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2017年8月31日木曜日

信長回想ドライブ1200km-16


16.彦根城
今日そしてこの旅最後の訪問先は彦根城である。私は川崎工場勤務時代一度だけ部下の結婚式の際ここを訪れているのだが、40年近く前のことだし、時間も限られていたので、ほとんど初めてと言っていい。近江八幡の駐車場を発ったのは1 20分頃、湖畔を走る県道25号線は交通量も少なく平坦で、走り易いのだが午後の日差しは強くおまけに昼食後とあっていささか眠気さえ感じる退屈な運転を強いられる。2時頃堀の外側に在る駐車場に到着、表門(佐和口門)までチョッと歩く。
関ヶ原のあと家康の家臣であった井伊直政(いま大河ドラマで話題の直虎は養母になる)が彦根藩主となり、ここに城を築くことを願っていたが、病で倒れ家督を継いだ直継の代(1607年)に完成したとガイドブックに書かれている(本年は築城410周年にあたり、各種の記念行事が行われており、翌日・翌々日は土・日でブルーインパルスがデモに飛来するとのことであった。残念!)。天守閣が国宝なのは、姫路、松本、松江、犬山それにここだけだから、大いに価値がある。
表門から入り、天守閣まではかなりの距離があり、当然上りだから結構きつい道のりだ。途中に彦根博物館も在り、ボランティアの人が呼び込みをしているが、後の予定(帰途につくだけだが)もあるので、ここはパスする。先ず現れるのが天秤櫓、つづいて太鼓門と続櫓、いずれも重要文化財である。ここ過ぎてさらに上ると本丸広場があり、西側に天守閣が聳え立っている。今日は平日なので行列はなく、直ぐに入口へアクセスできる(アプローチの通路はあるが)。ここで靴を脱いで、あとは順路に沿って急な階段や廊下を巡って最上階に至る。西側には琵琶湖が、北側には昨日通過した賤ヶ岳方面が望まれ、東側は遥かに伊吹山が見える。南直下には彦根の町があるが、往時は城下町であったろう。気温が高いこともあり少し靄っているが、素晴らしい眺望である。ここでしばらく過ごし、ほかにも見所はいろいろあるようだが、来た道をもどり、道路を隔てて表門の向かい側に在る彦根観光センターであれこれ土産物を物色する。
駐車場を出たのは320分。名神道彦根ICへ入る手前に在るExpress彦根SSで給油を行う。給油量;43.07ℓ、前回富山SSで入れてから、約430km走っているから、燃費は10kmとなり、大半が一般道であったことを考慮すると、まずまずの成績である。
名神彦根ICに入り、名神小牧JCT→東名道豊田JCT→新東名道御殿場JCT→東名道足柄SA(夕食)東名横浜・町田IC→保土ヶ谷BP→横々道路堀口能見台出口と走り、自宅到着は8時丁度だった。総走行距離;1237km、総ガソリン消費量;112.7ℓ、燃費;11.0kmℓ、総自動車道料金;19,920円。無事全国都道府県走破を終えた。

