2026年5月31日日曜日

今月の本棚-214(2026年5月分)


<今月読んだ本>

1) 地図で読むアメリカ(ジェームス・M・バーダマン);朝日新聞出版社(新書)

2)同盟の転機(ジョシュア・W・ウォーカー);日本経済新聞出版社(文庫)

3)ロビイストに蝕まれるアメリか(ケイシー・ミシェル);草思社

4)不良老人の文学論(筒井康隆);新潮社(文庫)

5)ミッション・ソング(ジョン・ル・カレ);早川書房(文庫)

6)世界の英語(寺澤盾);中央公論新社(新書)

 

<愚評昧説>

1)地図で読むアメリカ

50州ではなく10の小国家と見るユニークな米国観。トランプ出現の背景はここにある-


最初の米国人との接触は19469月下旬、博多港に着いた引揚げ船から降りたところで所持品検査があった際である。荷物の中身を調べるのは日本人だが、そこに米兵が立ち会っていたのだ。引揚げに際し満洲からの写真持ち出しは禁じられていたが、父は家族の写真を大型封筒に収め、表に英語でその旨記して帯同していた。これが検査員の目に触れ米兵が呼ばれたが、表書きを見ただけで直ぐ返してくれた。子供ながらに見聞した、暴行・略奪が絶えなかったソ連軍、国民党軍、腕時計式磁石を私から奪った八路軍(中共軍)との違いは決定的。巧みな占領政策に洗脳されたこともあり、爾来米国に好感を持ち、憧れの対象となっていった。

初めての米国訪問は19706月、最後は20052月、この間20回前後訪米、滞在期間は通算で1年半におよぶ。宿泊滞在した州は24州(+ワシントンDC)、東海岸・西海岸の主要都市はほとんど訪れている。ただ、すべて仕事絡みであったことで、石油とITに縁の薄い所には行っていない。例えは、農業や牧畜が盛んな中西部、今やラストベルト(錆びた地域)と称せられる内陸部工業地帯あるいは土地が痩せたアパラチア山系域などがそれらだ。しかし、米国の孤立主義的保守回帰は、これら地域の民意を反映していると言わる。その背景を知りたいと思っていたところへ、同期入社の友人が本書を贈ってくれた。

この本を手渡されたとき先ず浮かんだのは、30年前に出版され今も保有している「アメリカ50州を読む地図」(1994年新潮社刊)である。おそらくその現代版だろと予想した。しかし開いて直ぐ目に入ったのは州とは無関係に色分けされた全米図、赤・青・緑はそれぞれアウトウエスト地域・ハートランド地域・サウス地域と名付けられ、70%近くの広大な面積をこれらが占めている。対してマンハッタン島周辺とそれに隣接するコネチカットとニュージャージーの一部のきわめて狭い地域がエンジ色で染められ、メトロポリタン・ニューヨーク地域となっている。他の地域も異なる色が塗られ全部で10色、上記4地域以外は、ニューイングランド、アパラチア、サウス、インダストリアル・ノース(いわゆるラストベルト)、アウトウエスト(ロッキー山脈東域)&アラスカ、パシフィック・ノースウェスト、サウスウエスト(メキシコ国境沿い)、ハワイ、である。今までこんな区分で米国を見たことがなかっただけに「これは面白そうだ!」と直感した。導入部を読み、この地域分けは地形・地質、気候・植生など自然条件ばかりでなく、経済基盤(産業)、構成人種と移民植民の歴史、教育発達度、宗教、政治力、これらから育まれてきた気質など様々な要素を基に著者が区分けしたものであることが分かった。従って境界は厳密なものではないが、米国が単一国家ではなく、おおよそこの10のミニ・ネーションから成るという発想なのだ。


コロンブス“発見”以前から北米全域に原住民は居たものの、米国の成り立ちは欧州やアフリカからの移民で出来上がっていく。著者の着目点は“人の移動と定着”である。それは北米大陸外からばかりで無く、東から西への国内移動を含み、その結果が移民大国としての現代アメリカであると説く内容だ。

