<今月読んだ本>
1)ハードウェアセキュリティ(植村泰佳);幻冬舎(新書)
2)エヌビディアの流儀(ティ・キム);ダイヤモンド社
3)果てしなきイタリア旅(二村高史);草思社
4)<ロシア>が変えた江戸時代(岩崎奈緖子);吉川弘文館
5)続・日本軍兵士(吉田裕);中央公論新社(新書)
6)野球の記録で話したい(広尾晃));新潮社(新書)
<愚評昧説>
1) ハードウェアセキュリティ
-スマフォから工場設備まで人手を介さずネットでつながる社会。安全確保の最前線を学ぶ-
毎朝メール通知を開くとインターネット接続プロバイダーが提供する迷惑フォルダーに、(なりすまし)通販やクレジットカード会社からのメールが多数取り込まれている。一日にすると30~40通になるだろう。いずれもセキュリティに関するもので、これで暗証番号を含む個人情報を盗み取ろうとするものだ。また、フェースブック受信表示にある(なりすまし)友人からのメッセージを開いたところ、画面が変わるとともに警告音とアナウンスで至急連絡せよ告げられ、その状態からしばし逃れられなくなったこともある。ネットを介した身代金要求だ。デジタル社会の進化にともない、この種の犯罪も巧妙さを高めてきている。それでもソフトウェアに関するセキュリティは比較的よく知られ、ウィルス対策ソフトを始め、先のプロバイダーの対応など、防護策も充実してきているし、利用者にもそれなりの警戒・対応意識ができてきている。しかし今やIoT(Internet of Things;あらゆる物(Things)がネットにつながる)の時代、家電から工場設備まで、人手を介さずネット接続された機器が犯罪者の標的になる。日々の生活はまるみえになり、工場の操業を止めることも可能になのだ。本書はこのIoT時代における、人間によるチェックのおよばない、IT機器内部(スマフォから工場自動化システムまで)のセキュリティ確保・維持に関する啓蒙・解説書である。
著者は1952年生まれ。30年ほど前に異業種交流の場で知り合った友人である。当時はサッポロビールで経営・事業企画を担当していたが、退職後の2000年電子商取引技術研究組合(その後事業会社に転換)を設立、理事長を務め、現在はその成果を実用化推進する株式会社SCU(Secure
Cryptographic Unit;保安暗号装置)代表取締役社長、ICシステムセキュリティ協会代表理事。
本書を読む動機は二点、第一は異業種交流会の仲間としてサッポロビール退職後の活動を知りたかったこと。交流会のOB会は続いているが、電子取引安全技術については聞く機会が無く、初めて立ち入る話題だった。第二は、本書の紹介記事に工場操業システムの安全性が取り上げられているとあったことである。ここは現役時代の世界、去って20年、今どんな問題があるのか?それに対する備えは?を知りたく読んでみることにした。従って、内容紹介は第二点を中心にする。
事例として特に興味を覚えたのは、①コロニアル・パイプライン事件;2021年5月、米国ガス・燃料供給ライン(東海岸の45%を担う)のコントロールシステムにウィルスが侵入、1000以上のガソリンスタンドが操業不能に陥り、440万ドルの身代金を払うことになる。②スタクスネット事件;2009年から10年にかけて発生したイラン核施設(ウラン濃縮)に対するサイバー攻撃で、遠心分離機の回転数制御を不能にした。いずれもプラント運転制御システムの機能を破壊することが目的で、それを達成している。我々の時代、プラントと本事務所、工場と本社は既に通信回線でつながっていたものの、節目に人間が介在していたので、工場外・社外と直接つながることは無かったが、今やIoTの時代、気づかぬうちに情報の侵入・抜き取りが可能になのだ(例えば、センサーや制御機器のメーカーによる遠隔保守)。
