<今月読んだ本>
1) 旅行者の朝食(米原万里);文藝春秋社(文庫)
2)「おかえり」と言える、その日まで(中村富士美);新潮社(文庫)
3)「予想外」を予想する方法(キット・イェーツ);草思社
4)大谷のバットはいくら?(熊崎敬);柏書房
5)日本漁業の不都合な真実(佐野雅昭);新潮社(新書)
6)外務官僚たちの大東亜共栄圏(熊本史雄);新潮社(選書)
<愚評昧説>
1) 旅行者の朝食
-小・中学生時代東欧で暮らし、ペレストロイカ期からロシア語通訳として活躍した才女のロシア食事事情-
2003年、関係会社を含め41年にわたり携わってきた石油精製・石油化学業界の仕事を終え、計測制御システム会社で海外営業のお手伝いをすることになった。最初に取り組んだのはロシアの市場開拓、ウラル西側を中心に足かけ3年間従事した。モスクワの現地法人を拠点に各地に散在する製油所を訪問、日本での事例を紹介し、当該製油所のIT利用度合いを診断、改善提案をするのが業務概要である。モスクワからクルマで日帰りできるところもあったが、多くは空路あるいは鉄道でおもむく遠隔地、前夜遅く現地入りし、翌朝工場訪問するケースがほとんどだった。ロシアでの工場訪問は事前に先方が招待状を発行、それで訪問可となる方式なのだが、そこで驚いたことは、何度か客先が朝食を用意してくれていたことである。それも決して軽食ではなく豪華なものだった。さすがにウォッカはなかったが。
紀行文、旅のエッセイは最も気が休まる。検索で行き当たったのが本書。著者の名前はソ連崩壊後メディアでしばしば見かけていた。ロシア語の専門家であること、父親(米原昶(いたる)が日本共産党の幹部であったこと(戦前旧制一高生時代主義者と関わり放校、戦後入党し二度衆議院議員を務める)、その関係で共産圏欧州に滞在していたこと、などがそれらだ。
著者は1950年生れ、2006年死去。本書の単行本は2002年に出版されており(文庫は2004年刊)、そこに収録されたエッセイ37編はそれ以前雑誌・新聞・広報誌などに掲載されたものである。先に述べたように父親は1959年~1964年プラハに在った国際共産主義活動広報誌の編集責任者を務めており、著者も同行、日本の小学校4年生相当から5年間彼の地のインターナショナル・スクール(ロシア語)で学んでおり、帰国後日本の高校、舞踊学校を経て東京外大露語科に入学、さらに東大大学院(露文)に進み、修士号を取得している。東外大時代日本共産党に入党するが、東大大学院時代除名されている。本書執筆までの訪ソ・訪露回数は200回以上、多くの日ソ・日露高官の通訳業務に従事、1993年エリツイン大統領来日の際は随行通訳を務め、その後2003年から死去するまでロシア語通訳協会会長の座にあった。
本書の内容は豊富なロシア体験に基づく食に関する話だが、ロシア料理に限らず、日本食は無論、仏・伊などの西洋料理から中東の菓子や果実などにもおよび、それが狭義の食そのものにとどまらず、文化・歴史ときには政治にまで関連付けられ、ロシアの内外から食を通じてその社会を垣間見せてくれる。例えば、タイトルの「旅行者の朝食」。これは計画経済時代の肉や豆や野菜を煮込んだ缶詰の商品名、これに飲み物・黒パンがあれば朝食として充分との考えから発したものだ。よほどの空腹時でなければとても食べられない代物、それをテーマにしたソ連社会を揶揄する話である。ペレストロイカ期のソ連トップの好み、保守派の頭目リガチョフ政治局員は和食・魚は一切ダメ、滞日中はすべてフランス料理で通す。ゴルバチョフは刺身・鮨には拒絶反応を示したが、天ぷらや火を通した魚介類は大歓迎。エリツィンは出される料理、何から何まで興味を示し、美味しそうに平らげた。ここから著者は「未知の食べ物に対する許容度と政治的革新度が正比例する」と結論づける。堅い話ばかりではない。キャビアの密売、ウォトカ消費と世相、極寒下釣り上げると即凍結する鮮魚の食し方(専用の鉋がある)など、ロシアの食満載。