10の地域を章立てにし、先に述べた地域区分け因子(自然環境、人種、経済、宗教、生活など)ごとの特質を具体的に述べ、一括りにすることの背景理由を解説する。例えば、アウトウエストとアラスカを一体と見るのは、豊富な地下資源に恵まれる反面、厳しい自然環境、政府所有地の大きさ、などによって人口が極端に少なく、開発が進まぬことを共通因子とする。このような地域調査分析結果を落とし込む先は、現代におけるそれぞれの政治的風土である。比較的教育レヴェルが高く、グローバルビジネスに強いメトロポリタン地域あるいは東海岸や西海岸がリベラルな政治を指向し、大部分の内陸部が保守的性格を帯び、さらにその傾向を強めていくことが、説得力をもって伝わってくる。

本書の出版は20261月だが、“おわりに”を読むと「2016年現在」とある。すると、トランプ第一次政権時ということになる。だとすれば、第二次政権誕生背景と見事に一致、現代アメリカを知るために一読する価値がある一冊と言える。

著者は1947年テネシー生れ。神学校を経てハワイ大学修士(アジア研究)、早稲田大学名誉教授。どの地域でも日系人や日本との関係に触れているのは、この経歴から来ていると推察する。

 

2)同盟の転機

-冷戦時に培われた日米同盟、世界も米国も変質する今、日本育ちの国際関係専門家が提言する新しい同盟-


1960年(昭和35年)43学年に進級した。この学年からゼミに所属、専攻分野に踏み出す大きな区切りの年である。しかし、2月から続いていた日米安全保障条約改訂を巡る国会審議は紛糾、野党やメディア、労組、全学連などによる改訂反対の声は日増しに高まり、キャンパス内でもあちこちで政治集会が開かれ、専門分野学習への期待とは裏腹に落ち着かない空気が支配的になっていく。5月下旬から国会周辺で激しいデモが繰り返され、ノンポリの私もデモに参加したが、安保の中身を問題視したわけではなく、強行採決・自然成立反対が動機だった。しかし、振り返ってみれば、講和条約署名直後(19519月)に結んだ、占領政策(米国が全てを取り仕切る)を継続するような片務的旧安保条約に対し、新安保は双務的な内容に改め、親米独立の立場を明記する画期的なものであった。爾後条文適用解釈(ガイドライン)は時代とともに変化してきているものの、本文は今日まで一切変わらず、日米同盟の基盤となってきた。しかし、昨今の米国国際関係を、大統領を始めとする閣僚の言動ばかりでなく、米世論を含めて見るとき、我が国に対する安全保障策がこれからも従来通り継続されるかどうか、いささか不安になってくる。それを予感させるようなタイトルに惹かれ、読んでみることにした。結論から言えば、憲法改定や政官軍の関係見直し改正を迫るようなものではなく、条約など公的関係はそのまま維持しつつ、草の根活動で同盟を深化させることを提言する内容であった。

このような視点で同盟関係を論ずる背景には、著者の経歴が深く関わっており、それにかなりの紙数を割いているので、先ずその概要紹介から始めたい。

著者は1981年ノースカロライナ州で誕生、宣教師である両親に伴われ1982年来日し、2歳から18歳まで札幌に居住。幼稚園から高校まで当地のインターナショナルスクールに通う。従って日本語堪能、日本文化にも精通している。大学進学で帰米、牧師を目指しリッチモンド大学で学ぶが、この間オランダのライデン大学とフルブライト奨学生としてトルコの大学に留学。帰国後国際関係論を学ぶためイェール大学大学院修士課程に入学、さらにプリンストン大学で博士号を取得している(研究テーマは日本・トルコ比較研究)。この間およびその後国務省・国防総省勤務(東日本大震災時“ともだち”作戦に関与)、東大でも教鞭をとっている。上記の経験を生かすため、国際関係シンクタンクであるユーラシア・グループに参加、日本部長を務め、現在はジャパン・ソサイェティ理事長兼CEO。つまり、アウトサイダーとインサイダー両面から日本と米国を考察出来る、希少な専門家である。本書の出版は20261月、第二期トランプ政権誕生から1年、第二次高市政権誕生前、この間に焦点を絞り、日米関係を論ずる内容になっている。

