2026年5月31日日曜日

今月の本棚-214(2026年5月分)


<今月読んだ本>

1) 地図で読むアメリカ(ジェームス・M・バーダマン);朝日新聞出版社(新書)

2)同盟の転機(ジョシュア・W・ウォーカー);日本経済新聞出版社(文庫)

3)ロビイストに蝕まれるアメリか(ケイシー・ミシェル);草思社

4)不良老人の文学論(筒井康隆);新潮社(文庫)

5)ミッション・ソング(ジョン・ル・カレ);早川書房(文庫)

6)世界の英語(寺澤盾);中央公論新社(新書)

 

<愚評昧説>

1)地図で読むアメリカ

50州ではなく10の小国家と見るユニークな米国観。トランプ出現の背景はここにある-


最初の米国人との接触は19469月下旬、博多港に着いた引揚げ船から降りたところで所持品検査があった際である。荷物の中身を調べるのは日本人だが、そこに米兵が立ち会っていたのだ。引揚げに際し満洲からの写真持ち出しは禁じられていたが、父は家族の写真を大型封筒に収め、表に英語でその旨記して帯同していた。これが検査員の目に触れ米兵が呼ばれたが、表書きを見ただけで直ぐ返してくれた。子供ながらに見聞した、暴行・略奪が絶えなかったソ連軍、国民党軍、腕時計式磁石を私から奪った八路軍(中共軍)との違いは決定的。巧みな占領政策に洗脳されたこともあり、爾来米国に好感を持ち、憧れの対象となっていった。

初めての米国訪問は19706月、最後は20052月、この間20回前後訪米、滞在期間は通算で1年半におよぶ。宿泊滞在した州は24州(+ワシントンDC)、東海岸・西海岸の主要都市はほとんど訪れている。ただ、すべて仕事絡みであったことで、石油とITに縁の薄い所には行っていない。例えは、農業や牧畜が盛んな中西部、今やラストベルト(錆びた地域)と称せられる内陸部工業地帯あるいは土地が痩せたアパラチア山系域などがそれらだ。しかし、米国の孤立主義的保守回帰は、これら地域の民意を反映していると言わる。その背景を知りたいと思っていたところへ、同期入社の友人が本書を贈ってくれた。

この本を手渡されたとき先ず浮かんだのは、30年前に出版され今も保有している「アメリカ50州を読む地図」(1994年新潮社刊)である。おそらくその現代版だろと予想した。しかし開いて直ぐ目に入ったのは州とは無関係に色分けされた全米図、赤・青・緑はそれぞれアウトウエスト地域・ハートランド地域・サウス地域と名付けられ、70%近くの広大な面積をこれらが占めている。対してマンハッタン島周辺とそれに隣接するコネチカットとニュージャージーの一部のきわめて狭い地域がエンジ色で染められ、メトロポリタン・ニューヨーク地域となっている。他の地域も異なる色が塗られ全部で10色、上記4地域以外は、ニューイングランド、アパラチア、サウス、インダストリアル・ノース(いわゆるラストベルト)、アウトウエスト(ロッキー山脈東域)&アラスカ、パシフィック・ノースウェスト、サウスウエスト(メキシコ国境沿い)、ハワイ、である。今までこんな区分で米国を見たことがなかっただけに「これは面白そうだ!」と直感した。導入部を読み、この地域分けは地形・地質、気候・植生など自然条件ばかりでなく、経済基盤(産業)、構成人種と移民植民の歴史、教育発達度、宗教、政治力、これらから育まれてきた気質など様々な要素を基に著者が区分けしたものであることが分かった。従って境界は厳密なものではないが、米国が単一国家ではなく、おおよそこの10のミニ・ネーションから成るという発想なのだ。


コロンブス“発見”以前から北米全域に原住民は居たものの、米国の成り立ちは欧州やアフリカからの移民で出来上がっていく。著者の着目点は“人の移動と定着”である。それは北米大陸外からばかりで無く、東から西への国内移動を含み、その結果が移民大国としての現代アメリカであると説く内容だ。

10の地域を章立てにし、先に述べた地域区分け因子(自然環境、人種、経済、宗教、生活など)ごとの特質を具体的に述べ、一括りにすることの背景理由を解説する。例えば、アウトウエストとアラスカを一体と見るのは、豊富な地下資源に恵まれる反面、厳しい自然環境、政府所有地の大きさ、などによって人口が極端に少なく、開発が進まぬことを共通因子とする。このような地域調査分析結果を落とし込む先は、現代におけるそれぞれの政治的風土である。比較的教育レヴェルが高く、グローバルビジネスに強いメトロポリタン地域あるいは東海岸や西海岸がリベラルな政治を指向し、大部分の内陸部が保守的性格を帯び、さらにその傾向を強めていくことが、説得力をもって伝わってくる。

本書の出版は20261月だが、“おわりに”を読むと「2016年現在」とある。すると、トランプ第一次政権時ということになる。だとすれば、第二次政権誕生背景と見事に一致、現代アメリカを知るために一読する価値がある一冊と言える。

著者は1947年テネシー生れ。神学校を経てハワイ大学修士(アジア研究)、早稲田大学名誉教授。どの地域でも日系人や日本との関係に触れているのは、この経歴から来ていると推察する。

 

2)同盟の転機

-冷戦時に培われた日米同盟、世界も米国も変質する今、日本育ちの国際関係専門家が提言する新しい同盟-


1960年(昭和35年)43学年に進級した。この学年からゼミに所属、専攻分野に踏み出す大きな区切りの年である。しかし、2月から続いていた日米安全保障条約改訂を巡る国会審議は紛糾、野党やメディア、労組、全学連などによる改訂反対の声は日増しに高まり、キャンパス内でもあちこちで政治集会が開かれ、専門分野学習への期待とは裏腹に落ち着かない空気が支配的になっていく。5月下旬から国会周辺で激しいデモが繰り返され、ノンポリの私もデモに参加したが、安保の中身を問題視したわけではなく、強行採決・自然成立反対が動機だった。しかし、振り返ってみれば、講和条約署名直後(19519月)に結んだ、占領政策(米国が全てを取り仕切る)を継続するような片務的旧安保条約に対し、新安保は双務的な内容に改め、親米独立の立場を明記する画期的なものであった。爾後条文適用解釈(ガイドライン)は時代とともに変化してきているものの、本文は今日まで一切変わらず、日米同盟の基盤となってきた。しかし、昨今の米国国際関係を、大統領を始めとする閣僚の言動ばかりでなく、米世論を含めて見るとき、我が国に対する安全保障策がこれからも従来通り継続されるかどうか、いささか不安になってくる。それを予感させるようなタイトルに惹かれ、読んでみることにした。結論から言えば、憲法改定や政官軍の関係見直し改正を迫るようなものではなく、条約など公的関係はそのまま維持しつつ、草の根活動で同盟を深化させることを提言する内容であった。

このような視点で同盟関係を論ずる背景には、著者の経歴が深く関わっており、それにかなりの紙数を割いているので、先ずその概要紹介から始めたい。

著者は1981年ノースカロライナ州で誕生、宣教師である両親に伴われ1982年来日し、2歳から18歳まで札幌に居住。幼稚園から高校まで当地のインターナショナルスクールに通う。従って日本語堪能、日本文化にも精通している。大学進学で帰米、牧師を目指しリッチモンド大学で学ぶが、この間オランダのライデン大学とフルブライト奨学生としてトルコの大学に留学。帰国後国際関係論を学ぶためイェール大学大学院修士課程に入学、さらにプリンストン大学で博士号を取得している(研究テーマは日本・トルコ比較研究)。この間およびその後国務省・国防総省勤務(東日本大震災時“ともだち”作戦に関与)、東大でも教鞭をとっている。上記の経験を生かすため、国際関係シンクタンクであるユーラシア・グループに参加、日本部長を務め、現在はジャパン・ソサイェティ理事長兼CEO。つまり、アウトサイダーとインサイダー両面から日本と米国を考察出来る、希少な専門家である。本書の出版は20261月、第二期トランプ政権誕生から1年、第二次高市政権誕生前、この間に焦点を絞り、日米関係を論ずる内容になっている。

