2025年10月31日金曜日

今月の本棚-207(2025年10月分)

 

<今月読んだ本>

1) 内務省(内務省研究会);講談社(新書)

2)軽自動車を作った男(永井隆);プレジデント社

3)高倉健の図書係(谷充代);KADOKAWA(新書)

4)入門講座三島由紀夫(佐藤秀明);平凡社(新書)

5)世界秩序が変わるとき(齋藤ジン);集英社文藝春秋社(新書)

6)国境と人類(ジェームズ・クロフォード);河出書房新社

 

<愚評昧説>

1)内務省

-高等文官試験合格者の3割が在籍した、今はなき巨大・強力官庁内務省を25人の研究者がまとめた内務省事典-

 


住んだことはないのだが、本籍は兵庫県龍野市としている。たどれる限り、一族が先祖代々そこで農業を営み続けてきたからだ。しかし、祖父は向学心に燃え上京、政治家の書生をスタートに内務官僚となって、家督を弟一家に譲り、任地は転々とする。従って、父は宮城県で生まれ、中学は先ず徳島中学に入学、次いで郷里の龍野中学に転校している。この間祖父は警察署長や郡長を歴任、政治任用の時代、支持政党が野に下り、次は知事の可能性を期しながら、一時閑職にあったとき急逝している。戦前の内務省が広範な行政分野に大きな力を持っていたことは、断片的に知ってはいたものの、全体像を体系的に学ぶことはなく、今回祖父の生きた時代をうかがうことと併せて、巨大官庁の実態を知るべく、本書を読んでみることとした。

書店で目にし、先ず引っかかったのは著者が個人名でなく「内務省研究会」となっていること、次いでその厚さ(新書で550頁)にもちょっと躊躇させるものがあった。そこで“はじめに”と“あとがき”をチェックすると、カバーする領域の広さと政治や社会情勢との関わりが複雑で、一人の研究者では到底担えるものではなく、2001年研究会を結成、20年を超す研究会活動の成果をまとめたものが本書であることが分かった。研究会メンバーはすべて大学人、著者一覧には25名の名前が並び、おそらく一般向けの内務省解説本としては、これ以上のものは無いと言える充実した出来映えである。

内務省の巨大さを理解するために、平成の省庁統合や本省・外局の関係を無視して、よく知られる行政組織名で列挙すると;自治省・警察庁・消防庁・建設省・国土庁・厚生省・労働省・都道府県知事、などとなり、税制や農政では大蔵省や農林水産省あるいは文部科学省(宗教関係)の担当領域と重なる部分も担い、内務大臣は副総理格、閣内No.2の位置にあった。また、1888年に発足した高等文官(高文)試験の1931年まで44年間の合格者4430名の内、約3割の1282名が入省するほど人材豊富な官庁でもある。

とは言っても創設時から「省庁の中の省庁」ではない。明治政府は藩閥でスタートするが、やはりカネを扱う大蔵省がNo.1、当時は農業が主要税収源であり、大蔵省は地方行政を取り込んで大大蔵省を画策する。明治の元勲たちの綱引きの結果、なんとか独立するが、それは大蔵省の一画であった。1890年総選挙が行われ政党が発足、帝国議会が開設されるが、依然藩閥は隠然たる影響力を持つ。ここから内務省の主要ポスト(大臣、次官、警保局長)争いが始まる。選挙制度を設計し、地方行政(選挙活動)と警察行政(選挙違反取締活動)を握れば、有利な選挙活動・政権運営が行えるからだ。最初の対立軸は藩閥対政党。やがてこれに行政の専門家である高文試験合格者が絡み、複雑な様相を呈する。藩閥のリーダーであった山縣有朋内相は全官庁の高位職を高文合格者に限定、政党色排除を図ったり、技官の昇進に制限を加えたりする。しかし、この策の適用実態は、ときどきの政治情勢により二転三転。祖父の現役時代はこんな状況下にあったことが見えてきた。この間、専門職(医官)の役割が重い衛生行政は厚生省として分離するし、同様に専門性の高い土木行政に次官職に相当する技監職が設けられるなど、既に巨大過ぎる弊害を自身の中でも改革する動きが出てくる。敗戦による内務省解体はGHQの命令に依るとされているが、少なくとも機能再編の必然性は戦前から省内外にあったと研究会は見ている。

本書の構成は「通史編」と「テーマ編」に分かれ、前者は四章で明治前期から終戦後解体までの省全体の変遷を述べ、後者は十章を費やして、地方行政・警察行政・衛生行政・土木行政・社会政策(労働、救民など)・防災行政・議会運営・軍部との関係、などを各論として詳述、合わせて内務省の全容を解説する方式になっている。我が国近現代史を紐解くとき、内務省事典として、大いに役立つ一冊と言える。

 

2)軽自動車を作った男

-浜松の織機会社を5兆円のクローバル企業に育て上げた、四代目スズキ自動車社長鈴木修の伝記-

 


幼時父が自動車会社勤務だったところから発し、途中鉄道や飛行機に興味が傾いた時期があったものの、卒論はガソリンエンジンの回転数制御を選んだ、根っからの自動車ファンである。所有したクルマは決して多くないが、それなりに特色のあるものを乗り継ぎ、国産車ではトヨタ、日産、ホンダ、日野製を持ったし、スバル(水平対向エンジン、前輪駆動)やマツダ(ロータリーエンジン、ロードスター)にも大いに惹かれた。しかし、スズキの4輪に興味を持ったことは無かった(これは三菱やダイハツも同じ)。このスズキへの関心が突然起こったのは、2005年ハンガリーへ出張したときである。ブダペストの街中を小気味良く走り回っている小型車がスズキのスウィフトであることを知り、それがハンガリーで生産されていることを、現地のスタッフに教えられたからである。その後何度か欧州へ出かけ、多くの日本車を目にしてきたが、スウィフトほど欧州の古い街並みに似合うクルマはない、と勝手に思い込んでいる。本書はそのスズキをユニークな国際企業に育て上げ、昨年亡くなった鈴木修の伝記である。

スズキの創業者は鈴木道雄、元々は大工だが1920年鈴木式織機株式会社を立ち上げ成功、豊田織機同様、戦前自動車への進出を試みるが、戦争で中止。戦後織機会社として再スタートする。この道雄には三人の娘がおり、すべて養子を迎え、彼らは三人とも旧制浜松高専(現静岡大学工学部)機械科卒、長女の婿鈴木俊三が二代目社長となり、オートバイ生産を経て本格的に自動車製造業に進出する。次女の婿鈴木三郎は我が国初の軽自動車スズライトの開発主務者、三女の婿鈴木實治郎が三代目社長を務めている。そして鈴木修は鈴木俊三の娘婿となり1978年から四代目社長を務めることになる。

鈴木修の旧姓は松田、岐阜県下呂の農家の四男、1945年春旧制中学から予科練に進むが終戦で復学、師範学校を卒業し、世田谷で正規の小学校教師を経験(この時の教え子に俳優から参議院議員となり議長も務めた山東昭子がいる)、そのあと中央大学法学部で学び、中央相互銀行(現あいち銀行)に勤務中俊三と懇意になり娘婿として迎えられ、1958年スズキに入社する。かなり曲折した経歴だが、これが管理職・役員・社長と昇進するにつれ生かされていく。根っからの営業マン精神(特に業販店(資本関係のあるディ-ラーではない個人企業)を家族ごと虜にする。OEM車の売り込み(日産、マツダ、三菱))、即断即決(GMとの合弁および解消、中国撤退、原付バイクの一時生産停止)、戦うときには徹底的戦う(インド政府、フォルクスワーゲン)、面子より実益重視の危機管理(トヨタへの救援依頼(ライバルであるダイハツ製エンジン採用))などがそれらだ。冷徹な経営者であるとともに“情の人”であることもよく伝わる筆致。これは著者と鈴木修がお互い仕事を超えた友人であることから来ているのであろう。そんな場面も随所で語られる(時には写真付きで)。

