ラベル 磐梯会津紅葉ドライブ の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 磐梯会津紅葉ドライブ の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2017年12月17日日曜日

磐梯・会津紅葉ドライブ-15(最終回)

  
14.旅を振り返る
200710月に今のクルマを入手して、今年6月の飛騨・加賀・越前・湖西ドライブで石川県を走り、沖縄県を除く全都道府県走破を完遂した。この102泊以上のドライブ行は、今回の裏磐梯を含めて14回になる。いずれも連泊はなく、最長は2016年春の九州ドライブで8泊(+船中泊1)、いかに走り中心だったかがこれで分かる。これからは少しゆっくりしよう、その初回が今度の旅である。
宿泊地の裏磐梯は東北道を直行すれば300km強。自動車専用道中心で4時間程度だから、ひたすら走る感じはしない。しかし、何度か利用している東北道もこの辺りまではさして変化がなく、“ドライブを楽しむ”点で面白味がない。そこで完走したことのない関越道で新潟まで行き、そこから阿賀野川を遡る一般道(国49号)を利用した。このコースだと550kmになるので、所期の目論見とことなり初日は“走り中心”になっていしまった。しかし、新潟までの感覚がつかめたし、国49号はワインディングとアップダウンを充分楽しめた。残念だったのは曇天で紅葉が今一映えなかったことである。
二日目のオリジナルプランはホテルを朝出て、西吾妻スカイバレーを白布峠を抜けて米沢に至り、ここを観光した後時計回りで磐梯吾妻スカイラインを走って、ホテルへ戻る案だった。しかし、両観光道路とも路面凍結で超えられず、急遽計画を変更、ホテルに近い諸橋近代美術館見学と五色沼散策に費やした。これは連泊したことの効用、これからの旅行に新たな視点を与えてくれた。ただ、問題はホテルを発つとき、道の不通情報がフロントにも達していなかったことである。
連泊でチョッと計画時心配したのはディナーの内容である。宿泊プランには一つのメニューしか記載されていなかったからである(これはどこのホテル、旅館も同じ)。当然ながらこれは杞憂であった。二晩ともフレンチ・ディナーだったが、まるで別物、失礼だが「鄙には稀な」と言っていい内容だった。
連泊の良さは設備利用の要領に慣れ、二日目は時間的にも気分的にもリラックスして過ごせることである。特に、近隣の散歩や温泉を楽しむにはもってこいである。これからは必ず一回は連泊したいと思うようになった。
このところ小規模ホテルを選ぶ傾向にあるが、時として景観に不満を覚えることがある。大きなホテルだと高層だったり立地が開けていたりで、見晴らしの良いところが多く、その点で今回やや不満が残った。でも、小ホテルは落ち着く。
今回の最重要目的は紅葉。花々や新緑、紅葉を楽しむには時期と天候が微妙に影響する。その点で計画検討時から苦慮した。ただ山岳ドライブを前提にすれば高度(海抜)がそれを補ってくれることがある。そのための白布峠であり磐梯吾妻スカイラインだったが、これは思うようにいかなかった。しかし、裏磐梯周辺(桧原湖を含む)や大内こぶしラインでそれを補うことが出来た。
この地域を拠点にすれば、栃木方面(尾瀬、那須など)、新潟方面(奥只見を含む)、山形方面(米沢、鶴岡、酒田など)、宮城方面(蔵王など)に足を延ばせるので、連泊ドライブにはもってこいである。こんどは峠道が通れるとき(桜、新緑)に再訪してみたい。
全走行距離;934km、燃料消費量;93.7ℓ、燃費;10.7km/ℓ;湾岸での超渋滞を考慮すれは11km/ℓは確実にオーバー。愛車は新車時と何ら変わらぬ性能を維持している。

長期にわたる閲覧に感謝いたします。

(写真はクリックすると拡大します)

