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2011年1月31日月曜日

黒部・飛騨を駆ける-8(最終回);黒部アルペンルート

 黒部アルペンルートは富山と大町を各種の乗り物を乗り継いでつながる山岳観光コースだ。自家用車で走れるところは限られており、一気に走破することはできない。20年前に一度富山から大町へ抜けたことがあるので、今回は“黒四”に焦点をあて、大町側から立山(雄山)直下の室堂まで往復することにした。前日の宿泊先は大町温泉のプリンスホテルである。この系列(西武)のホテルは前のオーナーが嫌いで今まで宿泊に利用したことはないのだが、それも不祥事件で失脚したし、たまたまインターネットで条件が合うところとして選ばれたのでここに決めた。夕食の時間割り当てなどみていると団体客が主体のようで、翌朝ロビーには大量のダンボ-ル製りんご箱が積み上げてあった。中国人観光客のお土産である。
 今日は帰路を除けば車で走るところはほとんどない。大町側の黒四への基点、扇沢から室堂まで関西電力の系列会社が運営する各種の乗り物を利用するしか術はないからである。前日フロントに聞くと「室堂往復なら9時までには扇沢を出て、3時頃戻るのが適当でしょう。朝は混むので少し時間に余裕をみて早めに。往きは観光せず出来るだけ早く室堂に達し、帰りを楽しまれると良いでしょう」とのこと。雲が低く垂れ込める中を扇沢に向かう。標高が1500m近くあるので周辺の紅葉が美しい。以前来た時に比べ見違えるように立派な駅舎ができている。付帯する駐車場は有料だが、その少し手前にある市営駐車場は平日無料なのでそこに車を止める。
 このルートの楽しみはいろいろな乗り物にある。中でも日本でここでしか乗れないトロリーバスがその代表と言える。ルートは完全にトンネル(6.1km)の中、黒四最大の難工事(工期7年)だったフォッサマグナの破砕帯もここにあるが、今では所要時間わずか15分で抜けてしまう。幸い晴天ではないが、雲はだいぶ高くなり周囲の景観がはっきりしてきている。
 次いで満々と水を湛えるダムの上を歩いてケーブルカーの駅に向かう。このケーブルカーで約400m上ると黒部平に至る。ここから先はロープウェイ(定員80人)になので順番待ちになる(ケーブルを降りると整理券をくれる)ので、雄山(立山連峰の主峰)をバックに記念撮影している人が多い。この辺までくると木々は減り褐色の山肌が目立つようになる。ロープウェイは1.7km(支柱なしで日本最長)ありここでさらに500m上るので終点大観峰からの後ろ立山連峰の山々が間近に見渡せる。ちょっと展望テラスに出てその迫力のある絶景を楽しみ、再びトロリーバスに乗って室堂ターミナルに向かう。このルートも全線トンネル、トンネル内駅の階段を上り表へ出る目の前に標高3003mの雄山が聳え立っている。到着したのは11時だった。
 昼食までの約1時間半、周辺のみどりが池、みくりが池、地獄谷などを散策したが、この高さ(2500m)までくると低木と岩ばかりで紅葉を楽しむ機会はなく、山歩きの雰囲気になる。
 混雑する室堂ターミナルの食堂で昼食を採り、1時過ぎのトロリーバスで来たルートを戻った。難所はロープウェイで、ここではどうしても待ちができる。この時間帯は団体客が多く、われわれは韓国からの観光客と一緒になった。ロープウェイに乗り込む際、我先にと前方の窓際に集中したので、ロープウェイがグーッと前方に傾いだのには驚いた。
 ホテルの助言どおり黒部湖ではたっぷり時間を取り、紅葉を愛で、湖からダム下流まで一望できる展望室でのんびりと過ごした。残念ながら豪快なダムからの放水は10月初旬で終わっていたが、ダムを眺め、あの時代の元気な日本をしばし想い起こしながら、この旅最後の観光を終えた。
 扇沢を2時半に出発、大町から豊科に出て、中央自動車道を経て自宅到着は8時半、全走行距離;1034kmのドライブ。ガソリン消費量は95.4L(燃費;10.8km/L)であった。
(“黒部・飛騨を駆ける”完)
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2011年1月17日月曜日