鈴木修が技術者でないこと、著者もあまり技術に精通していないのであろう。技術面からの話に乏しいのはいささか不満だが、ヒットしたアルト、ワゴンR、それに軽の四輪駆動ジムニーにまつわる命名や開発秘話は本書で初めて知った。アルトは音楽用語であるが、これだけでは弱いと「あるときは××に、あるときは○○に」とキャッチコピーを作る。ワゴンRも同様「セダンもあるが、ワゴンもある(R)」と。また、ジムニーはホープスター社(遊園地向け車輌が主力)から製造権を買い取り発展させたもの。

鈴木修の伝記としてだけでなく、軽自動車史としても興味深い話が満載。例えば、鈴木修の政治活動、経団連会長も務めた奥田トヨタ社長による軽自動車優遇税制潰し、環境対策に苦闘する軽自動車業界、あるいはダイハツやホンダに居た鈴木修礼賛者の存在などがその例だ。軽自動車は今や国民に不可欠な存在(生産者、利用者ともに)、鈴木修なくしてそれはなかった。これが読後感である。

著者は1958年生まれ。新聞記者を経て独立。企業をテーマとするノンフィクションを主体とするジャーナリスト。ビール業界に関する作品が特に目立つ。

 

3)高倉健の図書係

-「活字を読む読まないは顔に出る」、デビュー時の監督助言で読書人となった名優、その書籍探し担当者による愛読書と誠実な人柄-

 


中学生時代からの映画ファン。しかし洋画かぶれ、ハリウッドかぶれで、ほとんど邦画を観ていない。観たのは黒澤作品や内外の映画祭などで受賞した作品くらいだ。文化勲章まで受章した高倉健出演の映画を劇場で観たのは「八甲田山」のみ、あとはTVで「鉄道員(ポッポヤ)」と「黄色いハンカチ」などごく限られる。ただ、これら数少ない鑑賞作品から、役を通じて伝わってくるのが、極めて誠実そうな人柄だった。好きな沢木耕太郎のエッセイなどでもそれがうかがえ、興味ある人物の一人となっていた。その人が読書家であり、その手の内が明かになるタイトルと帯に惹かれ読むこととなった。

著者は1953年生まれ。出版社で編集を担当の後フリーライターとして独立。ルポルタージュ、エッセイなどを雑誌等に寄稿している過程で、1980年代高倉健を取材。これが縁で“図書係”となるが、付き人のような専属ではなく、ライターとしての仕事は並行して行っている。出版界に詳しいことから、高倉健にしばしば書籍探しを依頼され、それが彼の死までつづく。この関係から死後「高倉健という生き方」(新潮社)、「高倉健の身終い」(角川新書)なども出版しており、本書もその一つと言っていい。

副題に「名優をつくった12冊」とあり、山本周五郎「樅の木は残った」「ちゃん」、檀一雄「火宅の人」、山口瞳「なんじゃもんじゃ」、三浦綾子「塩狩峠」「母」、五木寛之「青春の門」、森繁久弥「あの日あの夜 森繁交遊録」、池波正太郎「男のリズム」、白洲正子「夕顔」「かくれ里」、長尾三郎「生き仏になった落ちこぼれ酒井雄哉大阿闍梨の二千日回峰行」が主題となるものの、他の多くの書物にも触れ、高倉健・作品と筆者・これと関わる映画作品・それに著者の関係を、あれこれ異なる角度から語っていく。例えば、三浦綾子作品では高倉が「網走番外地シリーズ」撮影中層雲峡に滞在、たまたま読んだ「塩狩峠」を著者に薦め、それに惹かれた著者が難病に冒されている三浦のルポルタージュをまとめる仕事を開始する。また、山本周五郎に関する章では、周五郎作品に興味を持った高倉が木村久邇典「男としての人生 山本周五郎のヒーローたち」を読み、これからヒントを得て映画作りを発想、関係者にも読んでもらうため、著者に古書探しを依頼する。しかし、既に絶版、出版社に増刷の可能性を問うと、200冊増刷で100冊引き取ってくれるなら受けるとの回答。なんと高倉はそれを受入れ100冊を購入し、あちこちに配る。「火宅の人」への興味は高倉が檀一雄の足跡を追うTV番組「むかし男ありけり」のキャスターを務め、ポルトガルへ出かけた話や、「昭和残侠伝破れ傘」で壇の娘ふみと共演した話におよんだりする。高倉が白洲正子の「夕顔」に惹かれるのは、著者の単独企画として「アサヒグラフ」に売り込んだ白洲正子の行動を追う連載記事「白洲正子 清々しき遊び」を高倉が目にしたことに発する。

高倉の本探しは、新刊書は自分で買い求め、簡単に入手出来ない古書を著者に依頼するやり方だが、先の例からも高倉から著者に「この本を探してくれ」と一方的に命じられるような図書係ではなかったことが分かる。

読書の動機は必ずしも映画の仕事と直結するものではないが、映画企画の際は2050冊を購入、それを関係者に配り、意見を求め、これはと思う本は自身ボロボロになるまで読み返し、慎重に映画化可否を決する。

高倉が読書に傾注するきっかけの一つは、俳優としての駆け出し時代、巨匠内田吐夢監督にしごかれ、その際「時間があったら活字(本)を読め。活字を読まないと成長しない。顔を見ればそいつが活字を読んでいるかどうかわかる」と諭されたことがあるようだ。それを終生実行したとこは本書を読んでよく分かり、高倉の生真面目な性格の一端を垣間見たような気にさせてくれた。

 

4)入門講座三島由紀夫

-壮絶な最期を遂げた三島由紀夫、その文学は生と死の葛藤であった。三島研究者が31作品から、それを読み解く-

 


中学生時代母の実家にあった日本近代文学全集をもらい受け、夏目漱石・森鴎外・志賀直哉・泉鏡花などの名作は一応読んだものの、漱石の一部を除けば面白いと感じたものは皆無。戦後の純文学作家による作品は、主人公と世代が重なる石原慎太郎「太陽の季節」と三島由紀夫「潮騒」以外まったく読んでいない。「潮騒」を読む動機は、国語の現代文に登場した三島が唱える「芸術至上主義」にある。日本復興の鍵は「技術至上主義」にありと信奉するエンジニア志願者にとって、聞き捨てならぬ言葉に思えたからだ。どんな作品を書いているのか?丁度文庫本が出たばかりの「潮騒」を手にすることにした。内容は、小さな島の若者の純愛物語、「こんな恋ができたら」との思いは強く持ったものの、「芸術至上主義」をそこに感じることはなかった。三島作品を読んでみようという気はないのだが、壮絶な最期を遂げた三島本人の生き方には大いに興味があり、作品論より作家論を期待して購入した。

著者は1955年生まれ。近畿大学名誉教授(文博)、三島由紀夫文学館館長。「三島由紀夫の文学」「三島由紀夫 悲劇への欲動」「三島由紀夫全集」など三島に関する編著書が多数あり、三島由紀夫研究が専門と推察する。

作家論は作品を掘り下げ、作者の内面を探るものであり、本書も幼児体験や小学校・中学校の作文などから始まり、割腹自殺した日付(昭和451125日)が記された「豊𩜙の海 第四巻「天人五衰」」までの代表作品31を時代順に論じ、三島の内奥とその変化を考察してゆく内容になっている。

