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2021年9月20日月曜日

活字中毒者の妄言-24


地図


亜細亜、阿非利加、歐羅巴、亜米利加、1862年遣欧使節団の一員として参加した福沢諭吉がその体験を基に著した「世界国盡(くにずくし)」(1869年刊、当時のベストセラー)で表記されている漢字地域名である。1924年頃日本郵船が供していた「渡歐案内」図も英吉利、佛蘭西、独逸、西班牙、伊太利などの国名が漢字で記されており、私の地図に関する記憶はこんなところから始まる。多分小学校23年生時母の実家にあった古い地図帳辺りに触れた結果だろう。上記はともかく、白耳義(ベルギー)、瑞典(スウェーデン)、希臘(ギリシャ)など「どこの国なんだ?何故こんな漢字を?」の疑問が生じたものだ。爾来未知の世界(国内を含め)を探ると言う点において地図ほど興味深い存在は無い。

最近入手したのは「鉄道旅がもっと楽しくなる地図帳」(山と渓谷社202012月刊)。昨年2月運転免許証を返納、これからは鉄道旅をと考えていた矢先コロナ禍でそれを封じられた。でも来年秋(今頃)には収まっているだろうと楽観していた。こんな時出たのがこの地図である。それ以前の自動車旅行時も同じだが、旅の楽しみの半分は準備段階にある。どこへ行くか、どこに立ち寄るか(観光、食事、給油)、何処へ泊るか、どんなルートを選ぶか、時間や費用は、とあれこれ調べ決めていく過程は旅そのものより奥が深い。2007年入手した愛車で12年かけ、北は宗谷岬から南は指宿まで沖縄県を除く全都道府県を走破した。従って道路地図は地方別に日本全図が各種揃っている。一方、この間鉄道旅は全くご無沙汰、自然災害も含め廃線やバス代替連絡情報をTVで時に目にするくらいで最新情報に疎い。そこで求めたのが本書であった。しかし、“秋までには”の思いは叶わず依然県境を越える移動は自粛を求められて、読書兼仮眠用安楽椅子の座右に置かれたこの地図を眺め、仮想旅をあれこれ考えながら過ごす今日この頃である。


登山や旅行に地図が欠かせないのは多くの人が認めるところだろう。私も手元にあるのはこの関係のものが海外を含め圧倒的に多い。ただ地図の利用がこの範囲に留まるのはもったいない。歴史・国際関係・戦争・自然災害あるいは小説を読むときにさえ適当な地図があると理解がより一層深まる。例えば、東西冷戦下のドイツにおけるスパイ戦をミシュランのGermany版を参照しながら読み進めたりすると緊張感・不安感が倍加する。こんな目的のために保有するものに「ベルテルスマン世界地図帳」(昭文社2000年刊)、「朝日=タイムズ世界歴史地図」(朝日新聞社1979年刊)、「タイムズ・アトラス第二次世界大戦歴史地図」(原書房1994年刊)がある。いずれもサイズは270mm×370mmの大判で詳細を極め、後2書は読み物としても価値がある。

手持ちで変わったところでは“播州赤穂”の5万分1と“新京特別市図”(コピー;新京特別市公署満洲体育保健協会刊)の二つがある。前者は“真殿”の地名が相生市の西方に記されていることから求めたもの、父が育ったのは兵庫県西部の龍野(現たつの市;童謡“赤とんぼ”の里)、この土地と無縁ではあるまい。後者は私同様新京生まれ育ちの先輩(故人)からいただいたもので、記憶に残る場所(建設中の宮廷府(未完)、動物園、新京駅など)が記され、そこから我が家の位置がおおよそ推定できるものだ。これを基にグーグルアースで我が家近辺を探ってみたりした。


地図に関しては利用するばかりでなくそれに関する書物にも惹かれる。その中でも最も影響を受けたのは堀淳一著「地図のたのしみ」(河出書房新社1972年刊)、著者は物理学専攻の北大理学部教授(当時)、自らの地図体験から始まり、外国地図の紹介、日本の地図作りとその特質、地図からたどる鉄道の今昔、地図を携えての旅まで、広範に渡る地図エッセイで、同年の日本エッセイストクラブ賞を受賞している。多角的な地図の見方・利用法をこれから学んだ。また最新の地図づくりに関して国土地理院研究センター長宇根寛理博が著した「地図づくりの現在形」(講談社2021年刊)が一般向けとして、技術紹介に優れており、かつ読み易い。


