<今月読んだ本>
1) レットイット・ビーと異邦人(有賀至誠);文芸社
2)Science
Fictions(スチュアート・リッチー);ダイヤモンド社
3)高野連(広尾晃);新潮社(新書)
4)ミッドウェイ海戦(大木毅);文藝春秋社(新書)
5)途上の王国(沢木耕太郎);スイッチ・パブリッシング社
6) 陰翳礼讃・文章読本(谷崎潤一郎); 新潮社(文庫)
<愚評昧説>
1)レットイット・ビーと異邦人
-IT企業新社長が打ち出した社内透明化の掲示板。そこへの投稿から暗転するビジネスマン人生、体験者が書いた自伝小説-
我が国ITの世界では、その黎明期から英語の略号が頻繁に利用されてきた。1960年代に唱えられた米国発のMIS(Management Information System;経営情報システム)などその典型例だろう。1980年代半ばSISという略語が一時期流行語となった。Strategic Information System(戦略的情報システム)の略である。米国ではそのままIT活用の概念として使われ、略語が普及することはなかったが、日本ではSISとして一人歩きしていくのである。このブームを受けて、我が国大型汎用コンピュータのトップ企業であった富士通は、1989年そのユーザーで構成する研究会の中に、「SIS診断研究分科会」を立ち上げた。私はそのメンバーの一人であり、著者は富士通側の研究アドヴァイザーであった。この研究は月一回合宿ベースで2年間にわたり行われ、研究仲間で著書「SIS診断」(1991年日本能率協会刊)を出すほど実りあるものだった。メンバーは研究会終了後も十数年交流を続け、その時どきのITと経営を語りあってきたが、ここ数年はメールやSNSだけの付き合いになってしまった。その著者から7月に贈られたのが本書である。
著者(1951年生れ)の富士通就職に至る学生時代に言及するものの、全体としては就職後から今日に至る小説形式の半生記である。会社名・個人名は変えてあるものの、内部事情を知る者にとっては、おおよそ見当がつき、面白さの一つはそこにある。
ビジネスマンとしての転換点は、1998年のA新社長就任にある。私もこの人がシステム本部長時代から面識があり、著者も部下だった時代がある。新社長が打ち出した経営革新策は、事業構造変革、成果主義導入、社内コミュニケーション改善。世代が近いことや、かつての上司だったことから、著者は新社長に期待する。社内の風通しを良くするために設けられた掲示板に、食堂の改善策を提言したことがきっかけで、順調に部長職まで進んでいた運命が暗転する。人事担当役員は「部長がこんなことを掲示板に投稿することは不適切。取り下げて謝罪せよ」と迫ってくる。新しい経営方針では、忖度せず率直な意見交換を奨励しているのに納得できない要求だ。ここから、経営側(主として人事部門)と著者の冷戦が始まる。役職を外され、さらには座敷牢に閉じ込められるような扱いまで受け、精神的にも追い詰められていく。それは本人ばかりでなく、家族にも影響、社内結婚した夫人にもおよび、記憶障害を起こしてしまう。関係会社出向でも思うように仕事は出来ず、ついに早期希望退職の道を選ぶ。
個人コンサルタントを兼ねながら国立大大学院の博士課程に進むものの、これも順調にはいかない。母校東北大学での就職指導担当、かつての同僚が役員を務める関係会社勤務、ベンチャー企業への転職。何度も危機的状況(特に収入)に陥りながら、それを乗り越え、夫人も健常者として回復、今はかつての異邦人もあるがままに(Let it be)生き、落ち着いた時間を過ごしている。しかし、“三つ子の魂百まで”、持論である、日本型縦社会批判研究はネットを通じて終生続けるようだ。