著者が見る日米関係と問題意識;日米間の絆は、日本企業の成功や文化人の功績、そして普通の人々の努力によって築かれてきた。米国における日本の存在感は、一般に思われているよりも、はるかに豊かで影響力が大きい。しかし、第二期トランプ政権による、これまでに例を見ない政策の数々は、従来の政治の発想とはかなり異質なもので、そうしたニュースに翻弄されがちである。ここに至る根源は、トランプ出現という短期的なものではなく、長期的な傾向が存在する。それらは、孤立主義への回帰、同盟への懐疑心、そしてグローバリゼーションに対する根本的な疑問などである。この環境変化に対し、日本も同盟の質について再考すべき時にある。今までのハード(軍事・経済)を中心とした政府間同盟から民間ベースのソフト(広義の文化)を加味した同盟への転換がそれだ。

具体策を紹介する前に著者が展開するのが、日米がたどってきた文化比較。大きな変革に対していつも受け身だった日本、前へ前へと進む米国、合議を重んじる日本、強力なリーダーが導く米国。日本にはもっと積極的な姿勢が望まれるが、それは従来強国が進めてきた上から目線のものでなく、地に足の着いた草の根ベースのものだと自論を述べ、個別事例でそれを紹介していく。

1980年代“Japan as No.1”の時代、トヨタが直面したジャパン・バッシングを導入部とし、その後の工場進出に際し、州や町との良好な関係作りに注力した例を始め、空調のダイキンから日本酒の獺祭やお茶の伊藤園、さらにアニメ人気、KUMON(公文)の数学教育、音楽教育のスズキメッソド、姉妹都市交流まで、幅広い民間を通じた草の根活動成功譚を語り、一層この種の関係強化に努めるべきと提言する。これにより鎖国時代の日本のように、今や閉鎖的な思考に陥っている米国を外に向け覚醒させることができる、とこちらからの行動に期待する。

州権の強い米国、民間交流促進を担うジャパン・ソサイェティ理事長としてのバイアスを感じないではないが、目を向けるべき提言と読んだ。

 

3)ロビイストに蝕まれるアメリカ

-米国外交を動かしているのは大統領府や議会ではない。国家への背信も厭わないロビイストの暗躍。その実態を追及する米政治告発の書-


高市政権誕生でモリカケ事件や統一教会事件の被疑者たちも復権、依然政治家とカネの問題は封印された感がある。政治に目覚めて以降、造船疑獄(吉田茂首相の下、犬養健法相(5.15事件で暗殺された犬養毅の三男)が指揮権を発動、佐藤栄作自由党幹事長の捜査を禁じる)、ロッキード事件(田中角栄首相辞任)、リクルート事件(竹下首相辞任)など、カネと政治にかかわる大事件はあとを絶たない。三井合名理事長を務めた団琢磨(1932年血盟団団員により暗殺)が、政治家を“乞食(カネをせびりに来る)”と蔑んでいたとも言われる。民主政治制度の下で穏当な表現ではないが、これが実態だったのであろう。これらと比べ米国政治では金銭絡みの事件より、ニクソンを辞任に追い込んだウォーターゲート事件(民主党に対する盗聴とそれに対する捜査妨害)、レーガン政権下で起こったイランコントラ事件(秘密裏にイランに武器売却、その資金をニカラグア反政府ゲリラ対策に充てる)、クリントン大統領が当事者となるルウィンスキー事件(研修生との性的スキャンダル)など、国家機密や私生活に関するトラブルが目立つ。金銭問題が表に出ないのは、政治資金制度の違いとロビー活動があるとも聞く。良くも悪くも、依然世界に対する突出した影響力を持つ米国政治の裏に何があるのか、それを知りたく本書を手にした。

本書は、1930年代ナチス政権に手を貸した、アイヴィー・リーという広告業者の話から始まり、大統領2期目を目指すロナルド・トランプ陣営の動きまで、約90年間の米政界におけるロビー活動を深掘りする内容となっている。195060年代のロビイストの数は三桁だったものが、現在は約1万におよぶほどに急増、その影響範囲は地方自治や企業活動から国際政治まで広範なものである。原著の発刊時期が2024年とあることからも、本書が2024年の大統領選挙を意識していることは確かで、トランプ批判色を感じるものの、クリントン、オバマ、バイデンなど民主党大統領周辺の活発なロビー活動も取り上げられており、それほど偏った内容ではない。むしろいずれの政党にも強い影響力を及してきた、ロビイストそのものの実態を、主に対外政策との関わりで解説、その裏で動くカネの問題を明らかにするところが論旨。その意味で、原題「Foreign Agent(外国代理人)」がより適切な表題と言える。

戦前の話では、ナチス政権誕生で全体主義を懸念する米国の世論を、少しでも親独なものに転ずべく行われた工作が詳しく語られる。先に触れたアイヴィー・リーはヒトラーやゲッペルス宣伝相にも会い、広報コンサルタントとして秘密裏にそれに当る。カネは独化学巨大コンツェルンIGファルベンを通して供されるが、それが露呈しアイヴィーは議会で糾弾され、外国代理人登録法(FARA;現存)が成立する。しかし、ここには多くの抜け穴が存在、やがて実効が削がれていく。

冷戦期には、著名な外国代理人は登場せず、ロビー活動は専ら内政や企業活動が主眼となる。

冷戦終了後アイヴィー・リー後継者の役割を担うのが、1949年生れのポール・マナフォート。ジョージタウン大学卒業後1976年の大統領選でレーガン共和党大統領候補の選挙事務所に加わり、この世界に踏み出す。この時は敗北するが、1980年の選挙では当選。ここから頭角を表わし青年部幹部としてレーガン革命を支え、ロビー活動と選挙コンサルタントとして存在感を確かなものにする。米国以外の国(独裁・強権国家が多い;ナイジェリア、スーダン、コンゴ、ミャンマー、など)もマナフォートを招き、選挙対策や米国との関係改善策(経済援助)に助言を求めるようになる。マナフォートの登場でロビー産業は急成長、この業界の舵取り役にのし上がっていく。

盛況業界に、新たに加わってくるのが退職した有力国会議員たち。代表例は1996年共和党大統領候補となり、ビル・クリントンに敗れたボブ・ドール。長年多数党院内総務を務めたベテラン議員である。ロシアやUAEのロビイストとして活動、大きな影響力があったと縷々述べられている。民主党も同様、2000年の大統領選挙で副大統領候補であったジョー・リーバーマンも中国ZTE(中興通迅)の代理人としてロビー活動を行い、刑事告発を受けている。また、クリントン財団の寄付動向は、明らかに政治力への期待値と同期している(ヒラリーの大統領可能性)。

マナフォートの代表的な仕事ウクライナにおける親露政権誕生支援、ウクライナ国内のみならず米国世論や議会の危機感を和らげ、一度失脚したヤヌコヴィッチ再選をロシアと組んで成功させる(その後オレンジ革命で再度失脚)。このあとトランプと接触、「報酬不要」で“仲間”の一人となり、選挙対策本部長を務めて、第1期トランプ政権を誕生させる。しかし、当選後NYタイムズが「トランプの選挙対策本部長にウクライナのヤヌコヴィッチ陣営からカネが渡っている」と報じられ本部長解任、さらにFBIの捜査が入り、2017年起訴・実刑判決(懲役7年半)となり、表舞台から消えていく(2020年トランプ退任に際し恩赦、放免)。

個々の案件に関するカネの明細は示されていないが、マクロな数字(2016年)を見るとトップは中国;3億ドル、次いでロシア:1.7億ドルが目立つ。しかし、実質的な外国代理人活動は種々形を変え、PR企業、法律事務所、大学、シンクタンク、コンサルタント会社NGOなどにより行われており、さらにその動きもマネーロンダリングもどきの手法を採り、実態究明は困難を極めているようだ(例えば、トランプ陣営へは、関係不動産企業との取引、グループ経営ホテルへの支払いなど)。

