2026年4月30日木曜日

今月の本棚-213(2026年4月分)


<今月読んだ本>

1) こんな感じで書いてます(群ようこ);新潮社(文庫)

2)世界カフェ紀行(中央公論新社編);中央公論新社(文庫)

3)陸軍工兵大尉の戦場(遠藤千代造);光人社(文庫)

4AI・機械の手足となる労働者(モーリッツ・アルテンリート);白楊社

5)空旅・船旅・汽車の旅(阿川弘之);中央公論新社(文庫)

6)軍民両用化する技術(大庭弘継);光文社(新書)

 

<愚評昧説>

1)こんな感じで書いてます

-国語好きの少女が人気エッセイストになるまで。「ええかっこしー」でないことがその因-

 


随筆の面白さに開花したのは、入社して配属になった和歌山工場時代。寮の食堂に置かれていたアサヒグラフ連載の作曲家團伊玖磨による「パイプのけむり」を目にしたことに始まる。三浦半島の自然や自身の周辺を題材にしたそれは、「こんなことを、こんな風に見つめるのか!」とその観察眼・考察と表現力に魅せられた。ここから團が随筆の師と仰ぐ内田百閒の「阿呆列車」シリーズに手が延び、鉄道物の宮脇俊三、サラリーマン物の山口瞳、アメリカ文学物の常盤新平、歴史・紀行物の司馬遼太郎、食通物の池波正太郎などに広がっていった。ただ興味の対象が異なる女性作家の随筆は限られており、海外生活をテーマにした、塩野七生、須賀敦子、山崎マリ、ブレディ・みかこくらいしか読んでいない。群(むれ)ようこが随筆家であることは以前から知っていたが、手に取る機会はなかった。しかし、いかにも作家が手の内を晒すようなタイトルに惹かれて読んでみたくなった。著者は1954年生れ。本書単行本の出版は2023年、約70年のエッセイスト人生を語る自伝である。

幼いときからの読書好き。小中高、いずれの学校でも国語は良い成績。だが、読むのは好きだが書くのは苦手。それでも読書の感想文などはそれなりの評価を得ていたが、自分では特別な感慨は生じない。ピアノを習っていたこともあり、音楽に惹かれるところもあったが、それを専門にするほどの力はない。こんな背景から大学は文芸学科を選ぶ。同級生の大方は作家志望だが著者にその気はない。最大の理由は父親が絵描きで定収がなく、それが家庭不和(20歳の時両親離婚)の原因であったことから、フリーランスの職業だけは避けたかったことにある。本とかかわり定収が保証される出版社勤務を漠然と考えて学生生活を送るが、就職活動は上手くいかず、広告会社のコピーライターの仕事に何とかありつく。これは面白かったが激務に耐えられず半年で退職、4回転職ののち24歳の時書評誌「本の雑誌」社にバックヤード(経理、発送など)担当として入社、ここから物書きの世界に入っていく。「本の雑誌」は目黒孝二・椎名誠によって1976年設立された書評ミニコミ誌。季刊→隔月刊→月刊と発展、書評誌として独自の地位を獲得、現在も刊行されている。

経理主務とはいえ特殊な雑誌社ゆえ、作家・作品そして編集者に触れる機会は多い。あるとき女性誌の編集者から投稿を求められ、会社の了解を得て、初めてのエッセーを執筆する。これが好評だったことから社長(兼編集長)の目黒孝二より、「本の雑誌」の書評を一部任されるようになる。とは言っても報酬は図書券。しかし、他社編集者が注目、他誌にも寄稿するようになる。執筆は時間外なので睡眠時間は4時間、初の単行本「午前零時の玄米パン」の成功を見て退社・独立、30歳の時である。「もし上手くいかなくてもパートで何とか」の決意は杞憂に終わり、本書執筆まで仕事は絶えることがなかった。

作家として心がけていること。締め切り厳守(「本の雑誌」での体験)、プライベートを書くことに躊躇しない、他者の評価を気にしない(反論を怖れて自論を正直に表現できないのは大問題。私の好みだった團、内田、山口の作品も好き嫌いも含め主張が明快だった)、書評は通常「ほめ7、けな3」と言われるが「ほめ10、けな10」もあり(時に編集者から「ご主旨を曲げても(褒めて欲しい)」と言われることもあるが、断る)。「書くこと」と「読むこと」は車の両輪(体験談以外のネタは「読む」ことで見つける)、読みたい本は自分で購入(調査のための図書館利用はあるが)、講演会はやらない(ネタを複数回利用することに後ろめたさ)。そして「自分の考えの中心が何なのかを忘れず、仕事をいただける限り、書いていきたい」と結ぶ。

はっきり自己の考えを主張しながら、肩肘張った感は全くなく、この自然体筆致が多くのファンを惹きつけるポイントなのだろう。作品を読んでみたいと思っている(処女作「午前零時の玄米パン」は残念ながら絶版だったが)。

 

2)世界カフェ紀行

-カフェは文化発祥の場所。50人の文化人が語る、世界50ヶ所のカフェ-

 


中学の後半から大学卒業まで、私にとって最大の娯楽は映画鑑賞、ほとんど二本立ての洋画である。ヨーロッパも日本同様戦禍に見舞われたとはいえ、当時の日本から見れば街の景観は、比べようもなく美しく魅力的だった。オーソン・ウェルズ主演「第三の男」の舞台となったウィーン、オードーリー・ヘップバーンのデビュー作とも言える「ローマの休日」、ジャン・ポールベルモントとジーン・セバーグがパリで出会うサスペンス「勝手にしやがれ」などが記憶に残る。これらの映画で知ったのが、広場や広い歩道で営業しているオープンカフェ。日本にも喫茶店は至るところにあったものの、屋外は皆無、そのおしゃれな雰囲気は白黒画面にもかかわらず、映画のストーリー以上に印象的だった。社会人になり海外に出かける機会がしばしばあったものの、米国が主体、オープンカフェはあっても、街の造りや歴史の違いからか、そのたたずまいは欧州のそれとは明らかに違っていた。これを実体験するのは現役引退後の2007年まで待つことになる。ロンドンで、フィレンツェで、ローマで、パリで、ベルリンで、映画の一シーンを再現したような気分に浸った。本書は、世界のカフェを巡るエッセー集である。

本書の出版経緯が興味深い。パリ中心部サンジェルマン・デュ・プレに19世紀創業の「ドゥ マゴ」なるカフェがある。バルザック、ピカソ、ヘミングウェイ、サルトルら有名文人か好んで通った拠点。AIに「東京でサンジェルマン・デュ・プレに相当するところは?」と問うたところ「神保町+代官山+下北沢」と答えてきた。チョット妙な組み合わせだが、文芸と狭義の文化(思想、評論、舞台芸術など)という点でなんとなく分かるような気もする。そのパリのカフェと提携し1989年渋谷のBUNKAMURAに同名のカフェが開店、そこに日本の文化人たちが集まりだしたのである。私の知る何人かを挙げれば、池内紀(ドイツ文学者、東大教授)、蓮見重彦(映画評論家、東大教授)、中村真一郎(文芸評論家)、須賀敦子(イタリア文学者、上智大学教授)、蜷川幸雄(演出家)、吉本隆明(評論家)、横尾忠則(イラストレーター)、柴田元幸(翻訳家、東大教授)、などがそれらだ。この東京店は宣伝を兼ね「ドゥ マゴ通信」なる小冊誌を発行、顧客たちにカフェに関する想い出を寄稿してもらってきた。本書はその集大成なのである。

副題に「5分間で巡る50の想い出」とあるように、50人の著者によるそれぞれ4頁程度の短いエッセーをまとめたものだが、想い出話のテーマは店そのもの、文化、民族、旅、仕事、人、日常生活、飲食(飲み物はコーヒーばかりで無く、紅茶、清涼飲料、アルコール類もある)など様々。取り上げるカフェの所在地はヨーロッパが過半だが、中東、アジア、アフリカ、中南米、それに日本(8軒)と広く展開、米国が1話だけが妙に思える構成だ。

一話一話が完全に独立しているので、気分転換や息抜きに持って来い。また、旅の参考資料としても有用だ。

因みにBUNKAMURAの店は東急百貨店本店が2023年閉じられたことで一旦閉店、今は近くでスタンドカフェとして営業再開しているようである。

 

3)陸軍工兵大尉の戦場

-工兵とは何か?土方?大工?船頭?修理工?満洲で、中支で、フィリピンで、ジャワで、8年間戦場で戦った男の自分史-

 