防護対策として、サーバーやPCに防御ソフトウェアを組み込むとともに、膨大な数のセンサーや制御機器一つ一つに専用ハードウェア(微小ICチップ)で防御することも必要になってきている。しかし、小型で厳しい環境条件(温度、風雨、湿度、振動など)に晒され続ける機器の中に暗号処理までできる機能を持たせるには、ひとかたならぬ苦労がともなう。本書はそれを経済産業省の政策;戦略的イノベーション創造プログラム(SIP)、経済安全保障重要技術育成プログラム(Kプログラム)を中心に、試作品の開発から検証体制まで紹介する内容。デジタル時代の工場操業安全維持がいかに高度化してきているかあらためて学ぶ結果になった。危機は企業・工場ばかりではない。家電やクルマに組み込まれた情報処理や制御システムを介して、個人・家庭に迫ってきている。
おそらく、著者の一連の活動はいくつかの報告書として既報されていると推察するが、一般の出版社から新書として刊行されたことに意義がある。知られざるデジタル時代の安全・安心体制維理解のために、広く読まれることを期待する。因みに著者は文系出身者、技術的に難解なところに踏み込んでいない点も評価できる。
2) エヌビディアの流儀
-今や時価総額世界一のAI半導体企業、創業者とその経営スタイルの全貌を明らかにする-
半導体集積回路(IC;Integrated Circuit)という言葉を我が国で聞くようになったのは就職した1962年(昭和37年)前後のことだったと記憶する。そのICチップを初めて眼にしたのは1967年、和歌山工場の大規模拡張工事を控え、横河電機製のYODIC-500と名付けられた我が国初の集中型デジタル制御装置(DDC;Direct Digital Control)のプロトタイプを適用実験中のことである。当時既に石油精製プラントは365日1年連続運転が行われており、200近い制御点を一つのコンピュータで扱うには汎用のコンピュータとは桁違いの長期連続稼働を要求された。テスト使用でその信頼性を確かめ、商用機としての改善点を洗い出すことが目的だった。そのテスト期間中、異常を生ずることが時たま起こり、原因追究に努めている過程で、疑わしいICのパッケージングを分解、配線(金線)が切断されていることを発見した。このような実験経過を踏まえ、冗長度を見直し、冷却システムの改善などを商用機に盛り込み、和歌山工場導入を決した。その時のICは米国テキサスインスツルメント社(TI)製。しばらくはこのIT社を始め、モトローラ、フェアチャイルドなど米国ICメーカーの天下が続いたあと、NECや富士通、日立など日本のメーカーの独壇場となる。しかし、IBMPCの心臓部である中央演算装置(CPU)をインテルが受注したことで、一気に米国が盛り返す。この間メモリーチップではサムソンが日本勢を凌駕。これで電子立国日本は退勢に転じてしまう。ここでもう一つのIC巨人が登場。台湾半導体製造会社(TSMC;Taiwan Semiconductor Manufacturing Company)がそれである。この会社はICチップの設計開発部門は持たず、インテル、アップルなどが開発した製品の製造請負に特化することで急成長する。当に三国志的変遷をたどってきた半導体業界、現在トップの座に在るのが、AIチップでリードするエヌビディア(NVIDIA)社である。
著者の生年は不明。名前から朝鮮半島出身者と推察する。経営コンサルタントやヘッジファンドのアナリストを経て、現在は技術ジャーナリスト。1990年代からエヌビディアを追っていたと著者紹介にある。
エヌビディアの創設は1993年、1999年IPO(株式公開)そして2024年6月時価総額3.37兆ドルとマイクロソフトを上回る、世界一の座に到達する急成長企業である。現在この社をCEOとして率いるのは創設者の一人1963年台湾生まれのジェンスン・ファン、本書はこの人物を中心に語るエヌビディア発展史である。
