<今月読んだ本>
1) 仮説の昭和史-戦中・占領期編(保阪正康);毎日新聞出版(文庫)
2)提督の決断(真殿知彦);三和書籍
3)終末格差(野口悠紀雄);KADOKAWA(新書)
4)紅い皇帝(マイケル・シェリダン);草思社
5)過疎ビジネス(横山勲);集英社(新書)
6)日本列島はすごい(伊藤孝);中央公論新社(新書)
<愚評昧説>
1) 仮説の昭和史-戦中・占領期編
-もし、戦後日本が米ソにより南北分断統治されていたら、ソ連崩壊で南樺太・千島全島が日本に復帰?!-
8月になると、新聞・TVは太平洋戦争に関する特別番組を報道する。特に、広島・長崎に対する原爆投下と終戦に至る政府・軍の動きに関するものが多い。そして近年の特徴は、それを体験し伝承する生き証人が年々減じていることを憂慮してみせる。しかし、人間に寿命がある限り、これはあたりまえのことであり、存命者も超高齢者、彼らの断片的な証言で平和を訴えるステレオタイプの構成に、「またか!」と、いささか辟易とさせられるのは私だけであるまい。それに比べれば本書は遙かに深く昭和100年・戦後80年を種々の角度から考えさせてくれる歴史教科書だ。
先月紹介した「戦前・日米開戦編」の続編としてまとめられたもので、語り尽くされた感のある軍事作戦や終戦工作に多くの紙数を割いているものの、占領政策が現在の社会・政治情勢に色濃く残っていることを問題視する点で、一読の価値がある。
前編の前書きで「歴史にifを持ち込むことは禁句」について、ifの選択肢を厳選することで、歴史から教訓を引き出す意義は充分あるとし、決してSF的な架空物語でないことを強調していた。今回もこの選択肢の可能性について、考証(特に、残された資料・文献調査)に注力したことは文中から充分窺える。
ただ、代表的な軍事作戦を取り上げた、「もし日本海軍がミッドウェイ海戦で勝利していたら」「もし米軍のガダルカナル島上陸を本格的反抗と認識していたら」「もし栗田艦隊がレイテ湾に突入していたら」などは、既読感のある敗因を改めて解説するところに紙数を割き、“もし”のその先を推論するところに深みを欠く。例えば、ミッドウェイで日本が勝利していたら;米国は面子を失い、両国家内で停戦論が起こる可能性なきにしもあらずとしながら、むしろ史実以上に苛烈な闘いに発展しただろうと結ぶ。ここに至る記述は数行に過ぎず、竜頭蛇尾の感を禁じ得ない。
これに比べると、「もし秩父宮が東條の参謀総長兼任批判が表面化していれば」(関係者の日記など資料は残るが、当時おもてに出ることはなかった)「もし近衛上奏文の構想が実現していたら」(昭和20年2月天皇が重臣六人に戦局の見通しと対応策を問うたとき、近衛が吉田茂に命じて作成した和平案。他の五人が曖昧なものだったのに対し、「現状では敗戦必至」「国体は護持される」「共産革命が心配」「軍内部の革新運動」「それを背後で操る左翼分子の暗躍」などが明記されていた。これに天皇は大いに興味を示し、近衛は降伏することを進言したという)「もし昭和天皇のバチカン和平工作が成功していたら」(昭和20年5,6月頃、米工作員・情報部員、日本の外交官(特命公使)、カソリック神父が絡む工作、誰も公的な資格が曖昧で不成功に終わる」などは、“もし”の部分に実現可能性(主に政治、外交面)が高いことをうかがわせる)。これらはあまり知られていないテーマだけに、考えさせられるifであった。
