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2024年7月9日火曜日

五島列島観光(Five islands Archipelago in Nagasaki)-14

 

14.旅を振り返る(Summings-up of the tour


長崎市内は20142泊してめぼしい見所は廻ったが空港とは無縁。それがどこにあるのか全く知らなかった。バスは港を16時半出発、前回訪問時記憶にあるトンネルを前にした長崎ICを入ると薄暗がりの長崎自動車道を1時間弱疾走、降りたのは大村IC、市内を西に向かい、関空同様の長い連絡橋の先にある人工島に到着、ここが長崎空港だった。


ANA670便の出発時刻は1920分、搭乗開始時刻は19時、それまでは自由時間だ。つまり夕食はツアーに含まれていないので各自随意にということ。幸いカードが使えたのでラウンジを利用、ミネストローネ・缶ビール・げそ天・パンで軽く済ませる。便の使用機は往路同様B-787、座席は34Aで左窓側、定刻にゲートを離れ、大阪湾・伊勢湾・東京湾を形取る光を暗闇の中で確かめ楽しむ。羽田ゲ-ト到着予定時刻は2115分、2分前の2113分に着地したがそれから時間がかかり、これで予定が狂ってしまう。直ぐにゲートを出られれば2137分羽田第2ターミナル発逗子・葉山行き京浜急行エアポート急行で金沢文庫駅到着2224分、休日の最終バス(2235分)に間に合うはずだったがそれは不可、タクシー帰宅となり最後に今回の旅唯一想定外が生じてしまった。


今回の旅の最大の眼目は“島”にある。過去訪れた島は、佐渡、大島、淡路島の3島、佐渡は中学生の時だし、大島・淡路は会社のレクリエーションだったから、船は記憶に残っても“島”を意識した観光ではなかった。多くの島を持つ日本、それぞれに地理・景観、歴史・文化、産物・産業に特色や課題があるはずだ。少しでもそんな視点で観光してみよう。これがツアー参加の目的だった。


景観;2000万年前大陸から切り離された低地、そこに火山の噴火があってできた島々。海岸線の複雑さや小島とそれらを挟む瀬戸の多さが特徴。島の中央部は福江島の鬼岳を除けば、土地の佇まいは本土の地方と変わらぬが、植生は明らかに異なり南国風。

産業;複雑な海岸線や小島で成る地形は、随所に優れた自然の船溜まりを形成・育み、現在も漁業や水産加工業が主要産業となっている。水田や川を見かけず、サツマイモの加工品が特産品になっていることから、農業には厳しい土地と推察する。名物のうどんの原料は何処産なのだろう?いずれにしても観光業振興は欠かせぬ産業政策だろう。


歴史;観光では、専ら隠れキリシタン・潜伏キリシタン関連が主体だったが、複雑な島々や入り江は古来から風待ち潮待ちの船溜まり、あるいは暴風雨避難の適所、中国本土や朝鮮半島、さらには南方との関係が深かった歴史も見逃せない。

注;隠れと潜伏の違い;隠れは、仏教徒を装いながら密かにキリスト教を信仰、禁教が解けてもカトリックに戻らず独自の信仰形態を維持した教徒。潜伏は、禁教期間中、厳しい弾圧下カトリック信仰を続けた人々。一般的認知度は前者、学術的には後者が使用される傾向にある。

残る旅の関心事は二つ;第一は海の幸を食すること。3泊目の民宿えび屋で供された夕食はその点で期待以上だった。それに比べると2泊した福江島コンカナ王国は和洋折衷、2回の差も感じないようなメニュー構成。いっそのことイタリアンかスパニッシュのシーフード料理がリゾートホテルの経営形態に相応しいのでなないか、こんな思いが残った。

食に次ぐ第二は乗物。双発プロペラ機、ジェットフォイル船、ジェット噴流高速船、いずれも滅多に体験できぬ乗物だけに、大いに楽しんだ。

総括で欠かせぬのが費用、総額21万円、この出費は同じ旅行社(クラブツーリズム)が提供する“ベトナムの旅7日間”や“ベトナムとカンボジャ5日間”とほぼ同額、海外はチョッと辛くなった高齢者はともかく、普通の体力と時間があれば後者を選ぶのではなかろうか?