著者が見る日米関係と問題意識;日米間の絆は、日本企業の成功や文化人の功績、そして普通の人々の努力によって築かれてきた。米国における日本の存在感は、一般に思われているよりも、はるかに豊かで影響力が大きい。しかし、第二期トランプ政権による、これまでに例を見ない政策の数々は、従来の政治の発想とはかなり異質なもので、そうしたニュースに翻弄されがちである。ここに至る根源は、トランプ出現という短期的なものではなく、長期的な傾向が存在する。それらは、孤立主義への回帰、同盟への懐疑心、そしてグローバリゼーションに対する根本的な疑問などである。この環境変化に対し、日本も同盟の質について再考すべき時にある。今までのハード(軍事・経済)を中心とした政府間同盟から民間ベースのソフト(広義の文化)を加味した同盟への転換がそれだ。

具体策を紹介する前に著者が展開するのが、日米がたどってきた文化比較。大きな変革に対していつも受け身だった日本、前へ前へと進む米国、合議を重んじる日本、強力なリーダーが導く米国。日本にはもっと積極的な姿勢が望まれるが、それは従来強国が進めてきた上から目線のものでなく、地に足の着いた草の根ベースのものだと自論を述べ、個別事例でそれを紹介していく。

1980年代“Japan as No.1”の時代、トヨタが直面したジャパン・バッシングを導入部とし、その後の工場進出に際し、州や町との良好な関係作りに注力した例を始め、空調のダイキンから日本酒の獺祭やお茶の伊藤園、さらにアニメ人気、KUMON(公文)の数学教育、音楽教育のスズキメッソド、姉妹都市交流まで、幅広い民間を通じた草の根活動成功譚を語り、一層この種の関係強化に努めるべきと提言する。これにより鎖国時代の日本のように、今や閉鎖的な思考に陥っている米国を外に向け覚醒させることができる、とこちらからの行動に期待する。

州権の強い米国、民間交流促進を担うジャパン・ソサイェティ理事長としてのバイアスを感じないではないが、目を向けるべき提言と読んだ。

 

3)ロビイストに蝕まれるアメリカ

-米国外交を動かしているのは大統領府や議会ではない。国家への背信も厭わないロビイストの暗躍。その実態を追及する米政治告発の書-


高市政権誕生でモリカケ事件や統一教会事件の被疑者たちも復権、依然政治家とカネの問題は封印された感がある。政治に目覚めて以降、造船疑獄(吉田茂首相の下、犬養健法相(5.15事件で暗殺された犬養毅の三男)が指揮権を発動、佐藤栄作自由党幹事長の捜査を禁じる)、ロッキード事件(田中角栄首相辞任)、リクルート事件(竹下首相辞任)など、カネと政治にかかわる大事件はあとを絶たない。三井合名理事長を務めた団琢磨(1932年血盟団団員により暗殺)が、政治家を“乞食(カネをせびりに来る)”と蔑んでいたとも言われる。民主政治制度の下で穏当な表現ではないが、これが実態だったのであろう。これらと比べ米国政治では金銭絡みの事件より、ニクソンを辞任に追い込んだウォーターゲート事件(民主党に対する盗聴とそれに対する捜査妨害)、レーガン政権下で起こったイランコントラ事件(秘密裏にイランに武器売却、その資金をニカラグア反政府ゲリラ対策に充てる)、クリントン大統領が当事者となるルウィンスキー事件(研修生との性的スキャンダル)など、国家機密や私生活に関するトラブルが目立つ。金銭問題が表に出ないのは、政治資金制度の違いとロビー活動があるとも聞く。良くも悪くも、依然世界に対する突出した影響力を持つ米国政治の裏に何があるのか、それを知りたく本書を手にした。

本書は、1930年代ナチス政権に手を貸した、アイヴィー・リーという広告業者の話から始まり、大統領2期目を目指すロナルド・トランプ陣営の動きまで、約90年間の米政界におけるロビー活動を深掘りする内容となっている。195060年代のロビイストの数は三桁だったものが、現在は約1万におよぶほどに急増、その影響範囲は地方自治や企業活動から国際政治まで広範なものである。原著の発刊時期が2024年とあることからも、本書が2024年の大統領選挙を意識していることは確かで、トランプ批判色を感じるものの、クリントン、オバマ、バイデンなど民主党大統領周辺の活発なロビー活動も取り上げられており、それほど偏った内容ではない。むしろいずれの政党にも強い影響力を及してきた、ロビイストそのものの実態を、主に対外政策との関わりで解説、その裏で動くカネの問題を明らかにするところが論旨。その意味で、原題「Foreign Agent(外国代理人)」がより適切な表題と言える。