昭和22年(1947年)から少年時代は千葉県松戸市に居住していた。松戸の街は常磐線の西側(東京方面)に向けてひらけており、当時松戸駅は西口しかなく、東側は直ぐ小高い台地が立ち上がり、それが南西方面に広がっていた。この丘の常磐線に沿う部分は、かつての陸軍工兵学校跡で、兵舎や運動場が残り、戦車が置かれていたり、演習用の橋脚と鉄橋が設けられたりしており、子供たちの格好の遊び場だった。“工兵”という言葉を知ったのはそんな時代だった。既にエンジニア志望だったから、この兵科に惹かれるものがあった。因みに米陸軍の呼称はEngineer

近代陸軍組織の中に兵科の一つとして工兵が現われるのは17世紀のフランス。築城・攻城・測量・架橋・爆破などを専門とする。18世紀末には砲兵・工兵養成の専門機関エコール・ポリテクニックが創設され、卒業者は技術エリートとして遇される。第二次世界大戦初期のフランス軍総司令官ガムラン将軍を始め、軍や国家の指導者を陸続と送り出している。対して日本陸軍はプロシャから学び作戦重視、陸相・参謀総長・軍司令官の大多数は歩兵、次いで砲兵出身者が占め、工兵出身で大将まで昇進したのは佐藤鋼太郎(1923年没)ただ一人に過ぎない。つまり日本陸軍において、工兵は戦闘支援兵科の扱いに終始する。参謀重視のドイツは無論、貴族的連隊主義の英国も日本同様工兵が軍トップに就任することは稀だった。ただしドイツ軍の装甲化が進むにつれ、戦車に随伴する戦闘工兵(Panzer Pionier)が重視され、純然たる工兵とは異なる任務(歩兵+工兵)を帯びて存在感が高まっていく。少々事情が異なるのは米陸軍、工兵はエリート兵科なのだ。かのダクラス・マッカーサー元帥は工兵出身、参謀教育を経た後米陸軍参謀総長まで昇進している。

第一次世界大戦以降戦車や航空機が登場、機甲科や飛行科が誕生、重要な役目を果たし専門の教育機関も設けられるが、これには工兵は関与しない。もう一つの近代戦に欠かせぬ兵器、通信は基本的に工兵科に属しながら、専属組織として各部隊にも通信担当部門があり、統合作戦での効力を欠いたと言われる。また輜重(兵站)兵科と重なるが鉄道も工兵科に属した(工兵はインフラ担当、輸送は輜重)。

工兵士官のキャリアーパスは陸軍士官学校をスタート、工兵学校を経て専門士官として工兵隊上位組織(最大組織は連隊)への階段を昇ってゆき、最終階位は中将で終わる(中将職は工兵監、要塞司令官など)。工兵士官でも陸軍大学校を卒業すれば参謀将校となり、建前上は最上位まで昇進可能であった。しかし、陸大創設来の卒業者約3500名の内100200人程度、師団参謀長が限界だったようだ(師団長ゼロ)。また旧制高等工業や大学工学部出身者は技術士官として別扱い、実戦部隊の指揮官にはなれなかった。なお、現在の陸上自衛隊では施設科(工兵)が他兵科と差別されることはなく、災害救援活動などを通じて社会的評価は極めて高い。更に通信科が独立して、電子戦・情報戦を担うようになっており、旧軍とは技術系兵科の扱いは大きく変わっている。以上のような旧日本陸軍工兵の世界で、著者の経歴はきわめて特異なものである。何と徴兵による一兵卒から工兵大尉まで昇進したのである。

著者は1901年(明治34年)、福島県農家の三男として誕生。高等小学校(14歳)を卒業後工員、船員などとして働き、数え年20歳(192112月)で徴兵検査、甲種合格で即第7師団(旭川)に入営、工兵中隊配属の新兵となる。工兵は大工・左官・鍛冶職・船頭・鉄道員・通信士など技能歴優先で充当され、著者も前歴が船員だったことで選ばれたようだ。基礎教育4ヶ月間、工兵技能教育も4ヶ月、計8ヶ月。成績優秀者で下士官候補生試験受験・合格(19228月。全国120人)。同月松戸の工兵学校入学、192310月卒業・原隊復帰、工兵伍長、192411月工兵軍曹、1930年(昭和5年)1月工兵曹長と昇進していく。1931年(昭和6年)9月満州事変勃発、1932年(昭和7年)9月満洲派遣混成第13旅団編成、工兵中隊の一員として渡満、反日ゲリラ討伐に当る。通信(著者の専門出発点;記憶力の優れていることが選別条件)、道路補修や鉄路復旧、さらに機関士不足で運転まで行う。1933年(昭和8年)4月特務曹長に進級、内地帰還。19375月、ロンドン軍縮会議(1930年)条約履行過程で師団規模縮小になり予備役に編入(現役退官)、退職時予備役少尉となる。満洲派遣を除けば、ここまでで工兵の基本任務、育成・昇進過程が分かる。

19379月日支事変勃発、12月応召(現役復帰)、第2師団(仙台)工兵第2連隊配属、138月中支派遣軍山田部隊(独立工兵第3連隊)に第1中隊第3小隊長として赴任、中支戦線を転戦する。武漢三鎮攻略作戦、宜昌作戦、長沙作戦など本書の紙数が最も割かれるのはこの戦場。中支はクリークが縦横に走り水田も多いため大部隊やトラック、戦車の移動には適していない。また木材を入手するための森林も無い。それぞれの作戦における、道路構築、渡河・架橋、桟橋構築、門橋(水陸両用可動橋)運用の苦労話が縷々語られ、3年間におよぶ戦場における工兵活動の細部が報告される。

1941年(昭和16年)10月連隊は急遽上海に移動を命じられ、1120日行先も告げられず乗船・出帆、台湾の基隆、澎湖島の馬公などで待機する内に128日となる。大東亜戦争の開始である。1218日の出動命令で向かうのはフィリピン。1222日リンガエン湾上陸作戦が行われ、橋頭堡づくりのため歩兵とともに先陣をきる。桟橋構築が最初の仕事だ。中支戦線との大きな違いは道路事情、米国の植民地ゆえほとんど舗装道路、工兵の役目は破壊された橋の修復くらいだったが、ここで部下である陸士出の少尉が戦死、かなりショックであったことが文中からうかがえる。次の戦場はオランダ領インド(蘭印;インドネシア)。

1942年(昭和17年)2月ジャワ島東部に上陸。油田や製油所を抑えるのが目的だ。ここでは上陸の際輸送船の1隻が空爆を受け、中隊に死傷者が出たことを除けは、陸上戦闘は皆無。任務の大半は破壊された油田と製油所の復旧である。とても工兵だけで出来るものではなく、内地から派遣されてきた石油技術者33名とその作業に当る。消火作業、場内整理、設備の修復、代用機器の製作、資材の転用など、戦場とは異なる仕事の連続だ。それでも何とか採油再開にこぎつく。この部分は、私自身製油所勤務やインドネシアの製油所訪問経験があるだけに、その大変さがよく理解出来る。

この作業が一段落したところで大尉に昇進。これを契機に除隊、軍政監部嘱託(軍属)となり、交通部土木課に勤務、道路補修や治水工事など民政業務を終戦まで担当することになる。敗戦時もしばらくの間手がけていた治水用トンネル工事を継続、それを完遂したのち民間人収容所(これも作らされる)に19465月まで留め置かれ、本土に引揚げ、福島に帰郷する。戦地にあること8年余、波瀾万丈の工兵人生がこれで終わる(44歳)。

著者遠藤千代造、編者遠藤桓(カン)となっている。桓は千代造の三男。本書は千代造が戦後家族のために残した、「あゆみ」と名付けた自分史が素になっている。完成時期は1976年(昭和51年)3月、千代造74歳の時である。その4年後千代造は78歳で没する。昭和58年頃元第2師団有志が戦争体験記をまとめる際、妻(編者の母)が資料として「あゆみ」を提供、その一部が題記戦記に記載・出版される。さらに平成10年(1998年)頃、桓を含む5人の子供が、「あゆみ」の事実関係を検証補筆し全体を再整理することを始め、それが平成25年(2013年)完成、12月元就出版社から「陸軍工兵大尉の日中・大東亜戦時代」として出版され、本書はその文庫版になる。

 