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-完-

長いことご覧いただき有難うございました。


2017年8月29日火曜日

信長回想ドライブ1200km-15


15.近江八幡
小京都(角館、郡上八幡、越前大野、龍野など)、小江戸(川越、佐原、栃木など)、宿場町(馬篭宿、妻篭宿、大内宿など)、門前町(長野、鎌倉、伊勢、新宮、琴平など)、湊町(平戸、酒田など)そして各地の城下町。最近は歴史を残す町並みの復元・整備も進んで、ところによってはチョッとやり過ぎの感無きにしも非ずであるが、ドライブ行の楽しい立ち寄り先となっている。今回最終訪問地に城下町の彦根を選んだが、その前にユニークな“近江商人発祥の地”をキャッチフレーズに売り出している近江八幡を訪ねることにした。
近江商人というと何故かケチで阿漕な西武鉄道グループの堤一族がすぐに連想され、あまり良いイメージはないのだが、高島屋(高島郡)や伊藤忠・丸紅(犬上郡)は立派な会社だし、八幡を出自とするふとんの西川やメンソレータムの近江兄弟社(今はロート製薬)は身近にすら感じる企業だ。最終日は時間が許す限り“商人の町”を探訪してみよう。こんな思いでやってきた。
南西の琵琶湖畔道路から町の入る途中八幡宮の参道を抜ける。この道の両側に未舗装部分があり、クルマが縦駐車でてんでに止まっている。しかし八幡堀巡りの船着場指定駐車場“あきんどの里”にナビをセットしておいたので、そこまで行ってみた。かなり北東の位置で駐車場は有料、数台のクルマしかなくガラガラである。係員のおじさんに堀巡りの案内を乞うと、直ぐ近くのようなことを言うので、もらった地図に従って歩き出したがなかなかそれらしき所に行き着けない。途中の自転車屋で確認してやっと堀に下りる場所がわかる。
堀の対岸に舟が何艘か舫ってあるが、船頭らしき人が一人居るものの客の姿は見えない。すると若い男女が一組石垣の一角から下りてきて舟の方に向かう。どうやらここで良いらしい。彼らを追って船頭の所で要領を聞くと、約30分間町中の堀(運河)を観て廻り、ここに戻るとのこと。料金は現金で一人千円。
4人を乗せると舟は直ぐに出発、動力は船外機で案内はテープ、あまり風情はないが、天気は良く堀の両側の緑は濃くて、長い運転の後ののんびり感が何とも言えず気分が安まる。もともとは八幡宮の先の丘に豊臣秀次の居城があり、この堀はそれを囲むことと水運を兼ねていたものとのこと。両岸の石垣の一部は広い階段状に造られ、近くには倉も復元されていて、昔を適度に偲ぶことが出来る。
船着き場に戻ると12時少し過ぎ。今朝は朝食をたっぷり摂ったので、昼食前にもう少し町を見て歩くことにする。先ず町の名前の由来である日牟禮(ひむれ)八幡宮へ。参道に面して公共施設や飲食店、土産物屋も多く中心部と言っていい。しかも先ほど通過した駐車場は無料なのだ。このあといよいよ商人の屋敷が並ぶ旧市街さらに西川甚五郎邸(非公開)を観て廻る。確かに、宿場町や門前町とは雰囲気がまるで違い、現代の町並みとの違和感もほとんどない(見世物風でない)。これは大事なことだと思う。
次の見所は近江兄弟社を創設した宣教師で建築家のウィリアム・メレル・ヴォーリスの残した一連の洋風建築物である。郵便局、旧八幡東学校(現在は特産品紹介を兼ねた観光案内所)が中心部にあるほか少し離れたところに池田町洋館街が在る。しかし、そこまで観ると彦根城観光の時間が充分取れなくなる恐れがあるので残念ながらパスした。
このあと船着き場付近にもどり、かわらミュージアム隣接のカフェレストランで遅い昼食を摂った。
全体として楽しい街歩きが出来、もっとたっぷり時間を使えるように計画すべきだったとやや反省をしている。

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(次回;彦根城;最終回)

