ラベル 九州ドライブ の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 九州ドライブ の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2016年7月17日日曜日

九州遠征超長距離ドライブ(31;最終回)


21.ラストラン(総括)
325日(金)晴れ。本来なら6時半到着が4時間遅れ10時半になった。神戸市内を走るのは、和歌山在住時代を含め、これが初めてだから「早朝の道が空いたうちに」と思っていたが、港湾地区は朝のラッシュ時、大型コンテナーの往来が激しい。六甲アイランドから名神につながる国道43号線(阪神自動車道)魚崎ICまでは専らナビが頼り、西宮ICで名神に入る。ここから吹田JCTまでも未体験ルートなのだが、何かホッとした気分になる。ドライブの楽しみはほとんど無いのだが「これで自宅近くの堀口能見台ICまで自動車道だけで行ける」ことがこの安堵感の因だ。
吹田JCTで中国道と合流すると交通量は一段と増え、全車線流れてはいるものの、車線変更のタイミングが難しいほど。追越車線のひとつ内側を走るようにレーンキープの運転を続ける。草津JCTで新名神に進路を採ると若干空いてくるし、沿線は山がちで風景に変化も出てきて運転にゆとりが持てる。関西と都心を結ぶルートで新東名の静岡県内陸部走行と並んで好きな所だ。
12時土山SAに到着。いつものドライブに比べ少し早いのだが、次のSAは東名阪の御在所と少し遠いので、ここで昼食を摂ることにする。施設は上り下り共通利用形式で食堂も同様。自動販売機で食券を購入する方式なのだが、外国人がガイドに案内されながらそれを求めるので時間がかかる。注文したものの受け取りもそれぞれ(麺類・中華・丼物など)のカウンターの上に番号表示され日本語でアナウンスされるだけなので、日本人でも右往左往している。加えて席の数に制限があるので混乱に拍車がかかる。独占企業の弊害、ここに限らずSA周辺でのビジネスをもっと競争的環境にすべきと痛感させられる。
1時前SA出発。亀山JCTから伊勢湾岸道路を経て豊田東JCTまでは車線数が増えるが分岐も多く進路変更が激しいので最も神経を使うところだ。特に今のナビは古いバージョンなで新東名への最新接続点、豊田東へ誘導してくれない。専ら標示板頼りになるので一層の注意が必要だ。何とか新東名に取り付き浜松SA到着は2時半。ここでおやつと給油(ENEOS)を行う。満タンで16ℓ、往路もここで補給した(19ℓ)だけであとはエッソ・モービル・ゼネラルだったから、他社のガソリンは最小限に抑えられたと言っていいだろう。
このあとのドライブも順調に進み、御殿場JCTで東名に入って、510分頃海老名SA着、ここで夕食のため約1時間過ごし、650分自宅に帰りつく。これで1983年のアメリカ西部(ユタ、コロラド、アリゾナ)以来の連続長距離ドライブを無事完成させた。日米の道路事情と歳の差(44歳、77歳)を考えると、有森裕子ではないが、我ながら「よく走った!」と褒めてやりたくなるような、タフで充実感のある9日間だった。

総括:
総走行距離;3111km、走行日数;10日、平均走行距離;311km/日、最長走行距離;631.2km/日(自宅→津山)
総燃料消費量;292ℓ、平均燃費;10.65km/ℓ、総燃料費;27,523
総自動車道通行料(旧道路公団分のみ);55,400
最も楽しかった走路;ミルクロード→やまなみハイウェイ(熊本・大分)
最も厳しかった(運転技術を要した)走路;豊後竹田→高千穂峡(大分・熊本・宮崎)
最も楽しかった観光地;長崎市
最も満足した宿泊先(価格、情報サービス、利便性など総合して);長崎ヴィクトリアイン
最も美味しかった食事(雰囲気を含む);長崎ホテルモントレーのパスタランチ
最も口にあった酒(風呂上りの生ビールを除く);宮崎Mar&Bar(スペイン料理)の辛口シェリー酒
最も印象深い体験;指宿の砂蒸し風呂
最も心残りなこと;天草→雲仙島伝いルートをスケジュールの関係で走れなかったこと(結果として面白味のない九州道を往復することになった)

私のドライブ旅行目的は先ず走りにある。走りの楽しみを味わうには、ハンドルとアクセル捌きの妙、未知の道と土地、の二つが重要だ。これに第二の目的である観光をどう組み込むか、いつのドライブでも計画段階で調整に苦慮する(楽しいが・・・)。
今回のきっかけは家内両親の墓参(鹿児島)にあるが、今の愛車で、沖縄を除く全都道府県走破を目指している私にとっては未だ走っていない11県の内10県(鳥取・島根・山口と九州7県)を一気に制覇するまたとないチャンスである。未知の土地全てをカバーするルート取りに際して大事なことは、ハンドル捌きにそれなりに挑戦的な道を選ぶことである。第一候補はスケールの大きい阿蘇を巡る道、そして狭隘な山岳道路に挑むため豊後竹田→高千穂峡の林道をトライすることにした。観光は憧れの長崎が最重点、ここだけは連泊でフルに一日代表的な名所を巡る計画にした。結果、総括したように走り甲斐のある道で期待通りの走行を楽しんだし、長崎見物は宿・食を含め全てに満足できた。
おそらく今後これだけの長距離・長期間の連続ドライブ行は無いと思うが、得がたい経験ができた。残るは石川県のみ。いつ、どんな道を走るか?次が疼きはじめている。

