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2010年8月28日土曜日

奥の細道ドライブ紀行-11(蔵王)

 蔵王には過去二度出かけている。しかしそれは40数年前、いずれも春スキー行である。幸い二度とも天気に恵まれ、モンスターのような樹氷を堪能しながら滑った。もうあれだけの長いスロープを一気に滑り降りる自信は無い。だが車なら・・・。
 私のドライブの最大の楽しみは、山岳地帯のワインディング・ロード長距離走行にある。今度のドライブ行を計画する時、あの想い出の地を是非走ってみたいと思った。そのために、タイトターンで走行安定性の良い、車体中央にエンジンを収めた車(ミッドシップ)を選んだのだから。
 山形バイパスを過ぎると間もなく、蔵王エコーラインにつながる県道12号線(山形県・宮城県共通ナンバー)にとりついた。道は直ぐに上りになり、遥か西下方に上山(かみのやま)の町が見え隠れする。南西からの日差しが眩しいくらいだ。これなら例年連休にオープンする山道でも天候・道路に問題はないだろう。前後には全く車は見えない。反対車線にもほとんど行き交う車は無い。スキーゲレンデが多数ある蔵王温泉への分岐路付近では、きついブラインドターンの道が続くが、道幅があるので高速ターンでも不安は無い。車はハンドル操作通りの軌跡を辿ってくれる。チョッと気になり出したのは燃費である。この道の最高部は1800m。それへ向かっての上りは予想外にガソリンを食うようだ。先ほど満タンにしたので直ぐにどうと言うことはないのだが、自宅まで無給油で帰り着けるかどうか。白石ICで高速に乗ると、自宅近くまで一般道は走らない。この間の自動車道路には一軒もエッソ・モービル・ゼネラルのスタンドが無いのだ。しかし、上りがあれば下りもあるので、そこで取り返せると楽観的に考えることにする(実際その通りになった)。
 ワインディング・ロードのハンドル操作を楽しみながら約1時間、曇り空に変じた空の下に、やがてあのモンスターを作る針葉樹林帯が出現、苅田岳山頂近くに達した。ここら辺は山形・宮城の県境部、さすがに雪が残り、道路は乾いているがところによっては2メータ位の壁がある。駐車スペースには数台の車が停まっている。遅い春スキーを楽しんでいるらしい。下りも遠苅田(とおがった)までは小刻みにターンの続く道。苅田岳までは仙台からのドライブ圏のようで、車もやや多くなり前後に連なって走る場面も増えてくる。再び好天に戻った山くだりは、高い木が無いので遥か前方に広がる景観が素晴らしいのだが、片時も道路から目が離せないのは残念至極。しかし、期待通りの山岳ドライブを約2時間堪能した。
 国道4号線を経て、東北道白石ICに入ったのは3時少し前。一旦300km台に落ちていた次回給油距離は400km台に回復。あとは安全運転あるのみである。とは言っても高性能車での自動車専用道走行、追い越し車線が空いていると、ついスピードを上げたくなる。しかし、注意していると、宮城県、福島県はスピード監視カメラが多いようだ。旅を終えてもしばらくの間、どこかで引っかかっていないか気になる日々を過ごしたが、幸い何も送られてくることは無かった。
 国見SAで休憩したのち、自宅近くの湾岸出口、杉田到着は午後8時15分頃、山寺を出て約8時間、天童BP給油所からの距離は514km、翌日の給油量は42.7Lだから、燃費は12km/Lとなる。これはエコーラインの山岳走行を考慮すると、極めて優れた数値である。監視カメラをかわしながらの走りが、この好燃費を実現したのだろうか?
 全行程の総走行距離は1530km(総給油量;136.3L、平均燃費;11.23km/L)、三泊四日で奥の細道を駆け抜けた旅はこうして終わった。
(奥の細道ドライブ紀行
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2010年8月22日日曜日

奥の細道ドライブ紀行-10(山寺)

