2021年9月9日木曜日

活字中毒者の妄言-23


軍事サスペンス小説

ノンフィクション主体の読書傾向の中で数少ない小説は好みの分野が限られる。軍事、諜報それに技術開発、乗物と言ったところだろうか。その内容もサスペンスを伴うことが必定だ。今回はこのサスペンス物を軍事・諜報を対象に俯瞰してみたい。


サスペンスと言えば何と言っても推理小説だ。最初の記憶は小学生時代に読んだアルセーヌ・ルパン・シリーズの「八点鍾」、中学生の頃はシャーロック・ホームズのファンだったし、若い頃はエラリー・クウィーン・ミステリー・マガジンなど主に翻訳物の短編など楽しんでいた。前回の“全集”でも触れたように、20代に揃えた“世界推理小説体系”も持っているのだが、最近は全く読まない。狭義の古典的推理小説(探偵小説)から興味が失せていったのは、“殺し”の因が私恨・私事に基づくこと、描写が“恐怖小説”に近いこと、時に仕掛けが凝り過ぎていること、辺りにあるように思う。この探偵小説から遠ざかる時期は、丁度イアン・フレミングの「007シリーズ」が我が国に紹介され始めた時と重なる。ジェームス・ボンドの後ろには諜報機関MI-6があり国家の安全保障が託されている。殺人場面があっても何故か陰惨な暗さが感じられないのだ(多分に映画の影響もあるが)。ここからスパイ・諜報サスペンスに関心が移っていった。

007シリーズは回が進むにつれてエキゾチズム・荒唐無稽が鼻につくようになる。そんな時出たのがジョン・ル・カレの「寒い国から帰ってきたスパイ」、二重・三重スパイの諜報戦はエンターテイメントとしては複雑過ぎるが、心理描写とハラハラ度は007とは比較にならず、訪れたこともない冷戦下のベルリンが緊張感をもって伝わってきた。ほぼ同じ時期同じベルリンのスパイ活動をテーマにしたレン・デイトンの「ベルリンの葬送」なども読んで、すっかりスパイ小説の虜になってしまう。いずれもアクションシーンは控えめだ。全体としてはいわゆる冒険小説作家の部類に入る人だがケン・フォレットの「針の眼」も第二次世界大戦時のスパイ小説、これで世界的に知名度を上げた。さらに、スパイ・諜報とはやや異なるが、国家・組織が絡む謎解きサスペンス物では「ジャッカルの日」に代表されるフレデリック・フォーサイスも悪くない。古くは純文学のサマセット・モームやグレアム・グリーンも実体験に基づくスパイ物を書いており、この分野では英国が群を抜いている。


国家や民族全体を巻き込むサスペンスと言えば何と言って戦争だろう。政治・経済・宗教・人種・歴史など根元的なテーマも数々あるが、私の関心は専ら科学技術にあるので、どうしても兵器中心になる。その対象は、航空機・艦船・銃器そして情報通信だ。

軍事航空小説は総じて米国作家が目立つ。米空軍史とも言えるウォルター・J・ボインの「ワイルド・ブルー」、冷戦下の東西ドイツを舞台としたスティーブン・L・トンプスンの「A10奪還作戦」、ディル・ブラウンの「オールドドッグ出撃せよ」などが代表作。三人とも米空軍に所属していたから技術の細部や運用に詳しい(ボインはパイロット。トンプスンは自動車レーサーでもあった。ブラウンはB-52航法士)。


空に対して海は何と言っても英国だ。帆船時代の英海軍を扱った「ホーンブロワー」シリーズは読んでいないが作者のセシル・
S・フォレスターはその頂点に立ち、Uボートとの戦いを扱った「駆逐艦キーリング」は臨場感あふれる名作だ。その後継者はダグラス・リーマンことアレクサンダー・ケント、前者名では第二次世界大戦、後者では帆船を扱う。そして海戦サスペンス小説の金字塔と言われるアリスティア・マクリーンの「女王陛下のユリシーズ」がある。さすが七つの海を支配した国の末裔たちだ。

銃器が主役となるのはスナイパー(狙撃手)小説、その代表作家は三代にわたる「スワーガー」シリーズを続けるスティーヴン・ハンターだろう。祖父は太平洋戦線で、父は朝鮮戦争でそして息子はヴェトナムで戦った海兵隊の凄腕の狙撃手、銃・銃撃の細部をこの人ほど詳しく描ける人はいない。だからと言って妙なオタク臭さがないのが良い。もともとはジャーナリスト、映画批評でピュリッツァー賞を受賞した経歴もあり、ストーリー展開の重要性を熟知しているからだろう。


スパイの仕事は大別して情報収集分析と工作に分けられる。厳密に区別できるわけではないが、前者は知力後者は行動力となる。後者を担当するのは特殊部隊とその隊員、このジャンルにも面白い作品が多々ある。ジャック・ヒギンスの「鷲は舞い降りた」はチャーチル誘拐にナチス空挺将校とアイルランド独立推進派が協力する話。英人作家だが彼らを魅力ある人物に仕立てている。ヴェトナム戦争で活躍した陸軍特殊部隊グリーンベレー退役者が
CIAFBIと協力してKGBと戦う「樹海戦線」を始めとするJ.C.ポロックの作品は邦訳された10冊すべてを持っている。これも銃撃戦が読みどころだ。ポロックは元グリーンベレー隊員である。

軍事技術の進歩は早いが性格上なかなか真相は表に出てこない。その点で1984年発刊されたトム・クランシーの「レッドオクトーバーを追え」は当時の原子力潜水艦最新技術が詳しく取り上げられ、内部関係者の存在が疑われるほどの話題作だった。こんなところにも軍事サスペンスを愉しむ材料はあるのだ。

我が国で紹介される当該分野の作品は、独作家のUボート物、フランス人のレジスタンス物など少数あるものの、ほとんど英米作家に依るものだ。多分言語の問題だろうが、他の国の作品にも触れてみたいものだ。もう一つ気掛かりなのは、翻訳物のマーケットはそれなりにあるが、我が国の作家で本格的・長期的に取り組む人が居ないことである。大藪春彦(故人)、佐々木譲、逢坂剛、船戸与一(故人)、浅田次郎など興味ある作品を一時期残しているが、警察小説や時代小説・歴史小説に移ってしまっている。平和憲法墨守の長い歴史下、日本人軍事サスペンス作品は売れないと言うことだろうか?

 

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