 -完-


長きにわたり連載閲覧有難うございました。

2016年7月12日火曜日

九州遠征超長距離ドライブ(30)


20.大分-神戸フェリー-2
低床車のため乗船は最後になり、出航まで20分くらいしかない。部屋に入り荷解きを終えると直ぐにひとつ下の階(6階)にあるレストランへ向かった。既に7時前から開店しているのだ。この階はユーティリティーゾーン、途中大浴場を覗いてみると、大洗-苫小牧航路のものより狭い感じがした。今回は部屋にもバスがあるので、そちらを利用しよう。
レストランは船体後方左右と後方に窓がある。食事はビュッフェスタイルで、入口の自動販売機で食券を購入、あとは並べられた和洋中華かから適宜好きなものを盛り付けるセルフサービス。生ビールは別途食堂内に置かれた現金自動販売機で求める。後方の窓際に何とか席を確保して食事をはじめると間もなく時間通り(715分)船は離岸した。港湾施設の明かりが水に映りたゆたうの見ていると、船旅の実感がわいてくる。
1時間ほどレストランで過ごし、部屋へ戻るともう外は真っ暗、遠くに光るものがちらほら見える程度である。瀬戸内海を行くと言っても夜行便なので前半はほとんど景色を愛でることは出来ない。シャワーを浴びて部屋で寛いでいると突然船内放送が始まった。「本船は出航の際、岸壁に船体を強打し、現在異常はないものの、今後の航海状況によっては浸水のおそれもあるので、大分港に戻り被害状況をチェックします」とのこと。長い旅も最後にきて何たることか!船はここからUターン、帰路の放送では「(点検・修理に)時間がかかることも予想されるので、(クルマを持たない)単独乗船者は下船も受け付けます」とのアナウンス。神戸港到着後は自宅に向かうだけなので実害はほとんど無いが、大幅な遅れが予想される。大分港への帰着は920分頃、点検後航海に支障がないと分かり、再出発したのは10時半頃。当初予定では少し頑張って起きていればしまなみ海道の夜景くらい見えるかとの期待があったが、これでは寝るしかない。幸い海は穏やか、翌朝空が白む頃までぐっすり休むことができた。起きて外を見ると丁度瀬戸大橋をくぐるところだった。
船足は、昨晩のトラブル騒ぎにもかかわらず、20ノット前後で走っている。昨秋泊まった屋島が遥か彼方に遠望できると、次いで鳴門大橋も朝日の中に現れる。サンデッキに出て冷たい潮風に当るのも短時間なら気持ちが良い。再出航後の放送では神戸到着が大幅に遅れる(6時半の予定が9時過ぎ)ので朝食は無料になると報じていた。6時半にレストランに出向き朝食を済ませる。この朝食中に「潮流と風の影響で昨夜の到着予定時刻より1時間程度遅れ、10時過ぎになります」とのこと。ここまで来たら、「それだけ美しい瀬戸内海の航行時間が長くなる」と考え、部屋へ戻って最後の航海を楽しむことにする。
9時前明石大橋通過、神戸へ向かうスピードはあのトラブル騒ぎにも関わらず、何と23ノット!六甲フェリー埠頭到着は10時過ぎ、貨物埠頭に向かう高架道路はコンテナー車が数珠繋ぎになっている。乗り込むときは最後のグループだったが下船は最初だ。毎度のことだが、フェリーに乗るとナビには乗船地の位置(大分)がそのまま残る。船を下りると、一旦流れから外れ、交通量の少ない所で“帰宅”を選んで、帰路を確かめ、1020分自宅を目指す。

写真はクリックすると拡大します


(次回;ラストラン・総括;最終回)

2016年7月6日水曜日

九州遠征超長距離ドライブ(29)


20.大分-神戸フェリー
今まで実行する機会は無かったが、九州へのドライブを考える時にはいつもフェリー案があった。70年代~80年代にかけて川崎や久里浜から九州へ直行する大型フェリーが出ていた。その時代勤務地が川崎工場だったし、自宅は久里浜だったからよく覚えている。今回の九州行に当って久し振りにその可能性を調べてみて、分かったことは、首都圏と九州を結ぶ直行便はなく、唯一徳島経由で東京有明港と新門司港を二晩かけて結ぶ航路だけである。これまでに東名・名神・山陽(中国)自動車道は全線にわたって走り切ってはいないものの、新東名や新名神を除けば概ね退屈なドライブである。今のクルマで(沖縄県を除く)全国都道府県走破を目指しているので片道は陸路で鳥取・島根・山口を制覇、往復どちらかはフェリーを利用したいと考え、この有明港-新門司港便を詳しく調べてみたが、魅力的な旅にはなりそうになかった。
先ず航路である。東京湾を出ると伊豆半島沖、紀伊半島沖を航行、ここから紀伊水道を上り徳島港へ入る。ここまではこのルートしかない。しかしこの後がいけない。なんと最短距離で景観にも優れた瀬戸内海を行かず、再び紀伊水道を下って太平洋に出たのち、室戸岬、足摺岬の遥か南を走り、豊後水道を北上して新門司港に至るのである。この後半が気に入らない。なぜこんな遠回りをするんだろう?(鳴門海峡は大型船航行不可か?)次に問題なのは、ツインの個室が無いことである。個室は3人または4人部屋で、二人利用も可能なようだが(二人料金で)、部屋は2段ベッド構造になっている。二晩そんな所で過ごしたくない。こんな理由でこの案は没にした。
国内の船旅は何と言っても瀬戸内海だろう。南北に結ぶ四国-中国間は何度も利用しているが、東西を結ぶ航路には乗ったことが無い。次のフェリー利用検討はここに絞られた。となると阪神の港と九州をつなぐ線である。それらの内宮崎・鹿児島ルートは東九フェリー同様紀淡海峡・紀伊水道を通って太平洋に出てしまう。残るは大分・別府便である。幸い専用サンデッキ付き個室ツインもある。クルマを含めて二人で5万円以下、価格も納得できる。こうして大分港-神戸港フェリー利用が決した。

