2026年10月31日土曜日

今月の本棚-219(2026年10月分)


<今月読んだ本>

1) 蒼海よ眠れ(第1巻)(澤地久枝);毎日新聞出版社(文庫)

2)イギリス帝国(木畑洋一);岩波書店(新書)

3)アメリカの本屋さんの歴史(エヴァン・フリス);東京堂出版

4)地理と鉄道(竹内正浩);実業の日本社

5)悪党たちのソ連帝国(池田嘉郎);新潮社

6)ロンドン骨董街の人びと(六嶋由岐子);中央公論新社(文庫)

 

<愚評昧説>

1)蒼海よ眠れ(第1巻)

-ミッドウェイ海戦の両軍戦死者3千名以上。その関係者を訪ね、あの戦いを偲ぶ力作ノンフィクション-

 


読む本を選ぶ理由は様々だが、その中には自分で求めたものでないものを、偶然読むことになるケースもある。人から薦められても、お断りすることが比較的多く、申し訳なく思うのだが、気乗りのしない分野・テーマあるいは著者の本を読むほど、苦痛なものはない。今回はその真逆、8月の本欄で大木毅「ミッドウェイ海戦」を紹介した際、この本の参考文献として記載されていた本書のことを知り、結びに、「澤地久枝「蒼海よ眠れ」を読んでみたくなっている」と記したところ、それを目にした水泳仲間が貸してくれたものである。文庫本で5巻になるものの第1巻、一番知りたかった“運命の5分間”が、その第一章という幸運に巡り当たった。

ミッドウェイ海戦の敗因は、戦略レベルから偵察行動まで諸処の角度から論じられてきたが、「運命の5分間」が海軍発の定説として人口に膾炙されている。つまり「あと5分あれば攻撃隊は発艦しており、あの惨状は起こらなかった」との説である。そしてこの遅れ(混乱)のきっかけが、ミッドウェイ島攻撃隊総隊長友永大尉が帰途打電した、「二次攻撃の要あり」にあったとするものである。この報告で艦船攻撃用爆弾・魚雷を陸上用に付け換える必要が生じ、発艦が遅れたというのである。本書(全5巻)は、その第1章「友永大尉の「真実」」でこの言説が誤りであったことを明らかにすることから始まる。要は、友永情報以前に機動部隊(連合艦隊)司令部は兵装転換を決しており、しかもそれが5分で終わるような作業ではないことを突き詰めるのである。言い換えれば、友永に全ての責任を転嫁した海軍中枢を難じるわけである。これにより、初出(サンデー毎日)出版後、澤地と旧海軍関係者が論戦を繰り返し、現在では澤地説が有力となっている。

このように書き出すと、本書も数多ある、あの“海戦”を語るものと思われるかもしれないが、戦場・戦闘は舞台に過ぎず、それほど深追いしない。代わりに、あの戦いで逝った日米兵士たちを主役とし、それぞれの短い人生を描くことで、戦争そのものを読者に考えさせる内容になっている。つまり、戦史や戦記物でなく、一つの作戦を契機に、あまたの個人レベル(出自、家族関係・軍歴など)で戦争を見つめる、オムニバス様式のノンフィクションなのだ。あの海戦の死者は日米合計3418名(日本3056名、米362名)。本巻あとがきに依れば、著者のファイルキャビネットにはその全員の個別ファイルがあるという。ここから、おそらく50~100名を取り上げクローズアップしたのではないかと推察する(第1巻だけからの推測)。だからと言って、それだけの人物しか記したわけでは無い。友永の章では同じ機に搭乗していた他の2名(航法・爆撃手、通信士)や中隊の他戦死者も取り上げられている。

本巻は3章から成り、第1章が友永丈市大尉(戦死後中佐)、第2章は20人居た沖縄県出身者全員(下士官・兵)、第3章は空母ホーネットから発し、米機動部隊の先陣を切った、第8雷撃(魚雷攻撃)中隊(15機、全機未帰還)隊長ジョン・C・ウォドロン少佐(中佐)について詳述する。

読後最も印象深かったのは第2章(沖縄出身者)。この章には他章の倍200頁近くを費やし、聞き取り調査対象者それぞれの戦中戦後を含め話が進められるので、壮絶な沖縄戦の中に自分も巻き込まれていくような感さえ覚えた。凄まじい取材力と筆力、これが全巻通すわけだから、1986年菊池寛賞受賞が肯ける。

著者は1930年満洲生れ。高校卒業後いくつかの職場を経て中央公論社勤務、この間早稲田大学第二文学部(夜間部)で学び、のち独立。初出は1982年6月から2年半にわたりサンデー毎日に連載されたもの。心臓に持病がある中での調査への執念と本作品の重みは、この経歴と無関係ではなかろう。

ミッドウェイ海戦物は何冊も読んでいるが、本書で知った初知識は、航空機搭乗員戦死者数。日本121名に対し米は208名、米の被害は倍近いのだ!

 

2)イギリス帝国

-世界七つの海を制し、陽の沈まぬ帝国を築き上げたイギリス、暴力・欺瞞・陰謀の4百年を簡潔にまとめた優れた帝国通史-

 


“イギリス”、子供の頃から何気なく使い、それは国家であり、大ブリテン島であり、ときに大英帝国だったりと、漠然とした概念だった。それが一変するのは1983年秋、カリフォルニア大学バークレー校の管理職向けMBAプログラムに参加した時である。クラスメイトに英国からの参加者があり、彼との会話で「(イギリスのつもりで)England出身ですか?」と始めたところ、「UK(United Kingdom)から来たんだ」と、ちょっときつい表情で返してきた。後日分ったことは、彼の住処はイングランド(ブリストル)に在るものの、何代か前アイルランドから移り住み、夫人はウエールズ人、二人ともカトリック教徒であったことだ。爾来英国人とコミュニケーションする際は、English(イギリス)を使うことに細心の注意を払っている(会話ではBritishを多用)。また、日本語表記では英国、英国人としている。そんなこともあり“イギリス”表記には特別なインパクトを受ける。本書を見たとき「何故、大英帝国としないのだろう?」との疑問がわいた。しかし、丁度先月紹介した、英外交官アーネスト・サトウの「一外交官の見た明治維新」を読んでいる時期だったこともあり、理解の一助にと購入した。

著者は1946年生れ、イギリス史専攻の東大名誉教授。本書を含め既刊書のタイトルには“イギリス”が目立つ。先生は分っているんだろうか?こんな気分もよぎるタイトルだが、さすが!そんなことはご承知。はじめにの中の「本書の留意点」でこのことに触れ、帝国形成過程で4国(イングランド、スコットランド、ウエールズ、北アイルランド)の役割に注意を払い、敢えて我が国で普及している“イギリス”を使う、とことわっている。

全体として、17世紀に本格化した北米移民を出発点に、事実上帝国の終焉とも言える香港返還までの約400年を対象とした、イギリス帝国通史と言える内容だが、それぞれの時期に特徴的な問題を、よく示している地域をクローズアップする構成になっている。また、この間、その最盛期を19世紀中庸から20世紀初頭とみて、そこに力点が置かれている。考察する視点は、経済や文化にも触れるが、政治史が中心となる。その政治史の中で著者が留意点として挙げているのは、帝国支配における暴力(戦争・紛争・治安維持活動)の存在、 “イギリス(4地域;以下英国と記す)”の違い、日本との関係(19世紀中期以降)、がある。

「陽の沈まぬ帝国」と言われただけに、帝国を構成する国・植民地も様々。画一的な統治体系の下で存続してきたのでないことを、最終的には独立した米国を含め、地域毎に問題点を絞り論じていく。