2017年8月25日金曜日

信長回想ドライブ1200km-14


14.近江八幡へ向けて
62日(金)、最終日だ。夜中に雨が降ったようだが全く気が付かなかった。早朝部屋から湖を見ると、雲が走っている。朝食を摂りにダイニングに赴くころには薄曇りで、ときどき晴れ間もあらわるが、何か安定しない天候だった。ふんだんにある自家製パンと少量だがサイコロステーキも供される朝食は、素晴らしく、余ったパンは持ち帰るように包んでくれた。食後は広い芝庭をしばし散策。920分ホテルを発った。
今日の予定は、湖畔の見所、近江八幡、彦根城を観光してあとは一気に名神・新東名・東名と自動車道をつないで帰宅するのだが、一ヶ所だけこの近くで立ち寄りたい所がある。全長2.4kmに高さ30mを超すメタセコイア杉500本が作る日本離れした並木道である。湖西の幹線道路(国道161号)から離れているので、寄り道になるのだが、今回必須のドライブウェイだ。ホテルからの位置は真西に45kmだが、湖畔道路が一部不通になっていることもあり、かなり迂回しなければならない。先ず来た時の道を戻って、大浦に出る。ここから県道557号を永原まで北上、T字で交わる国道303号を西に向かい、湖西を走る幹線道路国道161号に入りしばらく南下、小荒路という所で県道287号を西に向かう。この辺りまで来ると“マキノ農業公園”の標識が現れるから、それに従って進む。これがホテルを発つ前に、指示されたルートである。
国道はまずまずの広さだが、県道はセンターラインがほとんどない田舎道。交通量は少ないのだが、雨が降ったり止んだり、時に強い驟雨もあって、緊張する運転が続く。いよいよ並木道が現れる。見える限りは直線道路だが、暗い道の先はよく見通せない。途中までとにかく進んでみるが、写真を撮るための駐車スペースがなかなか見つからないのでとりあえず先へ進む。すると急に左(東)側に駐車場が開けるところに出た。そこは農業公園の駐車場で、何台かクルマが止められている。一旦ここで停車して様子をうかがっていると雲の間に晴れ間が現れ、こちらに向かって動いてくる。そこで来た道を戻り、巨木の間に何とか駐車スペースを見つけて、ほんの短い距離を歩いて並木の雰囲気を味わうとともに写真を撮る。遠路はるばる寄り道をするだけの価値は充分ある景観だった。
再び並木道を南下、やがて道は国道161号線に合流する。湖西の幹線道路だけに交通量は多く、再び降り出した雨の中をひたすら南に向かい、今津、近江舞子をバイパス、真野という所で琵琶湖大橋に向かう国道477号線に入る。この辺りまで来ると先ほどの雨が嘘のように空は明るく、暑ささえ感じる。
大橋を渡ると直ぐに左折して湖岸道路を取って近江八幡を目指す。湖岸には公園が多く、道は空いており走り易い。ナビの案内に従い、日野川を過ぎてしばらく進むと市内へ向かう。セットした目的地は“八丁堀巡り”に便利と説明があった“あきんどの里”駐車場。到着は1120分だった。

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(次回;近江八幡)