クルマ旅を始めるようになってカーナビが必須のパートナーとなった。またスマフォの道案内はそれ以上に普及している(私は依然ガラ携だが)。このベースになる地図は無論国土地理院や地方自治体の作るものも利用されているのだが、一軒一軒の建物や企業・商店(ビル内や地下街などを含む)などを特定するには別のアプローチが必要になる。こまめに地域ごとそれらを歩いて確認するのだ。古くは商業サービスを目的に地域ごとに零細な業者がそれを行っていたのだが、今ではゼンリンと言う会社が全国展開し、我が国最大手としてカーナビやスマフォアプリメーカーに情報提供している。この会社の発展史を小説にしたものに平岡陽明著「道をたずねて」(小学館2021年刊)がある。硬いノンフィクションは苦手と言う方にはこちらがお薦めかも知れない。

地図づくり・利用の世界にGPS活用が取り込まれて久しく、その精度は年々高まっている。またグーグル・ストリートヴューやゼンリンの活動に見るように時間とカネをかけて詳細な地図づくりが進められている。これと併せるように兵器開発・運用、社会監視・保安、防災、資源開発、市場開拓、日常生活に及ぼす地図の役割・影響力も重みを増しており、しばらくその変化に目が離せない。次はどんな地図本が出るか、期待はいや増す。

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2021年9月9日木曜日

活字中毒者の妄言-23


軍事サスペンス小説

ノンフィクション主体の読書傾向の中で数少ない小説は好みの分野が限られる。軍事、諜報それに技術開発、乗物と言ったところだろうか。その内容もサスペンスを伴うことが必定だ。今回はこのサスペンス物を軍事・諜報を対象に俯瞰してみたい。


サスペンスと言えば何と言っても推理小説だ。最初の記憶は小学生時代に読んだアルセーヌ・ルパン・シリーズの「八点鍾」、中学生の頃はシャーロック・ホームズのファンだったし、若い頃はエラリー・クウィーン・ミステリー・マガジンなど主に翻訳物の短編など楽しんでいた。前回の“全集”でも触れたように、20代に揃えた“世界推理小説体系”も持っているのだが、最近は全く読まない。狭義の古典的推理小説(探偵小説)から興味が失せていったのは、“殺し”の因が私恨・私事に基づくこと、描写が“恐怖小説”に近いこと、時に仕掛けが凝り過ぎていること、辺りにあるように思う。この探偵小説から遠ざかる時期は、丁度イアン・フレミングの「007シリーズ」が我が国に紹介され始めた時と重なる。ジェームス・ボンドの後ろには諜報機関MI-6があり国家の安全保障が託されている。殺人場面があっても何故か陰惨な暗さが感じられないのだ(多分に映画の影響もあるが)。ここからスパイ・諜報サスペンスに関心が移っていった。

007シリーズは回が進むにつれてエキゾチズム・荒唐無稽が鼻につくようになる。そんな時出たのがジョン・ル・カレの「寒い国から帰ってきたスパイ」、二重・三重スパイの諜報戦はエンターテイメントとしては複雑過ぎるが、心理描写とハラハラ度は007とは比較にならず、訪れたこともない冷戦下のベルリンが緊張感をもって伝わってきた。ほぼ同じ時期同じベルリンのスパイ活動をテーマにしたレン・デイトンの「ベルリンの葬送」なども読んで、すっかりスパイ小説の虜になってしまう。いずれもアクションシーンは控えめだ。全体としてはいわゆる冒険小説作家の部類に入る人だがケン・フォレットの「針の眼」も第二次世界大戦時のスパイ小説、これで世界的に知名度を上げた。さらに、スパイ・諜報とはやや異なるが、国家・組織が絡む謎解きサスペンス物では「ジャッカルの日」に代表されるフレデリック・フォーサイスも悪くない。古くは純文学のサマセット・モームやグレアム・グリーンも実体験に基づくスパイ物を書いており、この分野では英国が群を抜いている。