前提として押さえておくべきは、4地域の関係、ここにイングランドを頂点とする国内植民地主義が内在することである。特に、それはアイルランドに顕著だ(北米では白い二グロの扱い)。それに帝国と一言で括るが、植民地・保護領、自治領、委任統治と、統治形態が異なること。これらを踏まえた上で、時代による海外進出の動機と統治策を解説していく。国策による移民(オーストラリア;囚人流刑地(アイルランドの政治犯がが多かった))、様々な理由で社会の周辺に追いやられた人々の自主的移民(北米;ピルグリムファーザーズ)、重商主義や産業革命による市場獲得や資源獲得(自国に都合の良い自由貿易主義;インド、中国、アフリカなど、後年は中東も))、他帝国との勢力圏争い(アフガニスタン(対露)、アフリカ(対仏)、中東(対独))、帝国維持のための要衝確保(ジブラルタル、アデン、シンガポール)。

4地域の差が顕著に表れた一例は米独立戦争、本来独立志向の強いアイルランド人が黒人とともに王党派を支持する。それ以前奴隷貿易(三角貿易)を禁じたのが英国王であり、米独立を主張する勢力(イングランド人中心、スコットランド人も独立支持)は奴隷制度是認だったからである。

日本に関する記述はそれほど多くない。インドを帝国に組込み、アヘン戦争で清を屈服させて時期、「昨日のインドは今日の中国、今日の中国は明日の日本」との世論もあったが、薩英戦争における民間人被害が伝わり、自制する動きが強まったとある。これは冒頭取り上げたアーネスト・サトウの著書と一致する。もう一点は日英同盟、よく知られるようにこれは対露牽制策である。

著者は帝国の最盛時を世紀の変わり目と見ており(版図は第一次世界大戦後だが)、その後は衰退期に移ったとし、自治領の独立やインド・東南アジア・アフリカ植民地の独立運動と二つの大戦との関係(特に兵力動員)を延べ、ここに現代につながる国際紛争(中東、インド・パキスタン)や移民問題、さらにはブレグジットの背景などにも言及、通史として完結させる。

本書を読みながら、しばしば頭の中を過ったのは、生まれ育った満州国問題。イギリス帝国とは、いくつもの満洲(プラス韓国併合)を抱えたような状態、満洲はわずか40年だが、それを400年続けたことは、ことの善し悪しはともかく、国際社会における国としての力は桁違いだ。

 

3)アメリカの本屋さんの歴史

-書籍出版・販売の歴史は欧州・中国が先行、米国は250年に過ぎない。しかし、世界の書籍販売を牛耳るのはアマゾン、これで良いわけはない!-

 


仕事に関係深い専門書(ITと石油)や写真雑誌(LIFEのような)を除き、洋書を読むようになるのは、本社勤務となった1980年代初期以降。読んでいたのは、ジャック・ヒギンスやアリステア・マクリーン、あるいはトム・クランシーなどの軍事サスペンス小説。求めるのは日本橋丸善や本社の在ったパレスサイドビルの流水書房(洋書部)だった。しかし、これらの書店では軍事科学技術やそれらと関わった科学者・技術者の伝記類に触れる機会は無かった。この洋書調達先が大きく変わるのは、ITサービス子会社勤務に転じてからだ。頻繁に海外出張があり、休日や空き時間に、訪問地の書店を巡る楽しみを覚えることになる。日本との違いは、戦史や軍事学コーナー(Military)の広さと、種類の多様性である。現在書架にある(残す価値のある)洋書の大部分は、バーンズ・アンド・ノーブル(NY)やボーダーズ(SF;ここが一番多い;数年前倒産)など大都会の大型チェーン書店で求めたもの、いわゆる街の本屋さんに立ち寄ったことはない。本書は、米国独立前の本も売る店(書物だけ扱う店など皆無の時代)からアマゾン、その攻勢をかわし生き残り・復活する“昔の本屋さん”に至る米国書店史である。

著者は1980年生れ。ジェームズ・マディソン大学(バージニア州立)歴史学教授(PhD)。

1993年には全米で約1万3千5百軒在った書店は、2021年には約5千6百店に激減している(国勢調査)。動物なら完全に絶滅危惧種だ。これに危機感を持った著者は、その歴史を辿り、独立系書店復活の道を探る。13の章から成る本書のトップは米国最初の書店「ベンジャミン・フランクリンの店」(フィラデルフィア)。これ以降、書店史・出版史・読書史に時代を画した書店を選び、最終章はコロナ禍を乗り越え復活を果たした、テネシー州ナッシュビルの「パルナッソス書店」で終わる。章のタイトルは書店名だが、そこを中心に据えながら、一店に集中せず、当時の出版界(作家、編集者、出版社・書店経営)を俯瞰し、解説する内容になっている。

では著者が時代を画すると見る書店はどんなものか。フランクリンの書店は専業ではない、彼自身多才で、著者・印刷工・出版者それに郵便局経営まで兼ねている。文学と書店文化の礎とするのはボストンの「オールド・コーナー」(これは店名ではなく場所だが、長く書店同様に使われる)。当時本を読むような知識人はニューイングランドに集中していた。広い大陸では変わった本屋も存在する。移動書店「パルナッソス・オン・ホイール(旅する本屋)」。時代が下るとクルマになり、船も利用される(書店ばかりでなく、図書館も)。百貨店の書籍売り場からスタートした「マーシャル・アンド・カンパニー(シカゴの百貨店名)」、この売り場主任(女性)は書店界の女帝と呼ばれるほど、出版界の実力者となる。マンハッタンの「ストランド」は,我が国では神保町に当たるブック・ロウ(本の回廊)に初めて開かれた書店。当初は盗品やポルノなど違法性のある書籍も取り扱っていた。ナチズム特化の「アーリアン・ブックストア」(LA)、ゲイのための最初の書店「オスカー・ワイルド・メモリアル・ブックショップ」(NY)、黒人文学・黒人顧客を対象とした「ドラム・アンド・スピア」(ワシントンDC)、グリニッジ・ヴィレッジの路上で古本を売る人びと。ここでは書籍路上販売の歴史が語られる。いよいよ現代、大型チェーン書店の「バーンズ・アンド・ノーブル」、そして世界最大の本屋「アマゾン」、トリは大型店やアマゾンに抗して、成長している独立系書店「パルナッソス」(テネシー州ナッシュビル)。実績のある作家(この人の存在が大きい)と経営学を修めたベンチャーキャピタリスト(いずれも女性)の経営で、堅実に売上げを伸ばし(二桁成長)、ハーバード・ビジネス・スクール教授が「独立系書店の新たな復活」と題する論文を発表している。「パルナッソス」が2011年開店してから、ABA(全米書店協会)加盟店は27%増加している。そうは言ってもメディアの“復活物語”は実態と乖離。著者の結びは「独立系書店が生き残るには、ファンの人たちがすべての本を地元の本屋で買うこと、アマゾンの利用をきっぱりやめることが大切」と。「そう言われてもな~」が率直な読後感である。

 

4)地理と鉄道

-地学的視点で、我が国主要鉄道路線の生い立ちから運営までをたどるものは珍しい。初めて接した鉄道科学啓蒙の書-

 


3年前会社同期入社仲間と箱根に1泊旅行に出かけた。箱根にはクルマで数えきれないほど出かけているが、今回JRと小田急、それに湯元-強羅間は箱根登山電車を利用した。急峻な勾配路線に適用されている、スウィッチバック方式は知っていたし、学生時代何度か信州へスキーに出かけており、碓氷峠越えでこのシステムを利用しているはずだ。しかし、夜行利用だったからまったく記憶になく、今回日中だったこともあり、ジグザグでの運行がどんなものかよく理解出来、80歳を超えて面白い体験をした。本書は国鉄・JRの路線を中心に、我が国固有の地理環境下(国土形成過程・地形・地質・地層・地盤・河川・海洋)での、約40路線の路線決定・敷設工事・運行について、ときに政治や歴史的背景を交え解説するものである。いわゆる“鉄チャン本”ではなく、地学的視点が基本となる、かなり重厚な内容である。

著者は1963年生れ。1985年北海道大学法学部卒業後日本交通公社(現JTB)に入社、主として編集部門で働き、月刊誌「旅」や各種ガイドブックの編集に携わり、2004年退社、独立。現在フリーライター、歴史探訪家として活動。地学に関する知識は、業務と独学で習得したもの、(読後感として予想したが)特定の専攻・研究歴はない。

