2026年3月31日火曜日

今月の本棚-212(2026年3月分)


<今月読んだ本>

1) 相撲を見る眼(尾崎士郎);中央公論新社(文庫)

2)翼をください(原田マハ);毎日新聞出版(文庫)

3)生と死を分ける翻訳(アンナ・アスラニアン);草思社

4)「酔っぱらい」たちの日本近代(右田裕規);柏書房KADOKAWA(新書)

5)新書 世界現代史(山北省吾);講談社(現代新書)

6)機械ぎらい(速水健朗);集英社(新書)

 

<愚評昧説>

1) 相撲を見る眼

-双葉山の69連勝もある、「人生劇場」作者が観た「大相撲人生劇場」-

 


初めて大相撲を観たのは昭和27年(1952年)中学2年生の時だった。課外授業で蔵前国技館に出かけ、花相撲(現在の地方巡業に相当、東京でも行われていた)を観戦した。当時両国国技館は東京下町大空襲で被災、修復して米軍が使っていたので、大相撲興業は行えなかった。その代わりに建設されていたのが蔵前国技館である。見学時には内装は未完成で工事現場のようであった(完成は昭和29年)。どんな力士が登場したかはまったく覚えていないが、コミカルな初っ切り相撲が記憶に残る(初っ切り;本番の始まる前の意)。本書の皮切りは隅田川河岸浜町の料亭から川越しに、蔵前国技館を遠望するシーンから始まる、昭和初期から20年代末期までの大相撲雑記である。著者は「人生劇場」で知られる作家、横綱審議委員も務めるほどの相撲ファン。単行本は昭和32年(1957年)刊、本書は昨年発刊された文庫復刻版である。相撲に格別な関心のない私が求めたものではなく、ジム仲間が廻してくれたものである。たまたま軽い読み物を切らし、本書を開いたところ、冒頭の蔵前国技館で少年時代が蘇り、引き込まれて最後まで読むことになった。二十数話から成るエッセイだが、長短のばらつきが多く、初出や執筆時期もまったく記さされていないから、諸処に寄稿したものを後日まとめたものだろう。しかし、当時の世相と大相撲の関係、これに対する著者の見解が色濃く浮かびあがり、古い時代の話でありながら、現代にも通じる大相撲変遷史として一読の価値があった。

双葉山の69連勝が途絶える安藝ノ海との取り組み、贔屓であった清水川との接し方のような狭義の「相撲を見る眼」が多く取り上げられているものの、何度も視点を変えて語られるのは天竜事件。そしてこの事件の背景とも言える、人気力士の引退後の人生。ここから当時の「相撲界を見る眼」が語られ、これが現代の相撲界とのつながりを感じさせるのだ。

戦前の本場所は今のように15日ではなく11日、6勝すれば勝ち越しである。番付編成などは今と変わりは無いようだが、力士(引退後を含む)の処遇は大違い、人気力士の現役時代は豪勢な日常だったようだ。しかし、引退後はひいき筋にもよるが、横綱でも生活に窮し、最後は野垂れ死にも幾例か起こっている。こんな現状を改革すべく起こったのが天竜事件である。昭和7年(1932年)関脇天竜以下32名の力士が大井の中華料理店「春秋園」に立て籠もりストライキを打つのである。バックには大阪方面に支援者もいたらしく、反乱力士は大阪で興業を行たり、さらに満洲にまで進出する。天竜等の要求は相撲協会に対し、経理内容を明確にすること、特に入場券販売を請け負う相撲茶屋との関係を断つこと、その上で力士の待遇改善を求めるものであった。一時期は新聞を中心にその動きを支持する世論が盛り上がり、相撲協会は存亡の危機に瀕するが、左翼批判とわずかな譲歩で巻き返され、反抗の徒は切り崩されて、改革は潰えてしまう。

こんな話は、近年協会理事選挙で、推薦されたかった貴乃花(二代目)が立候補し敗れたこと(内々のなあなあ体質)や未だ枡席販売の特権を握り、過剰と思える飲食や土産物代をチケット抱き合わせで販売する旧態然の茶屋制度に見て取れる。

相撲そのものに戻れば、大関以上の力士の負け越しに対する厳しい見方(横綱は引退が当然)、真のファンは取り巻きには成らず、あくまでも土俵での力量・立ち居振る舞いから見るべきとの著者見解は一考に値する。

 

2)翼をください

-アート作家による異色航空ミステリー、史実に残る二つの世界一周飛行はどこで交わるのか-

 


両親に依れば赤子の頃から乗り物好きだったらしい。確かに幼児期の記憶に残るのは、自動車、路面電車、汽車、船の登場場面ばかりである。しかし飛行機は一度新京(現長春)の飛行場に父と出かけた想い出のみ。それも飛行機そのものの姿はまったく思い浮かんでこない。飛行機への関心が一気に高まるのは、1952年の講和条約発効の前年頃からである。航空雑誌が書店に並び始めたことで身近な存在になり、そこに寄稿されていた第二次世界大戦時活躍した航空技術者たちの随筆に惹かれ、憧れの職業となった。名戦闘機零戦設計者の堀越二郎(三菱)、美しい水冷エンジンの三式戦闘機「飛燕」開発主務者土井武夫(川崎)、二式大艇に代表される飛行艇開発の第一人者菊原静雄(川西)、航空学者で名エッセイストの佐貫亦雄などがそれらだ。そんな中に名城大学教授の本庄季郎と言う人物がときどき登場、この人が戦前は三菱で海軍陸上攻撃機(多発大型の雷撃機)開発の中心人物であったことを知るのである。つまり、96式陸攻・一式陸攻の設計者で、この両機が世界初航空機だけで戦艦(プリンス・オブ・ウェールス、レパルス)を沈めることになるのだ。本書はこの96式陸攻(の試作機)を巡る小説である。

本書を知ったのはFB友達となっている著名な航空写真家が、2009年単行本発行時かかわったと最近投稿していたことによる。その時驚いたのは「この著者が、こんな作品を書いていたのか!」である。著者は1962年生れの作家だが、それ以前キュレーター(学芸員)として美術関係の仕事に携わっており、この体験を基にした小説が多く、本欄でもメトロポリタン博物館やウフィツィ美術館を舞台とした「常設展示室」を2012年に紹介している。「アートの専門家が何故航空を?」の疑問は単行本・文庫本のあとがきから理解出来た。2009年は1939年毎日新聞が敢行した「ニッポン号世界一周飛行」70周年にあたり、その偉業を改めて広く伝えるべく発刊されたのだ。そして、毎日新聞社と著者を結びつけた仲介者はやはり美術関係者だったのである。

本書は1930年代末期に行われた二つの世界一周飛行を主材に構成されている。一つは米国女流飛行家として数々の記録を打ち立て、スミソニアン航空宇宙博物館に特設コーナーが設けられているアメリア・イアハートの最終飛行。もう一つがニッポン号による世界一周飛行である。そしてこのとき使用されたニッポン号は、96式陸攻を改良したものなのだ。現実にはそれぞれ独立して企画・実行されたものだが、小説ではこの二つの飛行を結びつけ、冒険ミステリーに組み上げている。