ここで著者が通奏低音のようにそれぞれの作品分析に用いる「前意味論的欲動」なる視点、私なりに解釈したのは「無意識のうちに持つ思考や言動の根源」であり、三島のそれは“死の欲動と生きようとする意欲の闘い”だとする。そして、その死は単純な死ではなく、何か大きな意義のあるもののために、自分の命を投げ出したいという、ある意味献身の欲動なのだと。三島の最期を知る者にとって、これは確かにうなずけるところだが、何か牽強付会の感無きにしも非ずの安直な論理に見えてしまう。

しかし、著者はこの批判を予測したように、31すべての作品でこの“生と死の葛藤”を掘り下げ、どちらにバランスが傾くかの違いはあるものの、これが三島文学の真髄であることを主張する。率直に言って、著者の言わんとするところは一応理解したが、これが正統・本流の三島論とは判じられなかった(元々純文学にほとんど触れていないこともあり)。

よく知られた一部作品を紹介すると;「仮面の告白」(これで職業作家として認められたとする)、「潮騒」、「金閣寺」、「鏡子の家」(悪評だった)、「憂国」、「鹿鳴館」、「サド侯爵夫人」、「豊𩜙の海四巻;「春の雪」・「奔馬」・「暁の寺」・「天人五衰」」などがあり、それぞれの作品の文学上の特質・批評を概観した後、作品内容をまとめ、結びとして分析・考察を行う。この形式は確かに「入門講座」の名に相応しく、読んだ気にさせてくれる。

面白いのは、それぞれの作品に対する発表時の文芸評論家の批評、礼賛するものから不評ものまで振幅が大きいことだ。そして同じ批評家が時間経過とともに評価を変えていくところも紹介される。この背景には、初期の作品ほど自己を投入せず(自分をさらけ出す太宰治を嫌悪)、次第にそれが変わり、三島自身をモデルとするような作品が多くなって来たこととにあるとしている。作品を読んだこともない者でも、彼の死に様から、確かにそんな作風の変化があったとする見方にうなずけるところがある。

文学論、作家論など興味の対象外であったが、三島由紀夫に惹かれ読んでみた。他の作家のこの種の本を読むことは無いだろうし、これで三島作品を読んでみたくなることも起こらなかった。しかし、異才三島由紀夫の一面を知ったという点において、読んで良かったと思っている。

 

5)世界秩序が変わるとき

-在米ヘッジファンド・コンサルタントが描く新自由主義後の世界。再び「大きな政府」の時代が到来し、米国の標的はこの時代を謳歌した中国に向かう。乗り遅れた日本に復活のチャンスあり-

 


1983年秋、カリフォルニア大学バークレー校(UCB)ビジネススクールの短期上級管理職コースに参加した。エズラ・ボーゲル著「Japan as Number One  Lesson for America」の時代である(参考書の一つ)。この年のコースは例年(50名程度)になく参加者が少なく、総勢20名で米国人が13名、外国人が7名、この内日本人は私一人だった。コース名は「Revitalize America」、言い換えれば、「いかに日本に打ち勝つか」であり、日本株式会社について様々な角度から講義するカリキュラムだった。のちにクリントン政権下でリヴィジョニスト(日本異質論)の論客として知られるチャーマーズ・ジョンソン教授(日本語を解し、「通産省と日本の奇跡」なる著書もある)の授業もあり、当時政官学民共同で進められていた「第5世代コンピュータ」について、皆の前で説明させられたりもした。振り返れば、この頃から米国の日本潰しが始まっていたのだ。三菱電機や日立がFBIのおとり捜査にひっかかり、日米経済摩擦が熱をおびてくる。

個々のジャパン・バッシングの背景にあったのが、レーガン政権の経済政策基本理念である“新自由主義”、政治介入を最小限にとどめ、金利・為替・貿易・所有権などの縛りを自由化(規制緩和)する考えである。これにより、冷戦の勝利からITによる世界支配まで、米国一極主義が実現するものの、今やそれが崩壊しつつある。タイトルの「世界秩序が変わるとき」はこれを意味する。

では、著者の言う世界秩序とは何か。世襲王侯貴族による統治→19世紀に始まるレッセフェール(自由放任主義)→第一次世界大戦後から始まる「大きな政府」による統治→1980年代からの新自由主義、がそれらだ。レッセフェール下では弱肉強食の植民地主義が限界に達し、「大きな政府」では①共産国家、②ファッシズム国家、③ニューディール政策に代表される規制された自由主義を標榜する米国が覇を競い、③が勝利するものの、やがて「大きな政府」による弊害が目立つようになり、新自由主義の時代が到来する。しかし、これも格差社会を生み、ブレグジットやトランプ現象の例に見るように、今や崩壊の過程に入りつつある。これと絡むのが米国の覇権国へのこだわりだ。日本は1930年代(軍事)と1980年代(経済;GDPは米国の70%に達する)、二度この覇権国に脅威を与え敗れた。米国の経済戦略核になったのは新自由主義。日本はこの流れに乗らず「失われた30年」を経験することになる。

WTO加盟を始め、新自由主義の恩恵を最も受けた国は中国。米国は対日経済戦略に、始めはアジアの四昇竜(韓国・台湾・香港・シンガポール)を利用、次いで中国を支援することで目的を達する。この時代民主党のクリントン政権ですら「大きな政府は終わった」と宣言、ブッシュ(父)と争った大統領選挙戦では「ばか!問題は経済だ(安全保障ではない)」をキャッチフレーズにするほどだった。しかし、新自由主義に基づく経済政策は勝者・敗者の格差を広げ、国の中に分断が生じてくる。トランプ現象出現はその結果であり、一見混乱状態に見えるが、アメリカが自己変革する際の柔軟性と取るべきで、地政学視点は決してぶれていない、と言うのが著者の見解である。そしてその標的は明確に中国(対米GDP50%)に据えられ、中国離れ・中国潰しに関する種々の言動が本書の中で詳述される。

では新自由主義周回遅れの日本はこの状況下でいかなる位置にあるのか。新自由主義対応では「口減らしが必要な村で、姥捨てを行わず、皆で痩せ細る」対応で耐え忍び、活力のない社会になってしまった。しかし、少子高齢化進行で労働力が不足、生産人口に対する就業率が高まっており、並行して賃金も上昇、製造業の生産性はOECD加盟ライバル国と遜色ない(問題はサービス業にある)。また女性の社会進出もプラス要因。加えて技術力は依然トップレベルにある。さらに、ポスト新自由主義では政治が経済に関与する度合いが高まり、政財官の親和性(政治介入をより円滑に行える)がキーファクターとなるが、かつての復興期・高度成長期、そのノウハウを蓄積、依然保持している。加えて、米国が対中戦略を進める上で、地政学的に日本を重要視しているおり、世界秩序体系の激変というパラダイムシフトの中で、日本は勝者に転じる可能性が高いとする。“Revitalize Japan”には疑問を残すものの、勇気づけられる主張だ。懸案事項は、政権与党が脆弱なこと(本書出版は202412月、既にトランプ当選は決しており、日本は石橋首相の下、衆議院選挙で議席を減じている)。

本書を超要約すれば、「米国は覇権国家を維持し続け、日本は再び「勝てる席」に座らされる」。にこのような考えに至る過程は著者の経歴と深く関係する。正確な生年は不明だが、1970年頃と推察できる。バブル末期大手都市銀行に入行、1993年に退職しジョン・ホプキンス大学高等国際問題研究大学院に入学。1995年に卒業し、ヘッジファンド(ソロスのファンドやそれと並ぶタイガー・ファンドなど)向けコンサルタント企業G7に日本担当として就職、その後独立しオブザバトリー・グループの共同経営者として今日に至る。仕事を一言でまとめると「政策・政治と金融の架け橋」。日米の著名な財政・金融専門家、ヘッジファンド経営者と太いパイプを持つことが本文から窺える。新自由主義に関しては反対者ではなく、信認を失ったのは確かだが、進め方に問題があったとする立場。現下のトランプ現象も、拙速や言動に配慮を欠くとしながらも、「トランプは天才的な嗅覚の持ち主」と一定の評価を与える。この辺りの考え方は我が国知識人や政府筋あるいはジャーナリストと異なり、賛否はともかく、米国政治・経済・世論の深奥部を知る点で、読んだ価値は十分あった。少々驚いたのは著者がトランスジェンダーであることだ。男性として都市銀行に入行、米国大学院時代にカミングアウト(公表)し、女性に転じたことが本文の中で語られ、異質な人間だからこそ、業界でそれなりに注目される効用もあると語っている。