ジェンスンの家庭は貧しく、タイ、米国と転居、オレゴン州立大学で電気工学を修め半導体メーカーLSIロジック社に就職、ここでグラフィックシステム(画像処理)ICチップの設計を担当しているとき、取引関係にあったサンマイクロシステムズ社(高機能ワークステーションメーカー)のカーチス・プリムエ(アーキテクチャ設計担当)とクリス・マラコウスキー(製造システム担当)から声をかけられ、エヌビディアを創設に参加する。この社が目指すのは安価なグラフィック用ICチップ、それまでのシステムは業務用ワークステーションで動かす高価なものばかり。先ずゲーム機、次いでPCに組み込むことを狙い、紆余曲折はあるものの次第に実績を重ね、マイクロソフトやアップルもやがて顧客に加わってくる。次の段階はカラー動画、ここはCG映画が代表適用例、シリコングラフィックス社(SGC)のような大手が抑えている。しかし、この分野にも切り込みが成功、やがてSGCやインテルを圧する存在になる。
グラフィック用ICチップ専業メーカーが何故AIチップのトップに躍り出たのか?ここが私にとっては最大の関心事。現在グラフィック用ICチップはGPU(Graphics Processing Unit)と称されるが、これはコンピュータ出現時から在る中央演算装置(Central Processing Unit;CPU)を意識しての呼称である。つまりGPUも演算装置なのである。カラー動画を描き動かすには膨大な量の演算が必要になる。演算装置として両者は同じなのだが、CPUは“複雑な”演算に適しGPUは“膨大な”演算に適するという違いがある。AI研究が何度かの挫折を乗り越え実用化に達したのは“深層学習(ディープラーニング)”の手法に依るところが大きい。これはビッグ(膨大)データーをコンピュータに教え込むことで、人間と変わらぬ認知能力を持つことになるのだ。ジェンスンはこのことに早くから気づき、2006年エヌビディア・リサーチを設立、AI分野への投資を拡大してきていたのだ。
本書のタイトルは“流儀(Way)”、その第一要素は「将来性のある人材の採用」。新規採用者の三分の一は現社員の紹介、離職率は3%以下でシリコンバレーの平均値(13%)を大きく下回る。一方で各種従業員サポートや報酬と引き換えに社員に求められるのは「週60時間労働が最低ライン」、ジェンスン自身「一日25時間、週8日働く」と揶揄されるほどのハードワーカーである。こうなるのはジェンスン直轄の部下が60人にもおよび(平均的な米国トップの下は4~5人)、組織の階層を薄くしていることからきている。読後に感じたのは「もしジェンスンが倒れたら」である(他の創業者二人は既に引退している)。
エヌビディアが話題になり始めた頃からこの会社について知りたいと思っていたが、日本人の書いたものは断片的な孫引きや業界関連情報中心で手を出す気にもならなかった。本書は、少々ジェンスン礼賛が鼻につくものの、本人を含め100人以上の関係者にインタビューした真っ当な内容、AIが身近な存在になってきている昨今、しばらく手許から離せない一冊となるだろう。
3) 果てしなきイタリア旅
-気ままな旅を楽しむため定職を持たず、40年かけ全20州250超の市町村を鉄道と路線バスで巡ったイタリア紀行-
2008年秋念願だったイタリア旅行に出かけた。ここには二人の親しい友人がおり、彼らを訪ねるのが主目的だった。三人の共通因子はITと石油、お互い米国と日本で何度か会っており、今度は私が彼の地に出かける番だった。ただイタリア人同士は面識がないので個別訪問である。二人の住まいはいずれもミラノとヴェネツィアを結ぶ幹線鉄道路線の最寄り駅(ブレーシャ、ヴィチェンツァ)から車で一時間程度、一人の家には一泊、もう一人は宿泊こそホテルにしたが家に招かれ、二カ所とも一泊二日で近郊を観光した。ツアーに組み込まれるような名所旧跡は無かったものの、北イタリアの歴史や文化に触れ、彼らとの日常生活を楽しんだ。このあとはヴェネツィア、フィレンツェ、ローマと巡り、この旅を終えた。この後半の旅程について二人が奇しくも同じコメントを発した。「ローマは素晴らしい!大いに楽しめ」そして「ローマから南はイタリアではない!行く必要は無い」と。そう言われると反って興味が沸くのが南イタリア、もうその機会は無いが、本書がそこを主体的に取り上げていると知り、読んでみることにした。