本書を読んで感心したのは、タダの食通に留まらない食に対する探究心の旺盛さである。料理に関する古今東西の書物に精通、初体験で味わった感動を再現すべく、自ら試行錯誤して調理してみたりもする。本書で教えられたこと;製油所の朝食はテーブルいっぱいに広がる方式だったが、西洋料理が順番に出てくるのはロシア発祥、18世紀までフランス料理も一度に供されるスタイルだったとのこと。
2)「おかえり」と言える、その日まで
-奥多摩・奥秩父・丹沢、ハイキングで出かける程度の低山で起こった山岳事故を国際山岳看護師資格を持つ女性が報告-
食事どきのニュース、天気予報以外ほとんどTVを視ないのだが、それでもいくつか定番の番組がある。見始めた古い順に、「ブラタモリ」「呑み鉄本線日本旅」、それに「日本百低山」がそれらだ。それぞれ主題は異なるものの、いずれも未知の地を探訪するところは同じ、一種の旅番組として楽しんでいる。この内“未知”という点で最も惹かれるのが「日本百低山」、 “酒場詩人”を自称する吉田類が女性タレントとともに、地方の比較的都市部近くにある低い山(ほとんどが1000m未満、500~600m級が多い)に登る行程を辿り、下山後地元で一献傾け、最後に一句詠んで終わる構成になっている。しかし、低山といえども侮ってはならない!本書の内容は都市部から日帰り可能な山々で起こった遭難事件の詳細事例を報告、安易な登山への警告書である。
取り上げられる遭難は6件、すべて死後の発見、2週間ほどから2年以上と捜索期間は様々。遭難者は50代から60代ですべて単独行、日帰りかせいぜい一泊の行程。奥多摩・奥秩父・丹沢山系、日光足尾など首都圏近場がほとんどで、高い山でも1000mを少し超える程度、地元の小学生が遠足で出かけるような所だ。推定される遭難状況の詳細はそれぞれの章で語られるが、すべて「道迷い(結果としての滑落・転落を含む)」である。今回本欄で伝えたいことは、遭難捜索活動の内容や読後感ではなく、それに当る組織や人に関することである。
著者は1978年(昭和58年)生れ。高校卒業後看護学校を経て都内の総合病院で救命救急センター・集中治療室担当の経験が長い看護師。二児を持つ母親でもある。向上心の強い人で、それまでの間JPTEC(Japan
Prehospital Trauma Evaluation and Care;外傷を負った患者を病院に搬送するまでの指針を出す役割)インストラクター資格や国際山岳看護師認定資格などを取得している。転機が訪れるのは2011年救急医療従事者講習会講師を務めたとき受講生の中に山岳救助に携わる男性がいたことから、2012年捜索救援を求められ、この世界と関わっていく。その知見を基に、2018年山岳遭難捜索チームLiSS(Life Search and Support)を立ち上げ、本格的に遭難者捜索と家族支援を行っているのだ。勤務形態は不明だが、現在は市立青梅総合医療センターの職員でもある。
山岳遭難事故は、先ず地域管轄の警察署と地元山岳関係団体が当るのだが、活動期間は長くて3週間程度、その後を引き受けるのがLiSSのような組織となる。遭難者家族の要請に基づき開始、終了を告げられるまで続ける(冬季中断などもあり、活動期間は随時決められる。LiSS側から打ち切ることは一切無し)。費用は3万~5万円/日/人+実費(交通費など)、チームは最低でも2名なので1日6万円はかかるわけで、総額は相当な金額になる。ただ山岳保険をかけている場合はそれでカバーできるようだ。遺体(ほとんど遺骨)・遺留品発見の場合は動かさず警察に通報、その後は警察業務となる。LiSSの仕事は現場捜索ばかりでなく家族の相談(特に心理的な)にものる。最近の著者の役割はここに重点が置かれているようである。2024年度の山岳遭難件数は2946件、遭難者数3357名、死者300名、行方不明35名。多くの山岳事故の陰に、メディアでは報じられない、こんな活動があるのだ。
