<今月読んだ本>
1) 福音派(加藤喜之);中央公論新社(新書)
2)本とは何か(難波優輝);新潮社(新書)
3)日本史はいかに物語られてきたか(河野有里);新潮社(選書)
4)コロナが去って、アジアを旅する(下川裕治);朝日新聞出版社(文庫)
5)テクノ・クーデター(マリエッチェ・スハーケ);早川書房
6) それはどこでも起こり得る(ブレイディみかこ); 文藝春秋社
<愚評昧説>
1)福音派
-科学的地球誕生期も認めぬ、聖書中心主義者が動かしてきた米国戦後政治の軌跡-
1970年初めて海外出張した。行先は米国とフランス。先輩達の忠告に「政治と宗教の話はするな」があった。これは我が社だけでなく、どこでも言われていることだと後日分かったが、当時は海外旅行など珍しい時代、貴重な忠告と感じ取った。とは言うものの、専門分野の会話さえままならない英会話力。彼らと交わした雑談で記憶に残るのは、開催中の大阪万博のことくらいだ。1979年二度目の米国出張に出た。日米の経済力は接近、通商問題が日常会話になってくる。「コメは譲れない」「米国にとって自動車はコメと同じだ」と言うように。1980年代後半から年2,3回米国出張するようになり、親しい友人・知人ができて、通商に限らず、遠慮なく政治問題を論ずるようになった。しかし、食事の際、ときにお祈りをするようなことを除き、宗教に触れることはなかったし、それが政治に影響することなど深く考えたことはなかった。トランプ第二次政権誕生前後からにわかに“福音派”が注目されている。時宜を得たテーマに惹かれ読んでみることにした。
本書はキリスト教宗派としての福音派を解説するものではなく、現代の米国内政(外交はイスラエル関係のみ)・選挙と福音派の関わりを述べる内容で、宗教よりは政治に重点が置かれ、ケネディ、ニクソンに触れる前史を除けば、概ねカーター政権発足から第二次トランプ政権誕生までをカバー、章立てもその時間軸に沿う。
福音(Evangelicals)はギリシャ語のエヴァンゲリオンに発し、原意は「良い知らせ」、これが日本語で“福音”となる。では「良い知らせ」とは何か?聖書に記述されているこの世の終末後にやってくる「永遠の天国の完成」である(終末論)。世界は終わりつつあると信ずる白人は増加傾向にあり、それが福音派に引き寄せられていく。福音派の最大の特徴は「聖書中心主義(聖書の無誤謬性)」であり、発端はキリスト教原理主義運動にある。白人キリスト教徒・教会の主流である伝統的プロテスタントが、近代科学やリベラルな考えを受容し、時代の変化に柔軟に対応してきた点と大きな違いがある。地球起源から進化論まで聖書にないことは全否定、直近の政争論点では人工中絶・同性婚に反対。ユダヤ人国家建設、エルサレムをキリスト教徒の首都とすること、なども聖書に明記されているゆえに、その実現を真剣に追求する。第一次トランプ政権で米大使館をテルアビブからエルサレムに移したのがその典型例だ。
全体的には、政治勢力として一見共和党の岩盤のように見られているが、政策や個人的宗教体験により、民主党支持も有りなのだ。カーターは、福音派が重視する回心(リボーン;個人的に信仰を告白することで、霊的に生まれ変わる)したことを公言、福音派の支持を得ているし、クリントン、オバマも選挙時は福音派にすり寄り、当選を果たしている。また、元々は人種差別・隔離を謳っていた時代もあり、同じ福音派でも黒人教会・教徒は必ずしも共和党支持ではない。ユダヤ系米人社会との関係も複雑だ。7割のそれは民主党支持、共和党支持は実利に結びつく富裕層中心。福音派にもユダヤ教徒と組むことを良しとしないグループもある。
福音派の勢力拡大に与ったのはカリスマ牧師・TV伝道師の存在、メガチャーチやTVを通じての動員力は、政治家にとって集票マシーンとして垂涎の的。彼らを通じたロビー活動に応じないわけには行かない。進化論教育反対(聖書内容併記)、イスラエル政策支援の背景に、福音派の隠然たる力が存在する。
