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2011年9月27日火曜日

道東疾走1300km-20;クロージング

 予定通り苫小牧港を7月11日18時45分に出港した“さんふらわあ・ふらの”は、ダイヤよりは若干早く翌12日13時30分大洗港に到着。途中の航海は往き同様穏やかなものだった。水戸大洗ICで北関東自動車道に入り、常磐道→首都高中央環状線→湾岸線と走り約3時間で自宅に帰りついた。

 私のドライブ旅行は、景色や名所巡り、グルメも関心事ではあるが最大の楽しみはクルマの“走り”にある。ただ幹線国道や自動車専用道路の、トラック輸送の流れに身を任せるような走行は単なる移動であって“走り”とはいえない。その点で今回の道東ドライブは本州のそれとは比較にならぬ楽しいものだった。先ず自動車専用道路はトンネルや掘割が極めて少ないので展望が開け快適だ。一般道も集落、交通量、信号が少なく、長い区間をマイペースで走れる。ベストは網走から美幌峠を越え、弟子屈から道道53号線で釧路湿原の西側を行くコース。起伏や曲がりも適度に在り人車一体感を心ゆくまで堪能した。次いで良かったのが日高富川から南富良野までの273号線。ここは“樹海ロード”とも呼ばれ、途中町と言えるのは占冠くらい、ほとんど無人の山中を行く。高くはないが峠越え(金山峠)も在るので、アクセル加減・ハンドル捌きに変化が楽しめた。平坦な道では、短い距離ではあったが、網走から小清水原生花園へのオホーツク海沿いの道も“最果て感”がなんとも言えなかった。

 アメリカの州は愛称を持つ。代表的な一例はニューヨーク州の“エンパイア・ステート(帝国州)”だろう。その南隣、ニュージャージは“ガーデン・ステート(庭園州)”と呼ばれる。有名な庭園があるわけではないが、地域全体が庭園のようなのだ。それに倣えば、道東は差し詰めわが国のガーデン・ステートと言っていい。それは数多く存在する個々の庭園だけでなく、適度に起伏がありながら広々とした景観も楽しめる地形があるからだ。ただチョッと不満は、個人経営の庭園は規模が小さく散在していることで、全体と個のバランスを欠き、“ステート”と称するにはもうひと工夫必要と感じる点である。そんな中で割りと良かったのは十勝ヒルズとパノラマロードで、花々とそれに繋がる遠景の緑や山々の組み合わせが見事だった。
 旅の楽しみの大きな要素に“食”がある。最近、日本旅館を避ける傾向にあるのは、食事が種類・量とも多すぎるところにある(食糧難の時代に育ったので残すことに罪悪感を感ずる)。今回それを避けるために網走・釧路は宿・食を別にした。しかし、海の幸を楽しむための店の選択とオーダーを確り考えなかったので、ここでも“多すぎる”過ちを犯してしまった。奥の細道ドライブの酒田のように、地魚中心の鮨+αくらいで済ますべきであった。それに引きかえ、富良野のフレンチと新得のラム料理はいずれも質・量ともに満足できた。黒部・飛騨ドライブでも高山牛のフレンチが一番だったことを考えると、これからは洋風を中心に旅の計画を立てようかとも思っている。
 宿は全てホテル。リゾート(富良野)、ビジネス(網走、釧路)、ペンション(新得)と泊まったが、いずれもそれぞれの選択要件を満足させてくれた。ベストは値段もあるがフラノ寶亭留。この地を再び訪れる機会があったらやはりここを選ぶだろう。中高年齢向けの洗練された小ホテル(家族連れや若者グループが来ない)はこれからのニッチマーケットに間違いない。
 反省は“走り”と観光のバランスである。このシーズンこの地域に行くことは花や緑が目玉になる。私の好み、“走り”を優先したことによりこのバランスが崩れた。特に二日目の富良野から網走への行程は、計画段階から距離と時間に疑義を感じていたのだが、一応算出データに依ることにした。その結果富良野から美瑛の観光スポットを大幅に端折ることになり、最終日半日、再び駆け足で見て廻ることになった。本来なら富良野に少なくとももう一泊して、ゆっくり花と景観を愛でる時間を作るべきであった。
 全走行距離は1655km、満タンベースのガソリン消費量は142l、燃費は11.65km/lであった。これもまずまずの成績である。

 春に大震災で高野山から紀伊半島深奥部へのドライブ計画を中止、結果このドライブ行が実現した。船旅も含め大遠征だったが、“走り”と言う点で今までこんな楽しいドライブは無かった。来月には二番目の孫が誕生予定だから秋のドライブは諦めざるを得ない。今年はこのドライブ一つで終わるが、“走り”に関しては最も充実した一年となるだろう。
(完)

   ー 長期にわたり連載をご愛読いただき有難うございました ー

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2011年9月24日土曜日

道東疾走1300km-19;パッチワークの路

 パノラマロードは花人街道(237号線)の東側の農道をぬっている。次の訪問先、パッチワークの路はそれとは反対に花人の西側を走る。位置関係は後者が北になるので富良野からさらに遠くなる。パノラマロードの見所を訪ねた後、美馬牛駅付近を経由して237号線に戻り、しばらく北上して北西に向かう間道に入り目的地を目指す。前を走るレンタカーはヒュンダイ(韓国)製だ。
 ここも一本の路があるわけではなく、TVコマーシャルでいっとき話題になった“ケンとメリーの木(自動車;スカイライン)やマイルドセブンの丘(タバコ)などいろいろな“名所”に立ち寄りながら廻るのだが、パノラマロード同様地方道・農道をあちこち徘徊しなければならない。あとのスケジュールもあるのでそれほど時間に余裕があるわけではないので、その一帯で一番高いところにあると思われる“北西の丘展望公園”を目指すことにした。そこからならパッチワーク状に色彩が変わる畑地・牧地が一望できるのではないかと期待した。
 国道を離れて10分も走らぬ内に、丘の上に白いピラミッド状のモニュメントのようなものが見えてきた(写真上右)。やがて着いた丘の上には広い駐車場があり、七割くらい埋まっている。人気スポットなのだ。ピラミッドと見たのは展望台で、ここからの視界は360度開けている。全体的な景色は、先ほど訪れた三愛の丘からと同様、丸みを帯びた畑地が幾重にも続き、遥か先の山脈の麓へと繋がっていく。しかし、東は花人街道が走っているので結構建物が多く、それが南北に延びているので、今ひとつインパクトが弱い。一方西の方は意外と山が近く開放感を欠く(写真上左)。一言で言うと、雲が出てきたせいもあるが、パノラマロードを見た後では感動を覚えるような場所ではなかった。
 やはりこれはネーミングの由来通り路を走り、色彩の違いを楽しむところなのだろう。この時期ならば、緑の中に黄色(ひまわり)や白(じゃがいもの花)が整然と区切られ、あたかもパッチワークのような景観を作り出しているはずだ。しかし、展望台からはそれほど明確な色違いは見えなかった(写真右)。場所が適当でなかったのか?はたまたシーズンが悪かったのだろうか?最後の観光スポットとして満たされぬ思いが残る場所だった。
 12時少し前この地を離れ、あとは到着時走った道(237号線南行き)を戻り、占冠の道の駅で昼食を摂り、日高富川から日高自動車道経由で苫小牧港着は4時過ぎ、5時乗船開始だから丁度いい時間である。乗船する“さんふらわー・ふらの”は既に接岸していた。
 この日の走行距離は今回のドライブ行で最も長く325km、5日間の道内総走行距離は1280kmであった。

(次回予定;クロージング;最終回)
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2011年9月20日火曜日