2017年8月20日日曜日

信長回想ドライブ1200km-13


13.ロテル・デュ・ラク
この旅の構想段階で、初日は温泉旅館(和食)、二泊目は金沢中心部のビジネスあるはシティホテル(食事は外食)、そして最後の晩は琵琶湖湖畔のリゾートホテル(できればオーベルジュで洋食)と決めた。琵琶湖周辺にはそれなりに景勝地や歴史的を残す町もあるので、良いホテルがあるのではないか当たっていったのだが、なかなか「これは!」というところが見つからない。大規模なものが多く、やっていけるとしたら「インバウンド団体様御用達」と感じさせる。これだけはご免である(日本人の団体も)。オーベルジュ、スモールホテルなどと琵琶湖(西岸)をキーワードとして組み合わせて探して見つかったのがここである。
場所は湖北端、最寄り駅は北陸本線の近江塩津か湖西線の永原、いずれもローカル駅で、近くに大きな町は全くない。どうやら関西の別荘地の一つらしく、ホテルへは最寄り駅から送迎バスを利用するしかない。自分のクルマならばどうと言うこともないが、公共の交通機関では極めた不便だ。しかし、サービスの内容はかなりユニーク、ソムリエとして有名な田崎真也がプロデュースする本格的なフランス料理をワインとの組み合わせで楽しむようになっている。私は家ではほとんどワインは嗜まないので、供される美味しい料理に合ったワインを少しずつ味わいながらそのマリアージュ(組み合わせ)を講釈してもらえるチャンスは滅多にない。これで3泊目の宿泊先が決まった。
湖畔の道は数週間前の豪雨で周回できないがホテルまでは通じていた。広い前庭の先に建物は見えているが、道路に面したゲートは閉まっている。インターフォンで到着を告げると、遠隔操作のゲートが開いて、玄関の車寄せに達する(ここが2階)。横の駐車場に止まっているクルマは数台。若い男性従業員が迎えに出てくれる。フロントは小さく、階下(1階)にサロンを兼ねたロビーがある。ここでチェックインの手続き。このロビーを含む本館は湖に向かって傾斜しており、目の前に竹生島が見える。我々の部屋は建物中央部の2階、“ラグジャリーシアター”と名付けられた最も廉価なクラスだが40㎡あり、ダブルサイズのベッドが二つ。“シアター”の由来はTVをプロジェクターで壁面に投射する方式に依る。バスルームも広く、バスタブとシャワーが別になっている。冷蔵庫には各種飲み物やつまみが用意してあり、すべて無料である(つまり宿泊料金に含まれている)。ひと風呂浴びて缶ビールを一缶開けて7時のディナーまで一休み。
メインダイニングはロビー奥(南)の一階にあり、テーブルが8卓ほど余裕を持って置かれている。先客は一組、後でわかるが中国系のカップルだけだ。静かである。
自家製のパンと供されるフルコースは;
前菜2種;スモークしたマス(ピノノワール;ブルゴーニュ)
スッポンと豚足(シャルドネ;ブルゴーニュ)
魚料理;真鯛ロースト(ピノノワール;ブルゴーニュ、料理によって赤であることもあるのだ)
肉料理;牛フィレロースト(ピノノワール;ブルゴーニュ)
デザート;チェリーとバニラアイス(シャルドネ;ブルゴーニュ)
 
ワインの産地はすべてブルゴーニュ、品種はピノノワール(赤)とシャルドネ(白)だがブランドはすべて異なる(当然味も)。そして、ワインの料金は宿泊プラン(35千円/人)には含まれず追加料金(それぞれ60mℓ;計7千円)となる。しかし、レストランの雰囲気、給仕する人たちのサービス、料理やワインの説明、そして料理(朝食がまた素晴らしい)そのものを全体で評価すれば、決して高いと思わせない内容であった。ここを選んだことは大成功、年に一二度はこんな贅沢をしてみたい。
ところでラクは仏語Lac、英語のLake(湖)に相当。従ってホテル名は湖畔ホテルと言うことになる。


(次回;近江八幡へ向けて)