構成は3章から成り、第1章「構造線と火山」、第2章「峠と盆地」、第3章「半島と海峡」。従来の特定路線に絞り込んだ解説とは違い、地形・地勢をテーマに語るところが特色であり、覚醒される点でもある。

我が国土にはその創成過程に遡る二本の地殻構造線が走っている。一本は糸魚川-静岡構造線。その背骨を成すのは、北アルプス・中央アルプス・南アルプス。京阪神と東京を結ぶ線は東海道線に留まらず、中央本線もまたこの線を横切らざるを得ない。日本海側を廻っても北陸本線、信越本線もこの構造線と関わることになる。もっと密に接するのは、この構造線上を走る大糸線や飯田線。地理的視点からの経路選定ばかりでなく開通後も路線保守や災害対策に追われ、何度も経路変更を重ねた路線すら在る。その悩みは東海道新幹線・北陸新幹線、そして建設中の中央リニア新幹線にもおよんでいる。

第二の構造線は北関東ないし諏訪湖周辺に発し、長野県南部・三河地方・三重県伊勢地方を経由・紀ノ川沿いを走り・四国の吉野川に並走・佐多岬から大分県の佐賀関半島・阿蘇・有明海に至る中央構造線。河川や山脈が続き、河岸や山裾を走る鉄路、これを横切る路線も多い。飯田線・関西本線・和歌山線・阪和線・土讃線・久大線・鹿児島本線・九州新幹線などがその例だ。直近では3回の熊本地震で大きな被害も出ている(9月26日に起きた3回目は本書に取り上げられてはいないが、それを予見させる記述はある)。

峠と盆地の章では、北海道開拓に寄与した狩勝峠越えの石狩本線・釧路本線・根室本線、日本近代史を(アプト式、スウィッチバック方式採用で)変えたと言われる碓氷峠越えの信越本線、4連スウィッチバックで何とか開通した奥羽本線の坂谷峠(現在山形新幹線はトンネル通過)、峠に名前はないが山陽と山陰を結ぶ木次線の中国山脈越えルートもいくつもの案が検討され、並走する国道314号線は大蛇がとぐろを巻くような二重ループで越え「奥出雲おろちループ」と称しているほどだ。盆地もその創成過程で鉄路建設に思わぬ影響を与える。諏訪盆地東岸は全国屈指の軟弱地盤地帯、80mでも基盤に達せず、中央本線茅野-岡谷間は今でも単線である。

半島;先まで延ばす必然性が最重要。同じ関東にありながら鉄道開通に大きな差がある三浦半島と房総半島、三浦は横須賀に軍港があり、観音崎には陸軍の砲台要塞が設けられており、東海道線全通前に大船-横須賀間が開通している。軍の力である。ただ陸軍は半島中央部または東京湾側を強く主張、地形的難易度で鎌倉・逗子経由に決まる。房総半島は過疎地であったため後回しになる。

海峡;ここで取り上げられるのは関門海峡と津軽海峡。石炭がエネルギーの主力だった時代、関門間輸送力増強は早くから論じられる。最狭部は600m、玄界灘と瀬戸内海の潮位差から生ずる大きな海流変化、隧道案・橋梁案・渡船案の長短、ルート、様々なケースがあったことを、正確な地図で解説する。海底トンネル案の決めては空からの安全保障である。津軽海峡は少々論点が異なる。青函トンネル案はアイディアとしては古くからあるものの、具体的な検討は戦後しばらくしてから。ここで語られるのは青函連絡船と下北・津軽両半島の鉄道事情。日露戦争直後、下北半島大湊に北洋防衛を任務とする海軍要港部が置かれたことで東北本線につながる大湊線が引かれ、それまで不毛の地であったこの半島が発展していく(鉄道敷設前は平坦で田畑が拓けていた津軽がはるかに豊かな地であったが)。

詳細なカラー地図を多用して、歴史や逸話も含め丁寧な解説。鉄道辞典的な使い方も出来る(とは言っても索引が無いことは重大な欠陥ではあるが)、鉄道ファン必携の書と言って良い一冊だ。

 

5)悪党たちのソ連帝国

-猜疑心・陰謀・欺瞞、重苦しい印象ばかりのロシア・ソ連、レーニンからプーチンまで個人に焦点を当て、変わらぬ権力統治体系の連続性を語る-

 


満洲でソ連侵攻を体験しているだけに、子供の時の対ソ連観はネガティヴなものであり、朝鮮戦争はさらにそれを倍加した。中学3年生の時(1958年)スターリンが死去、何となく穏やかな世界が到来するような感を持った。そんな時同級生の一人が「スターリンは凄い!彼の死で世界の株価が暴落した。オレもあんな人物になりたい」とのたまった。入学時から少しませた男だったが、株のなんたるかもよく分っていない私にとっては、スターリンの死より、この一言の方が衝撃的で、いまだ鮮明な記憶として残る。だからと言ってそれで嫌ソ観が変わることはなかった。それが激変するのは2003年、計測制御システム会社で海外ビジネスを担当、主にロシアビジネスに従事、現地従業員と行動を伴にし、人と社会に親しく接するようになってからである。この年12月大統領選挙が行われ、2期目に挑戦したプーチン人気は高く楽勝する(選挙当日ヴォルガ川中域サマーラ郊外に在る、プーチンの政敵ホドルコフスキー経営のユーコス社製油所に滞在中)。決め手はソ連崩壊のどさくさ時、国有財産を私した者たち(オリガルヒ;ホドルコフスキーをもその一人)を糾弾、それを国家の手に取り戻したことにあった。あれから23年、プーチンは歴代ソ連指導者と変わらぬ独裁権力者に大変身していく。

本書はレーニンからプーチンに至るソ連・ロシア国家指導者を俎上に上げ、その権力体質を分析・解説するものである。チェルネンコとエリツィン、プーチンは独立した章としては記されないものの、チェルネンコはアンドロポフとゴルバチョフの章でしばしば援用され、エリツィンはゴルバチョフの章で準主役、プーチンは様々な場面で登場、最終章エピローグは実質的にプーチンの章と言える。

著者は1971年生れ。東京大学大学院人文社会系研究科教授(文学博士)。専門は近現代ロシア史。

タイトルに学者の作品には相応しくない「悪党」が使われている。無論凶悪犯罪者の意ではない。ライバル粛清から民族浄化、大飢饉もたらした計画経済、力による衛星国支配など様々な巨悪を平然とやってのける、独裁者の巨大な権力を意味する。だからと言って“悪”ばかりをあげつらうものではなく、個人的資質や統治方法のプラス面もしっかりと記述されている。

帝政からソ連に代わった当初の国歌は、よく知られた労働歌「インターナショナル」であるが、1943年新国歌が制定される。オリンピックなどでよく耳にするメロディーだ。このメロディーは、歌詞は三度変わるものの現在に継続する。最初の歌詞にはスターリンを讃える表現があり、1977年ブレジネフの下で改訂される。ソ連崩壊後しばらく「愛国歌」が代わりを務めるが、2000年プーチンの意向でメロディーはそのまま、新歌詞で歌われるようになる。初代作詞者は長命で二代目・三代目も同一人物によって部分改変されているだけなのだ。著者はここから、国の歩みが読み取れるとし、歴史のジグザグに関わらず、ソ連・ロシアの連続性を感じ取る。そして、その連続性を、強力な最高権力者の意思による歴史コース選定と社会全体を大家族としてとらえる国民性(民族性)を代表因子として、権力者を論じていく。

最高権力者(書記長、大統領)の論述概要は、出自(家族関係)、学歴・職歴(初期の党活動を含む)が導入部となり、次いで党内での主導権争いが語られ、権力掌握後の代表的な政治活動を分析、最後に終焉に向かう過程を述べる。各章の題名(端的にソ連史上の存在意義を示す)と一部トピックスを紹介すると;