黒部・飛騨を駆ける-7(安房峠)

 1969年3月雪に阻まれて以来、いつかこの峠を自分の車を運転して超えたいと思い続けていた。この日と同じように高山を出発してしばらく走ると平湯峠にとりつく辺りで道路の両側は雪の壁になり、しばらくするとブルドーザが雪かきをしていた。作業員に聞くと、連休明けの開通になるという。当時は今のように道路事情を簡単に調べることができなかったので、予期せぬ出来事だった。その日のゴールは今回とほぼ同じ白馬だった(今回は大町だが)。仕方なく神通川を下り、富山から糸魚川を経て何とか着くことができた。
 その後この方面を走る機会は無かった。この峠にトンネルが穿たれたことを知っていたが、もしこの地方を走るならもう一度あのルートにチャレンジするつもりであった。そしてついにその時がやってきたのである。
 11時過ぎに高山を出発、158号線は直ぐに上りになる。雨は止んでいるが雲は低い。標高が上がり、道の両側の人家が途絶える頃から霧が出始める。カーブの続く道をフォグランプを点灯し、慎重に走っていく。平湯峠は今では安房峠同様トンネルで抜けられるので、楽しみは後に残し、こちらを走ることにする。トンネルの標高は1445m、国内最高の高さである。トンネルを出てしばらく上ると珍しくこんな山の中に信号機がある。旧道、安房道路(トンネル)と奥飛騨温泉へ向かう国道471号線が交わる地点なのだ。晴れていれば展望がききそうな場所だが低い雲に覆われてそれは叶わない。そこに広い駐車場があるドライブインがあったので、ここで昼食とした。間もなく県境を超えて長野県に入るのだがここはまだ岐阜県、飛騨牛の焼肉定食を食べる。
 小一時間休憩した後ここから旧道を峠を目指して出発する。幸いこの休憩の間少し天候が回復、雲や霧が走行を妨げることは無くなった。しかし旧道はほとんと走る車が無いのであろう落ち葉が狭い道を埋めている。スリップが恐い。おまけに曲がりは急で、カーブでの行き違いは不可能だ。昔はこの道が飛騨と信濃を結ぶ唯一の幹線道路、大型トラック・バスは何度か切り返ししなければカーブを抜けられなかったという。そんな大型車が走ることを想像することすら容易ではない。上も下も紅葉に覆われた道を走っていて、この道の中間点中ノ湯まで行き交ったのは軽自動車と小型のライトバン二台だった。中ノ湯は焼岳の登山口にもなっているので、ここまでは松本側からバスが来ているようだが、そのバスとも一度も出会わなかった。さらに下ると安房トンネル道路と交わりやがて上高地への分岐点に至り、道路は一般の国道並みの仕様に戻る。梓川の上流にはダムもありそこからの紅葉もなかなかのものであった。あとはだらだらと野麦街道(158号線)を梓川に沿って下り、安曇野に達した後は、初日とほぼ同じルートで再び糸魚川街道を走って、4時過ぎ大町プリンスホテルに到着した。
 今回の旅は、紅葉を楽しむことがひとつの目的であった。その点でこの峠越えは正解であった。もしトンネルを抜けていたら、これを楽しむことは出来なかったに相違ない。
(次回;黒部アルペンルート)
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2011年1月5日水曜日

黒部・飛騨を駆ける-6(高山-2)