米国のキリスト教社会は我が国の仏教・神道を元に理解することは出来ない。宗派の独立性が強く、福音派と言っても多種多様、緩やかな連合体が実態(総本山は無し)。これらと政治の関わりを丹念に追った内容は、米国理解に欠かせない、と読みながら感じた次第である。
著者は1979年生れ。プリンストン神学大学院(プリンストン大学とは別組織)で博士課程修了(Ph.D)、現在立教大学文学部教授。専門は思想史、宗教学。
2)本とは何か
-印刷された文章は楽譜・料理レシピに過ぎない。それぞれの読み方によって味わいは異なる-
本を読んでいるとき、明らかにただ文章を追って、そこにあるものを理解しているだけではない(活字中毒者である私は、それに近い読書もあるが・・・)。何かを想像したり、整理したり、疑義を感じたり、行間を探ったりしている。分かりやすい例は小説。専ら軍事サスペンスの愛読者である私は、想像力を膨らませながらそれを読み楽しんでいる。だから、それが映画化されたとき、その矮小なシーンに失望させられることが多い。本書はタイトルの“本とは何か”よりは“読書とは何か”がより相応しい内容と言える。文字に書かれたことは、音楽で言えば楽譜に相当し、読書はそれを演奏(パフォーマンス)することだ、が著者の言わんとするところ。きわめてユニークな読書論である。
冒頭、幼児に絵本を読み聞かせるシーンから話を始める。音読し、子供の表情や動作を観察、その変化から、読み方に工夫を凝らしていく。これは当にパフォーマンスだ。古い時代の読書は音読が基本、これが黙読になり、一人で読んでいても、形を変えたパフォーマンスがある。著者はこれを書物のジャンル別に、自らの読書体験を元に論じていく。
先ず小説(物語);自分と遠く離れた世界に触れ、いろいろな人間の心や世界を楽しめる。「共感」は、時代・階級・世代を超える。読者のその時の状況によって気分が変わる。初めてトム・クランシーを読んだのは「レッドオクトーバーを追え」。まだ邦訳が出る前のペーパーバックだった。英語なので、想像力動員で読み終えた。当に著者が言うパフォーマンス読書である。
ノンフィクション(人文書);分からないから読む。分からないことを楽しむようなところがある。分かったときの感動が大きい。ざっと分かるので良いのではないか。読む本の95%はノンフィクション、ここにある通りの読書であり読後感だ。
ハウツー本;中身が薄く、効果のないものがほとんどだ。しかし、自己啓発本を中心によく売れている。読むと「頭一つ」抜け出した感じになり、自己変革を予感する。仮面ライダーの変身ベルトのようでワクワク感がたまらない。現役時代経営関連のハウツー本は読んだが、幸か不幸か自己啓発本は読んだことが無いので、これは未体験。
雑誌;余計な情報が大量に盛り込まれている不思議なメディア。回遊しながら様々な話題に触れるので、思わぬ話に引き込まれ、未知の世界に踏み込むきっかけになる。一方で深みがないので「くつろぎ」の時間を与えてくれる。まったく同感だ。
マンガ;これは本か?!読書か?!ここではマンガ論が展開され、出版業における売上高では大きな割合を占めていることを教えてくれた。著者は文字のウエイトが低いところから「読書パフォーマンスらしさをもっとも欠く書物」と整理する。「ゴルゴ13」は面白かったし、海外事情や諜報の世界を学んだ。
ここまで語ったところで、主題はジャンル別考察を離れ、読書とパフォーマンスの関係を別角度から論ずる。切り口は本と楽譜・料理レシピとの関係。書物に記された文章は、楽譜やレシピと同じ、しかし演奏や料理そのものは演奏者や料理人によって、まったく異なったものになる。同じ本を読んでも、読者の読み方(パフォーマンス)次第で、読後感は異なると。この対比説明は分りやすい。