4AI・機械の手足となる労働者

AIで仕事を奪われる労働者の話ではない。AIを育てるために酷使される労働者の話だ!-


引退後は起きている時間かなりPCに向き合っている。インターネット経由が多く、メールやフェースブック(FB)による情報交換、ニュース(NHKプラスを含む)閲覧、そして各種検索が主体である。これ以外では日記、ブログ原稿作成でMSWordを使っている。利用するソフトウェアやサービスは、GAFAM中心で以下のようになる。GoogleChrome(ネットへの入口)、検索エンジン、グーグルブログ、GeminiAI)。AppleiPhoneFacebook;寄稿記事による友人との情報交換。Amazon;プライム会員(書籍購入の過半)。MicrosoftWindowsWordExcelCopilotAI)、ChatGPTAIMSが筆頭株主)となる。

5年ほど前、作品・監督・主演女優3部門でアカデミー賞を受賞した「ノマドランド」と題する作品があり、中年の女性が仕事をしながら米国西部を移動していく内容だった。この時の働き先としてAmazonの配送センターが登場、利用者にとって優れたサービスを提供してくれる企業のバックヤードを垣間見ることになった。当時自動化が難しい、商品のピックアップやパッキングが仕事で、機械に人間が使われているような労働環境、当に現代の「モダンタイムス」がそこにあった。本書の日本題名はAIによって人間が使われるイメージだが、原題は「The Digital Factory」、AIも登場するものの、主体はGAFAMに代表されるディジタル産業の労働環境を調査分析、伝統的な産業との相違点をつまびらかにして、現在と将来の機械と人間の関わりを考察する内容である。

近代生産管理システムの嚆矢は、米生産技術者フレデリック・テーラーが19世紀末生み出したテーラーシステム(科学的管理手法)に発す。生産工程を徹底的に分析し分割標準化、それぞれの作業を分業することにより、短期間の導入訓練で素人を戦力化、高度技能職人を排し、安価な労働力で大量生産を可能とした。これを流れ作業化したのがフォードシステム(1910年代)。さらにこれを受注に応じて生産を柔軟に変える方式にし、併せて製品・部品在庫最少を狙ったのがトヨタシステム(1960年代中期以降)。このトヨタシステムをIT活用で贅肉落とししたリーンシステム(1980年代後半)、と進化してきた。テーラーシステム、フォードシステムの肝は分業と単純化。「人間機械論」との批判が起こり、それを戯画化したのがチャップリンの「モダンタイムス」である。現在でも物作りの基本はテーラーシステムが原点となるが、ソフトウェアが過半を占めるディジタル産業では、工場に人を集めて一斉に作業を行う就労環境とは異なる、新生産体系が生まれている。例えば、グーグルプレックスと呼ばれるグーグルの研究開発拠点は大学のキャンパスと公園を兼ねた快適空間にある。そこまでいかなくとも、コロナ禍で加速されたリモートワークは従来の工場やオフィス労働とは違い、より自由な雰囲気を感じさせる。果たして、伝統的物作りと根本的に異なるのだろうか?この疑問に取り組み、その調査分析結果を著わしたのが本書である。

著者の生年は不祥だがドイツ人。2010年ベルリン自由大学(政治学)卒とあるからドイツ統一後生れと推察する。卒業後ロンドン大学ゴールドスミス校で修士号を取得(2011年)、引き続き同校の博士課程に進み2018年取得。この博士課程の研究「ディジタル資本主義における労働の変容」が本書の骨子となっている。つまり、博士論文を一般向けにしたのが本書である。原著出版時(2022年)はフンボルト大学(旧ベルリン大学)研究員、現在ベルリン工科大学教授。

この研究は4分野の事例研究が基になっている。①アマゾンに代表される配送センター作業員、②ラストワンマイル(宅配)を担う物流作業員、③ゲーム業界やクラウド(Croud;群衆)ワーク・プラットフォーム(仕事を細分し、それらを分散して個人に作業依頼する企業)で働く労働者、④ソーシャルメディアのコンテンツ・モデレータ(投稿内容のチェック)、がそれらである。主たる研究手法はインタヴューだが、自身クラウドワーカーの一人となって実務体験もしている。

    配送センターの倉庫はきちんと商品を棚に揃えるシステマティックストレージとランダムに置くランダムストレージがある。前者は機械化に適するが広いスペースを要する。これに対し後者は自動化の程度を落とし、それを人間が補うことで土地や空間を少なくすることが出来る。作業員は携帯端末を装備、この指示によって作業を行い、その行動データは、移動経路・立ち話まで中央に集められ、個人の行動がすべて記録され、生産性分析に利用されている。

    顧客に商品を最後に届ける作業はラストワンマイルと言われ、物流自動化における最後のフロンティア領域、依然人手に頼る作業が多い。米国宅配便最大手UPSのトラックには200以上のセンサーが装備され、ドライバーの携帯スキャナーからもデータが得られる。このデータからシートベルトの着用、アイドリング時間、バックした回数まで記録・分析され、配送効率最大化が図られる。

    ゲームソフトに関する労働は二種が取り上げられている。一つは“ゴールドファーマー”。これはゲームで商品を獲得し、換金するビジネス。中国人の若者が引き込まれ、朝から晩までゲーム漬け、この作業データも胴元に逐一収集され、評価される。もう一つはゲームソフト開発。頻繁にバージョンアップされるそれをテストする仕事だ。働く人の90%はファンでもあり、低賃金・長時間労働も厭わない。従業者は世界に広がり、実質的には仮想移民とも言える。

このような仕事はゲームに限られたものでなく、AIトレーニングのための情報読み込みなどにも、様々な背景を持つ人々(Croud)が動員され、作業データがアルゴリズを通じて収集され、評価される。

    FBに代表される、ソーシャルメディアの暗部として紹介されるのはコンテンツ・モデレータ。暴力・ポルノ・ヘイトスピーチ・フェイクニュースの検閲・削除作業に膨大な人間がかかわっているのだ。いわばディジタル清掃員。これらに当る人員はグローバルサウス(特に英語が堪能なインド人、フィリピン人)に属する人々が多い。ここでも作業経過が集められ、分析される。

この事例研究の結果、著者が導き出した結論は、ディジタル技術の現場が創造性や自律性を育むものではなく、かつての工場労働同様、分業・反復・統制を特徴とする労働体制と変わらないと断じ、それを「ディジタル工場」「ディジタル資本主義」と呼ぶ。ただ、それを全面的に否定するのでは無く、柔軟な労働が主婦などの働く機会をつくり、地域的な制約からの解放は、グローバルサウスへの経済圏拡大につながること評価もしている。研究の核心はここまでであるが、著者の関心事はこの先に在る、資本と労働の関係だ。終盤近くディジタル工場における労使関係に言及、労働争議がしばしば移動労働者によって担われていることに注目、小規模な草の根組合活動の方が制限が少なく、新しい状況に適応することができ、労働者もそのためのツールを開発して、プラットフォーム協同組合主義発展に期待する、と結ばれる。なお、AIに関しては、将来的な影響を取り上げず、今日のAI訓練における労働者の役割に留まっている。

GAFAMに代表されるディジタル企業が社会インフラ化する現在、多くの人に読んで欲しい一冊だ。

 

5)空旅・船旅・汽車の旅

-乗り物好きと知られる文化勲章受章作家が語る1950年代の旅。70年のバック・トゥ・ザフューチャーを楽しむ-

 


日本人作家の小説はほとんど読まないものの、随筆・対談・旅行記は数多く読んでいる。中でも乗り物に関するものは別格で、書架には内田百閒の阿房列車シリーズや宮脇俊三の鉄道シリーズ、あるいは沢木耕太郎や村上春樹のドライブ記が汗牛充棟の観で並んでいる。しかし、最近はこの種の本が売れないのか、検索エンジンで探さねばならぬほど枯渇した状態だ(2月に紹介した米原万里「旅行者の朝食」はそれで見つけた)。そんな折書店で平積みになっている本書を発見した。著者の作品である「新版 南蛮阿呆列車」は本欄で十数年前取り上げている。“新版”とあるように、購読時既に内容は古くなっていたものの(特に乗り物)、幸か不幸か技術に深く触れず、人・景観・生活中心で、時代が大きく影響せず、ユーモラスな筆致を楽しむことが出来た(遠藤周作、北杜夫との欧州珍道中など)。本書を目にしたとき、先ずよぎったのがその時の読後感、即購入となった。これも1960年単行本が出たものの文庫復刻版+である(+は後述)。

