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2012年4月17日火曜日

決断科学ノート-114(自動車を巡る話題-8;自動車ジャーナリズム-3;自動車ジャーナリスト)



クルマが遥かな夢であった時代から、現在の“クルマ離れ”の時代まで、自動車雑誌も変化してきていることを前回述べた。そこには時代を先読みする優れた自動車ジャーナリストの存在がある。
技術解説や外観のデザイン評価(グラビア写真解説)が紙面の大部分を占めたところから初めて脱したのはカーグラフィック(CG)の運転評価レポートである。やっと自家用車に手が届く可能性が出てきたときに創刊され(1962年)、試乗可能な国産車の遥か先を行く欧州車を俎上に上げて、その優れた性能を伝えてくれた。この新しい企画の中心にいたのが、CG創刊メンバーの小林彰太郎である。わが国自動車ジャーナリストの始祖と言ってもいいこの人は東大経済学部出身、当時の業界にあって、異色の存在であった。後年書かれた伝記風紹介記事によると、ほとんど自動車部出身と言ってもいいような学生生活であったようだ。学生時代からモーターマガジン誌などに寄稿、おそらく外国の自動車雑誌などに目を通す機会もあったのであろう、CGが斬新な内容で多くの自動車ファンを惹き付けたのは、そこに手本があったからと推察する。取材活動を通じて出来た海外人脈・出版社との関係も他の自動車人には無い、彼の財産といえる。
創刊時、出来たばかりの東名をベンツで200km/hを超すスピードで飛ばしたことを記事にして物議をかもしたこともあるが、それほど彼我の差があった時代である。欧州車への賛辞が現代の自動車ジャーナリズムに続くのは、その影響ともいえる。私のひと世代前の人だが今でもCGの顧問として時々書いているようだ。
乗用車を技術以外の視点も加えて分析した次の人物は徳大寺有恒である。タクシー業経営者の家庭で育ち、高校生の頃からクルマに乗り始め、大学を出るとメーカーの開発アドバイザーやレーサー生活を経て自動車ジャーナリストに転じる。何と言っても彼を有名にしたのは「間違いだらけのクルマ選び」(1976)である。
この本が出たのは、マイカーが普及し、世界のマーケットに日本車が進出した時代。どんなクルマも国内で乗る分には一応満足できる状態にあった。しかし、この本でこの“一応”を鋭く攻め立て、評価を行ったのだ。価格と性能のバランス、わが国道路での取り扱い易さ、駐車スペースとの兼ね合い、色やインテリアの選択肢など、大金を払って一台しか持てない高価な商品の選択に役立つ情報を、手短にかつポイントを突いて解説する内容が大人気を呼ぶことになる。
その後のこの人の書くものを見ていると“社会・生活”の視点が一番確りしており、“社会派”自動車ジャーナリストと呼んでもいいような独自の位置を作り上げた。同世代ながら十年位前病を得て身体が不自由になったようで、運転の機会が減っているのが残念だ。
同じくクルマと生活の関係を取り上げながら、もう少し文化的な視点で発信したのがNAVIの創刊メンバーの一人、鈴木正文である。高校生の頃からおしゃれにはことのほか関心が高かったようで、50歳を過ぎた今でもユニークな服装でトークショウなどにあらわれ、若い人に人気がある。一方でかつて安田講堂篭城も経験した学生運動家の心意気は今も衰えず、NAVI編集長時代は編集部員を湾岸戦争反対デモに動員したという。
この独特のキャラクターがNAVIを追われる原因の一つだったようだが、ENGINEの編集長として返り咲くと、むしろそれが売りともなった。NAVIが休刊しENGINEが生き残ったのは彼に負うところが大きいように思う。巻頭の“from Editor”は、必ずしも直接クルマに関する話題ばかりではなく、文学、哲学や社会時評などにも及び、なかなか含蓄のある内容で、本誌の特集記事へ繋がっていく巧みなものだった。ひと世代若く、唯一の“文化派”とも言える彼も定年でENGINEを去った。次の舞台はどこになるのだろうか?気になる人物である。
上記三人ほど知名度は無いが、笹目二朗という人の書くものに興味を持っている。この人は自動車会社のエンジニアから転じた人で、雑誌にはそれほど登場する機会が多いわけではないが、レンタカーを借りて海外を走り回り、それを単行本にしている。大体同行者は夫人。車とガソリン、食・泊の苦労、道とスピード取締りの話が中心で、旅情を伝えるものは少ないのだが、クルマ旅の書き物が少ないだけに存在感があるのだ。こんな人が、ありふれたクルマを「いい車だ」などと評価すると、ディーラーの宣伝と見紛うような記事より信用できるような気になってくる。
この他にも数多自動車ジャーナリストはいる。この時代食べていけるのかと他人事ながら心配になるほどだ。自分の特色をどう出すか?時代は何を求めているか?雑誌も書き手も問われる時代が既に来ているが変化の兆しは見えてこない。

