2024年4月30日火曜日

今月の本棚-189(2024年4月分)

 

<今月読んだ本>

1)外事警察秘録(北村滋);文藝春秋社

2)新しい国境 新しい地政学(クラウス・ドッズ)東洋経済新報社

3)上野アンダーグラウンド(本橋信宏);新潮社(文庫)

4)司馬遼太郎の時代(福間良明);中央公論新社(新書)

5AI翻訳革命(隅田英一郎);朝日新聞出版

6)危機を乗り越える力(浅木泰昭);集英社

 

<愚評昧説>

1)外事警察秘録

-地味だがそれなりに活動している我が国諜報組織、スパイマスターがその内実を垣間見せる-

 


40歳過ぎ、工場のプラントの計測・制御技術者から本社情報システム部門へ移り、経営情報管理を担うことになった。もともとスパイ小説が好きなジャンルだったこともおあり、情報(Information)と諜報(Intelligence)の違いに関心が向いた。書架にはMI-6 (英)、KGB(ソ)、CIA(米)、FBI(米)などの諜報機関に関する書物が溢れている。しかし、我が国のものはそれに該当する統括専任機関がないこともあり、統合的なものは少なく、外交や国家安全保障の一部として語られることが多い。本書はそれに対してある意味そのものずばり題名、20233月の本欄で紹介した小谷賢著「日本インテリジェンス史」の冒頭に本書著者のひと言「インテリジェンスほど、国家作用に激烈な影響を及ぼすものはない」が取り上げられており名前を記憶していたので、最新の諜報活動を知りたく本書を求めた。

我が国のインテリジェンス機関は、内閣官房長官の下にある内閣情報官が内閣情報調査室(内調)を介して諜報活動を統括、その実施部隊(いわゆるインテリジェンス・コミュニティ)は、公安調査庁(法務省外局)・警察庁外事情報部・外務省国際情報統括官組織および国際テロ情報収集ユニット・防衛省情報本部それに内調直属の内閣衛星情報センターから成る。また、情報活用部門最上位に内閣府国家安全保障会議(NSC)と国家安全保障局(NSS)が在る。

著者は1956年生れ、1980年に警察庁入庁、在フランス一等書記官、警備局外事情報部外事課長、第1次安倍内閣首相秘書官、警備局外事情報部長、2011年野田内閣で内閣情報官、引き続き第2次~第4次安倍内閣、菅内閣でも同ポストに留任、第4次安倍内閣で第2代国家安全保障局長に就任する、我が国を代表するインテリジェンス・オフィサー、217月退官。本書は退官後20226月号から20238月号まで月刊文芸春秋誌に連載された稿に、安倍元首相銃殺事件に際し同誌に寄せた「追想・安倍晋三元総理大臣」を加えたものから成る。

月刊誌連載と言う性格もあろう、内容は外事警察の全容を体系的に解説するものではなく、著者の体験談を中心に12の事件・話題を取り上げ、外事警察と国家安全保障や外交あるいは国内政治や報道、刑事警察との関わりを語る形式になっている。いずれも既に公表されている話題ではあるものの、独自の背景説明や著者の意見も十二分に盛り込まれており、一般報道とは異なる視点で理解させ、事件の核心を分からせてくれる。

例えば、北朝鮮拉致問題。著者が関わるのは200411月に開催された第3回日朝実務者協議、既に3回の成果として5人が帰国しているが、横田めぐみさんの遺骨DNAが不一致となり、死亡と告げられている拉致対象者の死に至る過程を先方医療関係者に確認することが目的だ。滞在するホテルの造り(鏡が異様に多い)から関係者聴き取り(結局曖昧なままで終わる)まで協議過程を解説した後、拉致問題の出発点に話を遡る。入庁の遥か以前1974年富山県高岡市雨晴(あめはらし)海岸でアベック拉致未遂事件が起こっており、警察庁は北朝鮮によるものと認識、政府要路にその旨報告する。しかし、政治も報道も世論も動かなかった当時の親北朝鮮ムードをその後に起こる拉致遠因と見做し、国内世論喚起やスパイ取締に関する法整備の遅れを問題視る。因みに、2014年成立した特別秘密保護法でも、国益を深刻に侵害する犯罪を適切な量刑で罰する法律はない。

総てが事件絡みと言うわけでもない。20221月プーチン大統領との単独会見が面白い。その人心掌握の見事さである。著者は国家安全保障局長、この身分で単独会見は通常ありえないが、前年ロシアのカウンターパートが来日した際安倍首相が会談したことの返礼として実現する。通訳を入れて40分の話し合い内容は現時点ではマル秘。部屋を出る際大統領は「同じ業種の仲間だよな、君」と話しかけ、送り出す。プーチンは大統領である同時に、依然としてケースオフィサーでもあるのだ。

特別秘密保護法制定までの過程ではジャーナリズム批判もある。多くの報道は戦前の思想犯取締を対象とした治安維持法との類似性を強調して制定反対の論陣を張った。しかし、治安維持法をきちんと調べてそこから論を展開したものはなく、唯一それを読みこなし違いを明示したのは読売新聞主筆渡邊恒雄(ナベツネ)だけだった。軽薄左翼リベラルとの違いは歴然だ!