著者の怒りがやや強すぎるものの、ワシントン政治を見る眼が変わったことは確かだ。特に「ディール(取引)」最重視の現政権下で読むべき一冊と言える。

 

4)不良老人の文学論

SF作家・ブラックユーモア作家による90点の短文エッセイから日本文学を見つめる、意外とまともな文学論-


なぜ本を読むのか?どんな本が好みか?どのように本を見つけるのか?本欄をブログ掲載してから、多くの人から問われる。最も簡単でいい加減な答えは、酒やタバコと同じように「活字中毒だから」となる。とは言っても活字であれば何でも良いと言うわけではない。知的好奇心を満たしてくれそうなもの、最後まで興味を持続させてくれるようなもの、が選択基準である。前者は各種ノンフィクション、全読書数の90%をこれが占める。残り10%が後者、軍事サスペンス、スパイ小説といったところが中心。両分野とも文学論とは無関係の世界である。そんな読書傾向の中で、“文学論”を読んでみようとなった動機は、著者の作品名で唯一記憶に留まる「文学部唯野教授」にある。同年代の畏友で、我が国金融工学の先駆者である今野浩東工大名誉教授(数年前他界)には、十数巻続けた「工学部ヒラノ教授」シリーズがある。その第1巻目で、題名を「文学部唯野教授」から借用したとあり、その関連から平積みの本書に目が行き、「一体全体どんな作家なのだろう」と好奇心が触発され読むことになった。

本書は“文学論”として体系立てて著者の考えを記したものではない。何と長短各種約90の話から成り立っている。短いものは他の作家作品販促用帯から、十数頁にわたる本格的な作家論まで実に多様だ。それを、人を中心にしたもの(14話;追悼文が多い)、作品評に重きを置いたもの(33話)、谷崎潤一郎賞、三島由紀夫賞、山田風太郎賞選考委員としての選評(24話)、そして自著あるいは近況を記した部18話)、と4部で構成している。初出の掲載先も、新聞、週刊誌、総合誌(文藝春秋、中央公論など)、文芸誌(群像、新潮、波など)、文庫本や全集の解説など実に広範囲、時間の2004年から2018年と幅がある。

素材となるのは、当然ながら作家と作品。おそらくそれぞれ100近いと思うが、私の知る作家は13程度。古いところでは夏目漱石、芥川龍之介、何度も内容を変えて語られるのは谷崎潤一郎や大江健三郎、小松左京らだ。この他、井上ひさし、丸谷才一、山下洋輔(音楽家)、蓮見重彦(映画評論家)、野田秀樹(演出家)、星新一、手塚治虫(漫画家)、それに賞を設けられている三島由紀夫、山田風太郎など多士済々。これらの作家・作品を多角的に語ることにより、著者の文学に関する考え方が、見えてくると言う仕掛けである。

そこから伝わってくる著者の文学に対する片言を、引用を含め整理してみると;芥川「文を作らんとするものの、彼自身を恥ずるのは罪悪である。彼自身を恥ずる心の上には、如何なる独創の芽も生えたことはない」に強く共感を覚え、「平穏な日常を描いて、非日常にするのが文学である」、「作家は「びっくりおじさん」でいいのであって、「民主主義おじさん」になってしまうのはよくない」、「現在では、何を書くかよりも、どのように書くかが重要とされる時代であるが、だからと言って何を書くかが等閑にされてはならない」とし、「自作も賞の選考も、新規性を重視する」となり、新たな文学に求める三条件として「笑いがあり」「ファンタジックで」「実験性の見られるもの」と総括する。

“文学論”など辛気くさいものとの先入観が払拭され、著者が私淑する谷崎潤一郎の「陰翳礼賛・文章読本」を買ってしまった。

 

5)ミッション・ソング

-国の代表を騙りコンゴの鉱物資源を狙う面々、この地の言語をいくつも操れるスーパー通訳が、その悪だくみを暴こうとするが・・・-


現役時代多くの通訳と仕事をした。逐次通訳、同時通訳、日-英が大部分だが、日-露、英-露、日-中、英-中なども経験している。この中で印象深いのが英-中の通訳である。案件は、1980年代半ば、中国国営石油企業SINOPECIT調査団を製油所に受入、工場紹介と当時最新だったプラントコントロールシステムの説明を行うものだった。この調査団はIBMの案内で米国の製油所を訪れたあと来日、日本でもIBMを通じての訪問依頼だった。工場やITシステムの説明を英語で行うことは何度も経験していたが、調査団員は基本的に英語を解さないと言うことで、英-中通訳が米国から同道、こちらが英語で行う説明をその通訳が中国語に訳す方法を採り、所期の目的を達することができた。オフビジネスの場でこの通訳と話す機会があり、国際企業IBMでも希有なマルチリンガル通訳であることを知った。30代後半から40代前半、国籍はスウェーデン、英語は無論、フランス語、ドイツ語など欧州の主要言語はほとんどカバー、中国語は北京語だけでなく広東語も可、流暢ではないが日本語も旅行者なら一人で行動できる程度。34カ国語を使える欧州人には何度か会っているが、これだけの言語を駆使できる人物は、後にも先にもいない。

本書の主人公サルヴォはアイルランド系英人宣教師の父とコンゴ人(コンゴ民主共和国;旧ザイール)の母との間に生まれた混血児。ロンドン大学東洋学院で学び、英語(階級・地方方言の使い分け可)、フランス語、スワヒリ語、コンゴ・ウガンダ・ルワンダ地域のいくつかの言語(リンガラ語、ベンベ語、シ語など)、それにラテン語を駆使できるスーパー通訳。英国情報部が陰で操る国際会議の通訳に採用される。

欧州各国はアフリカを植民地化する際、現地の民族構成、自然環境などを無視して、勝手に線引きをした。それが独立後種々の争いを起こしている(母は紛争に巻き込まれ死去)。典型的なのはフツ族とツチ族が争ったルワンダの大虐殺だ。コンゴ東部およびそれに接するウガンダ、ルワンダ地域の不安定な政情・世情を平和裏に収め、コンゴの発展を図るため、時に反目し合うこの地の実力者を集め、和解策を探るのが会議の目的である。英国情報部はサルヴォの特殊言語駆使力に期待する。ただし、会議メンバーには英・仏・スワヒリ語(アフリカ人参加者の共通言語)の三カ国語しか出来ないことにされる。

サルヴォは会議進行役、法律顧問、会場運営スタッフとともに夜間中型輸送機でロンドンを発ち北海の孤島に運ばれる。正確な位置、国籍は不明だ。そこには小さな城とも言える邸宅があり、参加者を隠密裏に監視する盗聴システムが仕込まれている。会議室、参加者や随員の部屋、庭に在る東屋、ポーチ、温室、いつでもどこに居ても話は地下室の監視センターに集められ、テープレコーダーに記録され、リアルタイムで盗聴することが出来る。サルヴォに課せられた真の仕事は、参加者が交わす種々の現地語による私語を聴き取り、会議進行役に伝え、英国が望む方向へ会議を誘導することにある。サルヴォがパートタイムの通訳として雇われた時には知らされていなかった役割である。読めてきたのは、英国の政・官・財の狙いが、本格的なコンゴの民主化・安定化ではなく、豊富な鉱物資源(金・銅のほか、ハイテックに欠かせない希少金属コルタン;世界埋蔵量の多くがコンゴ東部に集中)を確保し運び出すリスクを抑えることである。現地人参加者たちが一堂に会した本音もそこにある。ここからサルヴォとその恋人(コンゴ人の学士看護師)対情報部を含む英国権力機構との戦いが始まる。

ル・カレのどの作品も大団円で終わることはない。巨悪に戦いを挑む個人が苦渋を飲まされるのは本書も同様、サルヴォの失意で幕を閉じる。

ル・カレは本作執筆前にアフリカ専門のジャーナリストをガイドとして雇いコンゴを訪れ、政治・社会面のみならず、文化(特に言語)についても見識を新たにしたと伝えられている。取材結果をリアルタイムで生かし(2005年末コンゴ訪問、2006年出版)、天才通訳サルヴォを通じて訴えたい本意は、アフリカを食い物にしている、既得権者(旧宗主国や企業、地元有力者)に対する道徳的怒りであり、ハッピーエンドで終わらないのは、社会告発小説として当然の帰結と言える。ル・カレはただのスパイサスペンス小説家ではないのだ。