本書は8編から成り、1編を除きすべて1955年から1959年の間の話である。主役となる乗り物は108を超すが、1編に空旅・船旅・汽車の旅すべてがあるからだ。いささか羊頭狗肉の感があるのは、10の乗り物のうち、タイトルに含まれない“クルマ旅”が4話もあり、空旅,船旅、汽車の旅はそれぞれ2に過ぎず、それも空旅と汽車の旅は著者の搭乗・乗車記録では無く、空旅はJALスチュワーデス第一期生(19568月、1350人から14人合格)の回顧談、汽車の旅は祖父(蒸気)・父(蒸気→電気)・子(電車)三代にわたる国鉄機関士一家の物語で、インタヴューして書き上げたものに過ぎない。だからと言ってクルマ旅が最多数を占めることに不満は無い。引退後沖縄県を除く全権都道府県走破を完遂した身としては、むしろ期待以上に楽しいものだった。そしてこのクルマ旅の1編だけが1980年代に書かれ文庫復刻版でプラスされた1話なのである。

1話「一級国道を往く」は、195810月下旬、出版社の企画で行われたトヨペット・クラウン1956年型による東北・信州を巡るクルマ旅。夫人を含む4人で、国道2号線を北上し青森に至り、そこから日本海側の国道7号線を直江津まで南下、直江津から国道18号線で長野・軽井沢・高崎を経て都内に戻る4日間のドライブ記。走行距離は約1800km。その95%は一級国道である。しかしながら当時は1級国道といえども未舗装部分が多く、酷道と揶揄されるそれに難渋する。新潟から都内にいたる最短路線は三国峠超えの17号であるが、この時代クルマでの峠越えルートは未完成、長野廻りの迂回路となるほどだ。取材ゆえに仙台と秋田では日通の長距離運転手たちと座談しているが、「30歳まで、5年が限度(胃下垂など)」との話も出てくる。結びで、著者は5年後・10年後にもう一度走ってみたいと書き残す。そして1980年秋に実現するのが第8話「二十二年目の東北道」である。今回の道路は東北自動車道、関越自動車道(関越トンネルは未開通。このトンネル工事を取材)、日本海沿いは国道7号だが無論路線整備が進みすべて舗装され、かつての苦渋がウソのよう。前回は著者も運転を分担したが、この時は還暦、専ら後席で前回との違いを観察する。

著者は1920年生れ1943年東大国文科を繰上げ卒業、海軍予備学生となり終戦時海軍(ポツダム宣言格上げ)大尉。志賀直哉に師事し、1952年著わした学徒兵主題の「春の城」で読売文学賞を受賞。おそらくこの実績から、ロックフェラー財団の日米文化交流のための給費留学生に選ばれる。その際の移動過程を綴ったのが「ホノルルへ」と「アメリカ大陸を自動車で横断する」の2話となる。いずれも1955年の話。「ホノルルへ」は横浜からホノルルに至る、客船プレジデント・クリーブランド号による船旅。「大陸横断」は西海岸からワシントンDCに至る、1949年型フォードによる13千マイルに及ぶ長距離ドライブ。米国には1年滞在、日系人社会との交流が主体であったようだ。

チョット変わった旅は19594月から5月にかけて行った「ゴア紀行」(インド亜大陸南西部のポルトガル領、ほぼ埼玉県の大きさ)。編集長の縁で、鉄鉱石輸入のための港湾・出荷設備の完成式に参加する。往路は現地輸出会社の用意したチャーター機で式典に参加する招待者に同道、帰路は鉄鉱石運搬船に便乗。現地ではインドと結ぶ鉄道にも乗っている。復路の船は大正時代英国で建造された老朽船、シンガポール寄港で24日かけ日本鋼管の川崎製鉄所にたどり着く。

本書を今読む価値は、60年の様々な時代差を確認しその違いを楽しむことにある。乗り物は?旅は?生活環境は?国は?個人は?と。その観点で、第8話を復刻版に加えたことは大いに意義がある。

 

6)軍民両用化する技術

-軍事技術が出発点のインターネット。一方でおもちゃのドローンが攻撃兵器に転じる。軍民両用技術問題の難しさを事例で紹介-


入社して1年半ほど、プラント運転の三交代、保全部門での計測制御機器メンテナンスで工場運営の一端を学び、その後配属になったのは技術部機械技術課、装置材料、回転機械から土木建築、電気・計器まで幅広く担当する部署だ。担当課長は、課長職では最古参の一人、バックグラウンドは私がこれから進んでいく計測制御分野の大先輩でもあった。計測制御はかなり専門性の高い職場で、これだけ広範な業務を統括するには必ずしも適当な職種とは言えない。東大の造兵学科出身と聞いていたので、あるとき恐る恐る(年齢が離れているばかりか、先輩たちが“禅問答”と言うほど独特の会話)、大学で学んだことと現在の仕事の関わりを聞かせてもらった。造兵学科は工科大学が東大となった時から存在する伝統ある学科であること、弾道学・火器設計・装甲材料・精密機械・爆薬などを学び、卒論研究は「ガス冷蔵」(ある種の冷媒を加熱すると冷却する。戦後ガス冷蔵庫として商品化)であったこと、兵器開発において制御工学は欠かせぬ技術だったこと(射撃管制、自動操縦(魚雷)、遠隔操作(船の操舵、巨砲))などを語ってくれ、この時学んだ制御工学が石油精製会社転職に結びついた、とのことだった。兵器開発からプラント制御への転身、見事なデュアル-ユース(軍民両用)の身近な例である。その後軍事技術に興味を持つようになり、造兵学科出身者の戦後を調べてみると、工作機械の数値制御からカメラの合焦・自動露出までさまざまな民需分野で活躍していることが分かった。また、造兵学科創設(明治20年)の背景に、明治の軍政家大山巌の「国家の独立を全うするためには、兵器を外国に仰いではならない」との信念が反映されていることも知った。

戦後の我が国では何かと政治問題化する軍民両用技術、特に学界の軍事アレルギーは依然病的とさえ思える。武器輸出三原則改訂が話題になる昨今、タイムリーな一冊と思い読んでみた。

我が国の軍民両用技術に関する書籍の多くは、それに対する反対あるいは賛成を論旨とするものが大部分である。本欄でも反対の立場に立つものとして池内了「科学者と軍事研究」を202210月に、賛成の立場に立つものとして桜林美佐「軍産複合体」を202411月に紹介している。これらに対して本書は、国家安全保障は一先ず置いて、軍民両用技術そのものに焦点を当て、これを峻別することの難しさを個別技術分野毎に解説、学界主導の“我が国固有の軍民両用化問題”がいかに不毛なものであるかを訴える内容になっている。その背景には、きわめてユニークな著者の経歴がある。

著者は1975年生れ、京都大学経済学部に進学するも中退、その後海上自衛隊に入隊、一等海尉まで進級したのち退役、九州大学大学院博士課程に進み「比較社会文化」で博士号を取得、京大大学院文学科研究員を経て、現在立教大学大学院人工知能研究科教授を務めている。つまり軍民での経験者なのである。

個別技術分野として章立てされるのは、1)宇宙技術、2)バイオテクノロジー、3)サイバー技術、4AI5)ロボット・ドローン、6)その他の技術、であり、最後に国の安全保障戦略、安全保障貿易管理、防衛装備庁の研究推進制度、それに対する学術会議の動向などを取り上げて、この問題の複雑さを概説する。

個別分野のデュアルユース例を一部紹介すると、1)宇宙技術では、カーナビやスマフォの道案内に利用されている位置情報システム(GPS)は米軍が1978年試験運用を始めたナブスターに発すること、ひまわりに代表される気象衛星は偵察衛星を起源とすること、2)バイオテクノロジーでは、感染症やゲノム編集の研究が、生物兵器に転用される可能性のあること、3)サイバー技術では、インターネットの元は国防総省高等研究計画局(ARPA)が危険分散のために構築したARPAネットであること、4AIでは、フェースブックの「いいね」分析がフェークニュース発信に利用され、英国のEU脱退や第1次トランプ政権誕生に寄与した可能性のあること、5)ロボット・ドロ-ンでは、オモチャ同然の中国製ドローンが少し手を加えることできわめて有効な兵器に転じていること、などが取り上げられている。もっとも興味深かったのは6)その他の技術で紹介された、米空軍研究所が2010年中古のプレイステーション31700台使い並列処理のスーパーコンピュータを作り上げたことである(写真付き)。また、中東・アフリカの反体制派やゲリラにとり、トヨタハイラックスは主要機動兵器として大人気。軍から民、民から軍の技術転用・展開は至るところにあり、それを峻別することは事実上不可能なのだ。