国家安全保障局長として力を注いだのは経済安保、中国の産業スパイ摘発などの事例が紹介されるが、関連法規の不備が防止・取締強化の限界となっている。

12話の焦点は国家安全保障に定められているものの、立場も内容も時代も異なるので、複数の短編小説を読んだような読後感になったが、知られざる外事警察における情報収集・分析と諜報活動の関係を垣間見えることができた。残った疑問は、国益に資する統括諜報組織としてMI-6CIAFSB(露;KGBの後継)のようなものが必要ないのか?スパイ取締に関するさらなる法整備はどうなるのか?である。

 

2)新しい国境 新しい地政学

-自然環境変化で変わる国境から、黄金時代再来を夢見る国境、如何なる国境管理も防げない国境侵犯まで、地政学の権威がその現状を教授する-

 


石油企業に長く勤務すると経営企画や原油調達部門でなくても戦争に敏感になる。直近はハマス-イスラエル戦争(ガザ戦争)、悪くすると第五次中東戦争に発展しかねない。在職中勃発した中東戦争は第三次(19676月;六日戦争)と第四次(197310月;第一次石油危機)。根源は英仏の二枚舌・三枚舌外交とそれを背後で支えた米国による19485月のイスラエル建国にある。その点で、敗戦国でもないのに父祖の地を追われたアラブ人・パレスチナ人の怒りは理解できるし、若い頃はアラブの勝利を願ってさえいた。しかし、後年IT系に多いユダヤ系米人の友人・知人が増えるにつれ、振子はイスラエル側に傾き、両者の争いには複雑な思いを抱く。ユダヤ人の放浪が始まったのは紀元1世紀、ローマ帝国に依ってエルサレムが陥落したときに発するが、ほぼ2000年を経て祖国復興が成る。こんなことが認められるなら、いかなる国もその最大版図あるいは子孫居留地(言語域)を自国領と主張することも許され、国境紛争が多発するのではないか?新たな国境論に注視!と読んでみた。

著者の生年は不明だが、学歴・職歴から1960年代生まれと推察。現在ロンドン大学ホロウェイ校教授。専門は地理学(英地理学会フェロー)・地政学。

1989年末のベルリンの壁崩壊、1991年のソ連崩壊で鉄・氷・竹のカーテンが除かれる一方、EU統合の深化やNAFTA(北米自由貿易協定)のような広域通商機構の発足で、1990年代は国境の閾が低くなった。しかし、21世紀に入ると失地回復(主にロシア)、覇権拡大(中国)、不法移民・難民流入(欧州、米国)などから、国境・領海管理は厳しさを増してきている。加えて、公海・深海、宇宙空間、極地(北極・南極)、サイバー空間、コロナ禍に代表されるパンデミック、環境問題などに依り、新たな“国境戦争(Border Wars;本書の原題)”の火種が随所におこりつつある。本書はこのような現状と近い将来を含む国家間の境界(主権領域))管理に関する論考である。

著者の研究対象の一つに自然環境と国境管理の関わりがあり、この面の考察が興味深い。伝統的な国境は山の分水嶺や河川で定まっているものが多い。しかし、これらとて絶対的な静止状態ではない。イタリアとオーストリアの間にはアルプスが存在するが分割線は氷河の退縮によって変化する。両国は定期的にその変化を観測、それに応じて平和的に国境の修正を行っている。しかし、中印国境、インド・パキスタン国境ではそうはいかず、いまだ紛争の地である。国際河川も欧州では関係各国間で既に境界管理(ダルウェイグ;河川の最深部を境界とする。これも動く)や水資源管理が確立しているが、他では領土や水争いが絶えない。古いところでは中ソ間を流れる黒竜江(アムール川)の中州にある珍宝島(ダマンスキー島)を巡る争い、ガンジス河口の広大な三角州の変容はバングラディッシュとインドの紛争を惹起する。そのガンジス河やインダス河の源流はヒマラヤやチベットにあり中国の水利政策に影響され、ラオス・ヴェトナム・カンボジャ・タイ・ミャンマーを流域に持つメコン川と併せて、一帯一路戦略と不可分だ。アフリカ東北部を縦断するナイル川またしかり。エジプトはエチオピアとイスラエルの接近を懸念する。河川と湖沼の関係(アフリカ、旧ソ連邦構成国)あるいは帯水層(イスラエル・ヨルダン)も国境が絡むと複雑だ。