 

6)世界の英語

RLの発音の違い?三人称単数現在?そんなの我々の英語に関係な~い-


1970年、31歳で初めて海外出張をした。出張先は米国とフランス。入社来前年まで7年間和歌山工場勤務だったから、英会話の機会など皆無と言っていい状態だった。約一ヶ月の海外だったが、塗炭の苦しみを味わった。次の機会は1975年、シンガポールに在ったEsso Eastan傘下のトレーニングセンターで2週間、ビジネスゲームを主体とする教育を受けた。生徒は日本(沖縄を含む)を始めシンガポール、タイ、マレーシア、インドネシアから派遣されており、ネイティヴ以外の英語話者に接し、その多様な英語に驚いた。特に、シングリッシュと言われるシンガポール英語は、当初何語か分からず面食らったが、充分米人インストラクターとは通じており、こんなしゃべり方で良いんだと、妙に納得。これ以降、あまり発音や文法を気にせず英語を使えるようになった(聴取りは依然問題だが)。

現役を引退した200768歳で渡英、6ヶ月ほど大学で私的研究に取り組んだ。旧英領植民地からの留学生も多く、そんな環境下、英国人の留学生対応を見ていると、現地化した英語を理解しようとする姿勢が明らかに存在した。今や、キングズイングリッシュに世界が合わせるのではなく、英国人も国際語である英語を学ぶ時代なのだ。本書は、英国内を含め、この視点から世界で使われている英語を俯瞰し、その実態を概説するものである。

1800年代にはブリテン島のイングランド地域で2000万人が使っていただけの英語は、現在第一言語(日常)使用者4億人、第二言語(公用)使用者9億人、外国語として習得した者10億人、計23億人と100倍に急増、「日の沈まぬ言語」となっている。本書の英語題名は「World Englishes」と複数になっており、言語学の世界ではこの使い方が一般的になっているようだ。

その複数の英語を、①ブリテン諸島(イングランド、ウェールズ、スコットランド、アイルランド)、②北米(アメリカ合衆国、カナダ)、③オセアニア(オーストラリア、ニュージーランド)、④アジア(南アジア、東南アジア)、⑤カリブ海地域とアフリカ、の5地域で章立て、それぞれの地域における英語浸透・発展史を手短かに解説したのち、発音、語彙、綴り、文法の4点でそれぞれの特徴、違いを具体的に紹介、その依ってきたる遠因・過程をたどる。

それぞれの事例を一部示すと:発音;rの後に母音が来るか否かで起こる違い(容認発音)、carcardではrを発音しないがradioreadでははっきりrが発音される。ブリテン諸島を形成するアイルランド、ウェールズ、スコットランドは元々ケルト語民族、あとの音にかかわらずrを発音する言語系のため、今でもそのような発音をする人々が存在するし、これが移民先で引き継がれている地域もある。またth[ θ ] / [ ð ])の発音も違いが顕著に現われる。日本人には苦手なrlの発声法、こんなことはお構いなしの英語は至るところにある。語彙;南アの交通標識に“Robot 250m Ahead”とある。Robotは信号機(Traffic LightSignal)のことである。ガソリンは英国ではPetrol、他の国ではGas(olin)。綴り;theatre(英)とtheater(米)、travelled(英)とtraveled(米)はおなじみだ。文法;時間とかかわる副詞、justyetalreadyは英国では現在完了と組み合わすのが通例だが、米国を始め他国では過去でも使う。付加疑問文「You like sushi, don’t you?」の後半部分(疑問)はis it? no? 、eh?など地域によってどれも正しい。現地の第一言語と混じり合ったピジン語、主としてアフリカからの奴隷が母国語を英語の中に取り込み、それが子孫に継承された、米国南部やカリブ海地域で使われているクレオール語。これらの発音・文法は、日本人が学習する英語とはまるで異なる世界だ。

これだけ異なる英語が世界に広がると「共通英語(リンガ・フランカ)を作ろう」と言う声も起こってくる。一方で、かつてラテン語がヨーロッパ知識階級(宗教、文学、科学など)の共通語となっていたが、地方別に独自発展、共通言語としての機能を失い、消えていった例もある。果たして英語はこれからどうなっていくのか?

読みやすく、解りやすく、面白い一冊、英語好きの中学生から現役バリバリまで英語学習副読本としてお薦めだ。著者は1959年生れ、米ブラウン大学Ph.D、東京大学名誉教授。

 

-写真はクリックすると拡大します-

2026年4月30日木曜日

今月の本棚-213(2026年4月分)


<今月読んだ本>

1) こんな感じで書いてます(群ようこ);新潮社(文庫)

2)世界カフェ紀行(中央公論新社編);中央公論新社(文庫)

3)陸軍工兵大尉の戦場(遠藤千代造);光人社(文庫)

4AI・機械の手足となる労働者(モーリッツ・アルテンリート);白楊社

5)空旅・船旅・汽車の旅(阿川弘之);中央公論新社(文庫)

6)軍民両用化する技術(大庭弘継);光文社(新書)

 

<愚評昧説>

1)こんな感じで書いてます

-国語好きの少女が人気エッセイストになるまで。「ええかっこしー」でないことがその因-

 


随筆の面白さに開花したのは、入社して配属になった和歌山工場時代。寮の食堂に置かれていたアサヒグラフ連載の作曲家團伊玖磨による「パイプのけむり」を目にしたことに始まる。三浦半島の自然や自身の周辺を題材にしたそれは、「こんなことを、こんな風に見つめるのか!」とその観察眼・考察と表現力に魅せられた。ここから團が随筆の師と仰ぐ内田百閒の「阿呆列車」シリーズに手が延び、鉄道物の宮脇俊三、サラリーマン物の山口瞳、アメリカ文学物の常盤新平、歴史・紀行物の司馬遼太郎、食通物の池波正太郎などに広がっていった。ただ興味の対象が異なる女性作家の随筆は限られており、海外生活をテーマにした、塩野七生、須賀敦子、山崎マリ、ブレディ・みかこくらいしか読んでいない。群(むれ)ようこが随筆家であることは以前から知っていたが、手に取る機会はなかった。しかし、いかにも作家が手の内を晒すようなタイトルに惹かれて読んでみたくなった。著者は1954年生れ。本書単行本の出版は2023年、約70年のエッセイスト人生を語る自伝である。

幼いときからの読書好き。小中高、いずれの学校でも国語は良い成績。だが、読むのは好きだが書くのは苦手。それでも読書の感想文などはそれなりの評価を得ていたが、自分では特別な感慨は生じない。ピアノを習っていたこともあり、音楽に惹かれるところもあったが、それを専門にするほどの力はない。こんな背景から大学は文芸学科を選ぶ。同級生の大方は作家志望だが著者にその気はない。最大の理由は父親が絵描きで定収がなく、それが家庭不和(20歳の時両親離婚)の原因であったことから、フリーランスの職業だけは避けたかったことにある。本とかかわり定収が保証される出版社勤務を漠然と考えて学生生活を送るが、就職活動は上手くいかず、広告会社のコピーライターの仕事に何とかありつく。これは面白かったが激務に耐えられず半年で退職、4回転職ののち24歳の時書評誌「本の雑誌」社にバックヤード(経理、発送など)担当として入社、ここから物書きの世界に入っていく。「本の雑誌」は目黒孝二・椎名誠によって1976年設立された書評ミニコミ誌。季刊→隔月刊→月刊と発展、書評誌として独自の地位を獲得、現在も刊行されている。

経理主務とはいえ特殊な雑誌社ゆえ、作家・作品そして編集者に触れる機会は多い。あるとき女性誌の編集者から投稿を求められ、会社の了解を得て、初めてのエッセーを執筆する。これが好評だったことから社長(兼編集長)の目黒孝二より、「本の雑誌」の書評を一部任されるようになる。とは言っても報酬は図書券。しかし、他社編集者が注目、他誌にも寄稿するようになる。執筆は時間外なので睡眠時間は4時間、初の単行本「午前零時の玄米パン」の成功を見て退社・独立、30歳の時である。「もし上手くいかなくてもパートで何とか」の決意は杞憂に終わり、本書執筆まで仕事は絶えることがなかった。