レーニン(帝国の創始者);祖先追求はタブー(ユダヤ人の血が混じる?)、父は永年の国民学校視学官としての貢献により貴族に列せられている。レーニンが慕った優秀な兄は民主化運動家になり、ペテルブルグ大学時代絞首刑になっている。

スターリン(帝国の育成者);冷酷な粛清(テロル)ばかりが喧伝されているが、共和国・自治共和国など多民族が自決できる政治体制(地方分権)を作り上げ、高い支持を得る(政敵トロツキーは強力な中央集権指向)。

フルシチョフ(帝国の攪乱者);スターリン批判、瀬戸際外交(キューバ危機)。

ブレジネフ(帝国の大成者);人好きのする人格、ライバル処置が穏健(引退、肩書きだけのポスト授与)、(経済低迷にもかかわらず)福利厚生重視(崩壊へのボディブロー)、米ソデタント。

アンドロポフ(帝国の矯正者);KGB長官、歴代「悪党」の中で最も謎めいた人物、規律重視だが柔軟に思考するタイプ、若手抜擢(ゴルバチョフ)、書記長15ヶ月で病死。

章立てのないチェルネンコ(帝国の保全者);アンドロポフの下ではゴルバチョフのライバルだったが、後継者に選ぶ。

ゴルバチョフ(帝国の破壊者);改革急進策(ペレストロイカ、グラスノスチ、禁酒法に近い反アルコール政策)が予想外の激変を生む。国防相等のクーデターとその失敗(これを抑えたのがエリツィン)。

ソ連・ロシアを論ずる書籍はかなり読んできたが、それらはおおむね、暗く陰湿な読後感を残すものだった。しかし、本書は暗部を多々述べながら、権力者の資質から政策まで、評価すべき点もしっかり解説、バランスのとれたソ連観・ロシア観といえる。ただ「帝国は変わらない」という結論に納得するものの、むしろこの国に対する不信・不安は増大した。

 

6)ロンドン骨董街の人びと

-表を見れば、王室を含む上流階級御用達の英古美術商の世界。裏へまわれば、貧窮貴族の資産を買いたたき、成金から法外なカネを巻き上げる、ハゲタカ商法。日本人女性古美術専門家が内部告発する-

 


2007年5月からほぼ半年英国に滞在した。ランカスターは名前こそ広く知られているものの田舎の小都市で、夜は家でTVを視るくらいしか気分転換することはなかった。そんなTV番組の中で目立ったのが、廃屋を再生するドキュメンタリーやガラクタ同然の古物オークションの番組である。日本でも“お宝鑑定”のような番組はときどき視ていたが、英国のそれはきわめて身近な感を抱かせるもので、英語が分らなくても楽しむことが出来た。本書のタイトル“骨董”を目にしたとき、滞英時の思いが蘇り、中身も確かめず購入した。読んでみた結果は、当初予想した狭義の骨董・古美術エッセイではなく、それらを通じた英国社会考察・批評記であった。

著者の生年は不祥だが、1988年6月ロンドン大学東洋アフリカ研究所へ修士取得のため留学、1年で修士号取得、英古美術商の老舗スピンク(1666年創設)に就職、社員として1992年まで勤務している。本書の内容はその4年間の体験を語る滞英記である。単行本の発刊は1997年、2001年新潮文庫となり、今回25年ぶりに復刻出版されたものである。それゆえ、あとがきに大幅に加筆修正したとある(チャールス皇太子が国王になったことなどもあるが、著者勤務のスピンクがメダル・コイン部門を残し消滅している)。現在著者がどのようにしているかは明らかでないが、文中から日本を拠点に古美術ビジネスを継続していると推察する。

日本では古美術商は地味な存在だが、英国では真逆、スピンクが存在するセント・ジェームス街はかつてここに王宮が在り、高位の貴族の館が通りに連なるような場所だ。ダイアナ妃の実家スペンサー邸は通勤途上、周辺にはオークションのクリスティを始め50軒ほどの一流古美術商が集まっている。スピンクの建物もかつてのそんな邸宅の一つ、6階建てである。

古美術商の世界は、トップに鑑定・売買を仕切るディーラーがおり、その下にアシスタント、さらにその下にポーターと呼ばれる見習い・雑務担当者が居る。ディーラーの下には秘書もおり、ディーラーの力は絶大、封建領主さながらだ。著者は東洋美術部に配属され、主任ディーラー(他に4人ディーラーがいる)直属の翻訳家兼カルチャラル・アドバイザーという役割を与えられる(ほぼアシスタントと同格)。ディーラーたちはオックスブリッジ卒が多い。しかし彼らの多くはミドルクラス出身者、貴族や地方郷士ではない。それでもクウィーンズイングリッシュと上流階級の立ち振る舞いを身につけ、一見典型的な英国紳士を気取る。しかし、裏へ回れば困窮貴族を丸裸にするハゲタカ同然。著者はこんな場面にしばしば行き当たる。英国人の狡猾さは現代にしっかり続いているのだ。日本はバブルに向かう金ぴか時代ながら、成金日本に価値ある美術品を売りたいとはどの古美術商も思っていない。このような対日観から、著者は「大人が子供を見抜くように、日本の運命を見抜いているような、イギリスの老獪さを、スピンク勤務中に感じていた」と英古美術界の対日観を総括する。また、著者が欧州における日本古美術ビジネスに疑問を感じるのは、真に伝統的な美しさとは真逆のケバケバしい作品に関心・興味が高いことである。スピンクの中国・日本ギャラリーはその典型であった。

英国におけるコレクターの黄金期は1920~1930年代、著者の時代もまだその余韻は残っていたものの、1990年代初期から凋落傾向、1934年発足の世界で最も権威ある古美術フェアー、グロブナー・ハウス・フェアーも2009年幕を閉じ、今や古美術の中心はロンドンから香港に移っている。

18世紀に流行った英国貴族子弟の美術探訪の欧州旅行(グランドツアー;特にイタリア)。先祖の残した資産を古美術収集に当てるオールド・マネー・コレクター。貴族の屋敷丸ごとオークション(建物は一括だが、美術品、家具・備品は一点ずつ)のハウス・セール。贋作の見抜き方(1982年三越が主催した「古代ペルシャ秘宝展」は47点の大半が偽物、岡田社長退任につながる。1987年奈良国立博物館開催「菩薩」における「ガンダーラ仏の最高峰」と称された作品が、石片を接着剤で接合した100%贋作であった事件)など、著者の周辺で見聞した骨董・古美術に関する話題満載、帝国の遺産で食いつなぐ、イギリス社会と人びとを、考えもしなかった角度から覗き見る面白さを味わった。

 

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2026年9月30日水曜日

今月の本棚-218(2026年9月分)


<今月読んだ本>

1) 書物を楽しむ(林望);朝日新聞出版社(新書)

2)世界は知財でできている(稲穂健市);講談社(現代新書)

3)戦闘力(マーチン・ファン・クレフェルト);日本経済新聞出版社

4)ジョークで読み解く「ロシア近現代史」(名越健郎);PHP研究所(新書)

5)一外交官の見た明治維新(アーネスト・S・サトウ);講談社(学術文庫)

6) 私とプラモデルの半世紀(松井康真); 中央公論新社(新書)

 

<愚評昧説>

1)書物を楽しむ

-「活字は紙に限る!電子本など真っ平だ!」「本は借りて読むな!図書館は無料貸本所」 リンボウ先生の過激書籍論満載-

 


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代半ば頃から、仕事を引退したら英国に渡り、軍事における数理活用の歴史を学ぼうと考えるようになった。それまで英国を訪れる機会は皆無だったし、英国人との交流もほとんど無かった。そんなことから、英国事情を知るため、先ず日本人の著わした英国滞在記、紀行文・エッセイを読むことを始めた(古いところでは漱石「倫敦塔」、長谷川如是閑「倫敦!倫敦?」もある)。そんな折り行き当たったのが本書著者のいわばデヴュー作品である「イギリスはおいしい」(1991年日本エッセイスト・クラブ賞受賞)、研究活動のため、ケンブリッジやオックスフォードで過ごした日々を、食生活中心に描いたエッセイである。食に関する話題は何も覚えていないのだが、強く印象に残ったのは、我が国古典文学(著者の専門分野;源氏物語の翻訳もしている)の写本の多くが両大学にあり、そのための渡英だったことである。日本よりも英国?!驚きと伴に垣間見たのが書誌学の世界である。本書はその書籍に関する専門家が著わした、最新の書物・読書事情を語るエッセイである。