人為的な国境線で問題を起こしているのは旧植民地。勝手な線引きが現在も続く紛争のもとになっている。著者は英国人、インド、パキスタン、中東、アフリカなどにおける国境策定の杜撰さにも目を向けて往時を振り返る。

海に対する主権領域は19世紀末艦砲の届く距離内(3km)を領海と定めていたが、その後地理学上の考え方(大陸棚)や経済水域を反映するようになる。しかし、大陸棚の定義、岩礁と島の区別など曖昧な点が多々あり、それにつけ込むような南シナ海(南沙諸島)における中国の一方的な主張・行動を批判する(ここでは尖閣諸島問題も取り上げている)。さらに、法的規制のおよばない公海・深海への問題はそれ以上に深刻化する可能性がある。

地政学・政治地理学的な分析ばかりでなく、国境管理技術や経済に関することも取り上げている。トランプが始めた米・メキシコ間のフェンス、ドローンを含む監視システム、スマートボーダー入出国管理(個人情報への踏み込み)、技術が多様化するばかりではなく、投資額も急上昇しているのだ(国境ビジネスの拡大)。また教育の面での影響力にも触れ、歴史・地理教育においてその「黄金時代」を想起させる過度なナショナリズムが紛争を呼ぶと警告する。(本書には書かれていないが中国で流布する「国恥地図」(異民族である清朝最大版図)などその典型だろう)。一方、いくら技術・資本をつぎ込み愛国教育に励んでも、一国では抑えられないパンデミック、気候変動、サイバー戦には在来型国境管理に限界がある。結果は“迫り来る新たな国境紛争”、その想定例を示し終章とする。

「百年国恥」を晴らさんとする中国、冷戦後の解体の歴史を逆転せんと欲するロシア、本書の中でも際立って事例を引かれる両国、隣接する我が国にとって覚醒される一冊であった。原著出版が2021年のため、クリミヤ半島侵攻以外はウクライナ戦争には触れていないがその予兆は充分うかがえる。プーチンの領土観は「ロシア語を日常語とする地域はロシア」なのだ。

 

3)上野アンダーグラウンド

-よく知っていた上野だが、「こんな上野は知らなかった!」の数々、突撃ルポでそれを知る-

 


小学校3年生から大学1年まで住まいは千葉県松戸市に在ったのだが、小学校6年生から高校卒業まで上野・御徒町界隈が通学域だった。常磐線で乗り換えなしで通える所に越境入学していたからである。小学校は上野広小路交差点から南西に100mほどの所、中学は山手線・京浜東北線を軸に小学校を東側に反転した所に在った。高校は上野駅公園口を出て動物園の裏手、小中学校より最寄り駅から遠方になるが徒歩で15分程度。この三点を結ぶ地域が私の心の故郷(ふるさと)、他の繁華街と異なりなかなか奥の深い所なのである。その一端を見せようと、この春休み花見を兼ねて孫二人を湯島天神→松坂屋裏のとんかつ屋→アメ横→西郷さん→国立博物館→科学博物館→西洋美術館と連れまわした。しかし、熟知しているつもりの上野だが、少年時代の行動時間は明るい内に限られ、断片的に話は聞いていたものの、夜の世界やいかがわしい場所に踏み込んだことはなかった。タイトルの“アンダーグラウンド”に惹かれそこをのぞき見ることにした。

著者は1956年生れ、ノンフィクション作家。著者紹介に「全裸監督村西とおる伝」がNetflixでドラマ化、世界190カ国に配信され大ヒットしたとある。著者名も作品も全く知らないが、本書を読む限りルポライターが相応しい。取材時期は2015年、単行本出版は2016年、文庫本あとがきにあるが、現在全く様相が変わってしまったものもある。上野の暗部について、それなりの収穫はあったが、かつての三流キワモノ週刊誌を思い起こす読後感だった(しかし、「ここまでやるのか!」と言いたくなる取材魂には感心した)。以下章のタイトルを列記し、一部関わりのあったことにコメントを加える。


第一章 高低差が生んだ混沌(カオス)、第二章 上野“(クー)龍城(ロン)ビル”に潜入する、第三章 男色の街上野、第四章 秘密を宿す女たち、第五章 宝石とスラム街、第六章 アメ横の光と影、第七章 不忍池の蓮の葉に溜る者たち、第八章 パチンコ村とキムチ横丁、第九章 事件とドラマは上野で起きる。