2017年8月17日木曜日

信長回想ドライブ1200km-12


12.信長ゆかりの地を巡る
今回ドライブ記のタイトルは“信長回想”である。初日は甲州を通り、武田と信長の接点(ある意味転換点)を思い起こして奥飛騨に至った。ここは美濃から近いので戦う前に信長に従うことになった地域。次は越中を目指した。謙信・信玄の時代から領地争いが絶えない地であったが、柴田勝家率いる織田軍が富山城を攻め落とす。これでここも織田の与党になる。加賀・能登は謙信が自家の内に取り込んでいたから、功を上げた後家臣前田利家の領地となる。厄介だったのが越前である。信長は政略結婚で妹の市を、近江を地盤とする浅井長政に嫁がせ、越前朝倉を狙う。しかし近江と接する越前の朝倉とは不戦同盟を結んでおり、最後の決断は義兄信長よりも家と家のつながりの長く深い朝倉義景と組むことを選ぶ。信長は怒り義弟を攻める。
長政は朝倉に助けを求め、姉川(現長浜)の戦い、金ヶ崎の戦い、一乗谷の戦いと転戦するが、小谷城の戦いを最後に、織田・徳川、秀吉軍に敗れて自害する。夫の死後信長の命で柴田勝家に嫁がされる。この一帯には、その後信長の跡目相続を巡る羽柴秀吉と柴田勝家の賤ヶ岳(しずがたけ)の古戦場もある。お市の方は賤ヶ岳敗戦後自害)する。今日の午後は、それらを訪ねるドライブである。
北陸道敦賀ICで自動車専用道に乗り、2時半賤ヶ岳SAで一休み。古戦場は一度一般道に下りないと行けない。あとのこともあるのでこのSA立ち寄りで良しとする。収穫は七本槍の一人に脇坂安治が居ることを知ったことである。脇坂は関ヶ原の後も生き残り、播州龍野藩を得る。私の本籍であり、父の旧制中学校同級生に殿様の末裔(脇坂君)も居たと聞いている。
次に向かったのは長浜。中心地には何かあるだろうと長浜ICで下りたのだが、長浜城はコンクリート造りとあったのでパス。小谷城址も山の中に石垣の一部が残るだけとガイドブックに書かれている。駐車場からかなり上りになるらしいので、ここもパス。
ここだけは!と計画時から決めていた、実宰院(じっさいいん)に向かうことにする。長浜市中心部でナビがおかしくなり、かなり時間を費やしてしまう。もう日が西に傾きつつある。ホテルへのチェックイン通告時刻は5時。まあ、これはきっちり守る必要もないのだが、性格が時間にこだわる質だから、どうしても先を急ぎたくなる。ナビにお寺の名前を入力すると距離も時間もごく近くであると告げる。しかし、田舎の最短道路行程は予期せぬことの連続。田畑の中の未舗装道路ばかり走らされる。地上高の低いスポーツカーでは腹をこするような道ばかりだ。むろん行き交うことなど全くできない。ただ幸いなのはどの道も見晴かせるから、早めに回避策をとることが出来る。たまに来るクルマは軽トラックばかりでなんとかやり過ごせた。
そうしてたどり着いた実宰院。ガイドブックには駐車場有(バスも可)とあったから「どんな立派な寺なんだろう」と期待していた。ナビが「案内地付近です。ここで案内を終了します」と言って終わった。すぐそばに確かに廃屋のような寺があり、周辺どこにもクルマは止められるが、とても観光スポットには見えない。
実宰院はお市の方と浅井長政の間に生まれた三姉妹が父親の自害後逃げ込み、匿われ、ひと時を過ごした所なのだ。もともとは長政の姉が出家して住んでいた庵とのこと。三姉妹は;茶々(秀吉側室の淀殿)、初(常高院、京極高次正室、京極家を再興)、江(崇源院、徳川秀忠正室、家光(三代将軍)を生む。NHK大河ドラマの主人公にもなっている)。
ここを発って、一旦琵琶湖東岸を北に向かい、湖岸に沿って西行き、最後に西岸を南下して、ホテル到着は5時半少し前だった。周辺にはほとんど人家なし。関西の別荘地の一つらしい。緑と静かさが良い。
今日の走行距離;254km

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(次回;ロテル・デュ・ラク)