本報をもって“五島列島観光”報告を終わります。ご覧いただいた方々に感謝いたします。ありがとうございました。

 

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2024年7月6日土曜日

五島列島観光(Five islands Archipelago in Nagasaki)-13

 

13.長崎港へ(To Port Nagasaki


五島列島観光帰路は、有川港から長崎港へ海路で至り、そこからバスで長崎空港に移動、長崎空港から羽田に飛んで解散となっている。1420分定刻九州商船シープリンセスはもやいを解いた。私の席は9A、前部左舷の窓側だ。福江港から奈良尾港への航海と違い乗船率は半分以下、隣も前後席も空席だった。旅程表には高速船とあったが、水中翼船ではなく、水を前部からポンプで吸い込み後部へジェット噴射するウォータジェット推進方式である。


シープリンセスの仕様は以下の通り;全長34m、全幅6.3m、総トン数123t、航海速度30ノット、旅客定員140人。ドイツMTU社のV12気筒エンジンを搭載、三菱重工下関造船所で2012年に建造された船だ。


有川港の東側は細く長く延びる半島がありその先端は昨日訪れた頭が島に橋でつながっている。この橋の下は友住瀬戸と呼ばれ、橋の上から早瀬のような流れがはっきり見える。定刻有川港を出た船はこの瀬戸の中を東に向かって抜けていく。噴射推進なのでこんな浅いところを進むことが可能なのだ。フェリーなどは頭ヶ島の北側を廻るようだが、このショートカットでかなり時間を短縮できる。


瀬戸を抜けしばらくは穏やかに進んでいた船が速度を上げ始めると、一昨日のジェットフォイルに比べ速度で10ノット遅いにもかかわらず、波に突き上げられ振動が激しくなるとスピード感はその比ではない。シートベルト必着だ。沖へ出ると波頭も白くなり、突進する船の前方は水しぶきで視界が効かないほど。ドーン、ドドーンと上下左右に衝撃が加わり、乗り物酔いしない者には痛快この上ない。ときに内航貨物船や客船と行き交うが、同行船はアッと言う間に追い越してしまう。こんな状態が長崎港入口まで1時間弱。


長崎には10年前、熊本地震直前にクルマで来ており、その時はグラバー邸のある丘の上から港の全景を見渡したが、船は今回が初めて。両岸の丘がやけに高く感じる。船溜まりとしては絶好の場所、ここに早くから外国船が寄港・逗留したことがうなずける。北岸は三菱重工の造船所、何隻ものステルスタイプ護衛艦が係留されている。艦名・番号は曇天・夕刻もあり手前の艦の6がかすかに識別できるていど。艦名は消去、番号も低視認化されているのだろう。


近隣諸島航路の船が付くのは湾の深奥部、観光用の帆船が隣に係船されていた。1610分下船、ほぼ定刻通りの到着だ(時刻表には1603と記載)。ターミナルビルの広さ・人の多さは地方空港をはるかに上回る。

 

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2024年7月4日木曜日

五島列島観光(Five islands Archipelago in Nagasaki)-12

 

12.中通島観光(Sightseeing of Nakadohri -jima)-3


68日(土)前夜の天気予報は雲に傘マーク、朝起きると予報通りどんよりした空模様。心配は帰路の船旅、14時頃有川港を発つ船で長崎港へ向かうからだ。欠航となれば延泊の費用は自己負担。


朝食を済ませ9時民宿前を出発、先ず向かったのは前日渡った中通島と若松島を結ぶ若松大橋。この橋は1991年に完成したのだが、それまでに13年を要している。その理由は、地形・自然環境もあるが財政的な問題が大きかったらしい。この辺りで雨が本降りになってくる。