-完-


2017年12月13日水曜日

磐梯・会津紅葉ドライブ-14


13.塔のへつりを観て
大内宿の観光を終えたのはほぼ2時、駐車場で次の目的地をセットする。立ち寄り場所は10kmほど南下した塔のへつりだが、最後の給油所はその先の会津下郷にあるので、そこをセットして210分頃出発する。下の駐車場は依然として満車、反対車線に45台並んでいる。しばらく進むと道が二手に分かれナビは右への道を選んでくる。大内こぶしラインと同じ県131号なのでこれで良さそうだと思った。しかし、クルマの数は極めて少ない。塔のへつりへの道は川に沿うはずなのだが、どんどん山道になり、しかも昇っていく。狭い道だが人の気配もクルマの往来も皆無、運転するには曲折とアップダウうで面白い。どうもあの分岐点で間違えたようだと気が付いたが、SSから戻ってもたいしたことはないと決めてそのまま進む。中山峠という所から下りに転じ、ぽつりぽつりと人家が現れる。下方が開けて家が立ち並ぶ所に入ると、道はさらに狭まり、まるで路地を抜けていくような様相を呈し、曲がりくねって先も見通せないところが続く。そこを何とか通り過ぎると、突然踏切に行き当たり、それを渡るとやっと広い道に出た。会津下郷駅近くの国121号(日光街道)である。この道を少し南下すると、目的のSSに着いた。入るとハイオクの給油口が見つからない!隅の方に独立して小さな給油設備があった。この辺りではあまり需要がないのだろう。到着時刻は240分、30分も走ったことになる。給油量は25.3ℓ、前回給油からの走行距離は204kmだから8.1km/ℓと著しく燃費が悪い。山岳路ばかりだったからであろう。
SSで塔のへつりまでの行き方や時間を確認すると「10分くらい戻るとシェルのSSがあるので、そこを右折して道なりに進めばいい」と教えてくれる。道は分かりやすく、案内のおじさんの指示に従い駐車場に入った。しかし、もっと奥にも広い駐車場が在り、かなり歩かされることになる。ただそこからの道筋もきれいに紅葉しており、まあ「引っかかった」との感じはなかった。
阿賀川(大川)の方へ下って行くと、土産物屋や飲食店のある広場に行き当たり、ここから川に沿う遊歩道が下っている。川の向こうは奇岩が並び、青い木々と紅葉のコントラストが美しい。遊歩道の突き当りに対岸に向けてつり橋がかかっている。これを渡り切ると50m位川に沿う道があるが、そこから先には進めない。奇岩と紅葉を楽しむためには、遊歩道側の高い位置の方が断然いいのだが、遅い午後の陽が西に傾き始め深い渓谷は刻々と暮れなずみ、いささか冷え冷えとしてきたので、早々にクルマに戻る。
それにしても“塔のへつり”とは一体何のことなのだろう?広場にその説明看板があった。へつりは“岪(山かんむりに弗)と書く。漢和辞典を引くと“険しい山道”あるいは“山々が幾重にも重なるさま”とある。往時の街道の様子や対岸に連なる奇岩からそう名付けられたようだ。いくつもの岩が塔のように見えるのは、長年の川に依る浸食と風化に依るらしい。国の天然記念物に指定されていることもあり、大内宿とセットになった観光名所となっている。3時半、これですべての見所をまわりあとは一路横浜を目指してひた走ることになる。
SSから来た道を戻り、途中で東へ向かう国289号を走って東北道白河ICに乗れば、あとは首都高→湾岸道を走り自宅近くの幸浦まで、自動車道だけで達することが出来る。首都高に入る前に蓮田SAで夕食を摂り、順調に湾岸道の大井まで来たところで、流れがおかしくなった。帰宅してTVで知ることになるが、午後遅く鶴見のつばさ橋付近で中古の救急車(輸出用;横浜港へ回送中)が炎上した影響がはるか先までおよんでいたのである。蓮田を出たのは7時頃だったが自宅到着は9時半。1時間くらい余計かかってしまった。本日の走行距離;382km

(写真はクリックすると拡大します)