SIS診断研究分科会当時から、ITによる組織構造変革は話題になっており、文鎮型やネットワーク組織が注目されていた。著者はそれに強い関心を示し、ときに夜の飲み会では顧客であるメンバーと激論を戦わす場面もたびたびあった。新社長の打ち出した経営変革ヴィジョンはそのチャンスと見て行動に出たが、大きな組織の中で理想を実現することは容易ではない。本書はそのごく身近な事例、読んでいて自分の生き方を問われているような気分を、しばしば味わった。なお、本文中で研究分科会活動にも触れており、変名ではあるが私も登場する。
2)Science
Fictions
-SF小説にあらず!ノーベル賞級研究の裏にある詐欺・虚偽・不正・過誤の数々を白日の下にさらす-
現役時代いくつかの学会に所属しており、学会賞の審査や学会誌への論文査読の機会があった。論文の学会誌掲載は、博士号取得を目指す者だけでなく、既に取得している者でも実績評価につながり、研究者にとってその採否は重要な意味を持つ。しかし、査読者(私)にとって研究の新規性や論旨展開の構成・表現をチェックするところまでが限界で、数式やデータの信憑性を確認するまでには至らなかった。本書のタイトルScience Fictionsは、「スターウォーズ」や「日本沈没」のような、いわゆるSF小説を思い浮かべるものだが、それとはまったく異なる内容。高い評価を受けた研究が、いかに(結果として)作り物であったかを俎上にあげて批判するものである。とはいえ、決してジャーナリスティックな暴露ものではなく、その来るゆえんを辿り、それがおよぼした影響を述べ、それらの不正・過誤を避ける方策を提言する、建設的な内容となっている。
先ずこのような問題の起こる根源が、科学界における過度な成果主義にあるとし、成果評価の起点となる学術誌・学会誌の編集・出版過程を詳述する。特に重きを置くのが査読、一言で言えば、この門番機能低下が結果として杜撰な論文を多発することになっているいのだ。科学論文の肝は再現性にあるが、同じ手法で他者が試み、否定する結果(NULL;セロ、空)を得ても、同種論文は掲載しないという編集方針にも問題がある。
次いで、不正や過誤が多発する理由を掘り下げる。「ネイチャー」(英)、「サイエンス」(米)では寄稿数に対して掲載数は6~8%(査読に至らず編集段階ではじかれるものを含む)。権威ある学術誌だけに、投稿者は何とか採用されようと、ねつ造の誘惑にかられるのだ。つまり、科学といえども実験や仮説検証だけで終わるわけではなく、きわめて社会的・人間的な世界なのである。ここでは、助成金獲得や高い業績評価を得るために、研究者が置かれている環境が多角的に語られる。
そして最も紙数を割くのが、不正・過誤の事例紹介である。詐欺、バイアス(先入観、思い込みなど)、過失、誇張、がそれぞれ章立てになり、詳しく紹介される。例えば、詐欺の章では、STAP細胞で問題になった小保方春子(理研、再現性無し)や偽作(データねつ造)論文数世界トップである藤井善隆(麻酔学者;その副作用に関する論文;STAPに比べほとんどマスメディアに取り上げられず、私はこの本で初めて知った)など日本人も登場する。バイアスでは、為政者やイデオロギーに忖度した政治バイアス、販売促進のための販売バイアス、学界全体が一旦定着した学説を守るため異論を封じた事例なども紹介される。過失では、実験データの読み誤り、統計処理の間違い・作意、誇張では、実際より重要で画期的であるよう見せる表現を問題にする。事例は全て実名で語られ、そこには行動心理学でノーベル経済学賞を受賞したダニエル・カーネマンやノーベル医学・生理学賞の選考機関であるスウェーデン・カロリンスカヤ医学研究所(医大)の関係者(画期的な気管手術論文で名を上げたイタリア人外科医を客員研究員・教授として採用するが、その論文が虚偽と判明。それをしばらく否定し続け、最終的に理事長・学長辞職)なども登場。フィクションが権威ある人物や組織にまでおよんでいることを問題視する。