九龍城は全く知らなかった。昭和通りに面しワンルームマンションとして建てられたものようだが、ここに中国エステが入り込み、ビル内に“大小便禁止”が貼られるほど魔窟化している。往時(中学)は無かったし、その後マンションに戻ったとある。

男色の街は、その歴史を知り、なるほどと思った。動物園や国立博物館の在る上野公園は維新まですべて寛永寺の所有地、末寺も多々あり修行僧など数千人が起居した。男だけの世界に怪しげなサービスを提供する陰間(かげま)茶屋が周辺に出来、これが今に続くと言うのである。第五章のスラム街とも関係するのだが現在国立西洋美術館の在る所は高校時代葵部落と呼ばれるスラム街だった。夜になるとオカマが声をかけてくると言われていたが、さすがに高校生を誘うことはなかった

本書に依れば我が国最大の宝石屋街、山手線と昭和通りの間に在り、ここは完全に中学校の学区内、当時は時計関係(腕時計、バンド)などの卸商が軒を連ねていた。何故ここがそんな街になったか?御徒町の御徒とは足軽のこと、生活が苦しく各種職人(平和な時代はこちらが本業)を兼業しておりその伝統は後世に継続、中学の友人にはそんな家庭の者が多数いた。

アメ横は、アメリカではなく(あめ)である。だから子供でも往来することに全く問題なかった。ここは古くからの商店街ではなく、空襲による類焼が鉄道におよばぬよう強制立ち退きで更地にたところに戦後闇市ができそれが発展したものである。この地に復員兵・引揚者と第三国人(旧植民地人;敗戦国民でないので警察力行使に限界があった)が集まり争いが絶えず、のちにアメ横センタービルのオナーとなる近藤広吉が両者の手打ちを行ったとある。この人の息子は小学校の同級生、当時からアメ横を仕切っていると聞かされていた。

年末になるとそこで荒巻や鮮魚の大売り出しが行われるが、ほとんどがにわか鮮魚商、冷凍の蟹は解凍するとスカスカ、マグロのトロも実は赤身。これに対して乾物(貝柱、なまこ、干し椎茸)などは一級品が集まっており、華人系(シンガポール、香港、台湾)レストラン経営者・食通に人気が高いとのこと。これは知らなかった。

アメ横の経営スタイルは一つのビジネスに徹せず、売れるものを売る。ゴルフブームではゴルフ道具、スニーカー人気が起れば靴屋に変じる。それ故にメインストリート(中央通り)より、アメ横の店の残存率ははるかに高い。

上野駅の正面玄関の南東方向、昭和通りの東側はキムチ横丁と呼ばれるコリアンタウン(都内最大;ここのコリアンは新宿・新大久保のコリアンタウンを新参者の街と蔑視している)、先のアメ横の手打ちのあと、行政がここへ移動するよう指導したとある。中学の学区内だが、そのことは全く知らなかった。通学路から外れていたからだろう。また、このエリアはパチンコ村でもあり、パチンコ・パチスロのメーカー・販社8割がここに集中していることも本書で初めて知った。

今度出かけたら、これら知らざる上野を探訪してみたい。ただし昼間外からのみ。

 

4)司馬遼太郎の時代

-国民作家司馬遼太郎人気を「二流」「傍流」を因とする、異色の歴史社会論だが、研究紹介・読み物、いずれも中途半端-

 


司馬遼太郎の小説で既読のものは「坂の上の雲」一編のみ。もともとノンフィクション好みの読書傾向からこのことはさして特異なことではない。それに対し紀行文(「街道をゆく」など)や歴史エッセイ(「この国のかたち」など)は多々読んでおり、作品全体を通じては好きな作家の一人である。しかし、諸作品を通しておおよその経歴は知っているものの、今まで司馬の伝記の類は読んだことが無かった。著者は研究者、どんな切り口で司馬を解剖して見せるのか、文学論?作家論?歴史論?それともただの読み物か?それを楽しみにジム仲間回覧の本書を手にした。

著者は1969年生れ、歴史社会学・メディア史を専門とする立命館大学産業社会学部教授(博士)。大学卒業後一旦出版社に就職、のちに大学院に進み学者となった人。序章で、司馬遼太郎を論じたものは文学論・歴史論の視点からは多々あるが、歴史社会学の角度から考察されたものは皆無と述べていることからも、斬新なアプローチを期待した。