最近の捜索活動は、会員制によるヘリコプター利用(会費よる一種の保険。会員山行に際して発信器貸与)、ドローンの利用、GPSの利用など改善が図られてはいるものの、低山は藪(最大の障害)が多く、発見を遅らせてしまう。道に迷ったら「下るのではなく、とにかく上れ!」「衣服・装備の色は、赤や黄(紅葉)・緑(木々の葉)・茶(土壌)を避け、明るい青を!」(いずれも、ヘリ、ドローンからの発見しやすさ)と助言する。
また、LiSS活動を必要とする意外な面も教えられた。行方不明者の法的扱いである。“失踪”には二種あり、一つは普通失踪、もう一つは危難失踪(事故、天災などによる)。普通失踪が何らの遺留物無しに認められるのは7年後。これに対し危難失踪は1年。相続や会社経営の場合、この差は大きい。
本書は近郊山行きを趣味にしている人には役立つ情報満載、是非読んで欲しい。
3)「予想外」を予想する方法
-古代から不可欠だった各種予測、占星術から高度数理利用の天気予報まで、予想に翻弄されない心構え伝授します-
総選挙のたびに感心させられるのが、大手報道機関による当落予想。開票率0%で当確が出るのは「いくらなんでも!」と思うものの、それが外れるのは1,2件に過ぎず、先ず“予想外”は起きない。しかし、今回の選挙は高市人気に支えたれた与党過半数超えと急づくりの中道連合苦戦は間違いではなかったものの、自民党単独で三分の二を獲得し、中道があれほど惨敗すると予想したメディアは皆無だった。その意味で、今回は“予想外”の結果だった言える。本書は無論、選挙前に購入したものだが、数理に基づく予想の新手法が講じられている内容を期待して求めた。しかし、格別の新手法は皆無、予想外れだったが、読んで得るところは多々あった。一言でまとめれば「それらしい予測や数字を過信するな」との意を込めた、各種予測利用に対する啓発書である。
著者は1985年生れの英国人。オックスフォード大学で数学を修め(博士)、現在はバース大学数理科学科講師。数学啓蒙に主眼を置いた活動をしており、前著「The Maths of Life and Death(邦訳;生と死を分ける数学)」はサンデー・タイムズ紙の科学書オブ・ザ・イアーに選ばれており、本書もその系列にある。
古来人類は国の統治から日常生活まで予測を必要としてきた。そこで利用されたのは、占星術や易経を始めとする各種占い。占星術師・巫女・司祭などがそれを行い、託宣を下した。この段階から、結果を求める人々にはある種のバイアスがかかっており、託宣を下す側はそれを承知の上で、偶然性と曖昧さを持つ予測を告げ、あたかもお告げが当ったように見せかけてきたのだ。本書はこんな書き出しから始まり、予測にはそれを受ける側に種々の心理的バイアスが内在することを教えて、数理予測の世界に入っていく。
予想を狂わす不確かさの種類は二つ;①アレトリック(aletoric;偶発的不確かさ;サイコロ賭博)と②エピステミック(epistemic;認知的不確かさ(情報不足);ポーカー(対手の手札が不明))がそれらだ。この二つの下で予想(推論)することを難しくしている数学的二大現象が①確率と②非線形性。前者では過度に一般化・単純化する傾向、後者では線形バイアス思考の刷り込みによる誤解、を生じてしまうのだ。本書の中で使われる数学は、一部ゲーム理論などを援用するものの、大部分この二つの初級程度で済ませており、論旨理解に妨げられることはない。例えは、非線形性といっても2倍・3倍(倍数)と2乗・3乗(乗数)あるいは10倍・100倍(対数)の違いを見誤ることくらいである(線形バイアス)。