道東疾走1300km-18;パノラマロード

 いよいよ道内最終日(7月11日)。夕刻5時頃には苫小牧港に着いていなければならない。計画段階では、この日は特に観光スポットを決めていなかった。この辺りの山岳ルートを走り、かつての炭鉱の町夕張に寄って、道央自動車道で苫小牧に至る道などを一応想定していた。しかし、今回のドライブでファーム富田を除けば、期待はずれだった花人(はなびと)街道がどうしても気がかりになっていた。8日網走のホテルに着き、忘れ物の件でフラノ寶亭留と電話でやり取りした時、新得と富良野が極めて近いことに気付かされた。「一層のこともう一度富良野へ行くか?」 これに草花を愛でるのが目的でこのドライブ行に同道した家人が賛成しない訳がない。こうしてパノラマロードとパッチワークの丘を足早に(本来ならそれぞれに一日要する)廻る案が決まった。
 当日早朝の新得は晴天だったが、出発する頃(8時半)には大分雲が多くなっていた。ルートは38号線を北に向かえば南富良野で花人街道(237号線)に合流する。少し先には十勝連峰の山々が横たわり、重連の蒸気機関車が雪原を進む雄姿で有名だった狩勝峠が控えている。山に近づくにつれ雲は厚く低くなり霧に変じていった。ヘッドライトを点灯して慎重に進む。残念ながら峠越えは濃霧の中、標識が辛うじて読める程度である。幸い霧は平地に下ると晴れていた。
 7日に給油したモービルのSSに再び寄り、見どころとルートを確認するが「あそこは言葉では説明しにくいなー」と地図をくれそれで説明してくれる。此処からはパノラマロードが先になり、美馬牛(びばうし)の駅が当面の目標だと言う。花人街道から分け入ってたどり着いた駅舎はまるで納屋のように小さい(写真上右)。
 その駅前の地図看板で、SSお薦めの三愛の丘と四季彩の丘を確認。先ず三愛の丘を目指す。道は緩やかな丘陵地帯をぬう農道でいたる所で分岐、ナビ無しではとても走れない。しかし高みに上るに従いだんだん風景が開けていき、展望台からは東西北の三方に、波打つような畑地がどこまでも続く、雄大な景色が一望できる。期待していた“北海道”がそこに在った(写真上左)。
 次に訪れたのは四季彩の丘。此処への移動も複雑に走る農道の中だ。確かに「言葉では説明できない」に納得だ。広い花畑が傾斜地に広がるのが売りの有料庭園。遥かに望む緑の丘と色とりどりの花々のコントラストが美しい(写真下二葉)。海外からの観光客も多いようで、中国語や韓国語が飛び交っている。広い園内を、トラクターが牽引する客車に載り見学するツアーも人気があるようだ。ただ、8日見学したファーム富田に比べると景観は優れているが、何か落ち着かない。商売臭が強すぎるのだ。入り口辺りの密集を如何に避けるかがこういう施設の雰囲気を分ける鍵と感じた(ファーム富田も商業施設はあるが、いくつかに別れ、入場無料のため、出入り口とも重ならない)。
 パノラマロードは他にも見所が多々あるのだが、スケジュールの関係で端折らざるを得なかった。時間があれば、どこかに車を止めて、ゆっくり歩いて廻るのが正解なのだろう。

(次回予定;パッチワークの丘)
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2011年9月17日土曜日

道東疾走1300km-17;ヨークシャーファーム

 最後の道東はどこに泊まるか?最終日のスケジュール、フェリーの出発時間(17時乗船)を勘案しながらいろいろ考えた。帯広、日高地方、襟裳岬などが候補に上がったが、観光スポット、食事、道路事情、時間などどれもぴったりこない。帯広周辺を当たっているとき、ガイドブックでフッと目にしたのがヨークシャーファームである。“子羊料理のレストランでペンション併設”とある。場所は新得だから、帯広に泊まって夕食だけとはいかないが、此処なら翌日の選択肢がいくつも選べる。Webで調べるとホームページ(HP)があり、当地出身者でサラリーマンの経験もある人が、郷里に帰り“英国の農場B&B”風を目指して始めた所と分かった。コッツウォルズで泊まった歴史のある旅籠(羊亭)を思い出した。口コミの評判もいい。とりあえず予約した。ディナーにラム料理を指定したことは言うまでもない。
 予約の仕方がチョッと変わっていた。インターネットで予約すると折り返しOKの返事が来たのだが、支払いはクレジットカードはダメで銀行カードか現金で支払い。予約金を指定期日までに指定銀行・信用金庫へ払い込むようになっている。チョッと不便に思い、HPを操作していると、英語で書いた予約ページが現れ、ここではクレジットカードがOKなのである(英語のスペルに誤りがあるのも手作り感覚でご愛嬌)。確認のために電話してみると「あれは外国からの予約に応えるためのものです。国内の方は振込みでお願いします」とのことだった。
 場所は新得の町(駅)の少し北、国道38号線に面しているが、母屋までは少し距離があるので車の往来が気になることはない(写真右上)。敷地へのドライブウェイは砂利道だ。一階はレンガ調、二階は白壁、屋根の色は灰色の建物が緑の中に佇んでいる(写真左)。裏は広大な羊牧場が遥か先の森まで続いている。外見は確かに英国を髣髴させる。中へ入って「ちょっと違うな」と思ったのは内部の壁や仕切りに、コンクリートブロックがそのまま使われていたことである。英国ならばここは石積みだ。
 一階はロビー、食堂や調理室などコモンスペース。客室は全て二階にある。部屋にはユニットバス、空調、TVも完備して快適でプライヴァシーを保てるようになっている。これなら外国人にも充分通用する。
 夕食は7時から、名物のラムステーキをメインとするフルコースだ(とは言っても、あとはパン、スープ、スモークサーモン付きのサラダ、デザート、コーヒーだが)。このステーキ目当ての、食事だけのお客さんも居るようだ。外国人を交えたグループ、土地の人と思しき家族連れでレストランはほぼ満席になっている。
 ステーキは量と言い味と言い申し分なかった。給仕をしている娘さん(多分オーナーの次女;HPによればこの人が跡を継ぐようだ)に「期待通りだったなー」と言ったところ「アー、良かった!」といかにも嬉しそうな笑顔で応えてくれた。家族経営の良さが伝わる瞬間が、こう言う所へ泊まる楽しみの一つである。
 翌朝部屋が東向きだったので、明るい陽光で早く目が覚めた。朝食前に農機具小屋で長靴に履き替え、露に濡れる牧場を散歩した。羊たちは毛を刈られ丸裸。まるでヤギのようだ(写真右)。牧場の外延を西欧人の女性がジョギングしている。母屋近くの木からおばあさん(多分オーナーのお母さん)がブルベリーのようなものを摘んでいる。聞くと“ハスカップ”とのこと。聞いたことも無い果物?だ(あとで調べると、アイヌ語で“ハシカプ”)。これをジャムにして朝食に供するのだと言う。数々の手作りサービスに感謝。

P.S.7月8日網走へ発つ朝、フラノ寶亭留に下着の着替えを風呂敷包みに入れたまま、部屋に忘れてきた。網走のホテルから電話し、ヨークシャーファームへの転送を頼んだ。チェックインのとき無事回収できた。回送料は950円也。

(次回予定;パノラマ・ロード)
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2011年9月13日火曜日

道東疾走1300km-16;六花の森・紫竹ガーデン・十勝千年の森

六花の森
 北海道を走っていると、空間・時間感覚が北米大陸をドライブした時に近くなる。地図上で見た目標は直ぐ近くに感じるのだが、意外と時間がかかるのだ。特にここ十勝平野ではその感を強くした。十勝ヒルズを出たのは11時過ぎ、平らで似たような道道・農道を、ただカーナビを頼りに走るのだが、なかなか目的の六花の森に着かない。距離が35kmだから30分強と思っていたのが1時間半近くかかった。途中で一時有名になった幸福駅の前を通った。もう鉄道は走っていない。
 六花の森は、北海道を代表する数々の銘菓を製造販売する六花亭の工場に隣接した森林と庭園から成る公園。広々した芝生の丘には巨大なロダンの“考える人”があり(写真上)、庭園内にはいくつかのログハウスの休憩所や展示館があって、花模様の包装紙を描いた画家などの作品が展示されている。園内には小川が流れ、深い森に吸い込まれていく(写真左)。花畑には、はまなし(はまなす)の花が今を盛りと咲いている。この庭園は花を見せると言うよりは、企業のメセナとして運営されているようで、観光臭が抑えられているのが良い(売店を兼ねた受付のおみやげのお菓子の種類もごく限られていた)。レストランがあれば昼食としたかったが、そんな訳で食事は次の紫竹(しちく)ガーデンまで我慢となった。出発時間は1時半になっていた。