歴史社会学の切り口は二点、一つは生い立ちから人気作家に至る過程、ここは専ら個人に焦点が当てられる。もう一つは作家として生きた時代の世相である。前者は作家を論ずる共通の視点だが、ひと味違う切込みを試みる。司馬には「二流」「傍系」意識が強かったとの見方だ。これがある種の批判精神を生み、それが作風に反映されているとする。そして後者が著者独自の考察となる。ひと言で言えば「時代が作風とマッチした」と見るのだ。

先ず「二流」「傍系」意識が学歴と職歴中心に語られる。司馬の実家は祖父の代からの薬卸商、格別豊かではないが彼に大学教育を施すことに問題はない。小学校では優等賞をもらうほどだから本人もその気は充分ある。しかし、私立中学に進みここの校風が合わなかったことと、数学が苦手で旧制高校受験に2回失敗する。4年で受けた大阪高校、5年で受験した弘前高校。やむなく大阪外国語学校(専門学校;大阪外国語大学→大阪大学外国語学部)蒙古語科で学ぶことになる。旧制高校と専門学校の違いは“教養”教育の有無にある。この時の“教養コンプレックス”が作風・作品に影響している、と因果を関係づける。職歴も、ほぼ同じレンズで見つめる。復員後最初の就職先は京都の地方紙、担当は宗教関係、このあと産経新聞社に移り美術記者などを経て編集局の幹部になる。しかし、三大紙(朝日、毎日、読売)に比べマイナーな存在。作品を書き始めているが、同人誌などには一切かかわっていない。教養コンプレックス・傍流意識がそうさせていたと著者は見るのだ。二流・傍系の眼で見てきた「暗い昭和」、輝いて見えるのは「明るい明治」これが諸作品の根底にある。幕末・維新・明治初期を描いた「竜馬がゆく」「峠」「坂の上の雲」のみならず、戦国時代や徳川時代を描く作品にも「暗い昭和」が反映されていると論じる。

次は「時代が作風とマッチした」。これも著者は“教養”と深く結びつける。教養教育機関ともいえる旧制高校は大学教養部に変じ、旧来の硬い教養(哲学、思想などいわばエリートの教養)が疎んじられる一方、新制高校・大学への進学者が増え、大衆向け教養が求められる時代が到来する。最も取つき易いそれは“歴史”、折しも高度成長期、「坂の上の雲」を見つめる企業人は経営トップから新入社員まで皆司馬作品の登場人物に自分を重ねていく。企業社会との親和性が高く、旧来の文芸作品が学生・主婦などに支えられていたこととの違いは顕著と著者は説く。この傍証として、文庫本・週刊誌・TV・映画の消長、企業経営形態の変化などを援用、社会学的考察を加える。

司馬が自身の作風を「小説でもなく史伝でもなく、単なる書きものに過ぎない」と語っているように、文芸評論家や歴史学者からの評価は厳しいものがある。著者はその代表例として、登場人物や出来事と直接関係ない“余談”が多いことを挙げている。私が読んだ小説は「坂の上の雲」一作だけだが、読ませる力に引きずり込まれた反面くどいとの思いをしばしば覚えた。多分それは“余談”部分だったような気がしている。しかし、この“余談”にこそ学ぶ点が多いと評する人もおり(例えば田辺聖子)、人気の因の一つに挙げている。これは斬新な評だ。

「時代が作風とマッチした」は納得感のある論理展開だが、「二流」「傍系」意識は、同じ話が繰り返され、頻度の多さで司馬作品人気の因果関係を論証しようとしているのでなないかとさえ思えてくる。同時代学歴・職歴コンプレックスを持つ作家は他にも存在した(例えば、松本清張)。彼等との違いは何か?学者の著す書物ならそこまで踏み込まなければ、研究成果としては不十分であろう。読み物としても「二流」「傍系」に辟易としてくる。

 

5AI翻訳革命

AI人間代替論数々あるが、これは「今、英語学習法変更を迫る」現実であることを確信させる-

 


就職した会社は50%外資、常勤役員はすべて日本人、技術文書の読解力さえあれば英語力を問われることはなかった。1981年本社課長に異動、19年の工場生活の後初の本社勤務である。ここで初体験となったのが 資本を持つE社・M社との英文によるビジネス文書のやり取りだった。異動後しばらくは前任者たちが残したものを参照し、専ら英借文でしのいでいたが、「自在に書けるようになりたい」の思いに駆られるようになる。そんな悩みが人事に伝わり、M社英語教育子会社のビジネス文書に関する通信教育受講を薦めてくれた。スタートは高校受験くらいのテストに依るランク付け、最終は顧客・取引先とのビジネス文書作成までのコースである。指導に当たるのは英語を母国語とする人達。教科書も課題も添削も評価もすべて英文、土日中心で卒業まで6年ほど要した。しかしこの成果は大きかった。文書作成のみならずスピーキング力向上にも役立った。爾来多くの英文文書のやり取りを海外企業と交わしてきた。ネットの世界では英文による電子メールが一層役割を増し、ビジネスを離れてもあの時体得した知見・知識が大きな財産になっている。