国家や民族全体を巻き込むサスペンスと言えば何と言って戦争だろう。政治・経済・宗教・人種・歴史など根元的なテーマも数々あるが、私の関心は専ら科学技術にあるので、どうしても兵器中心になる。その対象は、航空機・艦船・銃器そして情報通信だ。

軍事航空小説は総じて米国作家が目立つ。米空軍史とも言えるウォルター・J・ボインの「ワイルド・ブルー」、冷戦下の東西ドイツを舞台としたスティーブン・L・トンプスンの「A10奪還作戦」、ディル・ブラウンの「オールドドッグ出撃せよ」などが代表作。三人とも米空軍に所属していたから技術の細部や運用に詳しい(ボインはパイロット。トンプスンは自動車レーサーでもあった。ブラウンはB-52航法士)。


空に対して海は何と言っても英国だ。帆船時代の英海軍を扱った「ホーンブロワー」シリーズは読んでいないが作者のセシル・
S・フォレスターはその頂点に立ち、Uボートとの戦いを扱った「駆逐艦キーリング」は臨場感あふれる名作だ。その後継者はダグラス・リーマンことアレクサンダー・ケント、前者名では第二次世界大戦、後者では帆船を扱う。そして海戦サスペンス小説の金字塔と言われるアリスティア・マクリーンの「女王陛下のユリシーズ」がある。さすが七つの海を支配した国の末裔たちだ。

銃器が主役となるのはスナイパー(狙撃手)小説、その代表作家は三代にわたる「スワーガー」シリーズを続けるスティーヴン・ハンターだろう。祖父は太平洋戦線で、父は朝鮮戦争でそして息子はヴェトナムで戦った海兵隊の凄腕の狙撃手、銃・銃撃の細部をこの人ほど詳しく描ける人はいない。だからと言って妙なオタク臭さがないのが良い。もともとはジャーナリスト、映画批評でピュリッツァー賞を受賞した経歴もあり、ストーリー展開の重要性を熟知しているからだろう。


スパイの仕事は大別して情報収集分析と工作に分けられる。厳密に区別できるわけではないが、前者は知力後者は行動力となる。後者を担当するのは特殊部隊とその隊員、このジャンルにも面白い作品が多々ある。ジャック・ヒギンスの「鷲は舞い降りた」はチャーチル誘拐にナチス空挺将校とアイルランド独立推進派が協力する話。英人作家だが彼らを魅力ある人物に仕立てている。ヴェトナム戦争で活躍した陸軍特殊部隊グリーンベレー退役者が
CIAFBIと協力してKGBと戦う「樹海戦線」を始めとするJ.C.ポロックの作品は邦訳された10冊すべてを持っている。これも銃撃戦が読みどころだ。ポロックは元グリーンベレー隊員である。

軍事技術の進歩は早いが性格上なかなか真相は表に出てこない。その点で1984年発刊されたトム・クランシーの「レッドオクトーバーを追え」は当時の原子力潜水艦最新技術が詳しく取り上げられ、内部関係者の存在が疑われるほどの話題作だった。こんなところにも軍事サスペンスを愉しむ材料はあるのだ。

我が国で紹介される当該分野の作品は、独作家のUボート物、フランス人のレジスタンス物など少数あるものの、ほとんど英米作家に依るものだ。多分言語の問題だろうが、他の国の作品にも触れてみたいものだ。もう一つ気掛かりなのは、翻訳物のマーケットはそれなりにあるが、我が国の作家で本格的・長期的に取り組む人が居ないことである。大藪春彦(故人)、佐々木譲、逢坂剛、船戸与一(故人)、浅田次郎など興味ある作品を一時期残しているが、警察小説や時代小説・歴史小説に移ってしまっている。平和憲法墨守の長い歴史下、日本人軍事サスペンス作品は売れないと言うことだろうか?