作家として心がけていること。締め切り厳守(「本の雑誌」での体験)、プライベートを書くことに躊躇しない、他者の評価を気にしない(反論を怖れて自論を正直に表現できないのは大問題。私の好みだった團、内田、山口の作品も好き嫌いも含め主張が明快だった)、書評は通常「ほめ7、けな3」と言われるが「ほめ10、けな10」もあり(時に編集者から「ご主旨を曲げても(褒めて欲しい)」と言われることもあるが、断る)。「書くこと」と「読むこと」は車の両輪(体験談以外のネタは「読む」ことで見つける)、読みたい本は自分で購入(調査のための図書館利用はあるが)、講演会はやらない(ネタを複数回利用することに後ろめたさ)。そして「自分の考えの中心が何なのかを忘れず、仕事をいただける限り、書いていきたい」と結ぶ。

はっきり自己の考えを主張しながら、肩肘張った感は全くなく、この自然体筆致が多くのファンを惹きつけるポイントなのだろう。作品を読んでみたいと思っている(処女作「午前零時の玄米パン」は残念ながら絶版だったが)。

 

2)世界カフェ紀行

-カフェは文化発祥の場所。50人の文化人が語る、世界50ヶ所のカフェ-

 


中学の後半から大学卒業まで、私にとって最大の娯楽は映画鑑賞、ほとんど二本立ての洋画である。ヨーロッパも日本同様戦禍に見舞われたとはいえ、当時の日本から見れば街の景観は、比べようもなく美しく魅力的だった。オーソン・ウェルズ主演「第三の男」の舞台となったウィーン、オードーリー・ヘップバーンのデビュー作とも言える「ローマの休日」、ジャン・ポールベルモントとジーン・セバーグがパリで出会うサスペンス「勝手にしやがれ」などが記憶に残る。これらの映画で知ったのが、広場や広い歩道で営業しているオープンカフェ。日本にも喫茶店は至るところにあったものの、屋外は皆無、そのおしゃれな雰囲気は白黒画面にもかかわらず、映画のストーリー以上に印象的だった。社会人になり海外に出かける機会がしばしばあったものの、米国が主体、オープンカフェはあっても、街の造りや歴史の違いからか、そのたたずまいは欧州のそれとは明らかに違っていた。これを実体験するのは現役引退後の2007年まで待つことになる。ロンドンで、フィレンツェで、ローマで、パリで、ベルリンで、映画の一シーンを再現したような気分に浸った。本書は、世界のカフェを巡るエッセー集である。

本書の出版経緯が興味深い。パリ中心部サンジェルマン・デュ・プレに19世紀創業の「ドゥ マゴ」なるカフェがある。バルザック、ピカソ、ヘミングウェイ、サルトルら有名文人か好んで通った拠点。AIに「東京でサンジェルマン・デュ・プレに相当するところは?」と問うたところ「神保町+代官山+下北沢」と答えてきた。チョット妙な組み合わせだが、文芸と狭義の文化(思想、評論、舞台芸術など)という点でなんとなく分かるような気もする。そのパリのカフェと提携し1989年渋谷のBUNKAMURAに同名のカフェが開店、そこに日本の文化人たちが集まりだしたのである。私の知る何人かを挙げれば、池内紀(ドイツ文学者、東大教授)、蓮見重彦(映画評論家、東大教授)、中村真一郎(文芸評論家)、須賀敦子(イタリア文学者、上智大学教授)、蜷川幸雄(演出家)、吉本隆明(評論家)、横尾忠則(イラストレーター)、柴田元幸(翻訳家、東大教授)、などがそれらだ。この東京店は宣伝を兼ね「ドゥ マゴ通信」なる小冊誌を発行、顧客たちにカフェに関する想い出を寄稿してもらってきた。本書はその集大成なのである。

副題に「5分間で巡る50の想い出」とあるように、50人の著者によるそれぞれ4頁程度の短いエッセーをまとめたものだが、想い出話のテーマは店そのもの、文化、民族、旅、仕事、人、日常生活、飲食(飲み物はコーヒーばかりで無く、紅茶、清涼飲料、アルコール類もある)など様々。取り上げるカフェの所在地はヨーロッパが過半だが、中東、アジア、アフリカ、中南米、それに日本(8軒)と広く展開、米国が1話だけが妙に思える構成だ。

一話一話が完全に独立しているので、気分転換や息抜きに持って来い。また、旅の参考資料としても有用だ。

因みにBUNKAMURAの店は東急百貨店本店が2023年閉じられたことで一旦閉店、今は近くでスタンドカフェとして営業再開しているようである。

 

3)陸軍工兵大尉の戦場

-工兵とは何か?土方?大工?船頭?修理工?満洲で、中支で、フィリピンで、ジャワで、8年間戦場で戦った男の自分史-

 


昭和22年(1947年)から少年時代は千葉県松戸市に居住していた。松戸の街は常磐線の西側(東京方面)に向けてひらけており、当時松戸駅は西口しかなく、東側は直ぐ小高い台地が立ち上がり、それが南西方面に広がっていた。この丘の常磐線に沿う部分は、かつての陸軍工兵学校跡で、兵舎や運動場が残り、戦車が置かれていたり、演習用の橋脚と鉄橋が設けられたりしており、子供たちの格好の遊び場だった。“工兵”という言葉を知ったのはそんな時代だった。既にエンジニア志望だったから、この兵科に惹かれるものがあった。因みに米陸軍の呼称はEngineer

近代陸軍組織の中に兵科の一つとして工兵が現われるのは17世紀のフランス。築城・攻城・測量・架橋・爆破などを専門とする。18世紀末には砲兵・工兵養成の専門機関エコール・ポリテクニックが創設され、卒業者は技術エリートとして遇される。第二次世界大戦初期のフランス軍総司令官ガムラン将軍を始め、軍や国家の指導者を陸続と送り出している。対して日本陸軍はプロシャから学び作戦重視、陸相・参謀総長・軍司令官の大多数は歩兵、次いで砲兵出身者が占め、工兵出身で大将まで昇進したのは佐藤鋼太郎(1923年没)ただ一人に過ぎない。つまり日本陸軍において、工兵は戦闘支援兵科の扱いに終始する。参謀重視のドイツは無論、貴族的連隊主義の英国も日本同様工兵が軍トップに就任することは稀だった。ただしドイツ軍の装甲化が進むにつれ、戦車に随伴する戦闘工兵(Panzer Pionier)が重視され、純然たる工兵とは異なる任務(歩兵+工兵)を帯びて存在感が高まっていく。少々事情が異なるのは米陸軍、工兵はエリート兵科なのだ。かのダクラス・マッカーサー元帥は工兵出身、参謀教育を経た後米陸軍参謀総長まで昇進している。

第一次世界大戦以降戦車や航空機が登場、機甲科や飛行科が誕生、重要な役目を果たし専門の教育機関も設けられるが、これには工兵は関与しない。もう一つの近代戦に欠かせぬ兵器、通信は基本的に工兵科に属しながら、専属組織として各部隊にも通信担当部門があり、統合作戦での効力を欠いたと言われる。また輜重(兵站)兵科と重なるが鉄道も工兵科に属した(工兵はインフラ担当、輸送は輜重)。

工兵士官のキャリアーパスは陸軍士官学校をスタート、工兵学校を経て専門士官として工兵隊上位組織(最大組織は連隊)への階段を昇ってゆき、最終階位は中将で終わる(中将職は工兵監、要塞司令官など)。工兵士官でも陸軍大学校を卒業すれば参謀将校となり、建前上は最上位まで昇進可能であった。しかし、陸大創設来の卒業者約3500名の内100200人程度、師団参謀長が限界だったようだ(師団長ゼロ)。また旧制高等工業や大学工学部出身者は技術士官として別扱い、実戦部隊の指揮官にはなれなかった。なお、現在の陸上自衛隊では施設科(工兵)が他兵科と差別されることはなく、災害救援活動などを通じて社会的評価は極めて高い。更に通信科が独立して、電子戦・情報戦を担うようになっており、旧軍とは技術系兵科の扱いは大きく変わっている。以上のような旧日本陸軍工兵の世界で、著者の経歴はきわめて特異なものである。何と徴兵による一兵卒から工兵大尉まで昇進したのである。