こんな苦労をAIならいかに軽減してくれるか、そんな好奇心もあり昨年からCopilot(マイクロソフト)やGeminiGoogle)あるいはDeepL(ドイツ社翻訳ソフト;伊→日)を試用している。結論は私以上である。短い文章では、状況を複数設定(フォーマルからカジュアルまで)、それを列記してくれることもある。AI恐るべし!が実感だ。これから翻訳・通訳はどうなっていくか?ひとまず翻訳の最前線を学んでみることにした。

著者は1953年生れの工博(多言語学習支援)、大学院卒業後日本IBM東京基礎研究所、国際電気通信基礎技術研究所(ART)勤務を経て、出版時国立研究開発法人情報通信研究機構(NICT)フェロー、アジア太平洋機械翻訳協会会長、この分野の我が国第一人者のようだ。

機械翻訳の歴史(波乱万丈)、AIの基礎(翻訳のための深層学習、ニューラルネットワーク)、日本人の英語力、翻訳・通訳の必要性(適用事例を含む)、AI翻訳の評価と使い方、翻訳と通訳の違い(同時通訳への挑戦)、今後の英語教育の在り方(受験英語への疑問)、英語以外の言語への適用など広範なAI翻訳を網羅、これを極めて分かり易く解説している。ただ、出版時期の関係で、生成AI、特にチャットGPTには全く触れられておらず、この点では最新情報とは言えないが、AI翻訳を理解するには十分だ。

機械翻訳の歴史は1945年米国で始まる。冷戦、スプートニクショックと専ら対象はロシア語だった。一時期は年2000万ドルに達する研究費が投入されていたが60年代にはこれがゼロになる。「電算機を含む機械翻訳は無理」と結論付けられたからだ。我が国における当該分野における研究の本格化は1980年代中ごろ日本が一方的に欧米の科学技術情報を利用していることに非難が高まった時期である。日本の科学技術情報を英文に抄訳する研究として始まる。著者が一時期席を置くARTはそのために国70%その他30%で設立された研究機関である。しかし、これも成果は上がらず一旦規模を縮小する。すべての失敗因は「ルール式機械翻訳;RBMT;単語・文法・文構造を基本とする」にある。いかなる言語の口語・文語も規則通りに使われることはまれなのだ。これを打破せんと取り組まれたものに統計解析技法(SMT)があった。単語の間の関連(主語・動詞・形容詞など)を統計的に分析し翻訳を試みるのだが実用にはならなかった。これが発展したのが用例翻訳方式(Example-Based Machine TranslationEBMT)。しかし2015年までこの方式が注目を集めることはなかった。ブレークスルーはビッグデータとAIの組合せである。無限とも言える用例からAIが深層学習することによって、一気に実用レベルに達する。

TOEIC990点満点)の日本人平均点は531点、トップのドイツは826点、アジアで最高はフィリピンの773点、中国は533点。日本人が如何に英語を苦手とするかを示す典型例だ。米国務省で外国語学習に要する時間は;仏語ほか600時間、インドネシア語ほか900時間、ロシア語ほか1100時間に対し日本語は2000時間を要するとしている。日英語間の距離はそれほど遠いのだ。それ以上問題なのは日本における他外国語、英語以上にアジアの言語は通じない。働き手移民の増加、中国経済の発展(例えば特許件数)、圧倒的多数を占めるアジア諸国からの訪問客(インバウンド)を考えると、外国語コミュニケーションをこのまま放置していては、国力低下は必定、その打開策はAI翻訳・通訳にあると、著者は訴える。

今やAI翻訳のTOEIC点数は900点、自動翻訳の正解率は90%(これらの測定法も具体例と共に解説される)。だからと言って、(真偽不明の伝説だが)漱石が「I love you」を「今夜は月が綺麗ですね」と恋人にささやかせたような名訳(迷訳)はAIにはできない。英語教育の在り方を根源的に問い直すとともに、人とAI共存の外国語利用環境を創り上げるべきと結ぶ(優れた翻訳家・通訳はむしろ価値を高めると著者は見る)。