紫竹ガーデン
 旅行計画段階から予定していた紫竹ガーデンは、再び碁盤目状の農道の中を走って30分。付近の道路には観光バスが2台駐車し観光客が乗り降りしていた。入口近くに砂利を敷いた小さな駐車スペースが在ったのでそこへ止めたが、少し離れた別のところ大駐車場があるようだ。入場すると直ぐ右に売店とレストランが併設された建物があるのでそこで遅い昼食を摂る。
 この庭園は“ガーデン街道”の始祖とも言えるもので、紫竹さんと言うお金持ちの未亡人が理想の庭園を作るために、牧場(1万8千坪)を買い取り開いたものだ。創設者自身は元々一園芸愛好家に過ぎなかったが、趣味が嵩じて花の栽培や庭園作りに傾倒、NHKの趣味の番組にも登場、テキストなども書いてこの世界の有名人になる。今では株式会社形式で経営され、その社長でもある。広大な庭園は22のゾーンに分けられ、約2500種の花々が季節ごとの美しさを見せてくれるとガイドブックに紹介されている。
 と、ここまでは出発前に得た知識である。確かに広い。いろいろな花が咲いている。一見自然との調和も図られているように見える(写真上)。しかし、グランドデザインが何か人工的な雰囲気で雑な感じがする(アマチュアの限界?)。らせん状の草花をサポートする道具がやけに目立つ。白いテーブルや椅子、あずまや(写真左)、長方形の芝生状の広場など、どうも今ひとつしっくりこないのだ。広いせいもあるが細部のメンテナンスも充分とはいえない。もしかするともう高齢で現場に足繁く出向いて指示していないのではないか?そんな思いがふと頭を過ぎった。やや期待外れと言っていい。


十勝千年の森
 本日の最終訪問地、十勝千年の森はそれまでの三ヶ所(帯広の南西)とは少し離れ日高山脈の麓に在る(帯広の遥か北西)。ここを選んだのは今日の最終目的地、新得に近いからである。紫竹ガーデンからもカーナビにお任せ、始めはそれまで同様の農道(その中には広域農道と言う一級国道並みの道もある)。しばらくすると北へ向かう緩やかな上りの地方道を進む。時々一車線ぎりぎりで草が覆いかぶさるような道まで走らされる。所要時間は約1時間。3時半に広くよく整備され、緑の多い駐車広場に到着した。西日がきつく、明るい。まるでアメリカの公園へ来たような気分だ(写真上右)。
 ここは十勝毎日新聞社という地方コンツェルンが経営しており、駐車場の角にあるお土産物屋を兼ねたビジターセンターの大きさからして、今までの庭園とは規模が違う。公園の広さはガイドブック・案内パンフレットにも載っていないが、多分意味が無いからであろう。トレッキングやセグウェイ(アメリカで発明された、立って乗る電動二輪車)のコースまである。おすすめ順路は約3時間。とてもこんなに時間は使えない。ビジターセンターから料金所まで続く森を抜ける遊歩道を歩く(この間は無料)。料金所で「どちらから?」と聞かれたので「横浜から」と答えると「今日は道外からのお客様が多いです。有難いことです」と謝意を表された。有料エリヤの入り口に近い庭園(これも英国人設計のイングリッシュガーデン)を一巡して(写真上左)、ビジターセンターに戻り、ここで濃厚なミルクで作ったソフトクリームを堪能して本日の観光を終えることにした。
 駐車場から今朝走ってきた国道38号線(十勝国道)まで出て、北へ約40分、今日のゴール、ヨークシャーファームに着いた。夕日の中、どこからか羊の鳴き声が聞こえてきた。
 本日の走行距離228km。

(次回予定;ヨークシャーファーム)
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2011年9月10日土曜日

道東疾走1300km-15;森と庭園の国へ

 計画検討当初から、この日(7月10日)の予定ははっきりしていなかった。前日の釧路湿原で過ごす時間が読めなかったのと、帯広を中心とする十勝平野の見所が、紫竹ガーデン以外絞りきれなかったからである。もし前日湿原で充分時間が取れなければ、翌日午前を費やしてもいいようにしておいた。宿泊先もはじめは帯広駅付近を考えたが、魅力に乏しい。せめて美味しいものでもと思ったが、名物“豚丼”の写真は見るだけで食欲を殺ぐ。そんな中で見つけたのが、帯広と富良野の中間にある新得(しんとく)のラム料理を売りものにする農場ペンションだった。こうしてこの日のゴールだけは予め決まっていた。
 当日は朝から好天、湿原は前日堪能できたので、フルに帯広・十勝観光に使える。朝食前に手持ちのガイドブックで、急遽プランを検討。分かってきたのは紫竹ガーデン以外にもこの地方に多くの庭園や森林公園があることだった。何と、ここから富良野、旭川に至る“北海道ガーデン街道”の七つの名物庭園のうち五つがルート上にあるのだ(他の二つは既に訪れた富良野の“風のガーデン”、これを作った旭川の“上野ファーム”)。これらの庭園・公園を巡ることにこの日を費やすことにした。
 事前調査では釧路から紫竹ガーデンまで約150km、5時間弱かかることになっている。しかし道内を走った実績から、おそらく4時間くらいで達することができると読んだ。一ヶ所で見学に1時間かかるとして5時間。そこから新得までが60km弱、これもNAVITIMEの予想では2時間だが1時間半で行けるだろう。それでもトータル10時間半。8時半に出ても到着は夕方7時になる。予約した夕食時間は7時なので何かあるとチョッときつい。そこで訪問個所を4ヶ所に絞ることにした。落としたのは植木を中心とする真鍋庭園。訪れるのは東から西へ、十勝ヒルズ→六花の森→紫竹ガーデン→十勝千年の森である。
 釧路からの道路は富良野を経て道央の滝川まで通じている国道38号線、先では7日・8日に走った花人街道(237号線)とも重なる道だ。出発は9時になったが、日曜の朝で空いている。ここから帯広までは海岸沿い・平野部を進むので高低差は極めて緩い。根室本線と併走するので時々集落が現れ、速度制限が変わる。生活のための車(主に軽自動車)とも行き交うので、昨日のように唯我独走と言うわけにはいかない。幕別で国道を離れ、地方道を南西にしばらく進むと、広々とした農地につながる緩やかな小丘陵が見えてくる。その頂一帯が十勝ヒルズであった。

 大きな門柱の先に広い駐車場があるが車は一台もいない。高い生垣の先が庭園のようなのでそこまで行ってみると、生垣の裏に小駐車場があり十台位駐車している。“Welcome to 十勝ヒルズ”(写真上)。到着は11時過ぎだった。

 十勝ヒルズは個人が経営する観光庭園。この丘の上から北西方面が開けており、そこにお花畑や庭園が広がる(写真中)。遥か先には帯広の町、更にその先に十勝連峰の山並みが望める。庭園全体は幾区画かの小庭園に整理されており、季節によって約1000種の草花が楽しめるようになっている。しかし、基本は自然と景観とのマッチングを重視するイングリッシュガーデンの系統で、整然と区切られたお花畑然としていないところが好ましい(写真下)。結論を先に言ってしまえば、四つの庭園・公園の中で最も自分の好みに合っていた。

(次回予定;六花の森・紫竹ガーデン・十勝千年の森)
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2011年9月6日火曜日