2017年8月11日金曜日

信長回想ドライブ1200km-11


11.越前海岸を行く
期待外れの東尋坊を出発したのは11時過ぎ、オリジナル計画では金沢の朝立ちも早く、出来れば東尋坊観光の後北前船寄港地として有名な三国港に寄ることもオプションとして組み込んでいたのだが、今日の後の予定、特に長浜周辺の観光が気になりパスすることにした。
越前海岸走破は年来の希望だった。これほど海に近い道路を長く走る機会はそうあるものではない。あったとしても最近は防波堤が高かったり、やたら洞門状のトンネル(海側に明り取りがある)が連続し、景観を楽しむのに難があるところが多い。しかし、越前海岸に沿う国道305号線は山も高さや勾配が適度はこともあって、三国の少し南から眺望に良い海抜のところを、トンネル部も少なく、海を眺めながら敦賀まで60km近く走れるのだ。このシーズンあまり食や花々を楽しむ(水仙畑もカニもオフシーズン)ことは期待できないが、寒くもなく暑くもなく、ドライブと言う点では最高の時期とルートの一つと言っていいだろう。読みは違わなかった。東尋坊を出て三国港からつながる坂井市の工業地帯(福井備蓄基地はここに在る)を抜けると、あとは海を右手(西)に見ながら、適度なアップダウンとハンドルさばきを楽しめる。その大きな理由は、急ぐクルマは北陸道、用事のある車は国道8号線を利用するので、全体の交通量が少ないうえに、トラックがほとんど走っていいないからだ。しかも有名は観光スポットが全くないことがそれに輪をかける。現れるのは小漁村がちらほら、スピード要注意ここだけで、あとはマイペースで走れる。それだけにガソリンスタンドやレストランもほとんどないので、それなりの準備が必要だ。
ガソリンはともかく(充分明日まで問題ない)、昼食はボツボツ考えなくていけない。できれば景色が良いところに、駐車しやすい小奇麗なレストランが在ると良いのだが、と思っていたところにそれらしきものが現れた。左側に数台の車が止まっている広い駐車場、その奥の山懐に低層のコンクリート造りの東屋のような建物が見える。右の海側前方には大きな岩のアーチが張り出し、手前に小公園のようなものがある。時刻は丁度12時。取りあえず昼食と散策でも、と駐車場に入る。マツダロードスターの傍らでバイクツーリングの青年と話していたおじさんがこちらに手を振る。皆走りが好きでこの道を選んだに違いない。
駐車場の外れから今通ってきた国道305号線に沿う形で鉄の階段がある。「ここから見所に行くのだろう」と勝手に決めて上るとただの横断歩道橋だった。交通量を考えれば不要とも思えるが、渡った先の公園の案内板や駐車場の広さから、ここが越前海岸を代表する観光名所と知って合点がいった。越前岬“呼鳥門(こちょうもん)”があの岩のアーチなのである。シーズンには人もクルマも多いのだ。
案内板によると旧国道が呼鳥門下をくぐり抜けていたが、崩壊落石を恐れて、2002年山側にトンネルを穿ちバイパスしたとのこと。呼鳥門観光の後は歩道橋を渡らず、道路を横断したのは言うまでもない。
コンクリートの東屋と見たのは立派なレストランと土産物屋を合わせた建物。土産物屋では鮮魚も扱っており、そこで料理して食せるようにもなっている。他に別棟の貸し切り?レストランもあり、団体が来ても対応できる、かなり大掛かり施設だった。造りも鄙には稀な立派なもので、利用はしなかったがトイレ(大)はまるで坪庭の中に在るようだった。美味しそうな海鮮料理がメニューに並び、何組かの客はそこから選んでいるが、今夜はフランス料理のフルコースだから、カニピラフで軽く済ませることにした。この一連の施設は第3セクターの経営かと思ったが、“有情”と言う純然たる民間経営であることを帰宅後調べて知った。
精算の際レジの男性に「越前岬はどこですか?」と問うと「ここが“越前岬”と特定した場所はありません。ここら一帯がそうです。ただ灯台がありますから、そこに立ち寄ったらいいでしょう」と場所を教えてくれた。1時前有情を出発、灯台への道路標識には“水仙ランド”とあった。急な山道を登り切るとそれが在ったが、シーズンでないから灯台以外は何も見るものはなし。直ぐに国道に戻り、さらに越前海岸を南に下り敦賀の少し手前で海岸に別れを告げた。この道は期待通りだった。

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(次回;信長ゆかりの地を巡る)