最近はSNSで読後感を発信する人が多いようだ(本ブログもその範疇か)。この行為もまた読書パフォーマンス。書棚に並べられた書籍は庭造りと同じ(整然としていなくても良い)。書店巡りは広大な庭園を散策しているようなもの。いずれも一種のパフォーマンスである。「そう言う見方があるか!」と、著者の展開する“読書哲学”に学んだ。これからの読書が少し変わる予感がする。
著者は1994年生れ。神戸大学大学院人文研究科修了。専門は分析美学(どんな学問かまったく想像できず)。ここに記された発想は、この分野の研究がバックグランドになっているようだ。
3)日本史はいかに物語られてきたか
-皇国史観一本槍から解き放たれた戦後日本史観。百花繚乱のそれを右から左まで総覧する-
「金鵄(きんし)輝く日本の 栄(はえ)ある光 身にうけて 今こそ祝え この朝(あした) 紀元は二千六百年 ああ一億の胸はなる」。皇紀2600年を祝う子供向けの賛歌である。昭和15年(1940年)がそれに当たるので14年生れの私は満1歳、祝典のことはまったく記憶にないが、この歌だけはよく覚えている。講和条約で独立を回復、中学校の社会科の中で日本史を学ぶことになる。皇紀にはまったく触れず、我が国の歴史は、石器時代から縄文・彌生と進み、時代区分は政治の中心地、奈良・平安・鎌倉・室町から江戸へと続き、年代表記は全て西暦だった。爾来皇紀は日本史の世界からほとんど消えてしまう(学校教育では完全に)。今国会で皇統問題が論じられ、その起源について古事記・日本書紀に基づく神話(神武天皇説)、科学的・実証的見地からの継体天皇説、南北朝と現天皇家の血統関係などが話題となった。国家・民族(それに宗教)の歴史は、純粋な科学(地理学、考古学、歴史学)とは別世界、神話(物語)がむしろ本流となっている。戦後、識者(作家、評論家、政治学者、社会学者など)は日本の歴史をどう物語ってきたか。右の皇国史観から左の唯物論史観まで様々な史観を俎上に上げ、それと執筆・発刊時の社会情勢(思想空間;この影響が大きい)を踏まえて分析、「史観総覧」と言った内容だ。
構成は作者とその作品で章立て(一部は対称的な二人で1章)され、序章、終章を含め19章から成る。取り上げるのは20名20作品だが、論評には、他の論壇人も多数登場する(例えば、丸山真男など何度も)。先ず、作者の経歴、特に思想的立ち位置を概説、次いで作品の概要を紹介、それに本著者の作者・作品に対する分析・評価を行う。比較的知名度の高い作者数名について、手短に内容紹介をしてみたい。
・百田尚樹「日本国記」;この本はミリオンセラー、著者は保守党代表、日頃ナショナリズムを声高に語っていることから、その主張が強く反映されているものと予想したが、意外と「教科書的」で物語では無く、面白くない。特に、問題なのは貫かれる史観が無いことだ。
・渡部昇一「日本の歴史」;保守系論壇の重鎮。「日本国記」に多くの重複が見られるが(「日本国記」は本書の剽窃と難じられた)、面白さという点ではるかに優れる。建国神話の重要性を認識せよという、独自の史観が明確だからだ。「男系天皇」へのこだわりは現今の「女系天皇論」へのアンチテーゼとして援用されるほどだ。
・西尾幹一「国民の歴史」;保守系言論人として、従来の日本史教科書を自虐史観と批判。道徳的視点(植民地政策など)ミニマムの史観。意外なことに天皇不在と言っていいほど、天皇制に関する記述が希薄。
・上野千鶴子「ナショナリズムとジェンダー」;本の内容はともかく、この人の史観はきわめてユニーク。たとえ科学的実証的に正し事柄・事件でも、現代の社会環境からそれを再評価すべしと訴え、戦争から女性問題までこの観点から考察・論評する。