道東疾走1300km-14;釧路雑感

 日差しの強い湿原展望台から市内までは緩い下り坂、ホテル・パコ釧路に着いたのは4時過ぎだった。このホテルもWebで見つけた。地方都市の場合の条件は“繁華街・駐車場・価格・新しさ(あるいはリノヴェーションしたばかり)”で探す。むろんセキュリティ、部屋の清潔度も口コミでチェックする。幸い“当たり”で、はやっているらしく本館に繋がる新館もある。我々の部屋はその新館7階。フロントからはチョッと遠いが、静かなのが良い。宿泊者は若い人(スポーツマン・ウーマン)が多い。何かこの地方のスポーツ大会が始まっているらしい。
 夕食までには未だたっぷり時間があるので、近くのコンビニへ行き、ビール二缶と冷たいお茶を買う。部屋へ戻りシャワーを浴び、一缶飲んで軽く寝る。目が覚めたら6時前だった。まだ日は高いので、ホテル近辺をブラブラ歩いてみる。ホテルは釧路川沿いにあり、川岸はよく整備された遊歩道が川上・川下に続いている。川下は太平洋に続く港湾になっており軍艦(多分外国籍)が停泊している。こんな最果(と感じる)の地でも、国際色が感じられ、雰囲気が明るい(こう言う町が少なくなってきている)。

 川沿いを橋の下をくぐって港に向かって歩くと、遊歩道に繋がる大きなビルディングがある。デザインがモダンアート調だ。 “釧路フィッシャーマンズ・ウァーフ”だった。サンフランシスコとは比べようも無いが、土地の物産を商う土産物屋もあり、観光客には楽しく過ごせる。好みの海産物を自分で選んで作る“勝手丼”なども昼食時は賑わうようで、これはガイドブックではお薦めである。そしてそのビルの遊歩道に隣接した場所には、夏だけオープンする仮設の炉辺焼きの店が並び、老若男女で混雑している(写真上)。ほとんどは土地の人のようだ。生活も文化も経済も地場に密着している。こうゆう町が沢山出来れば、地方も住みやすくなるだろう。
 フィッシャーマンズ・ウァーフで買ったお土産(十勝ワインなど)がチョッと荷物になるので、一旦ホテルに戻り、夕食を摂りに本格的な炉辺焼き屋へ向かう。釧路は炉辺焼き発祥の地で、有名な店が何件かある(元祖は“炉はた”、50年以上の歴史あり)。向かったのはガイドブックお薦めの“炉ばた煉瓦”である。夕闇が迫る頃店に着くと、待ち行列が出来ている(店内に待合室があって、クーラーも効いているから待つのは苦痛ではない)。どんどん客が来るから後の人は待合室に入れないくらいになる。はやっているのだ。20分ぐらいしたら、お呼びがかかった。炉端はいくつもありそれぞれグループで囲んでいる。若いお兄ちゃんが案内してくれると、おばちゃんが注文をとりに来る。ガイドブックのお薦めは①新ちゃんセット②北海セット、いずれも前菜から焼き物(数種類;今回①のメインはホッケ、②はカレイ)、最後のご飯まで揃っている。面倒がないからそれにした(写真左上)。横着したのが失敗だった。

 先ず、魚は大きいが冷凍干物。あとはとにかく全て量で勝負。値段は手ごろだが、料理は途中で満腹になってしまうくらい多い。やはり店員に相談しながら選ぶべきだったと反省する。帰るころには空席も在ったたし、待合室は空だった。多分二回転しかしていない。今日は土曜日の夜だが、いつもこんなものなのだろうか。
 ホテル周辺の繁華街を、祭り太鼓の一団を載せたトラックがゆっくり流していたが、それほど人は多くなかった(写真右)。地方都市の夜は早い。

 ホテル・パコ釧路には最上階に大浴場がある(最近のビジネスホテルにはこのスタイルが多くなってきている)。そこで風呂を浴びて(風呂場のクリーニングを行う若い女性の従業員がTシャツと短パン姿で男湯に出入りするのには驚かされた)、残りの缶ビールを飲んだ。暑い一日が終わった。明日も天気は良さそうだ。
 本日の走行距離、201km。
(次回予定;森と庭園の国へ)
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2011年8月30日火曜日

道東疾走1300km-13;釧路湿原

 NHK総合TV日曜日朝(7:45)の長寿番組に、日本の自然を紹介するものがある(現在のタイトルは「自然百景」)。現役時代休日の寝起きは遅く、よく床の中でこれを観たものである。場所は圧倒的に北海道が多く、中でも釧路湿原はしばしば登場し、ここに生息する生きものたちが紹介されていた。人里から隔絶した広大な原野ゆえの珍しい種とその生き方が、都会の喧騒の中で暮らす者の心をどれだけ癒してくれたか。いつしか、道東を巡る機会があったら是非訪ねたい場所の筆頭になっていた。出来れば少し歩き回ってみたい。
 道道53号線を走る車は少ないが、それでも時々前を行く車が現れる。ほとんどはこちらが近づくと、余裕のある所で少し脇に避けて道を譲ってくれる。直ぐ前に入るわけにも行かないので、右側の対向車線を一気に追い越す。こんな時の加速と高速安定性は、狭い一般道でも全く不安を感じさせないものがある。さすが本格的スポーツカーと悦に入る。今回のドライブで最も楽しい運転が出来たのがこの道であった。
 道路標識や看板が湿原を告げるが(ビジターセンター、鶴見台など)、指し示す方向、左側は木立が連なりその姿をなかなか見せない。結局“釧路市湿原展望台(写真右)”と言う所まで走ってしまう。到着時刻は1時半だった。北海道がこんなに暑いとは思わぬほどの猛暑で、カンカン照りの駐車場から展望台建屋まで歩くだけで汗が噴き出す。この展望台は売店やトイレは無料で利用できるが、湿原が見渡せる展望場所は2階にありそこは有料である。1階とその周り(海抜84m)は立ち木で視界は塞がれ、走ってきた道路同様湿原は見えない。
 案内所で聞いてみると一周2.5kmの遊歩道コースがあり、所要時間は約1時間、これがお薦めとのこと(左地図参照)。売店で冷たいミネラルウォーターを求め、早速歩き始める。
 今度のドライブ行を、この地に詳しい同じ年のまた従兄弟と話題にした時「あそこへ行くんなら、合羽か傘を持っていくこと」「毛虫が降ってくるんだよ」と忠告してくれたので、ナップザックから折り畳み傘を出しての出発である(結局、数匹はいたがそれほど酷くはなかった)。
 遊歩道は、最初は木立の中を湿原に下りていく。小川が流れる低地に着くとそこには板を渡した歩道や丸太の階段が続く(写真右)。しかし、湿原と言うわりには土地は乾いており、植物も心なしか元気が無い。途中ひだまり広場と言うところで道を間違え、湿原の中に踏み固められた道に迷い込んでしまったが、そこは高い草が茂る草原のようだった(本格的に湿原の中を行く探勝路の一部)。暑さの中往復1.5kmのロスは堪える。
 巡回路へ戻り、しばらくアップ・ダウンを繰り返して丹頂広場(72m)に至る。此処で初めて湿原の広がりが一望できるようになる。さらに進むとサテライト展望台(67m)に着く。いずれの展望台も誰も居ない。高みからの眺望を独り占めである。
 この湿原は元々海だったところ。何本かの川はやがて釧路川に収斂していくのだが、この展望台からそれらは全く見えない。あまりの好天に湿気すら感じない。その点では、“湿原”をうかがう気配を欠いているのが、唯一残念な点であった。しかし、素晴らしい眺めだ。先ずその広さに圧倒される。果てしなく続く平地に、森と草原が織り成す緑の濃淡がいかにも自然の賜物との感を強くし、しばしその景観に引きずり込まれてしまう(写真右上)。雨がそぼ降る情景、一面雪に覆われたシーン、TVで観た場面を頭の中に仮想してみる。
 スタートの展望台に戻ったのは、道を間違えたこともあり3時半。1時間余計にかかったが、来た甲斐があった。
(次回予定;釧路雑感)
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2011年8月25日木曜日