占領期で興味を惹かれたのは;「もし日本が米ソに分割占領されていれば」(南北日本は冷戦で対立、しかしソ連崩壊で千島・南樺太は日本に戻る?!)「もし日本が「自主戦犯裁判」を開いていたら」(東久邇内閣・幣原内閣で密かに検討されていた;骨抜きを狙う軍部、臣下を裁くことに躊躇する天皇)「もし昭和天皇が終戦後退位していたら」(天皇は3回退位を漏らす;昭和20年8月下旬、昭和23年11月(極東軍事裁判判決直前)、昭和26年11月講和条約調印から発効する翌年4月の間)「もし占領期政策の継続を問う国民投票を講和条約発効後実施していたら」、がある。この内最後の“もし”は今に続く、憲法問題・安全保障問題を中心とする対米依存に対する、モヤモヤした国民感情が払拭されていたのではないかと著者は推察する。しかし、個人的には、おそらく左翼(反政府)が勝利を収め、政治的混迷はむしろ長引き、その後の経済成長はなかったような気がする。
上記で紹介したテーマを含め24話。短い仮説分析だが、総じて軍事よりは政治や国民性に主眼を置いた検証・考察・推察であり、現代日本社会がかかえる諸問題(特に、国策意思決定、国際関係)を考える際参考になる。つまり、歴史から教訓を得ることができる。
2)提督の決断
-同姓現職海自横須賀地方総監による、歴代海軍提督たちの人物評価。東郷・山本両元帥にも現日本に至らしめた遠因があるのだ-
4月に著者が海上自衛隊横須賀地方総監に赴任した際、水泳仲間が「ご親戚?」と地方版に紹介された記事を持ってきてくれた。まったく縁がない人で、その時“真”と“眞”の違いに気づいた。私の苗字はかなり珍しいもので、今まで親類を除けば同姓の人に会ったことがない。漢字を覚え始めたとき眞と教えられたが、戦後定められた教育漢字・常用漢字にそれは無く、やむを得ず真を使ってきた。成人後しばらくして人名漢字にそれがあることを知り、爾来眞に戻している。しかし、子供たちはそれに頓着することは無く、真を使っており、違和感は極めて個人的なものだ。その人が本書を出版したことを8月、これは取っている新聞の横浜版で知り、即購入した。
著者は1966年生まれ、1989年防衛大学校卒業後海上自衛官任官、航空(対潜哨戒)分野が専門のようだが、幹部候補生学校校長、幹部学校校長、海自幕僚副長などの要職を経て現職(海将)。この間筑波大学大学院で修士号も取得している。因みに、横須賀地方総監は旧海軍では横須賀鎮守府長官であり、中将の中でも最優秀者が務めてきたポストである。
副題に-東郷平八郎と山本五十六の光と影-とあり、新聞記事でもリーダーシップ論として訴えるところがあったため、この二人の人物論と考えていたが、そうではなかった。二人がしばしば取り上げられてはいるものの、海軍創設から終戦までの著名な提督を俎上に上げて、リーダとしての資質を問う内容であった。登場するは;東郷平八郎、山本権兵衛、加藤友三郎、加藤寛治、財部彪、山本五十六、永野修身、及川古志郞、嶋田繁太郎、井上成美、鈴木貫太郎などだ。この内艦隊を率いて大海戦を戦ったのは東郷と山本五十六のみ、それゆえ他に比べ知名度も抜群なので副題としたのだろう。
軍の組織は大別すると、軍政と軍令の二系統になる。軍政は、予算・人事・教育訓練・装備・補給など軍事行政を専らとする。海軍大臣は内閣の一員、トップは首相である。対して軍令は、作戦策定・艦隊運用など実戦準備と実施を担い、トップの軍令部総長は天皇の直属である(政府ではない)。取り上げられた人物の多くはこの双方で指導的地位を務めているが、実戦での勝敗に比べ国策・海軍政策は分かりにくいし、一般の関心も高くない。しかし、著者はここにこそ旧海軍の重要課題があったと見ており、“決断”の具体例を軍政面に多く採り、従来の作戦重視の海軍軍人評伝とはひと味異なる自説を開陳する。
例えば、東郷が日本海海戦勝利の立役者であったことは十分認めながら、連合艦隊司令長官、軍令部総長、と軍令部門の経験しかなかったことが、軍縮に際しいわゆる“艦隊派”の後ろ盾となり、結果的に対米戦につながったことを“陰”とする。また、神格化の背景には小笠原長生という賛美者がプロデューサーとなり、晩年そのシナリオ通りの言動をするようになったことを批判する。