・網野善彦「日本社会の歴史」;本書に限らず網野史観は、官と農を中心とした伝統的な国史に対して、その他の庶民、特に商業や海(いずれも自由度が高い)に目を向けた点に特色がある。また天皇は後景に退き、日本史と言うより日本列島史の性格強い。
・松本清張「象徴の設計」と司馬遼太郎「坂の上の雲」は一つの章で対比する;前者は天皇制を歪ませ最大限に利用したのが山縣有朋を始めとする明治の元勲たち、維新以降戦前に至る現代史の暗部はすべてそこに発すると見る。対して司馬史観は明治を明るく描き、昭和の初め軍部が天皇を現人神とまつりあげ、国運を損なうことになったとする。つまり、明治観が対称的なのだ。
この他、山本七平「現人神の創作者たち」、小松左京「日本沈没」、教科書裁判の家永三郎、天皇制自然消滅を予測する「共同幻想論」の吉本隆明など多士済々、最後は昭和皇国史観の精神的支柱、平泉澄が戦後著わした「物語日本史」で締めくくる。
著者はそれぞれの史観に関し良否は断ぜず、戦後の昭和が百花繚乱であったのに対し、昨今それが低調なことを憂い、かつての勢いの再興を願って筆を置く。
著者は1979年生れ。東京大学大学院法学政治学研究科博士課程修了(法学博士)。専攻は政治学、政治思想史。現法政大学法学部教授。
4)コロナが去って、アジアを旅する
-70歳を過ぎてもバックパッカー精神を失わない老旅行家のアジア近況報告。中国人観光客が減っているのは日本だけではない!-
1970年来10冊近くつないできたパスポートが本年10月で切れる。初冊の入国印は1970年6月の米国(フェアバンクス)、最終冊の出国印は昨年6月の中国(大連)、半世紀間で29カ国を訪れている。訪問回数では米国が7割ほどだが、家族旅行を含め東南アジアの国々へ出かけたことも多く、欧米に比べ何か気持ちが安まるところがあった。この地域への最後の旅は2016年の台湾。パスポートの更新はもう考えていないが、まだまだアジアへの関心は尽きない。せめて直近の事情を知りたく、読んでみることにした。
本書は一種のセンチメンタル・ジャーニー、かつて住んだり、訪れたりした場所をコロナ後再訪する話である。従って内容を紹介する前に、著者が旅行作家として自立し、その世界で知名度を上げるまでの経緯を概観してみたい。
著者は1954年生れ。バックパッカーに近い倹約旅がその基本で、そこが人気の源泉と言える。本年で72歳になるが、それが持続できる体力や身体の使い方は高校時代(松本深志高校)山岳部に所属し、鍛えられたとある。慶大経済学部に進むが、山や旅に関するサークルなどには加わっておらず、慶應義塾新聞に所属、ここで執筆・編集を学んだようだ。この学生時代初めて外国に出ている。動機はタイで会社経営をしていた親類を訪ねることにあり、現地でしばらく仕事の手伝いをしている。本書でもタイは頻繁に出てくるが、タイ語を学ぶため長期滞在を含め足かけ2年を過ごしたほど特別な国だ。大学卒業後産経新聞社入社、社会部記者として勤務するが、仕事で海外に出てはいない。1988年産経新聞を退社、フリーランス作家となり、6月から週刊朝日に「12万円で世界を歩く」の連載を1年半続け、これが本格的旅行作家としての原点となる。1990年単行本出版、1997年にはこれが文庫本化され現在15刷に達するロングセラーとなっている。旅先は、アジアのみならず、北米大陸やユーラシア大陸横断、カリブ海などをカバーする12の旅をまとめたもので、人気のもとは克明に記された費用明細にある。12万円の用途は、航空券代・その他の交通費・宿泊費・食事代などで、これは週刊朝日が提供している。為替レート130円/$台、世界全体に現在よりも物価が安かったことあったことで実現しているが、ギリギリの予算であったことは想像に難くない。その後の旅は全て自腹、その主たる財源は100冊を超える著作の印税であり、現在に至るも自転車操業状態と自嘲、今回も“倹約”旅行の生々しい実態が随所で具体的に語られる。