“自動車を巡る話題”はこれで一区切りしますが、好きなテーマだけに折を見て登場させるつもりです。明日から“吉野・高野・龍神ドライブ”に出かけてきますので、しばらくブログアップ中断します。これからもよろしく。

2012年4月13日金曜日

決断科学ノート-113(自動車を巡る話題-7;自動車ジャーナリズム-2;コンテンツ)




この半世紀、夢であり憧れであったクルマは、やがてマイカーとして身近なものとなり、使う側の関心・ニーズも変化してくる。さらに国内市場が成熟し、グローバルな資源・環境問題がクローズアップされ、種々の制約が加えられるようになる。この間のわが国自動車産業の成長は著しく、その変化をチャンスとして捉え、トップランナーへと発展してきたが、必ずしも安閑としていられる状況ではない。一つの例は、世界的には自家用車の中心を占める、セダンのマーケットにおける、日本車の存在感の薄さである。そしてその責任の一端は自動車ジャーナリズムにもある。過度な外国車礼賛と(重箱の隅を突くような)技術偏重である。
わが国乗用車生産の実質的なスタートは戦後、それも昭和30年(1955年)前後である。トヨタからクラウンとマスター(主にタクシー向け)が日産からダットサン800(やがて1000)が発売される。とにかく量産車を作れるようになったと言う段階で、とても世界市場に出せるようなものではなかった。それでも当時国産乗用車を生産できる国は米・英・独・仏・伊くらいだったから快挙だったのである。
当時の自動車雑誌の記事は、専ら技術的な内容が濃く、世界の先端技術に如何に伍しているかを解説する記事が多かった。筆者は主に自動車会社の技術者や機械工学の研究者。従って“運転する”、“所有する”と言う視点を欠いていた。
1950年代末期、本格的な乗用車生産に経験の浅いことを補うように、日産がオースチン(英)、日野がルノー(仏)、いすゞがヒルマン(英)と提携し、ノックダウンを始めると、彼我の比較が行われるようになり、それは技術ばかりではなくインテリアデザインにまでおよぶようになる。やっと“所有する”に踏み込んだ話題が自動車雑誌に取り上げられるようになってくる。
こんな時代、この“所有する”に加えて“楽しむ”視点を前面に出して創刊(1962年)されたのが、前回紹介した「カーグラフィック(CG)」である。特に外国車の試乗評価レポートはこの雑誌の目玉であり、人気抜群であった。第一回の特集は、何とメルセデス・ベンツである。まだまだ発展途上だった国産乗用車との比較も記事の中に散見され、厳しい評価を受けていた。しかし、学ぶことの多かった国産車メーカーへの愛の鞭となったことも確かである。
問題は、ここで育った自動車ジャーナリストが、必ずしも国産車を正当に評価せず、外車礼賛の風潮を今に引き摺っていることである。国産車が取り上げられるのは極めてまれである一方、米国車を除けば先ず外車の悪口を書かない。
それ故に、身近な存在である国産車を取り上げ、真摯に分析し(提灯記事でない)、消費者に適切な情報を提供して欲しいという願いは、潜在的に購入予定者や自動車愛好家の間に高まっていた。その期待に応えたのが徳大寺の「間違いだらけのクルマ選び」であった。この本によって、一時徳大寺は業界(メーカーのみならずジャ-ナリズムからも)から村八分に会うような扱いを受けたとも言われる。しかし、日本人の生活(所得など)を踏まえた、歯切れの良い評価は消費者や自動車ファンの圧倒的な支持を得ることになり、言わば“バイヤーズレポート”として、長く人気をはくすことになる。彼のような目で国産乗用車(特にセダン)を取り上げ、地道に報じていればミニバンと軽自動車が溢れる自動車ガラパゴス列島が少しは違うものになっていたのではなかろうか。
このガラパゴス化のもう一つの遠因に、かつて“Road & Track(米国自動車雑誌)”で読んだようなドライブ紀行がほとんど今の自動車雑誌に取り上げられないことがある。運転の楽しみはクルマだけではなく道や風景、あるいは土地々々の文化との触れ合いによってもたらされる。この楽しみを伝える努力を全く欠いては、自動車産業の特殊化(ひいては衰退化)が進むばかりでなく、自動車ジャーナリズムも同じ道を辿ることになるのではなかろうか。「旅と文化とクルマの融合」、こんなコンテンツが切に望まれる。
(次回;自動車ジャーナリスト;本テーマ最終回)