著者は1901年(明治34年)、福島県農家の三男として誕生。高等小学校(14歳)を卒業後工員、船員などとして働き、数え年20歳(192112月)で徴兵検査、甲種合格で即第7師団(旭川)に入営、工兵中隊配属の新兵となる。工兵は大工・左官・鍛冶職・船頭・鉄道員・通信士など技能歴優先で充当され、著者も前歴が船員だったことで選ばれたようだ。基礎教育4ヶ月間、工兵技能教育も4ヶ月、計8ヶ月。成績優秀者で下士官候補生試験受験・合格(19228月。全国120人)。同月松戸の工兵学校入学、192310月卒業・原隊復帰、工兵伍長、192411月工兵軍曹、1930年(昭和5年)1月工兵曹長と昇進していく。1931年(昭和6年)9月満州事変勃発、1932年(昭和7年)9月満洲派遣混成第13旅団編成、工兵中隊の一員として渡満、反日ゲリラ討伐に当る。通信(著者の専門出発点;記憶力の優れていることが選別条件)、道路補修や鉄路復旧、さらに機関士不足で運転まで行う。1933年(昭和8年)4月特務曹長に進級、内地帰還。19375月、ロンドン軍縮会議(1930年)条約履行過程で師団規模縮小になり予備役に編入(現役退官)、退職時予備役少尉となる。満洲派遣を除けば、ここまでで工兵の基本任務、育成・昇進過程が分かる。

19379月日支事変勃発、12月応召(現役復帰)、第2師団(仙台)工兵第2連隊配属、138月中支派遣軍山田部隊(独立工兵第3連隊)に第1中隊第3小隊長として赴任、中支戦線を転戦する。武漢三鎮攻略作戦、宜昌作戦、長沙作戦など本書の紙数が最も割かれるのはこの戦場。中支はクリークが縦横に走り水田も多いため大部隊やトラック、戦車の移動には適していない。また木材を入手するための森林も無い。それぞれの作戦における、道路構築、渡河・架橋、桟橋構築、門橋(水陸両用可動橋)運用の苦労話が縷々語られ、3年間におよぶ戦場における工兵活動の細部が報告される。

1941年(昭和16年)10月連隊は急遽上海に移動を命じられ、1120日行先も告げられず乗船・出帆、台湾の基隆、澎湖島の馬公などで待機する内に128日となる。大東亜戦争の開始である。1218日の出動命令で向かうのはフィリピン。1222日リンガエン湾上陸作戦が行われ、橋頭堡づくりのため歩兵とともに先陣をきる。桟橋構築が最初の仕事だ。中支戦線との大きな違いは道路事情、米国の植民地ゆえほとんど舗装道路、工兵の役目は破壊された橋の修復くらいだったが、ここで部下である陸士出の少尉が戦死、かなりショックであったことが文中からうかがえる。次の戦場はオランダ領インド(蘭印;インドネシア)。

1942年(昭和17年)2月ジャワ島東部に上陸。油田や製油所を抑えるのが目的だ。ここでは上陸の際輸送船の1隻が空爆を受け、中隊に死傷者が出たことを除けは、陸上戦闘は皆無。任務の大半は破壊された油田と製油所の復旧である。とても工兵だけで出来るものではなく、内地から派遣されてきた石油技術者33名とその作業に当る。消火作業、場内整理、設備の修復、代用機器の製作、資材の転用など、戦場とは異なる仕事の連続だ。それでも何とか採油再開にこぎつく。この部分は、私自身製油所勤務やインドネシアの製油所訪問経験があるだけに、その大変さがよく理解出来る。

この作業が一段落したところで大尉に昇進。これを契機に除隊、軍政監部嘱託(軍属)となり、交通部土木課に勤務、道路補修や治水工事など民政業務を終戦まで担当することになる。敗戦時もしばらくの間手がけていた治水用トンネル工事を継続、それを完遂したのち民間人収容所(これも作らされる)に19465月まで留め置かれ、本土に引揚げ、福島に帰郷する。戦地にあること8年余、波瀾万丈の工兵人生がこれで終わる(44歳)。

著者遠藤千代造、編者遠藤桓(カン)となっている。桓は千代造の三男。本書は千代造が戦後家族のために残した、「あゆみ」と名付けた自分史が素になっている。完成時期は1976年(昭和51年)3月、千代造74歳の時である。その4年後千代造は78歳で没する。昭和58年頃元第2師団有志が戦争体験記をまとめる際、妻(編者の母)が資料として「あゆみ」を提供、その一部が題記戦記に記載・出版される。さらに平成10年(1998年)頃、桓を含む5人の子供が、「あゆみ」の事実関係を検証補筆し全体を再整理することを始め、それが平成25年(2013年)完成、12月元就出版社から「陸軍工兵大尉の日中・大東亜戦時代」として出版され、本書はその文庫版になる。

 

4AI・機械の手足となる労働者

AIで仕事を奪われる労働者の話ではない。AIを育てるために酷使される労働者の話だ!-


引退後は起きている時間かなりPCに向き合っている。インターネット経由が多く、メールやフェースブック(FB)による情報交換、ニュース(NHKプラスを含む)閲覧、そして各種検索が主体である。これ以外では日記、ブログ原稿作成でMSWordを使っている。利用するソフトウェアやサービスは、GAFAM中心で以下のようになる。GoogleChrome(ネットへの入口)、検索エンジン、グーグルブログ、GeminiAI)。AppleiPhoneFacebook;寄稿記事による友人との情報交換。Amazon;プライム会員(書籍購入の過半)。MicrosoftWindowsWordExcelCopilotAI)、ChatGPTAIMSが筆頭株主)となる。

5年ほど前、作品・監督・主演女優3部門でアカデミー賞を受賞した「ノマドランド」と題する作品があり、中年の女性が仕事をしながら米国西部を移動していく内容だった。この時の働き先としてAmazonの配送センターが登場、利用者にとって優れたサービスを提供してくれる企業のバックヤードを垣間見ることになった。当時自動化が難しい、商品のピックアップやパッキングが仕事で、機械に人間が使われているような労働環境、当に現代の「モダンタイムス」がそこにあった。本書の日本題名はAIによって人間が使われるイメージだが、原題は「The Digital Factory」、AIも登場するものの、主体はGAFAMに代表されるディジタル産業の労働環境を調査分析、伝統的な産業との相違点をつまびらかにして、現在と将来の機械と人間の関わりを考察する内容である。

近代生産管理システムの嚆矢は、米生産技術者フレデリック・テーラーが19世紀末生み出したテーラーシステム(科学的管理手法)に発す。生産工程を徹底的に分析し分割標準化、それぞれの作業を分業することにより、短期間の導入訓練で素人を戦力化、高度技能職人を排し、安価な労働力で大量生産を可能とした。これを流れ作業化したのがフォードシステム(1910年代)。さらにこれを受注に応じて生産を柔軟に変える方式にし、併せて製品・部品在庫最少を狙ったのがトヨタシステム(1960年代中期以降)。このトヨタシステムをIT活用で贅肉落とししたリーンシステム(1980年代後半)、と進化してきた。テーラーシステム、フォードシステムの肝は分業と単純化。「人間機械論」との批判が起こり、それを戯画化したのがチャップリンの「モダンタイムス」である。現在でも物作りの基本はテーラーシステムが原点となるが、ソフトウェアが過半を占めるディジタル産業では、工場に人を集めて一斉に作業を行う就労環境とは異なる、新生産体系が生まれている。例えば、グーグルプレックスと呼ばれるグーグルの研究開発拠点は大学のキャンパスと公園を兼ねた快適空間にある。そこまでいかなくとも、コロナ禍で加速されたリモートワークは従来の工場やオフィス労働とは違い、より自由な雰囲気を感じさせる。果たして、伝統的物作りと根本的に異なるのだろうか?この疑問に取り組み、その調査分析結果を著わしたのが本書である。