旅行記で仕事と生活を成り立たせている著者にとって、コロナ禍は最大級の厄災。この間都バスの旅や高尾山登山などの著作も出しているが、おそらく本意では無かろう。何とあの災禍の中、2022年からワクチン接種・PCR検査・隔離政策を受入、アジアの旅を続けていたのだ。第一章は、やはり勝手の分かっているバンコク。取り上げるのは二種の食堂、無論老舗の名店などでは無い。カオゲンと言うタイ式カフェテリアとアハーン・タムサンなる注文食堂。テイクアウトでカオゲンは衰退、食材から調理法、味付けまでその場で個人の注文に応じるアハーン・タムサンがしぶとく生き残っている。この話など旅行者ではなく完全に現地住民目線だ。
コロナで入出国管理も変化している。ここでは各国のオンライン手続きを紹介する。ほとんどの国でオンライン申告が普及してきている。このシステムだとビザランと呼ばれる、一旦国外に出てはビザを取得、頻繁に入国する者(かつてのバックパッカーに多かった)を容易にチェックし、それを排除出来るのだ。観光客動向で教えられたのは、中国人観光客の減少とインド人の増加である。中国植民地の観があったカンボジャを始め、ヴェトナム、タイ、インドネシアなどでそれが顕著になっている。この背景はコロナ禍もあるものの、中国の景気後退も大きいと著者は推察し、最近の中国三大航空会社の運用状況を報告する。価格はLCC(低価格航空便)より安く、機内食も供されるが、それでも搭乗率は高くない。高市首相の台湾有事発言以前から、この状態は起こっており、政府による日本旅行自粛要請は渡に舟だった訳ではある。
倹約旅行のノウハウも種々開陳される。LCCは出発時刻・到着時刻が通常の生活時間帯から外れた早朝・深夜になることが多い、また乗り継ぎも利便性を欠く。そのため空港内で宿泊することが頻発する。どこの空港のどんな場所が安全で安眠できるかを教えてくれる。諸物価高騰に円安が重なり、空港-市内間移動、あるいは市内交通も電車やタクシーの費用がバカにならない。割安感のある路線バスが好ましいが、利用方法が分からない。しかし、最近はバス利用アプリが多くの都市でダウンロード可、行き先表示なども現地語より数字で表わすところが増えて、スマフォに慣れていれば、格段に利用し易くなっている。
本書を読んだ最大の収穫は、既存マスメディアが報じることとは異なる現地事情を知ったことである。中国の観光客が激減しているのは日本ばかりで無ことなど、その一例だ。
5)テクノ・クーデター
-様々な分野で国家権力を超える巨大IT企業、元欧州議会議員が訴える危機の実態と市民復権への道-
私のIT環境は; PCはマイクロソフトのWindowsで動き、本稿を含む文書作成はWord、インターネット・ブラウザーはグーグルのChrome、本ブログのプラットフォームも同社提供のものだ。友人・知人たちの日常を知るのはフェースブック、書籍購入の80%はアマゾン経由、スマフォはアップルのiPhoneである。おまけに最近頻繁に利用するようになった生成AIは、グーグルのGemini、マイクロソフトのCopilot、それにオープンAIのChatGPT。極論すれば、知的(?)活動はすべて米国巨大IT企業に依存している。これは私ばかりで無く世界中が同様な状態にあると言っても過言ではあるまい(中国は、米国を模倣した類似システムが普及し、数だけは国産が支配的であるが)。そして、この状態は個人のみならず、国家運営にまでおよんでおり、巨大IT企業が国の主権を脅かすところまで進んでいる。政治、経済・財政、社会保障、国家安全保障など、本来国家・地域(EU)が果たすべき役割が巨大IT企業(以下テック企業)に侵蝕されてきた現状を具体的に語り、テック企業対策を如何に進めるべきかを論ずるものである。