確率についてはその問題点を指摘する本は汗牛充棟、本書の内容も概ね事例を除けば、それらと変わらない。ノイズの中にパターンを見いだしてしまう。仮説に合致するするデータだけを根拠に結論を出す。少々変わっているのは、受け手の問題として、完全に一致していなくても、当たりと認めてしまう「近接性原理」。この事例では数学を離れ、リンカーンとケネディ両大統領の暗殺の類似性が取り上げられる。
確率と密接に関わるサンプリングではランダム性を問題視する。人間の脳で作り出せるランダムには限界があるので、それを見抜くことが予想外を生じないカギとなる。一方で、ランダムサンプリングで得た結果でも予想通りに行かなかった例として、米下院議員選挙や2016年の米大統領選挙(ヒラリーvsトランプ)がメディア予想と大きく違った結果をもたらしたことを紹介。ここでは「権威バイアス(大手メディアへの過度の信頼)」あるいは「アンダードッグ(負け犬)効果」が効き過ぎて敗者予想側の応援票が伸び(負のフィードバック)、予想を裏切る結果になる(今回の総選挙は正のフィードバックか?)。
さて、予想(あるいは初期の言動)の先に何があるか?当否の如何にかかわらず、結果がどうなるかをきちんと考えておかなかったことで生ずるブーメラン効果(自らの行為が招く思わぬ結果)や雪だるま式増加。これこそが予想外がもたらす恐ろしさ。コロナ禍はこの事例に満ち満ちている。
自然災害の予測では、日本が関東大震災の記憶を今にとどめ、その日を記念日とするばかりでなく、地震予知は不可との前提で、対策を積み重ねていることを講じ、これが予想外対策の好例と紹介している。
予想を役立つものにする留意点として、予想可能な領域をわきまえ、遠すぎる未来に関して決定的な予想を試みるべきでなく、常に新たな情報によって、自分の考え方を変える余地を残しておくことを薦める。
面白い事例が多く、内容も平易だが単行本で500頁近いボリューム、読み通すには少々覚悟がいる。
4)大谷のバットはいくら?
-スポーツの進行や結果は道具に左右される。大谷のバット、北口のヤリ、羽生のスケート靴、値段教えます-
本欄執筆中冬季オリンピックたけなわ、日本勢のメダルラッシュはご同慶の至りだ。冬の競技でいつも気になるのが道具のこと。選手自身の力量が勝敗のカギであることは確かだが、夏に比べすべての競技で道具の影響が大きいように思う。自身所有したスポーツ用品のなかでもスキーは飛び抜けて高く、学生時代アルバイトで稼いだカネの大半をつぎ込んだ。ボブスレーなどエンジン、タイヤは無いものの、F1レーシングカーと変わらない見立てだ。本書を購入したのはかなり前だし、その時は今回のオリンピックのことなど頭になく、タイトルに惹かれただけなのだが、読後大会が始まるとTVで視るたび、道具の差はどんなものなのだろうか?金額は ?と問いかけたくなる。
著者は1971年生れのスポーツライター。専門分野はサッカーのようだが、本書の初出はスポーツ月刊誌「Number」の連載記事36編(2020年9月~2023年6月、ただし価格換算は2025年8月ベースで税込み)。競技種目は様々だが、野球6件、サッカー5件、相撲を除く格闘技4件、相撲4件、陸上3件、そしてウィンタースポーツ3件、卓球2件、ラグビー2件、あとはバドミントン、競泳、バスケット、クリケット、モルック(北欧発のボーリングに似た競技)各1、番外に将棋と麻雀がある。道具は、競技者が使うものが中心であるが、サッカーの選手交代の祭に使われるボード、グランドを均すトンボ、ラグビーのキックティ、線を引くラインカーなど、意外なものもある。この内個人名で語られるのは、大谷のバット、北口のヤリ、羽生のスケート靴の3点のみである。