2012年4月6日金曜日

決断科学ノート-112(自動車を巡る話題-6;自動車ジャーナリズム-1;自動車雑誌)




わが国の自動車産業、特に乗用車(スポーツカーを含む)の将来に不安を感じ出して久しい。その因は、メーカーの経営戦略、諸自動車行政にあるが、加えて自動車ジャーナリズムにも問題がある。これから数回ここをテーマに論じてみたい。
半世紀前自動車好きの学生だった頃、二つの自動車雑誌があった。一つは「モーターファン」、もう一つは「モーターマガジン」である。前者の創刊は戦前、それも1925年である。戦争中は休刊しているが、早くも戦後二年目の1947年には復刊している。オートバイからトラックまで、技術解説、試乗記、加えて大量の広告や中古車情報など、自動車なんでもありの、分厚いてんこ盛りの雑誌だった。それに比べるとモーターマガジンは1955年創刊、グラビアが多く、乗用車中心に外国車の紹介なども載せていた。当時は少なかった乗用車オーナーの家庭に育った親友に見せられ、その垢抜けた感じに印象付けられた。
 まだまだクルマの個人所有は高嶺の花、この時代の記事には、ジャーナリズムに欠かせない“評論(批判)”はほとんど無かった。
1962年(就職の年)「CARグラフィック(CG)」が創刊された。それまでの自動車雑誌と異なり、所有者・運転者の視点で車を取り上げ、創刊に携わった小林章太郎らの優れた評価レポートが売りものだった。国際的なレースや海外自動車ショウの紹介は国外に目を向ける機会を提供し、その点でも時代を画する出版物と言えた。またその名の通り美しい写真が多く(従って高価)、マイカー時代を先取りする革新的な位置を占め、その後のわが国自動車ジャーナリズムの手本となって行く。ただ、次回書くようにネガティブな面での影響も決して少なくない。
就職してから定期的に購読していた自動車雑誌は、モーターマガジン社が発行していた「Auto Sports」、それに米国の自動車雑誌「Road & Track」である。モータースポーツの黎明期、鈴鹿や富士スピードウェイで行われる各種レースは、やっとマイカー(中古車)を手にした私にとって、“次”を夢見る材料を与えてくれた。
海外旅行と海外高級スポーツカーは夢のまた夢であった時代、Road & Trackはそれを垣間見るチャンスを与えてくれた。特に印象的だったのは、最新のスポーツカーやクーペを駆って米国内を長距離ドライブする記事で、“運転の楽しみ”を教えてくれた。四国へ。山陰へ、能登へと走ったのはこの影響である。この雑誌は長い歴史があるが未だに命脈を保っている。
再び自動車雑誌を手にするのは1996年から。CGと同じ出版社が出す「NAVI」である。この雑誌に惹かれたのは、ほとんどがグラビアで記事に自動車ハード以外の情報(ファッション、建築・家具、芸術、料理など)が多いことだった。“自動車文化”雑誌と呼んでもいいかもしれない作りだったからである。それから数年後NAVIの隣に「ENGINE(新潮社)」と言う雑誌が並んでいた。一瞬コピーかと思うほど作りが似ている。よく見るとNAVIの企画段階から携わり、長くその編集長だった鈴木正文がENGINEの編集長になっていた。あとで知るとNAVIの編集方針を巡り何か論争があったようで、鈴木が退社、彼の目指す新しい雑誌としてENGINEが立ち上げられたのだ。
この間雑誌ではないが、自動車ジャーナリズムの歴史に残る本が出版される。1976年から毎年発行された「間違いだらけの自動車選び」である。ほとんどの国産乗用車を網羅し、徳大寺有恒の切れ味のいい評価が、30年に及ぶロングセラーを可能にした。
かつて書店の自動車コーナーは立ち読みで近づけないほど混雑していたが、今はそれほどでもない。NAVI20104月号をもって休刊(事実上廃刊)。鈴木も昨年末でENGINEの編集者を降りた(多分定年)。自動車ジャーナリズムに変化の兆しがみえている。
(次回;コンテンツ)


2012年3月30日金曜日

決断科学ノート-111(自動車を巡る話題-5;自動車行政)