(次回:総括;最終回)

2017年12月11日月曜日

磐梯・会津紅葉ドライブ-13


12.大内宿
古い建物が景観保存されている宿場で訪れた所は、長野県の馬篭宿、妻籠宿などがある。宿場ではないが同じような趣きの場所は、富山の五箇山、岐阜の白川郷などを巡っている。これらと比べると、宿場とは言いながら、山村集落であった五箇山や白川郷に近い雰囲気だ。共通なのは茅葺屋根である。違いは500m近い直線道路の両側にそれが整然と並んでいることである。言わば裏口の北側から見下ろす感じでこの集落に入ったから、寄棟の大屋根が連なる光景はなかなかのものである。無論電柱など全くないし、道路とそれに並行する水路も土と石積みだけ、人出の多さを除けば、遠目に見れば、近代と隔絶した世界に迷い込んだ感に浸れる。その人出も、馬篭宿などに比べると道幅が広いため、歩いてみると混雑がそれほど気にならない。
先ず北から南へ下ってみることにする。道路の断面は、家-3m位の歩道-50cm位の排水溝-5m位の中央道路-排水溝-歩道-家となる。排水溝の上には所々踏み板や小さな橋が渡してある。家と歩道の間には縁台や土産物の陳列棚などが張り出しているところもあるのでチョッと歩きづらいが、中央道路は広くて人とぶつかるようなことはない。この造りは概ね昔もこうだったのであろう。電柱などは先ほどクルマで下まで降りた道沿いにあり、集落の中は地下埋設になっているようだ。これで人がもう少し少なく、和服を着てちょん髷を結っていれば時代劇の世界である。
問題は、個々の建物の生業である。もともと会津若松と今市を結ぶ会津西街道(下野街道)の宿場だったわけだから、多くは旅籠か食事処、さらには陣屋など在ったのではなかろうか?その後参勤交代の経路が変わり、専ら商品流通路に転じて、宿中心から半農半宿に転じた歴史があるらしい。せめて表だけでもそんな雰囲気が一部にでも残っていてくれたらいいのだが、一軒だけ歴史記念館があるだけで、あとは土産物屋と飲食店ばかりである。どこの店も同じようなものを扱い、飲食店のほとんどは蕎麦屋である。実はイタリアでもフランスでもスペインでも、地方色を残す観光地の状況は大差ないのだが、もう少し一軒一軒に個性を感じられる店だった。外国人の観光客も随分見かけたし、最近は人気の観光スポットとして知名度を上げてきているだけに、何かもう一工夫欲しい。
そうは言っても、この地がここまで来るまでには厳しい歴史があったようで、こんな辺鄙で不自由な場所にこれだけ人を呼べるようになったことは大いに評価したい。主要街道の地位を失ったのは明治初期、西街道そのものが山系ひとつ東側の阿賀川沿いに移り、鉄道もそれにほぼ並行する形で敷設される。平地はほとんどないこの地でどんな農業を営んでいたのか不明だが、昭和40年代に街道や村落調査で注目されるようになり、次第に知られるようになっていく。先ず、昭和45年(1970年)のNHK大河ドラマ「樅の木は残った」。加えて大内ダム建設による補償金や現金収入。次第に、景観保存に投資が可能になっていったようだ。それでも1985年の観光客は2万程度。1992年第一回「美しい日本のむら」コンテストで農林水産大臣賞受賞。東日本震災前にはそれが120万になる。しかし、福島原発から100km以上離れているのに、事故の影響を受け60万人弱に急減、今は年々回復過程にあり80万人をこえるところまできている。
代わり映えしない一軒の蕎麦屋で“ねぎ蕎麦”の昼食を摂った。一本のねぎを手で持ちそれでそばすくいながら、そのねぎも一緒に食べるのだ。山菜そばを注文した家内から「帰りの車中はねぎの臭いでやりきれなかった」と帰宅後苦情を言われた。
あとでこの地をあらためて調べたところ、なんとあのイザベラ・バード(「日本奥地紀行」著者」が1878年ここの美濃屋と言う旅館に泊まっていることを知った。そんな蕎麦屋が在ったような気がする。
今日(1211日)の写真をチェックしたところ、道路も家も雪で覆われていた。これからがここの見ごろである。