著者の生年は不祥だがドイツ人。2010年ベルリン自由大学(政治学)卒とあるからドイツ統一後生れと推察する。卒業後ロンドン大学ゴールドスミス校で修士号を取得(2011年)、引き続き同校の博士課程に進み2018年取得。この博士課程の研究「ディジタル資本主義における労働の変容」が本書の骨子となっている。つまり、博士論文を一般向けにしたのが本書である。原著出版時(2022年)はフンボルト大学(旧ベルリン大学)研究員、現在ベルリン工科大学教授。

この研究は4分野の事例研究が基になっている。①アマゾンに代表される配送センター作業員、②ラストワンマイル(宅配)を担う物流作業員、③ゲーム業界やクラウド(Croud;群衆)ワーク・プラットフォーム(仕事を細分し、それらを分散して個人に作業依頼する企業)で働く労働者、④ソーシャルメディアのコンテンツ・モデレータ(投稿内容のチェック)、がそれらである。主たる研究手法はインタヴューだが、自身クラウドワーカーの一人となって実務体験もしている。

    配送センターの倉庫はきちんと商品を棚に揃えるシステマティックストレージとランダムに置くランダムストレージがある。前者は機械化に適するが広いスペースを要する。これに対し後者は自動化の程度を落とし、それを人間が補うことで土地や空間を少なくすることが出来る。作業員は携帯端末を装備、この指示によって作業を行い、その行動データは、移動経路・立ち話まで中央に集められ、個人の行動がすべて記録され、生産性分析に利用されている。

    顧客に商品を最後に届ける作業はラストワンマイルと言われ、物流自動化における最後のフロンティア領域、依然人手に頼る作業が多い。米国宅配便最大手UPSのトラックには200以上のセンサーが装備され、ドライバーの携帯スキャナーからもデータが得られる。このデータからシートベルトの着用、アイドリング時間、バックした回数まで記録・分析され、配送効率最大化が図られる。

    ゲームソフトに関する労働は二種が取り上げられている。一つは“ゴールドファーマー”。これはゲームで商品を獲得し、換金するビジネス。中国人の若者が引き込まれ、朝から晩までゲーム漬け、この作業データも胴元に逐一収集され、評価される。もう一つはゲームソフト開発。頻繁にバージョンアップされるそれをテストする仕事だ。働く人の90%はファンでもあり、低賃金・長時間労働も厭わない。従業者は世界に広がり、実質的には仮想移民とも言える。

このような仕事はゲームに限られたものでなく、AIトレーニングのための情報読み込みなどにも、様々な背景を持つ人々(Croud)が動員され、作業データがアルゴリズを通じて収集され、評価される。

    FBに代表される、ソーシャルメディアの暗部として紹介されるのはコンテンツ・モデレータ。暴力・ポルノ・ヘイトスピーチ・フェイクニュースの検閲・削除作業に膨大な人間がかかわっているのだ。いわばディジタル清掃員。これらに当る人員はグローバルサウス(特に英語が堪能なインド人、フィリピン人)に属する人々が多い。ここでも作業経過が集められ、分析される。

この事例研究の結果、著者が導き出した結論は、ディジタル技術の現場が創造性や自律性を育むものではなく、かつての工場労働同様、分業・反復・統制を特徴とする労働体制と変わらないと断じ、それを「ディジタル工場」「ディジタル資本主義」と呼ぶ。ただ、それを全面的に否定するのでは無く、柔軟な労働が主婦などの働く機会をつくり、地域的な制約からの解放は、グローバルサウスへの経済圏拡大につながること評価もしている。研究の核心はここまでであるが、著者の関心事はこの先に在る、資本と労働の関係だ。終盤近くディジタル工場における労使関係に言及、労働争議がしばしば移動労働者によって担われていることに注目、小規模な草の根組合活動の方が制限が少なく、新しい状況に適応することができ、労働者もそのためのツールを開発して、プラットフォーム協同組合主義発展に期待する、と結ばれる。なお、AIに関しては、将来的な影響を取り上げず、今日のAI訓練における労働者の役割に留まっている。

GAFAMに代表されるディジタル企業が社会インフラ化する現在、多くの人に読んで欲しい一冊だ。

 

5)空旅・船旅・汽車の旅

-乗り物好きと知られる文化勲章受章作家が語る1950年代の旅。70年のバック・トゥ・ザフューチャーを楽しむ-

 


日本人作家の小説はほとんど読まないものの、随筆・対談・旅行記は数多く読んでいる。中でも乗り物に関するものは別格で、書架には内田百閒の阿房列車シリーズや宮脇俊三の鉄道シリーズ、あるいは沢木耕太郎や村上春樹のドライブ記が汗牛充棟の観で並んでいる。しかし、最近はこの種の本が売れないのか、検索エンジンで探さねばならぬほど枯渇した状態だ(2月に紹介した米原万里「旅行者の朝食」はそれで見つけた)。そんな折書店で平積みになっている本書を発見した。著者の作品である「新版 南蛮阿呆列車」は本欄で十数年前取り上げている。“新版”とあるように、購読時既に内容は古くなっていたものの(特に乗り物)、幸か不幸か技術に深く触れず、人・景観・生活中心で、時代が大きく影響せず、ユーモラスな筆致を楽しむことが出来た(遠藤周作、北杜夫との欧州珍道中など)。本書を目にしたとき、先ずよぎったのがその時の読後感、即購入となった。これも1960年単行本が出たものの文庫復刻版+である(+は後述)。

本書は8編から成り、1編を除きすべて1955年から1959年の間の話である。主役となる乗り物は108を超すが、1編に空旅・船旅・汽車の旅すべてがあるからだ。いささか羊頭狗肉の感があるのは、10の乗り物のうち、タイトルに含まれない“クルマ旅”が4話もあり、空旅,船旅、汽車の旅はそれぞれ2に過ぎず、それも空旅と汽車の旅は著者の搭乗・乗車記録では無く、空旅はJALスチュワーデス第一期生(19568月、1350人から14人合格)の回顧談、汽車の旅は祖父(蒸気)・父(蒸気→電気)・子(電車)三代にわたる国鉄機関士一家の物語で、インタヴューして書き上げたものに過ぎない。だからと言ってクルマ旅が最多数を占めることに不満は無い。引退後沖縄県を除く全権都道府県走破を完遂した身としては、むしろ期待以上に楽しいものだった。そしてこのクルマ旅の1編だけが1980年代に書かれ文庫復刻版でプラスされた1話なのである。

1話「一級国道を往く」は、195810月下旬、出版社の企画で行われたトヨペット・クラウン1956年型による東北・信州を巡るクルマ旅。夫人を含む4人で、国道2号線を北上し青森に至り、そこから日本海側の国道7号線を直江津まで南下、直江津から国道18号線で長野・軽井沢・高崎を経て都内に戻る4日間のドライブ記。走行距離は約1800km。その95%は一級国道である。しかしながら当時は1級国道といえども未舗装部分が多く、酷道と揶揄されるそれに難渋する。新潟から都内にいたる最短路線は三国峠超えの17号であるが、この時代クルマでの峠越えルートは未完成、長野廻りの迂回路となるほどだ。取材ゆえに仙台と秋田では日通の長距離運転手たちと座談しているが、「30歳まで、5年が限度(胃下垂など)」との話も出てくる。結びで、著者は5年後・10年後にもう一度走ってみたいと書き残す。そして1980年秋に実現するのが第8話「二十二年目の東北道」である。今回の道路は東北自動車道、関越自動車道(関越トンネルは未開通。このトンネル工事を取材)、日本海沿いは国道7号だが無論路線整備が進みすべて舗装され、かつての苦渋がウソのよう。前回は著者も運転を分担したが、この時は還暦、専ら後席で前回との違いを観察する。