最後に「科学を修正する」と題する章で、出版バイアスの防止法、統計数値の検証法、アルゴリズム(IT利用)による不正・過誤の発見法(例えば引用文献数の引用者追及のような)、あるいはNULL(再現性否定)論文発表の場、ネット上でのプレルリント掲示など具体的な改善策を示し、「実際の貢献に応じて報われる科学者評価システム」「オープンで透明性の高い論文発表の場」を提言して結ぶ。
事例では、人の生死に関係することもあり、医学・生理学・薬学分野がきわめて多い。一方同じ自然科学でも工学は皆無、これはこの分野を専攻した者としてはいささか不満。心理学が意外と多いのは著者の専門分野だからだろう。索引が無いのが残念。
著者の生年は不祥だが、40歳前後。エディンバラ大学PhD、キングズ・カレッジ・オブ・ロンドン、エディンバラ大学講師を経て現在AI企業Anthropic社研究広報担当。専門は心理学、認知科学。
3)高野連
-春夏の甲子園を取り仕切る高野連、守旧派・頑迷固陋と難じられる組織の実態を奥深く探る-
今夏の甲子園は智辯和歌山高校の優勝で終わった。私の応援順序は、先ず自宅から徒歩圏に在る横浜高校、ここが出場できないときは神奈川代表、そして二番目は常に和歌山代表である。高校野球を身近なものにしてくれたのは、1962年入社来7年強を過ごした和歌山工場時代、社員に何人か甲子園出場者が居たのだ。同じプラント勤務で寮も一緒だった4~5歳上のOさんもその一人、新宮高校時代の代表選手(捕手)である。三交代勤務は日中自由な時間が多い。彼はその間地元箕島高校の野球部を指導しており(正規の部長・監督は体育教諭だが、実質的な指導を担当)、当時は弱小チームだった選手たちの未熟さをよく嘆いていた。「わいがこうしておるのに、気いつのかんや(ユニフォームのバンドを握って上下に上げ下げする;バントのサイン)」と。しかし、1968年尾藤監督の下、春の選抜に初出場(ベスト8)、その後春夏4回優勝、東尾(西鉄・西武)、島本(南海)、吉井(現ロッテ監督)などプロ野球有名選手を何人も輩出すほどの強豪校となる。当時和歌山県には私立の男子校はなく、日本全体でも大都市を除けば、出場校の多くは公立高校、選手も地元育ちが100%、真に郷土の代表と言えた。また各都道府県から必ず一校が代表になるわけではなく(25校程度)、例えば、和歌山と奈良で紀和大会を勝ち抜いて甲子園出場がかなうシステム。ゆえに甲子園での試合数も少なく、準々決勝以降有力投手連投の名勝負がしばしば生じた。今や代表校の数は49校と倍増、そのほとんどが私立、決勝戦で対決した2校のベンチ入り(20名)地元中学出身選手割合は、智辯和歌山が40%、健大高崎は25%に過ぎない(掛川西(静岡)、大社(島根)は100%で最高、最低は青森山田の5%)。また、甲子園熱は高いものの、野球少年の数は激減、オリンピックの商業主義同様、甲子園も大きな曲がり角にある。今の高校野球を知りたく、本書を手に取った。
夏の甲子園は1915年発足、春の選抜は1924年開始。前者は大阪朝日新聞社、後者は大阪毎日新聞社主催。この時代、まだ全国中等学校野球大会を統一運営する組織は存在していない。1932年文部省は敵性スポーツである野球に対して「野球統制令」を施き、その下に「中等学校野球協会」を置く、これは戦後一旦解散させられ、学制改革もあり、1946年GHQの指導で日本高等学校野球連盟(高野連)として再スタートする。この際GHQが命じたのは、民間企業(新聞社)が学生スポーツを主催することを禁じたことである。講和後それぞれの新聞社が“共催”する形になったが、両大会の運営母体は以降高野連である。