著者は1978年オランダ生れ、2009年から2019年まで10年間欧州議会議員を務めている。それゆえ、ハイテックでは技術でも企業経営でも米国にまったく太刀打ちできず、ただ規制に血道を上げ、驚くほどの制裁金の課す、反米的内容ではないかと予想しつつ手に取った。しかし、読み進めていくと、これはゲスの勘ぐりであったことが分かってくる。著者は欧州議会議員のあとスタンフォード大学サイバー政策センター(ディレクター)に移り、学生指導やシリコンバレーのテック企業と交流もあり、むしろ親米家とも言える政治的スタンスの人物であることが分かった。
本書の要旨は、技術の進歩や事業の発展にブレーキをかける意図は無く、新自由主義の下、特にシリコンバレーでは過度な自由主義(リバタリアン)が横行、自己・自社の都合の良いよう振る舞い、ときに国を上回る力を垣間見せる、テック企業の実態を明らかにし、彼らが民主主義市民社会に親和性の高い行動を取ることの必要性を説く内容になっている。つまり、本書はテック企業の内幕をジャーナリスティックに伝えるものではなく、一種の政策提言の書である。
本書は先ずハードカバーとして2024年9月に刊行、翌2025年9月ペーパーバックが出版されている。邦訳はこのペーパーバック版からで、そこには“ペーパーバック版に寄せて”の一文が加えられている。ハードカバー版への批評に「タイトルの“クーデター”は少々大げさではないか」とのコメントがあったようだ。この間の大きな変化はトランプ第二次政権誕生。祝賀の場にはアマゾン、フェースブック(FB)、アップル、オラクルなどの創業者・経営者が並び、イーロン・マスクは政府効率化省のトップに任じられ、大胆なリストラに取り組む。「当にクーデターではないか!」と著者は“寄せる”に記している。
従来の国家主権へテック企業が影響力をおよぼし、時にはそれに反する行動まで取る事例は、少々古いケースもあるが広範だ。英国のEU脱退やトランプ第一政権誕生時のFBデータの利用(「いいね」の分析)、オバマの選挙戦もSNSが大きな役割を果たす。麻薬捜査における、FBIに依る容疑者スマフォ秘密キー開示要求に対するアップルの拒絶(個人情報保護)、暗号通貨に依る中央銀行権限への侵蝕、ウクライナ戦争におけるスターリンク(衛星通信)の利用諾否(イーロン・マスクが決定)、各地(EUを含む)で秘密裏(ダミー企業を介在させる)に進められているデータセンターの建設・運営(大量の電力と冷却水を必要とする)、AIとの対話を通じた詳細個人情報の蓄積・利用、激しく巧妙なロビー活動(国のみならずEU、さらに国連まで)、人材の回転ドアー(政・官・民)、丸投げ同然の業務委託などがそれらだ。商売のためには権威主義国家(中国、ロシアなど)に協力も辞さないテック企業の行動も時に国益に反する。
これらに対する規制の現状:米国は国家安全保障重視(あとは自由)、EUは市民利用面重視(技術でディジタル世界に挑戦できていない)。いずれの政府・議会も後追いに終始、法律が成立したときには実効力を欠く。ディジタル技術を施政面で最大限活用しているのは権威主義国家がはるかに先行している。
「透明性」確保と「説明責任」明確化を中心に、民主主義国家における“クーデター”阻止策を提示して結ぶ。「理想としてはまったく同意だが・・・」が読後感。
6)それはどこでも起こり得る
-「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」の息子も今や大学生、在英30年の主婦による辛口英国社会時評-