 この日のドライブは高山から大町まで。北アルプス横断になるが、半日あれば充分な距離なので、午前中は高山観光に費やすことにしていた。ここでお土産も買いたい。予定の見所は、町中を流れる宮川の東に沿って開かれる朝市、その一筋東側に残された古い町並み、“さんまち(三之町)”、幕府直轄地の要、高山陣屋などだ。
 朝起きると天気は曇りだったが、朝食を摂り9時過ぎチェックアウトするため駐車場へ出ると小糠雨になっていた。町歩きにはちょっと残念な天候だが、幸い酷い降りにはなりそうにない。ホテルは観光スポットと少し離れているので、フロントの勧めてくれた、宮川の西側を走る商店街に近い、コイン駐車場に入れることにした。この時間、町の人たちが日常的に用を足す商店街はまだオープンしていないので駐車場に車は無かった。
 しかし、橋を渡って東側へ出ると、もう朝市には観光客や地元の人で賑わっている。川を背にして屋台や露店が連なり野菜・果物・漬物、土地の菓子などが並べられ、狭い道の反対側は土産物や食品などを商う商店が並んでいる。日本人に混じって西欧人やアジア人(多分中国人)も沢山見かける。前回紹介のレストラン「ル・ミディ」のシェフが野菜などを求めていたのを見かけたように、この朝市は観光客相手の見世物では決してない。地元の生活に密着したものなのが嬉しい。
 霧雨程度なので傘を畳んで、東西にこの町を貫く国道158号線でクランク型に宮川に沿って南へ延びる“さんまち”へ移動する。年季の入った材木の黒々した二階建てが並ぶこの通りは、昔のメインストリート。今では土産物屋や飲食店が目立つが、それでも産婦人科医院や工芸品の工房などもあって、ここにも生活のにおいがある。こんな雰囲気がヨーロッパの古い町並みと共通する歴史観を感じさせ、ゆっくり見て周りたい気分にさせてくれる。大勢の外国人を見かけるのは、この保存状態の良い町並みだからだろう。
 高山は匠の里、工芸品や和紙なども有名である。そんなこともあり、版画に関する店があるとガイドブックにあった。下手な横好きではあるが自分でも嗜み、美術で唯一少し解かる分野なので、そこを訪れることにしていた。しかし、なかなか見つからない。ボランティアの案内人に聞いたが、彼女も店の名前を知らなかった。それでも控えておいた住所のあるところまで同行してくれたが、既に閉鎖され看板も取り払われていた。残念至極である。
 この通りの南詰めまで歩き再び宮川を渡って西岸に出ると、そこに高山陣屋がある。一般に陣屋とは藩の役所だが、特に幕府直轄地代官の住居を兼ねたオフィスもこう呼ばれる。高山の陣屋は後者で、役所・郡代役宅・御蔵が敷地いっぱいに建てられている。特に年貢米を納める御蔵は400年の歴史を持ち、現存するこの種の蔵としてはわが国最古・最大とのことであった。大きな城と違い、ここにも往時の生活が偲ばれるのが良い。
 その後国道沿いにある、客はあまり入っていないが由緒がありそうな自家製の漬物を商う店に入った。名物“赤かぶ漬け”を求めるためだが、それがいく種類もあることをここで知らされた。やや酸っぱいのも、塩辛いもの、鰹の出汁で旨味をだしたもの、日持ちさせるため防腐剤の入ったもの、それが無いものなどである。種々味見をして鰹味の防腐剤なしを求めた。
 雨も上がった11時過ぎこの地を発ったが、文化の奥深さと幅(古いものばかりでなく)を感じさせる、そんな町に強く心惹かれるものがあった。
(次回;安房峠)
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2010年12月28日火曜日

黒部・飛騨を駆ける-5(高山-1)