 

6)国境と人類

-民族国家誕生と歩を一にする国境策定、それ以前の世界まで遡り、現代の国境にまつわる諸問題を、穏やかな筆致ながら本質に迫る、ユニークな国境エッセイ-

 


北方四島、尖閣諸島、竹島など我が国にも領土問題は在るものの、地上に引かれた国境線はなく、国境を意識する機会は極めて少ない。自身の経験で言えば、ナイヤガラ瀑布見学(米加国境)、香港観光における中国本土深圳訪問、マレーシアからシンガポールへの入国、それに板門店における韓国・北朝鮮休戦ライン見学(越境なし)の四カ所、いずれも観光目的で、越境という緊張感をほとんど覚えなかった。しかし、直近の世界を見れば、ウクライナ戦争、ガザ紛争、また欧米における難民・違法移民など、国境を巡る問題はいたるところで発生している。多くの国境関連書籍は戦争・紛争を含む地政学的視点から書かれており、本欄でも昨年4月「新しい国境 新しい地政学」を紹介している。しかし、原著のタイトルは「The Edge of The Plain(平原の最果て)」であり、狭義の国境とは異なる印象を受け、読んでみることにした。結果は、民族国家の領土を中心にした国境論と比べ、様々な角度から国境を語る国境話(ばなし)といった構成・内容で、新たな国境観を得ることができた。

主題構成は;(国境を)つくる・動く・越える・崩す、の4部から成り、それぞれの部で特定地域23例を章として10例を紹介する形式になっている。最終的にそれぞれの国境における現在の問題点を論ずるものの、話の展開は、歴史であったり、旅であったり、取材記であったり、と変化に富み、ある種の旅行エッセイを読んでいるような気分を味わうことができる。

例えば、“つくる”の部で取り上げられるサーミ人(ラップランド人)。トナカイの放牧を主とする彼らは2万年前ヨーロッパ中部で暮らしていたところから、現在はノルウェー、スウェーデン、フィンランドの極北部に移動、そこに生活圏を築いたものの、3国により作られた国境で分断され、少数民族同化策で、伝統的な生き方に制約を受けている話。どこの国も自由な放牧を認めず、頭数制限の間引きさえ強要されているのだ。そのひとつの目的は、再生エネルギーに要する広大な用地確保のためである。

“動く”では、いまだ完全停戦が実現していないイスラエル・パレスチナ問題を取り上げる。特にエルサレム市内の境界線が、イスラエル建国時国連が定めた所から動かされている経緯を語り、パレスチナ人家屋の中までおよぶ話やイスラエルがオスマントルコ時代の土地収用法を適用し(3年間耕作されず放置された土地は国有とする)、荒れ地に井戸を掘削(パレスチナ人にはカネも技術もない)、地下水を汲み上げ、集団農場(キブツ)を設営、パレスチナ人の土地を事実上イスラエル領に組み込んでいる。

“越える”では、第一期トランプ政権で築かれたメキシコとの国境壁。自然環境の厳しいところほど不法入国者が集まるが、そこに強固な防壁を設けるには、しっかりしたコンクリート土台が必要となる。しかし、これに要する水の確保が難しい。そこで地下水を汲み上げるのだが枯渇してしまい、さらなる砂漠化が進む。そんな砂漠に難民たち(死者を含む)が残した持ち物を集め分析している研究者が居る。その分析結果の一つが飲料水用のペットボトル。以前は無色透明の物が多かったが、最近は黒に変わっている。太陽の反射で発見される確率を下げるためだ。

“崩す”では、コロナ禍から始まる伝染病の“越境”が取り上げられ、欧州・近東(オスマントルコ)の国境線はもともと防疫・検疫(ペスト、コレラ流入防止)の性格が強い検問所設営から始まったことを歴史的に解説、現代に至るも既存の国境管理方式ではパンデミック防止が容易でないことあらためて認識させる。

ここで語られるもう一つの話題はサイバー空間における、国境越え(侵攻)とその防止策。中国・ロシアが力を注いでいることを例に、新しい国境問題を提起する。

この他にも興味深い話がいくつも。“最果ての地”の英語は“フロンティア”、スペイン語では“フロンテーラ”。前者では“限界のない所”が原意であるのに対し、後者では“限界”が本意、ここからアメリカ・メキシコ国境の変遷を論じ、アメリカ(人)には「国境は移動する(させる)もの」とのDNAがあるのではないかと述べたりしている。

人類生存・発展6千年の歴史をつぶさに観察・分析すると、「人間気候ニッチ」という概念が浮かびあがる。“人類生存適性条件”とでも解釈すればいいのだろう。それによれば「土壌の肥沃度よりも、年間平均温度がはるかに重要」、11℃~15℃の地域がそれに相当する。地球温暖化が問題視される昨今、未来の国境と民族はどうなっていくのか?問題提起で本書は終わる。

著者の年齢は不詳、スコットランドの歴史家。題材として取り上げられる国境地域すべてを現地調査しており、それが深刻な国際問題にも関わらず、旅行記風の作品に仕上がった一因と推察する。 

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2025年10月4日土曜日

満洲回想旅行(21)


21.旅を振り返り

お詫び;23日毎にと宣言しながら半月以上休止していた「満洲回想旅行」を再開します(と言っても最終回ですが)。申し訳ありませんでした。

 


満洲には19391月に生まれ19469月まで滞在した。長い人生から見ればたった6年強の短い期間である。しかし、この短い時間が私の人生に及ぼした影響は、計り知れない。この歳になり再び満洲を訪れることが出来る経済状態にあるのも、満洲滞在とそこからの引揚げがドライビングフォースとなっているような気がしている。


はっきり断片的な記憶が残るのは、1942年妹の出産で母と実家に帰京した時以降の4年間。今回の旅は、それをたどるセンチメンタルジャーニー、関心事は新京(長春)と新京-大連間の鉄道の旅(厳密には在来線と高鉄(新幹線)は路線が異なるが)。この点に関して、完全に期待通りではなかったものの(旧居付近を訪れたかった)、「出かけてきて良かった」と結論づけられる。


新京観光は実質半日強に過ぎなかったが、素晴らしいガイドに恵まれたこともあり、往時のあの場面この場面を思い起こすことが出来たし、その後を知りたいと思っていた、場所;小学校・建設途上の宮廷府・城内と呼ばれた満人街・ヤマトホテル・三中井デパートについて、立ち寄る機会や詳細情報を得ることができた。また、往時訪れたことのない官庁街を今回巡ることが出来たのは収穫。改めて首都作りの壮大さを再確認した。


鉄道は大連-ハルビン間を往復、じっくり観察出来た。母との帰京時見たハゲ山、引揚げ列車の左右に広がる赤茶けた荒地しか記憶になく、今回それが地平線まで続く緑になっており、驚かされた。記憶違いであろうか?水田はまったく見かけられなかったが、明らかに全面耕作地である。もともと地味豊かな土地であったものを、新生中国が再開拓してきたに違いない。


大連・瀋陽(奉天)・長春(新京)・ハルビンには日本統治時代の大広場が残り、周辺の建物もリノベーションされそのまま使われ、その後に建てられた高層ビルと調和して、時代の変遷を楽しむことが出来た。建物やクルマを見る限り、かつての貧しさをうかがうものは皆無だ。反面、中国に限らずアジア全般に見られる猥雑で活気のある繁華街(日本ならアメ横)は見受けられず、いささか寂しい気がしないでもなかった。