著者は1949年生れ、都立戸山高校から慶大文学部(国文)に進み、大学院博士課程修了後いくつかの大学で教職に就いているが、現在は在野の研究者・作家として活動している。父は未来学の先駆者(未来学会会長)林雄二郎、伯父(父の兄)は健太郎(歴史学者、東大総長)、もう一人の叔父(父の弟)四郎も筑波大学名誉教授(国文学)という、学者として名門一家の一員でもある。本書の中で、学者生活の苦労話や家族の話題もしばししば語られ、ある種の自伝とも言える内容だ。

副題は-あえて今、紙の本を読む理由-、帯に-電子書籍なんて、まっぴらだ!-、とあるように、本書は「反電子本」の性格が強く、そこが一つの読みどころである。また、まえがきに「読書論」よりは「書物論」である、とことわっているように、自身の読書法・蔵書の扱い、書誌学(古典翻訳を含む)、出版、書評、古書店、図書館など、諸々の切り口で書物を語る内容になっており、学ぶことの多い一冊であった。

第1章は「活字は紙に限る」;私とまったく同じなのは読書法、赤線を引き、余白にコメントを書き込む、紙の本へのこだわりは、ここにある。電子本も最近は多様なマーキング方式を導入しているが、紙との差は依然大きい(著者はPC利用の先駆者。文中からもその能力の高さがうかがえる)。

これを受けて第2章は「電子書籍7つの大罪」;ディジタル教科書は愚昧化政策と批判した後、個人的感覚(読んだ気がしない)から技術的問題(OS・アプリケーションソフトのアップデートなど)まで、具体的に“罪”を列記・解説する。

今回初めて知ったのは、写本・書写に関する話;我が国でも欧州でも、歴史的に原本からの書写は、文化の普及に重要な行為とされている。聖書や仏典のほとんどはこれによって現代まで、その内容が伝えられてきた(誤記や解釈の違いが重要な研究課題でもある)。しかし、中国では写本行為も写本自体も価値を認められず、残っているのは木版を復刻した限られた書籍のみ、古典研究に大きな障害となっている、ということだ。

図書館批判の話も面白い;先ず、「本は借りて読むな」と主張。これは生徒・学生時代を除けば私も同じ。現今の公立図書館を「無料貸本所」と徹底批判(英国では借り賃を払う)。東京の某区図書館(9館)で乙武洋匡著「五体不満足」が延べ2407回貸し出されたことを具体例として、著作権・原稿料問題をレンタルビデオと比較して難じる。また、一過性のベストセラー中心予算配分とその背景(貸し出し数が評価対象)に触れ、図書館行政の在り方を質す。

書評に対する考え方(自作品に対する評、自らが書評者となったときの姿勢)、稀覯本・古書の扱い(本は捨てない方針だが、終活を考え、価値のある本は(有料で)手放すようにしている)、源氏物語など我が国古典に関する書誌学的考察、も取り上げられ、多角的な書物論を展開、ユニークな書物エッセイに仕上がっている。

 

2)世界は知財でできている

-特許や商標、著作権以外にも続々と生まれている新知的財産権を概説。AIに権利はあるのか?と問う-

 


IT利用の世界で生きてきて、思い出深い出来事をさまざま体験してきた中に、「数学解法は特許取得できるか」と言う問題がある。数千・数万の変数を扱う多元一次方程式で記述された、経営計画や工場運営の数式モデルを解く手法に関することである。この解法はスタンフォード大学ジョージ・ダンチック教授が考案した、シンプレックス法が長くかつ広く使われてきたが、1980年代中頃ATTベル研究所のカーマーカー研究員が提言した内点法と呼ばれる新手法が出現、シンプレックス法の50
倍の速さと喧伝され、米国特許を獲得、日本でもこの特許が認められる。世界各地で反対運動が起こる中で、日本でも敢然とこれに立ち向かったのが、本欄で何冊も紹介した“工学部ヒラノ教授シリーズ”の著者で金融工学の泰斗、今野浩東工大教授である。ダンチック教授の下で博士号を取得した人だけに、その力の入れ方は一方ならぬものがあり、10年かけ東京高裁まで争うが、訴えは棄却される(2002年結審)。しかし、高裁は数学解法を特許として認めたわけではなく、ATT解体後の後継企業ルーセントテクノロジー社が、特許を放棄したことを理由に訴えを退けたので、事実上ヒラノ教授の勝利と言える結果になった。AIに関する話題が、科学技術分野に留まらず、社会生活や国際政治にまで及ぶ昨今、最新のIT知的財産権問題を知りたく本書を手に取った。

著者の正確な生年は不祥だが、おおよそ50歳前後。横浜国大大学院工学研究科を終え、大手電機メーカーに就職、知財関連業務に従事し弁理士資格を取得、米国駐在も経験、現在は東北大学特任教授。知財関係既刊書がいくつかある、この分野の専門家。

直ぐに思い浮かぶ知的財産権は、技術者として身近だった(発明)特許・実用新案・意匠・商標の、いわゆる特許法で保護される権利、それに広く知られた著作権くらいである。しかし、これは伝統的な旧来からの権利で、社会環境の変化に応じて、生み出された新たな様々な権利があることを導入部で解説、具体例を挙げ、網羅的に説明する内容になっている。例えば、著作隣接権では、著作権者によって作詞・作曲された曲を歌う歌手に与えられる権利や、技術進歩による(半導体)回路配置利用権、農作物に関する育成者権(種苗法)などがある。つまり、本書は一般読者の「知財」知識をアップデートすることを目的としている。

とは言っても、最初に取り上げられるのは生成AIに関するテーマだ。本書の表紙には、左にオープンAI社CEOサム・アルトマンの写真があり、右にそれに基づいた似顔絵がある。この似顔絵はChatGPT4o(オムニ)を使い、ジブリ風に描かせたもの(ジブリフィケーション)。この著作権は誰にあるのか?アニメ画像ばかりでなく、動画映像、各種文章さえ実用に耐えるレベルまで達したAI生成物に、知財権は認められるのか?既に米国で起こっている訴訟案件を元に、この問題の難しさを解説する。通常申請者は人間なのだが、敢えてAIを共作者としたり、AI単独にしたりして、既存の法律に挑戦する事例さえ起こっている。AIがこのレベルに達した背景には、既存資料の(オリジナル情報提供者に対価を払わない)深層学習があり、さらに人間共同作業者によるプロンプト(誘導対話)もあって、概ね現状ではAIに権利は認められていないものの、裁判所も判断に苦慮している様が浮き彫りにされる。冒頭紹介した「数学解法」特許問題では、日米ともその判断基準をより明示する結果(数学解法そのものには特許を与えない。組み込んだ製品は新規性で判断)になり、“雨降って地固まる”となったが、果たしてAIではどうなることか、とても楽観的にはなれない。

商標トラブル(先権、疑似)、個人の人格的利益(画像・映像、声)、研究者やスタートアップ企業の権利保護、国際問題(国に依って異なる制度)など、「知財」を広く学ぶことができる点は評価するが、全体に深みはなく、入門書の位置付けとなる。

この本を読んで少し追ってみたのが、初めて知った「知的財産高等裁判所」の存在である。創設は2005年、知財関係の裁判は地裁(東京、大阪のみ)→控訴審→「知的財産高等裁判所(東京のみ)」→上告審→最高裁判所、となる。この高裁の裁判官は一般の判事であるが専門委員(専門家、学識経験者)が多数おり、ここでの審決がきわめて重い意味を持ち、「知財」が社会においてより重要案件に成ってきた証左と言うことだろう。