本書は、前史として戦前の両大会に触れるものの(組織運営理念はこの時代に作られる;不易流行;伝統を踏まえつつ、一方では新しいものを取り入れること)、新制高野連について語る内容である。なお、もう一つ都道府県高等学校野球連盟が存在するが、組織としては独立しており下部組織ではなく、そこに問題があることも、本書の中で述べられる。
高校野球を端的に表現する言葉は「汗と涙と青春」。そこにあるのは科学技術や社会環境とは距離を置く精神論中心の野球観だ。ここから、高野連を「守旧派」「抵抗勢力」「頭の硬い、分からず屋」と難ずる風潮が、スポーツ・ジャーナリズムの世界に広まっている。「本当にそうだろか?」。この疑問に答えるのが本書の論旨である。
発足来現在に至るまでの高校野球を巡る問題を辿りながら、高野連の対応とそれによる関係先の動きを追っていく。早い機会から在るのがプロ野球との関係、様々な“青田買い”活動に対する嫌悪感と防止策。第3代会長佐伯達夫による「佐伯通達」はその厳しさで、後世に残るものだった。古くて新しい問題は投手にかかる過大な負荷とその軽減策。ここでは球史に残る激戦が取り上げられ、1933年の中京商業対明石中学の戦い(延長25回)や1958年徳島商業のエース板東英二が徳島予選で41回連投したケースが取り上げられ、「メディカルチェック」や「球数制限」導入に対する高野連の対応が紹介される。また、夏の大会は地方予選からトーナメント制、酷暑の中での健康問題から発した「7回制」の是非が論じられる。少年野球の7回制は米国を始め中南米、台湾で採用されており、地方高野連ではこれを支持する関係者も多い。一方反対意見の一つに、部員が100人を超す野球名門校では選手の試合出場数が減ることを理由に上げるところもある。古くて新しい別の問題に、選手間の暴力沙汰や醜聞(飲酒、喫煙、セクハラ)がある。昨夏、広島代表広陵高校は一回戦に勝利しながら、暴力問題で二回戦を辞退するにいたる(学校は隠していたがSNS投稿で炎上)。著者の調査に依れば、強豪校の多くは寮生活、ここでは学年が序列基準。しかし、実戦は実力で選ばれ、下級生が正選手になることも当たり前。ここから発するストレスが、陰湿ないじめにつながっているのだ。校外での暴力・醜聞も連帯責任とする高野連の見解が、果たして時代に合うものだろうか、と疑問を投げかける。この他、特待生処遇、通信制高校参加(事実上練習時間制約無し)など、未解決問題も掘り下げ、「汗と涙と青春」にははるかに遠い、今の高校野球を露わにする。「なるほど。そんな世界なのか!」が読後感。
著者は高野連も不易を変えつつ流行に合わせる努力をしていると総括しながら、さらなる改善を以下のように提言する。ネット社会への対応(SNS危機管理やHPでの発信(特に地方高野連))、メディアとの関係改善(朝日、毎日中心からの脱皮)、教育と商業主義のバランス(公益財団ゆえ、最少財源で運営。初めて知ったが、審判は無報酬である!放映権収入など工夫してもいいのではと)、地方高野連の充実(現状は公立高校校長が会長で、選手経験者極少→専門家の組織化)、「学ばない人(地方の口うるさいオールドファン)」を穏やかに遠ざける。
著者は1959年生れ。大学卒業後広告制作会社勤務、旅行雑誌編集長を経て、現在はスポーツライター。
4)ミッドウェイ海戦
-第二次世界大戦定説検証第一人者による“運命の海戦”見直し。数々の組織弁護言説を見事にくつがえす-