朝食はホテルのビュッフェなので代り映えしなかったが、昼食・夕食はハルビンのロシア料理(夕)と瀋陽の朝鮮料理(昼)を除きすべて中華、海鮮・餃子・お粥・串焼きなど多様、味も全般に薄味で、個人的には好みだった。ただ、量と種類の多さには圧倒され「もったいない」とさえ思えるほどだった。


観光ツアーでは景観も重要。しかし、旅順を除けばこの点では見るべき景色は皆無。要するに高い山も深い谷もなく、ただただ広大な大地が見渡す限り続く、日本との違いは決定的だった。思い返せば、満洲で美しい景色に打たれた記憶がなかっただけに、引揚げ船から見た博多港近くの白砂青松が強烈な印象として蘇る。


史跡も旅の大きな楽しみの一つ。今回書物などから想像していたものと異なっていたのは、日露戦争における旅順攻防戦、ロシア軍のトーチカの造りである。これほど頑強なものとは思っておらず、当に「百聞は一見にしかず」通りであった。一方で、最終的に太平洋戦争に至る、満州事変関連の史跡、例えば張作霖爆殺あるいは事変のきっかけとなる柳条湖事件(満鉄路線爆破)の現場(いずれも瀋陽駅周辺)を訪れることはなかった。もしかすると、意図的にそれを避けているのかも知れない。


大方の海外ツアーでは何かしらエンターテインメントが組み込まれる。民族舞踊・音楽などがそれらだが、今回はそれも全くなかった。満洲固有のその種の文化はない、と言うことだろうか?両親が満洲の芸能に関して話をすることがなかったところをみると、そうなのかも知れない。

ツアーの付きものでもう一つなかったのが、土産物店への案内である。これは帰国後知るのだが、このツアー(阪急交通社クリスタルハー)は、中国ばかりでなく、すべてのコースで、これを行わないことを特色の一つにあげている(この他少人数(今回15名)も)。この歳になって記念品を買おうという気もない私にとり、好ましいシステムだった。ただし、菓子など食品類に関しては、大連のガイドで全行程添乗員補助だった孫さんがカタログ販売のアルバイトをしており、選択肢は少ないが私もこれを利用、最後の大連でそれを受け取るので、荷物にならず助かった。


このコースは、5月に2回、今回参加の6月、それに9月と年4回実施。3月時点で5月は既に満杯、6月もキャンセル待ちで滑り込んだ。5月は“大連のアカシア”が売りなのだろうが、格別興味はなかった。9月は“柳条湖事件”の月(18日彼の地で記念行事が行われたことを新聞で知った)。結果として6月は好ましいと思っていたが、今年の猛暑は満洲も同じ(海が遠いだけに一段と厳しい)、暑さには参った。自由時間は日陰を探して休養ばかり、「これが最後の海外ツアー」を自ずと納得した。

 

最後は少々時間がかかりましたが、長く閲覧いただき有り難うございました。

 

-完-

写真は上から; 満洲全図、当時の新京地図、旅順東鶏冠山要塞、旅順港入口、瀋陽駅前広場、三中井デパート、宮廷府、旧官庁利用(吉林大学基礎医学部)、春巻き料理、ハルビン大聖堂

 

(写真はクリックすると拡大します)

  

2025年9月30日火曜日

今月の本棚-206(2025年9月分)

 

<今月読んだ本>

1) 仮説の昭和史-戦中・占領期編(保阪正康);毎日新聞出版(文庫)

2)提督の決断(真殿知彦);三和書籍

3)終末格差(野口悠紀雄);KADOKAWA(新書)

4)紅い皇帝(マイケル・シェリダン);草思社

5)過疎ビジネス(横山勲);集英社(新書)

6)日本列島はすごい(伊藤孝);中央公論新社(新書)

 

<愚評昧説>

1) 仮説の昭和史-戦中・占領期編

-もし、戦後日本が米ソにより南北分断統治されていたら、ソ連崩壊で南樺太・千島全島が日本に復帰?!-

 


8月になると、新聞・TVは太平洋戦争に関する特別番組を報道する。特に、広島・長崎に対する原爆投下と終戦に至る政府・軍の動きに関するものが多い。そして近年の特徴は、それを体験し伝承する生き証人が年々減じていることを憂慮してみせる。しかし、人間に寿命がある限り、これはあたりまえのことであり、存命者も超高齢者、彼らの断片的な証言で平和を訴えるステレオタイプの構成に、「またか!」と、いささか辟易とさせられるのは私だけであるまい。それに比べれば本書は遙かに深く昭和100年・戦後80年を種々の角度から考えさせてくれる歴史教科書だ。

先月紹介した「戦前・日米開戦編」の続編としてまとめられたもので、語り尽くされた感のある軍事作戦や終戦工作に多くの紙数を割いているものの、占領政策が現在の社会・政治情勢に色濃く残っていることを問題視する点で、一読の価値がある。

前編の前書きで「歴史にifを持ち込むことは禁句」について、ifの選択肢を厳選することで、歴史から教訓を引き出す意義は充分あるとし、決してSF的な架空物語でないことを強調していた。今回もこの選択肢の可能性について、考証(特に、残された資料・文献調査)に注力したことは文中から充分窺える。

ただ、代表的な軍事作戦を取り上げた、「もし日本海軍がミッドウェイ海戦で勝利していたら」「もし米軍のガダルカナル島上陸を本格的反抗と認識していたら」「もし栗田艦隊がレイテ湾に突入していたら」などは、既読感のある敗因を改めて解説するところに紙数を割き、“もし”のその先を推論するところに深みを欠く。例えば、ミッドウェイで日本が勝利していたら;米国は面子を失い、両国家内で停戦論が起こる可能性なきにしもあらずとしながら、むしろ史実以上に苛烈な闘いに発展しただろうと結ぶ。ここに至る記述は数行に過ぎず、竜頭蛇尾の感を禁じ得ない。

これに比べると、「もし秩父宮が東條の参謀総長兼任批判が表面化していれば」(関係者の日記など資料は残るが、当時おもてに出ることはなかった)「もし近衛上奏文の構想が実現していたら」(昭和202月天皇が重臣六人に戦局の見通しと対応策を問うたとき、近衛が吉田茂に命じて作成した和平案。他の五人が曖昧なものだったのに対し、「現状では敗戦必至」「国体は護持される」「共産革命が心配」「軍内部の革新運動」「それを背後で操る左翼分子の暗躍」などが明記されていた。これに天皇は大いに興味を示し、近衛は降伏することを進言したという)「もし昭和天皇のバチカン和平工作が成功していたら」(昭和2056月頃、米工作員・情報部員、日本の外交官(特命公使)、カソリック神父が絡む工作、誰も公的な資格が曖昧で不成功に終わる」などは、“もし”の部分に実現可能性(主に政治、外交面)が高いことをうかがわせる)。これらはあまり知られていないテーマだけに、考えさせられるifであった。

占領期で興味を惹かれたのは;「もし日本が米ソに分割占領されていれば」(南北日本は冷戦で対立、しかしソ連崩壊で千島・南樺太は日本に戻る?!)「もし日本が「自主戦犯裁判」を開いていたら」(東久邇内閣・幣原内閣で密かに検討されていた;骨抜きを狙う軍部、臣下を裁くことに躊躇する天皇)「もし昭和天皇が終戦後退位していたら」(天皇は3回退位を漏らす;昭和208月下旬、昭和2311月(極東軍事裁判判決直前)、昭和2611月講和条約調印から発効する翌年4月の間)「もし占領期政策の継続を問う国民投票を講和条約発効後実施していたら」、がある。この内最後の“もし”は今に続く、憲法問題・安全保障問題を中心とする対米依存に対する、モヤモヤした国民感情が払拭されていたのではないかと著者は推察する。しかし、個人的には、おそらく左翼(反政府)が勝利を収め、政治的混迷はむしろ長引き、その後の経済成長はなかったような気がする。