(写真はクリックすると拡大します)


(次回:塔のへつりを観て)

2017年12月9日土曜日

磐梯・会津紅葉ドライブ-12


11.大内宿へ
旅行の見所として、歴史のある街並みは我が国に限らず、欧州、そして歴史の浅い米国にもある。城下町、門前町、市場町そして宿場町。今回の大内宿もその一つ、随分以前から写真(特に雪に埋もれ深閑とした)などで見ており、2012年奥只見から樹海ラインを走ったとき、立ち寄りたいと思ったが、時間に余裕がなく端折ったいきさつがある。今回はここを紅葉観賞と並んで、観光のメインに据えた。
ナビで観光案内所の電話番号をセットすると、何故か会津鉄道に沿って南下する国118号(下野街道→日光街道)を先ず選んできた。これだと大内宿へは直行せず、一旦南へ下ってJターンすることになる。計画していたのは“大内宿こぶしライン”と呼ばれる県131号である。次候補を何度か試してやっと所期のルートが見つかる。会津若松市内通過がやや面倒なためこうなるらしい。
鶴ヶ城出発は1150分、確かに広域農道のような所を走らされたから、この地方の主要道の一つである日光街道の方がお薦めなのかもしれない。しかし、こちらの第一希望は地方の峠道、広域農道風の突き当りT字路に“大内宿こぶしライン”の大きな立て看板が現れ、そこへ踏み込むと上りの九十九折れになり、前後に全くクルマはいない。路面もやや荒れてきて、通行量の少ないことがうかがわれる。しかし、道幅はそこそこあり、走るのに難渋することはないので理想的な山岳ドライブを楽しむ。高度が高まるにつけて木々は美しく紅葉し、明るい陽射しがそれを際立たせる。谷を挟んだ向かい側の色模様も素晴らしい。時々駐車スペースを見つけては、写真を撮る。
やがてこの道筋最高峰1019mの六石山で大内峠を越える。相変わらず、行き交うクルマはほとんどない。すると前方右手が急に開け、広い湖面が見えてきた。湖畔の道をしばらく進むと広い駐車場があり、そこに案内図が掲げてある。読んでみると、Jパワー(電源開発)の大内ダム建設で出来上が
った人工湖であることが分かった。
ここからしばらく下って行くと、大内宿が近いことを示す案内板があり、右側に未舗装の広場と一見古い民家風の蕎麦屋が在る所へ出た。しかし、駐車しているクルマは45台、人もほとんど見かけない。下調べでは宿場の南端に公営の駐車場が在ることになっていた。どうもそれではなさそうだ。蕎麦屋の駐車場だと困る。一旦停止してさらに南へ向けて進んでいくと、にわかに人の往来が激しくなる。どうやらこの先に観光拠点がありそうだ。読みは正しかった。何とガードマンが出て、周辺の交通整理・誘導をしている。その前で停止すると、先へ進めて指示する。駐車場に入りたいのだと手で意思表示すると、誘導灯と手を交差させて満車であることを示す。平日でもこんな状態とは想像もしていなかった。やむなく来た道を戻り、先ほどの未舗装駐車場に戻り、そこに止めて様子を見ると、どうも蕎麦屋専用ではなく、ここから宿場の北端に通じる近道があることが分かる。下の賑わっていた所は宿場の南端だから、それほど観光に不便な場所でないのでホッとする。到着時刻1時。
駐車場の裏手からあまり整備の進んでいない道を進んでいくと、突然大内宿の一番高い位置に行き着き、はるか下方が見渡せ、道に溢れる人々に先ず圧倒される。こんなところによくこれだけの人が集まってきたもんだ!