 長い飛騨トンネルを抜けても、それが判らぬほどの夜の帳の中にあった。さらに次々とトンネルが続くので、闇の中に見えるのは道路と時々現れる標識だけだ。20分くらい走ると高山清見道路への分岐点、飛騨清見ICに到達、ここで東海北陸道に別れを告げる。分岐すると直ぐに小鳥(おどり)トンネル(4.4km)に入り、その後もいくつかのトンネルを通過して終点の高山ICで名古屋と富山を結ぶ国道41号線に出る。ここはもう高山の市街なので、長い闇からやっと開放される。さらに飛騨と信州を結ぶ幹線道路、158号線に入る。交通量が多い。実は今夜の宿は出来たのが新しく、古いマップではピンポイントで場所を特定できない。一応「付近まで案内します」でここまでやってきたので、道路標識とカーナビに神経を集中して進路を選んでいく。高山線の跨線橋の上からホテルのネオンサインが見えた時にはホッとした。到着は5時45分、ほぼ計画通りだ。
 高山の宿探しのキーは夕食だった。今までのドライブ行で旅館の夕食付きが二晩続くとその量や内容に辟易することが多かった。前夜は宇奈月で典型的な観光旅館料理、ここではそれは避けて、駅周辺のビジネスホテルに泊まり、夕食は外のレストランで名物の飛騨牛を食すことを目論んだ。それで見つけたのが「飛騨花里の湯;高山桜庵(おうあん)」である。設備を調べた時、部屋にはシャワーしかなく、風呂は大浴場があるとあった。さらに部屋は畳敷きで、ベッドも高さの低い和風と書いてある。妙な感じもしたが、値段が手ごろで場所も駅に近いのでここに決めたわけである。
 車を駐車場に停め、ホテルに入ると、このホテルのホームページに書かれた妙な造りが理解できた。ここはビジネスホテル型観光ホテルなのである。フロントではリュックを背負った若い外国人が数人交渉中だった。聞いていると「部屋の作りは日本式か?」などとやっている。よく見るとロビーは絨緞だが、その先に上がり框がありそこで靴を脱いで、館内に入るようになっており、框から先は畳敷(とは言っても正方形のビニール畳だが)になっている。彼等は納得してここに泊まることにしたようだ。風呂屋の下駄箱を大きくしたような所へ靴を仕舞い、エレベーターに載ると、そこも畳敷きである!
 食事はフロントで予約してもらい、フランス料理の「ル・ミディ」という店で摂ることにした。ホテルから歩いて約10分、客席は15,6人程度の、いかにもフランスの地方都市にありそうな雰囲気の店であった。7時頃着くと客は一組しか居なかった。会話を聞いているとどうやら土地の人らしい。これは好ましいことである。
 メニューは飛騨牛以外に、シーフード料理などもあるのだが、ここへ来た観光客としてはやはりビーフステーキであろう。ウェートレスが進めてくれたのはそのセットメニュー、食材は全て地のものだという(翌日の朝市で、シェフが買い物をしているのを見た)。前菜、スープ、デザート付きで5000円/人は高くない。サーロインを赤ワインで堪能した。しばらくするとやはり地元の人と思しき、若いカップルが二組ほどやってきた。土地の人々が気軽に来られるところに、何かヨーロッパ風な感じがした。
 ほろ酔い気分でホテルに帰ると、大浴場へ出かけてみた。7階建ての最上階にある浴室には露天風呂もあり、そこからは高山の街が一望できる。和洋折衷の妙なホテルと思ったが、これからはこんなスタイルが受けるのかもしれない。
(次回;高山-2)
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2010年12月21日火曜日

黒部・飛騨を駆ける-4(五箇山・白川郷)