若者の自動車離れが言われだして久しい。しかし、これは若者だけの現象だろうか?いまやほとんどの家庭に車があるものの、“クルマを持つ楽しみ”を語る人が、若者に限らず。明らかに減っている気がしてならない。特に“運転の楽しみ”にそれが顕著だ。そこには、わが国交通史とそれを踏まえた諸政策が影響していると見る。
車に関わる政策には、交通(輸送)、道路、安全、環境、産業(自動車生産)、財政(税)、エネルギーなどがある。これらの政策立案に際して、自動車、特に自家用乗用車と言うのはどのように捉えられ、扱われてきたかである。先ず取得・運用・維持のための費用として、取得税、重量税、ガソリン税(軽油税)、強制保険・任意保険、車検・法定点検費用、通行料、駐車料金、免許更新料などがかかる。発展途上国や特殊な国家(シンガポールのような都市国家)を除けば、高額の費用負担を強いられている。次いで運転の利便性に関しては、道路整備(高速道路網ばかりで無く、歩道との明確な分離、バイパス整備などを含め)の遅れや、信号の多さ(歩行者にはありがたいが)、軽自動車から大型トラックにまで無制限な車線利用(ヨーロッパでは大型トラックはセンターライン側の追い越し車線は使えない)、駐停車スペースの少なさなどが挙げられる。
ここから見えてくるのは、“クルマは贅沢品”と言う自動車黎明期の考え方、その大本ともいえる馬車の無かった独特のわが国交通史、更には土地所有に対する異常な私権の強さなどである(本来国土は国民全体のものである)。特に、馬車交通の歴史を持たなかった特異な歴史の影響は大きい。ヨーロッパ大陸に張り巡らされたローマの道や駅馬車が荒地を疾走する西部劇に見るアメリカとの違いは決定的だ。結果として、彼の地では考えられない、“車は所有して欲しい。しかしあまり乗らないで欲しい”という政策が出来上がっていくのである。これでは自動車成熟社会で“持って・乗って楽しいクルマ”は生まれてこない!(経済的に、クルマに手が届くか否かギリギリの社会では、どんなクルマでもそれなりに憧れである)
確りした自動車産業を保持することは、当面わが国にとって最重要経済課題の一つだ。一方で自動車も生産技術だけで差別化される時代は終わりつつある。コモディティ化は後進のメーカーにも先行者キャッチアップの機会を与える。一味違うクルマ(乗用車)を作り上げるための材料は、その国の自動車の使い方・乗り方から生み出される。部分的に速度制限の無いアウトバーンを持つドイツの車はスピードばかりで無く、一定期間当りの走行距離もわが国とは比較にならぬくらい長い。当に自動車を使いこなしているのだ。そして、この日常の使い方とそこからの反応が、独特のステータス・シンボルとして結実している。
エコは新しい競争環境でもある。山がちで狭隘な国土も見方を変えれば有利な条件だ。ヒルクライムと言う、山登り専門の自動車レースもある。「日本製のクルマは山道では滅法強い!足回りを中心に安全策も確りしているので、急峻で狭い山道でのハンドル操作も全く恐怖感がない。降りでエネルギー回生を行うので燃費も抜群だ」と言うような評価がされれば、差別化因子、更には日本車のキャラクターとして世界に認められていくのではないか。そのためにはもっと国内でユーザーが乗りこなし、メーカーにフィードバックするシステム(メディアを含む)が必要だ。
自動車行政が、乗用車のユーザーを増やし、これを積極的に使い込み、楽しんでいくような方向に抜本的に変わるよう期待したい。軽自動車とミニバンをいくら作っても国際競争には“絶対に勝ち残れない”のだから。

2012年3月18日日曜日

決断科学ノート-110(自動車を巡る話題-4;フォルクスワーゲン)