割引の効く予約をしてあったので、受付窓口のチェックインはスムーズ進んだのだが、最後に「低床車ではありませんか?」と質問された。「ウゥン?どう言うことですか?」「地面とクルマ腹部の隙間です」 今まで大洗-室蘭航路を含めあちこちでフェリーを利用しているがこんなことを問われたのは初めてである。確かに今のクルマはその間隔が狭く一寸した段差や傾斜に注意が必要だ。正直にそう告げると“誓約書”をとられことになってしまった。そこには「低床乗用車は気象状況・潮高・施設状況により、安全に下船できないことがあることを了承します」とある。そしてそれは下船ばかりではなかった。乗船順位は20番目くらいだったが、事前に別の場所で待つよう誘導され、大方のクルマ(特に大型トラック)がほぼ乗り終わり、船体が沈み込み搭乗路が水平近くになった7時頃やっと乗り込み可、誘導員が細かい指示を出しながら最後の停車位置まで案内してくれた。
目の前は船室フロアーにつながるエレベータ。我々の部屋は7階、最上階にあり、進行方向右側(四国側)、造りはバス・トイレ・サンデッキが付き、都市型ホテルのツインルームとそれほど差がないものであった。
船の名は“さんふらわあ ぱーる”:総トン数;11千トン、全長;165m、全幅;23m、旅客定員;716名、速度;23ノットの大型高速船である。

(写真はクリックすると拡大します)


(次回;大分-神戸フェリー;つづく)

2016年7月2日土曜日

九州遠征超長距離ドライブ(28)


19.阿蘇を走る-2
この日のゴールは大分フェリー港、出発は1915分だから1時間前に到着としても時間はたっぷりある。このことは計画立案段階から分かっていたので、湯布院や別府あるいは大分市街で過ごす案など考えていたが、“べべんこ”で食事をしていたら、“九重夢大吊橋”という名所が近くに在ることが分かった。精算の際確認すると“やまなみ”を少し戻って西へ向かえばいいことが分かる。「それほど回り道ではなさそうだ」とナビにセットして走り出すと15分程度でそこについた。時刻は215分、朝からの晴天は阿蘇山中を走るうち曇りに変じべべんこを発つ時には外気も少し冷えてきていた。吊橋の大駐車場には何台かの観光バスと自家用車が止まっていたが、何か寒々しい感じがする。駐車場の先に橋を吊る高い柱が遠望できる。
案内所・みやげ物店・トイレなどが一まとめになっているところがどうやら橋への入口らしい。往復500円の渡橋料を払って橋に向かう。標高777m、全長390m、高さ173mは歩行者専用としては長さも高さも日本一、幅は二人分だから一列になって歩く。谷は深く結構風も強いので緊張感が曇天の下で募る。東側の断崖にはいく筋かの滝が落ちておりもう少し緑が深まるか紅葉の季節には絶景だろうが、岩面と枯れ木では今ひとつ風情に欠ける。寒風に震えながら対岸まで辿り着くとそちらにも料金所があり、農産物販売所が併設されているが客の姿は見えないのでそのまま戻ることにする。往復し終わって思ったことは「確かに季節に依っては観光スポットとして魅力ある所だが、一体全体この橋は何のためにあるのだろうか」ということであった。少なくとも生活道路の一部でないのは確かだからだ。「これだけで経済的に成り立つのだろうか?」との疑問である。まあ深刻に考えず、“日本一”を体験したことで良しとしよう。
ここへ寄る寄らずに関わらず、あとのコースはやまなみを湯布院ICまで行き、そこから大分道を東に向かって日の出JCTで南へ下って大分ICへ出る予定だった。当然そうなると思ってナビに大分市内で港に至る道筋にSSをセットしたところ意外なルートが示された。やまなみには戻らず、県40号線を北上して湯布院の一つ西隣、九重ICから大分道に乗る案である。どうやらつり橋から遥か下に見下ろした道のようだ。245分吊橋駐車場を出発。この道がなかなか面白い道だった。基本的には下りの山岳道路、上りに数倍するスリリングな運転を強いられたが、道は空いており、思わぬところで今回ドライブ最後の楽しみを味わえた。
九重ICから日の出JCTまでのルートは熊本地震で大分側最大の被害が出たところだが、人口密集地はほとんど目にすることなく、当日は山合いの道を淡々と走り続け、18日雨の中単独行で一休みした別府湾SA3時半到着。時間も充分あるので大休止、お土産の調達など行い4時出発。市内のエッソSSで給油する。この時点で燃料はまだ充分あるのだが、翌日神戸に上陸後直ぐ自動車道に入るので、途中の他社SSでの給油量を最小限に抑えるためである。佐世保大塔SSからの走行距離325km、給油量29.3ℓ、燃費11.1km/ℓはまずまずだ。ここからフェリー港までは指呼の間、フェリーターミナル到着450分。阿蘇の後半は曇天だったが大分道を走るうちに回復、すでに接岸している<さんふらわあ・ぱーる>は西日に輝いている。いい航海が期待出来そうだ。