上記で紹介したテーマを含め24話。短い仮説分析だが、総じて軍事よりは政治や国民性に主眼を置いた検証・考察・推察であり、現代日本社会がかかえる諸問題(特に、国策意思決定、国際関係)を考える際参考になる。つまり、歴史から教訓を得ることができる。

 

2)提督の決断

-同姓現職海自横須賀地方総監による、歴代海軍提督たちの人物評価。東郷・山本両元帥にも現日本に至らしめた遠因があるのだ-

 


4月に著者が海上自衛隊横須賀地方総監に赴任した際、水泳仲間が「ご親戚?」と地方版に紹介された記事を持ってきてくれた。まったく縁がない人で、その時“真”と“眞”の違いに気づいた。私の苗字はかなり珍しいもので、今まで親類を除けば同姓の人に会ったことがない。漢字を覚え始めたとき眞と教えられたが、戦後定められた教育漢字・常用漢字にそれは無く、やむを得ず真を使ってきた。成人後しばらくして人名漢字にそれがあることを知り、爾来眞に戻している。しかし、子供たちはそれに頓着することは無く、真を使っており、違和感は極めて個人的なものだ。その人が本書を出版したことを8月、これは取っている新聞の横浜版で知り、即購入した。

著者は1966年生まれ、1989年防衛大学校卒業後海上自衛官任官、航空(対潜哨戒)分野が専門のようだが、幹部候補生学校校長、幹部学校校長、海自幕僚副長などの要職を経て現職(海将)。この間筑波大学大学院で修士号も取得している。因みに、横須賀地方総監は旧海軍では横須賀鎮守府長官であり、中将の中でも最優秀者が務めてきたポストである。

副題に-東郷平八郎と山本五十六の光と影-とあり、新聞記事でもリーダーシップ論として訴えるところがあったため、この二人の人物論と考えていたが、そうではなかった。二人がしばしば取り上げられてはいるものの、海軍創設から終戦までの著名な提督を俎上に上げて、リーダとしての資質を問う内容であった。登場するは;東郷平八郎、山本権兵衛、加藤友三郎、加藤寛治、財部彪、山本五十六、永野修身、及川古志郞、嶋田繁太郎、井上成美、鈴木貫太郎などだ。この内艦隊を率いて大海戦を戦ったのは東郷と山本五十六のみ、それゆえ他に比べ知名度も抜群なので副題としたのだろう。

軍の組織は大別すると、軍政と軍令の二系統になる。軍政は、予算・人事・教育訓練・装備・補給など軍事行政を専らとする。海軍大臣は内閣の一員、トップは首相である。対して軍令は、作戦策定・艦隊運用など実戦準備と実施を担い、トップの軍令部総長は天皇の直属である(政府ではない)。取り上げられた人物の多くはこの双方で指導的地位を務めているが、実戦での勝敗に比べ国策・海軍政策は分かりにくいし、一般の関心も高くない。しかし、著者はここにこそ旧海軍の重要課題があったと見ており、“決断”の具体例を軍政面に多く採り、従来の作戦重視の海軍軍人評伝とはひと味異なる自説を開陳する。

例えば、東郷が日本海海戦勝利の立役者であったことは十分認めながら、連合艦隊司令長官、軍令部総長、と軍令部門の経験しかなかったことが、軍縮に際しいわゆる“艦隊派”の後ろ盾となり、結果的に対米戦につながったことを“陰”とする。また、神格化の背景には小笠原長生という賛美者がプロデューサーとなり、晩年そのシナリオ通りの言動をするようになったことを批判する。

山本五十六の作戦面での評価は真珠湾作戦が頂点となるが、著者が最も重視するのは、米内海相・山本次官・井上成美軍務局長の三羽烏よる三国同盟反対(主意は対米戦回避)である。結局三人がそれぞれの役職を離れた後に、それが成立する。これに対し、対米開戦を決める最終会議において「やれと言われば1年やそこらは暴れてみます」と事実上認めてしまう。著者はこれを「痛恨の決断ミス」と断じる(井上成美の発言を援用)。

日露戦争を前に、兵学寮同期であった日高荘之丞を常備艦隊司令長官から外し、東郷平八郎と代える、山本権兵衛の非情な人事。ワシントン海軍軍縮条約における加藤友三郎全権の指導力。それにひきかえ、強硬艦隊派加藤寛治の言動(いわゆる統帥権干犯問題)に左右され、条約はなんとか成立させるものの、巻き返しの余地を残し破棄に至るロンドン海軍軍縮条約全権の財部彪。確たる信念・論拠も無く陸軍主導の対米戦開戦に引き込まれていく嶋田・及川・永野。何度も固辞しながら、天皇の強い要請でポツダム宣言受諾内閣を率いることになる鈴木貫太郎。戦後生まれの海将による人物論は、現場経験の無い戦史研究者や旧海軍に甘い作家とは違い、それなりに得るところがあった(特に、軍政注視)。

本書の別の面白味は、巷間伝えられている軍人たちにまつわる伝説に疑問を呈し正していくところだ。司馬遼太郎描く「坂の上の雲」における東郷像に対する批判はその一つ。丁字形戦法が決して東郷のオリジナルでないことや秋山真之以外の参謀の寄与などを、資料を駆使して小説イメージを払拭する。これも現役ならでは、の感であった。

 

3)終末格差

-年金受給開始から寿命が尽きるまで2千万円も要るのか!いや、2千万円で足りるのか?-

 


私が就職した時代(1962年)、定年は55歳、寿命は男が67歳、女が71歳だった。退職後死亡までの間、経済はそれまでの蓄え、退職金、年金でまかない、終末期になると子供家族と同居して、彼らの世話になるのが一般的だった。死は自宅で迎えることが多かったし、葬儀もそこで行われた。つまり、どんな人もおおむね「終末は同じ」だった。とは言っても核家族化は既に始まっており、近い将来の問題として現われつつあった。今や人生100年の時代、65歳まで働けても35年も残る。私の世代(86歳)の余命は、令和4年簡易生命表によれは5.08年、特別厄介なことが生じなければ、「終末は同じ」となりそうだが、団塊世代さらには団塊ジュニア世代(子供たち)の時代には、一人一人の現役中とその後の生き方で、「終末は大違い」となる可能性大だ。国債頼りの国家財政を考えると年金も当てにならない。如何に終末格差に備えるべきか、84歳の数理に強い経済学者(東大物理工学専攻ながら修士課程途中で国家公務員上級職試験を行政職で受験・合格、大蔵省勤務中博士号取得、一橋大学教授に転ずる)が、それに一考を加える。書店で本書を見たとき、我々世代含む高齢化社会解説本の一つと思い購入した。しかし、読んでみて、これは団塊ジュニア世代(4050歳台)向けと理解した。

幸せな終末を迎える条件は;①健康であること、②経済的に困窮していないこと、③家族の仲がよいこと、とした上で、これらに関する問題点を章立てで解説する。

「カネで終末の幸福は買えない」としながらも、先ず取り上げるのは老後資金問題。2019年金融審議会は「高齢化社会における資産形成・管理」と題する報告書を作成した。これによれば、65歳受給で年金以外に2000万円の老後資金が必要とあり、「年金だけでは暮らしていけない」と大きな政治・社会問題になり、その後この問題は封印されてしまう。これに対し著者は「2000万円あれば大丈夫なのか?」と問い直し、現在の国家財政から年金支給額引き下げの可能性もあり、また不測の事態対応も考慮し、種々のケースを検討、3000万円強必要なケースも生ずると、議論封印を難じる。