著者は1956年生まれ、東大文学部卒業が1981年。少々歳を食っていると思ったら、やはり留年していた。しかし、モラトリアムや怠惰ゆえではない。大学に入学後英語以外にもう一つ外国語をモノにしたいと思い立ち、種々調べた結果イタリア語を選び、学外でその学習に励んだようだ。また、旅行好きで鉄道ファン。思うままに旅することを人生の最優先事項と決し、就職活動は行わず、卒業後シベリア鉄道経由でイタリアに渡り、半年フィレンツェで語学研修に励んでいる。帰国後は塾講師、日本語教師、PC解説書執筆など定職を持たず、現在はフリーランスの物書きで公益財団法人日伊協会常務理事。2024年までに24回渡伊、20全州を鉄道・路線バスで巡り、訪れた町は250以上にのぼる。本書は2004年から2023年までの旅を八つのテーマでまとめたもので、一部北イタリアやサルディーニャ島を含むものの、大部分はシチリア島など南イタリアの知られざる町や村の訪問記である。
先に述べた友人がいることもあり、イタリアへの思い入れは一入だった。それゆえ日本人が著わしたイタリア紀行や滞在記を数多く読んできた。村上春樹、沢木耕太郎、須賀敦子、塩野七生、山崎マリなどがそれらだ。しかし、本書の内容は彼らとは明らかに異なっていた。根本は作家と旅行家の違い。教養臭がまったくしないのだ。だからといって中身が薄かったり、文章が拙かったりするわけでもなく、何気ない旅が身近に感じられる筆致なのだ。そして、Googleマップを始めとするネット情報による周到な事前準備。有名観光地訪問は皆無だが、イタリア個人旅行を画する者にとって優れた案内書でもある。
個人的興味の対象では先ず乗り物;鉄道・路線バスの車輌や運用形態あるいは利用方法、歴史的に外敵侵入を防ぐための丘上都市が多いことからくる、随所に現われる住民利用のケーブルカーの話など、本書で知ることばかりだ。著者のようなイタリア通でもしばしば混乱する、路線バスの切符入手(バールだったり、車内販売だったり)やバスターミナルの所在(何の変哲もないガソリンスタンドがそれだったり)がその一例である。次いで食事の話;各所で摂った昼食や夕食を、食材・調理法・量や味わいなどを写真入りで解説してくれる。そこにもギリシャや北アフリカの影響がうかがえる。多くは無名の土地ゆえ宿泊環境も様々。ある村でバール併設のB&Bに泊まるが、翌朝村人に宿泊先を問われ、くだんのB&Bと答えたところ、意味ありげな表情でバール経営者マダムの素行を聞かされる。言葉の話も面白い。古代南イタリアにはギリシャの植民都市が多かったこともあり、時代を経て転訛したギリシャ語ともイタリア語ともつかぬ言葉を話す人が残る村落があったりする(調べてわざわざそこを訪ねる)。また、これは南ではないが、第一次世界大戦で戦勝国となったイタリアは旧オーストリア領であった南チロル地方を領土に組み込んでいる。そこでは未だにドイツ語が公用語として認められており、ドイツ系が多数派なのだ。ギリシャ、ローマに発するイタリア史の深さを学ぶ結果になった。
既に300に迫る町村を探訪しているが、マルコ・ポーロの語った「旅は学校」を信条に、イタリア旅を続けたい場所は限りなく、題名に「果てしなき」を加えたとある。
八つの章で紹介される町村は57、その内40が南イタリア。「ローマから南はイタリアではない」はともかく、ローマの北を10日ほどで巡っただけの体験から、南は北とはかなり違う印象を持った。「もう少し若いときにこの本に触れていたら」が読後感。