写真はクリックすると拡大します


(次回;大分-神戸フェリー)

2016年6月28日火曜日

九州遠征超長距離ドライブ(27)

  
19.阿蘇を走る
324日(木)晴。このホテルでの朝食は外運河に面してテラスが張り出した明るく、上品なインテリアのレストランで摂った。ビュッフェスタイルではなく、決められたメニューの中から選択するスタイル。客も二組ほどしかおらず、静かに落ち着いて英国風(大陸風は簡素だが、英国風は卵やベーコン、ハムなどがつき、やや重い)の食事を楽しんだ。
チェックイン時は荷物預かり所で手荷物やキャリーバッグから自由になれたが、チェックアウトはそうはいかない。駐車場までは巡回バスで向かうことになる。一番南端のフォレストヴィラを廻ったあと、北端のフェアウェルゲート(出口)付近をかすめて駐車場到着は9時少し前。
この日は最後の九州走行日。ルートは一般道を北上佐世保大塔ICで西九州道に入り、武雄JCTで長崎道に合流、あとは熊本ICまで21日走った道を逆走する。その前に大塔のエッソSSでガソリン補給。ここでの補給量は49.2ℓ、21日知覧で給油してから516km走っているから燃費は10.5km/ℓ、起伏の少ない自動車道の標準値と言える。
鳥栖JCTで九州道に入ると内陸部を走る平坦な道が続き、運転の面白味は全くない。山川PAで一休み。時間は11時少し前。熊本ICで下道に下りて国道57号線(豊後街道)を東に向かう。2週間後の熊本地震で思い起こされた、菊陽町、益城町、阿蘇くまもと空港、阿蘇大橋などの表示を辿って晴天下の走行が続く。この道は大分方面と結ぶ主要道路のようで、片側2車線だが交通量が多い。しかし大津で57号線と別れ旧豊後街道(県339号線、ミルクロード)に入ると嘘のように空いた道になる。上り勾配が始まり、いよいよ阿蘇の山岳道路に入ったのだ。よくある山道と違うのはほとんど木立が無く、左右は枯れ草に覆われた草原、あまり見晴らしはよくない。ところどころにサイロや牛舎のような建物が現れるが牛の姿を目にすることはなかった。
12時少し過ぎナビにセットしてあったかぶと岩展望台に到着。ここは阿蘇外輪山の西端になる。休憩所の前に45台車が止まっているが人影はちらほら。駐車場にクルマを止め、展望台(と言ってもやや小高い小さな丘)に上ると、眼下に広大な盆地が広がり、その中には集落や道路が走り、遥か南東に阿蘇山系の山並みが望め、外輪山に囲まれた平地の規模が世界的なものであることを実感する。
昼食時間ではあるが休憩所の周辺は閑散としているし、目当てが無いわけではなかった。それは長者原ビジターセンター付近にある農家レストラン“べべんこ”である。かぶと岩を過ぎると道の番号は県12号線、県45号線(阿蘇スカイライン)と変わり、通称やまなみハイウェイの県11号線にぶつかり、ここを北に向かうとハイウェイの最高地点(1333m)を経て長者原に達する。この間相変わらず道は空いており、快適なドライブを楽しめる。ビジターセンターから数分、予定の“べべんこ”に到着。“べべんこ”とは大分方言で子牛のこと、ここはもう大分県九重町。時刻は1時半に近い。ちょっと遅い昼食は豊後牛のステーキ丼にした。

写真はクリックすると拡大します


(次回;阿蘇を走る;つづく)

九州遠征超長距離ドライブ(27)