 
少し古くなるが、38日の日経朝刊に世界の自動車大手12社の2011年度の業績が取り上げられ、“収益の二極化が鮮明”との見出しが大書きされている。好調は米・独・韓、不調は独を除く欧州と日本である。収益トップはフォードの1.56兆円(570万台)、二位はフォルクスワーゲン(VW)の1,54兆円(820万台;2位)、三位はGM58百億円(販売台数トップ;9百万台)、日本勢トップの日産(ルノーは含めず単独)は7位;29百億円(470万台)、トヨタは10位;2千億円(7百40万台)である。
記事によればフォードとVWは会計上の一過性の処理があり、数字が突出したとあるが、VWの営業利益は前年比58%増、1兆円の大台を超えた唯一の自動車メーカーになっている(嘗てトヨタもこの数字を実現しているが・・・)。本稿-1でも述べたようにヒュンダイ(53百億円、660万台)が「いまやトヨタはライバルで無く目標はVW」と語るのもこの辺のところにあるのだろう。両社とも成長著しい中国で大きな伸びを示し(ヒュンダイ27%、VW17%)、競い合っていることもそれに拍車をかけているに相違ない。
VWの好調はどこからきているのだろうか?ここからはデータをベースにした経営分析から離れ、一自動車ファンとして考察を試みてみたい。
VWと言えばドイツ語で“国民車”、中国でのブランド名は“大众(大衆)”である。当に一般庶民向けの車にビジネスを集中してきた会社とのイメージが強い。初代ビートルはその狙い通りの成功を収めた車として自動車史に残る名車である。しかし、名車ゆえに後続モデルにヒット作が出現せず、中興の祖、ゴルフ誕生(1975年)まで苦難の時代を迎える。今やCセグメント(スモール・ファミリーカーあるいはミディアムカー)の代表選手となり、他社の新車開発では常にベンチマークとなるこの車の存在が、単一車種(亜種;ワゴン、スポーツカー、新ビートルなど)大量生産の効果を極大化し、今日の好調をもたらしていると言える。加えて、初代の成功とその後の失敗(次期モデル開発)に学び、市場や規格の変化にも機敏に対応、上位にパサート、下位にポロ、さらにはアップ(1リッター3気筒エンジンの小型車;昨秋欧州で発売)などを取り揃え、世界の“大衆”の期待に応えられるラインアップを着々と整えてきていることも見逃せない。
しかしながらVWには、“大衆車”メーカーとしての成功が大きいほど困ることも起こってくる。どんなに品質が良くても“高級車”とは無縁のイメージが強くなってしまうのだ。先の日経記事ではダイムラーは210万台で57百億円、BMWは百70万台で5千億円の純利益を上げている。VWの一台当りの純利益はこれらに比べ半分以下と言うことになる。イメージだけでなく儲けもまだこれらに比べると薄いのだ。
これに対する対応策は意外と早くから手を打たれている。1965年におけるアウディ社の買収がそれである。アウディは戦前のアウトウニオンにつながる名門、ネームバリューに不足はなかったし技術的にも前輪駆動では一級のものを持っていた。ただこの時期アウディも経営が苦しく、VW自身がビートルの次を求めて呻吟していたこともあり、相乗効果を発揮するには程遠い経営環境だった。これが生きてくるのは先ずゴルフ開発(VW初の前輪駆動)、80年代から90年代にかけてのアウディ・クワトロ(4輪駆動)による世界ラリー選手権での大活躍、更にはその後のル・マン24時間レースにおける圧倒的な強さに待たなければならなかった。
確実に御三家の一角を占めるまでの地位を得たアウディは、1999年フェラーと並ぶスーパーカー、ランボルギーニを傘下に収めている。
もう一つはポルシェとの経営統合である。初代ビートルはナチス時代にフェルディナント・ポルシェ博士がヒトラーの“国民車”として設計・開発したものである。戦後博士がビートルの生産やVW社の経営に関わることは無かったが、息子のフェリー・ポルシェがポルシェ社を立ち上げ、VWとの共同開発スポーツカー、カルマンギアをアメリカマーケット中心に成功させるなど、緊密な関係を保っていた。2005年頃からビジネス好調なポルシェがVWの買収に動くが、資金が続かず逆にVWに買収され、経営統合に向けて動き出している(2011年末を目指したが、種々の制約をクリアーできず未達成)。これに深く関わったのは当時のVWCEO(現監査会会長)、フェルディナント・ピエヒ、ポルシェ博士の孫(娘の子)である。
高級車と言えば何と言ってもロールスロイス(R&R)。そのR&Rの倒産(1971年)と国有化、ヴィッカースへの売却を経て1998BMWと買収合戦が起こり、結局R&RブランドはBMWへ、ベントレーはVWのものとなった(W12気筒エンジンはVW開発・供給)。英国の超高級車のインテリアは独特の風格があり、今でもこれを愛でる人は多い。
ブランド戦略の留めは、往年(戦前)のフランスの名車ブガッティを買い取り、それを復活させたことである(ヴェイロン;W18気筒+4ターボ・エンジン搭載(1015馬力)、最高速度400km/h以上、1.8億円!)。もっともこれは失敗だった気がするが・・・
こうして嘗ての“大衆車”メーカーは、王侯貴族のステイタスシンボル、ブガッティ、ベントレーからスーパーカーのスター、ランボルギーニ、ポルシェ、ベンツ・BMWの量産高級車に対抗できるアウディ・シリーズまで、“高級車”も扱う、史上比類無き幅の顧客を対象にする一大自動車メーカーに変身してきているのである。そしてこの上級マーケットへの挑戦が収益改善に結びついてきているのではなかろうか。