タイトルに“いくら?”とあるので価格中心の内容を思い浮かべたが、なかなか奥が深い。製造では開発・加工・製作技能者、材料では特性や産地、品質では規格や性能・検定方法、市場(世界・日本、競技者用・一般用)までおよび、さらに最近の社会情勢などとの関わりまで踏み込む。この社会情勢の例で驚かされたのは、バトミントンのシャトルコック(羽根)である。16本の羽根から成るのだが、原料はアヒルや鴨を大量に食す中国に専ら依存していた。しかし、中国の食生活の変化で飼育数が著しく減少、良質な羽根の入手が難しくなってきているとあった。
さて、三選手の道具はどんなものなのか。大谷のバットは米国チャンドラー社製、このメーカーは創業2009年の後発ながら、一流選手が好んで使い出している。原材料はメイプル(楓)、硬さが特徴でときどき大谷さえ顔をしかめるシーンがあるのはそのためだという。日本にも輸入されているが主力選手さえ「硬すぎて無理」というほどのものらしい。価格は40、350円。やり投げのヤリは一流選手向け世界市場をスウェーデンのノルディク社とハンガリーのネメト社2社が独占している。ノルディク社の製品は軽く細く、筒の中を通すような感じで投げる競技者に適している。それに対しネメト社のものは、やや太く握り易いが空気抵抗が大きく、一点爆発型競技者に向いている。身長179cm、パワーのある北口はネメト社を使って金メダルを獲得した。価格264、660円。フィギュアスケートはジャンプ着地など過大な衝撃力が生ずるため、ごく最近まで牛皮を何枚も重ねる重い靴が使われてきた。しかし、イタリアのエディア社が、人工皮革を材料とする軽くて柔らかいにもかかわらず衝撃に耐える靴を開発、北京五輪時羽生が使用したスケート靴はこの社の「ピアノ」という製品。価格238,700円。
今冬季オリンピックでは振るわなかったカーリング。どこのリンクでもそこに常備された石を使って競技を行う。その石は、スコットランドの無人島にある花崗岩から作られたものしか認められない。しかも氷と接する部分とその上の部分は同じ島のものだが微妙に材質が異なるものが貼り合わせで使用されている。石の価格は16個がセットになり120万円(1個75000円)。
以上はすべて外国製だが、卓球のボール、砲丸投げの砲丸、体操競技の鉄棒、重量挙げのバーベルなど日本のメーカー製品も多くの一流競技者に高い評価を得ている。特に、砲丸はメダリスト続出、これを提供するニシ・スポーツ社の製造技術(重心を正確に中心に置く)は他社の追従を許さぬほど高い技術。
長年スポーツ観戦を楽しんできたが道具の値段や製法など考えたこともなかっただけに、本書から知ることが多く、観戦の仕方に変化がありそうだ。
5)日本漁業の不都合な真実
-激減しているのは生産量ばかりでない。消費の側も魚離れが進んでいるのだ。ユニークな経歴を持つ水産学者がその実態を明かす-
住まいは横浜市の南東端金沢区に在る。最寄駅の次駅は金沢八景、その八景の一つに“乙舳帰帆”があり、ここはシーパラダイスの近くで、向かい側の小柴漁港に戻る帆掛け漁船をとらえての情景である。横浜港南端からここまでの海岸はすべて埋め立てられ工場や住宅団地が占めているが、小柴漁港は残され、そこには30~40隻の漁船が舫われている。少々遠出の散歩でこの辺りまで出かけると、漁港近くの民家の庭先でドラム缶いっぱいのシャコを煮立てているのを見かけることもある。つまり小柴漁港は立派な現役なのだ。首都圏の一画にこんな所があるほど、漁業は日本人にとり身近な存在だと言える。