私の現役時代に話を戻すと、AI翻訳で仕事は片付くし、つぎ込んだ時間とカネ(会社負担)が大幅に減ずるのは確かだが、英語とそれを話す人々への関心は極めて薄いものに留まったに違いない。若い(あるいは年少)時から外国語AI依存が果たして良いのかどうか個人的には断じかねている。とは言え、外国語教育、外国語に問題意識ある方あるいはAIと外国語実務の関係に関心のある向きにはお薦めの一冊である。

 

6)危機を乗り越える力

-幾度も到来したホンダの経営危機、強力なパートナーに捨てられた直近F1プロジェクトからの巻き返しは感動的だ-

 


大学入学時学生自動車工学研究会なるサークルに参加した。自動車会社に就職することを考えていたからだ。このサークルは学内に留まらず、首都圏に在った理工系学部内にそれぞれ活動組織があり連合会を結成、紅一点のメンバー校として東京女子大も参加していた。東村山に在った通産省(現経産省)機械試験場テストコースでメーカー各社から借り受けたクルマの性能試験をやったり、夏休みには“長距離試験”と称して半分遊覧を兼ねて箱根や奥多摩に出かけたりした。しかし、主要な活動は工場見学とそこに就職している先輩たちとの交流だった。確か2年生時、まだオートバイ会社にすぎなかったホンダの狭山工場を見学した。ちょうどスーパーカブが大ヒット、新しく活気のある工場が印象的だったが、それ以上のサプライズは先輩との歓談中、突然創業者の本田宗一郎がつなぎ服で現れたことだ。話の内容は記憶にないが、数十人の学生を前にクルマ作りの楽しさを、くだけた口調で縷々語ってくれた。爾来すっかりホンダファン(と言うより宗一郎ファン)となり、所帯を持って初めて買った新車は水冷360ccエンジン搭載のホンダライフ、その次も米国で大人気になった初代アコードだった。本書はそのホンダで、数々の難題を克服した一人のエンジニアの回想録である。なお、著者・出版社はリーダー論を意図したようだが、私は技術開発物語として読んだ。

著者は1958年生れ、1981年地方の私立工業大学(機械工学)を出てホンダに就職する。当時ホンダは技術者集めに奔走しており、入社試験のために担当者が居住地まで出張面接に出かけてくるほど売り手市場だったようだ。子供の時から機械いじり好きが伝わり即採用が決まる。

この人の社内歴を節目で辿ると;1981年入社(エンジンテストベンチ屋としてスタート)→1982年~85年第2F1メンバー→1986年~1994V6エンジン開発・初代オデッセイ開発→2004年北米向け商品開発LPLLarge Project Leader;総開発責任者)→2008年軽自動車N-BOX開発LPL2013年軽担当執行役員→2014年国内向け商品開発担当執行役員→2019年第4F1パワーユニット総責任者→2023年定年退職。この節目の中で著者が体験し克服した危機が本書の骨子となる。ここでF1期数はホンダ参戦時期の順番を表す;第1期(1964年~65年)、第2期(1983年~1992年)、第3期(2000年~2008年)、第4期(2015年~2021年)。

オデッセイは国内初のミニバン、米国でファミリーバンが売れだしていたことから企画されたが、国内では商用バンのみの時代。社内でも“温泉車(旅館送迎用)”と揶揄されなかなか企画が実現しない。バブルがはじけホンダもそのあおりで不況に陥る。しかし、アコードの生産ライン活用で1994年発売すると大ヒット。危機を救うとともに“ミニバン会社”といわれるほどの代表商品になる。

第二の危機は米国一本足打法の経営形態。この中核はアコード、対抗馬はトヨタのカムリ。トヨタが6ATを採用すると5段のホンダは燃費で太刀打ちできない。直ちに6AT採用も難しい。そこでエンジンの気筒数を負荷・速度で切り替える気筒休止システム開発に挑戦。6気筒を4気筒さらには3気筒運転も可能にし、燃費改善を図りカムリに対抗できるようなる。このシステムは過去にGMやメルセデスも取り組んでいたが量産には至れなかったものだ。