2012年3月9日金曜日

決断科学ノート-109(自動車を巡る話題-3;軽自動車)




このところ何かと軽自動車が政治面、経済面で話題になることが多い。1月にはTPP議論の中で「米国が軽自動車規格を参入障壁と非難」と言う記事が出たし、先月末にはスバル360で軽自動車普及に先鞭をつけた富士重工業がついにその生産(軽トラックのサンバー)を終え、このマーケットから退場することが報じられた。
TPPの話は全米自動車政策会議(AAPC)から出たとされるが、どうも“軽”を狙い撃ちにしたのではなく、短命政権の通商政策のふらつきや為替介入、米国車の販売低迷がその根底にあるようだ。ただ世界的に見れば軽がかなり日本独特の市場向けであることは間違いなく、その割合は年々増加しているのだから、ビッグスリーの苛立ちも分からないではない。
20113月末の国内自動車保有台数を見ると、総数約75百万台の内36%を軽自動車が占め、1998年から10%強も伸びているのだ(因みにこの統計で軽比率が最低は東京の17%、最高は沖縄の53.5%;これは個人所得の順位と正反対;新興国・途上国での市場ニーズに何が求められるか象徴しているのではなかろうか)。この市場動向の中に各社の軽戦略が見えてくる。トヨタは早くからダイハツを傘下におさめ、ここに経営資源を集中している。トヨタグループ入りした富士重工の軽生産停止もこの考え方に沿ったものだ。日産はOEMでスズキや三菱の軽を自社ブランドにし、マツダも同様実質はスズキ車OEMで市場開発者(R360クーペ、キャロル)の地位を維持しようとしている。ホンダは一旦撤退していたこの市場に、昨秋エンジンを含めて新開発のNボックス(ホンダを四輪車メーカーとして飛躍させたN-360にあやかったのだろう)を投入して復帰してきた。三菱は高級(?;高価格)軽自動車;ミーブを電気自動車化してeミーブを発売、電気自動車に力を入れる日産との関係を深めている。GMと別れVWとの提携も解消した(VWは一方的な破談を受け入れておらず、法的手段で取り込もうとしている)スズキは小型ディーゼルを求めてフィアットとの結びつきを深めている。独立色が強く、インド市場を抑え(外資参入障壁が外れてからはシェアー低下傾向にあるが)、上位競合車種の少ないことは世界のメーカーにとって魅力的な提携先さらにはM&Aの対象に違いない。
しかし、国内市場では好調な軽も世界的に見ると問題山積、当にガラパゴスである。税金や保険、車庫証明で優遇されている反面、エンジン容量(660cc)、サイズ(長さ3.4m、幅1.48m、高さ2m)を厳しく制限されている。特に幅は問題で欧州車のうち最も軽に近いスマート(ダイムラーと時計のスウォッチの合弁会社製)もここだけが規定を満たせず(1.56m)小型車扱いになってしまう。幅が膨らむ最大の理由は安全対策にあり、他の欧州車も年々広くなっている。逆に日本規格の軽は世界の安全規格をそのままではクリアーできないのだ。スズキが欧州で比較的人気があるのはスウィフト(ハンガリーで生産)の存在であり、これは国内でも軽ではない。欧州マーケットに挑んだダイハツはついに撤退を決めた。
もう一つ大いに誤解されているのは燃費である。軽も走り方によっては決して普通車に比べ燃費が良いわけではない。特に高速道路を高負荷(例えば3,4人乗り)で長距離走ると、“高回転”を長時間持続せねばならぬため10km/l以下になることもあるのだ。また普通車に負けぬようダーボ付きエンジンを装備した車も決して燃費は良くない。最近これを飛躍的に改善したというミライース(ダイハツ)やアルト(スズキ)が発売され、公称32km/lと言っているが、これでもマツダのスカイアクティヴ・エンジン(30km/l)と大差ない。更なる燃費効率の向上も大きな課題なのだ(まさかハイブリッドは無いだろう)。
最大の問題点は、小さな車を製造販売して儲けるビジネスモデルにある。ビッグスリーは儲けの薄い小型車さえ長く造ろうとはしなかった。欧州では子会社(英フォードやドイツのオペルなど)にその開発を丸ごと任せていた。この関係はわが国市場における普通小型車と軽の関係にもなぞることができる。トヨタ・日産は普通車に専念し、両方を扱っていたマツダ・ホンダ・富士重工・三菱は経営資源分散による非効率で路線選択を迫られていたのだ。残る軽専業のダイハツとスズキ(ここには小型車のスイフトがあるが、軽のノウハウの延長線上でビジネスをしている)は強烈なライバル意識で競争し、優れた車を次々に市場に投入し、前出の“36%”実現の両輪となった。
インドの超低価格車ナノに代表されるように、新興国市場での“軽類似小型車”に対する潜在需要極めて大きい。現在は対象市場が違うスマート、フィアットチンクエチント・ツインエアー(2気筒エンジン)やヒュンダイグループの起亜も超小型車に強い。歴史と技術で負けない国産各社が世界で勝負できるよう、早急に環境整備(優遇処置と規格の見直しなど;優遇処置を頑迷に言い募ることは、結局特殊環境での生き残り策であり、ガラパゴスへの道を辿ることになる)を進めることによって、グローバルなビジネス展開を図れるよう関係者の努力を望みたい。