アメリア(小説ではエイミー)は大学進学が決まっていながら、空への興味断ちがたく航空学校へ進み、単独で女性初の大西洋横断、米大陸横断、ハワイ-オークランド(カリフォルニア)長距離洋上飛行、高度記録飛行などで名を成し、国民的ヒロインになる。そして19376月世界一周飛行に挑戦する。それまでにも“世界一周飛行”は行われているが、それは緯度の高いところ、つまり地球の最大円周よりはるかに短い。彼女の計画は赤道を何度か横切るルートで“最長”を目指すのだ。使用機は双発のロッキード・エレクトラ旅客機、愛称は「アメリカン・イーグル号」。本来は十数名の旅客を乗せるスペースの大部分を燃料タンクに使い、航法士兼整備士兼通信士を一人同乗させそれに挑む。他の冒険飛行も同様だが、当然スポンサーは不可欠、この飛行には米陸海軍も協力する。このため、ルートは彼らの要求を入れ東回りとなる。この行程で飛行距離が最も長くなるのはニューギニアのラエからハワイに達する間。このため米政府は日本の統治下にある南洋諸島に近い無人のホランド島に滑走路と補給施設を建設、その間の洋上に軍艦も配置して非常事態に備える。マイアミ→プエルトリコ→南米→アフリカ→中東→インド→ジャワ→ニューギニアまで小さなトラブルはあったものの、無事飛行、629日いよいよ最終行程に出立する。ラエを発った機はしばらく海上の支援艦と通信していたものの、やがてそれは途絶え、機がホランド島に到着することは無かった。米海軍は空母(レキシントン)・戦艦(コロラド)・巡洋艦・駆逐艦を総動員して捜索に当るが何の残存物も発見することは出来なかった。ここからアメリア・スパイ説と日本による謀略説がまことしやかに流布されることになる。

19374月、朝日新聞は英国王ジョージ六世戴冠を祝う東京-ロンドン祝賀飛行を行い、欧亜連絡の新記録(94時間)を打ち立て、国威発揚に沸き立つ。この時使われたのは陸軍の97式司令偵察機(試作機)を改造した「神風号」。ライバルの偉業に対抗するため毎日新聞社が企画したのが「ニッポン号」による世界一周飛行である。機体として選ばれたのが海軍の96式陸上攻撃機(試作機)、本書で初めて知ったのだが、本機はもともと洋上長距離偵察機として計画されたもの。当時の日本機で最も目的に適ったものである。乗組員は機長以下副操縦士・機関士・整備士・通信士・メーカー技術者・報道員(小説ではカメラマン;舞台まわし役)の7名。1939826日羽田を発ち札幌経由でアラスカ→北米西海岸→シカゴ→ニューヨーク→ワシントン→マイアミ→南米西岸→東岸→北西アフリカ→スペイン→イタリア→中東→インド→バンコク→台北→羽田1020日着と巡り、世界一周を達成する。飛行距離53km、訪問国20カ国。

飛行の難所はアルーシャン列島からアラスカに至る北太平洋海域とアンデス山脈超え。搭乗員にここを飛んだ経験者はいない。さらに、最大の異変はこの間に第二次世界大戦が勃発、本来英・仏・独を訪問する計画は大幅に変更されることになる。2年違いの二つの世界一周飛行がどこで結びつくのか。著者のアート小説もサスペンス基調だが、航空などまったく無縁だった著者が、自身の現地調査(アメリアの出身地カンザス)と複数の航空マニアや専門家の支援も得て、アメリア機不明の史実をそこに組み込んだ仕掛けは、航空サスペンス物としてなかなかの出来映えであった(マニアとして、違和感を覚えるところ無きにしもあらずだが、小説ゆえそれは許される)。

 

3)生と死を分ける翻訳

-未開地での人質解放交渉、オスマントルコと西欧諸国を仲介する奴隷通訳、ポツダム宣言への回答英訳、通訳・翻訳が分ける運命-

 


一流出版社刊の翻訳小説はともかく、ノンフィクションの翻訳物ではしばしば理解に苦慮する著作に遭遇する。1980年代中頃ベストセラーとなったハーバード大学教授ガルブレイスが著わした経済書「不確実性の時代」もその一冊。監訳者は戦前ハーバード大学で学び一橋大学学長も務めた都留重人であったことから、経済学に対する自身の無知がその因と考えていた。ところが、しばらくして上智大学教授別宮貞徳が著わした「誤訳迷訳欠陥翻訳」を読んだところ、「不確実性の時代」が何度も取り上げられており、私の知識以上に翻訳に問題があることを知り、翻訳を題材とする書物に関心を持つようになった。最近では鴻巣有季子「翻訳、一期一会」、山形浩生「翻訳者の全技術」を本欄で紹介している。しかし、それらは別宮を始めすべて日本人が著わしたものであり、対象は英和翻訳に限られていた。本書を日経新聞書評覧で見たとき、著者はルーマニア人とあり、外国に於ける翻訳問題を知る良い機会と思い購読した。

著者紹介をみたところ、ジャーナリスト・翻訳家、ロシア語の文学やノンフィクションを英訳し、英紙ガーディアンやタイムズに寄稿、と簡単な略歴しか記されていなかった。そこで少し調べてみると、年齢は50歳代、モスクワ生れ・育ち、出自はアルメニア人、ソ連崩壊後英国に移り、翻訳・通訳をしており、裁判における通訳資格を有していることが分かった。さらにそこには、同姓同名のルーマニア人女性医師が居るが、それとは別人と明記してある。書評欄の著者略歴紹介は評者なのか編集者なのか知らないが、“翻訳”をテーマにしながら、日経もお粗末なことである。

時代は紀元前から始まっている聖書の翻訳から最新はAIによる機械翻訳まで、対象は国際政治、科学技術、報道、文芸作品、公的サービス(裁判)など。言語は英・露・仏・伊・ラテン・スペイン・トルコ・アラビア・ギリシャ、それに日・中も登場する。様々な場面で起こった翻訳・通訳問題を、事例を素に、依頼者・翻訳家/通訳・対応者(文芸作品では作者・翻訳者・読者)の立場を勘案し解説する。本書の目的は、原題の「Dancing on Ropes(ロープの上で踊る)」が象徴するごとく、翻訳者・通訳が依頼人と対応者双方を満足させるようバランスをとることの重要性を訴え、その点からの課題と解決に向けての努力を紹介することにある。外国語を熟知し、正確に使いこなせるだけでは務まらない世界がそこにあるのだ。直訳と意訳、諺やジョークとその真意、習慣や作法、同語異義(相当する単語がまったく違う意味を持つ)、受け手の背景(専門家、大衆)、同化(現地化)・異化(異国情緒をそのまま残す)の使い分け、通訳者に対する誤解など、言語仲介者として苦労が多々あることがよく理解出来る。

順不同でいくつかの内容を紹介すると、単語の取り違い;英語で酒場は「Public House;パブ」、これをそのままロシア語に置き換えると「売春宿」。後世に大きく影響したのは19世紀イタリアの天文学者が著わした火星観測に関する論文。そこには「Canali」の存在が認められるとある。これを英訳する際、翻訳者は「Canals」(運河)」としたので、人工的な運河の存在が火星研究の大きな話題になった。本来は「Channels((自然に出来た)水路)」とすべきだったのだ。文化・文芸への影響という点では、フランスを代表する思索家モンテーニュの「エセー(随想録)」英訳の一節はシェークスピア作品「テンペスト」にほとんどそのまま使われている例を挙げる。

重要な外交・会談の例も多い。オスマントルコと周辺国の交渉を仲介したのはギリシャ系のドラゴマンと呼ばれる通訳専門職(一種の奴隷)、世襲制のそれは中国の宦官同様、為政者に代わり実質的な権力を握る。ニュンヘン会談では独・英・仏・伊の四カ国語が飛び交う。ヒトラーの通訳パウル・シュミット博士は一人で三カ国語を扱い「不屈のシュミット」と称せられるほど奮闘する。テヘラン会談、ヤルタ会談における米・英・ソ3巨頭とその通訳関係も、担当通訳の回顧録でその場の雰囲気を伝える。

“生と死を分ける”の極めつけは日本。連合国は1945726日「ポツダム宣言」(降伏勧告)を発する。これに対し鈴木貫太郎首相は「ただ黙殺するのみ」と記者団に語り、記事になる。これを日本政府や報道機関が英訳することはなかったが、外国での報道は「ignore(無視する)」あるいは「treat with contempt(無言の侮蔑をもってあしらう」と訳され、ニューヨーク・タイムズが30日一面で「日本、連合国の降伏勧告を公式に拒絶」と報じ、広島の運命が決まる。戦後この件を問われた鈴木は「重視しない(ノーコメント)」の意だったと答えたという。翻訳者の訳語選択次第で重大結果を招く例として、敢えて序章で詳しく解説する。