(写真はクリックすると拡大します)


(次回:大内宿)

2017年12月3日日曜日

磐梯・会津紅葉ドライブ-11


10.磐梯山ゴールドラインと鶴ヶ城
112日(木)薄曇り、最終日だ。昨日の白布峠と磐梯吾妻スカイライン通行止めで、大幅に予定変更、五色沼散策でたっぷり時間を取れたので、今日のスケジュールにかなり余裕が出来てきた。オリジナルプランだと端折ることも考えた鶴ヶ城立ち寄りが充分可能になったのだ。ホテル出発は945分、昨日と異なり霧は出ていないが、日の光は弱く薄曇りと言っていい天気だ。
先ず、何度も通った国459号を北へ走り、磐梯山を左手に見ながら反時計方向に西向け回り込んで、五色沼散策路の終点、磐梯高原駅に至る。しばらく進むとゴールドライン(県64号)の分岐点に達し、ここで国459と別れ、相変わらず磐梯山を左にして上りのワインディング道路を進んでいく。この道は完全な観光道路、この時刻ほとんど行き交うクルマはいない。運転は楽しいが、一週間ほど前の友人の報告で「今が盛り」とあった通り、道沿いの木々は紅葉の盛りを過ぎ、黄色の落葉で道が敷き詰められているようなところもある。登山者の拠点となる八方台付近ではそれらしき人々を認めるが、さほど景観には優れていないので、そのまま進んでいく。
滑滝と銘板がある所に駐車スペースを見つける。真横(東側)に磐梯山が聳え立ち、下方の麓に一筋の滝が落ちている。天気のせいで紅葉が黒ずんでしまっているのが残念だ。小休止してナビにセットした山湖台に向かう。そこには駐車場があり、周辺の展望案内看板が四囲の風景を説明している。南に広がる湖と平野は、猪苗代湖と会津盆地。遠くまで視界は開け明るくなってきているものの、太陽の光はまだ差してこない。ここでナビに鶴ヶ城をセットする。
この辺りから道は下りに転じ、少しずつ人家が現れてくる。下り終わると県7号に突き当り、会津若松市の外縁に達する。この辺りからやっと青空が現れる。ナビの案内を頼りに、市街地に向けて地方道を走り、中心部に入っていくと県立博物館が現れ、その隣に市営の広い駐車場があった。到着時刻は11時丁度。
外堀に向かう小道をしばらく進むと堀にかかる廊下橋があり、カメラマンとそのスタッフが若い二人の結婚記念写真を撮っていた。明るい陽射し、赤い欄干、紅葉、良い記念写真が出来上がるだろう。
橋を渡り、石垣に沿ってかつての表門跡に達すると、そこは本丸跡や天守閣や由緒ある茶室鱗閣などが在る広場になっており、大勢の観光客が、個人で、カップルで、団体で、三々五々動き回っている。この城は築城から600年以上経つものの、天守閣は昭和40年再興されたものだから、歴史的価値はほとんどない。それを承知していたので、内部を見学することはパスして、千利休と蒲生氏郷の関係を残す茶室鱗閣のみ訪れてみた。庭の紅葉が見事、外国人が緋毛氈を敷いた縁台でお点前を楽しんでおり、インバウンドブームが地方におよんでいることを実感した。
茶室を観た後、天守閣を中心に時計方向に、鉄門、太鼓門と廻り、振り出しの廊下橋に戻った。時刻は1150分。昼食は大内宿で摂ることにして、城を跡にした。

(写真はクリックすると拡大します)


(次回:大内宿へ)