バスは橋隣接の公園でしばらく停車した後、島を反時計方向にまわり東岸を北上、9時半頃に若松瀬戸から立ち上がる丘の上に在る桐教会の駐車場に停車、この教会の見学をする。白の壁に赤い屋根、かわいい教会だが格別な印象はない。


それよりも惹きつけられたのは教会前の高台から見下ろす若松瀬戸の透明度とその青さである。複雑な地形と相俟って、その美しさはえもいえない。写真撮影に困ったのは電線、どんなアングルからも除けなかった。除去する技術の無いものにとって、日本の風景写真最大の障害は電線であることをここで痛感させられた。夏にきて泳いだら何と素晴らしいことかと思ったら、ガイドさん曰く「若松瀬戸の流れは複雑で、ここは遊泳禁止です」とのこと。




バスはここから若松大橋を経て中通島にもどり、五島列島幹線道路国道
384号線を北上、これは昨日通ったルートだ。1040分中ノ浦教会に到着。静かな入り江に面した教会で、入江が満ち鏡のような水面にそれが写る風景が売りらしいが、今は潮が引いており、空も曇天で、残念ながら写真になるような景観ではなかった。


1110分教会を発ち、青方の手前で西方を見ると、白い大きなブロックが島影を背にいくつも連なっている。ガイドの説明によれば上五島国家備蓄基地とのこと、通常は地上設置のタンクか地下備蓄だが、ここでは浮上タンクによる洋上備蓄なのだ。義務付けられている検査はどのように行われるのだろう。真っ先に浮かんだ疑問だが、現時点でそれは不明のままだ。


青方を経て有川港に近い蛤浜(はまぐりはま)に向かい、この浜に在る海の家?「はまぐりデッキ」で昼食を摂る。メインは「地元産の手作りすり身バーガー」。これはチョッと変わった嗜好で、それなりに満足した。

蛤浜も福江島の高浜同様、広大な砂浜が広がり、海水浴場として最適だが、ここまでどこからどのくらい海水浴客が集まるんだろう?そんな世知辛いことを思わず考えてしまった。


昼食の後は有川港に隣接した「五島うどんの里」、各種特産品を販売する建屋とレストランが別棟になっており、その中間にはテントで覆われた中庭がある。ここでガイドさんお薦めのつゆ付きの五島うどんをお土産に購入した。これで五島観光は終わり。雨もやみ風も治まって、どうやら予定通り船は出るようだ。

 

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2024年7月2日火曜日

五島列島観光(Five islands Archipelago in Nagasaki)-11


11.民宿えび屋(Private inn Ebiya


申込み前に見た、この旅行紹介パンフレットに、3泊目は「民宿えび屋またはそれ相当」とあり、“民宿”に表記に大手旅行社の用意する宿泊先として、いささか違和感を覚えた。現役時代の職場レクリエーションや海の家ならともかく、それなりの参加費でおまけに1人部屋加算料金を払って一体どんな所に泊ることになるのだろう。一週間前に送られてきた旅程表にも、「洋室または和室※バス・トイレ無し」と注記がある。心配になりこの宿泊先をネットで調べると、小ぎれいなシングルベッドの洋室があることが分かり「多分こんな部屋だろう」と一先ず安堵した。


“民宿”が在ったのは、漁港を前に道路を挟んだ所、横長の大衆旅館といった佇まい。玄関を入ると右に畳の大広間、左は土間でその先は炊事場、帳場はその一画で直ぐにはそれと分からぬ簡単なもの。確かに旅館よりは民宿が相応しい。何度か改築・拡張したらしく二階の自室まで案内が必要だった。部屋は期待通り洋室シングル、漁港側で前が開け気持ちが良い。トイレ・洗面は共用だがいずれも新しく清潔、数も十分ある。一階の風呂場も56人は入れる広さ(ただし朝はシャワーのみ)、旅行社が選ぶだけの設備を備えている。


