2026年6月25日木曜日

念願の青函旅行-8

 

8.津軽海峡春景色


高台となっている龍飛岬観光の後はその下にある特異な観光スポットへ。三厩からここまで走ってきた道路は国道339号線。この道の正規ルートは、高台の直前でUターンし、半島の東側から西海岸に出るのだが、この東から西に切り替わる部分は階段でクルマは通行できない(岬に至るクルマ用の道路は別にある。おそらくトンネル工事用)。何故こんなことになったのか?かつての丘から漁港に降りる急な坂道が、村道・県道・国道と昇格する過程で、現地調査もせず役人が地図上でそう決したとの説が、辺鄙なここを訪れてみると納得感がある。階段国道は全国唯一、今や津軽半島を代表する観光名所である(写真2葉)。


この階段入口と隣接し海峡を見下ろす突端に“津軽半島・冬景色”の碑がある(写真3葉)。阿久悠作詞・三木たかし作曲・石川さゆりのヒット曲、哀愁を帯びた演歌の名曲は、確かにこの地の冬にはぴったりだ。この記念碑には仕掛けがあり、碑の前に在る大きな半円形のボタンを押すと石川さゆりの歌が聞こえてくる。二番を刻した碑は中央で一段と大きい。「ごらんあれが龍飛岬北の外れと・・・」では一段と音量が高まる。今日は春の陽光だが、ツアー客が順次その前で歌を流しながら記念撮影をしている。

昼食は記念碑からバスで5分もかからない陸奥湾や北海道松前方面も展望できるホテル龍飛で摂る。このホテルの真下は青函トンネルで、ロビーに新幹線の通過時刻を記した表示板が置いてある。通過時はここで音が聞こえるそうだ。ただ、ホテルは閑散としており、食堂は我々と、もう一組10人くらいの団体だけ、宿泊客は居そうもない。ホテルの開業時期はトンネル工事が本格化した頃のようで、おそらく当時は盛業だったのだろうが、今は何か斜陽感がただよう(太宰治の出身地が近いからか?)(写真)。


昼食は津軽名物「じゃっぱ汁」と海鮮御膳。“じゃっぱ”は“雑把”の津軽訛り、“捨てるもの”の意である。タラの頭・骨・皮・アラと大根・人参・豆腐を煮込んだ汁。わりと淡泊な味付けで、これは美味しくいただいた。しかし、海鮮御膳は重の中を仕切り、魚介類が少量配されたもの、焼き魚を含めすべて冷えており、ご飯もまずく、まったく期待外れだった。団体旅行の弱みは昼食、人数の多さと時間の制約でなかなか「これは!」と感じさせるもの行き当たらない。


本来の予定は、ここから蟹田港に出てそこから陸奥湾口を横断、下北半島の脇野沢港に上陸する予定だったが、強風でフェリーが欠航、陸奥湾沿いを陸路青森市経由でU字状にバスで移動となる。

 

(次回:下北半島へ)

 

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2026年6月18日木曜日

念願の青函旅行-7

 

7.龍飛崎へ


1035分日中だが閑散とした奥津軽今別駅前広場から(写真)、バスはほぼ北への進路をとる。県道と思われる道の沿線は、それなりに町工場や個人住宅が現れるものの、人の気配は少なく、廃屋らしき建物が目立つ。やがて道はT字路に出ると、そこは津軽半島外周を巡る国道399号線、しばらく進むと津軽線三厩駅方面の案内表示が出てきた。さらに進むと防波堤で隔てられた海沿いの道となり、前方にはっきり見える陸地は始め下北半島かと思ったが、北海道の渡島半島松前方面と判明する(写真)。遠方を見ると穏やかな海だが、近くで幾重にも重なる白い波頭を見ていると、総トン数400t、全長50m、大型バス4台または乗用車7台の小型フェリーで陸奥湾を横断するのは無理だと納得できる。


11時龍飛崎灯台下の駐車場に到着、1125分まで自由行動となる。灯台(写真)まではかなりの上り坂、灯台周辺は観光用の広場となっており、岬の先端は更にその先、とても時間内で戻ってくるのは無理な距離、広場周辺の景観を楽しむ(写真2葉)。


先ず目立つのは風力発電、龍飛の由来は「龍も風で飛ぶ」から来ているとの説もあり、その力を利用しているのだ。実際強風で帽子は常時手で押さえておかないと吹き飛ばされてしまう。


新幹線の本州最北端駅は奥津軽今別駅だが在来線が旅客輸送を行ってきたときはここに龍飛海底駅があり、現在別ルートではあるがトンネル工事用ケーブルカーがこの駅(立ち入り不可)と地上の青函トンネル記念館を結んでいる(写真)。個人旅行だった最優先訪問先だが、今回それは叶わない。

 

(次回:津軽海峡春景色)

 