山本五十六の作戦面での評価は真珠湾作戦が頂点となるが、著者が最も重視するのは、米内海相・山本次官・井上成美軍務局長の三羽烏よる三国同盟反対(主意は対米戦回避)である。結局三人がそれぞれの役職を離れた後に、それが成立する。これに対し、対米開戦を決める最終会議において「やれと言われば1年やそこらは暴れてみます」と事実上認めてしまう。著者はこれを「痛恨の決断ミス」と断じる(井上成美の発言を援用)。
日露戦争を前に、兵学寮同期であった日高荘之丞を常備艦隊司令長官から外し、東郷平八郎と代える、山本権兵衛の非情な人事。ワシントン海軍軍縮条約における加藤友三郎全権の指導力。それにひきかえ、強硬艦隊派加藤寛治の言動(いわゆる統帥権干犯問題)に左右され、条約はなんとか成立させるものの、巻き返しの余地を残し破棄に至るロンドン海軍軍縮条約全権の財部彪。確たる信念・論拠も無く陸軍主導の対米戦開戦に引き込まれていく嶋田・及川・永野。何度も固辞しながら、天皇の強い要請でポツダム宣言受諾内閣を率いることになる鈴木貫太郎。戦後生まれの海将による人物論は、現場経験の無い戦史研究者や旧海軍に甘い作家とは違い、それなりに得るところがあった(特に、軍政注視)。
本書の別の面白味は、巷間伝えられている軍人たちにまつわる伝説に疑問を呈し正していくところだ。司馬遼太郎描く「坂の上の雲」における東郷像に対する批判はその一つ。丁字形戦法が決して東郷のオリジナルでないことや秋山真之以外の参謀の寄与などを、資料を駆使して小説イメージを払拭する。これも現役ならでは、の感であった。
3)終末格差
-年金受給開始から寿命が尽きるまで2千万円も要るのか!いや、2千万円で足りるのか?-
私が就職した時代(1962年)、定年は55歳、寿命は男が67歳、女が71歳だった。退職後死亡までの間、経済はそれまでの蓄え、退職金、年金でまかない、終末期になると子供家族と同居して、彼らの世話になるのが一般的だった。死は自宅で迎えることが多かったし、葬儀もそこで行われた。つまり、どんな人もおおむね「終末は同じ」だった。とは言っても核家族化は既に始まっており、近い将来の問題として現われつつあった。今や人生100年の時代、65歳まで働けても35年も残る。私の世代(86歳)の余命は、令和4年簡易生命表によれは5.08年、特別厄介なことが生じなければ、「終末は同じ」となりそうだが、団塊世代さらには団塊ジュニア世代(子供たち)の時代には、一人一人の現役中とその後の生き方で、「終末は大違い」となる可能性大だ。国債頼りの国家財政を考えると年金も当てにならない。如何に終末格差に備えるべきか、84歳の数理に強い経済学者(東大物理工学専攻ながら修士課程途中で国家公務員上級職試験を行政職で受験・合格、大蔵省勤務中博士号取得、一橋大学教授に転ずる)が、それに一考を加える。書店で本書を見たとき、我々世代含む高齢化社会解説本の一つと思い購入した。しかし、読んでみて、これは団塊ジュニア世代(40~50歳台)向けと理解した。
幸せな終末を迎える条件は;①健康であること、②経済的に困窮していないこと、③家族の仲がよいこと、とした上で、これらに関する問題点を章立てで解説する。
「カネで終末の幸福は買えない」としながらも、先ず取り上げるのは老後資金問題。2019年金融審議会は「高齢化社会における資産形成・管理」と題する報告書を作成した。これによれば、65歳受給で年金以外に2000万円の老後資金が必要とあり、「年金だけでは暮らしていけない」と大きな政治・社会問題になり、その後この問題は封印されてしまう。これに対し著者は「2000万円あれば大丈夫なのか?」と問い直し、現在の国家財政から年金支給額引き下げの可能性もあり、また不測の事態対応も考慮し、種々のケースを検討、3000万円強必要なケースも生ずると、議論封印を難じる。