2012年3月2日金曜日

決断科学ノート-108(自動車を巡る話題-2;トヨタ生産方式)



 
一昨日(229日)久し振りに製造業を対象とした富士通ユーザー会に参加する機会があった。基調講演は、トヨタで長年生産技術に携わり、その経験を基に松下電器(現パナソニック)に転じ、生産現場の業務革新に取り組んできたコンサルタントによる「海外工場のものづくりマネジメント」というものであった。
トヨタ生産方式については、書物や文献ばかりでなく、学会での交流などを通じて随分学んできたつもりであった。しかし、今回動画や作業マニュアル、作業分析グラフなどで紹介された事例は、あの「乾いた雑巾を絞る」と言われるトヨタ生産方式のカイゼン活動を間近に具体的に見るという点で、その徹底振りに感心させられた。無駄の無い流れ作業、きめ細かな作業標準化、高品質維持のための分析、15分の遅れは役員報告事項、カイゼン提案制度への取り組み姿勢(採用基準)など、単なる現場作業に留まらず、生産マネジメントの内容が丁寧に説明された。
始めは国内の自社工場で、次いで協力会社へ、さらに海外工場へこの方式を展開していくわけだが、本体で成功した方式がいきなり同じように適用できるわけではない。例えば離職率と歩留まりの関係を分析して定着率を上げたり、教育・訓練方式、さらには人事制度まで工夫してはじめて国内並みの生産性と品質が実現する。標準作業マニュアルなど国内では行間を読んでもらえばいいようなことも、きちんと文書化するのでその量は34倍のボリュームになると言う。人件費は安くともこの手間を考えれば、単純に途上国がコストダウンにつながる保証は無いのだ。こうした努力を重ね、1990年代まで、トヨタに代表される、わが国のものづくり技術は世界をリードしてきた。講師は生産技術の専門家、話はここで終わった。爪に火をともすようなぎりぎりの利益追求は、為替の変動で瞬時に飛んでしまう。
前回の日経の記事(わが国自動車産業のガラパゴス化)は実はハイブリッド・エンジンに限った話ではない。生産モデル、ビジネスモデルに及んでいるのだ。同じ記事の中でヒュンダイの会長が「いまやライバルはトヨタではなく、フォルクスワーゲン(VW)だ」と言っている。記事にはこの発言の真意は述べられていないが「あまねく世界(特に新興国)にそこそこの品質の車を安く提供し、確り儲けることでは」が前提ととってよさそうだ。確かにこの点でトヨタは市場に偏りが大きいのだ(比較的高付加価値車が売れる米国依存度が高い)。
今日(32日)の日経の一面に日産が50万円台の自動車を新興国別に開発していくことが取り上げられ、各社の低価格車の価格と対象市場(VWを除けばほとんどインドをあげている。VWは欧州・日本)が出ている。ここではタタ(印)25万円、ヒュンダイ44万円、トヨタ80万円、VW105万円。確かにヒュンダイの言う「もはやトヨタはライバルでない」はこの点で納得だが「何故VW?」との疑問は残る。少し勘繰ると、VWの世界市場に向けての長期戦略に学ぼうとしているのかもしれない。
VWは、初代ビートル(カブト虫)で早くからブラジルへ進出していたし、中国経済が開放される前から工場を持ちサンタナと言う車を生産してきた。現在でも中国市場で外国資本のNo.1である。スペインの国策会社セアト、チェコのシュコダもグループに取り込み、東欧やロシアのマーケットでは圧倒的に強い。僅かな現地体験では、同じ市場(中国・ロシア・東欧)では確かにヒュンダイ(起亜を含む)が日本車を凌駕しているように見える。
生産現場には最強のトヨタ生産方式がある。加えて、新時代に向けた市場開発・拡大モデルの創出を期待したい。

