶ満洲統治の要であった割には小さいな、というのが個人的印象。
ここから徒歩で中山広場(旧大広場、直径200m)に向かい、一通り周辺建造物の説明を受けた後「広場から絶対出ないこと」を申しわたされ自由時間となる(広場は巨大なロータリーで交通ルールの異なる日本人はしばしば危険な目に遭っている)。広場を囲む重厚な建物は、旧大連ヤマトホテル・旧大連市役所・旧東洋拓殖銀行・旧横浜正金銀行・旧朝鮮銀行などで、現在も中国銀行・中国工商銀行・交通銀行の大連支店がそれを使用している(文化遺産らしい)。
この内両親から聞いたことのあるのはリノヴェーション休館中の旧ヤマトホテル(大連賓館)。ただ、築百年に近い建物、確かにクラシックホテルとしての雰囲気は他にないものだが、果たしてどれだけの需要があるものか、いささか気になるところであった(これは他の都市のヤマトホテルも同様)。
15時中山広場から発する中山路(銀座中央通りに相当か)に面したシャングリラ大連ホテルにチェックイン、部屋は5階の南西向き(中山路に面す)、巨大なキングサイズダブルベッドが備わり、アメニティ完備、ウィッシュレットトイレ、シャワーと浴槽は別、TVはNHKやCNNも視聴可で、申し分なし。
夕食はガイドブックにも出ている「天天漁港」という海鮮レストランで摂った。とにかく暑い一日、冷たい瓶ビール(中瓶25元;約550円)で薄味の料理を楽しんだ。紹興酒を頼む人もいて、ときにご相伴に与ったが、私はこれ以後も専らビールで通した(残念ながら生ビールは全旅程皆無)。
帰館し一風呂浴びたあと冷たいビールをと思い冷蔵庫を開けると、そこに瓶ビールがあった。しかし、注文票がないので値段が分からない。ただ中国語と英語の注意書きのようなものがある。英文から分かったことは、商品に張られたQRコードを読み取れば価格が表示されるとある(そしてその場で決済する)。私は依然ガラケー、無料のミネラルウォーターで我慢、ディジタル難民をこんなところで体験することになった。
写真;大連市街図、旧日本人街、その街区の日本レストラン、満鉄幹部邸、満鉄本社、ヤマトホテル、横浜正金銀行、ホテルの部屋(クリックすると拡大します)
(次回;旅順観光)
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