戦前の話では、ナチス政権誕生で全体主義を懸念する米国の世論を、少しでも親独なものに転ずべく行われた工作が詳しく語られる。先に触れたアイヴィー・リーはヒトラーやゲッペルス宣伝相にも会い、広報コンサルタントとして秘密裏にそれに当る。カネは独化学巨大コンツェルンIGファルベンを通して供されるが、それが露呈しアイヴィーは議会で糾弾され、外国代理人登録法(FARA;現存)が成立する。しかし、ここには多くの抜け穴が存在、やがて実効が削がれていく。

冷戦期には、著名な外国代理人は登場せず、ロビー活動は専ら内政や企業活動が主眼となる。

冷戦終了後アイヴィー・リー後継者の役割を担うのが、1949年生れのポール・マナフォート。ジョージタウン大学卒業後1976年の大統領選でレーガン共和党大統領候補の選挙事務所に加わり、この世界に踏み出す。この時は敗北するが、1980年の選挙では当選。ここから頭角を表わし青年部幹部としてレーガン革命を支え、ロビー活動と選挙コンサルタントとして存在感を確かなものにする。米国以外の国(独裁・強権国家が多い;ナイジェリア、スーダン、コンゴ、ミャンマー、など)もマナフォートを招き、選挙対策や米国との関係改善策(経済援助)に助言を求めるようになる。マナフォートの登場でロビー産業は急成長、この業界の舵取り役にのし上がっていく。

盛況業界に、新たに加わってくるのが退職した有力国会議員たち。代表例は1996年共和党大統領候補となり、ビル・クリントンに敗れたボブ・ドール。長年多数党院内総務を務めたベテラン議員である。ロシアやUAEのロビイストとして活動、大きな影響力があったと縷々述べられている。民主党も同様、2000年の大統領選挙で副大統領候補であったジョー・リーバーマンも中国ZTE(中興通迅)の代理人としてロビー活動を行い、刑事告発を受けている。また、クリントン財団の寄付動向は、明らかに政治力への期待値と同期している(ヒラリーの大統領可能性)。

マナフォートの代表的な仕事ウクライナにおける親露政権誕生支援、ウクライナ国内のみならず米国世論や議会の危機感を和らげ、一度失脚したヤヌコヴィッチ再選をロシアと組んで成功させる(その後オレンジ革命で再度失脚)。このあとトランプと接触、「報酬不要」で“仲間”の一人となり、選挙対策本部長を務めて、第1期トランプ政権を誕生させる。しかし、当選後NYタイムズが「トランプの選挙対策本部長にウクライナのヤヌコヴィッチ陣営からカネが渡っている」と報じられ本部長解任、さらにFBIの捜査が入り、2017年起訴・実刑判決(懲役7年半)となり、表舞台から消えていく(2020年トランプ退任に際し恩赦、放免)。

個々の案件に関するカネの明細は示されていないが、マクロな数字(2016年)を見るとトップは中国;3億ドル、次いでロシア:1.7億ドルが目立つ。しかし、実質的な外国代理人活動は種々形を変え、PR企業、法律事務所、大学、シンクタンク、コンサルタント会社NGOなどにより行われており、さらにその動きもマネーロンダリングもどきの手法を採り、実態究明は困難を極めているようだ(例えば、トランプ陣営へは、関係不動産企業との取引、グループ経営ホテルへの支払いなど)。

著者の怒りがやや強すぎるものの、ワシントン政治を見る眼が変わったことは確かだ。特に「ディール(取引)」最重視の現政権下で読むべき一冊と言える。

 