2017年11月29日水曜日

磐梯・会津紅葉ドライブ-10


9.五色沼を歩く
五色沼(正式には裏磐梯)ビジターセンターの駐車場はクルマで走れば、美術館の斜め前と言った感じ。ここに駐車して早速周辺観光情報を得る。いろいろなトレッキングコース(トレッキングマップには23種)あるが、“五色沼自然探勝路”が最もポピュラーで初心者向け、特別の装備なしで歩けるとのこと(ホテルには長靴が用意されていたが)。全長約4km、所要時間は普通の人で片道約1時間半、これなら年寄りでも2時間程度で何とかなりそうだ。時刻は丁度12時、少し先に在るレストハウスで昼食を摂ることにする。ここの駐車場は観光バス、自家用車でいっぱいだったが、レストランでは何とか席を確保でき、新そばの天ざるを賞味した。
12時半頃散策スタート、先ずは一番近い毘沙門沼、ここは一番大きい沼で紅葉も美しく、ボートもあり、駐車場に近いこともあって、観光客でごった返している。しかし、散策路へ少し踏み入ると、一気に人が減る。つまり、ほとんどの人は毘沙門沼周辺を観るだけで、散策路を巡る人は限られているのだ。思い返してみれば、40数年前子供たちを連れてここに来たとき、我々も同じように一ヶ所しか沼を観ていない。そこがここだったのだ。
若い人やトレッキングスタイルの人達に時々追い越されながら西へ向かう、次は赤沼だが今日は赤くない。天気が曇りだからだろうか?それとも苔の影響だと言うからシーズンでないと言うことなんだろうか?色は楽しめないが、毘沙門沼の喧騒を離れた静かな環境に心が和む。湿り気のやや多いアップダウンする道をさらに先へと進む。次は深泥(みどろ)沼、これは散策路から少し離れており、静かな水面が北に臨めるだけだ。時々反対方向からくる二人連れや小グループと行き交う。紅葉は近くに遠くに真っ盛りだが、曇り空の下でやや鈍色を帯びている。これはこれで決して悪くない。ただ写真写りが冴えないのが残念だ。ここまで約1時間、大体道のりの半ばである。
四つ目の沼は竜沼、ここの休憩所(ベンチ)で一休みした後、向きを南に転じたコースをやや下っていくと独特の青色をした沼に出た。「これが青沼だ」と思ったのだが、トレッキングマップで確かめてみると、二つ手前の弁天沼だった。ここから上りに転じ、足場が悪い傾斜路の先に木組みの展望スペースが現れた。昇ってみると、南に磐梯山を望んでその手前に瑠璃沼が開けている。名前通りなら紫色に見えなければいけないが、曇天のためか、透明度は高いが黒っぽい湖面だった。鏡のような水面に磐梯山が写る。明るい光があれば、さぞ美しい景観だろう。ここから少し下るといよいよ青沼、西側の起点から近いこともあるからだろう、かなり人が居る。水の色は先ほど間違えた弁天沼同様、はっきり青みを帯びているが、こちらの方はより乳白感がする色合いだ。ここから道は上りになり、最後の柳沼に達する。道路やレストハウスに近く、さらに人が増えてくる。
磐梯高原(バス)駅到着時刻は2時半過ぎ、ビジターセンター方向に向かうバスは316分発だからかなり時間がある。レストハウスで一休み。下に見える柳沼の写真を採ったり、コーヒーを飲んで時間をつぶす。バスは時間通りにやってきてビジターセンター着は10分後、ここからホテルへは指呼の間、3時半には戻っていた。
赤・青・瑠璃は分かった。弁天沼も青だったが確かに青沼とは色調が違った。これで四色、もう一つは何色なんだろう?水面に映る緑か?疑問は今も解けていない。
少々疲れたが、走り回るだけの旅とはまるで異なる時間はそれなりに楽しかった。これからもこんなプログラムを組み込むのも悪くない。

(写真はクリックすると拡大します)


(次回:磐梯山ゴールドラインと鶴ヶ城)