では、どのように資産形成をすべきなのか。岸田政権下では「貯蓄から投資へ」と新NISAがその手段として喧伝されるが、これは株式投資であり、着実に増える保障はない。また、税制上の利益も大きくない。こんなリスクの高いものを、年金補完として政府が進めるていことに、ファイナンス理論や警句(「金(キン)採掘で儲けたのは、採掘者から稼いだものだ;つまり新NISEブームで確実に儲けるのは証券会社」)を援用して批判する。

2000万円問題が噴出したとき、担当の麻生財務・金融大臣は報告書の受け取りを拒否、安倍首相は国会で「乱暴な議論で不適切」と答弁した。では年金そのものはどうなるのか。2024年行われた公的年金財政検証(5年毎、100年先まで年金持続性を検討する。経済成長率を4ケース設けている)では「保険料を引き上げずに、現在の年金制度維持可能」としているが、実質賃金上昇率(成長実現ケース:2027年~2030年;1.3%、2031年~2033年;1.2%、2034年以降ジャンプし年率2.0%)を仮定しており、非現実的と著者は見て、年金制度の現状問題点を縷々指摘、改善案を提起する。

このあとは介護問題(保険料アップ、人材不足、多様な老人介護施設)、医療の将来(AI活用、製薬技術、癌治療、オンライン医療)に触れ、高齢者負担を所得基準から資産基準に改めることを提言する。

究極の老後対応策は「いつまでも働ける社会」の構築、専門知識・技術の習得、組織から独立した働き方、として政治はこのための社会変革を進め、個人はこのために投資することを推奨する。

説得力のあるデータを駆使、高齢化社会の個別問題点を浮き彫りにし、それへの改善策・対応策を具体的に提示する。84歳の高齢経済学者が行うだけに説得力ある内容だ。

年金財政問題は、保険料アップ、支給額減額、支給年限の延長など明るく語れる要素が少なく、政治家は逃げの一手。正面からこれに取り組む政治家・政党の出現を図るために読まれて良い本だ。特に団塊ジュニア世代に是非読んでもらいたい。

 

4)紅い皇帝

-毛沢東の古い同志の息子が、一流大学へ特別枠で入学、両親の人脈を利用して出世、自身の終身主席を可能にするに至る独裁者の伝記。ただ、“これから”が見えてこない-

 


江沢民主席;上海交通大学機械工学科卒、李鵬首相;モスクワ動力学院卒、朱鎔基首相;清華大学電機工学科卒、胡錦濤主席;清華大学水力エンジニアリング学部卒、温家宝首相;中国地質大学卒、李克強首相;北京大学法学部卒、習近平主席;清華大学化学工学部卒、李強首相;浙江農業大学農業機械科卒。この30余年、中国の国家指導者は、李克強を除き、すべて一流大学出のエンジニアである。技官ガラス天井の我が国とは大違いだ。無論彼らの出世は党活動依るものだが、調べてみると習近平以外はそれなりに工場現場を経験しており、専門職としても実績があることがわかった(胡錦濤は大学に残っているが)。化学工学は機械と化学の境界域に在る学問で、石油や化学と深く関わる身近な分野。主席就任時知った専門分野に惹かれ、その来し方を知りたく、本書を手にした。

著者の生年は不明だが、サンデー・タイムズ紙の極東特派員として20年勤務、香港・中国を取材・報道してきた英人ジャーナリスト。

伝記は好きなジャンルであるが、書き手によって種々のバイアスがかかるので、読む側の読解力を最も問われる分野である。特に独裁国家の現役指導者となると、情報源に限りがあり、著者の執筆意図・手法によって偏りが生じやすい。本書の場合、その偏りが薄い感じはするが、それでも西側でうける筆致(批判、悲観)と言うのが読後感である。

習近平は中国共産党上層部を二分する、共産党青年同盟(実力派)と太子党(世襲派)の後者に属する。それゆえに導入部は父親習仲勳とそれを取り巻く話から始まる。仲勳は毛沢東の古くからの仲間、無論延安で行動を共にしている。また母(斉心;仲勳にとっては二度目の妻)も八路軍の元兵士。仲勳は毛沢東に遠ざけられたり、文革で紅衛兵につるし上げられたりするものの、浮沈を繰り返し2002年まで生き延びる。また母は現在も健在である。この二人の人脈が習近平の今日につながっていることは確かだ。

習近平が10歳の時文革が起こり彼は走資派の子として延安近くの寒村に下放されるが、7年後青年団入団が認められ、さらに1975年延安地区に二名割り当てられた「工農兵学員」制度で清華大学に推薦入学する。これは一家が裏で糸を引いた結果なのだ。

大学卒業後国防相(のち副総理)の秘書官(三人)の一人となるのも母の人脈による。1982年北京の南方250kmに在る正定の共産党副委員長になるところから習近平栄達の道が開けていく。時は農業改革の時代、穀物中心を綿花・野菜・果物・花などに転換、この地を豊かにし、実績が認められて、1985年訪米農業視察団代表に任命される。次いで厦門(アモイ)副市長、福建省長(最年少、江沢民に認められる)、浙江省長、と昇進を続け、「めったにミスをせず、敵をつくらず、権力者に取り入り、勤勉、活力、人脈作りの才」で年長者に自分を印象づけていく。2007年上海共産党書記(胡錦濤・温家宝政権下)、このポストは政治局常務委員兼務であり、ついに党と政府の中枢の一角に食い込む。ここでも優れた管理能力を発揮、国家副主席に抜擢され、2008年の北京オリンピックを成功させる。2009年(民主党政権下)には訪日し平成天皇(現上皇)と会見、2012年には訪米しオバマ大統領とも会見、国際舞台に登場する。

201211月ついに中国共産党総書記に就任、中央軍事委員会主席も兼務し、独裁的権力を握り、憲法を改正して終身国家主席を可能にする。統治システムの手本はスターリン、政敵追い落とし・粛正は冷酷を極め、ライバル薄熙来(太子党、重慶書記、服役中)、周永康(公安部長;配下1000万人(解放軍より多い)、終身刑)、などの凋落過程が詳述される。

習皇帝支配下の今後をどう見るか、著者は亡命中国人作家の見解をそれに代える。習の「中国の夢」が実現することはないだろう。なぜなら、一党支配、国家独占資本主義、環境汚染、権利侵害、非効率、多額の助成金に基づく中国経済モデル、では長期的な繁栄を望めないからだ、と。この将来見通しはいつの時代にもある、中国共産党による一党独裁批判であり、新鮮味はなにも感じないのだが、いかがなものだろうか?

読後何か物足りなさが残った。一帯一路や解放軍革新の話は出てくるものの、「中国の夢」と国際関係に関する掘り下げが表層的で、今後が見えてこないのだ。

 

5)過疎ビジネス

-膨大な税金が地方創生のために投じられてきた。しかし、地方消滅が現実、予算を活かせる人材は払底、コンサルタントと称する詐欺師まがいが、それを掠め取る。地方記者入魂の一冊-

 


初代地方創生担当大臣であった石破茂は、昨年の自民党総裁選決選投票において、地方党員票で高市早苗に勝り二位から逆転勝利した。首相になり地方活性化をことある毎に強調していたが、何も成さぬまま1年で退任となった。振り返れば1970年代の田中角栄の「日本列島改造論」を始め、近いところでは1988年竹下内閣が市町村に1億円をばらまいた「ふるさと創生事業」、直近では2008年管総務相の発案で始まり現在も継続する「ふるさと納税」、どの政策も実質的な成果が出ているようには見えない。否、創生どころか地方消滅の方が現実味を帯びてきている。現役引退後全国を13年かけクルマで巡り感じたことも“消滅”への危惧である。本書を知ったのはフェースブックへの友人の投稿、“過疎ビジネス”なる刺激的なタイトルに惹かれて読んでみた。人もカネも事欠く地方自治体を、しゃぶり尽くすようなビジネスがそこにあるのだ!