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2026年6月15日月曜日

念願の青函旅行-6

 

6.本州最北端新幹線駅奥津軽今別へ


523日(土)普段家に居るとき同様5時半過ぎ起床、天気は快晴だ。先ず温泉大浴場で一風呂浴びる。ビジネスホテルだけあって朝食は6時からOKだが、出発は8時半だから急ぐ必要はない。昨日夕方は閉まっていた朝市に出かけてみたが、そこへ行く前に港に係留され、今は博物館になっている青函連絡船摩周丸を外から巡ってみる。船尾の貨物列車を引き込む部分は雑草が茂り、あまり保全状態が良好とは思えない。しかし、全容はなかなか立派な船で、往時の雄姿が偲ばれる。運航中に一度乗船してみたかった(写真2葉)。

朝市の一画は、食事エリアと市場が同じ建物内に在るものの、分離されており、開いているのは市場の方、既に観光客が三々五々集まってきている。イクラやタラコなどの比較的小さなものから、大きなタラバガニ(この大きさは予想以上。バラして足23本だけをまとめて販売)や鮭まで。また生ものから乾物まで様々な海産物が並んでいる。我が家は老人二人、毛ガニ一匹で十分だが、それではクール宅急便の送料の重みがバカにならない。だいたい商品の価格が適正かどうかも判定しかねるので、購入はあきらめる。


ホテルへ戻り、7時頃ビュッフェスタイルの朝食を摂る。国内ツアー最大の難点は洋食メニューがお粗末なことである。本物のオレンジジュース、大きめの食パン、サラダ、ベーコン、ジャガイモ料理、目玉焼き、コーヒーが定番だが、どれも満足がいくものではなかった。果物もポンチのみ。これはこのホテルに限ったことではなく、参加した全てのツアーがそうだった。欧米からの旅行客にはむしろ和朝食が受けるのだろうか?


8時半ロビーに集合した際、陸奥湾フェリーが強風で欠航、津軽半島から下北半島まで青森市経由陸路になると告げられる。函館は穏やかな天気なだけに、予想外の感だ。ホテルを出て徒歩でJR函館駅へ。丁度新函館北斗行き函館ライナーが入線してくる。名称が付いているほどだからボックスシートを予想していたが、通勤電車同様のベンチシート、代り映えのしない車輌だった。少々違うのは寒冷地によくある半自動式のドアー。停車中でもボタンを押せばドアーが閉まり、降車時も同様ボタンで開ける。


850分発車した電車は途中駅をいくつか停車せず通過、920分には新函館北斗駅に到着、936分発はやぶさ16号に乗り換える。座席は2号車6Cの三人掛け通廊側だがA,Bには誰も来ず、おそらく新青森以降で乗ってくるのだろう。少し前の席は中国系とおぼしき団体だが、身につけている物(Tシャツ、帽子など)には英語ばかり記されている。955分車内放送が青函トンネルに入ったことをアナウンス。明かりが差したのは1018分、通過に要した時間は往きとほとんど同じ23分と言うことになれる。本州最北端新幹線駅奥津軽今別駅到着は1023分、定刻通りである(写真)。


この駅の平均乗降客は6人/日(全新幹線最少)、こんな少人数をあらかじ予測したのか、プラットホームの巾はきわめて狭く、設置されている椅子は折りたたみ式であった(写真)。こんな駅に23人も降りたので何やら駅員もうれしそうにしていた。


駅周辺には鉄道関係以外何も無く、駅前広場に停まっていたのはこれから我々が乗る観光バス1台のみだった(写真3葉)。

 

(次回:奥津軽今別駅から龍飛岬へ)

 

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2026年6月13日土曜日

念願の青函旅行-5


5.函館観光-2

函館観光の見所は、このレトロ地区見学のほかに、五稜郭と函館山からの夜景が代表的だ。四半世紀前足早に廻った時は五稜郭を観ていない。史跡としてはここが最も意義ある場所だが、今回も観光ルートとしては取り上げていない。ホテル到着は16時、夕食と夜景見学のためホテルを出るのは1745分。添乗員のNSUさんは、この間路面電車で出かける案を提案してくれたが、とてもゆっくり見学する時間はないので、ホテルの大浴場で一風呂浴びることにする。駅隣接のビジネスホテルとはいえ、函館は温泉が出るので、今年初の温泉を堪能した。


1745分ホテルを出発、函館山ロープウェイ下駅に近い「沙羅の月」と言うレストランで海鮮会席を食する。アワビを始めとした海鮮網焼きにイカやいくらなどの刺身、炊き込みご飯といったメニュー、サービスする従業員は全員東南アジア系の若い女性だった。いかにもツアー客御用達と感じる店で、おそらく地元の人は人数の多い宴会くらいしか利用しないのではないか。ツアーの宣伝パンフレットはどこも景観・史跡に加えて食事の豪華さを謳っているが、海外も含めてかなり羊頭狗肉の感を免れない。