 

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2021年9月4日土曜日

活字中毒者の妄言-22


全集

全集物の最初の記憶は母の実家にあった「日本近代文学全集」(改造社刊)。叔父・叔母たちが読んで背表紙が傷んだものを中学生の頃もらい受け、意味もよく解らず志賀直哉、谷崎潤一郎、泉鏡花、尾崎紅葉、佐藤春夫、田山花袋などを読んだ。日本文学はこれで終わっている。次に縁があったのは小学校や中学校の図書室にあった少年・少女向けの「世界名作全集」、本来大人向けに書かれたものも多く、これでは作品の味わいが伝わらなかったような気もしている。自分で初めて集めたのは「日本航空機総集」(協同出版社刊)、高校生の時である。これは航空機メーカー毎にまとめられ最終的に8巻の予定だったが配本は遅れに遅れ、4巻まで持っているものの、それ以降は欠落している。この時全集を最後までそろえるのはそれなりの覚悟がいると学んだ。


就職し寮の自室に作り付けの棚があった。必ずしも本棚と言うわけではなかったようだが私には格好の本棚。ここに全集を並べたくなった。当時は早川書房の「エラリー・クウィーン・ミステリマガジン」(月刊誌)を購読するほど短編翻訳ミステリーに惹かれており、その広告に東都書房の「世界推理小説体系(全24巻)」発刊が掲載されていた。一巻490円は初任給2万円だったからたいした負担ではない。即地元(現和歌山県有田市)箕島駅前に一軒ある小さな書店に発注した。第一回配本は何故か第15巻の“フィルポッツ”(英)から始まる。発刊日は昭和37年(1962年)6月、2回目の給料をもらった直後である。爾来昭和446月ここを去るまで7年あるが23巻揃ったものの一冊(第3巻)は欠落のまま、今でも書架にある。これも配本が予定通り進まなかったことに依る。しかし、この全集は貴重だ。翻訳者が凄い。例えばフィルポッツは荒正人、クロフッツ(英)は三浦朱門、そしてエドガー・アラン・ポー(米)は江戸川乱歩と錚々たるメンバーである。この全集は数話(一冊に23話)しか読んでおらず、「いずれ」と思いつつ今日に至っている。

次いで取ったのが三笠書房1963年刊「ヘミングウェイ全集(全8巻)」。これは全巻揃い、“日はまた昇る”や“武器よさらば”など読んだものの、しばらく本棚に置きっぱなしの状態が続いていた。寮を引き払う際とりだしたら、本棚のうしろは外壁との二重壁になっておりその間の梁からネズミが入り込んだようで全巻本の裏面が見事に齧られ、廃棄処分した。


もひとつ寮時代1967年から配本が始まった岩波書店刊の「基礎工学(全19巻)」がある。これはユニークな構成で巻数としては第1巻から始まるのだが、中身は24冊に別れており、その番号はランダムなのだ。例えば、第1巻は“3(分冊番号):確率統計現象Ⅰ”、“20:制御工学Ⅰ”、“16:流体力学Ⅰ”の三冊から成る。従って、同一分野を通して参照したいときには他の巻も探さねばならず不便極まりない。多分著者・編者の都合を優先したに違いない。これも現役時代ときどき利用したものの、いまではほとんどアクセスしない本棚最上部に並んでいる。

寮時代集めたもので今でも眺めるのは平凡社が1966年から67年にかけて出版した「日本の美術(25巻+別冊5巻)」。各巻のテーマは、“城と書院”“桂と日光”“庭”“民家”のようにまとめられ、美術鑑賞や旅に際して有用だ。これはリヴィングの飾り棚に並べて、関連TV番組を視る時などにも利用している。

所帯を持ってからは子供たちのために「朝日ラルース動物図鑑」を揃えたが、彼等が成長した今、動植物に興味のない私には無用の長物、屋根裏に置きっぱなしになっている。


これは全集ではないが、書架のいつでも手が届くところに今世紀に入り(2001年)講談社から出た加藤寛一郎(東大名誉教授;航空工学)の「墜落(全10巻)」がある。それぞれのテーマは“新システム”、“気象”、“人為ミス”などに別れ、いずれも飛行機に限らず、人工物(特に化学工場)の事故を考察する上で大いに参考になっている。結局私の全集物に対する関心は飛行機に始まり飛行機に終わりそうだ。

 

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2021年8月15日日曜日

活字中毒者の妄言-21


8月の本


今日は76回目の敗戦記念日。20代の頃から日記やメモには“終戦”ではなく“敗戦”を使っている。“終戦”の曖昧さに引っかかったのと “今に見ていろ!” (決してもう一度米国や中国と戦う意図はないが)の気概を持つには“敗戦”の方がより適切と考えたからである。そしてそれは“Japan as Number1”として実現した。故エズラ・ボーゲル著のこの書の内容は“Number1?”とクエスチョンマークを付けるほうが相応しいが、とにかくあの敗北から復興したことは、“今に見ていろ!”の証と言える。