  
19.阿蘇を走る
324日(木)晴。このホテルでの朝食は外運河に面してテラスが張り出した明るく、上品なインテリアのレストランで摂った。ビュッフェスタイルではなく、決められたメニューの中から選択するスタイル。客も二組ほどしかおらず、静かに落ち着いて英国風(大陸風は簡素だが、英国風は卵やベーコン、ハムなどがつき、やや重い)の食事を楽しんだ。
チェックイン時は荷物預かり所で手荷物やキャリーバッグから自由になれたが、チェックアウトはそうはいかない。駐車場までは巡回バスで向かうことになる一番南端のフォレストヴィラを廻ったあと、北端のフェアウェルゲート(出口)付近をかすめて駐車場到着は9時少し前。
この日は最後の九州走行日。ルートは一般道を北上佐世保大塔ICで西九州道に入り、武雄JCTで長崎道に合流、あとは熊本ICまで21日走った道を逆走する。その前に大塔のエッソSSでガソリン補給。ここでの補給量は49.2ℓ、21日知覧で給油してから516km走っているから燃費は10.5km/ℓ、起伏の少ない自動車道の標準値と言える。
鳥栖JCTで九州道に入ると内陸部を走る平坦な道が続き、運転の面白味は全くない。山川PAで一休み。時間は11時少し前。熊本ICで下道に下りて国道57号線(豊後街道)を東に向かう。2週間後の熊本地震で思い起こされた、菊陽町、益城町、阿蘇くまもと空港、阿蘇大橋などの表示を辿って晴天下の走行が続く。この道は大分方面と結ぶ主要道路のようで、片側2車線だが交通量が多い。しかし大津で57号線と別れ旧豊後街道(県339号線、ミルクロード)に入ると嘘のように空いた道になる。上り勾配が始まり、いよいよ阿蘇の山岳道路に入ったのだ。よくある山道と違うのはほとんど木立が無く、左右は枯れ草に覆われた草原、あまり見晴らしはよくない。ところどころにサイロや牛舎のような建物が現れるが牛の姿を目にすることはなかった。
12時少し過ぎナビにセットしてあったかぶと岩展望台に到着。ここは阿蘇外輪山の西端になる。休憩所の前に45台車が止まっているが人影はちらほら。駐車場にクルマを止め、展望台(と言ってもやや小高い小さな丘)に上ると、眼下に広大な盆地が広がり、その中には集落や道路が走り、遥か南東に阿蘇山系の山並みが望め、外輪山に囲まれた平地の規模が世界的なものであることを実感する。
昼食時間ではあるが休憩所の周辺は閑散としているし、目当てが無いわけではなかった。それは長者原ビジターセンター付近にある農家レストラン“べべんこ”である。かぶと岩を過ぎると道の番号は県12号線、県45号線(阿蘇スカイライン)と変わり、通称やまなみハイウェイの県11号線にぶつかり、ここを北に向かうとハイウェイの最高地点(1333m)を経て長者原に達する。この間相変わらず道は空いており、快適なドライブを楽しめる。ビジターセンターから数分、予定の“べべんこ”に到着。“べべんこ”とは大分方言で子牛のこと、ここはもう大分県九重町。時刻は1時半に近い。ちょっと遅い昼食は豊後牛のステーキ丼にした。

写真はクリックすると拡大します


(次回;阿蘇を走る;つづく)

2016年6月22日水曜日

九州遠征超長距離ドライブ(26)


18.ハウステンボス-2
ハウステンボスでの宿泊先はホテルヨーロッパ。公式HPに記載されている直営ホテルは3軒、ヨーロッパのほかに、アムステルダム、フォレストヴィラがそれらである。園外の隣接地にもオークラ、JR北九州、JALANAなどが経営するものがあり、甲乙つけがたかったが、利便性を考え園内で選ぶことにした。この3軒の内、フォレストヴィラは家族で借りるタウンハウス形式で、園内北東端の静まった場所にあることから、年寄り二人が泊まるには相応しくない。ヨーロッパかアムステルダムかは口コミでも評価が分かれるところだが、アムステルダムはイヴェント広場に面しており、夜遅くまで人々が集まる所なので、適度に距離のあるヨーロッパに決めた。
ウェルカムゲート近くの船着場から20人くらいの客を乗せ、船は運河伝いに中心部に向かい、タワーシティを廻って建物の一部をくり抜いたようなアーチ状の水路をくぐると、そこはもうロの字型ホテルの内水面、運河からチェックイン・チェックアウトするための専用小埠頭が設けられている。フロントでチェックイン手続きを済ませ、駐車場の荷物預かり所で預けた手荷物・キャリーバッグを確認してポーター(若い女性)と部屋に向かう。部屋は4階の内水面側、外の喧騒が全く及ばないのが良い。内装は当然ヨーロッパ調、広さ調度品も欧米の一流ホテルに遜色ない(値段も)。
6時前まで部屋で一休みして、夕食と夜のイヴェントを楽しむために外へ出る。立派なレストランがホテル内にもあるのだが、それなりの値段だし外の方が選択肢が多いからだ。昼食を摂ったタワーシティには各種レストランがあり、どこも大賑わい。皆のお目当ては夜の催事にあるようだ。比較的カジュアルなイタリアンレストランに入り生ビールとパスタそれに魚料理を摂る。
食事が終わる頃には日も沈み光のショーにお誂えむきの時刻。タワーシティの北側に隣接するアートガーデンに人々が集まっていく。昼間見たときは閑散としていた所が電飾で様相を一変しているのだ。LEDで出来た建物、木々、動物、そればかりではない。やがて滝が現れ、さらにその滝がタワーにつながっていく。これは見事だ!
次に向かったのは風車のあるフラワーロード。チューリップ畑を昼に巡った時その一部分が造花だった。「生花では日持ちしないからこんなことをしているのだろう」と考えていたが、実はこの造花も電飾だったのだ!赤・黄色・白が音楽に合わせて点灯され、花が踊る夜のフラワーガーデンが出現する。
ここから今度は仮面舞踏会が開かれているアムステルダムホテル前の広場に向かう。ダンスをするわけではない。これが終わると3D屋外シアターが始まるからだ。広場に着いた時舞踏会(と言っても大勢の参加者が仮面(マスク)をつけて、ステージのゴーゴー・ダンサーに合わせて勝手な踊りを舞っているだけだが)は真っ盛り、外国人を含め若者で会場はいっぱい(簡単な柵で囲っただけだから外から丸見え。中に入らず外で踊り狂っている子供やグループも居る)。
これが終わると広場の一画に在る、教会を模したガラス工芸館をスクリーンにして3D動画ショーが始まる。建物には当然凹凸があり、建材も色も違う。オリジナルの建物が崩壊するシーンはともかく、別の建物が出現したり、そこに龍が現れて飛び回ったり、20分足らずの映像ショーは疑問(一体全体どう言う仕掛けなんだ?)と迫力に満ちた楽しい時間だった。
ホテルへ戻るとロビーに隣接するラウンジで外国人カルテットによるクラシックのミニコンサートが開かれている。ワインを傾けながら短い“オランダ滞在”の仕上げとした。