本書で著者が焦点を当てるのは、日本独特の魚食文化と食料安保だが、問題点として解説するのは、漁獲量・就業者数のように比較的知られているものから、養殖業の経営、環境問題、世界の食糧事情(特にタンパク源)、周辺国との関係(特に中国)、国境産業としての漁業、国の海域利用政策(例えば、観光・再生エネルギー設備との共存)まで実に幅広い。これには著者のユニークな経歴が深く関わっているので、先ず略歴を紹介する。
著者は1961年生れ、京大法学部に進み高坂正堯教授の下で国際政治を学んで、バブル前夜都市銀行に就職。「カネさえあれば何でも出来る」風潮に疑義を持ち、自然と人間が直接ぶつかり合う現代唯一の原始産業、漁業に惹かれ、東京水産大学(現東京海洋大学)大学院に入学。ここで水産生物と漁業経済を専攻、修士課程を修了し水産庁に入庁、北海道大学で博士号取得、現在は鹿児島大学水産学部教授。専門は水産物流。文/理、民/官/学すべてを経験した珍しい人材、国会における漁業関連法案審議では参考人とし招致されるほどの権威であり、本書の内容もこの経歴が存分に生かされている。
2023年度の水産物世界生産量は過去最大で2億2700万トン。その内日本はわずか383万トンに過ぎない。これは過去最大だった1983年から70%減の数字である。就業者数も20年前の2003年24万人から12万人と半減している。留意すべきは、生産量ばかりでなく輸入量も減少傾向にあることだ。つまり、消費する側にも魚離れが起きていることである。これが、かつて世界最大の漁獲量を誇り、世界一魚を食べてきた国の現状なのだ。
生産量減の因は;漁業者の減少、中国・台湾などとの国際的漁獲競争激化、気候変動・温暖化による漁場や魚種の変化、円安によるエネルギーコストの上昇など、そして何より日本人の水産物消費の縮みにある。そのいくつかの話題を取り上げてみたい。
漁業就業者減少は、少子高齢化の中で典型的な3K(危険、きつい、汚い)職場であることが大きな原因と認め、それへの対応策をいくつか提言しているが、中でも国の政策を問題視する。小漁村の消滅や定住漁民の減少は既に1980年代から始まっており、観光業との併存などが模索され、当時の三浦市長が「海(うみ)業」を提唱、三浦海業公社を設立し、現在も存続しているが経営状態は思わしくない。この「海業」が2018年70年ぶりの漁業法大改正でゾンビのごとく蘇る。根源にあるのは漁業そのものの振興ではなく、観光や他産業との共存である。しかし、釣り人減を含め海のレジャーそのものが衰退傾向、観光はインバウンド頼み、大きな期待は出来ない。政府のもう一つの狙いは再生エネルギー産業(風力発電)誘致。現在の漁業法では地元が握る漁業権が障害となるため、この回避策の性格が強い。投資は専ら土木工事に向かい、漁村・漁民を潤すことはないのだ(国会参考人招致では反対を表明する)。これと関連するのが農業政策における補助金の扱い。欧米では食糧安保の視点から補助金は営農者に直接交付するのだが、我が国では機械化や土木工事主眼で自治体が握り、農家への配分は間接的なものになる。沿岸漁業を「公益的産業」と位置付け、漁民に直接交付することで3Kに挑戦する就業者を確保すべき、と言うのが著者の考え方である。ここでは経済学者宇沢弘文の「社会的共通資本論」が援用される。
中国との国際競争に関しては、日本では禁じられている漁具・漁法を使い、公海は自国のものとの認識で操業していることを問題視。一方で日本の規制は自ら競争力を弱めていると難じる。また、中国を含め台湾・韓国・ロシアなど周辺国は生食の歴史が浅く、鮮度や脂ののりには無頓着、黒潮の先で小ぶりのサンマ「先取り」するのは専ら冷凍・缶詰加工用、魚食文化の違いをクローズアップする。