部屋に在ったこの民宿紹介の小冊子によると、もともとはこの地の網元、1970年代初期に民宿を始め、今日に至ったとある。割烹料理店を兼ねており、その名物は伊勢海老料理、屋号はそこからきているのだ。女将さんは中年女性、先代の転業あるいは兼業といったところだろうか。島の主要産業は漁業のだが、拡張を繰り返しているところをみると、先見の明があったわけだ。


手早く風呂を済ませ、1815分から夕食。場所は玄関横の大広間だが、ここも四角ではなくクランク型に奥に延びている。私たち一人組の席は炊事場に近い場所、サービスの段取りがいい最高の位置だ。


旅程表に書かれた夕食キャッチコピーには、「五島近海の海の幸満載「会席大漁旗膳」」とあり、その通り“五島牛すきやき”を除けば、すべて地産魚介類。調味料はだし醤油・お刺身醤油・ゆずポン酢などが揃い、メニューの裏に使用法が書かれる親切、どれも美味しくいただいた。しかし、問題はその量。昼食の五島うどんと海鮮丼は優に二食分、すべてを片付けることは出来なかったのは残念!


翌朝、朝食前に付近を散策してみた。民宿の位置は深い入江の最奥部、東へ向かうと複雑な形で外海につながっている。それはそれでなかなかの景観だ。朝食は無論海産物ばかり、“民宿えび屋”を満喫した。

 

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2024年6月29日土曜日

五島列島観光(Five islands Archipelago in Nagasaki)-10

 

10.中通島観光(Sightseeing of Nakadohri -jima)-2


青砂ヶ浦天主堂を出たのは1255分、20分後に有川港近くのスーパー駐車場に停車。有川港は長崎港への連絡船もあるかなりよく整備された港湾だ。付近は商店や土産物店、飲食店が並び、中通島で見てきた街の中では最も街らしい街といえる。


案内されたのは、駐車場から道路一つ隔てた “扇寿”と言う名の和風レストラン。1階広間にすでに食事が用意されていた。事前にもらった案内に昼食は[五島地獄炊きうどんと海鮮丼]とある。“地獄炊きうどん”は一人用コンロの上に置かれた煮えたぎる鍋の中で素うどんが踊っている。これを歯ブラシ状の櫛(?)ですくい、薄味のつゆに浸して食するもの。原料には島名産の食用椿油や天然塩が使われており、適度な歯ごたえと併せて優れた食感だ。これだけで昼食としては充分なのだが、これに海鮮丼が加わる。女性客や男性客の一部はこれにほとんど手を付けない人もいたが、朝食が軽めで昼食時間が遅かったこともあり、全部を平らげてしまい、夕食時そのつけが回ってくることになる。


食事後少々時間があり、スーパーに入ってみた。全体としては地域のショッピングセンターだが、土産物コーナーがある。今食したばかりのうどんや塩、酒、椿油、菓子類など名物が取り揃えられているが、ほとんどが先ほど訪ねた矢堅目の駅同様、島外で作られたものばかり。数少ない島内産サツマイモ原料のかりんとうを求めるに留めた。


1415分に駐車場を発ち、午後一番の観光は有川地区から30分ほど北東に在る頭ヶ島。この島は現在アーチ状の頭ヶ島大橋で中通島とつながっているが、もともとは別の島である。1981年この島の頂部を削り上五島空港(現在閉鎖)が出来た時、併せて建設された橋だ。両側は開けた海だがこの部分は瀬戸で、早い流れが橋の上から目視できる。


この島の訪問目的は頭ヶ島天主堂見学。砂岩造りの重厚なそれは国の重要文化財であり世界遺産にも登録されている。入口に賽銭箱が置かれ“奉納”と記されている。今在る建物は1910年に出来たもの。キリスト教禁制時代は寺と変わらぬ建屋で難を逃れようとした名残りの一つがこの賽銭箱らしい。