写真はクリックすると拡大します)」


(次回;阿蘇を走る)

2016年6月19日日曜日

九州遠征超長距離ドライブ(25)


18.ハウステンボス
ディズニーランドやユニバーサルスタジオのような乗り物とアトラクション中心であれば年寄り二人で出かけることにならなかったろうが、街並みそのものが見世物でそれに2千億円以上かけていることが「長崎まで行ったら立寄ってみよう」という気にさせた。行列することもなく街を散策し、夜のライトアップを楽しむだけなら、時間的にも無理がない。宿泊もあまり考えず、価格はかなり高いが、街の一部を成す園内で選ぶことにした。
一般道から正面入口に直結する広い駐車場に入ると園内へ入ることの出来る誘導路があり、そこを辿っていくと専用駐車場に導かれる。平日の午前だからかほとんどがら空き状態。業務用を除けば一般のクルマはここまでそれ以上中には入れない。チェックインは2時からので「はて、荷物をどうしたものか?」見ると駐車広場の一角に“一時荷物預り所”が在った。一先ずそこに出かけてみて、チェックインのからくりが分かった。ここで荷物を預けるとホテルに回送され、入園パスも渡されるので、あとは適当な時刻まで手ぶらで園内観光を行い、巡回バスや運河を行くクルーザーあるいは徒歩でホテルに向かい正規のチェックイン手続きを行うようになっているのだ。
全体配置は北端(佐世保側)にウェルカムゲート(フェアウェルゲートも並んで在る)があり南(大村湾側)に向かって街や諸設備、イヴェント会場が展開する。それらは、フラワーロード、アトラクションタウン、スリラーシティ、アムステルダムシティ、アートガーデン、アドヴェンチャーパーク、タワーシティなどと名付けられ、それぞれの地域に大小さまざま、しかしオランダらしき様式に統一された建物が配置され、その中で催し物が開催されたり、土産物が売られたり、レストランなどが営業している。ウェルカムゲートをくぐって園内に入った(入国という)は11時少し前。とにかく広いので、とりあえず個々の探訪は置いて、近いところから全容をつかむことに昼食までの時間を費やすことにする。
フラワーロードの目玉は風車小屋とお花畑、アトラクションタウンには劇場や展示場(恐竜など)、スリラーシティは東西のお化け屋敷、アムステルダムシティはこのテーマパークの主役、大都会の一角に居る雰囲気だ。アドヴェンチャーパークにはバンジージャンプやメイズ(迷路)、タワーシティには高さ105mのタワービルディングが聳え立ち、トップは展望台で周辺はレストラン街になっている。アートガーデンはモダンアートが飾られ大観覧車がある。いずれの場所も連休直後の平日のせいか人出はそれほどでもない(というより閑散としている)。これらを歩いて廻るともう12時を過ぎている。タワーシティの長崎チャンポンの店で生ビールで名物を食して一休み。
今日の宿泊先ホテルヨーロッパの場所を確かめてから、タワーの展望台に上る。直下のアムステルダムシティ、遥か南に広がるヨットハーバーやテラスハウス形式の宿泊設備フォレストヴィラ、名前の由来オランダ女王の宮殿ハウステンボスを模した建物(美術館)と庭園などが眼下に一望できる。
これでこのテーマパークの全容が掴めたので、午前中廻れなかった園内別荘地帯とも言えるフォレストヴィラやヨットバーバーをぶらつき、アトラクションタウンやアドヴェンチャーパークでいくつかのイヴェントを楽しみ、巡回バスを利用してウェルカムゲートに近い船着場に戻って、そこからホテルの運河口(地上口はタワーシティに隣接)へ向かう3時発のクルーザーに乗り込む。こんな移動はヴェニス以来、地上とは異なる目線であらためてこの街を眺めのも面白い趣向である。

写真はクリックすると拡大します


(次回;ハウステンボス;つづく)

2016年6月15日水曜日

九州遠征超長距離ドライブ(24)