 

3)戦闘力

-世界的軍事学権威者による、人的要素のみに着目した、米・独陸軍の戦闘力比較。独陸軍の強さが明らかになる-

 


究極の機械力として興味を惹かれていった軍事技術(特に航空機)、自分の生きた時代史としての太平洋戦争(特に日中戦争)。私の軍事への関心はこの二点から始まっているのだが、40代後半から、それらの背景と思われる、なぜ戦争をするのか、戦争は社会をどう変えるのか、戦争そのものが時間と伴にどう変化してきたのか、と広がっていった。身近な例として、軍事作戦に始まるOR(Operations Research
;応用数学の一種;我が国導入時には“作戦研究”と訳された)の歴史研究が挙げられる。この滞英研究で広義の戦争研究における、人文科学や社会科学を深める必要性を痛感させられ、これら学問分野における(軍学校以外の)研究機関や研究者を探り始め、オックスフォード大(英)、ケンブリッジ大(英)、プリンストン大(米)、ジョン・ホプキンス大(米)、コロンビア大(米)などに、戦争研究に関する専門学部・学科・大学院専攻コースあるいは研究所が在ることを知った。そして最も広範で活発なところとして、1962年開設のロンドン大学キングズカレッジ戦争学部(Department of War Study)の存在を知った。また、(軍人でない)軍事学者として、ジョン・キーガン(英)、マイケル・ハワード(英)、エドワード・ルトワック(米)、そして本書の著者マーチン・ファン・クレフェルト(イスラエル)等が、代表的な研究者であることも分ってきた。著者の名著「補給戦」を1980年代初期に読み、感銘を受けていたこともあり、久しぶりに見る著者名に惹かれ即購入となった。

本書は第二次世界大戦における、ドイツ陸軍の戦闘力を、米陸軍と比較し、その強さの根源を解明するものである。ここでの戦闘力は機械力や生産・補給力などは考慮せず、専ら人的要素(組織人として)に着目して、それを分析する。その基盤的要素は、規律と団結力、士気と主導性、勇猛さと頑強さ、死への覚悟と戦意、などから成る。戦争の兵器と手法(戦略、作戦、戦術)は変化するが、ここで言う戦闘力はどんな戦場でも変わらないと考えられるからだ。戦闘力の定量評価は難しいとことわりながら、戦後米軍内で行われた研究から、攻守ともに米陸軍の1.5倍という数字を挙げ、3:1、5:1、ときに7:1の戦闘でも互角に戦ったケースを見つけ出し、今次大戦の独陸軍は「ほとんど称賛に値する水準まで戦闘力を発展させた歴史上の組織」と最高級の賛辞を呈する。では、その強さはどこからきているのか。これを10章(項評価目)にわたり、できる限り数字を用いて、詳細に独米比較を行い、結論づけるのが本書の流れとなっている。

その10項目は;①民族、②軍隊と社会、③戦争ドクトリン(教義)、④指揮、⑤組織、⑥人事行政、⑦戦闘効率の維持、⑧報償と懲罰、⑨下士官、⑩統率と士官団、である。

それぞれの項目について、手短にトピックスを紹介すると;①近代における実戦を分析した上で、「ドイツ民族が特に好戦的で優れていることはない」と見る。②独;ワーマール期を除き、軍・軍人は尊敬される存在であった。裕福で高学歴の若者志願者が多かった。退役後国家の先導者の地位に就いた者も多い。対して米;常に軍は問題含みの存在で、軍人の社会的地位も低かった。ここでは士官の父親の職業や国家の指導者数まで比較対象にする。③独「軍隊指揮」(1936年版)と米「野戦教範」(1941年版)の内容を比較検討、その後の実戦も踏まえ、独軍に比べ米軍のそれは、全体に管理的性格がより強いと見る(マニュアル主義)。④独軍;巷間「絶対服従」「(厳しい)プロシャ的規律」のイメージが一般化しているが、全く不適切。大モルトケの時代から「最も末端のレベルまで、個人の主導性と責任」(何をすべきか)を重視してきた。これに対し米軍は「何をすべきか」よりも「どうすべきか」を細部まで規定している。戦後の「野戦教範」はこれを改め「軍隊指揮」から学び、改訂している。⑤独の連隊は地区・民族(旧小国)ベースなので同胞意識が強い。また、野戦軍と国内予備軍のローテーションもこれに倣う。兵科の異なる任務配置を厭わない。対して米軍は母体となる師団に地方性はあるが、新兵訓練は集中して行われ、配属先は出身地と関係なく決まる。補充新兵はしばしば孤立する。野戦軍と後方支援軍の役割分担も不明確。特技兵の転用を極力避ける。管理部門の大きさ;独は最少、米は肥大。⑥独;連隊長中心の人事管理(訓練、人事考課、配置)。米;機械化(カード管理)・数値化の人事管理、血の通った人事管理からほど遠い。⑦ローテーションの基本;独は戦力維持回復が基本、米は一定期間で機械的に入れかえる。傷病兵の扱いと前線復帰の違いなどにも独が優れる。⑧給与(両軍とも階級と年齢ベース、兵種で差はない)、休暇(米は士官と兵で大差)、受勲、司法制度の違い。⑨独の下士官は厳しく選別・訓練され、真に兵士のエリート、下士官から将軍になった者11名。米は不安定な役割の中で大量生産、欧州戦線終了時には半数が下士官だった!⑩士官と統率;独は「知能・学歴」より「(指導者としての)性格」を重視、このため選抜・育成に多大の時間をかけている(昇進に対する実戦経験を含む)。ここで性格とは、誠実さ、無欲さ、献身的精神、責任感などを意味する。対する米軍は学歴・試験重視、専門性を高めるより管理者としての知識・経験を重視する傾向があった。士官の戦死率が兵より高かったのは両軍共通。

細部にわたる具体的な分析はきわめて納得感がある。では日本陸軍はこの評価方法でどのようになるのか?現在の陸上自衛隊は?最後にこんな疑問が残った(改善される方向にあるとはいえ、現在に続く国民の軍事アレルギー体質が憂慮される)。

原著出版は1982年、何故、今、この訳本が出たのか?それも日本経済新聞の子会社から。少々考えてみると、安全・環境・各種コンプライアンス(法令遵守)により、ビジネスの現場で、担当者・下級管理職レベルでの判断に制約が多くなっている(自由度が少ない)。また仕事をマニュアル化し手順通りに進める傾向が強まっている。こんな現場に主導性を持たせ、臨機応変に業務を進め、生産性を高める工夫が求められる。そのような問題対応に本書が役立つ可能性はある。こんなところが出版事情ではなかろうか。

著者は1944年、オランダ生れ。ヘブライ大学で学び、その後ロンドン・スクール・オブ・エコノミックス(LSE)で博士号取得、ヘブライ大学に戻り歴史学部教授。

 

4)ジョークで読み解く「ロシア近現代史」

-昨年ロシア入国禁止者となったジャーナリストによる、帝政時代から今日まで続く、体制批判ブラックジョーク300点を一気に公開-

 


アネクドートという言葉がある。冷戦期、辛辣な風刺でこの国の政治や社会体制を批判する小話のことと知った。英語でanecdote(短い逸話、秘話)が在ることから、てっきり英語が起源と思っていたが、語源を辿るとギリシャ語(アネクドトス;未公開の、公にされていない)に発するロシア語である、と本書に記されていた。この言葉は、ロマノフ王朝時代フランス宮廷文化の影響をうけ使われるようになり、当初は機知に富んだ逸話や裏話だった(つまり暗い話ではない)。しかし時代が下り、王朝が腐敗し庶民に対して過酷な社会環境になると、体制批判の性格を帯びてくる。そして共産党独裁統治下で、専ら反体制・政権批判の手段としての意味を持つように変じる。ソ連は崩壊してもロシア社会の本質は変わらず、プーチンの強権政治が続き、アネクドートも正統文化(?)として、連綿と受け継がれているのだ。本書は「近現代史」とあるように、帝政末期から今日に至る、一世紀を超えるアネクドート集である。

書き出しの一話;ロシア人とエストニア人が議論をしていた。

エストニア人が言った。「プーチン政権がこれだけ長期化すると、あんたの孫もプーチンに投票することになるだろう」

ロシア人が答えた。「あんたの孫もな」 (ウクライナの次はバルト3国)

もう一つ;問い=プーチン大統領が最も美しく奏でる楽器は何か?