4)<ロシア>が変えた江戸時代
-突然ペリーの黒船が現われて、幕府はなんも知らんと慌てふためいたように書かれてきたけど、幕府の人ってそんなアホやったんやろか?-
トランプ大統領就任から5ヶ月、都合の悪い経済指標が出たり国際関係政策が思い通り進まなかったりすると、前大統領バイデンに責任転嫁する発言が目立つ。長らく世界をリードしてきた大国指導者になんとも品格のない人物が就いたものである。米歴代大統領は退任後自伝を書くことを義務づけられているが、おそらくトランプのそれは自画自賛に満ち溢れたものになるだろう。こんなことが頭にちらつく昨今、フッと過ったのは高校時代中国史講義中担当教師が漏らした一言「その時代の史書は現王朝を賛美し、前時代を批判するのが常道、歴史を学ぶ際はこの点に注意するように」である。後年戦史を読んでいるとき「歴史は勝者によって作られる」とチャーチルが語ったとあり(これは諸説あるが)、さらにその感を強くした。しかしながら、日本史をなぞるとき、太平洋戦争史を除けば(旧軍にすべての責任ありとする)、不思議とこのような批判的な視点で統治体系の切り替わりを見つめることはなかった。
本書を読む動機は「ロシア」にあり、対馬占領事件やアリューシャン列島に漂着した大黒屋光太夫の件は知っていたが、いずれも時代を変えるような出来事とは思っていなかっただけに、「何を論ずるのか?」と惹かれた次第である。読んでみるとロシアの存在認知が帝国主義を進める欧州列強全体に対する脅威の嚆矢となり、本格的な「世界研究」が始まり、西洋の強みが「科学」「技術」にあることを確信し、これを積極的に取り込む動きが始まったとする内容だった。本旨を要約すれば;「徳川幕府を後進性の因とし、薩長維新政府こそ我が国近代化推進の中核」とする史観を見直し、「徳川幕府が18世紀から19世紀の変わり目に、国家意識に目覚め、近代化への布石を打ってきたからこそ、維新後の社会改革が順調に進んだ」となる。
著者は1961年生まれ、京都大学総合博物館教授(文学博士)、専攻は国史。あとがきに依ると、本書は京大文学部文学研究科における日本史講義録がベースになっているようだ。
欧米と我が国の関係は種子島に始まり、オランダそして英仏、さらにペリー来航で米と下り開国に至るわけだが、ポーランド軍に従軍しロシアの捕虜としてカムチャッカに流刑されていたハンガリー人が1771年ロシア船を奪い阿波に漂着するまで、ロシア情報はほとんど把握できていない。彼がオランダ商館長に提出した「ロシアの脅威を警告する文書」が「オランダ風説書」として江戸に送られ、北方への警戒心が芽生えていく。
先ず説かれるのは当時の日本における「世界研究」、世界地図や地理書がどのようなもので、どんなことが記載されているのかを紹介・分析する。ユーラシア世界の半分を占める大国と認識するが、地図は不明な部分が多い(特に日本に近い東部)。一方で、幕府の支配地域を明確にするため蝦夷地・樺太・千島の探索(高田屋嘉兵衛の択捉航路開拓など)や出先機関の設立などが進められる。この章ではいくつもの地図が引用され、往時の人々の世界理解を体験できる。
この世界研究(新井白石「新采覧異言」など)から「ヨーロッパは自らの繁栄のために、他の大陸を利用し、収奪している」との構図が見え、そこから巨大ロシアの存在もそのうねりの中にあると認識する。次いでヨーロッパの強さの根源は何かを追究、それが「科学」「技術」にあることを見抜き、それを西洋に学ぶ環境が醸成されていく。その成果の一例は伊能忠敬の「大日本沿海輿地全図」。これで西洋の「科学」「技術」が獲得可能と確信、医学、植物学、物理学(窮理)、化学(舎密)と範囲は広がり、取り組む者も増えていく。このような下地があってこその維新・文明開化だったのだ。