この日最後の観光スポットは、頭ヶ島から10分ほど南へ下った海岸縁に在る“祈りの龍馬像”、ツアー案内に示されてはいたが、「何故こんな所に?」と疑問を持っていた。バスガイドの説明で分かったことは、龍馬が長崎滞在中訓練用の船ワイル・ウェフ号を購入、海援隊同志たちがこの島の南方で訓練航海中暴風雨に遭い難破、12名が犠牲になったことを悼むために後年建てられたものとのこと。龍馬がこの島へ出向き、この像のように手を合わせたわけではない。つまり、観光用である。

ここを16時に出発、来た道を戻り、有川・青方経て島の西岸を南下、狭い瀬戸にかけられた若松大橋を渡って、五島の一つ若松島に入る。入江の奥に在る今日の宿泊先「民宿えび屋」到着は17時だった。

 

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2024年6月26日水曜日

五島列島観光(Five islands Archipelago in Nagasaki)-9

 

9.中通島観光(Sightseeing of Nakadohri -jima)-1


前日まで滞在した福江島は行政区域としては久賀島・奈留島を含め五島市。今日渡って来た中通島は若松島や周辺の小島を含め新上五島町となる。南北に長い島で人口は19千人弱、到着した奈良尾港はその南端にある。島内観光は福江島同様中型バス、バスガイドはNSZさんという中年女性、次第に分かってくることだが、島育ちのベテランガイドである。


最初に訪れたのは港の南5分程度のところにある奈良尾神社。この神社参拝の目的は、国指定天然記念物、樹齢670年と言われるあこう樹を観ることにある。根本が二股に分かれるほどの巨木で、参道はそこをくぐり抜けるようになっている。あこうは始め見聞した樹木だが、根がはるか上部から無数に延び下り、ガジュマルに近い種という印象だった。


次はそこから一気に島の西側を北上、長い島の上13くらいに位置する矢堅目(やがため)公園に向かう。道の左側は小さな湾、入り江や小島の連続、複雑な島の形状をうかがわせる。


途中青方(あおかた)という比較的大きな街を経由、1時間弱走って着いたのは小半島に突き出た矢堅目公園、バスを降りてしばらく丘を登っていくと一気に視野が開け、西側は東シナ海、東側は湾を挟んで遥か先まで中通島北部が延びている。


天気は晴天、素晴らしい多島海の絶景に一瞬息をのむ。岬の突端に三角形の岩山がある。高さは約100m、ここからの眺望は東西北が海、外部からの侵入者を見張るには最適だ。矢を持った守備隊がここに配備されたことから“矢堅”の名が付いたと言われる。


数々の教会訪問は一先ず置いて、景観としては今回の旅でここが断トツのNo.1、ガイドの説明では沈む夕日は島内きってのものだとのこと。残念ながらそれは叶わない。

景観No.1の次は、直ぐ近くにある製塩工場、塩釜、煮詰めた塩の回収などを見学し、付帯する土産物コーナーに立ち寄る。五島の塩は有名らしく、塩そのものの他この地の塩を使った、煎餅や菓子類、干物など各種並んでいるが、よく見ると全部島外(新潟、石川など)の企業が作っている物ばかり、近いところで長崎市と言ったあんばいだ。確かに島内生産で販路を全国に広げるのは難しいだろうが、これにはチョッと失望した。

この製塩工場は“矢堅目の駅”と名付けられている。一番端にある塩釜から回収、土産やと建屋が長細く続き、先頭の塩釜から白煙が立ち上るのを蒸気機関車と見立ててのことだ。


今日の昼食は少し遅くなりますと事前に告げられていた。製塩工場を発ったのは1215分。矢堅目の東に奥深くくいこむ奈摩湾に沿って一旦南下、湾の奥部を廻って北へ向かい15分後青砂ヶ浦天主堂到着。何度か建て替えられたようだが現在のものは1910年(明治43年)に完成した赤レンガ造り、国の重要文化財になっている。

 

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