答=TRUMPet(トランペット=ペットのトランプ)

著者は1953年生れ。東京外語大ロシア語学科卒、時事通信社入社、モスクワ支局長、外信部長を歴任。現在拓殖大学および国際教養大学教授。2025年11月ロシア外務省により無期限入国禁止者に指定される。

構成は時代の流れに沿い、10章から成る。半数はスターリン、フルシチョフ・ブレジネフ、ゴルバチョフ、プーチン(3章)など為政者の名前の付いた章、残りはソビエト崩壊、オリガレヒ(国有財産を私した大富豪)やウクライナなど特定テーマでまとめてある。各章の始めはテーマの時代背景説明に充てられ、そのあとに小項目に分けてアネクドートが紹介され、その数はおよそ300話。古いところは書籍・雑誌などに取り上げられた、それなりに高評価だったもののようだが、最近のものは著者がネットで探したもの。著者のアネクドートの師は、本欄でも紹介した「旅行者の朝食」作者、ロシア研究者であり高名なロシア語通訳、米倉万里(故人)。彼女が「100話に1話微笑み、200話で一つ爆笑、インターネットでのゴミ含有率は更に高く、1000に一つ笑えれば上々」と書き残していることに触れ、今回厳選し「寸鉄人を刺す」短い作品を集めたと敢えて記している。しかし、日本人には単なる体制批判に読め、「どこがおかしいのか?」と、しばし考え込むものがなかったわけではない。それでも300も一冊にまとめたものは希少価値があり、ロシア近現代史を裏から眺めるには、面白い本であった。

歴代統治者に関する話;

レーニン時代は地下鉄。周囲は暗闇だが、前方に明かりが見える。

スターリン時代はバス。半分は(監獄に)座り、残りは立って震えている。

ブレジネフ時代は飛行機。一人が操縦し、残りは退屈でうんざりしている。

ゴルバチョウフ時代は観光バス。一人がしゃべりまくり、残りは上の空。

エリツィン時代はタクシー。行けば行くほど高くなる。

プーチン時代は馬車。ニンジン(賄賂)を与えながら進む。

 

5)一外交官の見た明治維新

-幕末より通算20年に及ぶ英駐日外交官が見た、明治維新前後の激動する、定番とはひと味異なる日本社会-

 


著者アーネスト・サトウの名を知ったのは1970年代半ば、当時購入していた週刊朝日の紙上である。在野の歴史家萩原延壽(はぎはらのぶとし)のライフワークとなる「遠い崖」が連載されたことによる。この連載は1990年病のため未完のまま終わるのだが、その後も執筆活動は続き、2001年死の直前単行本(全14巻)として完結する。この本の副題は「アーネスト・サトウの日記抄」、本書はサトウ自身によるその要約編と言える性格のものである。

アーネスト・サトウは1843年英国生れ18歳の時通訳生として英外務省に入省、1862年来日、途中賜暇で一時帰国するものの、1882年まで通訳官・外交官として20年にわたり滞日、1895年再び来日、5年間駐日公使を務める。1906年駐清国公使の後退官するが、その後も枢密院顧問官、第二次ハーグ平和会議副代表など要職に就いている。妻は日本人。滞日中は佐藤愛之助と名のるほどの親日家・日本通。本書は引退後、日記や外交文書を元に幕末維新期(1862年~69年)の経験をつづるもので、1921年原著が刊行されている。原著の副題は「日本において開港がなされ、王政復古が達成されるまでの重要な時期に起こった、一連の出来事に関した一外交官による当時の内実の記述と、この時期における個人的経験の回想」と長々しいものだが、文庫本で650頁およぶ大冊(2500円!)の内容を的確に要約している。訳本は戦前・戦後に何度か出版されているが、1985年生れ、ロンドン・スクール・オブ・エコノミックスで博士号を取得した、日英関係史専攻の少壮歴史学者による新訳。訳者解説が興味深い。

サトウは1862年9月2日に通訳訓練生として来日。当時外国人居留地は長崎と横浜のみ(ただし公使官邸のみ江戸に置けた)、一先ず横浜の領事館に落ち着くが、14日生麦事件が発生、いきなりその渦中に身を置くことになる。これに起因する薩英戦争(1863年7月)、それに先立つ下関戦争(同年5月)、いずれも通訳として現地入りする。本書はそれ以降、禁門の変(蛤御門の変;1864年)、長州征伐(1866年)、大政奉還(1867年)、明治政府成、東京遷都と戊辰戦争(1868年)、箱館戦争(1869年)などを体験、1869年2月24日離日、一時帰英。本書はこの間の7年を回想するものである。

来日早い時期に江戸の公使館勤務となり、薩英戦争・下関戦争参加の他、長崎、鹿児島、宇和島、土佐、徳島、新潟、佐渡島、七尾を海路で訪れている。また、幕府の許可を得て、大坂(大阪)から京都を経て東海道を下り江戸までと、七尾から福井。滋賀を経て大坂まで、陸路の旅をしている。さらに開港問題を主体に兵庫(神戸)、大坂を何度も訪れている。当時の外国人としてはきわめて珍しい例だ。

事件や交渉事で付き合いのあった、後世幕末維新史に残る人物として(順不同)、伊藤俊輔(博文)、大久保一蔵(利通)、西郷隆盛、大山弥助(巌)、桂小五郎、木戸準一郎(孝允)、小松帯刀、後藤象二郎、勝海舟、岩倉具視など、錚々たるメンバーが事の場面々々で、人物像に踏み込んで語られる。この内伊藤は密航して英国に渡り、英語が堪能であったことから、特に親しくつき合っていた感がある。また、交渉事を通じて信頼できる人物として小松帯刀に何度か触れている。また若い頃から長い付き合いがあった人物として、のちに外務大臣も務めることになる東久世(ひがしくぜ)も頻繁に登場する。これらの人物と日本語で会話・歓談し、ときに書面を渡された情報が、公使さらには英外務省の意思決定に大きく与っていく。

外交上のトピックスとして、戦争、紛争、事件(特に殺傷)は幕末維新史定番のものが一通り取り上げられているが、本書を読んでみて知るのは、開港問題が最も大きいことである。1852年諸外国との親和条約で長崎、横浜、箱館(函館)、兵庫(神戸)、大坂、新潟が開港されることになるのだが、直ちに全部開港したわけではない。港湾・居留地の造成・建設もあり、あらかじめ時期が決められ、そのスケジュールで進めることになっていたが、兵庫(予定1863年1月)、大坂(予定1863年9月)はまったく進展がなく、これが大きな外交問題になっていたのだ。遅れを責める外交団、引き延ばしを図る幕府。進まぬ原因が少しずつ見えてくる。一つは、数多の藩(特に雄藩)や幕閣の考えが開国/攘夷に別れ、意思統一ができぬこと(幕府の力の低下)。もう一つは、帝(ミカド)の周辺が攘夷で固まっており、開国に反対であること、が開港を遅らせているのだ。一方外交団側も、国の支配権は大君(徳川家将軍)にあり、帝は宗教的皇帝に過ぎないと考えていたところに問題があることが、次第に明らかになっていく。維新への大きなうねりの中で、開国派を支持する国(英)、幕府を支えようとする国(仏)の間で、幕府対応に違いが出てくる。しかも、いずれの本国政府も、原則中立を標榜、日本の国内問題に深入りせぬよう訓令してくる。