今朝の日経新聞に依ると旧軍人生存者は1万人を割り、戦前・戦中生まれは7人中1人と、あの戦争(太平洋戦争/大東亜戦争)を知る者は急速にその数を減じつつある。微かにそれを記憶にとどめる私も82歳、88日ソ連が宣戦布告、同日父は現地召集、我々家族は住まいの在った新京(現長春)から南へ下った公主嶺に社宅の人々と疎開、敗戦はそこで迎えた。ソ連軍が攻め込んでくるまで、日本本土とは違い戦争は遥か彼方の世界、空襲警報で防空壕に避難したことが一回(実際には爆撃は無かった)、あとは関東軍の軍人を見るくらいしか体験していない。戦争が身近に感じられたのはソ連軍の進駐と彼らが撤退した後に起こった国民党軍と八路軍(共産党解放軍の主力)による国共戦。ここから引揚の間が最も敗戦を印象づける期間であり、毎年TV放映される、空襲で瓦礫と塵芥に帰した本土の都市のイメージは帰国後出来上がったものだ。従ってあの戦争に対する知識は、一部体験者から聞いたこと以外、ほとんど書物からのものである。


四半世紀前までは8月になるとその種の本がよく出版され、映画が作られ、TVでドキュメンターが放映されていた。例えば、年初に他界した半藤一利(1930年生れ)の代表作「日本のいちばん長い日-運命の八月十五日」(映画化もされた)や「ノモンハンの夏」「ソ連が満洲に侵攻した夏」などが挙げられる。ただTV番組を除けはその数は年々低下、もう映画は全くと言っていいほど製作されないし、書物も復刻版のようなものがわずかに再版されるだけになってきている。そんなわけで今月私の手元にある新刊書は笠井亮平「インパールの戦い」(720日刊)と堀川恵子「暁の宇品-陸軍船舶司令官たちのヒロシマ」(77日刊)の2冊のみ、これらは本欄<今月の本棚(20218月>で紹介する予定である。


あの戦争を報じる新聞の編集者や記者も当然戦後生まれ、おそらく私の子供と同じくらいの年齢であろう。彼らが頼るのは既に書かれたものになる。今朝の日経の社説ではノンフィクション作家猪瀬直樹(1946年生れ)の「昭和16年の敗戦」、東大歴史学教授で学術会議会員を拒否された加藤陽子(1960年生れ)の「それでも日本は戦争を選んだ」、日銀監事で作家だった吉田満著(1923年生れ;学徒兵として応召、大和の電測士(少尉))「戦艦大和の最期」が援用されている。また朝日の“日曜に想う-終戦はごまかし-”では政治家松村謙三(1883年生れ)の「回顧録」から、敗戦直後の内閣総理大臣東久邇宮稔彦が、書記官長緒方竹虎が記した“終戦”を“敗戦”と改めるよう意見したのに対し陸軍大臣の下村定大将が反対したことを取り上げている。松村はこの内閣で厚生相を務めており、閣議の内容を「回顧録」に残していたのだ。


あの戦争について自分の子供たち(4050歳台)に問われたり話し合ったことはほとんどない。数年前船戸与一の長編「満洲国演義(全9巻)」を長男に渡したところ「初めて知ったことばかりだ!」とその内容に驚いていた。これは満洲国前史から敗戦までを描き、小説ではあるが、かなり大東亜戦争を忠実になぞっており、「今の日本は、良くも悪くも、満洲の扱いの結果である」を持論とする私の考えが、この本を通じて長男に伝わったことを喜んだ。現在思案中なのは劇画家安彦良知(1947年生れ;ガンダムの作者)の「虹色のトロッキー(全8巻」(ノモンハン事件までの満洲が舞台の劇画)を孫に与えるがどうかである(自分も読みたい)。

 