自身の英国法廷通訳としての経験談(依頼者は無意識のうちに通訳を弁護士や裁判官と勘違いしてしまう)や環境変化(法廷による指名制から資格緩和による競争入札)、AI翻訳の影響(進化する機能を認めてはいるが、自分はまだそれより上との認識)など、直近の通訳・翻訳事情も取り上げられ、学ぶことの多い一冊だった。無論本書翻訳に不満なし。

 

4)「酔っぱらい」たちの日本近代

1920年代から一世紀にわたる、労働と酒をめぐる近代日本飲酒社会史-

 


父はあまり強くはないものの、毎日飲んで帰ってくるほど酒好きだったが、あまり明るい酒ではなかったから、少年時代酒に嫌悪感を覚えるほどだった。大学に入学しコンパで口にしたものの、これも好んで飲むようなことはなく、それは就職後も続いた。ただ、バーの雰囲気は好きで、大都会(?)である和歌山市に、少し懐が豊かになる給料日後の週末遠征し、非日常を楽しんだ。そんな時摂るのは、アルコール度が低くのどごしがいいビール一本、あるいは口当たりの良いハイボールをグラスで二、三杯と言ったところ。結婚後家で晩酌をするようになってもそれは大きく違わない。ただ、40代から50代にかけての現役最多忙時は父と同様、ほぼ毎日飲んで帰宅、二日酔いの体験も何度かしている。引退後は毎晩350mlの缶ビールを飲み、昼間外出するとランチビールやランチワインの一杯を、旅に出れば地酒を1合程度楽しむ。これが私の全飲酒歴である。愛飲家ではないが、酒を飲む雰囲気は好きで、読み物もそんなシーンがあるとうれしくなる。吉田健一や内田百閒の随筆はその点で読むだけでほろ酔い気分になってしまう。本書もそんな動機で飲酒の世界に踏み込んでみた。いささか軽佻なタイトルながら、中身は立派な“日本飲酒社会史”、飲酒と労働環境変化を文献やデータで丹念にたどり分析した報告であった。

著者は1973年生れ、京都大学大学院文学研究科で文学博士号取得、現在山口大学准教授。専門は社会学。

ここで言う近代は、概ね1920年代から現代までのほぼ一世紀。着眼点は、産業の主体が農業から工業に転換し、さらにそれが生産現場からホワイトカラーに重心が移り、都会ではデスクワークが主流になっていく経緯と飲酒の関係にある。

先ず前史として、江戸末期から明治時代までの飲酒関連データを用いて、当時の酒の消費やそれによる酔っ払いの実態を探る。18世紀後半の江戸における酒消費量は1合/人/日、これは突出した量なのだが、全国平均も0.5合と決して少なくない。ただし、地方では毎日酒を飲む習慣はなく、神事や特定の時期(例えば、田植えや収穫)に集中して飲むスタイルだったらしい。著者はこれを各藩に残る節酒令や柳田国男の民俗学研究などから類推する。なお全国規模で見た場合、ここで言う酒は濁酒(コメを原料とするどぶろく)で、一般大衆は清酒をほとんど口にしていない。また、神事・祭事(このときはとことん飲む)はともかく、飲む時間帯は作業中(農作業、職人作業)の昼間が主体だった。こんな前史の中で面白いのは、1876年当時の東京府警視庁が保護した酔倒人の数が3350人/年、これは府人口の0.3%に相当する。そして100年後1978年のデータは35109人、これも都人口比0.3%、と同じなのである。

さて工業化が進んでいくと、飲酒スタイルはどう変わっていくか。生産性への意識が高まり、職場からのアルコール排除が定着。飲酒の機会は退社後や休日に集中するようになる。すると休日明けの日(多くは月曜日)の出勤率が60%台まで低下するケースが生じ、労働倫理観を変えていく。つまり、深酒や深夜に及ぶ飲酒に罪悪感を覚えるようになり、飲酒スタイルに変化が表れる。例えば、終電乗客数が増加、終電前の歩行者移動速度が朝のラッシュ並みの速度になる。これらもきちんとデータを揃えて、解説するので、なかなか説得力がある。このような諸現象から、著者は飲酒が優れて労働従属的な性格を持つようになったと判ずる。

飲酒罪悪感が反転するのは戦争期、産業戦士の活力源、疲労回復剤と位置付けられ、酒の特別配給が行われる。ただし、その酒は純米酒では無く、合成アルコール混入が行われ、純米酒が再び生産されるようになるのは1990年代に入ってからである。

敗戦からの復興、経済成長。仕事と酒の関わりは、個人ベースでは「疲労回復」、仲間内では「ストレス発散」、組織としては「接待」、と幅が広がり機会も増える。1960年酒場の件数11850軒・売り上げ255億円が、197016127軒・売上げ1351億円へと急増、社用族の交際費は19601200億円、19702000億円、19803兆円と激増する。

主たる酒の種類にも変化が現われる。幕末・明治期は濁り酒、やがて清酒となり、戦時は合成酒、そして戦後はビール主流に転じてく。背景には戦時下米に関する統制が厳しかったのに対し、ビール用大麦の生産は稲の裏作あるいは畑の冬作として行われていたため、主食生産に影響が少なかったことで、規制が緩やかだったことが背景にある。

そして現代、明らかに酒離れの傾向が見て取れる。男性勤労者の非飲酒率は198412%2023年には20%に増加。ノンアルコールの出荷量は201012万キロリットルが、2023年には34万キロリットルにまで達している(因みに清酒は39万キロリットル)。また東京都の人口当たり泥酔保護者数は197080年代0.2%2023年には0.09%とほぼ半減している。つまり、都市勤労者にとってアルコールは以前ほど労働的な価値や意味を持たなくなりつつあるのだ。

新書ながら参考文献リストは20頁に及び、そこには諸官庁の公報、学会誌、社史、郷土史、民俗学文献、サラリーマン小説などが列記され、学術研究報告の一般向け啓蒙書としての性格がうかがえる仕上がり。軽い気持ちで手にした本だが、読後の充実感はきわめて高い一冊であった。

 

5)新書 世界現代史

-ウクライナ侵攻、中国の戦狼外交、MAGA、移民・難民排除の保守主義、すべてレコンキスタ(失権回復運動)なのだ-

 


レコンキスタ(Reconquista;国土回復運動)と言う言葉を知ったのは高校の世界史だった。イベリア半島を支配下に置いていたイスラム勢力を半島から駆逐する活動を意味し、8世紀以後1492年まで続いた長い戦いである。当時の高校生として生じた疑問は、なぜ文化・文明が進んだ西欧が、かくも長くイスラムの下にあったのか?であった。それの答えを実感するのは2015年スペイン旅行まで待つことになる。残された文化遺産(アルハンブラ宮殿など)を訪れ、その質の高さを目の当たりにして納得した。この旅でしばしばガイドから聞かされたのがレコンキスタである。本書は20223月(ウクライナ侵攻直後)~20254月(第二次トランプ政権発足初期)まで共同通信社から配信された、隔週連載国際インタヴュー「レコンキスタの時代」(80回)を基に、これを大幅加筆、書籍用に書き下ろしたものである。ここではレコンキスタを“失地回復”と訳しており、「種々の“失地回復”が同時並行的に進んでいるのが現代である」ことを伝えるのが要旨である。

著者は1963年生れ、大学卒業後共同通信社に入社、欧州・中東・米国などへの特派員を経験、現在同社編集委員兼論説委員。本取材では写真が載るインタヴュー相手だけで20数名。そこには元首相・外相・大使、政治家、国際問題シンクタンク研究員、大学教授、反体制活動家など、さまざまな指導者・権威者・論客(例えば、マハティール首相、イアン・ブレーマー、グレン・フクシマ)が並ぶ。ただし、ロシアと中国に関しては、体制側の人物は皆無である。