 宇奈月駅前の駐車場を出たのは丁度1時。北陸自動車道の黒部ICに入る前に、事前調査では無かったモービルのSSが在ったので給油した。自宅からの距離は410.5km、給油量は37L、11km/Lは起伏の激しい糸魚川街道を走ったわりには悪くない数字である。
 黒部ICで自動車道に入ることは予定通りだ。この日の午後はここから二ヶ所の合掌造りの村落を観て、6時には高山のホテルにチェックインすることにしているので、時間が勝負。41年前はブルーバードSSSで神通川沿いの国道46号線を北上、帰途は砺波から五箇山に至る国道156号線をとって山深い地方道ドライブを満喫したが、今回は運転を楽しむことは二の次にしなければならない。
 北陸自動車道を走るのは今回が初めてである。富山平野の中は道も平坦、交通量も少なく、追い越し車線はほとんど空いており、すこぶる走りやすい。その反面、景観は全く刺激が無く、専ら先を急ぐ気分にしかならない。注意すべきは速度違反の取締りだけだ。約1時間で礪波JCTに到着、東海北陸自動車道へ分岐する。ここからはセンターラインにオレンジのポールが打ち込まれた対抗二車線になる。運悪く前を走っているのはバス、しばらく追従運転が続き苛々してくる。これを登坂車線でかわすと、やっとマイペースで走れるようになる。最近の道路は、いずこも嘗ての山道を一気にトンネルで抜ける味気ないものに置き換わっているが、ここもその例に漏れない。城端トンネル・袴腰トンネル(両方で約9km)を越えると直ぐに五箇山ICがあらわれた。少し156号線を富山のほうに戻り、合掌造りのある菅沼集落広場駐車場に停めたのは2時半であった。江戸時代まで加賀前田藩の最奥部、流刑地でもあった隠れ里である。
 広場駐車場は高い所にあり、木々の間から下方に合掌造りの家々が見える。何とそこへ下りるエレベーターまであるではないか!それは避けて国道からつながる山道を歩いて降りる。山間の曲がりくねった狭い平地にある数十戸の集落だが、広場駐車場から下りた周辺だけは純然たる住居に観光向けに何か商いをしている家屋が混在している(ここ以外は廃屋もありほとんど観光客は来ないようだ)。ただ、白川郷と違いアクセス道路は156号線のみ、富山からも岐阜からも遠いので、観光客で混雑するようなことは無く、比較的集落全体に昔の風情がそのまま残されている。
 ここで最も興味深かったのは、塩硝(火薬の原料;、人間の糞尿を草木とともに醗酵させて硝石を得る技術;硝石が存しないわが国ではこの方法しか原料はなかった)作りの道具や工程を知ったことである。幕府の目が届かない秘境の地で長い時間をかけて作られた塩硝は農作物に代わる年貢として、前田藩の財政を潤してきたのだ。
 菅沼集落を出たのは4時少し前、再び東海北陸道へ戻り15kmも走ると白川郷に至る。この間もほとんどトンネルだ。4時10分頃に白川郷の駐車場に着いた。駐車場に入る際「ここは5時に閉まりますがいいですか?」と問われた。もう観光客は帰る時間帯に入っているようだ。急いで周らなければならないが五箇山に比べ、駐車場も集落も桁違いに広い。多数のバスツアーが引きあげ時、西欧人・アジア人も多いし、立派な観光案内所もある。平日のこんな時間でも、これだけ観光客が集まっているところを見ると、ここは観光産業が成功しているに違いない。
 平地の真ん中を庄川が流れており、駐車場から集落まで橋を渡ってしばらく歩く。夕闇が迫りつつあり、とにかく早足に有名な茅葺屋根の本堂がある明善寺とその周辺の合掌造りを観て歩く。五箇山に比べると集落も個々の合掌造りも何か活気と生活臭を感じる。本来なら集落北端の萩町城跡展望台からみる眺めが売り物なのだが、残念ながらその時間は無かった。広い駐車場に残る車は10台程度。ヘッドライトを点灯してそこを離れたのは5時。白川郷ICに戻ると待ち構えていたのは、わが国第3位(1位;関越、2位首都高山手)、世界12位の自動車用トンネル、飛騨トンネル(10.7km)だった。
(次回;高山)
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2010年12月8日水曜日

黒部・飛騨を駆ける-3(宇奈月温泉・黒部渓谷)