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2021年7月20日火曜日

活字中毒者の妄言-20


受賞者のひと言

2021年度上期芥川賞が台湾籍李琴峰(り・ことみ、LiQingfeng)著「彼岸花の咲く島」に決まった。翌朝の新聞紹介欄に「第二外国語として日本語を学んだが、そこで漢字・ひらがな・カタカナで構成された独特の言語表現法に興味を持った」とのひと言があった。15歳から日本語を学び始め、国立台湾大学(学士)、早大(修士)と進み、中国語で書いた作品を自ら日本語訳し出版、“日中両言語作家”を自称する人の言葉だけに、私自身の日ごろの日本語観にピッタリ、「わが意を得たり!」とこの人が一気に身近になった(でも芥川賞作品を読む気はないが)。元は漢字に発するとは言え、ひらがな・カタカナを考案、これによってどれだけ日本独自の文化を発展させ、維新後の近代化に寄与したか計り知れないと常々思っていたからである。

私の文字についての記憶はカタカナから始まる。戦前の文字学習の流れはカタカナ→ひらがな→漢字、だったからである。小学校(国民学校)入学前にカタカナ・ひらがなはマスターしていたし、自分の姓名、簡単でよく見かける漢字(大・中・小、人・魚・犬・虫、山・川・木、漢数字など)は読み書きできるようになっていた。この後小学校34年生のころ教育漢字と当用漢字が公布され、小学校で教育漢字約八百字、義務教育完了までに教育漢字を含め約二千字の当用漢字をおぼえなければならないと聞かされた。漢字の習得は小中学校「国語」の中心課題、書き順を含めると正確さを欠くのだが、いまでは当用漢字をはるかに上回る字数を扱えるようになっている(と思っている)。ここまで来るには高校の「古文」「漢文」の授業も与かっているが、義務教育以降は書物や新聞を通じて、“なんとなく覚え”、格別“苦労した”感はなく、漢字仮名交じり文はごく自然な存在になっていく。ただし、社会人になり議事録・稟議書・報告書を作成する際には国語辞典が欠かせなかったが。


欧米人と交流するようになり、日本人の文字言語コミュニケーションに話がおよぶと、しばしば日本語について考えさせられる場面に遭遇する。欧米人の多くは日本人が漢字(KANJIと言う中国文字)を使うことは知っている。だから質問に多いのは漢字とその学習法に関すること。漢字とはいかなるものか?漢字の数は?どのように覚えるのか?字引はどんなものか?アルファベットと言う表音文字文化の歴史を持つ人に表意文字を語るのはなかなか興味深い。人・大・山・川・木・魚など自分の知る範囲で文字の起源を説明すると「なるほど」となる。ただし、抽象的な言葉はこちらも字源を知らないことが多いから極力避け、機先を制する。“Love”は“恋”、この旧字は“戀”;上は糸が二つと間に言、下は心;もつれた糸をほどき心を通わせること、と漢字研究者白川静の説を開陳して逃げる。「漢字の数はいくつあるのか?」これもよく出る質問だ。「私もよく知らないが数十万語あるらしい」と答えると目をむく。「ただし、教育漢字は約八百、当用漢字は約二千。これで大抵の用は足りるが、ビジネスの世界では五千字くらいは知っている必要があるだろう」と補足すると「そんなに憶えなければならないのか?!」と尊敬のまなこで見つめられる。そこで「ではあなたはどのくらいの英単語を知っている?五千は超すだろう」「どうやってそれをおぼえた?こちらは英語のスペルで難儀したよ。いまでもlraucsth-s-er-orなどしょっちゅう間違えているよ」と返すと「確かに」となり、幼い日々の共通文字学習体験に話題が収斂していく。

特別日本と深い関わりのあった人を除けば、日本語文字コミュニケーションに対する関心は漢字に留まることが多く、中国語との違いに転じる機会は少ない。その少ない者との日本語談義は、一歩踏み込んだ異文化理解につながり、こちらもそれなりの備えが要る。例えば、遥かに長く欧州文明とつながっていた中国が何故近代化において日本に遅れをとったのか。マクロな視点では国内統治、外交・軍事や経済(貿易)がクローズアップされがちだが、文字の果たした役割は無視できない。特に二つの仮名の存在である。ひらがなは万葉仮名(漢字の当て字)を草書体にすることから5世紀に、カタカナは仏典を読む際の訓点・記号として9世紀頃に発したと言われているが、いずれも漢字の変形あるいは一部活用と言う点で起源は我が国独自なものではない。しかし、これらの考案により当時の先進中華文明を我が国独自の方法で昇華・普及させた意義は大きい。この効用が最大限に発揮されるのは明治維新、和魂洋才が速やかに進んだのは仮名が在ってのこととさえ言える。中国も漢字を表音的に用いるものの、同音文字が多く外来語の導入時、意訳・音訳に混乱があったようである(近いところでは“電脳”のように名訳もあるが)。こんな説明をすると、相手の態度は確実に変わってくる。