1991年ソ連が崩壊、翌1992年米政治学者フランシス・フクヤマ(日系3世)は「歴史の終わり」を著わし、世界は次第に米国・西欧型の民主主義に近づくと予見する。別の言い方をすれば“米国の一人勝ち”である。しかし、この独善・驕りが9.11同時多発テロ以降のテロ根絶に失敗(アフガニスタン、イラク)、米国の影響力が低下して“主なき荒野、Gゼロの世界が出現してくる。

米国の行き過ぎた自由主義は格差社会をもたらし、2011年には“我々は(貧しい)99%”のプラカードを掲げた若者たちがウォール街を占拠している。本書ではかなりの識者が2012年を潮流の潮目変化点と見る。極めつけは2013年オバマ大統領が発した「米国は世界の警察官ではない」の声明、その後ロシアはクリミア半島を占拠、中国による南シナ海岩礁の埋め立てが活発化したことを考えると、その罪は大きい。

相対的に政治力・経済力を低下させている米国の白人は、過度な理想主義を批判し“Make America Great AgainMAGA)”を叫ぶトランプ大統領を出現させ、KGBのスパイいとして東独崩壊を目の当たりにしたプーチン大統領は、それがトラウマとなり、ソ連復活を画策、ジョージアを抑え、ウクライナを我が物にしようとする。習近平主席は“百年国恥”を晴らし「中華民族の偉大な復興」を目指して、独裁体制確立に着々と手を打つ。加えて、BRICSに代表されるグローバルサウスも、長い北の先進国による世界支配に挑み、権力の再配分実現に注力する。一方で、欧州や米国に流れ込む移民・難民は伝統社会になじまない。リベラルな理想主義はこれに寛容だが、それも限界、伝統主義者が失われたよき時代への回帰を願う。いずれもレコンキスタ(失地回復、失権回復)であり、これらが同時並行して起こり、共振しているのが現代世界。そして、この混迷を加速しているのが世論を動かす情報の流れ。伝統的なメディアの影響力が低下し、ネット主体のSNSがそれに取って代わる。好みの情報ばかり集める“確証バイアス”、それが共鳴する“エコチェンバー現象”、工作者が流す巧妙なフェイクニュースがそれらだ。ブレグジットも第一次トランプ政権誕生も、SNSの果たした役割は無視できない。

ではこの先世界はどこへ向かうのか。三つの大国の他にも、地域を問わず伝統主義(あるいは復古主義)が蘇っている。インドのモディ首相、トルコのエルドアン大統領、イスラエルのネタニヤフ首相、ハンガリーのオルバン首相らがそれらだ。伝統主義は独裁と親和性がある。大国中心に勢力圏が形成されていた19世紀のヨーロッパのような世界が再現される見通しが強い。小国の運命は大国に握られると言うことである。

小国日本は如何にすべきか。最大の問題は、アメリカが今後、常に日本側に寄り添ってくれるとの確信を持てないことにある。当然だが、識者がそれに答えることはなく、自身で見つけなければならないのである。

個々の国々の動向、特に米・露・中に関する分析は、既によく知られたことばかりだが、レコンキスタという観点で括ると、世界の現状が既知のものとは明らかに異なって見えてくる。英・独・仏も今や小国、しかし彼らにはNATOがありEUがある。日本の将来に関し不安感が一桁上がった。

 

6)機械ぎらい

-ハンバーガーの注文から、乗車券入手、スポーツ観戦、万博入場、病院予約まで、IT弱者が排除される情報化社会。問題の根源を探る-

 


子供の頃からの模型好きが嵩じて、機械工学科に進んだ。だから決して「機械ぎらい」ではない。しかし、大学の授業では旋盤や鋳物実習で簡単な機械部品は作ったものの、実用に供する機械を分解したり組み立てたりするチャンスはなかった。ただ、幸いなことに卒論研究では、自動車メーカーが国産化のために輸入し、散々使い回し、廃品となった英国製エンジンをもらい受け、エンジンそのものを再生させ、それを使った実験装置を作り上げた。この経験は、のちの自家用車運用・維持にずいぶん役立った。しかし、それも1970年年代までのことで、自動車に限らず、家電なども、分解修理を自分でやることが次第に難しくなっていった。そして、電子化とソフトウェアの現代、機能は複雑化、ほとんど修理不可能となり、製品のライフサイクルは年々短縮、頻繁な買い換えが必要となってきている。こちらが機械をきらいになる前に、機械からきらわれているような気にさえなってくる。「使いこなせないなら、持つな!」と。

導入部で語られるのは情報弱者の現状。スマフォや各種自動発注・予約システムを使いこなせない人々のことだ。飲食店における、専用タッチパネル、QRコード読み取りによる注文、駅の発券機などがその例として取り上げられる。分かりにくい説明で、初心者は操作に四苦八苦、単なる苦手意識だけでなく、自分のもたつきが後に続く人々の苛立ちを呼び、それが恐怖心にまで高まっていくのだ。究極は「時代遅れ」のレッテルである。その因は、機能の複雑さと操作がソフトウェア主体になっていることにある。つまりソフトウェアが他社との差別化を意識し、独自性を求めるところに根源にあり、操作のみならず、囲い込みのため修理への配慮も軽視される(出来なくする)。この具体例が、最大手のハンバーカーチェーンのセルフ発注操作で15ステップ以上にも及ぶことや、米国における家電修理技能者が1996年の20万人から2020年には4万人に減じたことで示される。自動車に代表される、従来の機械普及が標準化によるのと真逆の現象が最近の機械に起きているのだ。

次いで、この現象を“予約型社会”に絞り込んで追及していく。乗り物、美術館、スポーツ施設、テーマパーク、映画館、ホテル・飲食店、病院など、特にコロナ禍以降、予約前提のシステムが続続と導入され、システムを自在に操れる者とそうでない者との格差が拡大、病院などで緊急処置をうけられないケースも生じている。実はこれらシステムは、従来サービスを提供する側が行っていた作業を受ける側に転化したものとして問題視する。また、昨年開催された関西万博では行列解消をうたいながら、実態は行列に並ぶ権利を入手出来ただけで、1970年の大阪万博同様パビリオン前に長蛇の列は発生、それどころか予約システム入口で見えないディジタル行列が出来たことを例示して、予約型社会に警鐘を鳴らす。

以上は主に情報化社会批判の面が強い内容だが、これ以降は新しいテクノロジーが普及・定着するプロセスを、特定の機械あるいは部品について、新技術導入反対の活動を交えながら解説していく。部品では押しボタンの発明が電子・電気応用機器に果たした役割を取り上げ、多すぎるボタンによる混乱事例(炊飯器)、ボタンを減少にこだわるスティーブ・ジョブスの考え方、長押し操作考案によるその実現などが紹介される。

思わぬ事例は1章を設けて解説されるエレベーター開発発展史。著者はこれを「人類が生み出したテクノロジーのなかで、最も洗練され、成熟した装置」と高く評価をする。つまり、高層化による人間活動領域拡張を実現し、社会を変える原動力になったと見るのだ。吊り下げロープ切断によるエレベーター籠落下に対する恐怖が普及を阻むのだが、イライジャ・オーティスによる緊急停止装置の発明とデモンステレーション、光電管による位置決め停止装置などの導入により無人運転が可能となり、高層開発必須の道具として行き渡っていく。冷蔵庫(不自然に冷やされた野菜に対する嫌悪感)、鉄道(騒音、煤煙、景観破壊)なども一時期反対運動の嵐に襲われるが、今や社会生活に欠かせぬ機械として普及してくる。いずれも、革新者(イノベーター)や早期の愛好者(アーリーアダプター)の活動がその推進原動力ではなく、むしろ遅れてきた大多数(レイトマジョリティ)や最後まで利用をためらう層(ラガード)が決定権を握ってきたのだ。