4)不良老人の文学論

SF作家・ブラックユーモア作家による90点の短文エッセイから日本文学を見つめる、意外とまともな文学論-


なぜ本を読むのか?どんな本が好みか?どのように本を見つけるのか?本欄をブログ掲載してから、多くの人から問われる。最も簡単でいい加減な答えは、酒やタバコと同じように「活字中毒だから」となる。とは言っても活字であれば何でも良いと言うわけではない。知的好奇心を満たしてくれそうなもの、最後まで興味を持続させてくれるようなもの、が選択基準である。前者は各種ノンフィクション、全読書数の90%をこれが占める。残り10%が後者、軍事サスペンス、スパイ小説といったところが中心。両分野とも文学論とは無関係の世界である。そんな読書傾向の中で、“文学論”を読んでみようとなった動機は、著者の作品名で唯一記憶に留まる「文学部唯野教授」にある。同年代の畏友で、我が国金融工学の先駆者である今野浩東工大名誉教授(数年前他界)には、十数巻続けた「工学部ヒラノ教授」シリーズがある。その第1巻目で、題名を「文学部唯野教授」から借用したとあり、その関連から平積みの本書に目が行き、「一体全体どんな作家なのだろう」と好奇心が触発され読むことになった。

本書は“文学論”として体系立てて著者の考えを記したものではない。何と長短各種約90の話から成り立っている。短いものは他の作家作品販促用帯から、十数頁にわたる本格的な作家論まで実に多様だ。それを、人を中心にしたもの(14話;追悼文が多い)、作品評に重きを置いたもの(33話)、谷崎潤一郎賞、三島由紀夫賞、山田風太郎賞選考委員としての選評(24話)、そして自著あるいは近況を記した部18話)、と4部で構成している。初出の掲載先も、新聞、週刊誌、総合誌(文藝春秋、中央公論など)、文芸誌(群像、新潮、波など)、文庫本や全集の解説など実に広範囲、時間の2004年から2018年と幅がある。

素材となるのは、当然ながら作家と作品。おそらくそれぞれ100近いと思うが、私の知る作家は13程度。古いところでは夏目漱石、芥川龍之介、何度も内容を変えて語られるのは谷崎潤一郎や大江健三郎、小松左京らだ。この他、井上ひさし、丸谷才一、山下洋輔(音楽家)、蓮見重彦(映画評論家)、野田秀樹(演出家)、星新一、手塚治虫(漫画家)、それに賞を設けられている三島由紀夫、山田風太郎など多士済々。これらの作家・作品を多角的に語ることにより、著者の文学に関する考え方が、見えてくると言う仕掛けである。

そこから伝わってくる著者の文学に対する片言を、引用を含め整理してみると;芥川「文を作らんとするものの、彼自身を恥ずるのは罪悪である。彼自身を恥ずる心の上には、如何なる独創の芽も生えたことはない」に強く共感を覚え、「平穏な日常を描いて、非日常にするのが文学である」、「作家は「びっくりおじさん」でいいのであって、「民主主義おじさん」になってしまうのはよくない」、「現在では、何を書くかよりも、どのように書くかが重要とされる時代であるが、だからと言って何を書くかが等閑にされてはならない」とし、「自作も賞の選考も、新規性を重視する」となり、新たな文学に求める三条件として「笑いがあり」「ファンタジックで」「実験性の見られるもの」と総括する。

“文学論”など辛気くさいものとの先入観が払拭され、著者が私淑する谷崎潤一郎の「陰翳礼賛・文章読本」を買ってしまった。

 

5)ミッション・ソング

-国の代表を騙りコンゴの鉱物資源を狙う面々、この地の言語をいくつも操れるスーパー通訳が、その悪だくみを暴こうとするが・・・-


現役時代多くの通訳と仕事をした。逐次通訳、同時通訳、日-英が大部分だが、日-露、英-露、日-中、英-中なども経験している。この中で印象深いのが英-中の通訳である。案件は、1980年代半ば、中国国営石油企業SINOPECIT調査団を製油所に受入、工場紹介と当時最新だったプラントコントロールシステムの説明を行うものだった。この調査団はIBMの案内で米国の製油所を訪れたあと来日、日本でもIBMを通じての訪問依頼だった。工場やITシステムの説明を英語で行うことは何度も経験していたが、調査団員は基本的に英語を解さないと言うことで、英-中通訳が米国から同道、こちらが英語で行う説明をその通訳が中国語に訳す方法を採り、所期の目的を達することができた。オフビジネスの場でこの通訳と話す機会があり、国際企業IBMでも希有なマルチリンガル通訳であることを知った。30代後半から40代前半、国籍はスウェーデン、英語は無論、フランス語、ドイツ語など欧州の主要言語はほとんどカバー、中国語は北京語だけでなく広東語も可、流暢ではないが日本語も旅行者なら一人で行動できる程度。34カ国語を使える欧州人には何度か会っているが、これだけの言語を駆使できる人物は、後にも先にもいない。