では、どのように資産形成をすべきなのか。岸田政権下では「貯蓄から投資へ」と新NISAがその手段として喧伝されるが、これは株式投資であり、着実に増える保障はない。また、税制上の利益も大きくない。こんなリスクの高いものを、年金補完として政府が進めるていことに、ファイナンス理論や警句(「金(キン)採掘で儲けたのは、採掘者から稼いだものだ;つまり新NISEブームで確実に儲けるのは証券会社」)を援用して批判する。
2000万円問題が噴出したとき、担当の麻生財務・金融大臣は報告書の受け取りを拒否、安倍首相は国会で「乱暴な議論で不適切」と答弁した。では年金そのものはどうなるのか。2024年行われた公的年金財政検証(5年毎、100年先まで年金持続性を検討する。経済成長率を4ケース設けている)では「保険料を引き上げずに、現在の年金制度維持可能」としているが、実質賃金上昇率(成長実現ケース:2027年~2030年;1.3%、2031年~2033年;1.2%、2034年以降ジャンプし年率2.0%)を仮定しており、非現実的と著者は見て、年金制度の現状問題点を縷々指摘、改善案を提起する。
このあとは介護問題(保険料アップ、人材不足、多様な老人介護施設)、医療の将来(AI活用、製薬技術、癌治療、オンライン医療)に触れ、高齢者負担を所得基準から資産基準に改めることを提言する。
究極の老後対応策は「いつまでも働ける社会」の構築、専門知識・技術の習得、組織から独立した働き方、として政治はこのための社会変革を進め、個人はこのために投資することを推奨する。
説得力のあるデータを駆使、高齢化社会の個別問題点を浮き彫りにし、それへの改善策・対応策を具体的に提示する。84歳の高齢経済学者が行うだけに説得力ある内容だ。
年金財政問題は、保険料アップ、支給額減額、支給年限の延長など明るく語れる要素が少なく、政治家は逃げの一手。正面からこれに取り組む政治家・政党の出現を図るために読まれて良い本だ。特に団塊ジュニア世代に是非読んでもらいたい。
4)紅い皇帝
-毛沢東の古い同志の息子が、一流大学へ特別枠で入学、両親の人脈を利用して出世、自身の終身主席を可能にするに至る独裁者の伝記。ただ、“これから”が見えてこない-
江沢民主席;上海交通大学機械工学科卒、李鵬首相;モスクワ動力学院卒、朱鎔基首相;清華大学電機工学科卒、胡錦濤主席;清華大学水力エンジニアリング学部卒、温家宝首相;中国地質大学卒、李克強首相;北京大学法学部卒、習近平主席;清華大学化学工学部卒、李強首相;浙江農業大学農業機械科卒。この30余年、中国の国家指導者は、李克強を除き、すべて一流大学出のエンジニアである。技官ガラス天井の我が国とは大違いだ。無論彼らの出世は党活動依るものだが、調べてみると習近平以外はそれなりに工場現場を経験しており、専門職としても実績があることがわかった(胡錦濤は大学に残っているが)。化学工学は機械と化学の境界域に在る学問で、石油や化学と深く関わる身近な分野。主席就任時知った専門分野に惹かれ、その来し方を知りたく、本書を手にした。
著者の生年は不明だが、サンデー・タイムズ紙の極東特派員として20年勤務、香港・中国を取材・報道してきた英人ジャーナリスト。
伝記は好きなジャンルであるが、書き手によって種々のバイアスがかかるので、読む側の読解力を最も問われる分野である。特に独裁国家の現役指導者となると、情報源に限りがあり、著者の執筆意図・手法によって偏りが生じやすい。本書の場合、その偏りが薄い感じはするが、それでも西側でうける筆致(批判、悲観)と言うのが読後感である。