「突然ペリーの黒船が現われて、幕府はなんも知らんと慌てふためいたように書かれてきたけど、幕府の人ってそんなアホやったんやろか、明治政府作ったんは江戸時代生まれの人やで?」、あとがきから著者の授業風景が臨場感をもって伝わってくる。
著者は研究者、上述の論を展開するためのデータや情報の出所や数量を明示する。例えば、外国から献納された地図の種類や数、この期に老中職に在った松平定信の海外関連蔵書の内訳(ロシアが最も多い)などがそれら。これで説得力が倍加する。作り話まみれの幕末・維新史リセットのために一読の価値あり。
5) 続・日本軍兵士
-作戦・戦闘・兵器は一先ず置こう。兵士の衣食住を知れば、戦病死者が戦死者を上回る異常な日本軍が見えてくる-
軍事に関する書物が興味の対象であることは自他共に認めるところだが、日本陸軍に関しては数少ない技術分野と情報戦、それに生きた時代をたどる昭和史がらみに極端に偏っている。それでも鋭い現代社会批評に結びつく山本七平のフィリピン従軍記や失敗したインパール作戦のような代表的陸戦に関する戦記や戦史はそれなりに読んできた。そこから見えてきたのは、欧州戦線に見る、兵器対兵器、兵士対兵士の戦いではなく、極度の疲労・風土病・飢餓などによる戦病死の多さである。本書によれば、太平洋戦争230万人の戦没軍人・軍属のうち6割は戦闘ではなく戦病死によるとある。歴史上こんな異形な軍隊は他に存在しただろうか?何故こんな軍隊が出来たのだろうか?前著「日本軍兵士」は読んでいないのだが、書店で帯裏の数字を見て購読意欲を掻き立てられた。
著者は1954年生まれ、一橋大学大学院社会学研究科教授を経て、同大学名誉教授。専攻は日本近現代軍事史・日本近現代政治史。
本書の特色は、軍事に関する作品であるにも関わらず、(死傷率や損耗率を除き)作戦・戦闘・兵器にはほとんど触れず、専ら兵士の衣食住環境を分析するところにある。その観点で軍隊社会学とでも名付けたくなる内容である(とは言っても人間関係は深追いしない;階級格差は取り上げられるが、巷間知られる内務班の陰湿な新兵いじめのような話は一切ない)。
本書のタイトルには“兵士”が使われているが、これは下士官・兵の意である。敗戦時の陸軍構成比は士官2.4%、下士官・兵が97.6%、兵士が圧倒的多数派、ここを分析することで軍が見えてくる。また海軍も同様の分類だが、取り上げられるのは陸軍と比較する場面が多く、海軍に絞ったテーマは居住性くらいである。つまり、全体として陸軍兵士中心と考えていい。章立ては時間軸に沿い、徴兵制導入(1873年)から、主要な戦役で章を区切り、敗戦で終わる。また、衣食住のうちいずれの章でも食と体格・病気に最も紙数が割かれている。
先ず代表的な戦役における戦死者・戦病死の数字(動員数が異なるので、絶対数より比率に注視)を見てみると;日清戦争(戦死1401名、戦病死11763名、戦病死比率89.36%)、驚くほど戦病死比率が高いが、同時代の南北戦争やクリミア戦争でも。戦病死が戦死を大きく上回り、異常値ではないようだ。死因は、赤痢・マラリア・コレラが多いが、特異なのは凍傷である。これは軍靴として草鞋を使用せざるを得なかったことにある。日露戦争(戦死者60031名、戦病死21424名、戦病死比率26.30%)、日清戦争の教訓から衛生部を創設、軍事衛生・医学に注力したことが、大幅改善につながる。このあと第一次世界大戦(青島戦)、シベリア出兵と続き満州事変で戦病死者率は最低となり、日中戦争(太平洋戦争前)で17.35%と増勢に転じ、敗戦で帯にあった数字(戦病死60%)になるのだが、別に38.2%(6割栄養失調とある)と言うデータもあり、この違いは集計時期の違いにある(38%は1945年、60%は後年)。