終戦から81年、1945年から81年前を振り返れば幕末・維新の時期、大方の日本人にとって終戦も隔絶の感だろう。それでも8月を目指して、あの戦争を語る書物の出版はあとを絶たない。本書の刊行も6月(海戦と同月)、この時期を狙ったことに間違いはない。ミッドウェイ物など、本書のまえがきで、著者も“汗牛充棟”と記しているように、既に出尽くした観がある。私がこの海戦を知ったのは中学3年生のとき、父が淵田美津雄(真珠湾攻撃総隊長)・奥宮正武(海軍航空畑、戦後空将)共著「ミッドウェー」(原題名;本書題名はミッドウェイ)を求め、書架に置かれていたからだ。この本は数年前まで保持していたが、大量に蔵書を処分した際廃棄してしまった。本書の中で意味を持つ著書だけに、惜しいことをしたと思っている。
著者の作品は、「独ソ戦」「「砂漠の狐」ロンメル」「戦車将軍グーデリアン」「天才作戦家マンシュタイン」「太平洋の巨鷲山本五十六」などを既に本欄で紹介している。共通するのは、定説となっているものを見直し、新しい歴史観を与えてくれる点である。「独ソ戦」では、これがヒトラーの発意・独断ではなく、国防軍を含むドイツ民族によるスラブ民族絶滅戦争だったことを明らかにし、高い評価を受けている(2020年新書大賞受賞)。今度はどこに新しさが、と読んでみることにした。
ミッドウェイ海戦物の多くは、真珠湾攻撃に触れたあと、史上初の機動部隊同士の戦いであった珊瑚海海戦を考察したあと(戦術的には成功したが、戦略的(ニューギニア・ポートモレスビー攻略作戦)には失敗)、ドゥーリトル本土空襲を契機とする作戦計画を解説、次いで海戦そのものを詳述する。しかし、戦争を知らない読者を意識したのだろう、紙数の4割ほどを、海軍の基本戦略(本土近海域における艦隊決戦、大艦巨砲主義)や往時の海軍上層部(海軍省、軍令部)の言動、人物評価に充て、のちの問題点の導入部としている。この辺りは既刊の同種本とそれほど変わらず、冗長感が否めない。実は、本書は書き下ろしでは無く、口述筆記か対談を元に著わされたもののようで、それが影響していると思われる。
大木調が冴えてくるのは戦闘場面に入ってから。ただ、それは戦闘内容や経緯そのものでは無く、冒頭挙げた淵田(攻撃隊長の予定だったが虫垂炎術後、赤城艦内で伏せている)の著書「ミッドウェー」、航空参謀だった源田実の回想録、さらに戦後海軍関係者が執筆、防衛庁防衛研修所が編纂した「戦史叢書(海戦に関する部分)」など、関係者の発言や書き残した物の虚偽検証を行う部分である。具体例を挙げれば、「南雲(司令長官)愚将説」「運命の5分間」「山口多聞(第二航空戦隊司令官、飛龍座乗)神話」などがそれらだ。
「南雲愚将説」;航空戦の専門家では無かった、真珠湾攻撃で第二次攻撃を行わなかった、作戦を草鹿参謀長や源田航空参謀任せにしていた、などがその論拠となっている。しかし、南雲艦隊は真珠湾のあとセイロン沖海戦(4月)を戦い、消耗・疲弊、補修・補給・休養が必要だった。にもかかわらず帰国後直ちにミッドウェイ作戦に向けられる。しかも、ここで大幅な人事異動が行われたのである(これは本書で初めて知った)。周到な準備・訓練を重ねた真珠湾とは大違いなのだ。
「運命の5分間」;ミッドウェイ島上陸に先立ち艦隊爆撃隊は同島を空爆する。十分でないと判断した友永隊長(淵田の代理)はさらなる爆撃を司令部に要請する。米空母攻撃のため艦船用爆弾を装着中だった艦爆はそれを陸上用に積み替えなければならない。この換装中に敵機来襲、甲板上の爆弾が誘爆、赤城・加賀・蒼龍が炎上していく。「あと5分あれば攻撃隊を発艦できたのに!」、これが「運命の5分間」(初出は淵田の「ミッドウェー」)、戦後海軍関係者いずれもが語り、書き残して長く定説となっていく。しかし、これを覆したのがノンフィクション作家の澤地久枝。海戦の生存者を訪ね歩き「蒼海よ眠れ」を著わして、5分くらいではとても攻撃にかかれる状況では無かったことを明らかにする(メディアで奥宮と対決、論破する。九九式艦爆の爆弾懸架方式が陸用・艦用で異なることを本書で初めて知った)。