 実は宇奈月温泉・黒部渓谷はこれで3回目になる。1989年、北陸電力本社で経営情報システム関係の研究会があった時が初回、2回目はその数年後黒部市のYKKで講演をした後である。いずれも夕刻着いて宴会、翌朝トロッコに乗って欅平まで往復した。それから20年近く経っているが、チョッと寂し気な街の佇まいはそれほど変わっていなかった。“寂し気”と表現したが“衰退した”と言う意味ではない。温泉地につきものの享楽的な雰囲気が無いのだ。良いことなのである。その主因は、観光客の目的が温泉以上にトロッコにあるからなのだと思う。皆長閑なトロッコの旅の背後に在る、壮絶な血と涙と汗にまみれた物語を想像しながらここに居るからに違いない。
 この日の宿泊先は「延楽」という、今回の旅で唯一の日本旅館である。とは言っても高層のコンクリート建て、黒部渓谷に面して並ぶ他のホテルと違いは無い。インターネットで種々の条件を入れて当たっているうちに、偶々宿泊プランの食事が「これなら良いかな?(年寄りにとって、種類・量が多過ぎないと感じた)」と思い決めた所である。部屋は和室で広さは充分、渓谷に面しているので景色も申し分ない。案内された時、渓の向かいの木々が一部紅葉してように見えたので「ここはもう紅葉が始まっているんですね?」と言ったところ、仲居さんが「いえ、今年の夏はこちらも猛暑で、害虫が大発生しそれで枯れた木が多いのです」とのこと。しかし、聞かなかったことにすれば、暮れなずむ中枯葉も紅葉も大差ないので悪い景観ではない。川原には大きな石がごろごろしている。その上を何かが動き回っている。よく見るとそれは猿だった。
 大浴場は同じように渓谷に面している。薄暮の山々を見ながら浸かっていると長丁場のドライブ疲れが次第に癒されていった。露天風呂は階が違うのでチョッと面倒だ。翌早朝出かけることにしよう。
 夕食はインターネットで調べた時、二つの選択肢があった。一つは当地の名物「白えびづくし」もう一つは「地場の食材を使った会席料理」である。白えびに惹かれるものがあったが、残念ながら甲穀類の殻にアレルギーのある私には選ぶわけにはいかない。富山湾の魚介類と富山牛の会席を堪能した。この料理にも僅かだが白えび料理(吸い物)があり、恐る恐る賞味してみたが、幸い何も起こらなかった。
 翌朝天気は曇り。9時発のトロッコに乗った。大正13年(1924年)黒部川の電源開発用に着手、昭和12年(1937年)欅平まで開通したものだ(20.1km)。この列車は団体客が多いと聞いていたので、席が取れるかどうか心配だったが何とかなった。昔の記憶でどちら側かが渓谷、反対が側は山肌なので席の選択が観光の楽しみを決めることは頭にあったが、正確には覚えていない。大勢の人の流れの中で進行方向右側に席を占めることになった。当たりだった。オレンジ色のミニ電気機関車に牽かれた、遊園地の乗り物と大差ない感じの車両の席は一列4人掛け、外気に晒されながら、断崖に張り付いて進むスリリングな小旅行が始まった。トンネルや洞門がいたるところにある。手を延ばせば壁に触れることが出来るほど近い。最初に現れるダムは出し平ダム、この水を利用する発電所は遥か下流にある。次に対岸に見えてくるのは黒部第2発電所。山は紅葉しているように見えるが一部は例の害虫による被害らしい。ふと下を見ると川原を整備する超大型ダンプやパワーシャベルが見える。どうやってここまで運び込んだのだろう。こんなことが気になりだした頃、渓谷はさらに狭く急傾斜になっていく。間もなく終点の欅平だ。
 欅平はその名の通り比較的平なので、さらに奥地の黒三・黒四開発の基地だった所だ。そこへつながるトロッコもあるのだがこれは一般開放されていない。さして広くない駅前広場(というよりテラス)は観光客でいっぱい。丁度きのこ祭りが行われており、無料できのこ汁が振舞われ、1時間を超える吹きさらしで冷え切った身体を温めてくれる。
 幸い晴れてきたので近くの奥鐘橋まで散策し、11時04分発の列車で戻った。帰りは追加料金360円を払い特別車両(窓ガラスがあり、車内は暖房されている)に乗り、うつらうつらしながら12時02分宇奈月駅到着。駅の食堂でうどんと富山名物鱒の押し寿司のセットを食した。
(次回;五箇山・白川郷)
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2010年11月25日木曜日

黒部・飛騨を駆ける-2(糸魚川街道・親不知付近)