2007年68歳、現役引退後の夢であるOR(Operations Research;応用数学の一種)歴史研究のため渡英、彼の地に半年滞在した。この時10年続いた首相職がブレアからブラウンに代わり、英国の政権交代を、主にTVニュースや国会中継を通じ垣間見た。この政権交代は総選挙ではなく労働党党首交代という形だったが、そこに至るまでは総選挙の可能性も報じられ、保守党党首のキャメロンもTVで馴染みの人物となった。爾来英国政治を外野から観戦、関連書籍に目を通すようになった。著者の作品に初めて触れたのは2019年刊の「ブロークン・ブリテンに聞け」(EU離脱が中心)、英国在住が長く、保育士として無料託児所勤務なども経験した履歴は、完全に労働者階級目線で鋭く英国社会と政治を考察、辛口ではあるがユーモアもある、いかにも英国風の評論に惹かれるところがあった。その後子育てをテーマにした「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」を読み、知られざる英国社会の深部(育児、初等・中等教育)に触れ、すっかりファンになってしまった。本書はその最新作、たまたま読書中の7月20日、キア・スターマー首相退任、アンディ・バーナム首相誕生というグッドタイミングとなった。
本書のジャンルは基本的に英国における社会・政治時評である。ただ、2024年の構想段階で「言葉を解きほぐす」と言うようなテーマを考えていた、とまえがきにある。社会のキーワードになっている言葉を選び、どうしてそれが人々の口に上がるようになっているのか探ってみようと言うのだ。従って各章の題名や文中にそのキーワードが、はっきり分かるように埋め込まれている。そのキーワードと論点を超短訳すると;
第1章「レスポンシビリティ」と「アカウンタビリティ」;前者は担当者、後者は指示者、が負う「責任」、前者は重く、後者は軽くなる傾向にあり、「責任」階級闘争が生じている。第2章「エクストリーム・センター(極中)」;理念なき中道。明快で強い政治指針を欠き、世論動向で動く政治家。選ぶ側の無党派も同じ。退任したスターマー前首相(出版時は首相)はその典型。第3章「クラス・シーリング(階級天井)」;労働者階級や経済的困窮者出身者も一流大学、一流企業に入ることが出来るようになったが、依然生まれ育ちによる格差が存在。第4章「プラットフォーム・ポリティックス」;何でもありの政治家・政党。大衆やジャーナリズムの動向で言動が左右される。ITにおけるプラットフォームの役割しか果たしていない(果たせない)。ここでもスターマーが登場。第5章「テクノ大衆」「テクノ富豪」;ここは英語表現がないが、「テクノ・オプティミズム」(楽で便利を求める風潮)から造語したようだ。IT富豪はそれを大衆に提供。大衆はその中にどっぷり浸かる。SNSの政治への影響力。第6章「アナキズム」「フェミニズム」;両語とも新語でも流行語でもないが、根底にとことん話し合い合意形成する精神があると説く。右か左か、敵か味方かの一択選択(特に政治)に対する警鐘。第7章「リマイグレーション」;本来の意味は「再移住」だが、トランプ政権やAfD(ドイツのための選択肢)、英国のリフォームUK(議員数は少ないが、直近の世論調査では労働党、保守党と拮抗)が唱える違法移民・難民強制送還。正規移民まで問題視する方向にあり、ナチスの民族浄化にも通底する考え方。英国籍である著者にも「それはどこでも起こり得る」ことなのだ。
既刊書に比べ、多くの文献を参照・引用して、社会・政治・思想に一段と踏み込んだ作品。それゆえ、学ぶことは多いが、楽しく読み進めるものではなかった。
著者は1965年福岡生れ。1996年から英国在住、夫は英国人、息子が一人おり、その子の成長記が「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」。この子も大学へ進んだようだ。
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