ところで欧米人に漢字仮名交じり文を書くことに関し面白い経験をしたことがある。こちらの手違いでプリンストン大学教授を訪問した。間違いは“Process Control”にある。てっきり“(高度;Supervisory)プロセス制御”と思っていたが“(統計;Statistical)品質工程管理”の専門家だった。それでも不愉快な扱いをされず、日本発のTQC活動や自社の品質管理を話題にしばし付き合ってくれ、何かのきっかけで話がワードプロセッサーにおよんだ。使用文字には漢字・ひらがな・カタカナの3種があり、日本文はこれを混用すると前提を語り、持参のPCでローマ字入力→ひらがな→3種の文字から構成される短い文の第一候補表示→適否判定→次候補→最終決定、とデモしたところ、ローマ字を含め4種の文字を駆使した結果になり、驚愕・感激の表情で「昼食を一緒に摂り、午後もっと詳しく聞かせてくれないか?」と求められた。残念なことに午後は別の予定があり継続談義はなかったものの、思わぬカルチャーショックを双方受けた次第である。李琴峰の日本語に関するひと言を知ったとき、先ず思い出したのはこのことである。そして同時に生じたのは「このICT時代、漢字ばかりの中国語圏はそれにどう対処しているのであろうか?」と言う疑問である。これに応えてくれそうなのが最近の新聞書評で知ったトーマス・S・マラニー(スタンフォード大学教授)著「チャイニーズ・タイプライター」、既に入手しているので<今月の本棚-8月>で紹介する予定である。

 

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2021年7月10日土曜日

活字中毒者の妄言-19


自炊-蔵書の電子化-

自炊、言うまでもなく「自分で炊事すること」だが、1990年代末から、全く別の意味で使われ出した。所有する書籍を電子化することである。私がそれを身近に知ったのはブログを立ち上げた2008年のことだった。ブログ開設を薦めてくれた友人(MTIさん)が自らのブログに蔵書電子化を連載投稿したことによる。この人はもともと外資系コンピュータ企業の営業マン、現役時代それほど新技術に飛びつくような人ではなかったが、引退後大変身、ブログ開設は言うに及ばず、PCiPhoneiPad、アップルウォッチをネットとクラウド環境下で駆使、健康管理からキャッシュレスまで、個人DXの最先端を行っている。また最近のことだが、大学の研究室仲間(MNG君)が自炊を開始、驚くべき利用法に挑戦中、今回は彼らからの見聞を中心に、自炊を語ってみたい。

本格的な蔵書家に比べれば大した量ではないが、私も蔵書の扱いには苦労している。第一に保存・処分、第二に、これが一番大きいのだが、情報を探す際、それがどの本だったのか、本のどこに記されているのか、がなかなか見つからないことである。情報をディジタル化することでそれが容易になることは30年ほど前に野口悠紀雄「超整理法」を読んで知り、一部の情報はWordExcelの保存・検索機能を活用しているが、ピンポイントで書物の内容にまで行き着くことは出来ない。「確かあの本に書いてあったはずだ」が出発点となり、Excel化した図書カードで題名・著者・キーワード・読了時期を確認、一応分野別に収められた書棚を漁って目当ての本を探し出す、本が見つかると書き込み・赤線・付箋を頼りに目指す情報のありかを探っていく。下手をすると全頁を繰ることさえ生じ、生産性の悪いことおびただしい。もし全蔵書が電子化されていたらとの思いにしばしば駆られるが、あれこれ考えると、なかなか踏み切れない。