 入手して3年目、初回の車検までに1万6千5百km強を走った。専ら楽しみとしてしか乗らないわりに、距離は伸びている。その車検を済ませた翌日、10月19日7時自宅を出発した。天気は曇りだが、雨になるような重さはない。ルートはナビの推奨する第三京浜用賀・環八経由を避けて、距離的には近い、横々→保土ヶ谷バイパス→16号線→八王子バイパス→中央道八王子ICを採ることにした。案の定、保土ヶ谷BPの中ほどから渋滞が始まり、それは橋本五差路を過ぎるまで続いていた。結局中央道にとりついたのは9時少し前、2時間近くかかってしまった。最近のインターネット・ルート案内は蓄積された渋滞情報を考慮しているようだ。帰路はカーナビの指示に任せてみよう。
 幸い中央道に入ると走行車線は連なっているものの、追い越し車線は間が空く。特に、八王子から大月辺りまでは山間部の登りになるので、パワ-・重量比に優れた車にはその持ち味を遺憾なく発揮できる。注意すべきは覆面パトカーと甲府盆地内平坦路のスピード・ガンだ。最初の休憩地、双葉SAに着いたのは10時だった。この頃になると天気も薄日に変わってきた。チョッと残念なのは、中央アルプスや八ヶ岳が遠望できる道筋なのに高い所が雲・霞でそれが楽しめないことであった。
 岡谷JCTで長野道に入り途中の梓川SAで昼食。豊科ICで自動車専用道と別れ、いくつかの県道を経て信濃大町の手前で国道148号線(糸魚川街道)に入る。ここまでは山間ではあるが安曇野の平地が広がっている。白馬の少し手前に分水嶺があり、そこから日本海に向けて姫川が流れ出す。川の流れに沿う平野が狭まり、道路も鉄道(大糸線)も川と絡みながら北へ向かう。山の上部が紅葉していることを期待していたが、猛暑の影響かほとんど緑のままである。
 道の様子が変わってくるのは白馬をしばらく過ぎてから。山が川に落ち込む斜面に棚状に作られた部分が多くなってくる。アップ・ダウンが激しくなり、“路肩注意”が目に付くようになる。これは単なる警告ではなく本当に傷みの激しいところがあり、片側交互一方通行で補修中の所さえあった。
 南小谷の道の駅で一休みすると、その先の道はさらに厳しさを増す。落石・雪崩除けの長い洞門(道路に屋根を架け、谷側はアーチ状の明かり採りがある)が頻繁にあらわれる。それも傾斜の変化と曲がりが続くので、急変する光の強さも相俟って、トンネル以上に運転に気をつかわなければならない。こんな道が新潟県との県境、葛葉峠を超すまで10km近く続いている。狭隘な谷が開けてくるのは日本海まで僅か5km位の、根知と言う所からだ。
 糸魚川からはトンネルばかりの北陸自動車道に入らず、旧道(国道8号線)を走った。直ぐに、仕事で何度か出かけたことのある電気化学の工場がある青海を過ぎ、やがて親不知の地名が見えたので道の駅に車を停めてみた。30年位前の夏休み、赤倉の保養所から家族で出かけてきた記憶を辿るのだが、どうもあの時の凄みのある荒波に洗われる海岸が蘇ってこない。あの日は雨天だったからかと思い返してみるのだが納得できない。止むを得ず先へ進むことにする。するとここにも、先ほどの糸魚川街道同様長く、曲折する洞門が待ち構えていた。洞門の中で補強工事が行われており、大型トラックが長い列をつくっている。その洞門を出た直後、海岸方面へ向かう分岐路が現れたので、そこを下りてみると海岸に少し突き出た小さな駐車場があった。車は一台も停まっていない。そこから来し方を振り返ると、あの険しい山が海に落ち込む親不知・子不和の海と長い洞門が在った。しばしその景色を堪能、宇奈月温泉到着は4時。距離計は16,919km、約420km走ったことになる。この日のドライブはまるで“洞門ドライブ”と言ってよかった。
(次回;宇奈月温泉、黒部渓谷)
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2010年11月16日火曜日

黒部・飛騨を駆ける-1(何処を走るか)