本書の主人公サルヴォはアイルランド系英人宣教師の父とコンゴ人(コンゴ民主共和国;旧ザイール)の母との間に生まれた混血児。ロンドン大学東洋学院で学び、英語(階級・地方方言の使い分け可)、フランス語、スワヒリ語、コンゴ・ウガンダ・ルワンダ地域のいくつかの言語(リンガラ語、ベンベ語、シ語など)、それにラテン語を駆使できるスーパー通訳。英国情報部が陰で操る国際会議の通訳に採用される。

欧州各国はアフリカを植民地化する際、現地の民族構成、自然環境などを無視して、勝手に線引きをした。それが独立後種々の争いを起こしている(母は紛争に巻き込まれ死去)。典型的なのはフツ族とツチ族が争ったルワンダの大虐殺だ。コンゴ東部およびそれに接するウガンダ、ルワンダ地域の不安定な政情・世情を平和裏に収め、コンゴの発展を図るため、時に反目し合うこの地の実力者を集め、和解策を探るのが会議の目的である。英国情報部はサルヴォの特殊言語駆使力に期待する。ただし、会議メンバーには英・仏・スワヒリ語(アフリカ人参加者の共通言語)の三カ国語しか出来ないことにされる。

サルヴォは会議進行役、法律顧問、会場運営スタッフとともに夜間中型輸送機でロンドンを発ち北海の孤島に運ばれる。正確な位置、国籍は不明だ。そこには小さな城とも言える邸宅があり、参加者を隠密裏に監視する盗聴システムが仕込まれている。会議室、参加者や随員の部屋、庭に在る東屋、ポーチ、温室、いつでもどこに居ても話は地下室の監視センターに集められ、テープレコーダーに記録され、リアルタイムで盗聴することが出来る。サルヴォに課せられた真の仕事は、参加者が交わす種々の現地語による私語を聴き取り、会議進行役に伝え、英国が望む方向へ会議を誘導することにある。サルヴォがパートタイムの通訳として雇われた時には知らされていなかった役割である。読めてきたのは、英国の政・官・財の狙いが、本格的なコンゴの民主化・安定化ではなく、豊富な鉱物資源(金・銅のほか、ハイテックに欠かせない希少金属コルタン;世界埋蔵量の多くがコンゴ東部に集中)を確保し運び出すリスクを抑えることである。現地人参加者たちが一堂に会した本音もそこにある。ここからサルヴォとその恋人(コンゴ人の学士看護師)対情報部を含む英国権力機構との戦いが始まる。

ル・カレのどの作品も大団円で終わることはない。巨悪に戦いを挑む個人が苦渋を飲まされるのは本書も同様、サルヴォの失意で幕を閉じる。

ル・カレは本作執筆前にアフリカ専門のジャーナリストをガイドとして雇いコンゴを訪れ、政治・社会面のみならず、文化(特に言語)についても見識を新たにしたと伝えられている。取材結果をリアルタイムで生かし(2005年末コンゴ訪問、2006年出版)、天才通訳サルヴォを通じて訴えたい本意は、アフリカを食い物にしている、既得権者(旧宗主国や企業、地元有力者)に対する道徳的怒りであり、ハッピーエンドで終わらないのは、社会告発小説として当然の帰結と言える。ル・カレはただのスパイサスペンス小説家ではないのだ。

 