道東疾走1300km-12;摩周湖

 幾重にも曲がる美幌峠からの下りが終わると、屈斜路湖畔から243号線は“パイロット国道”の愛称を持つようになる。これは、この辺りから根室にかけて1950年代農林省(当時)が酪農のパイロット農場を開発したところから来ている。それもあって摩周の町の周辺に近づくと、人をほとんど見かけない広い歩道、交差点付近のガソリンスタンドや農機具デーラーの低層の建物とその前庭(あるいは駐車場)、まるでアメリカの田舎町を通っているような感じがしてくる。
 摩周の町で道道52号線に入り北へハンドルを切る。しばらくは両側に酪農場・牧場が続くが、やがてから松林が遠望され上りが始まる。走っている車は少ないし、曲がりも勾配も緩やかなので周辺の景色を眺める余裕もある。晴天は続きオープンでは日差しが強すぎるくらいだ。車が少し混んできたな、と感じたらもう第一展望台だった。今までどこも駐車は無料だったが、ここは500円(硫黄岳駐車場も利用可)徴収される。展望台・レストハウス・駐車場(町営)をスペースがあまり無い所に設けたのでこうなっているのであろうか?
 霧で有名な摩周湖だが今日は雲も少なく・高く・遠く、鏡のような湖面に逆さに反転した山が写っている(写真左)。青い空・白い雲・青々した木々・コバルトブルーの湖面・小さなカムイシュ島にしばし心を奪われる。皆狭い展望台で写真撮影に余念が無い(写真右上)。残念ながら湖畔には下りられないので、世界有数の透明度を確かめることは出来ない。
 この後の観光スポットも含めて、ここが一番混みあっていた。風景に加え、アイヌ伝説(神の住む湖)の神秘性と唄にも歌われ、知名度で抜群の人気を集めていることがうかがわれる。それにしても、“霧の摩周湖”は星も見えない霧の夜が舞台だが、星どころか何も見えないのではないか?歌謡曲には時々こんな不思議なシーンがあるなー、と無粋な考えが明るい陽光の下で一瞬頭をよぎる。
 有料駐車券が硫黄岳に利用できなければ、ここから摩周の町へ戻るところだったが、折角だから行くことにした。道を北に向けると、上りとは違い下りはヘアーピン・カーブが続く。平地に出て程なく斜里方面と摩周を結ぶ国道391号線(摩周国道)に合流。T字路で右折し僅かに北へ走るともう硫黄岳の入り口だ。ここの駐車場は広い。目の前に黄色い斜面から水蒸気が立ち上がるのが見える(写真右)。山の裏側は美幌峠から見下ろした屈斜路湖だが、こちらからは見えない。硫黄臭の強くなる所まで少し歩いて写真を撮り早々に引き上げた。次は摩周の町で昼食と給油だ。
 主要道路の交わる交差点にあるモービルで給油したが、何とコーポレートカードが使えなかった(OB割引が効かない)!弟子屈ラーメンの店で食べた、知床わさびの効いた冷やしラーメンは、なかなかの味だった。帰り際に褒めたところ「割引券を差し上げましょうか?」と言われてしまう。
 摩周からは釧路湿原の西側に出る道道53号線をとる。この道は湿原の東側を通る国道391号線に併走するが、そちらがメインなので極端に車が少ない。なだらかな丘陵地帯に広がる牧草地にはヘイ(巻いた干草)がそこここに見られ、パイロット国道以上に風景はアメリカンである。途中にある鶴居村の中心部など、もし星条旗でも翻っていたら、アメリカ農業地帯の小さな町そのものという感じだった。
 午後の日差しは強さを増し、オープンは老女には辛いようだ。不本意ながら、屋根も窓も閉め、クーラーをつけて快適ロードを飛ばす。
(次回予定;釧路湿原)
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2011年8月23日火曜日

道東疾走1300km-11;美幌峠

 北海道三日目(7月9日)は網走から釧路まで行く。ルートはいろいろあるが、訪れたいところとして摩周湖と釧路湿原は必須とした。当初の予定は出来るだけ東へ行きたかった。知床、標津(しべつ)辺りを通り釧路へ南下するルートである。特に世界自然遺産となった知床は自動車で入れる限界、知床横断道路がガイドブックで“(北海道)絶景ロードベスト5”の一つにもなっていることから随分惹かれた。しかし、このルートでは摩周湖はともかく(ここは展望台から一見するだけでもいいが)、釧路湿原をゆっくり楽しむ(湿原におりて散策する)余裕が無い。次に考えたのが、前回触れた、せめて知床探訪の基地となる斜里まで行って、東の果ての匂いだけでも嗅いでくる案である。
 そんな時、勉強会や飲み会で親しく付き合っている友人から「そちらの方へ車で行くなら、美幌峠から屈斜路湖へのルートが必見」とのアドヴァイスをもらった。同じガイドブックを見ると“絶景の峠ベスト5”に載っている。下りは屈斜路湖を見てのワインディング・ロードとある。これで決まりとなった。
 ホテルの部屋は7階で北向き。少し先に網走川が見え、その対岸は東の海から西に向かってなだらかな丘陵になっていく。昨晩もバタンキューで早く床についたこともあり目覚めは早い。早朝の空はまだ昨日からの雲に覆われているものの、明らかに薄く、遥か丘の先には切れ目も見える。天気予報は午後からこの地方も晴れ間があると報じている。どうやらドライブ日和を期待できそうだ。
 8時20分にホテルを出発。今日は土曜日なので、市中の幹線道路を走るがほとんど車を見かけない。昨日来た道を戻り、監獄方面へ39号線(北見街道)を南下、監獄前を通過し、右に網走湖を見ながら美幌へ向かう。この頃には青い空が雲の割合より多くなる。窓を下ろして走ると冷たい空気が心地よい。
 やがて道は美幌市内の手前で街をバイパスする方向に進んで、更に峠方面に向かう国道243号線(美幌国道)に入る。遥か前方には晴れた空の下に山かげが見える。信号も人家も車もほとんど無い。折角のオープンを開けない理由は無い。こちら側からのアプローチは山裾が長く曲がりが少ない。ハンドル捌きを楽しむには今ひとつだが、西に開けた広野にチラッと目をやりながら思い切り飛ばせるのが良い。9時20分には道の駅“ぐるっとパノラマ美幌峠”に着いていた(写真右上)。
 駐車場は峠の西側にある。駅の建物は東側の少し高い所にあるのでそこまで上らなければならない。辿りつた駅前から見えた東側の展望に息を呑む。下には横に広がる屈斜路湖とその中島、遥か先には頂が雲に霞む斜里岳、標津岳などの山塊を望む(写真左上)。これから下る道が樹林の中に見え隠れする(写真右下)。
 駅が在る所が周辺の最高位ではない。そこからさらに南の方へ上る歩道があり、10分ほどいくと、当に“ぐるっと(360度)”見渡せる展望台に至る。途中には美空ひばりがこの峠を歌ったことを記念する碑があり、中国人の若い女の子たちがキャッキャ言いながら記念写真を撮っていた。
 下りは期待のワインディング・ロード、樹林の中の道を、緩急をつけながら快適に走る。光の陰影が素晴らしい。若い男の運転するホンダのワゴン車がしばらくついてきていたが、途中で追従をあきらめた。
 このルートの走りと景観は天候に恵まれたこともあり、生涯忘れられないものになるだろう。推奨者に感謝。