 5月に奥の細道ドライブ行を楽しんでから、秋にも長距離ドライブをしたいと思っていた。いつ、どこを、どんなルートで走るか。8月下旬から計画を練り始めた。日程は三泊四日。春は北だったので、秋は西に向かいたい。一応目安は北陸に置いた。この方面を自分で運転して走ったのは1969年4月である。この時のドライブで心残りだったことがある。能登半島を先端まで行かず、能登町からショートカットで輪島へ抜けてしまったことである。今度は半島を完全に廻り、帰路は金沢から東海北陸道で高山に至り、そこから北アルプスを越え松本を経て中央道を戻ってくる案である。時期は紅葉が楽しめる10月中旬以降がいい。
 この案を家人に提案したところ「能登半島は行ったことがないので行ってみたい。途中で黒部にも寄りたい」ときた。自動車旅行に関心の薄い人間には、黒部は横浜と能登半島を結ぶ途上に在ると思ったのであろう。確かに国内ツアーの広告に「黒部のトロッコ列車と能登の味覚を楽しむ」などというのがあった様な気もする。さらに「黒部の何処が見たいか?」と問うと、「トロッコにも乗りたいし、黒四ダムも見たいと」との答え。同じ黒部でもこれは別物である。しかも両所とも自家用車で近づくには限界がある。中でも立山・黒部アルペンルート(立山-黒四ダム-大町)が問題だ。どちら側からアプローチするにしても、奥深い袋小路に入り込んで、特殊な交通機関(トロリーバス、ケーブルカー、ロープウェイ)を利用し、再び同じルートを戻ってくるしかないのである(縦断する場合、車を回送してもらう必要がある。愛車を人に委ねる気にはならないし、金額・時間も大層かかる)。
 能登半島を巡り、二ヶ所の黒部を観光し、さらに飛騨の合掌造りを訪れるとなると、とても三泊四日の旅程では無理だ。やむなく今回は能登を落すことにした。それでもよほど上手くルートを選ばないと、こちらの必要条件である山岳道路・一般道のドライブを楽しむチャンスが無くなってしまう。最初の日は高速を利用すれば500km近く走れる。最終日は自宅へ戻るので時間を気にしなくてもいい。中の二日は200~300km程度としたい。観光の拠点(宿泊地)としては、宇奈月温泉(黒部渓谷トロッコ)、高山(合掌造り)それに信濃大町(黒四ダム)が適当だろう。宿泊地の順番は、山岳ドライブルートを、これも1969年雪で阻まれた安房峠の旧道を選んだことで決まった(今はトンネルで簡単に抜けられるが、これでは再挑戦にならない)。
 最初の宿泊地、宇奈月温泉へのルートをインターネット(ナビタイム)で選ぶと(有料道路利用)、何と自宅から第三京浜で用賀に出て環八を北上、谷原から関越道に入り、藤岡JCTで上信越道に岐れて上越市に至り、ここから北陸道に入り富山県の朝日ICで一般道に下りる道筋が示された。条件を変えて中央道を選ぶようにしても、環八で高井戸に出てここから中央道を通り岡谷JCTで長野道へ岐れ、その先は同じように上越市に向かう。感覚的には大迂回路と言う感じだが(事実距離的には遠い)、時間的にはどうやらこれらが正解のようだ。いずれも7時過ぎに家を出ても4時頃には宿に着けるからだ。
 しかし、これではひたすら自動車道を走るだけで味気ない。是非走ってみたい一般道がある。それはフォッサマグナの西端に沿う糸魚川街道とそれが日本海に落ち込む昔からの交通の難所親不知付近だ。地形・地質が悪いだけに、ワインディングとアップアンドダウンを堪能できるに違いない。高速は中央道をとることにし八王子から豊科まで利用する。そこから先は希望の一般道を走る。何とか7時出発で5時前には着けそうだ。
 次のルートは宇奈月から高山である。黒部渓谷をトロッコで往復するとそれだけで3時間かかる。午前中は走れないので、ドライブに使えるのは1時から6時頃までである。到着時間にフリーハンドが欲しかったので、夕食無しの宿(観光向けだがビジネスホテル形式)を選んだ。合掌造りの村は富山県の五箇山と岐阜県の白川郷の二ヶ所を見たいので、目一杯自動車道を使うことにした。宇奈月から黒部ICで北陸道に入り、小矢部JCTで東海北陸道に岐れ、五箇山ICと飛騨白川ICで一旦高速を下りて観光、飛騨白川から再び高速に戻り、飛騨清見を経て高山清見道路(自動車道)で高山に至る。拠点観光に徹したルート選びである。
 三日目のハイライトは北アルプス越えの山岳ドライブ。信濃大町までの道は距離的には今回の旅で一番短い。朝市や市内観光で11時頃まで使い、それから山道に挑むことにした。ルートは158号線、平湯トンネルを抜け、安房峠を越えて松本へ出る。ここから県道を一部走り、糸魚川街道(147号線)に取り付く。街道のこの部分は初日には走っておらず、同じ道に戻るのは豊科からである。そこからアルペンルートの基点、大町温泉まではひとっ走りである。
 四日目は早朝に宿を出て、黒部・立山観光の出発点となるトロリーバスの扇沢駅に車を駐車、あとはトロリーバスで黒部ダムに至りそこからケーブルカー・ロープウェイ、再びトロリーバスと乗り継いで室道に達する。そこは立山連峰の最高峰、雄山の足下である。同じルートで3時頃には扇沢駅に戻り、あとは147号線と長野道・中央道を経て帰宅する。
総走行距離はおよそ1000kmだ。
(次回:糸魚川街道・親不知)
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