ITツールが抱える問題点克服には「ユーザーインターフェース不全」にもっと目を向け、改善に努力すべしと提言して、結びとする。

昨年8月本欄で「修理する権利」を紹介した。この本も、比較対象として他の機械類も援用していたものの、IT分野に焦点を絞り込んだものだった。本書も“予約型社会”批判までは同様だが、新技術普及ではかなり対象が広がり、情報化社会に対する問題点の詰め(利用者視点の具体的改善策提言)を欠く。さらに最も話題性の高いAIにはまったく触れておらず、種々新知識は得たもののその点で不満が残った。

 

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2026年2月28日土曜日

今月の本棚-211(2026年2月分)


<今月読んだ本>

1) 旅行者の朝食(米原万里);文藝春秋社(文庫)

2)「おかえり」と言える、その日まで(中村富士美);新潮社(文庫)

3)「予想外」を予想する方法(キット・イェーツ);草思社

4)大谷のバットはいくら?(熊崎敬);柏書房

5)日本漁業の不都合な真実(佐野雅昭);新潮社(新書)

6)外務官僚たちの大東亜共栄圏(熊本史雄);新潮社(選書)

 

<愚評昧説>

1) 旅行者の朝食

-小・中学生時代東欧で暮らし、ペレストロイカ期からロシア語通訳として活躍した才女のロシア食事事情-

 


2003年、関係会社を含め41年にわたり携わってきた石油精製・石油化学業界の仕事を終え、計測制御システム会社で海外営業のお手伝いをすることになった。最初に取り組んだのはロシアの市場開拓、ウラル西側を中心に足かけ3年間従事した。モスクワの現地法人を拠点に各地に散在する製油所を訪問、日本での事例を紹介し、当該製油所のIT利用度合いを診断、改善提案をするのが業務概要である。モスクワからクルマで日帰りできるところもあったが、多くは空路あるいは鉄道でおもむく遠隔地、前夜遅く現地入りし、翌朝工場訪問するケースがほとんどだった。ロシアでの工場訪問は事前に先方が招待状を発行、それで訪問可となる方式なのだが、そこで驚いたことは、何度か客先が朝食を用意してくれていたことである。それも決して軽食ではなく豪華なものだった。さすがにウォッカはなかったが。

紀行文、旅のエッセイは最も気が休まる。検索で行き当たったのが本書。著者の名前はソ連崩壊後メディアでしばしば見かけていた。ロシア語の専門家であること、父親(米原昶(いたる)が日本共産党の幹部であったこと(戦前旧制一高生時代主義者と関わり放校、戦後入党し二度衆議院議員を務める)、その関係で共産圏欧州に滞在していたこと、などがそれらだ。

著者は1950年生れ、2006年死去。本書の単行本は2002年に出版されており(文庫は2004年刊)、そこに収録されたエッセイ37編はそれ以前雑誌・新聞・広報誌などに掲載されたものである。先に述べたように父親は1959年~1964年プラハに在った国際共産主義活動広報誌の編集責任者を務めており、著者も同行、日本の小学校4年生相当から5年間彼の地のインターナショナル・スクール(ロシア語)で学んでおり、帰国後日本の高校、舞踊学校を経て東京外大露語科に入学、さらに東大大学院(露文)に進み、修士号を取得している。東外大時代日本共産党に入党するが、東大大学院時代除名されている。本書執筆までの訪ソ・訪露回数は200回以上、多くの日ソ・日露高官の通訳業務に従事、1993年エリツイン大統領来日の際は随行通訳を務め、その後2003年から死去するまでロシア語通訳協会会長の座にあった。

本書の内容は豊富なロシア体験に基づく食に関する話だが、ロシア料理に限らず、日本食は無論、仏・伊などの西洋料理から中東の菓子や果実などにもおよび、それが狭義の食そのものにとどまらず、文化・歴史ときには政治にまで関連付けられ、ロシアの内外から食を通じてその社会を垣間見せてくれる。例えば、タイトルの「旅行者の朝食」。これは計画経済時代の肉や豆や野菜を煮込んだ缶詰の商品名、これに飲み物・黒パンがあれば朝食として充分との考えから発したものだ。よほどの空腹時でなければとても食べられない代物、それをテーマにしたソ連社会を揶揄する話である。ペレストロイカ期のソ連トップの好み、保守派の頭目リガチョフ政治局員は和食・魚は一切ダメ、滞日中はすべてフランス料理で通す。ゴルバチョフは刺身・鮨には拒絶反応を示したが、天ぷらや火を通した魚介類は大歓迎。エリツィンは出される料理、何から何まで興味を示し、美味しそうに平らげた。ここから著者は「未知の食べ物に対する許容度と政治的革新度が正比例する」と結論づける。堅い話ばかりではない。キャビアの密売、ウォトカ消費と世相、極寒下釣り上げると即凍結する鮮魚の食し方(専用の鉋がある)など、ロシアの食満載。

本書を読んで感心したのは、タダの食通に留まらない食に対する探究心の旺盛さである。料理に関する古今東西の書物に精通、初体験で味わった感動を再現すべく、自ら試行錯誤して調理してみたりもする。本書で教えられたこと;製油所の朝食はテーブルいっぱいに広がる方式だったが、西洋料理が順番に出てくるのはロシア発祥、18世紀までフランス料理も一度に供されるスタイルだったとのこと。

 

2)「おかえり」と言える、その日まで

-奥多摩・奥秩父・丹沢、ハイキングで出かける程度の低山で起こった山岳事故を国際山岳看護師資格を持つ女性が報告-

 


食事どきのニュース、天気予報以外ほとんどTVを視ないのだが、それでもいくつか定番の番組がある。見始めた古い順に、「ブラタモリ」「呑み鉄本線日本旅」、それに「日本百低山」がそれらだ。それぞれ主題は異なるものの、いずれも未知の地を探訪するところは同じ、一種の旅番組として楽しんでいる。この内“未知”という点で最も惹かれるのが「日本百低山」、 “酒場詩人”を自称する吉田類が女性タレントとともに、地方の比較的都市部近くにある低い山(ほとんどが1000m未満、500600m級が多い)に登る行程を辿り、下山後地元で一献傾け、最後に一句詠んで終わる構成になっている。しかし、低山といえども侮ってはならない!本書の内容は都市部から日帰り可能な山々で起こった遭難事件の詳細事例を報告、安易な登山への警告書である。

取り上げられる遭難は6件、すべて死後の発見、2週間ほどから2年以上と捜索期間は様々。遭難者は50代から60代ですべて単独行、日帰りかせいぜい一泊の行程。奥多摩・奥秩父・丹沢山系、日光足尾など首都圏近場がほとんどで、高い山でも1000mを少し超える程度、地元の小学生が遠足で出かけるような所だ。推定される遭難状況の詳細はそれぞれの章で語られるが、すべて「道迷い(結果としての滑落・転落を含む)」である。今回本欄で伝えたいことは、遭難捜索活動の内容や読後感ではなく、それに当る組織や人に関することである。

著者は1978年(昭和58年)生れ。高校卒業後看護学校を経て都内の総合病院で救命救急センター・集中治療室担当の経験が長い看護師。二児を持つ母親でもある。向上心の強い人で、それまでの間JPTECJapan Prehospital Trauma Evaluation and Care;外傷を負った患者を病院に搬送するまでの指針を出す役割)インストラクター資格や国際山岳看護師認定資格などを取得している。転機が訪れるのは2011年救急医療従事者講習会講師を務めたとき受講生の中に山岳救助に携わる男性がいたことから、2012年捜索救援を求められ、この世界と関わっていく。その知見を基に、2018年山岳遭難捜索チームLiSSLife Search and Support)を立ち上げ、本格的に遭難者捜索と家族支援を行っているのだ。勤務形態は不明だが、現在は市立青梅総合医療センターの職員でもある。