「山口神話」;南雲・草鹿・源田等機動部隊トップはすべて生還している。山口も艦長ではなく戦隊司令官でありながら、エンタープライズを屠った(唯一の戦果)あと、沈む飛龍と運命を伴にしたことで、数々の神話が語られることになる。しかし、これは全て戦後の作り話であった。
著者の年齢(1961年生れ)から、作品情報源の全ては文献にある。この点で今回覚醒されたのは防衛研修所編纂の「戦史叢書シリーズ」に対する批判である。多くの戦史作品で参照されてきたものだが、執筆・編集時には関係者が多く生存しており、内容に自己弁護・組織弁護の傾向が強い(特に海軍)との指摘である。
著者の敗因分析結果は;複雑な作戦(陽動作戦のアリューシャン列島攻略、ミッドウェイ島占拠、それに米機動部隊殲滅)であるにもかかわらず、軍令部も連合艦隊司令部も細部は機動部隊任せだったこと、それまでの連戦連勝で海軍全体が傲慢になっていたことにありとする(例;兵棋演習で、航空戦の彼我撃墜率は6対1で日本側有利としている)。読後、澤地久枝の「蒼海よ眠れ」を読んでみたくなっている。
5)途上の王国
-20代半ば1年余をかけた貧乏旅行は「深夜特急」として結実したが、思い残したモロッコへの旅を老バックパッカーとして挑戦、まさに続編だ-
旅の記憶は景色、食事、催し物、乗り物といろいろあるが、最も忘れ難いのは“予期せぬ出来事”だ。その点で、現地で出たとこ勝負が連続する旅の報告は面白い。保有するその種の本で最も古いのは、1962年朝日新聞刊の「ロンドン→東京5万キロ」(実施は1961年)。まだ国産乗用車が海外進出前、これをロンドンまで運び、そこから欧州→中近東→インド亜大陸→東南アジアと陸路を走り、海路で徳山に陸揚げし東京に至る、大冒険ドライブである。使用したクルマはトヨペット・クラウン、機械科の学生として国産車の遅れはつとに知るところだったから、この快挙に感激した。その14年後(1974年~5年)、バックパッカーとして逆ルートを辿り、東京から香港経由でロンドンに達したのが沢木耕太郎。乗り物の主体は路線バス、その旅を綴った「深夜特急」は1986年単行本として第1巻が刊行され、ロンドン到着の第3巻は1992年と長期間要したものの、ベストセラーとなり、文庫本化もされ、今も売れ続けている。爾来沢木ファンとなり、旅に関する著作は必ず購入している。本書はその最新作である。
「深夜特急」の高い評価がTV番組化につながり、ドキュメンタリー+フィクションの形でTV朝日「劇的紀行 深夜特急」として、3回にわたり放映される。この撮影打ち上げが1997年5月ロンドンで行われ、それに参加した著者が急遽思い立って実行するのが、今回のモロッコ紀行である。原著第3巻終盤近くで詳しく述べられるのは、ポルトガルの南西端サグレス岬滞在。ヒッピー同様だった著者が一瞬考えるのが、彼らの聖地の一つマラケシュ訪問である。この時は断念するものの、その思いが20年後蘇り、日本を発つ前には考えてもいなかった、衝動的な行動に出る。バックパッカーの装備をロンドンで整え、不要なものはスーツケースを含め制作スタッフに持ち帰りを依頼、単身ジブラルタル海峡に面するアルヘシラス(スペイン)に向かい、ここからモロッコ彷徨を始める。もう歳は50歳だ。