(次回予定;摩周湖)
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2011年8月21日日曜日

道東疾走1300km-10;小清水原生花園

 網走監獄博物館の見学時間はおよそ1時間。これから直ぐにホテルに行っても夕食までにはまだ3時間近くある。網走の町に見るべきものがあるとも思えない。計画検討段階で、もう一つ気になっていたのが小清水の原生花園である。これは市街ではなく、そこから東へ知床に向かう途上にある。ルート検討当初は、三日目網走を発ち釧路へ向かう途上、小清水を経由し斜里まで行って、そこから南下して摩周湖へ向かうことも考えた。ただ、この案では道東ドライブの推奨コース、美幌峠から屈斜路湖への道は採れなくなる。代わりに小清水まで行ってUターンし美幌へ向かう案をオプションとして残しておいた。しかし、Uターンも面白くない。いっそのことこの3時間をそれに使おう。
 空は依然と曇り空、午後の遅い時間、花を愛でるにはあまり適当な雰囲気ではないが、“最果て感”を味わうには申し分ない。“監獄”から39号線を238号線との合流点まで戻り網走市内に入る。238号線が終わると244号線がオホーツク海に沿って斜里経由、根室方面に向かってスタートする。小清水までは20km足らず、ひとっ走りの距離だ。市街を出ると道は釧網本線と併走する。本線といっても、走っているのは一両だけのディーゼルカーだ。線路も国道も海際を走るが線路の路床が高い位置にあるので海は見えない。人家もほとんど無い、平らで真っ直ぐな道の先に知床の山々が見え隠れする。行き交う車も少なく、寂しい風景だ。雪の舞う真冬にここを走るのはどんな感じだろう?そんな気分で走っていると、やがて右側には濤沸湖(とうふつこ)が現れる。その先には、駐車場、道の駅そして遊園地の建物と見紛うような可愛い鉄道駅(写真右上)が左側にひとつながりになっている。
 着いた時間は5時少し前、広い駐車場には数台の車しかなく、道の駅の売店も店じまいを始めていた。原生花園駅の横の踏切を渡ると、もうそこは砂丘地帯に広がる天然の花園である。木枠で囲われた砂地の散策路を行くと、ハマナス、エゾスカシユリ、エゾキスゲなど黄色、ピンク、紫といった花々が灰色の背景の中に群生している(写真左上)。浜に出てみると大きな流木が散見され、その先に黒い知床半島が遥か先まで続いている(写真右)。砂丘の一番高い場所には展望広場があり、海と反対側には濤沸湖、更にその先には頂に雲がかかった斜里岳(1547m)が、黒い姿で荒涼感を際立たせていた。色とりどりの花とのマッチングは今ひとつだが、黒い愛車には似合う風景である(写真左下)。
 今夜の宿泊先、網走セントラルホテルへ着いたのは6時。ここは当地の老舗シティホテルだが、部屋の作り・値段はビジネスホテルと変わりない。夕食はフロントでもらった観光地図にあった、「花のれん」という鮨割烹に出かけてみた。セットメニューの簡単な方(それでも年寄りには少々多すぎた)を選んだが、懐石並みでメインは若蟹(毛蟹)が二人で一匹付いた。本当のシーズンは秋なのだが、今も禁漁ではないので提供できるのだと言う。秋との違いはかに味噌が少ないことだけで、味に変わりは無い。思わぬご馳走にありついた。しかし、焼き物として出てきたのがうなぎの蒲焼であったのは意表をつかれた。確かに土用ではあるが、ここで蒲焼を食するとは思わなかった。満腹の腹を抱えて商店街をホテルへ戻ったが、花金にもかかわらず通りは暗くほとんど人に出会わなかった。
 灰色の中に花模様の一日が終わった。本日の走行距離317km。

(次回予定;美幌峠)
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2011年8月17日水曜日

道東疾走1300km-9;網走監獄

 道内二泊目の宿泊地に網走を選んだポイントは、オホーツクと距離だった。何度か触れたように、計画上時間的にこの日の行程が一番きつく、観光は富良野周辺だけであとはひたすら走り、暗くなる前にホテルにチェックインし、夕食を海の幸で仕上げられれば良しと思っていた。観光スポットは冬のシーズン流氷が有名だが、夏はこれといった所は無い。気になっていたのは“博物館網走監獄”だが閉館時間が5時なのであきらめていた。
 しかし、花人街道は期待外れだったものの、それ以降の道路事情は本州では考えられぬくらい走り易く、予定経路とは異なるルートを走ることになったにもかかわらず、サロマ湖畔を2時過ぎには発てるほど順調だった。Webのソフト、NAVITIMEが予想した9時間はいったい何だったんだろう?直感的に「こんなにかかるはずは無い」と思っていたが、その直感が正しかったのだ。嬉しい誤算である。サロマ湖畔の小さな駐車場で次の目的地を“監獄”にセットした。
 238号線が西から網走市内に入る手前で北見方面から来る39号線と交わる。その39号線を北見に向かい南下、しばらく行くと“監獄”への分岐路が現れる。広い駐車場に着いたのはほぼ3時、見学の時間は充分だ。
 網走監獄は明治23年(1890年)開設。爾後主として国事(政治)犯を収容し、服役者は北海道開拓(特に道路開削)の先兵を演じてきた。映画「網走番外地」では殺人などの凶悪犯を隔離する場所のイメージが強いが、実態とは異なるようだ。つまりインテリが多かったのだ(肉体労働の経験者は少なく、身体があまり頑強でない)。
 この博物館が在る場所は本来の所在地ではなく、オリジナルの(現在の網走刑務所;所在地は238号線と39号線交差点近く)建替え時(1984年)ここへ移設・復元されたものである。したがって建物の主要なものはそのままだが、プロットは丘陵地の斜面にかなりコンパクトに詰められているので、移動距離が短く見学には便利だが、全体としては“監獄”の凄みを感じさせない。
 しかし、網走川にかかり娑婆と監獄を分けていた橋(鏡橋)、正門(赤レンガ門;写真左上)、明治29年に作られた木造の五翼放射状平屋舎房(中心点から5棟の房が放射状に配置される;一般服役者;雑居房、独房;写真右上)、規則違反者を閉じ込めるレンガ造りの独居房(窓が無く扉を閉めと完全な暗黒になる;写真左下)、庁舎などは往時の姿をそのまま保存してある。また長期の使役に出る場合の仮設宿泊所や風呂場などが再現構築され、オレンジ色の囚人服を着た等身大のリアルな人形が置かれ、臨場感を醸し出している。
 元の監獄の所在地は網走市内の西の外れ、網走湖に近い荒野の中。冬のブリザードが吹き荒れる季節、木造獄舎の寒さは半端ではない。暖房は一棟にストーブ一つ、通路に横長の煙突が走るだけ、徳田球一(元日本共産党書記長)の手記はその耐え難い厳しさを連綿と綴っている。
 五翼放射状平屋舎房の中心には看守が詰めるようになっているが、今はガイドのオジサンがいる。ここを脱走して東京まで逃げた囚人の話をしてくれたが、その囚人は常習犯で、以前服役した府中刑務所の旧知の看守の下を訪れ、如何に網走監獄が酷いところかを訴えたのだと言う。本人はその訴えをして自首、監獄の処遇改善が図られたとのことであった。やはり網走は他の刑務所とは違うのだ。
 開設前の網走の人口は631人、そこへ1200人の囚人と173人の看守が移ってきたのだから、この街が“番外地”として有名になり、今日に至るのは当然と言える。
 予定外で、この地で見るべきものを見ることができた。

(次回予定;小清水原生花園)
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2011年8月14日日曜日