習近平は中国共産党上層部を二分する、共産党青年同盟(実力派)と太子党(世襲派)の後者に属する。それゆえに導入部は父親習仲勳とそれを取り巻く話から始まる。仲勳は毛沢東の古くからの仲間、無論延安で行動を共にしている。また母(斉心;仲勳にとっては二度目の妻)も八路軍の元兵士。仲勳は毛沢東に遠ざけられたり、文革で紅衛兵につるし上げられたりするものの、浮沈を繰り返し2002年まで生き延びる。また母は現在も健在である。この二人の人脈が習近平の今日につながっていることは確かだ。
習近平が10歳の時文革が起こり彼は走資派の子として延安近くの寒村に下放されるが、7年後青年団入団が認められ、さらに1975年延安地区に二名割り当てられた「工農兵学員」制度で清華大学に推薦入学する。これは一家が裏で糸を引いた結果なのだ。
大学卒業後国防相(のち副総理)の秘書官(三人)の一人となるのも母の人脈による。1982年北京の南方250kmに在る正定の共産党副委員長になるところから習近平栄達の道が開けていく。時は農業改革の時代、穀物中心を綿花・野菜・果物・花などに転換、この地を豊かにし、実績が認められて、1985年訪米農業視察団代表に任命される。次いで厦門(アモイ)副市長、福建省長(最年少、江沢民に認められる)、浙江省長、と昇進を続け、「めったにミスをせず、敵をつくらず、権力者に取り入り、勤勉、活力、人脈作りの才」で年長者に自分を印象づけていく。2007年上海共産党書記(胡錦濤・温家宝政権下)、このポストは政治局常務委員兼務であり、ついに党と政府の中枢の一角に食い込む。ここでも優れた管理能力を発揮、国家副主席に抜擢され、2008年の北京オリンピックを成功させる。2009年(民主党政権下)には訪日し平成天皇(現上皇)と会見、2012年には訪米しオバマ大統領とも会見、国際舞台に登場する。
2012年11月ついに中国共産党総書記に就任、中央軍事委員会主席も兼務し、独裁的権力を握り、憲法を改正して終身国家主席を可能にする。統治システムの手本はスターリン、政敵追い落とし・粛正は冷酷を極め、ライバル薄熙来(太子党、重慶書記、服役中)、周永康(公安部長;配下1000万人(解放軍より多い)、終身刑)、などの凋落過程が詳述される。
習皇帝支配下の今後をどう見るか、著者は亡命中国人作家の見解をそれに代える。習の「中国の夢」が実現することはないだろう。なぜなら、一党支配、国家独占資本主義、環境汚染、権利侵害、非効率、多額の助成金に基づく中国経済モデル、では長期的な繁栄を望めないからだ、と。この将来見通しはいつの時代にもある、中国共産党による一党独裁批判であり、新鮮味はなにも感じないのだが、いかがなものだろうか?
読後何か物足りなさが残った。一帯一路や解放軍革新の話は出てくるものの、「中国の夢」と国際関係に関する掘り下げが表層的で、今後が見えてこないのだ。
5)過疎ビジネス
-膨大な税金が地方創生のために投じられてきた。しかし、地方消滅が現実、予算を活かせる人材は払底、コンサルタントと称する詐欺師まがいが、それを掠め取る。地方記者入魂の一冊-
初代地方創生担当大臣であった石破茂は、昨年の自民党総裁選決選投票において、地方党員票で高市早苗に勝り二位から逆転勝利した。首相になり地方活性化をことある毎に強調していたが、何も成さぬまま1年で退任となった。振り返れば1970年代の田中角栄の「日本列島改造論」を始め、近いところでは1988年竹下内閣が市町村に1億円をばらまいた「ふるさと創生事業」、直近では2008年管総務相の発案で始まり現在も継続する「ふるさと納税」、どの政策も実質的な成果が出ているようには見えない。否、創生どころか地方消滅の方が現実味を帯びてきている。現役引退後全国を13年かけクルマで巡り感じたことも“消滅”への危惧である。本書を知ったのはフェースブックへの友人の投稿、“過疎ビジネス”なる刺激的なタイトルに惹かれて読んでみた。人もカネも事欠く地方自治体を、しゃぶり尽くすようなビジネスがそこにあるのだ!