では諸外国(特に英仏)は、日本との国交をどのように考えていたのか。「日本は世界の果ての果て」、軍事占領・植民地化など出費がかさむばかりで、それだけの価値はない。日本に渡ってきた商人も事業家というより投機家、横浜居留地は「ヨーロッパ人の掃きだめ」。艦船の寄港を許諾し、必需品購入を可能にし、一攫千金を夢見る冒険家たちが、自由に行動し、商売ができ、またキリスト教禁止令が廃されればそれでいい。こんなところである。従って本国政府は中立策を基本方針とするのだが、現地公使・外交官・軍人の中には冒険主義者がいないわけではない。自国民迫害、賠償金支払い交渉の難航、手ぬるい犯人追及・処分、艦船への砲撃、条約履行の遅延などに、強行策を主張する者も出てくる。初代駐日英公使オールコックスは下関戦争後関門海峡通過ばかりでなく瀬戸内海通過を本国に建策、これが不興を買い本国召喚される(1864年12月;この評価はその後見直され、外交官経歴が傷つくことはなかったが)。第二代仏公使ロシュも、維新後なかなか明治政府を認めず、「個人外交」と難じられ、本国召喚となっている(1868年6月)。

本書を読んでいると、英は反幕活動の支援者、仏は幕府の支援者と、対極にあるような感を持つ。文中に「薩摩も長州も(中略)怨恨を抱くことはなく、(中略)親密な同盟関係にありつづけた」とある。この英仏対極感は、幕末維新史のいわば常識となっているのだが、訳者は巻末の解説で、対日外交交渉においては、英仏同一基調を採ることが多かった、とそれに異をとなえる。その来るゆえんは、サトウの出自にあるとする。サトウの両親はソルブ(スラブ)系ドイツ人、ドイツでは少数民族で差別・迫害され続けてきたが、ナポレオン戦争時はそれが特に酷く、それもあり英国に移住し、アーネストが誕生する。宗教は新教徒のルター派。対してフランスはカトリック。民族・宗教から嫌仏感が強かった、と推察する。

引退後書いた回想録だけに、注意深く読む必要がありそうだが、幕末維新史理解に欠かせぬ一冊と評価する。

 

6)私とプラモデルの半世紀

-理系単科大学で学びながらアナウンサーとなった異色人物のプラモデル人生。ひたすら絶版キットを集めまくる-

 


私のエンジニアへの出発点は乗り物好きにあり、乗り物エンジニアリングへの取っかかりは模型づくりにある。そして模型づくりの出発点は小学校5年生頃始めた鉄道模型であった。機関車の類いは経済的に無理で、専ら電車づくり。ボディーはボール紙、屋根と床は板材の手製、モーター、台車、パンタグラフ、連結器のみ既製品を購入し、塗装をほどこして完成させる。レールや変圧器は、友人・先輩のそれを利用させてもらった。中学校ではそんな仲間もおらず、興味は航空に移るが、専ら雑誌を読むだけで、模型づくりはしていない。中学後半から高校は受験最優先、模型とは無縁の時期が続く。

大学に入学、模型づくりと実学が急接近、学外の模型飛行機製作組織、東京ソリッドモデルクラブ(TSMC)に入会した。ソリッドモデルとは、外形を本物の何分の1かに縮小し、形状を正確に再現する模型である。胴体・主翼・尾翼は木材から削り出し、風防や車輪・降着装置、エンジンは、セルロイド、消しゴム、空き缶、銅線などを利用して、全て手製で作り上げる。


TSMCは月例会を当時万世橋に在った交通博物館の会議室で開らかれ、会員の作品を持ち寄り、それを講評したり、作成内容を語ったりした。常時出席していたメンバーは20~30人だが、いわば客員メーバー格だったのが三遊亭小金馬師匠(のち金馬;写真前列中央)。ある日彼が1/48アメリカ製プラスティックモデルを持ち込んできた。当時の日本製プラモデルはおもちゃ同然だったから、その精巧な造りに皆目を見張った。そして聞かされた金額(360円/ドルの時代、10ドル前後)にさらに驚いた。これが本格的プラモデルとの出会いである。

社会人になり和歌山に赴任、職住接近で時間はたっぷり、経済的に余裕も出来たのでプラモデル作りを始めた。レーベル社、モノグラム社製(いずれも米国)のクラッシックカーを作成、友人の結婚祝いの贈り物に利用し、喜んでもらえた。そんな時模型界に衝撃が走るモデルが出現する。HONDAが初めて挑んだF1フォーミュラーカーのそれである(1/12)。精密さ、部品の多さは桁違い、私も実車を組上げるような気分に浸りながら完成させた。製作販売会社はタミヤ。本書は著者とタミヤの50年にわたる関係を語る内容。この中で、かのF1モデルは世界にタミヤを知らしめた、功労製品と位置付けている。

著者は1963年富山県生れ。東京工業大学(現東京科学大学)に進むが、小学生時代からのアナウンサー志願、1年留年しアナウンサー専門学校で学び、テレビ朝日にアナウンサーとして入社、というかなり変わった経歴を持つ。テレビ朝日では「ミュージックステーション」「ニュースステーション(スポーツ)」などを担当、報道記者に転じた後、60歳で定年退職、現在はフリーアナウンサー、著述業、そしてタミヤ「模型史研究顧問」でもある。

子供の時は既にプラモデル時代、友達や先輩と出来映えを競い合いながらこの世界に没入していく過程は、アナウンサーへの憧れと併走するところはユニークなものの、特に普通の子供と変わらない。しかし、それが次第に変化して、作るよりは集める方向に向かって行く点だ。この人は模型ファンでは少ない、“コレクター”で、本書でそのことをいたるところで説明する(大多数のプラモデル愛好者は作る人(モデラー))。生産量の少ないもの、短期間しか販売されなかったもの、金型が新品だった頃の製品、同じ機種でも異なる型式、果てはまったく同種でも箱絵が異なるもの、特定の地域でしか販売されなかったもの、などを集めているのだ。地方に居た中・高校生時代は取得できる種類・数も限りがあるが、大学生時代は在京、模型店も多く収集品は増えていく。しかし、これも経済面で制約がある。本格的収集は社会人になってから、今やその数は、明確には記されていないが、数千点におよんでいるようだ(数百点の展示会など開催しているところから推量)。店を訪ねて発見・購入するばかりでなく、海外を含めネットオークションなども利用して集めるのだ。稀覯本収集家と同類だ。

集めるのは製品キットばかりでは無い。タミヤ・ニュースや総合カタログも、バックナンバーに遡り収集する。こうなると、タミヤ自身が既に手許にない製品や情報を保有することになり、会社にとっても単なる顧客の一人ではなく、相談役のような存在になっていく。創業社長を始め経営陣との交流も深まり、「模型史研究顧問」の地位を与えられているのだ。

さて、本書はプラモデルに関して書かれているが、もう一つは自分史の性格を持つ。従って理工系単科大学に学びながら、アナウンサーに転じていく話も詳細に語られる。その中でもプラモデルに関する知見が、“芸は身を助く”と言う形で生かされ、発展していく話が面白い。最初のきっかけは東日本大震災による福島原発事故にある。プラモ用フィギャー(縮尺人体模型)に併せて正確な原子炉断面模型を手づくりし、これを「ニュースステーション」番組に持ち込み、高い評価を得る。すると、戦争や兵器が話題になるニュース番組用に、モデル作成(単体ばかりでなく、ジオラマ(情景模型))を依頼され、“変なアナウンサー”として業界で“知る人ぞ知る”存在になる。俳優の石坂浩二は有名なプラモモデラーだが、彼が主宰する高齢者プラモデル・ファンクラブ「ろうがんず(老眼者たち)」の発起人の一人に起用されたのは、こんなことが発端だった。

模型づくりの面白さや苦心談を期待すると、いささか物足りないが、「こんな模型ファンもいるんだ」「趣味をこんな形で実務につなげているんだ」を知るという点で、興味深い一冊だった。私も半世紀以上前に求めた未着手キットが20~30ある。どんな価値があるのだろうか?急に気になってきた。

 

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