気候変動・温暖化では、我が国メディアの偏向に目を向ける。漁業には期節(季節ではない)があり、増加期にある魚種を無視し減少期にある魚種を取り上げて大騒ぎすることに不快感を著わす。かつてカナダ沖ニューファンドランド海域でタラが絶滅した歴史を交えながら、種の絶滅原因は気候変動や無秩序な産業開発(埋め立て)の影響がはるかに大きいと論ずる。
乱獲・絶滅問題の解決策と思える養殖にも不都合は多々ある。養殖される魚(ブリ)とその餌となる魚(マイワシ)の総タンパク量はマイナス、直に餌を食べる方がはるかに効率が良い。内海養殖はすでに限界、沖合養殖は波浪対応生け簀や給餌システムに多額の費用を要し、現状では価格競争力を欠く、など具体例で説明される。
著者の見通しは、漁業を「経済性」のみで決めるような社会のままなら、日本は永遠に漁業を失う。魚食文化と食糧安保の観点から、これを「社会的共通資本」と考え、進んで国産水産物を消費し、それを支援する政策(沿岸漁業、定住漁民)をとるべき、と結ぶ。考えさせられる結言だ(真っ当な考えと思う反面、食生活規制のニュアンスがよぎる)。
6)外務官僚たちの大東亜共栄圏
-日露戦争後島嶼国家を大陸国家に転換させた日本。その後の40年、外務官僚は「満蒙権益」維持にどう対処したか。気鋭の歴史学者がその解明に挑む-
「戦争は政治的交渉の継続に他ならない。しかし、政治的継続におけるとは、異なる手段を交えた継続である」。これはクラウゼビッツが「戦争論」最終篇第8篇第6章B「戦争は政治の道具である」に記した有名な一言である(岩波文庫昭和43年版訳)。ここで“異なる手段”は軍事、“政治”は外交を意味する。この章は膨大な著書の最終章で、そこで政治と軍事の関わりを縷々解説、結論としている。つまり外交こそ戦争を語るに欠かせない必須因子なのである。しかしながら、我が国が戦った最後で最大の戦争、大東亜戦争(日中戦争+太平洋戦争)では、軍事面(軍人政治を含む)が本筋に置かれ、外交は日米交渉の最終段階を除き、脇役に任じている感を免れない。あの戦争に至る外交の実態はいか様だったのか、この課題に正面から取り組んだのが本書である。昭和史研究を、軍事を離れ新たな視角から分析、もう一つの“大東亜共栄圏”構想を明らかにした歴史研究、複数の受賞が納得できる内容だ。
著者は1970年生れ。筑波大学大学院で博士課程まで進み博士号取得(文学)。専門は日本近代史・日本政治外交史。外務省外交史料館事務官などを経て現在駒澤大学文学部教授。本書はこの外交史料館勤務時代の活動と深く関わっていることが推察できる。つまり新発見の資料がいくつも援用されるのだ。本書の流れは、日露戦争で得た満洲における権益が拡大、やがてアウタルキー(自給自足)圏として認識され、国益確保と国際協調の狭間で、紆余曲折しながら「大東亜共栄圏」となる過程を、指導的外交官僚たち(外相、次官、局長、公使など)の言説をたどり、「失敗の本質」を析出させてゆく構成になっている。
日露戦争前の我が国外交基調は島嶼国家としてのそれであった。これが大陸国家観に転じるのは講和会議の代表でもあった小村寿太郎外相時代である。会議期間中戦時外債返還で財源に余裕ないことを見透かし、米鉄道王ハリマンが桂内閣に「門戸開放・機会均等」を唱えながら満洲の共同開発を呼びかけ、鉄道開発に限る「桂・ハリマン協定」が結ばれる。しかし、帰国した小村はこれに反対、破棄する。彼の頭には満洲がやがて、国家運営に大きな力となることを読んでのことであった。講和条約で決められたのは満洲における日露による南北勢力圏設定だったが、引き続き東西の支配域を取り決める交渉が行われ、北京の経度を基準にそれが定められ、その東側に内蒙古が含まれることで「満蒙」の概念が生れて、これが「大東亜共栄圏」の一里塚となる。小村寿太郎はこの協定成立後間もなく急逝する。