本書は福島県国見町で起こった地方創生活動に関わる奇妙な事件を、東北地方紙として知られている河北新報が2年間にわたり取材・報道してきた記事をベースに新書としてまとめたもので、1988年生まれの著者はその主務者である。
事件の概要は以下のようなものである。私は知らなかったが、ふるさとの納税には、よく知られた個人向けのものの他に「企業版」がある。これには返礼品はないが、それに相当する、最大90%法人税が控除される特典が存在する。この節税策を享受すべく、東京に本社が在るDMMと言うIT関連企業が国見町(人口8千人、予算規模(令和7年度);自主財源(住民税等)22億円、依存財源(補助金等、大部分は国庫から)42億円)に4億5千万円を寄付する。仲介したのは福島に本社が在るワンテーブルなる防災食品メーカー、ここの社長は総務省の地方創生アドヴァイザーでもある。寄付実現数年前から国見町役場に食い込み、会社は「国見町官民連携共創プラットフォーム(KUPUCO)」の事務局も兼ねるよう工作する。そのアドヴァイザーとしての提案は、寄付4億5千万円で高規格救急車12台を購入し、必要な自治体・団体にリースし、収益を上げ併せて国見町の知名度を上げる(それによって人口減を食い止める)というものであった。国見町は人口減少で今や自前の消防署も持てず、広域消防に頼る実態なのに、何故か救急車である。この救急車を受注するのはDMMの100%子会社ベリング社という企業だ。購入仕様書をまとめるのはKUPUCOの事務局、つまりワンテーブル。巧みに他社を落とす仕様にして、ベリングが受注する(事実上随意契約)。さらにリース会社JECCのトップは旧知の経産省OB。DMMはこれで税金の控除を受けられるばかりで無く、高額(普通救急車の3倍)の救急車を売ることで、そこからも利益を上げられる。無論仲介者(と言うよりシナリオ・ライター)も手数料を稼げるわけだ。ワンテーブルとDMMは、これほどの規模(12台)ではないものの、他の地方自治体(宮城県亘理町、北海道余市、各1台)でも同様のことを行っている。
事件が表沙汰になり河北新報が一本取る決め手となるのが、ワンワールド社長が親しい友人と交わした、非力な地方自治体を手玉にとる自慢話の録音記録。町長以下町役場職員を素人となめきり、議会をバカ呼ばわりする。それが記事により知れ渡ることで、地方世論は沸騰。町長は選挙で落選、議会は役場行政牽制機能を取り戻す。企業版ふるさと納税は国税庁ではなく、内閣府地方創生事務局の所管。2024年国見町の「地域再生計画」の認定を取り消す。行き場を失った救急車は希望自治体に無償で供与されたようだ。
著者が本書で訴えたいのは河北新報や自分の手柄話ではない。地方創生はいつの時代も重要政治課題。しかし、国会・中央官庁は法律作りと予算確保までで、実行は地方自治体まかせ。厳しい経営環境に置かれた地方自治体にそれを扱える人材は居らず、コンサルタントに丸投げする。そこに多様な
地方創生をうたう過疎ビジネスがつけ込む余地を生み(事例多々あり)、膨大な税金がかすめ取られていく。本書の主眼はこれに警告を発し、「国を挙げて始まった地方創生の10年はいったい何だったのだろう」と新たな疑問を提示するところにある。
執念深く、可能な限り情報とその裏付けを求める取材プロセス・記者魂も読みどころだ。
6)日本列島はすごい
-桁違いのスケールで描く日本列島史。ブラタモリ新書版とも言える、地学入門書。天気予報の理解が深まること必定-