2017年8月5日土曜日

信長回想ドライブ1200km-10


10.東尋坊
61日(木)金沢市内は明け方雨で、出発時も小降りだったが、天気予報では西の方から快方に向かっているとのことだった。今日は海岸沿いのドライブが長いので何としても晴れて欲しい。ナビにセットしたのは東尋坊タワー駐車場。出発時刻は840分。この地方最大の都市の中心部、ラッシュアワーで道は渋滞気味、本来北陸道金沢西ICへ出る予定だったが、右折個所を間違えたために、結局一つ先の白山ICで乗ることになる。
高校生時代だった思うが“東尋坊の鬼”と言う映画があった。何か凄みのある妙なタイトルで“東尋坊”が記憶に残った。そこが日本有数の海蝕断崖で国の天然記念物であることをのちに知り、一度訪れたいと思っていたが、今日までチャンスがなかった。走りを楽しむ越前海岸へ出るのに良い位置にあることから、今回の旅行の景勝地探訪の最有力地としてここを選んだ。
白山ICに入るころには空も明るくなってきて雨は完全に止んでいる。北陸道に乗ると直ぐ、平坦な道路の右側間近に海岸を見て走ることになる。高架でないのが海を近くに感じさせる。交通量は少なく走り易い。小松ICを過ぎると左側から旅客機が飛び立つ。小松空港だ。片山津ICの先から海岸を離れ、田園地帯を少し走ると北陸道の出口加賀ICに至る。ここから国道305号線に出て、北潟湖畔の西側を通り、芦原温泉の中心部で西へ向かう県道を進んでいくと、道が広くなり案内板に駐車場や公園への道筋が示される。もう東尋坊の観光エリアに入っており、目の前に展望タワーが現れる。少し手前に無料の駐車場があったがタワー前のそれは有料(市営:一日500円)、広い駐車場に
とまっているクルマは数台のバスと乗用車だけだった。到着時刻は1050分。
第一印象は「寂れた感じだなー」とあまり良くない。駐車場の案内人に観光路を確認して、先ずタワー内のトイレへ。一階はお土産を扱うスペース、ちらほらと客はいるものの、照明が暗いせいもあってうらぶれ感が拭えない。展望タワー(有料)は動いているが、二階のレストランは休業中で階段にロープが張られている。国の天然記念物の所在地に相応しくないこんなものを何故作ったんだろう?
タワーから断崖に至る道の両側は例によって土産物屋と飲食店が並ぶ。多いのが鮮魚を扱う店だ。これも、「こんなものをここで買う人がいるんだろうか?」と思わせる。おそらくクール宅急便が何かで送るのだろうが、店頭に並ぶものはとても鮮度がいいとは言えないのだから。そでも通りは結構にぎわっている。芦原温泉に一泊するのだろうか、東アジア系の人(おそらく中国人)が多い。
通りを抜けると眼前に日本海が広がり、足元は海蝕断崖の上、左右にもそれが広がり(約1km)、その先に雄島と呼ばれる小島が見える。断崖上部からは下に向かって遊歩階段が出来ており、これを下っていくと少し広々したところに出る。ここから断崖絶壁を観るのがここの定番観光ルートらしい。ただし足下が悪く要注意だ。階段の途中から一気に海淵に下りる道は遊覧船専用だ。この船で下からそそり立つ断崖絶壁を巡るのが素晴らしいとガイドブックにはあるが、30分ほどかかるのでパスすることにする。観光に要した時間は約20分、これで充分だ。
率直に言うと「期待外れであった」柱状節理(岩が柱状に立ち並ぶ)断崖は世界有数のものだと言われているが、地質学上はともかく、この程度の海蝕断崖は、日本各地にみられるし、和歌山白浜の三段壁を何度か訪れたことのある者にとって、周辺の景観を含めると、遥かに白浜の方が好ましいと感じた。
ところでこの奇妙な名前は近くの平泉寺(数千人居た!?)の僧侶の一人。暴れ者で仲間にここで突き落とされ、そこから数々の伝説が生まれた結果らしい。これで映画の題名との関係が分かった(映画は現代物だったが)。

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(次回;越前海岸)