ここからいよいよ夜景見物のために函館山にバスで上る。前回学会で来たときは秋、仲間数人と路線バスで山頂に達し、この夜景を観てから夕食というスケジュールだった。問題はこの上りのバス、当時は一般車も山頂駐車場まで行けたので大渋滞、見物後予約した居酒屋到着が大幅に狂ってしまった。ただ、山頂からの夜景見物はさしたる混乱もなく楽しむことができた。


今回、状況はまるで違っていた。先ず山頂まで行けるのは、路線バス・タクシー・観光バスのみ、しっかりゲートコントロールが行われている。おかげで難なく展望台に近い駐車場に達することが出来た。しかし、そこから先が大問題、5月後半19時頃、まだ薄暮だというのに展望の効く場所は十重二十重と人で埋まり、要所でガードマンが交通整理、左右から海の迫る函館の街全体を見下ろす所はほとんど接近不可能。添乗員のNSUさんが連休前半ここを案内した際には、一番の観光スポットはバスの車窓からの眺めでした、と話していた理由がこれで分かった。とにかく人の後ろや人の少ない展望台脇からカメラを突き出し、何枚か写真を撮るのがやっとだった。(写真3葉;時間変化とともに)

 

(次回:本州最北端新幹線駅奥津軽今別)

 

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2026年6月10日水曜日

念願の青函旅行-4

 

4.函館観光-1


新函館北斗駅は現在北海道新幹線の起点・終着駅、函館・札幌方面への在来線乗換駅でもある。多くの乗客はそちらへ向かうが、我々はここから観光バスで函館市街観光、1350分に出発する。函館には四半世紀近く前に学会参加で訪れている。その時は幕末開港場となり外国人居住地区であった所を足早に廻ったのと函館山からの夜景観光、それに早朝朝市を覗いたくらいだ。今回も15時からの市内巡りだから、あのときとそれほど変わらないが、大きな違いは現地ガイドが付いたことだ。函館山下のロープウェイ駐車場から出発、元町と呼ばれるレトロな外人居住区を中心に徒歩観光した。



駐車場から最も近いのが英国国教(聖公会)の聖ヨハネ教会、
1874年の開設、上から見ると建物の形が十字架になっている。その直ぐ下には東本願寺函館別院、この建物は寺院としては我が国最古のコンクリート造りとのこと。



次いで国の重要文化財となっているハリスト正教会(写真)1860年開設、隣接してロシア領事館があり、当時は聖教の本拠地であり、その後神田のニコライ堂へそれが移っている。

フランスは1859年この地に函館カトリック教会を開いており、欧州列強がこの地にそろい踏みだ(写真)。これは外国の施設ではないが洋館造りの旧函館区公会堂もここに在る(写真)。

ガイドの説明で教えられたのは、この一帯にある個人住宅の造りである。何故か一階は和風。二階は洋風になっている。理由は下の市街地からの眺めである。一階は見えないので、洋風住宅が建ち並んでいるような景観になるのだ。ただし室内は和風とのことだった(写真)。


この地区からは函館港が一望でき、港内には丁度クルーズ船が停泊していた(写真)。往時はここに、ロシア、英国、フランスの船が出入りしていたのだろう。


16時過ぎここを離れ、函館駅に隣接する今日の宿泊先「ラ・ジェント・ステイ函館駅前」に向かい、チェックイン。7階の部屋は清潔で機能的だが狭くバスはシャワーのみ。完全にビジネスホテルだ。ただ温泉の大浴場があるので、夜景観光前に一風呂浴びた。

 

(次回:函館観光-2

 

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2026年6月9日火曜日

念願の青函旅行-3

 

33年ぶりの新幹線

出発の日522日は金曜日。東京駅95分集合は丁度出勤ラッシュ時、おまけにあいにくの雨。こんな時最寄駅で増設車があるのは助かる。品川駅で京浜東北線に乗り換え、8時半には東京駅着。昼食は各自準備なので駅弁店に寄り、「金沢海宝百万石」と書かれた海鮮幕の内とお茶のボトルを購入。9時少し前に八重洲口神田寄りのツアー集合場所に着く。既にツアー添乗員のNSUさんが旗をかざして待っており、数人今回参加者が集まっている。名前を告げNSUさんに参加人数を確認すると、23名とのこと。3年前の三陸旅行の時は40名とツアー最大に達していたのとは大違いでホッとする。後で分かることだが、23名の内訳は一人参加2名(私のほか1名)、3名が一組、2名(夫婦が多い)が9組(18名)だった。

NSUさんの先導で東北新幹線のホームへ出て乗車を待つ。私の席は2号車6E。二人掛けの窓側、ついている。乗り込んでみると隣は若い学生風の男性。通路を挟んだ反対側に仲間とおぼしき同行者が居る。この車輌は団体専用だから、どこかの学校の修学旅行かも知れない。