著者は1920年生れ1943年東大国文科を繰上げ卒業、海軍予備学生となり終戦時海軍(ポツダム宣言格上げ)大尉。志賀直哉に師事し、1952年著わした学徒兵主題の「春の城」で読売文学賞を受賞。おそらくこの実績から、ロックフェラー財団の日米文化交流のための給費留学生に選ばれる。その際の移動過程を綴ったのが「ホノルルへ」と「アメリカ大陸を自動車で横断する」の2話となる。いずれも1955年の話。「ホノルルへ」は横浜からホノルルに至る、客船プレジデント・クリーブランド号による船旅。「大陸横断」は西海岸からワシントンDCに至る、1949年型フォードによる13千マイルに及ぶ長距離ドライブ。米国には1年滞在、日系人社会との交流が主体であったようだ。

チョット変わった旅は19594月から5月にかけて行った「ゴア紀行」(インド亜大陸南西部のポルトガル領、ほぼ埼玉県の大きさ)。編集長の縁で、鉄鉱石輸入のための港湾・出荷設備の完成式に参加する。往路は現地輸出会社の用意したチャーター機で式典に参加する招待者に同道、帰路は鉄鉱石運搬船に便乗。現地ではインドと結ぶ鉄道にも乗っている。復路の船は大正時代英国で建造された老朽船、シンガポール寄港で24日かけ日本鋼管の川崎製鉄所にたどり着く。

本書を今読む価値は、60年の様々な時代差を確認しその違いを楽しむことにある。乗り物は?旅は?生活環境は?国は?個人は?と。その観点で、第8話を復刻版に加えたことは大いに意義がある。

 

6)軍民両用化する技術

-軍事技術が出発点のインターネット。一方でおもちゃのドローンが攻撃兵器に転じる。軍民両用技術問題の難しさを事例で紹介-


入社して1年半ほど、プラント運転の三交代、保全部門での計測制御機器メンテナンスで工場運営の一端を学び、その後配属になったのは技術部機械技術課、装置材料、回転機械から土木建築、電気・計器まで幅広く担当する部署だ。担当課長は、課長職では最古参の一人、バックグラウンドは私がこれから進んでいく計測制御分野の大先輩でもあった。計測制御はかなり専門性の高い職場で、これだけ広範な業務を統括するには必ずしも適当な職種とは言えない。東大の造兵学科出身と聞いていたので、あるとき恐る恐る(年齢が離れているばかりか、先輩たちが“禅問答”と言うほど独特の会話)、大学で学んだことと現在の仕事の関わりを聞かせてもらった。造兵学科は工科大学が東大となった時から存在する伝統ある学科であること、弾道学・火器設計・装甲材料・精密機械・爆薬などを学び、卒論研究は「ガス冷蔵」(ある種の冷媒を加熱すると冷却する。戦後ガス冷蔵庫として商品化)であったこと、兵器開発において制御工学は欠かせぬ技術だったこと(射撃管制、自動操縦(魚雷)、遠隔操作(船の操舵、巨砲))などを語ってくれ、この時学んだ制御工学が石油精製会社転職に結びついた、とのことだった。兵器開発からプラント制御への転身、見事なデュアル-ユース(軍民両用)の身近な例である。その後軍事技術に興味を持つようになり、造兵学科出身者の戦後を調べてみると、工作機械の数値制御からカメラの合焦・自動露出までさまざまな民需分野で活躍していることが分かった。また、造兵学科創設(明治20年)の背景に、明治の軍政家大山巌の「国家の独立を全うするためには、兵器を外国に仰いではならない」との信念が反映されていることも知った。

戦後の我が国では何かと政治問題化する軍民両用技術、特に学界の軍事アレルギーは依然病的とさえ思える。武器輸出三原則改訂が話題になる昨今、タイムリーな一冊と思い読んでみた。

我が国の軍民両用技術に関する書籍の多くは、それに対する反対あるいは賛成を論旨とするものが大部分である。本欄でも反対の立場に立つものとして池内了「科学者と軍事研究」を202210月に、賛成の立場に立つものとして桜林美佐「軍産複合体」を202411月に紹介している。これらに対して本書は、国家安全保障は一先ず置いて、軍民両用技術そのものに焦点を当て、これを峻別することの難しさを個別技術分野毎に解説、学界主導の“我が国固有の軍民両用化問題”がいかに不毛なものであるかを訴える内容になっている。その背景には、きわめてユニークな著者の経歴がある。

著者は1975年生れ、京都大学経済学部に進学するも中退、その後海上自衛隊に入隊、一等海尉まで進級したのち退役、九州大学大学院博士課程に進み「比較社会文化」で博士号を取得、京大大学院文学科研究員を経て、現在立教大学大学院人工知能研究科教授を務めている。つまり軍民での経験者なのである。

個別技術分野として章立てされるのは、1)宇宙技術、2)バイオテクノロジー、3)サイバー技術、4AI5)ロボット・ドローン、6)その他の技術、であり、最後に国の安全保障戦略、安全保障貿易管理、防衛装備庁の研究推進制度、それに対する学術会議の動向などを取り上げて、この問題の複雑さを概説する。

個別分野のデュアルユース例を一部紹介すると、1)宇宙技術では、カーナビやスマフォの道案内に利用されている位置情報システム(GPS)は米軍が1978年試験運用を始めたナブスターに発すること、ひまわりに代表される気象衛星は偵察衛星を起源とすること、2)バイオテクノロジーでは、感染症やゲノム編集の研究が、生物兵器に転用される可能性のあること、3)サイバー技術では、インターネットの元は国防総省高等研究計画局(ARPA)が危険分散のために構築したARPAネットであること、4AIでは、フェースブックの「いいね」分析がフェークニュース発信に利用され、英国のEU脱退や第1次トランプ政権誕生に寄与した可能性のあること、5)ロボット・ドロ-ンでは、オモチャ同然の中国製ドローンが少し手を加えることできわめて有効な兵器に転じていること、などが取り上げられている。もっとも興味深かったのは6)その他の技術で紹介された、米空軍研究所が2010年中古のプレイステーション31700台使い並列処理のスーパーコンピュータを作り上げたことである(写真付き)。また、中東・アフリカの反体制派やゲリラにとり、トヨタハイラックスは主要機動兵器として大人気。軍から民、民から軍の技術転用・展開は至るところにあり、それを峻別することは事実上不可能なのだ。

以上のような現状を踏まえた上で、我が国における軍民両用技術問題を論ずる。2013年閣議決定として「国家安全保障戦略」を発され、デュアルユース技術獲得のために大学との連携が訴えられる。それを受け2015年防衛装備庁は「安全保障技術研究推進制度」を発足させる。これに異を唱えたのが学術会議(2017年)、事実上大学が助成を受けることを禁止する結果になる(申請がほとんど無い)。2022年学術会議は「デュアルユースとそうでないものとを単純に二分することはもはや困難(中略)、その扱いを一律に判断することは現実的でない」との声明を発するものの、学界の軍事アレルギーが改まることはなかった。デュアルユースを一旦離れて、著者が問題視するのが自衛隊装備品のコストである。ライセンス生産したF-15戦闘機の日本価格は1121億円、米軍の調達価格は35億円(108円/$)、これもライセンス生産のUH60ヘリコプターは日本価格50億円に対し米軍価格は6.5億円(111円/$)。これに対し、性能比較は一先ず置いて、国産90式戦車(最新は10式)は8.2億円、米軍M1A2戦車は5億円、依然国産は高価格だが、前2例よりは価格差は小さい。最新鋭戦闘機独自開発は超大国以外不可能だが、通常兵器の開発・生産は国産でまかなう方策が一朝有事の際好ましい。もし輸出が可能になり生産量が増えれば、さらなるコストダウンも可能となる。このためにもデュアルユース領域の産官学の協力体制は不可欠なのだ。

個別デュアルユース技術紹介では基礎的(歴史を含む)な技術解説にかなりの紙数を割いている。そのため多少その面の知識がある者にとっては冗長な感を免れない。しかし、技術に疎い読者には分かりやすい導入部となっている。また、イデオロギー臭を感じさせない論調に好感がもてる。

 

-写真はクリックすると拡大します-