山岳遭難事故は、先ず地域管轄の警察署と地元山岳関係団体が当るのだが、活動期間は長くて3週間程度、その後を引き受けるのがLiSSのような組織となる。遭難者家族の要請に基づき開始、終了を告げられるまで続ける(冬季中断などもあり、活動期間は随時決められる。LiSS側から打ち切ることは一切無し)。費用は3万~5万円/日/人+実費(交通費など)、チームは最低でも2名なので16万円はかかるわけで、総額は相当な金額になる。ただ山岳保険をかけている場合はそれでカバーできるようだ。遺体(ほとんど遺骨)・遺留品発見の場合は動かさず警察に通報、その後は警察業務となる。LiSSの仕事は現場捜索ばかりでなく家族の相談(特に心理的な)にものる。最近の著者の役割はここに重点が置かれているようである。2024年度の山岳遭難件数は2946件、遭難者数3357名、死者300名、行方不明35名。多くの山岳事故の陰に、メディアでは報じられない、こんな活動があるのだ。

最近の捜索活動は、会員制によるヘリコプター利用(会費よる一種の保険。会員山行に際して発信器貸与)、ドローンの利用、GPSの利用など改善が図られてはいるものの、低山は藪(最大の障害)が多く、発見を遅らせてしまう。道に迷ったら「下るのではなく、とにかく上れ!」「衣服・装備の色は、赤や黄(紅葉)・緑(木々の葉)・茶(土壌)を避け、明るい青を!」(いずれも、ヘリ、ドローンからの発見しやすさ)と助言する。

また、LiSS活動を必要とする意外な面も教えられた。行方不明者の法的扱いである。“失踪”には二種あり、一つは普通失踪、もう一つは危難失踪(事故、天災などによる)。普通失踪が何らの遺留物無しに認められるのは7年後。これに対し危難失踪は1年。相続や会社経営の場合、この差は大きい。

本書は近郊山行きを趣味にしている人には役立つ情報満載、是非読んで欲しい。

 

3)「予想外」を予想する方法

-古代から不可欠だった各種予測、占星術から高度数理利用の天気予報まで、予想に翻弄されない心構え伝授します-

 


総選挙のたびに感心させられるのが、大手報道機関による当落予想。開票率0%で当確が出るのは「いくらなんでも!」と思うものの、それが外れるのは12件に過ぎず、先ず“予想外”は起きない。しかし、今回の選挙は高市人気に支えたれた与党過半数超えと急づくりの中道連合苦戦は間違いではなかったものの、自民党単独で三分の二を獲得し、中道があれほど惨敗すると予想したメディアは皆無だった。その意味で、今回は“予想外”の結果だった言える。本書は無論、選挙前に購入したものだが、数理に基づく予想の新手法が講じられている内容を期待して求めた。しかし、格別の新手法は皆無、予想外れだったが、読んで得るところは多々あった。一言でまとめれば「それらしい予測や数字を過信するな」との意を込めた、各種予測利用に対する啓発書である。

著者は1985年生れの英国人。オックスフォード大学で数学を修め(博士)、現在はバース大学数理科学科講師。数学啓蒙に主眼を置いた活動をしており、前著「The Maths of Life and Death(邦訳;生と死を分ける数学)」はサンデー・タイムズ紙の科学書オブ・ザ・イアーに選ばれており、本書もその系列にある。

古来人類は国の統治から日常生活まで予測を必要としてきた。そこで利用されたのは、占星術や易経を始めとする各種占い。占星術師・巫女・司祭などがそれを行い、託宣を下した。この段階から、結果を求める人々にはある種のバイアスがかかっており、託宣を下す側はそれを承知の上で、偶然性と曖昧さを持つ予測を告げ、あたかもお告げが当ったように見せかけてきたのだ。本書はこんな書き出しから始まり、予測にはそれを受ける側に種々の心理的バイアスが内在することを教えて、数理予測の世界に入っていく。

予想を狂わす不確かさの種類は二つ;①アレトリック(aletoric;偶発的不確かさ;サイコロ賭博)と②エピステミック(epistemic;認知的不確かさ(情報不足);ポーカー(対手の手札が不明))がそれらだ。この二つの下で予想(推論)することを難しくしている数学的二大現象が①確率と②非線形性。前者では過度に一般化・単純化する傾向、後者では線形バイアス思考の刷り込みによる誤解、を生じてしまうのだ。本書の中で使われる数学は、一部ゲーム理論などを援用するものの、大部分この二つの初級程度で済ませており、論旨理解に妨げられることはない。例えは、非線形性といっても2倍・3倍(倍数)と2乗・3乗(乗数)あるいは10倍・100倍(対数)の違いを見誤ることくらいである(線形バイアス)。

確率についてはその問題点を指摘する本は汗牛充棟、本書の内容も概ね事例を除けば、それらと変わらない。ノイズの中にパターンを見いだしてしまう。仮説に合致するするデータだけを根拠に結論を出す。少々変わっているのは、受け手の問題として、完全に一致していなくても、当たりと認めてしまう「近接性原理」。この事例では数学を離れ、リンカーンとケネディ両大統領の暗殺の類似性が取り上げられる。

確率と密接に関わるサンプリングではランダム性を問題視する。人間の脳で作り出せるランダムには限界があるので、それを見抜くことが予想外を生じないカギとなる。一方で、ランダムサンプリングで得た結果でも予想通りに行かなかった例として、米下院議員選挙や2016年の米大統領選挙(ヒラリーvsトランプ)がメディア予想と大きく違った結果をもたらしたことを紹介。ここでは「権威バイアス(大手メディアへの過度の信頼)」あるいは「アンダードッグ(負け犬)効果」が効き過ぎて敗者予想側の応援票が伸び(負のフィードバック)、予想を裏切る結果になる(今回の総選挙は正のフィードバックか?)。

さて、予想(あるいは初期の言動)の先に何があるか?当否の如何にかかわらず、結果がどうなるかをきちんと考えておかなかったことで生ずるブーメラン効果(自らの行為が招く思わぬ結果)や雪だるま式増加。これこそが予想外がもたらす恐ろしさ。コロナ禍はこの事例に満ち満ちている。

自然災害の予測では、日本が関東大震災の記憶を今にとどめ、その日を記念日とするばかりでなく、地震予知は不可との前提で、対策を積み重ねていることを講じ、これが予想外対策の好例と紹介している。

予想を役立つものにする留意点として、予想可能な領域をわきまえ、遠すぎる未来に関して決定的な予想を試みるべきでなく、常に新たな情報によって、自分の考え方を変える余地を残しておくことを薦める。

面白い事例が多く、内容も平易だが単行本で500頁近いボリューム、読み通すには少々覚悟がいる。

 

4)大谷のバットはいくら?

-スポーツの進行や結果は道具に左右される。大谷のバット、北口のヤリ、羽生のスケート靴、値段教えます-

 


本欄執筆中冬季オリンピックたけなわ、日本勢のメダルラッシュはご同慶の至りだ。冬の競技でいつも気になるのが道具のこと。選手自身の力量が勝敗のカギであることは確かだが、夏に比べすべての競技で道具の影響が大きいように思う。自身所有したスポーツ用品のなかでもスキーは飛び抜けて高く、学生時代アルバイトで稼いだカネの大半をつぎ込んだ。ボブスレーなどエンジン、タイヤは無いものの、F1レーシングカーと変わらない見立てだ。本書を購入したのはかなり前だし、その時は今回のオリンピックのことなど頭になく、タイトルに惹かれただけなのだが、読後大会が始まるとTVで視るたび、道具の差はどんなものなのだろうか?金額は ?と問いかけたくなる。