建軍からの食糧事情も断片的に数字が紹介され、その結果が分析される。1913年(大正2年)の陸軍給与令改正まで、兵士には一日6号の白米が給養されたとあるのには驚かされる。農村ですら白米3割程度でもいい方だったらしく、陸軍が兵士を惹きつけた最大要素はこれだった。しかし、これが脚気患者を多発、次第に麦を混交するようになる。米英比較では満洲事変まで総カロリー数に大きな差はないものの、日本軍が過度に炭水化物に依存していることも明らかだ。動物性タンパク質の摂取量(一日)は日7g、英44g、米52gと大差がついている(1934~1938年)。食事は摂取する内容だけでなく調理法も問題だ。欧米は野戦炊事車などが備わり、日本のように兵士各人が飯盒炊さんするようなことはなかった。飯盒炊さんには燃料確保・自炊と兵士が自ら担当、時間帯も夜間が多く、それによって睡眠時間を削らざるを得ない。ここから睡眠不足で病に至る者が出てくる。
衣服では先の軍靴の問題を日米比較して見せる。履きやすく長持ちする軍靴を欠き、中国戦線では中国人の布製靴を奪うことさえ生じている。対して米軍は4回も軍靴の改善を行っている。雨具も同様。
動員が拡大すれば本来徴兵対象でない乙・丙種さらには障害者にまでおよび、これら弱卒が食料・睡眠・装備の劣化と合わさって戦病者を増やしていくのだ。これに加えて機械化の遅れも兵士に過大な負担をかけることになる。自動車不足は歩兵装備が体重の40%超になるほどの負担をかけ、1944年9月中国戦線で行われた大陸打通作戦では第27師団の兵士5059名が2000kmを100日かけて徒歩行軍、1000名近くが食糧不足と疲労で戦病死し、戦う前に自滅している。
意外なことを教えられたのは口腔衛生。歯科医が軍医に加わるのは1940年から。敗戦までの総数は500名、対する米軍は1万5千名。これも戦意・戦力に大きく影響しただろう。
近代化の進んだと思われている海軍も陸軍に劣らず兵士には厳しい生活環境下にあった。欧米の軍艦では第一次世界大戦時すでにベッドで就寝するようになっていたが、我が海軍はハンモックのままで、熟睡度に大きな違いがあったし、兵士の炊事・食事環境も劣悪(不衛生)であった。正面装備重視の結果である。
「よくこれだけのデータを!」と感心するほど数字に基づく分析で書かれており、説得力のある内容だ。敗戦時多くの情報が処分されており、関連代替情報(生命保険会社資料など)を探し出し、そこから推計する場面も多々ある。その苦心と努力が伝わってくる価値ある研究成果だ。前作「日本軍兵士」も読んでみようと思う。
6) 野球の記録で話したい
-金田正一の400勝、王貞治の868本塁打から、大谷翔平のMLBにおける大変身まで、記録で楽しむ野球談義-
私がプロ野球(NPB)の存在を知ったのは、満洲から引揚げてきた1946年(昭和26年;小学2年生)の冬だった。シーズンオフだから試合は行われていなかったが、敗戦直後から戦後のプロ野球は始まっていたのだ。子供仲間の力関係から、自身の希望ではないのだが、東急フライヤーズのファンにさせられた。当時のスターは打撃の神様赤バットの川上哲治だったが、東急には彼に対抗する青バットの大下弘が居て、それなりに応援し甲斐のあるチームだった。現在の日本ハムの起源となる球団である。1950年2リーグ制がスタートすると、パではそのまま東急(急映→東映→日拓→日ハム)、セではこれも紆余曲折はあるが知将三原監督率いる大洋ホエールスに惹かれ、それを現在まで持続し横浜ベイスターズを応援している。この間多くの名選手が輩出しているが、戦前を含め彼らの足跡を記録(データ)で回顧し、そこから現役選手(特にMLBプレーヤー)のこれからを推し測るのが本書の内容である。
著者は1959年生まれ、スポーツライター。本書は著者運営の同名のブログをまとめたものである。