既に一流作家となっている著者は、数え切れないほど海外に出ている。また経済的にも20代半ばとはまるで異なる環境。それでも今回の旅のスタイルは「深夜特急」時代と同じだ。安宿に泊まり、屋台で食事を摂り、乗り物は基本的に路線バス、行きがかりの人に世話になる。現地通貨交換を抑えているので、ときには現金が底を尽き、支払いに窮することさえ生じる(カード利用や両替に制約多)。自身英語での会話とフランス語・スペイン語の片言は可能だが、アラビア語はまったく解さない。逆にモロッコ人はほとんどアラビア語しか話せない。「深夜特急」の経験が、こんな環境下で生きてくる。
旅程はあらかじめ決めておらず、フェリーの到着点であるタンジール、かつてのヒッピーの聖地マラケシュ、さらに世界一の迷宮都市と言われるフェズに適当な期間滞在することを漠然と考えている程度。カサブランカはマラケシュへの途上、映画「カサブランカ」のイメージを確認するため一泊しただけだ(映画と重なるものはどこにもない)。一方予定外は“本物の砂漠”を訪ねたこと。マラケシュ滞在中に思い立ち、ルートも宿泊地もはっきりしないまま奥地に踏み込む。「深夜特急」の中東は土漠だが、360度完全な砂漠に到達し感激、ここにしばらく腰を落ち着け、印象記だけで13章の内4章を割く。
一番の目的地であるマラケシュには4~5日滞在する。到着したバス広場で教えられた、夕刻になるとにぎわう広場に面したペンションに投宿、現地の人々の行動を観察、それに慣れ親しんでいく。案内がないと迷子になりかねないメディナ(旧市街)のスーク(市場)も一人で探索、やがて日本語を話す若者に出会い、さらに現地社会に溶け込んで
いく。これはフェズも同様だ。現地の人々との交流、宿泊先施設やそこでのサービス、料理・飲料の調理手順から味わいや値段まで、詳しく解説される。おそらく全期間で4週間くらいの滞在、まったく「深夜特急」続編、第四巻と言っていい内容と筆致だ。私自身40代後半に戻った感で読み終えた。
本書の初出はこの旅の直後、1998年講談社刊の女性月刊誌「フラウ」に連載されたもの。この単行本は珍しく、名の知れぬ出版社から出ているが、最大の理由は自ら撮ったスナップ写真(カラー)を組み込むことにあったようだ。題名にある「王国」は「旅の世界」の意、それが「途上」と言うことは、「深夜特急」はこれからも走り続ける、と解釈したい。期待してます!
6)陰翳礼讃・文章読本
-陰のある明るさこそ日本美の原点、建築から食器までその美しさを解説する-
-ただのハウツー物にあらず!谷崎の創作思想・姿勢が生き生きと伝わる内容だ-
谷崎潤一郎の作品に初めて触れたのは中学生時代である。母の実家にあった「近代日本文学全集」(改造社刊)をもらい受け、その中にあったからだ。読んだ作品の中で記憶に残るのは「痴人の愛」だけ、ナオミを挟んで男二人と寝る場面しか覚えていない。次に読んだのは高校時代、文藝春秋に掲載の「鍵」である。いずれも思春期にある者にとって、興味津々の内容だが、読み物として面白いものではなかった。以後谷崎作品を読んだことはない。それがこの歳になって手に取ることになったわけは、5月本欄で取り上げた筒井康隆の「不良老人の文学論」にある。この本は100近い作品を評するものだが、そこに取り上げられており、その評に惹かれ、即購入となった。本書は別々に発刊された2編からなる。「陰翳礼讃」は1933年経済誌に連載した随筆、「文章読本」は1934年書き下ろされた単行本、これを合本復刻文庫本化したものである。読んでみて共通するのは、まったく時代の差を感じないことと、「若いときに読んでおくべきだった」との思いである。