以上のような現状を踏まえた上で、我が国における軍民両用技術問題を論ずる。2013年閣議決定として「国家安全保障戦略」を発され、デュアルユース技術獲得のために大学との連携が訴えられる。それを受け2015年防衛装備庁は「安全保障技術研究推進制度」を発足させる。これに異を唱えたのが学術会議(2017年)、事実上大学が助成を受けることを禁止する結果になる(申請がほとんど無い)。2022年学術会議は「デュアルユースとそうでないものとを単純に二分することはもはや困難(中略)、その扱いを一律に判断することは現実的でない」との声明を発するものの、学界の軍事アレルギーが改まることはなかった。デュアルユースを一旦離れて、著者が問題視するのが自衛隊装備品のコストである。ライセンス生産したF-15戦闘機の日本価格は1121億円、米軍の調達価格は35億円(108円/$)、これもライセンス生産のUH60ヘリコプターは日本価格50億円に対し米軍価格は6.5億円(111円/$)。これに対し、性能比較は一先ず置いて、国産90式戦車(最新は10式)は8.2億円、米軍M1A2戦車は5億円、依然国産は高価格だが、前2例よりは価格差は小さい。最新鋭戦闘機独自開発は超大国以外不可能だが、通常兵器の開発・生産は国産でまかなう方策が一朝有事の際好ましい。もし輸出が可能になり生産量が増えれば、さらなるコストダウンも可能となる。このためにもデュアルユース領域の産官学の協力体制は不可欠なのだ。

個別デュアルユース技術紹介では基礎的(歴史を含む)な技術解説にかなりの紙数を割いている。そのため多少その面の知識がある者にとっては冗長な感を免れない。しかし、技術に疎い読者には分かりやすい導入部となっている。また、イデオロギー臭を感じさせない論調に好感がもてる。

 

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2026年3月31日火曜日

今月の本棚-212(2026年3月分)


<今月読んだ本>

1) 相撲を見る眼(尾崎士郎);中央公論新社(文庫)

2)翼をください(原田マハ);毎日新聞出版(文庫)

3)生と死を分ける翻訳(アンナ・アスラニアン);草思社

4)「酔っぱらい」たちの日本近代(右田裕規);柏書房KADOKAWA(新書)

5)新書 世界現代史(山北省吾);講談社(現代新書)

6)機械ぎらい(速水健朗);集英社(新書)

 

<愚評昧説>

1) 相撲を見る眼

-双葉山の69連勝もある、「人生劇場」作者が観た「大相撲人生劇場」-

 


初めて大相撲を観たのは昭和27年(1952年)中学2年生の時だった。課外授業で蔵前国技館に出かけ、花相撲(現在の地方巡業に相当、東京でも行われていた)を観戦した。当時両国国技館は東京下町大空襲で被災、修復して米軍が使っていたので、大相撲興業は行えなかった。その代わりに建設されていたのが蔵前国技館である。見学時には内装は未完成で工事現場のようであった(完成は昭和29年)。どんな力士が登場したかはまったく覚えていないが、コミカルな初っ切り相撲が記憶に残る(初っ切り;本番の始まる前の意)。本書の皮切りは隅田川河岸浜町の料亭から川越しに、蔵前国技館を遠望するシーンから始まる、昭和初期から20年代末期までの大相撲雑記である。著者は「人生劇場」で知られる作家、横綱審議委員も務めるほどの相撲ファン。単行本は昭和32年(1957年)刊、本書は昨年発刊された文庫復刻版である。相撲に格別な関心のない私が求めたものではなく、ジム仲間が廻してくれたものである。たまたま軽い読み物を切らし、本書を開いたところ、冒頭の蔵前国技館で少年時代が蘇り、引き込まれて最後まで読むことになった。二十数話から成るエッセイだが、長短のばらつきが多く、初出や執筆時期もまったく記さされていないから、諸処に寄稿したものを後日まとめたものだろう。しかし、当時の世相と大相撲の関係、これに対する著者の見解が色濃く浮かびあがり、古い時代の話でありながら、現代にも通じる大相撲変遷史として一読の価値があった。

双葉山の69連勝が途絶える安藝ノ海との取り組み、贔屓であった清水川との接し方のような狭義の「相撲を見る眼」が多く取り上げられているものの、何度も視点を変えて語られるのは天竜事件。そしてこの事件の背景とも言える、人気力士の引退後の人生。ここから当時の「相撲界を見る眼」が語られ、これが現代の相撲界とのつながりを感じさせるのだ。

戦前の本場所は今のように15日ではなく11日、6勝すれば勝ち越しである。番付編成などは今と変わりは無いようだが、力士(引退後を含む)の処遇は大違い、人気力士の現役時代は豪勢な日常だったようだ。しかし、引退後はひいき筋にもよるが、横綱でも生活に窮し、最後は野垂れ死にも幾例か起こっている。こんな現状を改革すべく起こったのが天竜事件である。昭和7年(1932年)関脇天竜以下32名の力士が大井の中華料理店「春秋園」に立て籠もりストライキを打つのである。バックには大阪方面に支援者もいたらしく、反乱力士は大阪で興業を行たり、さらに満洲にまで進出する。天竜等の要求は相撲協会に対し、経理内容を明確にすること、特に入場券販売を請け負う相撲茶屋との関係を断つこと、その上で力士の待遇改善を求めるものであった。一時期は新聞を中心にその動きを支持する世論が盛り上がり、相撲協会は存亡の危機に瀕するが、左翼批判とわずかな譲歩で巻き返され、反抗の徒は切り崩されて、改革は潰えてしまう。

こんな話は、近年協会理事選挙で、推薦されたかった貴乃花(二代目)が立候補し敗れたこと(内々のなあなあ体質)や未だ枡席販売の特権を握り、過剰と思える飲食や土産物代をチケット抱き合わせで販売する旧態然の茶屋制度に見て取れる。

相撲そのものに戻れば、大関以上の力士の負け越しに対する厳しい見方(横綱は引退が当然)、真のファンは取り巻きには成らず、あくまでも土俵での力量・立ち居振る舞いから見るべきとの著者見解は一考に値する。

 

2)翼をください

-アート作家による異色航空ミステリー、史実に残る二つの世界一周飛行はどこで交わるのか-

 


両親に依れば赤子の頃から乗り物好きだったらしい。確かに幼児期の記憶に残るのは、自動車、路面電車、汽車、船の登場場面ばかりである。しかし飛行機は一度新京(現長春)の飛行場に父と出かけた想い出のみ。それも飛行機そのものの姿はまったく思い浮かんでこない。飛行機への関心が一気に高まるのは、1952年の講和条約発効の前年頃からである。航空雑誌が書店に並び始めたことで身近な存在になり、そこに寄稿されていた第二次世界大戦時活躍した航空技術者たちの随筆に惹かれ、憧れの職業となった。名戦闘機零戦設計者の堀越二郎(三菱)、美しい水冷エンジンの三式戦闘機「飛燕」開発主務者土井武夫(川崎)、二式大艇に代表される飛行艇開発の第一人者菊原静雄(川西)、航空学者で名エッセイストの佐貫亦雄などがそれらだ。そんな中に名城大学教授の本庄季郎と言う人物がときどき登場、この人が戦前は三菱で海軍陸上攻撃機(多発大型の雷撃機)開発の中心人物であったことを知るのである。つまり、96式陸攻・一式陸攻の設計者で、この両機が世界初航空機だけで戦艦(プリンス・オブ・ウェールス、レパルス)を沈めることになるのだ。本書はこの96式陸攻(の試作機)を巡る小説である。

本書を知ったのはFB友達となっている著名な航空写真家が、2009年単行本発行時かかわったと最近投稿していたことによる。その時驚いたのは「この著者が、こんな作品を書いていたのか!」である。著者は1962年生れの作家だが、それ以前キュレーター(学芸員)として美術関係の仕事に携わっており、この体験を基にした小説が多く、本欄でもメトロポリタン博物館やウフィツィ美術館を舞台とした「常設展示室」を2012年に紹介している。「アートの専門家が何故航空を?」の疑問は単行本・文庫本のあとがきから理解出来た。2009年は1939年毎日新聞が敢行した「ニッポン号世界一周飛行」70周年にあたり、その偉業を改めて広く伝えるべく発刊されたのだ。そして、毎日新聞社と著者を結びつけた仲介者はやはり美術関係者だったのである。