17.西海路を走る
原爆で壊滅したにもかかわらず、伝統のある歴史を残す町、中学生以来念願だった長崎市観光は期待以上だった。国内旅行では滅多にない連泊にして歩いて廻ったことが成功の主因だが、たまたま泊まったホテルの情報提供とアドヴァイスもそれに与っている。幸運であった。
この旅の最終宿泊地として選んだのはテーマパークのハウステンボス(Huis Ten Bosch;森の家)だ。日本のテーマパークはどこにも行ったことがないが、ディズニーランドもユニヴァーサルスタジオも米国では行っているので特に興味は無い。しかしオランダの町を巨額投資で再現したというユニークな構想に以前から惹かれるものがあった。バブルが弾けた1992年に開業、以来経営に苦心していることはANAの知人に聞いていたが数年前HISが乗り出して再建に成功していると伝えられていた。オランダには仕事で地方都市に2泊したことがあるが全く観光はしていない。欧州はテロや難民問題で出かける気がしない。「よし!これで行ったことにするか」という按配で決まった。ここならば翌日夕刻発つ大分港までの時間・ルートとも柔軟に調整できる。
場所が決まった後はコース設定である。同じ長崎県の西部、距離も100km以内なのでさして時間は要しない。ここは是非西海路(国道202号;別名ながさきサンセットロード)を走りたい。ニックネームのように本来は夕日の美しい時間帯が望ましいが、ハウステンボス内の観光は今日一日しか出来ない。明日は朝食を摂ったら直ぐチェックアウトだからだ。
323日(水)薄曇。8時半にホテルをチェックアウトして一路海岸伝いに北を目指すことにする。この時ナビにセットしたのはドライブガイドにあったカトリック黒崎教会、大正時代に出来たレンガ造りの建物とある。
丁度通勤時間帯、路面電車やクルマの往来が激しい。国道202号を行くことから、昨日通った電車道を進むものと思っていたが、ナビの案内はそこを突っ切り、さらに海岸に近づいて自動車専用道路(県112号線、無料)に導いていく。道は空いているし長崎駅や浦上駅をバイパスするのでよく流れているのは良いのだが、直ぐには海岸沿いの道(国道202号)には出ず、長崎の町を西側から見渡す機会を失してしまった。海へ出たのはこの道から国道206号に入り、北上を続けた後西へ向かう県道28号をしばらく走ってからである。左側には小湾が入り組んで現れ道もそれに沿って上り下りを繰り返す。やがてナビは黒崎教会が近いことを知らせるのだが、そこはパスして直ぐ先の道の駅“夕陽が丘そとめ”で一休み。ここまではコート・ダ・ジュール(紺碧海岸、天気がよければだが)長崎版。
次のナビ設定地点は西海市役所。西側に開けた海岸に並行する道は交通量が少なく、ワインディングとアップ・ダウンを楽しめる道。みかん園など現れるので、この辺りはコスタ・デル・ソル(太陽海岸)といったところだが、曇天なのが惜しまれる。西海市役所の駐車場で最後のナビセット、ハウステンボスを入力し新西海橋を渡ることを確認、少し北に上ってから直進する国道202号を離れ北東に向かう県43号線に入り大村湾が見えるところまで進む。この辺りの風景はチョッと志摩の海岸線に似ており素晴らしい景観だ。本来は一般道(この少し手前で再び国道202号になっている;西海パールライン)を採った方が景色は良さそうだが、自動車専用道の高い新西海橋で湾口を渡ってハウステンボスへの出口、江上で下りると、もうそこはテーマパークへの誘導路になっている。10時半専用駐車場に到着、走行距離は僅か75km、一日としては時間も距離も最も短い運転だったが、鹿児島来ほとんど変化の少ない自動車道ばかりだったから、印象深いドライブになった。夕日の中を半日くらいかけて走ったら、着いたのはオランダだが、地中海気分にたっぷり浸れそうだ。

写真はクリックする拡大します


(次回;ハウステンボス)

2016年6月11日土曜日

九州遠征超長距離ドライブ(23)

  
16.長崎-5
今これを書いているのは611日土曜日。NHKのニュースと天気予報しかTVを観ない私でも、一昨年から観るようになった番組がある。「ブラタモリ」民放の宣伝臭に満ちた旅番組と異なり、地理・歴史を学校の授業とは異なる角度から興味深く学べる番組だ(まあ地方自治体の広報活動はいささか鼻につくが)。今夜は伊勢・志摩の第2回目だったが、1年くらい前に出島を取り上げていた。その時初めて知ったことは「そこはもう島の面影を留めるものは何もない」と言うことだった。
原爆資料館を観た後、坂を下って路面電車の浜口町停留所に出た。そこから5系統を逆に市内に向かって戻る。学校の退け時大勢小学生が乘っている。路面電車が見直されているとはいえ、これだけ生活に密着したのは、同じ原爆の被害をこうむった広島くらいではないかと、変な関連性がフッと浮かんでくる。JR長崎駅で小学生がかなり下りて座ることが出来る。しかし直ぐに出島に到着。周辺が埋め立てられて既に島ではないことを知っていたから、出島を観光する前に、一先ず海の見えるところまで出てみることにした。停留所直ぐ傍に聳え立つ近代的なビルは長崎税関、建物としては関東の老舗横浜税関より大きいくらいだ。取扱量は違うだろうが(横浜の方がはるかに大きいだろう)歴史はこちらの方が長いからだろうか?川崎支所など問題にならない。ほとんど人通りのない広い道路が海岸まで続き、そこに“出島ワーフ”と名付けられた西に開けた岸壁がある。4時過ぎと言う中途半端な時間だからか、ここにも人影はちらりほらり。強烈な西日に映えて岸壁に面した2階建てのプロムナードデッキが設けられているので、夕食に適当なところがないかしばし付近をうろついてみる。日が落ちたテラスでシーフードなど食しながら、港内を行きする小型船の灯りを眺めて過ごすのも悪くなさそうだ。
一周して電車道に戻り、いよいよ本日のそして長崎最後の観光スポット出島に向かう。西メインゲートから入場。北側は運河、あとの3面は埋め立てられてとても島とは思えない。復元されたそこには、オランダ商館、船員集会所や倉庫などが在り、一部は小博物館や土産物店になっている。閉館(5時)近い時刻だが結構混んでいる。普段と違い民放旅番組のロケが行われいるかららしい。「ブラタモリ」に取り上げられた南岸護岸やその付近は復元整備工事中で、今年後半に終わると島全体の復元する予定だが、完成しても横浜港大桟橋の半分程度、思っていたより狭い。
出島からホテルの在る西浜町へはショートカットの徒歩ルートもあり、夕食に再びこの地域を訪ねるのなら道を確認するため歩いて帰る案もあったが、さすがに一日歩き回り疲労困憊、路面電車で回り道して戻ることにする。
1時間ほど部屋で休養し、ロビーに下りて夕食のアドヴァイスを求める。昨日同様フロントには支配人の中年女性。「昨晩は中華だったから、今晩はシーフードにしたい。さっき出島ワーフを見て歩き、何軒かそれらしき店があったが、どこがいいだろう?」と問うと「あの辺は地元の人は先ず出かけません。専ら観光客相手です。お薦めできませんね」との答え。これはサンフランシスコも横浜も同じだから納得。「お魚なら」と代わりに薦めてくれたのは小料理屋「のさ庵」と言う店。海とは反対側の観光スポットのひとつ、思案橋近く。繁華街の中の流行っている店らしく、予約はカウンター席しかなかったが、品の良い落ち着けるところで、時間がチョッと早かったこともあり、飲み屋など行ったこともない家内も、一品料理をあれこれ味わい、満足してくれた。費用も二人で6000円程度とリーズナブル。このホテルのコンシュルジュ機能は素晴らしい!