ホンダ4輪への進出は、スポーツカーを除き1967年発売の初代N360が原点、しかし軽は普通車に比べて利が薄い。やがて重心は普通車優先に傾き、シェアーは軽専業2社(スズキ、ダイハツ)に遅れを取るばかりかスズキのOEM車を販売する日産にも後塵をはいするありさま。そこへ来たのが2008年秋のリーマンショック、普通車販売が激減、ホンダ存亡の危機である。そんな時命じられたのがN-BOX開発企画LPL。市場調査で注視したのは女性のニーズ、ここから「子育てに最適なクルマ」のコンセプトが生まれる。これと安全性の高いことをセールスポイントにすることを決する。軽2社との販売価格競争を勝ち抜く策として重要と考えたからだ。設計段階から安全性向上を目指し、他社がオプションとする安全装備を標準装備とする価格戦略である。女性ニーズの肝は室内空間、安全性はエンジンルームの衝撃吸収力である。両者は厳しいレギュレーション(特にサイズ)での中で本来相容れない。ここでエンジン屋の本領が発揮される。衝突時エンジンが折畳まれる構造を実現する。これで軽最大の空間が確保できたのだ。しかし、量産準備への最終段階にあった20113月東日本大震災が設計拠点である栃木研究所を襲う。急遽場所を鈴鹿工場に移し、当初計画通り2011年末発売、予想外のヒット商品となる。

201354歳、軽自動車担当執行役員、2014年には国内販売車開発統括執行役員に昇進、定年後を考え始めていたところへ、2017年突如命じられるのが第4F1テコ入れ担当。第2期(ウィリアムズ+ホンダ)、第3期(マクラーレン+ホンダ)で赫々たる戦果を挙げたF1だったが、2015年からマクラーレンと組んで参戦した第4期ではハイブリッドエンジンの不調で離縁状を突きつけられる。著者を登用したのはオデッセイ時代の部下でその時本田技術研究所社長になっていた三部(みべ)敏弘(現ホンダ社長)。モータースポーツ専業子会社HDR Sakuraに移りセンター長兼F1プロジェクトLPLとして再建を担う。捨てられたホンダがすがりついたのはレッドブルのセカンドチーム、スクーデリア・トロロッソ、何とかここで実績を挙げ、レッドブルトップチームと契約を交わすことを目指す。技術的欠陥克服に努める一方、他チーム(特にフェラーリ、メルセデス)の戦い方をつぶさに考察、対応策を講じていく。最大の弱点だったエネルギー回生装置の振動防止にはホンダジェットの力を借り、他社分析ではフェラーリが潤滑油を燃料に混入していることを見抜き、ホンダもシャブシャブの滑油を使用する(その後潤滑油の使用に規制が設けられ現在は不可)。こうして2018年シーズン第2戦でトロロッソが4位入賞、次第に成績を挙げ、翌年から2年間のレッドブル(オーストリア)との契約を勝ち取る。2019年レッドブルは3勝し、2020年満を持すが初戦では許されたホンダの制御システムをFIA(国際自動車連盟)が禁止とし3勝に甘んじる(メルセデスも不調)。やっと先が見えてきた矢先、ホンダの八郷(はちごう)社長が2022年以降のF1参戦撤退を発表、さらなる危機が襲う。しかし、著者は20214月の八郷社長退任をにらんで実績優先でプロジェクトを進める。2021年新ユニットが本格稼働し6勝(メルセデス3勝)、2022年年間最多勝15勝でコンストラクターチャンピョンとなる。こうなると社内の空気も「これでF1やめるのはもったいない」に変わり、社長交代で次期社長の判断を待つことになる。著者は20234月定年退職、ホンダ社長は彼を起用した三部が就任、2026年(新レギュレーション)からF1復帰を発表する。2023F1の結果は22戦中21勝という圧倒的な勝率(メルセデスは大不調、1勝もできず)で、2年連続のコンストラクターチャンピョン獲得となる。因みに、2026年からのパートナーは久々にF1復帰するアストン・マーチン(英)である。私としてはこの危機とその克服が本書で最も読み応えのある部分だった。

F1復権のLPLとして著者が技術以外で述べていることで印象に残ったことがいくつかある。不調時「出来ることは何でもやれ」はダメ、責任者は優先度付けを行うのが使命である。欧米人は「灰色は白」、日本人は「灰色は黒」。要はずる賢い奴が勝つ社会。先の潤滑油混入はその例。著者はそれを逆手に取る。一般に灰色域に踏み込むとき、自社の手の内を明かすようなことはしない。しかし、著者はあえてFIAに問い合わせをし、他社の灰色行為を先手で封じる。

ホンダが普通の儲かる会社に変じつつあるのを懸念しながら、「危機が人間を成長させる」「ホンダでの人生は楽しかった」と結ぶ。

 

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2024年4月3日水曜日

2024東京案内

 4月2日:春休み恒例の孫二人の東京案内(実は爺のセンチメンタルジャーニー)。ルート;神保町書店街→すずらん通り→ニコライ堂→湯島天神→アメ横→上野公園(西郷さん→花見風景→野口英世像→西洋美術館)。野口英世像の除幕式は1951年(昭和26年)春、級友たちと参加した。私が孫娘同様小学校6年生を終える歳と重なる。