本書は1930年代末期に行われた二つの世界一周飛行を主材に構成されている。一つは米国女流飛行家として数々の記録を打ち立て、スミソニアン航空宇宙博物館に特設コーナーが設けられているアメリア・イアハートの最終飛行。もう一つがニッポン号による世界一周飛行である。そしてこのとき使用されたニッポン号は、96式陸攻を改良したものなのだ。現実にはそれぞれ独立して企画・実行されたものだが、小説ではこの二つの飛行を結びつけ、冒険ミステリーに組み上げている。

アメリア(小説ではエイミー)は大学進学が決まっていながら、空への興味断ちがたく航空学校へ進み、単独で女性初の大西洋横断、米大陸横断、ハワイ-オークランド(カリフォルニア)長距離洋上飛行、高度記録飛行などで名を成し、国民的ヒロインになる。そして19376月世界一周飛行に挑戦する。それまでにも“世界一周飛行”は行われているが、それは緯度の高いところ、つまり地球の最大円周よりはるかに短い。彼女の計画は赤道を何度か横切るルートで“最長”を目指すのだ。使用機は双発のロッキード・エレクトラ旅客機、愛称は「アメリカン・イーグル号」。本来は十数名の旅客を乗せるスペースの大部分を燃料タンクに使い、航法士兼整備士兼通信士を一人同乗させそれに挑む。他の冒険飛行も同様だが、当然スポンサーは不可欠、この飛行には米陸海軍も協力する。このため、ルートは彼らの要求を入れ東回りとなる。この行程で飛行距離が最も長くなるのはニューギニアのラエからハワイに達する間。このため米政府は日本の統治下にある南洋諸島に近い無人のホランド島に滑走路と補給施設を建設、その間の洋上に軍艦も配置して非常事態に備える。マイアミ→プエルトリコ→南米→アフリカ→中東→インド→ジャワ→ニューギニアまで小さなトラブルはあったものの、無事飛行、629日いよいよ最終行程に出立する。ラエを発った機はしばらく海上の支援艦と通信していたものの、やがてそれは途絶え、機がホランド島に到着することは無かった。米海軍は空母(レキシントン)・戦艦(コロラド)・巡洋艦・駆逐艦を総動員して捜索に当るが何の残存物も発見することは出来なかった。ここからアメリア・スパイ説と日本による謀略説がまことしやかに流布されることになる。

19374月、朝日新聞は英国王ジョージ六世戴冠を祝う東京-ロンドン祝賀飛行を行い、欧亜連絡の新記録(94時間)を打ち立て、国威発揚に沸き立つ。この時使われたのは陸軍の97式司令偵察機(試作機)を改造した「神風号」。ライバルの偉業に対抗するため毎日新聞社が企画したのが「ニッポン号」による世界一周飛行である。機体として選ばれたのが海軍の96式陸上攻撃機(試作機)、本書で初めて知ったのだが、本機はもともと洋上長距離偵察機として計画されたもの。当時の日本機で最も目的に適ったものである。乗組員は機長以下副操縦士・機関士・整備士・通信士・メーカー技術者・報道員(小説ではカメラマン;舞台まわし役)の7名。1939826日羽田を発ち札幌経由でアラスカ→北米西海岸→シカゴ→ニューヨーク→ワシントン→マイアミ→南米西岸→東岸→北西アフリカ→スペイン→イタリア→中東→インド→バンコク→台北→羽田1020日着と巡り、世界一周を達成する。飛行距離53km、訪問国20カ国。

飛行の難所はアルーシャン列島からアラスカに至る北太平洋海域とアンデス山脈超え。搭乗員にここを飛んだ経験者はいない。さらに、最大の異変はこの間に第二次世界大戦が勃発、本来英・仏・独を訪問する計画は大幅に変更されることになる。2年違いの二つの世界一周飛行がどこで結びつくのか。著者のアート小説もサスペンス基調だが、航空などまったく無縁だった著者が、自身の現地調査(アメリアの出身地カンザス)と複数の航空マニアや専門家の支援も得て、アメリア機不明の史実をそこに組み込んだ仕掛けは、航空サスペンス物としてなかなかの出来映えであった(マニアとして、違和感を覚えるところ無きにしもあらずだが、小説ゆえそれは許される)。

 

3)生と死を分ける翻訳

-未開地での人質解放交渉、オスマントルコと西欧諸国を仲介する奴隷通訳、ポツダム宣言への回答英訳、通訳・翻訳が分ける運命-

 


一流出版社刊の翻訳小説はともかく、ノンフィクションの翻訳物ではしばしば理解に苦慮する著作に遭遇する。1980年代中頃ベストセラーとなったハーバード大学教授ガルブレイスが著わした経済書「不確実性の時代」もその一冊。監訳者は戦前ハーバード大学で学び一橋大学学長も務めた都留重人であったことから、経済学に対する自身の無知がその因と考えていた。ところが、しばらくして上智大学教授別宮貞徳が著わした「誤訳迷訳欠陥翻訳」を読んだところ、「不確実性の時代」が何度も取り上げられており、私の知識以上に翻訳に問題があることを知り、翻訳を題材とする書物に関心を持つようになった。最近では鴻巣有季子「翻訳、一期一会」、山形浩生「翻訳者の全技術」を本欄で紹介している。しかし、それらは別宮を始めすべて日本人が著わしたものであり、対象は英和翻訳に限られていた。本書を日経新聞書評覧で見たとき、著者はルーマニア人とあり、外国に於ける翻訳問題を知る良い機会と思い購読した。

著者紹介をみたところ、ジャーナリスト・翻訳家、ロシア語の文学やノンフィクションを英訳し、英紙ガーディアンやタイムズに寄稿、と簡単な略歴しか記されていなかった。そこで少し調べてみると、年齢は50歳代、モスクワ生れ・育ち、出自はアルメニア人、ソ連崩壊後英国に移り、翻訳・通訳をしており、裁判における通訳資格を有していることが分かった。さらにそこには、同姓同名のルーマニア人女性医師が居るが、それとは別人と明記してある。書評欄の著者略歴紹介は評者なのか編集者なのか知らないが、“翻訳”をテーマにしながら、日経もお粗末なことである。

時代は紀元前から始まっている聖書の翻訳から最新はAIによる機械翻訳まで、対象は国際政治、科学技術、報道、文芸作品、公的サービス(裁判)など。言語は英・露・仏・伊・ラテン・スペイン・トルコ・アラビア・ギリシャ、それに日・中も登場する。様々な場面で起こった翻訳・通訳問題を、事例を素に、依頼者・翻訳家/通訳・対応者(文芸作品では作者・翻訳者・読者)の立場を勘案し解説する。本書の目的は、原題の「Dancing on Ropes(ロープの上で踊る)」が象徴するごとく、翻訳者・通訳が依頼人と対応者双方を満足させるようバランスをとることの重要性を訴え、その点からの課題と解決に向けての努力を紹介することにある。外国語を熟知し、正確に使いこなせるだけでは務まらない世界がそこにあるのだ。直訳と意訳、諺やジョークとその真意、習慣や作法、同語異義(相当する単語がまったく違う意味を持つ)、受け手の背景(専門家、大衆)、同化(現地化)・異化(異国情緒をそのまま残す)の使い分け、通訳者に対する誤解など、言語仲介者として苦労が多々あることがよく理解出来る。

順不同でいくつかの内容を紹介すると、単語の取り違い;英語で酒場は「Public House;パブ」、これをそのままロシア語に置き換えると「売春宿」。後世に大きく影響したのは19世紀イタリアの天文学者が著わした火星観測に関する論文。そこには「Canali」の存在が認められるとある。これを英訳する際、翻訳者は「Canals」(運河)」としたので、人工的な運河の存在が火星研究の大きな話題になった。本来は「Channels((自然に出来た)水路)」とすべきだったのだ。文化・文芸への影響という点では、フランスを代表する思索家モンテーニュの「エセー(随想録)」英訳の一節はシェークスピア作品「テンペスト」にほとんどそのまま使われている例を挙げる。

重要な外交・会談の例も多い。オスマントルコと周辺国の交渉を仲介したのはギリシャ系のドラゴマンと呼ばれる通訳専門職(一種の奴隷)、世襲制のそれは中国の宦官同様、為政者に代わり実質的な権力を握る。ニュンヘン会談では独・英・仏・伊の四カ国語が飛び交う。ヒトラーの通訳パウル・シュミット博士は一人で三カ国語を扱い「不屈のシュミット」と称せられるほど奮闘する。テヘラン会談、ヤルタ会談における米・英・ソ3巨頭とその通訳関係も、担当通訳の回顧録でその場の雰囲気を伝える。