「陰翳礼讃」;話は建物および家具・什器から始まる。西洋のむき出しの明るさに対して、行燈、障子が醸し出す柔らかい光、つまり陰のある明るさこそが日本(東洋)文化の特色だと。ここから、ひさし・のき・縁側の効用(光が奥まで届かない)、砂壁の落ち着き、陶磁器と漆器の違いが料理の味わいにおよぼす影響(味噌汁には漆器必須)、玉(日本、中国)とダイヤモンド(西洋)への好み、和紙(純白でない)と洋紙の光沢と柔らかさの違い(著者は特注の和紙の原稿用紙に毛筆で書く)、さらには、この時代使われてはいないが、おはぐろや青い玉虫色の口紅が白人よりも白さを浮きだたせる化粧、などにおよぶ。それは単なる和洋の対比ばかりでなく、同じ日本の芸能を比較し、能にくらべ歌舞伎のケバケバしさ(特に照明)を難ずるような話もある。びっくりさせられたのは、もし東洋が独自の科学を発展させていれば、万年筆は出現せず、筒の中に墨汁を充填し筆部にそれを染み出させる筆記具が発明されていたのではなかろうか、と記されていることである。80年前今日の筆ペンを予見した先見性に驚かされた。
本書出版時はドイツの建築家ブルーノ・タウトが来日、桂離宮など日本美を賞賛した時期とも重なり、随筆の枠を超えて、建築を始めデザイン、写真、映画・演劇、工芸、料理など幅広く影響して行くことになる。戦後英訳もされており、岡倉天心の「茶の本」と並ぶ日本美を分りやすく伝える名著、と海外でも賞賛されている。
「文章読本」;この部は随筆ではなく、文章作成教本の趣き。単なるハウツーでなく、著者の文章作成の思想・姿勢が生き生きと伝わる内容だ。小説を前提にしているが、実用文・雑文でも学ぶべき事柄に満ち満ちている。
先ず、言葉とは何か、文章とは何か、から始まる。それは「思想を伝達する機関(手段)である」とし、「分りやすいこと。理解しやすいこと」を必要条件として挙げ、この条件は実用的な文章のみならず、芸術的は文章(つまり小説)も同様と説く。また小説に使う文章は生活に密着し、実際に即したものでなければならないとし、志賀直哉の「城の崎にて」の一文を例に解説する。さらに、日本文は独特の象形文字(漢字)を使うので、読書の眼に訴える工夫と、黙読が普通の時代でも、音読したときの響きに留意する必要があると加える。
次いで文章の上達法に移る。文法に囚われぬことと感覚を研ぐことについて語るが、感覚に関しては「曰く言い難し」と詳述は行わず、良い文章は「長く記憶に留まる深い印象を与える」「何度も繰り返し読むほどに滋味の出る」とし、感覚を鋭くするには「出来るだけ多くのものを繰り返し読む」「実際に作ってみる」と手短にまとめる。
最後は文章作成の留意点を六つ挙げ、おのおのについて具体的に説明する。①用語;単語の選択が根本。分りやすい語を選ぶ。②調子;音楽的要素。流麗調(源氏物語)、簡潔調(志賀直哉)、冷静調(学者肌の作者)など。③文体;文章の形態・姿。講義体、兵語体、口上体、会話体。④体裁;文章の視覚的要素一切。振り仮名・送り仮名、漢字および仮名の宛て方(例;自作の「盲目物語」(戦国時代、盲目の老婆の昔話は、文章のテンポを緩やかにし、極力漢字を使わないように配慮))、活字の形態、句読点(例;これも自作の「春琴抄」、盲目独身女性の長い語りに読点がない)。⑤品格;文章上の礼儀作法。饒舌を慎む、言葉使いを粗略にしない、敬語・尊称を疎かにしない。⑥含蓄;含意・余韻の意。あまりはっきりさせようとしない。いずれも具体的で今日でも充分そのまま適用可能。読んで最も実りある部分だった。
読後、作家はここまで文章・言葉に配慮して書いているのか、と教えられるとともに、これから何か書くとき、嫌でも内容が頭の中を駆け巡る気がしてきた。
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