写真はクリックすると拡大します


(次回;西海道を走る)

2016年6月8日水曜日

九州遠征超長距離ドライブ(22)


16.長崎-4
ホテルモントレ―でランチを済ませ、外に出ると暑いくらいの陽気だ(ビールを飲んだせいもあるが)。保存工事中の旧英国領事館前を経て路面電車の築町(つきまち)停留所まで10分くらい歩くのだがこれが結構つらい。ここから1系統の赤迫(あかせこ)行きに乘る。この路線は出島などを経てJR長崎駅前を通り北に向かう線で、大波止通り(国道202206号線)と言う長崎のメインストリートを走る路線、官庁や大学病院なども沿線に在るので、地元の乗客も多く観光客主体だった朝の5系統とは違い、完全に市民生活のための交通手段であることが分かる。築町を出てJR長崎駅、さらにJR浦上駅も過ぎてやっと平和公園の最寄り駅松山町に到着、20分くらいかかっている。
停留所を降りて東へ向かうと、やや上りの動く歩道があらわれ、その終点が平和公園への入口となる。遥か先に天と東に真っ直ぐ手を伸ばした平和祈念象が見え、そこへ向かう道の植え込みには花々が咲き緑に彩を添える。平日の午後とあって観光客はさほど多くないが、何組かの外国人カップルや小グループが祈念像の前で写真を撮ったり、説明書きに見入ったりして、ここが爆心中心地であること(厳密には数百メータ―南だが)を確認しているようである。
この辺りには沢山被爆の遺構(学校、刑務所、防空壕など)や記念施設(平和祈念館、永井隆記念館など)が在るのだが、あとのスケジュールも考え、有名どころだけでパスすることにする。
次に向かったのは浦上天主堂。祈念像の裏からショートカットの狭い道があり東へ傾斜している。こちら側の崖の上から谷を隔ててその特徴のある二本の鐘楼が望める。緑の山をバックにレンガ色が晴天下にまぶしく光っている。無論オリジナル(1914年完成)は原爆で崩壊、現在のものは1959年外観を模して完成し、その後増改築したものである。
祈念像、原爆資料館と並ぶランドマークゆえ、観光客も見かけるが、この日は高校生のグループが多く、どうやらカソリック系の学校の修学旅行のようだった。中を覗くとわりと質素だが近代的な造りで、正面のステンドグラスだけがカソリックの雰囲気を醸し出す唯一の存在だった。
ここを出ると商店が並ぶ通りを先ほど下りた松山町停留所の方に向かい、途中で道を確認して、この地の最後の訪問先、原爆資料館に向かう。浦上天主堂からは一旦下って、再び上りになるので、強い日差しの中で辛い行程。喉の渇きも堪える。
平和公園、天主堂と廻って一番混んでいたのはここだった。各種団体旅行、修学旅行の他に我々のような個人見学者も少なくない。中の展示は半世紀以上前(従って現在の様子は知らない)に訪れた広島の原爆記念館に比べ、規模は小さいが展示方法はジオラマ風、全体に暗く、こちらの方が視覚的な臨場感に富む。一方被爆者(死者を含む)の姿(写真)も広島に比べて抑制された感じで(ジオラマには人形は無かった)、冷静に被害状況を直視できた。戦争の悲惨さを伝えるのにどちらが効果的なのか?私はここの方が優れているように感じた。
外の暑さと館内見学の緊張感で喉はカラカラ、被爆者の苦しみを偲びつつ、カフェテリアでの冷たいレモンスカッシュで渇きを癒した。

写真はクリックすると拡大します


(次回;長崎;つづく)