本書は福島県国見町で起こった地方創生活動に関わる奇妙な事件を、東北地方紙として知られている河北新報が2年間にわたり取材・報道してきた記事をベースに新書としてまとめたもので、1988年生まれの著者はその主務者である。

事件の概要は以下のようなものである。私は知らなかったが、ふるさとの納税には、よく知られた個人向けのものの他に「企業版」がある。これには返礼品はないが、それに相当する、最大90%法人税が控除される特典が存在する。この節税策を享受すべく、東京に本社が在るDMMと言うIT関連企業が国見町(人口8千人、予算規模(令和7年度);自主財源(住民税等)22億円、依存財源(補助金等、大部分は国庫から)42億円)に45千万円を寄付する。仲介したのは福島に本社が在るワンテーブルなる防災食品メーカー、ここの社長は総務省の地方創生アドヴァイザーでもある。寄付実現数年前から国見町役場に食い込み、会社は「国見町官民連携共創プラットフォーム(KUPUCO)」の事務局も兼ねるよう工作する。そのアドヴァイザーとしての提案は、寄付45千万円で高規格救急車12台を購入し、必要な自治体・団体にリースし、収益を上げ併せて国見町の知名度を上げる(それによって人口減を食い止める)というものであった。国見町は人口減少で今や自前の消防署も持てず、広域消防に頼る実態なのに、何故か救急車である。この救急車を受注するのはDMM100%子会社ベリング社という企業だ。購入仕様書をまとめるのはKUPUCOの事務局、つまりワンテーブル。巧みに他社を落とす仕様にして、ベリングが受注する(事実上随意契約)。さらにリース会社JECCのトップは旧知の経産省OBDMMはこれで税金の控除を受けられるばかりで無く、高額(普通救急車の3倍)の救急車を売ることで、そこからも利益を上げられる。無論仲介者(と言うよりシナリオ・ライター)も手数料を稼げるわけだ。ワンテーブルとDMMは、これほどの規模(12台)ではないものの、他の地方自治体(宮城県亘理町、北海道余市、各1台)でも同様のことを行っている。

事件が表沙汰になり河北新報が一本取る決め手となるのが、ワンワールド社長が親しい友人と交わした、非力な地方自治体を手玉にとる自慢話の録音記録。町長以下町役場職員を素人となめきり、議会をバカ呼ばわりする。それが記事により知れ渡ることで、地方世論は沸騰。町長は選挙で落選、議会は役場行政牽制機能を取り戻す。企業版ふるさと納税は国税庁ではなく、内閣府地方創生事務局の所管。2024年国見町の「地域再生計画」の認定を取り消す。行き場を失った救急車は希望自治体に無償で供与されたようだ。

著者が本書で訴えたいのは河北新報や自分の手柄話ではない。地方創生はいつの時代も重要政治課題。しかし、国会・中央官庁は法律作りと予算確保までで、実行は地方自治体まかせ。厳しい経営環境に置かれた地方自治体にそれを扱える人材は居らず、コンサルタントに丸投げする。そこに多様な 地方創生をうたう過疎ビジネスがつけ込む余地を生み(事例多々あり)、膨大な税金がかすめ取られていく。本書の主眼はこれに警告を発し、「国を挙げて始まった地方創生の10年はいったい何だったのだろう」と新たな疑問を提示するところにある。

執念深く、可能な限り情報とその裏付けを求める取材プロセス・記者魂も読みどころだ。

 

6)日本列島はすごい

-桁違いのスケールで描く日本列島史。ブラタモリ新書版とも言える、地学入門書。天気予報の理解が深まること必定-

 


TVNHK定時のニュース・天気予報を除いて、23の番組しか視ない。その数少ない番組の一つが「ブラタモリ」である。ただ、最近は地方観光促進に傾斜し、見所・グルメ・史跡のてんこ盛り、スタート時の東京や近郊の地理・地誌・地形・地質重視から変じてしまい、当初ほどの興味は感じない。それでもタモリの地学に関する博識には、いつも感心させられる。とても中学校までの理科教育ではあの域に達しない。地学は高校理科教科の一つであり、大学受験科目にもあるが、多くの高校では物理・化学・生物の3教科が一般で、私が学んだ高校でも選択肢としてなかった。彼の地学知識が気になり、どこにその根源があるのか、チョット調べてみた。高校は福岡県立筑紫丘高校、極めて偏差値の高い高校で、地学が教科にあり地学部も存在することが分かった。残念ながら彼がそこに所属したか否かは突きとめられなかったが、近くに学び・触れる環境があったことは確かだ。本書はいわば“日本列島地学入門書”、ブラタモリ新書版である。もともとそれほど興味のある分野ではなかったから、この種の本は手許に皆無なのだが、ジム仲間がまわしてくれ、読んでみることになった。読後感は「こんなスケールで日本を見つめたことはなかった。勉強になったな~」である。

著者は1964年生まれ。茨城大学教育学部教授(理博)。専門は、地質学・鉱床学・地学教育。NHK高校講座で「地学」講師の経歴もある。

“こんなスケール”の代表は時間軸。地球誕生の46億年はともかく、日本列島がユーラシア大陸から分離開始するのが2500万年前、ほぼ現在の位置に達したのが1500万年前。縄文・彌生から始まり現代に至る日本史は長い帯の末端に引かれた一本の細い線に過ぎない。地域スケールも超広域だ。巨大なユーラシア大陸の東端であり、地球最大の海洋太平洋の西端に位置し、そこから現在の自然環境(土地/土壌・海流・気候/天候・植栽など)を語る。海流や風の動きは地球の自転によって生じるコリオリ-の力から始まり、ここから台風や北陸・東北地方の大雪がもたらされる過程を講ずる。ユーラシアプレートに乗る列島は東からは太平洋プレート、南からはフィリピンプレートに押されストレスがかかることで急峻な地形が形成され、地震や火山噴火が起こる。災難がある一方、気候は温暖、水は豊かで、列島は緑に覆われているのが日本列島だ。

列島の生い立ちや自然環境を解説したあと、重要資源を一覧する。先ず、海に囲まれ天日で製塩が出来たこと。表層土の生育過程が若い段階にあり、これに黄砂や火山灰の混入・堆積で、木々の成長が早く、農業の発展にもつながっていること。鉄鉱石の地層は存在せず、砂鉄を原料としたことから、高品質の鉄鋼製品(代表は日本刀)は生産したものの、量的には制約され、これが結果的に森林保護につながったこと(朝鮮半島から欧州まで、鉄鋼生産で膨大な森林が消失している)。また、山羊・羊は外来種、これを大量飼育しなかったことが緑の保全に寄与していること。金・銀の生産は中世~江戸時代にかけ世界でも傑出しており、遣隋使・遣唐使の費用は専ら金で賄われていたこと。近代に入るとエネルギーの大宗は石炭になるが、これも豊富に国内で生産できたこと、などを地学的見地と暮らしぶりを交えて列島を語っていく。

タイトルを、ただ礼賛するだけの“すばらしい”ではなく“すごいと”したのは、列島形成で生じたプラス面とマイナス面を考慮した結果であるが、明らかに他の土地と比べ、暮らしやすい希有な土地であるとは明らかだ。

ところで、本書導入部で高校における地学教育に触れている。それによれば、4単位の「地学」を開設している学校は8.8%、履修している生徒は高校生全体の約1%に過ぎないとある。多くの人に知見の少ない分野だけに、初期の「ブラタモリ」が新鮮に受け取られ、一定のファンを得ていたのかも知れない(私もその一人)。

 

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