はやぶさ11号は定時936分に発車。大宮に10時到着、あとは仙台、盛岡、新青森に停まるだけで、終着新函館北斗1333分となる。東北新幹線は仙台までは何度も利用しているが、そこから先は3年前の三陸旅行で盛岡まで行ったのが最北端、それから先は初体験だから楽しみだ。盛岡到着1145分、天気は晴。ここを発車して直ぐにとなりの若者に一声かけて弁当にする。この際彼は私が席を立つと誤解したので、弁当を指さし間違い正した。すると彼もおこわ弁当を開いて食べ始めた。


この新幹線で確かめたかったのが新青森駅周辺の景観である。東海道新幹線開通時の新横浜・新大阪は在来線の横浜駅・大阪駅とはまったく別の場所に設けられたため、田畑・荒野の中に忽然と出来た近代的建造物、違和感おびただしかった(その後の発展・変化はめざましいが)。そして新青森も60数年前のそれらを彷彿とさせるもの、周辺は田畑や山林で農家とおぼしき建物がちらほら点在するだけ(写真2
葉)。これから60年を経れば、第2の新横浜・新大阪のように大変身するのだろうか?

新幹線本州最北端駅奥津軽今別駅を意識することもなく通過、車内放送があり、13時少し前列車は全長50kmにおよぶ青函トンネルに突入、蛍光灯の明かりが時たま現れる真っ暗闇の中を20分強疾走し地上に顔を出し、北海道側の最初の駅木古内を通過、1333分定刻通り新函館北斗駅に到着した。北海道側で目についたのは、連続する騒音防止壁のような衝立、線路に沿う街や建物が全くないことから、暴風雪対策と推察する。

列車を降りてホーム移動中分かったのは、隣席の若者は東南アジア(おそらくタイ、フィリピン、インドネシアあたり)の修学旅行団体の一員であったことだ。どおりで笑みを返しながら、日本語を一言も話さなかった訳である。

 

(次回:函館観光-1

 

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2026年6月6日土曜日

念願の青函旅行-2

 

2.旅程概要

この旅に惹きつけられたのは、自分で検討していて実感し、旅行案内パンフレットのトップのキャッチコピー、“個人で行きにくい”ところにある。以下その旅程概要を、後日送られてきた“旅のしおり”を元に紹介する。


 第一日:東京駅95分集合。東京936分発はやぶさ11号で東北新幹線・北海道新幹線で一気に新函館北斗へ(1333分着)。新函館北斗駅より貸切観光バスで函館市内に向かい、元町(開港後ひらけた異国情緒の街)をガイド付きで散策。その後一旦在来線函館駅隣接のホテルにチェックイン。夕食はバスで海鮮料理レストランへ。食後同じバスで函館山山頂に向かい、100万ドルの夜景観賞。ホテルへ戻る。この日の昼食は各自準備し車中食。

 第二日:ホテルから徒歩で函館駅に向かい、850分発の函館ライナー(函館本線)で新函館北斗へ。935分はやぶさ16号乗車、本州最北端駅奥津軽今別1021分着・下車。ここから貸切観光バスで龍飛崎を目指す。龍飛崎周辺(灯台、階段国道、津軽海峡冬景色の碑)観光。ホテル龍飛で昼食(海鮮御膳)。食後蟹田港へ出てフェリーで陸奥湾横断、下北半島側の脇野沢港到着。バスでむつ斗南温泉(むつ市)にチェックイン。夕食は同ホテルで地場産の魚介中心の和食会席。

 第三日:ホテル7時半発、貸切観光バスで先ず仏ヶ浦最寄の佐井港に向かう。ここから遊覧船で仏ヶ浦へ。上陸し約30分仏ヶ浦散策。佐井港へ戻り、バスで大間海峡保養センターと言う観光施設に向かい、ここでマグロ丼の昼食。食後大間崎(本州最北端)に行き、しばし付近を散策。ここから半島中央部にある霊場恐山に向かう。今回のツアー最後の観光スポットだ。恐山の後は一気に東北新幹線新青森駅を目指し、1839分発のはやぶさ42号で東京へ。到着予定時刻は2204分。この日の夕食は各自駅弁等を購入、車中食となる。バスで移動中は適宜道の駅などに寄り、トイレ休憩や土産物購入の機会がある。一つ気がかりなのは東京到着時刻、これだと我が家の最寄駅帰着は23時過ぎになる。現役時代は歩いて帰ったが、今は路線バス利用、こんな深夜すでに走っていない。最近はタクシーも数が少なく、長時間待つことになりそうだ。

果たして、予定通り・期待通りの旅を楽しむことが出来たか否か?以下何回かに分け、報告していく。

(次回:3年ぶりの新幹線)

 

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