著者は1971年生れのスポーツライター。専門分野はサッカーのようだが、本書の初出はスポーツ月刊誌「Number」の連載記事36編(20209月~20236月、ただし価格換算は20258月ベースで税込み)。競技種目は様々だが、野球6件、サッカー5件、相撲を除く格闘技4件、相撲4件、陸上3件、そしてウィンタースポーツ3件、卓球2件、ラグビー2件、あとはバドミントン、競泳、バスケット、クリケット、モルック(北欧発のボーリングに似た競技)各1、番外に将棋と麻雀がある。道具は、競技者が使うものが中心であるが、サッカーの選手交代の祭に使われるボード、グランドを均すトンボ、ラグビーのキックティ、線を引くラインカーなど、意外なものもある。この内個人名で語られるのは、大谷のバット、北口のヤリ、羽生のスケート靴の3点のみである。

タイトルに“いくら?”とあるので価格中心の内容を思い浮かべたが、なかなか奥が深い。製造では開発・加工・製作技能者、材料では特性や産地、品質では規格や性能・検定方法、市場(世界・日本、競技者用・一般用)までおよび、さらに最近の社会情勢などとの関わりまで踏み込む。この社会情勢の例で驚かされたのは、バトミントンのシャトルコック(羽根)である。16本の羽根から成るのだが、原料はアヒルや鴨を大量に食す中国に専ら依存していた。しかし、中国の食生活の変化で飼育数が著しく減少、良質な羽根の入手が難しくなってきているとあった。

さて、三選手の道具はどんなものなのか。大谷のバットは米国チャンドラー社製、このメーカーは創業2009年の後発ながら、一流選手が好んで使い出している。原材料はメイプル(楓)、硬さが特徴でときどき大谷さえ顔をしかめるシーンがあるのはそのためだという。日本にも輸入されているが主力選手さえ「硬すぎて無理」というほどのものらしい。価格は40350円。やり投げのヤリは一流選手向け世界市場をスウェーデンのノルディク社とハンガリーのネメト社2社が独占している。ノルディク社の製品は軽く細く、筒の中を通すような感じで投げる競技者に適している。それに対しネメト社のものは、やや太く握り易いが空気抵抗が大きく、一点爆発型競技者に向いている。身長179cm、パワーのある北口はネメト社を使って金メダルを獲得した。価格264660円。フィギュアスケートはジャンプ着地など過大な衝撃力が生ずるため、ごく最近まで牛皮を何枚も重ねる重い靴が使われてきた。しかし、イタリアのエディア社が、人工皮革を材料とする軽くて柔らかいにもかかわらず衝撃に耐える靴を開発、北京五輪時羽生が使用したスケート靴はこの社の「ピアノ」という製品。価格238,700円。

今冬季オリンピックでは振るわなかったカーリング。どこのリンクでもそこに常備された石を使って競技を行う。その石は、スコットランドの無人島にある花崗岩から作られたものしか認められない。しかも氷と接する部分とその上の部分は同じ島のものだが微妙に材質が異なるものが貼り合わせで使用されている。石の価格は16個がセットになり120万円(1個75000円)。

以上はすべて外国製だが、卓球のボール、砲丸投げの砲丸、体操競技の鉄棒、重量挙げのバーベルなど日本のメーカー製品も多くの一流競技者に高い評価を得ている。特に、砲丸はメダリスト続出、これを提供するニシ・スポーツ社の製造技術(重心を正確に中心に置く)は他社の追従を許さぬほど高い技術。

長年スポーツ観戦を楽しんできたが道具の値段や製法など考えたこともなかっただけに、本書から知ることが多く、観戦の仕方に変化がありそうだ。

 

5)日本漁業の不都合な真実

-激減しているのは生産量ばかりでない。消費の側も魚離れが進んでいるのだ。ユニークな経歴を持つ水産学者がその実態を明かす-

 


住まいは横浜市の南東端金沢区に在る。最寄駅の次駅は金沢八景、その八景の一つに“乙舳帰帆”があり、ここはシーパラダイスの近くで、向かい側の小柴漁港に戻る帆掛け漁船をとらえての情景である。横浜港南端からここまでの海岸はすべて埋め立てられ工場や住宅団地が占めているが、小柴漁港は残され、そこには30~40隻の漁船が舫われている。少々遠出の散歩でこの辺りまで出かけると、漁港近くの民家の庭先でドラム缶いっぱいのシャコを煮立てているのを見かけることもある。つまり小柴漁港は立派な現役なのだ。首都圏の一画にこんな所があるほど、漁業は日本人にとり身近な存在だと言える。

本書で著者が焦点を当てるのは、日本独特の魚食文化と食料安保だが、問題点として解説するのは、漁獲量・就業者数のように比較的知られているものから、養殖業の経営、環境問題、世界の食糧事情(特にタンパク源)、周辺国との関係(特に中国)、国境産業としての漁業、国の海域利用政策(例えば、観光・再生エネルギー設備との共存)まで実に幅広い。これには著者のユニークな経歴が深く関わっているので、先ず略歴を紹介する。

著者は1961年生れ、京大法学部に進み高坂正堯教授の下で国際政治を学んで、バブル前夜都市銀行に就職。「カネさえあれば何でも出来る」風潮に疑義を持ち、自然と人間が直接ぶつかり合う現代唯一の原始産業、漁業に惹かれ、東京水産大学(現東京海洋大学)大学院に入学。ここで水産生物と漁業経済を専攻、修士課程を修了し水産庁に入庁、北海道大学で博士号取得、現在は鹿児島大学水産学部教授。専門は水産物流。文/理、民/官/学すべてを経験した珍しい人材、国会における漁業関連法案審議では参考人とし招致されるほどの権威であり、本書の内容もこの経歴が存分に生かされている。

2023年度の水産物世界生産量は過去最大で22700万トン。その内日本はわずか383万トンに過ぎない。これは過去最大だった1983年から70%減の数字である。就業者数も20年前の200324万人から12万人と半減している。留意すべきは、生産量ばかりでなく輸入量も減少傾向にあることだ。つまり、消費する側にも魚離れが起きていることである。これが、かつて世界最大の漁獲量を誇り、世界一魚を食べてきた国の現状なのだ。

生産量減の因は;漁業者の減少、中国・台湾などとの国際的漁獲競争激化、気候変動・温暖化による漁場や魚種の変化、円安によるエネルギーコストの上昇など、そして何より日本人の水産物消費の縮みにある。そのいくつかの話題を取り上げてみたい。

漁業就業者減少は、少子高齢化の中で典型的な3K(危険、きつい、汚い)職場であることが大きな原因と認め、それへの対応策をいくつか提言しているが、中でも国の政策を問題視する。小漁村の消滅や定住漁民の減少は既に1980年代から始まっており、観光業との併存などが模索され、当時の三浦市長が「海(うみ)業」を提唱、三浦海業公社を設立し、現在も存続しているが経営状態は思わしくない。この「海業」が201870年ぶりの漁業法大改正でゾンビのごとく蘇る。根源にあるのは漁業そのものの振興ではなく、観光や他産業との共存である。しかし、釣り人減を含め海のレジャーそのものが衰退傾向、観光はインバウンド頼み、大きな期待は出来ない。政府のもう一つの狙いは再生エネルギー産業(風力発電)誘致。現在の漁業法では地元が握る漁業権が障害となるため、この回避策の性格が強い。投資は専ら土木工事に向かい、漁村・漁民を潤すことはないのだ(国会参考人招致では反対を表明する)。これと関連するのが農業政策における補助金の扱い。欧米では食糧安保の視点から補助金は営農者に直接交付するのだが、我が国では機械化や土木工事主眼で自治体が握り、農家への配分は間接的なものになる。沿岸漁業を「公益的産業」と位置付け、漁民に直接交付することで3Kに挑戦する就業者を確保すべき、と言うのが著者の考え方である。ここでは経済学者宇沢弘文の「社会的共通資本論」が援用される。

中国との国際競争に関しては、日本では禁じられている漁具・漁法を使い、公海は自国のものとの認識で操業していることを問題視。一方で日本の規制は自ら競争力を弱めていると難じる。また、中国を含め台湾・韓国・ロシアなど周辺国は生食の歴史が浅く、鮮度や脂ののりには無頓着、黒潮の先で小ぶりのサンマ「先取り」するのは専ら冷凍・缶詰加工用、魚食文化の違いをクローズアップする。