道東疾走1300km-8;オホーツク海を目指して

 この日(7月8日)の行程は計画段階から今ひとつ納得できないところがあった。富良野から網走まで約260km、いずれのルート(自動車道、一般道、旭川市内バイパスなど)を選んでも、おおよそ9時間かかると算出してくる。前日ホテルにチェックインの際、受付係に「明日はどちらまで?」と問われた時、「網走まで」と答えたところ、「それは遠くまでですね」と応対してきた。「やはりそうか」と先への不安が募っていた。
 こんなこともあり当日は8時前にホテルを出発、見物する場所もファーム富田だけとし、あとは“花人街道”に期待し、車窓から楽しむことで済まそうと考えていた。そこでファームからの第一目標はその街道の北の中心、美瑛にセットした。しかし起伏する道の両側に田園風景が垣間見える程度で愛称の“花人”とは程遠い。一ヶ所“かんのファーム”が現れたとき、家人が「こんな風景が続くと思ったのに」とつぶやいた所が、唯一それらしき場所だった。
 美瑛駅の周辺には観光客が集まっていたものの、237号線から入った道も広い道路と低層の建物で成る市街地。特に見所はなかった。先への心配から、ここで不本意ながら次の目的地、網走をカーナビにセットした。
 美瑛駅の北で再び237号線に戻る。もう平坦な道で“花人街道”ではない。旭川の手前で県道に入り空港の北側を北東に進む。いく筋かの地方道や農道を経由し、愛別ICで旭川紋別自動車道に入る。この頃には幸い雨は上がっている。道は苫小牧から日高富川までと同様、対向2車線で無料。ほとんど前後に走る車はいない。カーナビの設定ルートでは大雪山を右に見ながら上川層雲峡ICまで走り、そこから一般道の39線へ出て北見経由で網走に至ることになっていた。
 専用道を快調に飛ばしていると、カーナビが「新しいルートが見つかりました」と言ってくる。そこで“新ルート”にセットする。道路は空いておりどんどん進む。11時を過ぎてもなかなか休憩所も現れない。やっと着いたのが白滝PA。11時15分だった。昼食にはやや早いのでトイレ休憩だけとする。そこで道路案内を見てびっくり!途中層雲峡ICで降りる指示が出ず終点の紋別に向かっていることが分かった。“新ルート”はこのことだったのだ。仕方なく目的地を変更。網走を宿泊地として選んだのは、第一にオホーツク海を見たかったからだ。それでサロマ湖畔の道の駅を目指すことにした。ここまで行けば海を見ながら長時間走れる。
 白滝ICで専用道と離れ、国道333号線を走るがここも空いている。やがて242号線に入り1時半目的地の到着。道の駅“サロマ湖”で昼食のホタテうどんを食し、この周辺の観光スポットを問うが、「展望台しか湖を見渡せるところはない」と言う。駐車場から徒歩でかなり時間がかかりそうだ。「湖の近くで駐車場のあるところは?」と聞いてそこまで走り湖畔に下りてみたが、大きくのっぺりした湖面が広がるだけで、目を楽しませてくれるものは何も無い。稚内からオホーツク海沿いに網走に至る238号線を曇天の中ひた走る。真冬でもない限りこの地方を特徴付けるものは結局何も無かった。ただ時間は計画時疑問を感じたように、9時間もかかるようなことは無く、網走に3時頃には着けそうだ。それならばあそこに行こう!

(次回予定;網走監獄)
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2011年8月10日水曜日

道東疾走1300km-7;ファーム富田

 スキー・リゾートとしてある程度知られてはいたものの、富良野一帯を有名にしたのは、何と言っても、丘陵地帯に広がるラベンダーを中心とした花畑であろう。今ではこれが最大の観光客誘引の目玉になっている。その嚆矢となったのが“ファーム富田”である。
 この地方のラベンダー畑はもともと観賞用ではなく、専ら化粧品の香料として栽培されていたのだ。食べていくための手段である。しかし、化学工業の発達で人工香料が普及し始め、それに太刀打ちできなくなった畑は次々と他の作物に転換されていった。富田農園も同じ運命にあり、ラベンダーの畑は年々縮小されていった。しかし、最後の一角は愛おしく、何とか残していたところ、1976年ある写真家の目にとまり、旧国鉄の美しいカレンダー写真に仕上がったのだ。これが切っ掛けになり、富良野=ラベンダー畑のイメージが、全国的に知られるようになる。やがて花に限らず、野菜や穀物の畑が穏やかな起伏を成す景観と相まって、日本離れした風景を作り出し、コマーシャルに登場してその知名度を更に高めていったのだ。スカイライン(自動車)の“ケンとメリーの木”、“マイルドセブン(タバコ)の丘”などが代表的なものである。
 その意味で、この“ファーム富田”の踏ん張りが、今日の富良野地方振興に及ぼした力は計り知れないものがある。最後まで踏み留まった畑は“トラディショナル”と名付けられ、その盛衰を今に伝えている(写真上右)。
 ホテルからファームに向かうには、この地と札幌を結ぶ38号線に出て富良野の街の北端で花人街道(237号線)に交わり、旭川方面へ北上する。8時少し前ホテルを出発、小雨の38号線を富良野に戻る方向をとっていると、札幌ナンバーの観光バスが前を行く。大きなバスに前を塞がれるのは鬱陶しい。しかし、バスは237号線には向かわず、少し手前を左折する。やれやれと思い、こちらは237号線との交差点で左折し、街道をファームのある中富良野方面へと進んでいく。しばらく行くと左側200m位を併走する先ほどのバスが見える。こちらは“花人街道”とは言え、左右には自動車販売店やスーパーなどが現れ、広い歩道もあるので“田園の中を行く”感からは程遠い。やがて道路標識に“ファーム”が示され、西へ左折して街道を離れしばらく行くとあのバスが通っていたと思われる道に合流する。プロはどこを走るべきかよく承知している。これはこの日味わうことになる失望感の先触れでもあった。ファームの駐車場には先ほどのバスが既に到着、観光客がツアー会社の傘をさしながらお花畑に向かっている。
 4月下旬から9月にかけては8時オープンの広い花畑はもうかなり人が入っている(入園も駐車場も無料!)。年間で100万人が訪れるというのだが、経営はどうなっているのだろう?
 花畑は、大型バスすれ違いがぎりぎりの道路を挟んで西から東へ下る斜面に展開する(写真左)。西側は小規模で、トラディショナルはこちら側。ここはラベンダーだけだから東側に比べると地味な感じがする。しかし写真家はこれを見事な風景に切り取っているのだ。
 メインは東側、畑を二分するポプラ並木の左右に展開する。北側はラベンダー、南側は赤・白・黄・青と素晴らしい色模様だ。傾斜地ゆえの効果も大きい。季節により、時間により、そして天候によって色合いが変わっていくのだろう。遥かに望む十勝の山々、その山々と花畑との間に展開する広々とした平野、との組み合わせは幾千万に及ぶ。小雨に煙る風情も決して悪くはなかった(写真右、下)。
 道路を通過しながらこんな景色を楽しむ。これが出発前の計画だった。駐車場の管理人にそんな道の有無を尋ねたが、この付近にそんな道はないという答え。“花人街道”へ戻れば何か在るだろうとファームを離れた。
 実はラベンダー畑の規模と言う点では、ここが237号線の東に経営する“ラベンダー・イースト”の方が遥かに大きい(日本最大級;トラクターが牽引する観覧車で見学)。しかし、今日の行程はまだ先が長く、そこへ立ち寄ることは断念せざるを得なかった。
 富良野から美瑛(びえい)に跨る景観や花畑を充分楽しむためには、この地方に最低二泊することが必須であると痛感させられた。

(次回予定;オホーツク海を目指して)