2012年2月27日月曜日

決断科学ノート-107(自動車を巡る話題-1;エンジン開発)



 
決断科学ノートは、ここのところ東燃時代に関わった事例紹介が続きました。お蔭さまで読者の方々から沢山のレスポンスをいただきました。これからも折を見て取り上げていく予定です。しかし、身近なものが続き過ぎるのもマンネリに陥る恐れ大です。しばらく事例から離れ企業経営に関わる話題(必ずしも直接“決断”に関わるものばかりではありませんが)を取り上げてみようと思います。手始めに、大好きな“自動車”をテーマにスタートしますのでご一覧いただき、コメントがいただければ幸いです。


226日(日曜日)の日経新聞一面「ニッポンの企業力」に“ハイブリッドの死角-車もガラパゴス化の懸念-”と言う見出しが大書きされていた。記事には、自動車エンスー(エンスージアジスト;愛好者)と自他とも(?)に認める私にとって、以前から知人・友人に語っていたハイブリッド・エンジンの将来性(市場における位置と純粋の内燃機関のさらなる発展の可能性)に対する疑念を具体的に示す数字とキーワードが並んでいた。
曰く、今年一月の国内自動車販売数に占めるハイブリッド車の比率は2割を超えるが、世界最大の自動車市場、中国では約1800万台の内3000台に過ぎず、米国でも30万台と全体の2%程度だったと。
初代プリウスが発表されたとき、面白いアイディアだとは思ったが、一方で複雑なメカニズムに、コストやメンテナンスに不安を感じた。また、試乗してみて運転の面白味(人車一体感)が全く感じられず、生活の道具であると同時にドライブを楽しむ文化のあるヨーロッパでは、自動車発祥の地を自負するプライドも含めて、普及しないだろうと直感した。確かにダイムラーやポルシェがハイブリッド車を市販しているが、それは地球環境問題へのポーズの域を脱していないし、ブレーキ回生エネルギーを電池に蓄え補助(あるいは瞬発)動力に使う単純なメカニズムに留まっている。
欧州勢が環境問題の提起者だしそれに真剣に取り組んでいることは間違いないが、その主戦場は内燃機関の更なる効率アップのための技術開発である。早くから小型ディーゼルを実用化してきた彼らは(当初は軽油の価格が安いことが大きな理由だった)、先ず原理的に熱効率の良い(高圧で燃焼させるため)ディーゼルをガソリン車に置き換えていく流れをつくり(既に50%を超えている)、次いで同じ考えをガソリンエンジンに敷衍し、電子制御(着火のタイミングや段階的着火)や過給(燃焼用の空気をやや過剰に供給する;自然吸気では不十分)方式を工夫して、一回り小さいエンジン(ダウンサイジング)で従来以上の馬力を稼ぐ(それによって総CO2排出量が減る)のである。これに先鞭をつけたのはフォルクスワーゲン(VW)で2005年に発売されたゴルフGTに搭載されたTSITurbo charged Stratified Injection;ガソリン直噴)エンジンがその嚆矢である。
嘗て(1970年代)マスキー法旋風が吹き荒れたとき、ホンダはCVCCエンジンを開発、見事に難しい排ガス規制を乗り越えた。それまでもホンダの評価はエンジンにあった。そのホンダも今やハイブリッドを売り物にしている(次世代NSX;高性能スポーツカーまでも)。また、省燃費エンジンとして高い評価を得ていたリーン・バーンエンジンを多くの車に搭載していたトヨタは、完全にハイブリッドに舵を切ったように見える。日産と三菱は電気自動車が客寄せパンダ。スズキがVWとの合弁を解消しフィアットの小型ディーゼルを導入しようとしている。
どこも正面から、内燃機関だけで、環境問題解決に当たる意欲が見られない中で、マツダが孤軍奮闘している。ハイブリッドに劣らぬ燃費を達成したスカイアクティブ・エンジンがそれだ。世界で唯一ロータリー・エンジンを実用に供したDNAがここに繋がっているのだろうか。ガラパゴスにならぬために、このエンジンとビジネスが成功することを願って止まない。
(この項完)