第1章は「アンタッチャブルな記録たち」、今後も更新が難しい大記録が並ぶ。いずれも生涯記録だが、王貞治の本塁打868本、金田正一の400勝、張本勲の3085安打(これはMLBと合わせるとイチローに抜かれているが、NPBの記録としては最多)、福本豊の1065盗塁。シーズン記録では、稲尾和久の42勝(実は戦前スタルヒンが同数あげていることがのちに分かり、稲尾が地団駄踏む)、江夏豊の401三振奪取が並ぶ。記録達成の時代背景(例えば投手起用法の変化)、個々人の記録にまつわるエピソード(金田や江夏の記録へのこだわり)を添えて語られるので、“アンタッチャブル”が納得できる。
第2章「ベストナインで遊ぼう」は記録遊びであるが、発想が面白い。日本人に多い姓名別(田中、佐藤、鈴木、山本)に時代を超えてチームを作り、そのチームのキャラクターを浮かびあがらせる。例えば「山本」、投手は山本昌(中日)、一塁に山本功児(巨人)、センターに山本浩二(広島)、DHに山本八郎(東映)など比較的戦後世代に知られた選手が居る一方、三塁には南海監督兼務の山本一人(のちの鶴岡監督)を配して、“豪傑揃いの「山本ベストナイン」”と総括する。同様のドリームチームを高校別(PL学園、横浜高校、中京高校、広陵高校)や六大学別で組んでみせる。しかし、東大だけは難しく、投手の新治伸治(大洋)、井出俊(中日)以外は野球部所属の有名人を動員する。三塁脇村春夫(日本高野連会長)、ショート広岡知男(朝日新聞社長)、DH藤井裕久(財務大臣)などがそれらだ。
この後に続く、第3章「守備記録の面白さ」、第4章「打撃記録をめぐるあんな話、こんな話」は野球を一段深く楽しむことを教えてくれる。例えば、時代を経るに従い全体として内野手のエラーは減少傾向にあるが、その大きな因に人工芝の導入があるとみる。そしてNPBの内野手が天然芝のMLBでほとんど通用しないのは、この違いにあると断ずる。また、打撃に関しては、通算打率に関する数字の算出方法(分母を打数、打席数(打数+四死球・犠打・犠飛・打撃妨害)の2種で比較)に疑問を呈する。NPBは打数をベースにしており、生涯打率ではレオン・リー(ロッテ)が首位(3割2分)にある。しかし打席数にするとイチローが3割5分3厘と抜群のトップになるのだ。
MLBへの関心が高まる昨今、最も面白いのは第6章「記録で実感する「日米格差」」である。投手で(防御率、H9(9イニング当たりの被安打数)、HR9(9イニング当たりの被本塁打数)あれ、打者(打率、本塁打率、OPS(出塁率+長打率))であれ、数人を除けば、移籍後NPBの記録を上回ることはないのだ。それは、移籍3年までの大谷翔平とて同様だった。しかし、大谷のOPSは2020年度0.657(50位)から2021年度0.965(4位)と大躍進する。これは、2020年オフに最先端トレーニング施設「ドライブライン」で打球速度を上げるトレーニングを受け、それに成功した結果だと著者は見る。同様数少ない改善者は鈴木誠也(広島)、2022年の153位から23年35位、24年24位と順位を上げて一流選手の仲間入りをしている。投手で出色なのは黒田博樹(広島)、防御率・H9・HR9ともNPBを上回る成績を残している。これはドジャース時代同僚のカーショウのアドヴァイスが有効だったようだ(抜群の制球力と決め球をフォークからシンカーに変える)。
記録とMLBの話をもう一つ。MLBは各選手の投打、守備のパフォーマンスを計測、データ化しオンラインで提供する「スタットキャスト」なるシステムがある。球の初速、終速、回転軸の角度変化、回転数、打球速度、打角などを計測するのはミサイル追尾システムを応用した「トラックマン」。また、「ホークアイ」は複数台のカメラ画像で守備成績を記録する。このシステムは選手の関節情報を取ることもでき、バイオメトリックス的な解析が可能なのだ。NPBとのパワー、スピードの違いは体力の差ばかりではないのだ。
MLBの話題を除けば昭和の話が多い。おじさん(おじいさん)のセンチメンタルプロ野球観戦の趣だが、野球の楽しみ方を増やす点で一読の価値はある。
-写真はクリックすると拡大します-