自炊の手順を大まかに辿ると以下のようになる。
1)本を綴じ代のところで切断する(やり方によって切断しなくても可能だが、切断が多い。このための専用カッターがある)→2)切断した本をコンピュータに読み取らせる(頁を繰って表裏をフィードし読み取らせるスキャナーがある)→3)読みこんだページを電子本として編集する(文字のディジタル化→本としての体裁を整える→書籍分類;専用ソフトがある)→電子化された本を保存する(量が多かったり、どこでも利用したいときにはクラウド環境が良い。無料クラウドでは容量が足りなくなる)→4)必要な時にPCや携帯端末に呼びだす。別の方法として、電子化を請け負う企業に本を送りUSBやダウンロードで受け取ることも可能だが、新刊書を買い直すくらいコストがかかるケースや著作権問題もあるから要注意だ。

メリットは先に挙げたような情報検索の容易性、保存問題の解消、どこでも端末さえあれば読める、字のサイズを変えられるなど多々あるが、乗り越えなければならないハードルもまた多い。先ず、長く愛蔵してきた本を切断し破棄する行為に耐えられるか?と言う精神的な問題がある。次は要する設備投資と手間暇、専用機器に関してはレンタルや中古機の調達と言う手段もあるが、手間は相当かかりそうで長期戦になる。最後は、そこまでやってメリットを真に享受できるかがある。更にその後の問題として、これから読む本をどうするかも悩ましい。読みたい本の大半が電子本として提供されるならいいが、求めた本をその都度切断・電子化・破棄する読書スタイルにはどうも馴染めそうにない。

では先人の二人はどうか?両氏とも本件に関し直に話をしたことはなく、あくいまでもブログやフェースブック(FB)への投稿あるいはメール交換から推察する域だが以下の通りである。

MTIさんの場合;比較的洋書ペーパーバックの冒険小説やミステリーが多いように見受けた。また「ゴルゴ13」のよぅな劇画もあり、私もこれを覗くチャンスをもった。電子化の動機は蔵書処分と言う面が強かったようだが、趣味のダイヴィングで海外に出かけることも多く、そんな時電子化が便利なことも理由として挙げている。仏教美術鑑賞にも関心が高く、今でもブログの記事はこの方面が多いことから、それらに関する書籍も保有していたと思われるが、リアルな本棚に最後に残ったのは父上の形見とも言える土門拳の写真集「古寺巡礼」だけとあったから、他はすべて処分したのだろう。きれいさっぱり本が消えた本棚と電子書棚の画面からその徹底ぶりが窺えた。ただ自炊に限らず生活のすべてを電子化(個人DX推進)するためクラウドを基本に自家システムを構築、海外の安価なところを探して利用していたが、その会社が他社に買収され、切り替えで苦労があったことがブログに記されていた。

MNG君の場合;もともと制御システムメーカーのソフトウェア事業統括者を務めたその道のヴェテラン、1990年代マレーシアに赴任する際は新潮文庫を満載した「電子文庫」を持参するほどの先駆者、今でもネット碁や地域のPC利用指導などでその経験を生かしている。中古のワークステーションまで調達して家内ネットワークも運用している桁違いのICT利用者である。専用カッターや読取り機はオークションで中古機を求め、数年前から自炊に励んでいる。FBで知る彼の蔵書は、囲碁・旅行(「地球の歩き方」)・歴史・科学(「ブルーバックス」など)と多彩で、どうやら整理の悪い古書店の様相を呈していたようだ。「溢れる書物を処分したい」との動機から自炊に踏み切ったことは他者と同様である。ただ、「電子化したが再び読むことがあるだろうか?」としばしば自問していることや古書店から全集などを依然取り寄せていることから、MTIさんほど徹底した電子化は感じられず、高度ディジタル技術マニアの“病膏肓に入る”状態ではなかろうかと勘繰っている。しかし、さすが高度マニア、驚くべき利用法に挑戦しているのだ。それはディジタル化した文書情報を音声で再現することである。再生完成度は今一つのようだが、就寝時にこれをかけ、いつの間にか寝入ると言うのだから驚く。既にオーディオブック(iPad+Kindleアプリ+書籍)が出ているものの、好みの本がすべてそろっているわけではない(本を再度求める必要がある)。やがて介護を受ける身を想定すると、これは使えそうな気がする。

さて、私はどうするか?これが問題だ!

 

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