6)世界の英語

RLの発音の違い?三人称単数現在?そんなの我々の英語に関係な~い-


1970年、31歳で初めて海外出張をした。出張先は米国とフランス。入社来前年まで7年間和歌山工場勤務だったから、英会話の機会など皆無と言っていい状態だった。約一ヶ月の海外だったが、塗炭の苦しみを味わった。次の機会は1975年、シンガポールに在ったEsso Eastan傘下のトレーニングセンターで2週間、ビジネスゲームを主体とする教育を受けた。生徒は日本(沖縄を含む)を始めシンガポール、タイ、マレーシア、インドネシアから派遣されており、ネイティヴ以外の英語話者に接し、その多様な英語に驚いた。特に、シングリッシュと言われるシンガポール英語は、当初何語か分からず面食らったが、充分米人インストラクターとは通じており、こんなしゃべり方で良いんだと、妙に納得。これ以降、あまり発音や文法を気にせず英語を使えるようになった(聴取りは依然問題だが)。

現役を引退した200768歳で渡英、6ヶ月ほど大学で私的研究に取り組んだ。旧英領植民地からの留学生も多く、そんな環境下、英国人の留学生対応を見ていると、現地化した英語を理解しようとする姿勢が明らかに存在した。今や、キングズイングリッシュに世界が合わせるのではなく、英国人も国際語である英語を学ぶ時代なのだ。本書は、英国内を含め、この視点から世界で使われている英語を俯瞰し、その実態を概説するものである。

1800年代にはブリテン島のイングランド地域で2000万人が使っていただけの英語は、現在第一言語(日常)使用者4億人、第二言語(公用)使用者9億人、外国語として習得した者10億人、計23億人と100倍に急増、「日の沈まぬ言語」となっている。本書の英語題名は「World Englishes」と複数になっており、言語学の世界ではこの使い方が一般的になっているようだ。

その複数の英語を、①ブリテン諸島(イングランド、ウェールズ、スコットランド、アイルランド)、②北米(アメリカ合衆国、カナダ)、③オセアニア(オーストラリア、ニュージーランド)、④アジア(南アジア、東南アジア)、⑤カリブ海地域とアフリカ、の5地域で章立て、それぞれの地域における英語浸透・発展史を手短かに解説したのち、発音、語彙、綴り、文法の4点でそれぞれの特徴、違いを具体的に紹介、その依ってきたる遠因・過程をたどる。

それぞれの事例を一部示すと:発音;rの後に母音が来るか否かで起こる違い(容認発音)、carcardではrを発音しないがradioreadでははっきりrが発音される。ブリテン諸島を形成するアイルランド、ウェールズ、スコットランドは元々ケルト語民族、あとの音にかかわらずrを発音する言語系のため、今でもそのような発音をする人々が存在するし、これが移民先で引き継がれている地域もある。またth[ θ ] / [ ð ])の発音も違いが顕著に現われる。日本人には苦手なrlの発声法、こんなことはお構いなしの英語は至るところにある。語彙;南アの交通標識に“Robot 250m Ahead”とある。Robotは信号機(Traffic LightSignal)のことである。ガソリンは英国ではPetrol、他の国ではGas(olin)。綴り;theatre(英)とtheater(米)、travelled(英)とtraveled(米)はおなじみだ。文法;時間とかかわる副詞、justyetalreadyは英国では現在完了と組み合わすのが通例だが、米国を始め他国では過去でも使う。付加疑問文「You like sushi, don’t you?」の後半部分(疑問)はis it? no? 、eh?など地域によってどれも正しい。現地の第一言語と混じり合ったピジン語、主としてアフリカからの奴隷が母国語を英語の中に取り込み、それが子孫に継承された、米国南部やカリブ海地域で使われているクレオール語。これらの発音・文法は、日本人が学習する英語とはまるで異なる世界だ。

これだけ異なる英語が世界に広がると「共通英語(リンガ・フランカ)を作ろう」と言う声も起こってくる。一方で、かつてラテン語がヨーロッパ知識階級(宗教、文学、科学など)の共通語となっていたが、地方別に独自発展、共通言語としての機能を失い、消えていった例もある。果たして英語はこれからどうなっていくのか?

読みやすく、解りやすく、面白い一冊、英語好きの中学生から現役バリバリまで英語学習副読本としてお薦めだ。著者は1959年生れ、米ブラウン大学Ph.D、東京大学名誉教授。

 

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