気候変動・温暖化では、我が国メディアの偏向に目を向ける。漁業には期節(季節ではない)があり、増加期にある魚種を無視し減少期にある魚種を取り上げて大騒ぎすることに不快感を著わす。かつてカナダ沖ニューファンドランド海域でタラが絶滅した歴史を交えながら、種の絶滅原因は気候変動や無秩序な産業開発(埋め立て)の影響がはるかに大きいと論ずる。

乱獲・絶滅問題の解決策と思える養殖にも不都合は多々ある。養殖される魚(ブリ)とその餌となる魚(マイワシ)の総タンパク量はマイナス、直に餌を食べる方がはるかに効率が良い。内海養殖はすでに限界、沖合養殖は波浪対応生け簀や給餌システムに多額の費用を要し、現状では価格競争力を欠く、など具体例で説明される。

著者の見通しは、漁業を「経済性」のみで決めるような社会のままなら、日本は永遠に漁業を失う。魚食文化と食糧安保の観点から、これを「社会的共通資本」と考え、進んで国産水産物を消費し、それを支援する政策(沿岸漁業、定住漁民)をとるべき、と結ぶ。考えさせられる結言だ(真っ当な考えと思う反面、食生活規制のニュアンスがよぎる)。

 

6)外務官僚たちの大東亜共栄圏

-日露戦争後島嶼国家を大陸国家に転換させた日本。その後の40年、外務官僚は「満蒙権益」維持にどう対処したか。気鋭の歴史学者がその解明に挑む-

 


「戦争は政治的交渉の継続に他ならない。しかし、政治的継続におけるとは、異なる手段を交えた継続である」。これはクラウゼビッツが「戦争論」最終篇第8篇第6B「戦争は政治の道具である」に記した有名な一言である(岩波文庫昭和43年版訳)。ここで“異なる手段”は軍事、“政治”は外交を意味する。この章は膨大な著書の最終章で、そこで政治と軍事の関わりを縷々解説、結論としている。つまり外交こそ戦争を語るに欠かせない必須因子なのである。しかしながら、我が国が戦った最後で最大の戦争、大東亜戦争(日中戦争+太平洋戦争)では、軍事面(軍人政治を含む)が本筋に置かれ、外交は日米交渉の最終段階を除き、脇役に任じている感を免れない。あの戦争に至る外交の実態はいか様だったのか、この課題に正面から取り組んだのが本書である。昭和史研究を、軍事を離れ新たな視角から分析、もう一つの“大東亜共栄圏”構想を明らかにした歴史研究、複数の受賞が納得できる内容だ。

著者は1970年生れ。筑波大学大学院で博士課程まで進み博士号取得(文学)。専門は日本近代史・日本政治外交史。外務省外交史料館事務官などを経て現在駒澤大学文学部教授。本書はこの外交史料館勤務時代の活動と深く関わっていることが推察できる。つまり新発見の資料がいくつも援用されるのだ。本書の流れは、日露戦争で得た満洲における権益が拡大、やがてアウタルキー(自給自足)圏として認識され、国益確保と国際協調の狭間で、紆余曲折しながら「大東亜共栄圏」となる過程を、指導的外交官僚たち(外相、次官、局長、公使など)の言説をたどり、「失敗の本質」を析出させてゆく構成になっている。

日露戦争前の我が国外交基調は島嶼国家としてのそれであった。これが大陸国家観に転じるのは講和会議の代表でもあった小村寿太郎外相時代である。会議期間中戦時外債返還で財源に余裕ないことを見透かし、米鉄道王ハリマンが桂内閣に「門戸開放・機会均等」を唱えながら満洲の共同開発を呼びかけ、鉄道開発に限る「桂・ハリマン協定」が結ばれる。しかし、帰国した小村はこれに反対、破棄する。彼の頭には満洲がやがて、国家運営に大きな力となることを読んでのことであった。講和条約で決められたのは満洲における日露による南北勢力圏設定だったが、引き続き東西の支配域を取り決める交渉が行われ、北京の経度を基準にそれが定められ、その東側に内蒙古が含まれることで「満蒙」の概念が生れて、これが「大東亜共栄圏」の一里塚となる。小村寿太郎はこの協定成立後間もなく急逝する。

中国への進出が遅れた米国は、その後も「門戸開放・機会均等」を呼び声に満洲経営参入を目論み、英国もそれに加担する。一方日本も大規模投資をする余裕がない。ここで登場するのが小村欣一、寿太郎の長男で当時政策局第一課長兼亜細亜局参事官、著者が「満洲供出論」と名付けた、米資本受け入れ案を意見書として提言する。1918年米が「支那保全論」の名の下、満蒙鉄道整備に関する四カ国(日・米・英・仏)借款団参加である。欣一の狙いは英国の中国での影響力低下にあるが、外国の介入を嫌う幣原外相・髙橋是清蔵相の反対で挫折する。幣原は巷間国際協調派と見られがちだが、この時代は「満鉄中心主義」に固執する国益擁護強硬派であったのだ。これ以降欣一の名は本書に登場しないが、著者は「満洲供出」案が受け入れられていれば、東アジア情勢はまったく異なる道を進んだ可能性大とする。

エリート官僚たちの満蒙観は力を強めつつある軍とも呼応して、専ら経済・軍事を重視する政策に傾斜していくのだが、著者はここで傍流にも目を向ける。米国の文化外交に対向する組織として1923年に発足する外務省文化事業部がそれだ。教育・医療・文化交流の面から満蒙さらに支那本土に影響力を拡大するのがその本意、掲げる「精神的帝国主義」は「東洋文化優位論」「日本文化優位論」に転じ、やがて「大東亜共栄圏」構想の中に組み込まれていく。

1928年中国国民党による北伐(張作霖の追い出し)が成功すると中国は主権回復を目的とする「革命外交」を積極展開する。駐華公使時代これに好意的だった重光葵次官は満州事変(1931年)以降次第に対支政策を硬化させ、その指示で1934年外務省情報部長天羽英二が「日本は東亜に於ける平和及び秩序を維持すべき使命を負っている」「列強による中国への共同動作は中国の統一及び秩序回復を阻害するので日本はこれに反対する」との声明を発し、ここで「東亜」の概念を明示、欧米の関与を拒否する。著者は、ここを日本の東アジア政策回帰不能点(Point of No Return)と捉える。

19377月日中戦争勃発。19381月近衛首相は「(蒋介石を)対手とせず」を発するがこの時の外相は松岡洋右、19408月の外相談話の中で初めて公式に「大東亜共栄圏」を語り、それまでの「東亜」が「大東亜」に変じていく。この“大”には日・満・支に加えて南方(東南アジア)を含むが、これは何回か外相を務めた有田八郎の考えを加味したものである。

194311月占領地区国家を糾合した大東亜会議が開催され、そこで民族の“解放”と市場・資源の“開放”をうたった「大東亜共同宣言」が発せられる。これは重光外相が主導したものだが、既に日本は守勢に転じており、新たな秩序「大東亜共栄圏」構築は“砂上楼閣”として終わる。

日本外交の「失敗の本質」はどこにあったのか?この問いに対する著者の回答は、軍事作戦のように組織論に求めるのは適切でないとし、米国の国際政治学者ハンス・J・モーゲンソーが述べた「愼慮(Prudence);一般には慎重と訳されるがモーゲンソーの意は「あれこれの政治行動の結果を比較考量すること」」に求め、近代日本の外交が、そのような「愼慮」を欠いてきたとことが失敗因を結ぶ。この背景説明に、重光の獄中記「昭和の動乱」から第一次世界大戦後「五大国」となった日本の国家および国民の「慢心」を引用していることは興味深い。今やG2と称せられるまで成り上がった中国の“傲慢で強圧的な外交”があの当時の日本と重なってくるのだ。

 

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