2017年11月26日日曜日

磐梯・会津紅葉ドライブ-9


8.諸橋近代美術館
白布峠越えはドライブの楽しみと言う点で今回最大の目玉だった。ただ5年前に一度往き帰りと走っていたことで、何とか諦めることが出来た。実は、昨晩から気がかりになっていたこともそれを後押しした。峠越えをし、米沢の歴史スポットを巡り、さらに磐梯吾妻スカイラインを廻ると、美術館をゆっくり鑑賞する時間が確保できるだろうか?さらに、家内が「五色沼散策コースを端から端まで歩いてみたい」と言い出していたのだがこれをどう実現するか?三日目は最終日、会津若松観光と大内宿・塔のへつりと決めていたので、どこかを端折る必要があると悩んでいたのである。しかし、幸か不幸か、白布峠も磐梯吾妻スカイラインもダメと言うことで、一気にこの悩みは解決した。これから(10時過ぎ)諸橋近代美術館を観た後、昼食を五色沼の東端に在るビジターセンター近くで摂り、そこから散策路の西の外れまで歩き、路線バスでビジターセンターに戻ることで、最終日の予定を崩すことなく、ほぼ計画通り過ごすことが出来るのだ。
旅先でチョッとした郷土歴史館や物産館のような施設に立ち寄ることはしばしばあるのだが、本格的な美術館や博物館を訪れたのは、昨年春九州まで単独行をした時安来市の足立美術館で数々の日本画を接したこと以外皆無だった。滞在型の新しいドライブ旅行の始まりとして何か面白い案はないか、と名所旧跡を探っていた際見つけたのがこの諸橋近代美術館である。会津若松辺りの資産家が道楽で集めたそれなりの絵を展示しているところだろかとさらに調べてみると、そこが世界でも有数のスペイン画家ダリに特化した美術館であることが分かった。ダリの名前と作品を知ったのは、多分中学校の美術の教科書だったように思う。あの“柔らかい時計”である。「どうしてこんな発想が沸いてくるんだろう?」と強烈な印象が残った。爾来、スペイン旅行はしたものの、ダリの作品に触れる機会はなかったので、ホテルから近いことを知って、今回是非その作品群を間近に目にしたいと思った。
2車線の国道459号を南から北に上っていくと美術館へ右折する専用レ-ンが現れる。それほどここへやってくる車が多いからだろう。芝生、紅葉、広い池、その向こうに在るユニークな形の城のような洋館、駐車場は入り口近くと西側の小高い丘の上の二カ所に在る。広い丘の方の駐車場に止めて本館に向かう。平日の開館直後(9時半)と言うこともあり、吹き抜けの広いロビーは閑散としている。ここで入場料(950円)を払い、無料の音声ガイドを借りて各部屋を廻る。
建物は東西に長く、北側は窓のない部屋が四つつながり、絵画の展示場だ。南側は天井の高い大広間で、大小さまざまな彫刻が置かれている。保有作品(絵画、版画、彫刻)の数は約330点(この他にシュールレアリズム作家の作品が約60点)、これは米ダリ美術館(フロリダ)、スペイン・フィゲラス美術館(バルセロナ近郊)に次ぐ規模とガイドブックに書かれている。当然、全作品を展示できるわけはなく、適宜入れ替えが行われる。我々がここを訪れた時は、4室の内2室は挿絵・版画展に使われており、「カルメン」と「トン・キホーテ」をテーマとした版画が40点ほど、「ダンテの『神曲』」を題材にしたものが約30点であった。他の2室は油絵やリトグラフで戦後の作品が多く、構図や色調が少年時代に脳裏に刻まれた“柔らかい時計”に通ずる雰囲気を醸し出していた。
大広間の彫刻は約30点、ほとんどがブロンズ製、絵画に劣らずユニークなもので、題名との関係をしばし考え込んでしまう。この謎解きもダリ鑑賞の一部かも知れない。理性を離れ潜在意識の中に在る夢や幻想を表現と言うシュールレアリズムが、この歳になると何となく理解できる。日ごろあまり考えない世界に浸れた時間は思わぬ拾いものであった。
なお、この美術館作った諸橋廷蔵氏は福島県郡山市出身で東証一部上場のセビオ株式会社(スポーツ用品小売業)の創業者、2003年に没している。

(写真はクリックすると拡大します)


(次回:五色沼を歩く)