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2011年8月7日日曜日

道東疾走1300km-6;フラノ寶亭留

 富良野でどこへ泊まるか?市中のビジネスホテルは避けたい。リゾートホテルだが団体の来ないところにしたい。出来ればお花畑を見渡せるような。当日・翌日のスケジュールから、メインの花人街道からあまり離れたところでないほうがいい。食事付にしたい。それも評価の高いものを。などなどの条件で探し当てたのが“フラノ寶亭留(ホテル)”である。客室わずかに25室、前庭はラベンダー畑、ディナーはフランス料理とある。Webでの口コミ評判も良い。それだけに人気があるようで、7月で空いているのは7日に一室だけであった。全てのスケジュールはこの日を基点に決められることになる。
 このフラノ寶亭留は、第一寶亭留チェーンと言う道央中心に展開されている地元資本のホテルグループに属するのだが、もともとは札幌郊外定山渓の旅館から発しており、チェーンと言っても定山渓・富良野のほか支笏湖とニセコの四ヶ所だけで、いずれもこじんまりした経営に徹しているようである。事前の情報収集で一度電話したときの感じは、ちょっと垢抜けないが丁寧なものだった(特にルートとよそ者のスーピド違反に対する注意)。高級ホテルにありがちな、慇懃無礼な冷たさが全くなかった。
 所在地は富良野の中心から北東に車で10分くらい。東に向けて傾斜する丘の中腹にある。付近にほとんど建物はなく、宿泊部分は3層、共通部分(レストラン、休憩ロビーなど)は2層、色調は鈍い褐色タイル張りの佇まいが、周りの風景に良くマッチしている(写真右)。西(丘側)を向いた玄関前が広く開けた車寄せ・駐車エリアだが白線などは描かれず、女性の受付係が玄関脇のスペースに誘導してくれる。レセプション・ロビーは玄関と同じ三階に位置し、東面はガラス張りなので十勝連峰が頂を雲に隠しながら遠望できる。それを見渡す位置に置かれた細長い自然木一枚板のテーブルで記帳していると、受付係が「今日は今年一番の暑さです。このシーズン、滅多こんなことはありません」と言う。北海道に到着来「意外と暑いなー」と感じていたが、やはり異常なのだ。
 部屋は全室東向き、広さも充分。なかなか凝った作りで特に浴室・浴槽がユニークだ(浴槽は卵を縦に半分にした形状)。傾斜する広い前庭には一面のラベンダー畑が広がる。上から見下ろすと花の開花状態がちょっと抑えられた感じだが七分咲きというところか(写真左)。大浴場もあるが部屋で一汗流してレストランへ。
 レストランは建屋南側半分の上階部分、宿泊客は全室ツインでフルに居たとしても50人、遅めの食事も可能だから、6人のグループが目立つくらいで落ち着いている。すだれの様な間仕切りで区切られた一角に席が設けられていた。ウェイターは皆若いが、よく訓練されている。メニュー(写真下)は予約段階で決まっていたフレンチだが、詳細は直前に知らされた。完璧なフルコースである。食材は基本的に全て地元産。メインをステーキにしたので赤ワイン(グラス)で始める。料理の質・量(多すぎないことが必要条件)、供されるタイミングも良い。「ステーキはレアーがお勧めです」と言う。初めて試してみたが、その通りだった。
 食事を終え部屋で一休み。酔いが覚めたところで大浴場へ。露天もありここでは上手く和風が生かされている。部屋へ戻ってビールを飲もうと思っていると、タイミングよく夜食(と言っても小さな寿司(鮭)二貫)をもってきてくれる。
 空調を止めて10時過ぎ就寝。さすがにその後はバタン・キューだった。
 翌朝はどんよりした天気。十勝の山々の上を足早に黒い雲が通り過ぎていく。朝食前にラベンダー畑を散策していると、ポツリポツリと落ちてきた。朝食を摂るころになると、雨は激しさを増していく。快適な一夜を過ごしたが、出発はチョッと残念な気分になってしまった。長丁場の行程が気がかりだ。

P.S.:滅多に無いことだが、このホテルに着替えの下着類を風呂敷包みにまとめたものを、抽斗の中に忘れてきてしまった。気がついたのは網走のホテルへチェックイン後である。直ぐに電話をすると、既に回収されていると言う。こちらは自宅へ回送を頼んだが、「道内と本州では料金が大幅に違います。これからの宿泊先を教えていただければ、そこへお届けしますと」と言ってくれた。結局最後の宿泊地、新得でこれを回収することが出来た。こじんまりしたホテルの良さと言えよう。

(次回予定;ファーム富田)

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2011年8月3日水曜日

道東疾走1300km-5;富良野へ

 北海道へ出かけると決めたとき、訪問地として先ず浮かんだのは富良野である。TVでは全く視ていないのだが、“北の国から”の舞台としての評判は知らぬ間に、そんな私にも確り刷り込まれていた。オーバーラップするのは、広々とした丘陵に広がる美しいお花畑の光景である。庭いじりが趣味の家人が、あまり好きではないドライブ行に腰を上げたのもこのイメージに尽きるようだ。
 計画立案段階で苫小牧港からのルートと時間を調べると、苫小牧東ICで道央自動車道に入り北上して、札幌JCTを経て旭川の少し手前滝川ICで高速を離れ芦別街道を南下するルートを選ぶ。距離は約200km、所要時間は4時間である。しかし、ホテルの案内を見ると“苫小牧港から3時間”とある。この時刻1時間の違いは大きい。有料ガーデンの閉園時間がぎりぎりなのだ。ホテルにルート確認すると、ルート探索ソフト、NAVITIMEとは異なり、苫小牧から海沿いを走る日高自動車道を行き、終点の日高富川で国道237号線を北上するのだと言う。地元の人のアドバイスに従うことにした。
 港から沼の端ICへは市街地をほとんど通過しないので走りやすい。直ぐに自動車専用道路に入る。遥か海側に工場が遠望できるが、あとは木々の緑いっぱいに平原が広がる。「北海道だなー」と、出だしから感激する。沼の端から富川までは、ありがたいことに無料である。道は対向二車線なので遅い車が居るとしばし追従運転を強いられるが、所々に“ゆずりあい”レーンがあり、そこで一気に追い越せる。道は空いているのでスピード違反だけが心配だ。約1時間で日高富川IC前のローソンに着いた。
 富川から富良野への道は国道237号線を走る。旭川まで南北に走る幹線道路だ。幸い交通量はそれほど多くない。富川から沙流(さる)川に沿って20kmほど行くとほとんど人家は無くなり、緩やかな曲がりとアップダウンが続いて日高山脈に近づいていく。途上日高峠があるが本州のようなきつい峠道ではない。たまに前を行く車に追いついても、追い越しは簡単だ。こんな人里離れた地には速度自動取締器もない。運転の醍醐味を充分堪能しながら快走する。途中占冠(しむかっぷ;写真上)と言うところがやや町(実際は村)らしい佇まいで、珍しく歩道や信号(一ヶ所)がある。ここを過ぎ金山峠を超えると、夕張山地と日高山脈に挟まれた、南富良野から旭川に至る平地が広がる。237号線はここから“花人街道”と呼ばれるのだが、それらしい風景にはならず、畑ばかりである。チョッと期待はずれだ。
 この日ホテルへのチェックイン前に訪ねたいのはTVドラマで有名になった“風のガーデン”である(写真左)。富川のローソンでそこの電話番号をカーナビに入力し案内にしたがって、237号を外れ、農道を走っていく。何か直感とは合わない。着いたのは富良野ゴルフコース。どうやらここも“ガーデン”を管理する新富良野プリンスホテルの系列にあることから生じた誤りのようだ。閉園時間は6時、再度設定をし直しやっとたどり着いたときは6時少し前だったが何とか入園できた。
 この庭は倉本聡のTVドラマ(緒方拳、中井貴一などが出演;緒方の遺作)のセットとして作られたもので、造園は旭川のイングリッシュ・ガーデンで有名な上野ファームの女性庭師が作り上げたものである。そのセット(建物やキャンピングカー(遠望しか出来ないが)も含めて)がそのまま残っているところに人気があるようだ。一見雑然とした(人工的でない)イングリッシュ・ガーデンの雰囲気をよく作り上げている。
 庭園見学を終え、駐車場を出たのは6時半過ぎ。モービルのSSで給油し、フラノ寶亭留にチェックインしたのは7時前だった。本日の走行距離は210km。出発前に予想したより暑い北海道の半日だった。

(次回予定;フラノ寶亭留)
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