“生と死を分ける”の極めつけは日本。連合国は1945726日「ポツダム宣言」(降伏勧告)を発する。これに対し鈴木貫太郎首相は「ただ黙殺するのみ」と記者団に語り、記事になる。これを日本政府や報道機関が英訳することはなかったが、外国での報道は「ignore(無視する)」あるいは「treat with contempt(無言の侮蔑をもってあしらう」と訳され、ニューヨーク・タイムズが30日一面で「日本、連合国の降伏勧告を公式に拒絶」と報じ、広島の運命が決まる。戦後この件を問われた鈴木は「重視しない(ノーコメント)」の意だったと答えたという。翻訳者の訳語選択次第で重大結果を招く例として、敢えて序章で詳しく解説する。

自身の英国法廷通訳としての経験談(依頼者は無意識のうちに通訳を弁護士や裁判官と勘違いしてしまう)や環境変化(法廷による指名制から資格緩和による競争入札)、AI翻訳の影響(進化する機能を認めてはいるが、自分はまだそれより上との認識)など、直近の通訳・翻訳事情も取り上げられ、学ぶことの多い一冊だった。無論本書翻訳に不満なし。

 

4)「酔っぱらい」たちの日本近代

1920年代から一世紀にわたる、労働と酒をめぐる近代日本飲酒社会史-

 


父はあまり強くはないものの、毎日飲んで帰ってくるほど酒好きだったが、あまり明るい酒ではなかったから、少年時代酒に嫌悪感を覚えるほどだった。大学に入学しコンパで口にしたものの、これも好んで飲むようなことはなく、それは就職後も続いた。ただ、バーの雰囲気は好きで、大都会(?)である和歌山市に、少し懐が豊かになる給料日後の週末遠征し、非日常を楽しんだ。そんな時摂るのは、アルコール度が低くのどごしがいいビール一本、あるいは口当たりの良いハイボールをグラスで二、三杯と言ったところ。結婚後家で晩酌をするようになってもそれは大きく違わない。ただ、40代から50代にかけての現役最多忙時は父と同様、ほぼ毎日飲んで帰宅、二日酔いの体験も何度かしている。引退後は毎晩350mlの缶ビールを飲み、昼間外出するとランチビールやランチワインの一杯を、旅に出れば地酒を1合程度楽しむ。これが私の全飲酒歴である。愛飲家ではないが、酒を飲む雰囲気は好きで、読み物もそんなシーンがあるとうれしくなる。吉田健一や内田百閒の随筆はその点で読むだけでほろ酔い気分になってしまう。本書もそんな動機で飲酒の世界に踏み込んでみた。いささか軽佻なタイトルながら、中身は立派な“日本飲酒社会史”、飲酒と労働環境変化を文献やデータで丹念にたどり分析した報告であった。

著者は1973年生れ、京都大学大学院文学研究科で文学博士号取得、現在山口大学准教授。専門は社会学。

ここで言う近代は、概ね1920年代から現代までのほぼ一世紀。着眼点は、産業の主体が農業から工業に転換し、さらにそれが生産現場からホワイトカラーに重心が移り、都会ではデスクワークが主流になっていく経緯と飲酒の関係にある。

先ず前史として、江戸末期から明治時代までの飲酒関連データを用いて、当時の酒の消費やそれによる酔っ払いの実態を探る。18世紀後半の江戸における酒消費量は1合/人/日、これは突出した量なのだが、全国平均も0.5合と決して少なくない。ただし、地方では毎日酒を飲む習慣はなく、神事や特定の時期(例えば、田植えや収穫)に集中して飲むスタイルだったらしい。著者はこれを各藩に残る節酒令や柳田国男の民俗学研究などから類推する。なお全国規模で見た場合、ここで言う酒は濁酒(コメを原料とするどぶろく)で、一般大衆は清酒をほとんど口にしていない。また、神事・祭事(このときはとことん飲む)はともかく、飲む時間帯は作業中(農作業、職人作業)の昼間が主体だった。こんな前史の中で面白いのは、1876年当時の東京府警視庁が保護した酔倒人の数が3350人/年、これは府人口の0.3%に相当する。そして100年後1978年のデータは35109人、これも都人口比0.3%、と同じなのである。

さて工業化が進んでいくと、飲酒スタイルはどう変わっていくか。生産性への意識が高まり、職場からのアルコール排除が定着。飲酒の機会は退社後や休日に集中するようになる。すると休日明けの日(多くは月曜日)の出勤率が60%台まで低下するケースが生じ、労働倫理観を変えていく。つまり、深酒や深夜に及ぶ飲酒に罪悪感を覚えるようになり、飲酒スタイルに変化が表れる。例えば、終電乗客数が増加、終電前の歩行者移動速度が朝のラッシュ並みの速度になる。これらもきちんとデータを揃えて、解説するので、なかなか説得力がある。このような諸現象から、著者は飲酒が優れて労働従属的な性格を持つようになったと判ずる。

飲酒罪悪感が反転するのは戦争期、産業戦士の活力源、疲労回復剤と位置付けられ、酒の特別配給が行われる。ただし、その酒は純米酒では無く、合成アルコール混入が行われ、純米酒が再び生産されるようになるのは1990年代に入ってからである。

敗戦からの復興、経済成長。仕事と酒の関わりは、個人ベースでは「疲労回復」、仲間内では「ストレス発散」、組織としては「接待」、と幅が広がり機会も増える。1960年酒場の件数11850軒・売り上げ255億円が、197016127軒・売上げ1351億円へと急増、社用族の交際費は19601200億円、19702000億円、19803兆円と激増する。

主たる酒の種類にも変化が現われる。幕末・明治期は濁り酒、やがて清酒となり、戦時は合成酒、そして戦後はビール主流に転じてく。背景には戦時下米に関する統制が厳しかったのに対し、ビール用大麦の生産は稲の裏作あるいは畑の冬作として行われていたため、主食生産に影響が少なかったことで、規制が緩やかだったことが背景にある。

そして現代、明らかに酒離れの傾向が見て取れる。男性勤労者の非飲酒率は198412%2023年には20%に増加。ノンアルコールの出荷量は201012万キロリットルが、2023年には34万キロリットルにまで達している(因みに清酒は39万キロリットル)。また東京都の人口当たり泥酔保護者数は197080年代0.2%2023年には0.09%とほぼ半減している。つまり、都市勤労者にとってアルコールは以前ほど労働的な価値や意味を持たなくなりつつあるのだ。

新書ながら参考文献リストは20頁に及び、そこには諸官庁の公報、学会誌、社史、郷土史、民俗学文献、サラリーマン小説などが列記され、学術研究報告の一般向け啓蒙書としての性格がうかがえる仕上がり。軽い気持ちで手にした本だが、読後の充実感はきわめて高い一冊であった。

 

5)新書 世界現代史

-ウクライナ侵攻、中国の戦狼外交、MAGA、移民・難民排除の保守主義、すべてレコンキスタ(失権回復運動)なのだ-

 


レコンキスタ(Reconquista;国土回復運動)と言う言葉を知ったのは高校の世界史だった。イベリア半島を支配下に置いていたイスラム勢力を半島から駆逐する活動を意味し、8世紀以後1492年まで続いた長い戦いである。当時の高校生として生じた疑問は、なぜ文化・文明が進んだ西欧が、かくも長くイスラムの下にあったのか?であった。それの答えを実感するのは2015年スペイン旅行まで待つことになる。残された文化遺産(アルハンブラ宮殿など)を訪れ、その質の高さを目の当たりにして納得した。この旅でしばしばガイドから聞かされたのがレコンキスタである。本書は20223月(ウクライナ侵攻直後)~20254月(第二次トランプ政権発足初期)まで共同通信社から配信された、隔週連載国際インタヴュー「レコンキスタの時代」(80回)を基に、これを大幅加筆、書籍用に書き下ろしたものである。ここではレコンキスタを“失地回復”と訳しており、「種々の“失地回復”が同時並行的に進んでいるのが現代である」ことを伝えるのが要旨である。

著者は1963年生れ、大学卒業後共同通信社に入社、欧州・中東・米国などへの特派員を経験、現在同社編集委員兼論説委員。本取材では写真が載るインタヴュー相手だけで20数名。そこには元首相・外相・大使、政治家、国際問題シンクタンク研究員、大学教授、反体制活動家など、さまざまな指導者・権威者・論客(例えば、マハティール首相、イアン・ブレーマー、グレン・フクシマ)が並ぶ。ただし、ロシアと中国に関しては、体制側の人物は皆無である。