中国への進出が遅れた米国は、その後も「門戸開放・機会均等」を呼び声に満洲経営参入を目論み、英国もそれに加担する。一方日本も大規模投資をする余裕がない。ここで登場するのが小村欣一、寿太郎の長男で当時政策局第一課長兼亜細亜局参事官、著者が「満洲供出論」と名付けた、米資本受け入れ案を意見書として提言する。1918年米が「支那保全論」の名の下、満蒙鉄道整備に関する四カ国(日・米・英・仏)借款団参加である。欣一の狙いは英国の中国での影響力低下にあるが、外国の介入を嫌う幣原外相・髙橋是清蔵相の反対で挫折する。幣原は巷間国際協調派と見られがちだが、この時代は「満鉄中心主義」に固執する国益擁護強硬派であったのだ。これ以降欣一の名は本書に登場しないが、著者は「満洲供出」案が受け入れられていれば、東アジア情勢はまったく異なる道を進んだ可能性大とする。
エリート官僚たちの満蒙観は力を強めつつある軍とも呼応して、専ら経済・軍事を重視する政策に傾斜していくのだが、著者はここで傍流にも目を向ける。米国の文化外交に対向する組織として1923年に発足する外務省文化事業部がそれだ。教育・医療・文化交流の面から満蒙さらに支那本土に影響力を拡大するのがその本意、掲げる「精神的帝国主義」は「東洋文化優位論」「日本文化優位論」に転じ、やがて「大東亜共栄圏」構想の中に組み込まれていく。
1928年中国国民党による北伐(張作霖の追い出し)が成功すると中国は主権回復を目的とする「革命外交」を積極展開する。駐華公使時代これに好意的だった重光葵次官は満州事変(1931年)以降次第に対支政策を硬化させ、その指示で1934年外務省情報部長天羽英二が「日本は東亜に於ける平和及び秩序を維持すべき使命を負っている」「列強による中国への共同動作は中国の統一及び秩序回復を阻害するので日本はこれに反対する」との声明を発し、ここで「東亜」の概念を明示、欧米の関与を拒否する。著者は、ここを日本の東アジア政策回帰不能点(Point of No Return)と捉える。
1937年7月日中戦争勃発。1938年1月近衛首相は「(蒋介石を)対手とせず」を発するがこの時の外相は松岡洋右、1940年8月の外相談話の中で初めて公式に「大東亜共栄圏」を語り、それまでの「東亜」が「大東亜」に変じていく。この“大”には日・満・支に加えて南方(東南アジア)を含むが、これは何回か外相を務めた有田八郎の考えを加味したものである。
1943年11月占領地区国家を糾合した大東亜会議が開催され、そこで民族の“解放”と市場・資源の“開放”をうたった「大東亜共同宣言」が発せられる。これは重光外相が主導したものだが、既に日本は守勢に転じており、新たな秩序「大東亜共栄圏」構築は“砂上楼閣”として終わる。
日本外交の「失敗の本質」はどこにあったのか?この問いに対する著者の回答は、軍事作戦のように組織論に求めるのは適切でないとし、米国の国際政治学者ハンス・J・モーゲンソーが述べた「愼慮(Prudence);一般には慎重と訳されるがモーゲンソーの意は「あれこれの政治行動の結果を比較考量すること」」に求め、近代日本の外交が、そのような「愼慮」を欠いてきたとことが失敗因を結ぶ。この背景説明に、重光の獄中記「昭和の動乱」から第一次世界大戦後「五大国」となった日本の国家および国民の「慢心」を引用していることは興味深い。今やG2と称せられるまで成り上がった中国の“傲慢で強圧的な外交”があの当時の日本と重なってくるのだ。
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