TVはNHK定時のニュース・天気予報を除いて、2,3の番組しか視ない。その数少ない番組の一つが「ブラタモリ」である。ただ、最近は地方観光促進に傾斜し、見所・グルメ・史跡のてんこ盛り、スタート時の東京や近郊の地理・地誌・地形・地質重視から変じてしまい、当初ほどの興味は感じない。それでもタモリの地学に関する博識には、いつも感心させられる。とても中学校までの理科教育ではあの域に達しない。地学は高校理科教科の一つであり、大学受験科目にもあるが、多くの高校では物理・化学・生物の3教科が一般で、私が学んだ高校でも選択肢としてなかった。彼の地学知識が気になり、どこにその根源があるのか、チョット調べてみた。高校は福岡県立筑紫丘高校、極めて偏差値の高い高校で、地学が教科にあり地学部も存在することが分かった。残念ながら彼がそこに所属したか否かは突きとめられなかったが、近くに学び・触れる環境があったことは確かだ。本書はいわば“日本列島地学入門書”、ブラタモリ新書版である。もともとそれほど興味のある分野ではなかったから、この種の本は手許に皆無なのだが、ジム仲間がまわしてくれ、読んでみることになった。読後感は「こんなスケールで日本を見つめたことはなかった。勉強になったな~」である。
著者は1964年生まれ。茨城大学教育学部教授(理博)。専門は、地質学・鉱床学・地学教育。NHK高校講座で「地学」講師の経歴もある。
“こんなスケール”の代表は時間軸。地球誕生の46億年はともかく、日本列島がユーラシア大陸から分離開始するのが2500万年前、ほぼ現在の位置に達したのが1500万年前。縄文・彌生から始まり現代に至る日本史は長い帯の末端に引かれた一本の細い線に過ぎない。地域スケールも超広域だ。巨大なユーラシア大陸の東端であり、地球最大の海洋太平洋の西端に位置し、そこから現在の自然環境(土地/土壌・海流・気候/天候・植栽など)を語る。海流や風の動きは地球の自転によって生じるコリオリ-の力から始まり、ここから台風や北陸・東北地方の大雪がもたらされる過程を講ずる。ユーラシアプレートに乗る列島は東からは太平洋プレート、南からはフィリピンプレートに押されストレスがかかることで急峻な地形が形成され、地震や火山噴火が起こる。災難がある一方、気候は温暖、水は豊かで、列島は緑に覆われているのが日本列島だ。
列島の生い立ちや自然環境を解説したあと、重要資源を一覧する。先ず、海に囲まれ天日で製塩が出来たこと。表層土の生育過程が若い段階にあり、これに黄砂や火山灰の混入・堆積で、木々の成長が早く、農業の発展にもつながっていること。鉄鉱石の地層は存在せず、砂鉄を原料としたことから、高品質の鉄鋼製品(代表は日本刀)は生産したものの、量的には制約され、これが結果的に森林保護につながったこと(朝鮮半島から欧州まで、鉄鋼生産で膨大な森林が消失している)。また、山羊・羊は外来種、これを大量飼育しなかったことが緑の保全に寄与していること。金・銀の生産は中世~江戸時代にかけ世界でも傑出しており、遣隋使・遣唐使の費用は専ら金で賄われていたこと。近代に入るとエネルギーの大宗は石炭になるが、これも豊富に国内で生産できたこと、などを地学的見地と暮らしぶりを交えて列島を語っていく。
タイトルを、ただ礼賛するだけの“すばらしい”ではなく“すごいと”したのは、列島形成で生じたプラス面とマイナス面を考慮した結果であるが、明らかに他の土地と比べ、暮らしやすい希有な土地であるとは明らかだ。
ところで、本書導入部で高校における地学教育に触れている。それによれば、4単位の「地学」を開設している学校は8.8%、履修している生徒は高校生全体の約1%に過ぎないとある。多くの人に知見の少ない分野だけに、初期の「ブラタモリ」が新鮮に受け取られ、一定のファンを得ていたのかも知れない(私もその一人)。
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