1991年ソ連が崩壊、翌1992年米政治学者フランシス・フクヤマ(日系3世)は「歴史の終わり」を著わし、世界は次第に米国・西欧型の民主主義に近づくと予見する。別の言い方をすれば“米国の一人勝ち”である。しかし、この独善・驕りが9.11同時多発テロ以降のテロ根絶に失敗(アフガニスタン、イラク)、米国の影響力が低下して“主なき荒野、Gゼロの世界が出現してくる。

米国の行き過ぎた自由主義は格差社会をもたらし、2011年には“我々は(貧しい)99%”のプラカードを掲げた若者たちがウォール街を占拠している。本書ではかなりの識者が2012年を潮流の潮目変化点と見る。極めつけは2013年オバマ大統領が発した「米国は世界の警察官ではない」の声明、その後ロシアはクリミア半島を占拠、中国による南シナ海岩礁の埋め立てが活発化したことを考えると、その罪は大きい。

相対的に政治力・経済力を低下させている米国の白人は、過度な理想主義を批判し“Make America Great AgainMAGA)”を叫ぶトランプ大統領を出現させ、KGBのスパイいとして東独崩壊を目の当たりにしたプーチン大統領は、それがトラウマとなり、ソ連復活を画策、ジョージアを抑え、ウクライナを我が物にしようとする。習近平主席は“百年国恥”を晴らし「中華民族の偉大な復興」を目指して、独裁体制確立に着々と手を打つ。加えて、BRICSに代表されるグローバルサウスも、長い北の先進国による世界支配に挑み、権力の再配分実現に注力する。一方で、欧州や米国に流れ込む移民・難民は伝統社会になじまない。リベラルな理想主義はこれに寛容だが、それも限界、伝統主義者が失われたよき時代への回帰を願う。いずれもレコンキスタ(失地回復、失権回復)であり、これらが同時並行して起こり、共振しているのが現代世界。そして、この混迷を加速しているのが世論を動かす情報の流れ。伝統的なメディアの影響力が低下し、ネット主体のSNSがそれに取って代わる。好みの情報ばかり集める“確証バイアス”、それが共鳴する“エコチェンバー現象”、工作者が流す巧妙なフェイクニュースがそれらだ。ブレグジットも第一次トランプ政権誕生も、SNSの果たした役割は無視できない。

ではこの先世界はどこへ向かうのか。三つの大国の他にも、地域を問わず伝統主義(あるいは復古主義)が蘇っている。インドのモディ首相、トルコのエルドアン大統領、イスラエルのネタニヤフ首相、ハンガリーのオルバン首相らがそれらだ。伝統主義は独裁と親和性がある。大国中心に勢力圏が形成されていた19世紀のヨーロッパのような世界が再現される見通しが強い。小国の運命は大国に握られると言うことである。

小国日本は如何にすべきか。最大の問題は、アメリカが今後、常に日本側に寄り添ってくれるとの確信を持てないことにある。当然だが、識者がそれに答えることはなく、自身で見つけなければならないのである。

個々の国々の動向、特に米・露・中に関する分析は、既によく知られたことばかりだが、レコンキスタという観点で括ると、世界の現状が既知のものとは明らかに異なって見えてくる。英・独・仏も今や小国、しかし彼らにはNATOがありEUがある。日本の将来に関し不安感が一桁上がった。

 

6)機械ぎらい

-ハンバーガーの注文から、乗車券入手、スポーツ観戦、万博入場、病院予約まで、IT弱者が排除される情報化社会。問題の根源を探る-

 


子供の頃からの模型好きが嵩じて、機械工学科に進んだ。だから決して「機械ぎらい」ではない。しかし、大学の授業では旋盤や鋳物実習で簡単な機械部品は作ったものの、実用に供する機械を分解したり組み立てたりするチャンスはなかった。ただ、幸いなことに卒論研究では、自動車メーカーが国産化のために輸入し、散々使い回し、廃品となった英国製エンジンをもらい受け、エンジンそのものを再生させ、それを使った実験装置を作り上げた。この経験は、のちの自家用車運用・維持にずいぶん役立った。しかし、それも1970年年代までのことで、自動車に限らず、家電なども、分解修理を自分でやることが次第に難しくなっていった。そして、電子化とソフトウェアの現代、機能は複雑化、ほとんど修理不可能となり、製品のライフサイクルは年々短縮、頻繁な買い換えが必要となってきている。こちらが機械をきらいになる前に、機械からきらわれているような気にさえなってくる。「使いこなせないなら、持つな!」と。

導入部で語られるのは情報弱者の現状。スマフォや各種自動発注・予約システムを使いこなせない人々のことだ。飲食店における、専用タッチパネル、QRコード読み取りによる注文、駅の発券機などがその例として取り上げられる。分かりにくい説明で、初心者は操作に四苦八苦、単なる苦手意識だけでなく、自分のもたつきが後に続く人々の苛立ちを呼び、それが恐怖心にまで高まっていくのだ。究極は「時代遅れ」のレッテルである。その因は、機能の複雑さと操作がソフトウェア主体になっていることにある。つまりソフトウェアが他社との差別化を意識し、独自性を求めるところに根源にあり、操作のみならず、囲い込みのため修理への配慮も軽視される(出来なくする)。この具体例が、最大手のハンバーカーチェーンのセルフ発注操作で15ステップ以上にも及ぶことや、米国における家電修理技能者が1996年の20万人から2020年には4万人に減じたことで示される。自動車に代表される、従来の機械普及が標準化によるのと真逆の現象が最近の機械に起きているのだ。

次いで、この現象を“予約型社会”に絞り込んで追及していく。乗り物、美術館、スポーツ施設、テーマパーク、映画館、ホテル・飲食店、病院など、特にコロナ禍以降、予約前提のシステムが続続と導入され、システムを自在に操れる者とそうでない者との格差が拡大、病院などで緊急処置をうけられないケースも生じている。実はこれらシステムは、従来サービスを提供する側が行っていた作業を受ける側に転化したものとして問題視する。また、昨年開催された関西万博では行列解消をうたいながら、実態は行列に並ぶ権利を入手出来ただけで、1970年の大阪万博同様パビリオン前に長蛇の列は発生、それどころか予約システム入口で見えないディジタル行列が出来たことを例示して、予約型社会に警鐘を鳴らす。

以上は主に情報化社会批判の面が強い内容だが、これ以降は新しいテクノロジーが普及・定着するプロセスを、特定の機械あるいは部品について、新技術導入反対の活動を交えながら解説していく。部品では押しボタンの発明が電子・電気応用機器に果たした役割を取り上げ、多すぎるボタンによる混乱事例(炊飯器)、ボタンを減少にこだわるスティーブ・ジョブスの考え方、長押し操作考案によるその実現などが紹介される。

思わぬ事例は1章を設けて解説されるエレベーター開発発展史。著者はこれを「人類が生み出したテクノロジーのなかで、最も洗練され、成熟した装置」と高く評価をする。つまり、高層化による人間活動領域拡張を実現し、社会を変える原動力になったと見るのだ。吊り下げロープ切断によるエレベーター籠落下に対する恐怖が普及を阻むのだが、イライジャ・オーティスによる緊急停止装置の発明とデモンステレーション、光電管による位置決め停止装置などの導入により無人運転が可能となり、高層開発必須の道具として行き渡っていく。冷蔵庫(不自然に冷やされた野菜に対する嫌悪感)、鉄道(騒音、煤煙、景観破壊)なども一時期反対運動の嵐に襲われるが、今や社会生活に欠かせぬ機械として普及してくる。いずれも、革新者(イノベーター)や早期の愛好者(アーリーアダプター)の活動がその推進原動力ではなく、むしろ遅れてきた大多数(レイトマジョリティ)や最後まで利用をためらう層(ラガード)が決定権を握ってきたのだ。

ITツールが抱える問題点克服には「ユーザーインターフェース不全」にもっと目を向け、改善に努力すべしと提言して、結びとする。

昨年8月本欄で「修理する権利」を紹介した。この本も、比較対象として他の機械類も援用していたものの、IT分野に焦点を絞り込んだものだった。本書も“予約型社会”批判までは同様だが、新技術普及ではかなり対象が広がり、情報化社会に対する問題点の詰め(利用者視点の具体的改善策提言)を欠く。さらに最も話題性の高いAIにはまったく触れておらず、種々新知識は得たもののその点で不満が残った。

 

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