 今度の旅の観光の目玉は、角館の武家屋敷、それに芭蕉の“閑さや巌にしみ入る蝉の声”が詠まれた山寺(立石寺)である。この句を読んだのは陰暦では同じ5月だが、陽暦では7月。ちょっと季節は異なる。初めて山寺を見たのは40年以上前、蔵王にスキーに行った帰路。奥羽本線が不通になり、仙山線経由で上野へ戻る途中、山寺駅に停車した時だった。車窓から見上げる雪山の中に佇む僧房は、いかにも俗界と一線を隔す存在で、厳しく清々しい感じが印象に残った。いつの日か訪ねたいとの思いがやっと実現した。
 初めて明るい日の射す朝だった。今日は家へ帰るのであまり時間は気にする必要が無い。朝風呂に浸かり、銀山温泉を離れたのは9時15分頃。県道29号線経由でこの地方の動脈、国道13号線に東根(ひがしね)で達してしばらく南下する。天童で山寺街道(県道111号線)に分かれ東に向かうと、10時半には山寺駅近くの駐車場に到着していた。
 ガイドブックに依れば、1015段の階段を往復する所要時間は1時間半~2時間とある。昼食は降りてから摂ることにして、取り敢えずお茶のボトルを買って、鎌倉時代に建てられた山門をくぐり、階段に取り付いた。途中にあるお堂や洞で一休みしながらゆっくり登って行く。幸いここへ着いてからは薄曇となり、汗をかくほどではない。今日は土曜日、休日なので人出は結構ある。降りてくる人、追い越していく人、こちらも時々追い越すこともある。どうやら中国人の団体も混じっているようだ。彼の地の水墨画にも似た風景をどう感じているのだろうか。見所への分岐路もあるのだが、奥の院まで達する時間が読めないので、一先ずそこへ直行することが先決だ。スタートから40分位、いくつかの僧坊が並ぶチョッとした広場に出た。ここが奥の院の在る所、皆記念撮影やお参りに余念が無い。しかし、最も眺望が良いのはここではなく、少し下にある五大堂と呼ばれる清水寺のようは張り出し舞台を持ったお堂で、そこからは真下に山寺駅が見え、狭い谷間の向こうにも山々が見える。秋の紅葉はさぞ素晴らしいだろう。
 下りはかなりの部分別ルートになっているが、むしろ上りより歩き難い。用心しながら12時過ぎに何とか、取り付いた山門まで帰り着いた。
丁度お昼時、前夜旅館で夜食として用意してくれた、混ぜご飯のおにぎりとここの名物、力こんにゃく(丸いこんにゃくを三個串に差したもの;本来登るためのエネルギー補給用というのが主旨らしいのだが)で昼食とした。
 再び幹線路13号線に戻る道の両側は、観光用のさくらんぼう農園が広がっているが、少しシーズンには早かったようで、農家の人たちが手入れをしていた。
 13号線の天童バイパスモービルでこの旅二回目の給油、家からの距離は1016km、給油量は43.5L。酒田からここまでの距離は462kmだから、10.6km/Lは山間部ドライブとしては悪くない燃費だ。ここからいよいよ最後の山岳ドライブ、蔵王エコーラインに向かう。
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2010年8月15日日曜日

奥の細道ドライブ紀行-9(旅館藤屋)

 計画段階で銀山温泉泊を決めた時には、宿泊先の第一候補は「能登屋」だった。しかし、口コミ欄で調べると、団体が多く、それがカラオケなど歌い、客室まで漏れてくるという。宿泊の日は金曜日、この可能性は排除できない。そこで、温泉のHPでこじんまりした旅館を探すと、20人前後のところが数軒あるが、一軒を除いて“自炊可”とある。古い湯治場の長期逗留者用には今でもこんな所があるのだが、今回の旅行目的にはそぐわない。残ったのが「旅館藤屋」であった。
 藤屋を調べていくと、かなり興味深い所であることが判ってきた。一つは女将さんがカリフォルニア出身のアメリカ人であること、もう一つは2006年に建替えられたが、その建築家が隈研吾であることである。隈研吾は安藤忠雄と並ぶ現代日本を代表する建築家、大正時代の面影を残す温泉街の中で、どんな旅館になっているのか興味はいや増した。これを知って、値段はこの温泉で一番高かったが、他の選択肢は考えられなかった。
 出発前に床屋に出かけた。中学の同級生の店である。その時このドライブ行を話し、銀山温泉が話題になると、「外人の女将がTVに出ていた所だなー」と言う。知る人ぞ知る旅館なのだ。これで今回の旅で最も期待する宿泊先になった。
 大正時代とモダンのミックス。温泉の入口、橋の袂で携帯をかけた時、対応してくれたのは女性。どんなお迎えがやってくるのか楽しみだったが、現れたのは印半纏を羽織り、下駄を履いた番頭さん、典型的な日本旅館スタイルであった。駐車場から銀山川沿いを数分行くと、温泉街の半ばに橋がかかりその正面に他の伝統的な木造建築とは明らかに異なる、縦の細い格子で覆われた三層の和風建築が見えてきた。番頭さんが「あれが藤屋でございます」と言う。第一印象は「なるほどこうやって伝統的なものとの共存を図ったのか」 私にとって“違和感”はそれほど強くなかった。
 洋風のドアーを開けて中に入ると、一階は広いロビーだが、全体に光が抑えられ暗いトーンになっている。左にソファー、右にはデスクと小さなカウンターがあるが、人の気配は無く、フロントではないらいし。ロビーの先には明るい上がり框があって木の床張り。そこで履物を脱ぐようになっている。番頭さんが「お部屋に上がる前にお風呂をご案内します」と言って1階および地階にある四ヶ所(竹、石、ひばなどそれぞれ素材が違う;ここのほかに屋上に半野天風呂がある)の風呂を見せ、利用方法を説明してくれた。
 それが終わると、ロビーからは見えない事務所からスーツの女性が出てきて、エレベータで三階の部屋に案内してくれた。このエレベータは内装が濃いグリーンで、スポット照明しかないのでロビー同様暗い。部屋の作りは、玄関・洗面・トイレ区画、畳の部屋、広縁の三つのブロックで構成され、色は黄緑(畳の色に近い)で統一されている。和風ではあるが、壁構造で柱が見えない(押入れやコンセントも壁と一体で、一見区別がつき難い)。最上階なので天井は無く、建替え前の資材を再利用した梁がそのまま見える。外から見た格子が目隠しの役割を果たしている。どこまでが建築家の意志か定かではないが、全てに新和風の雰囲気で、好き嫌いがはっきりつくだろう(私は好きだが…)。
 さて、アメリカ人の女将である。チェックインの際、夕食を部屋にするかどうかを問われた時、“食堂”でも可ということだったのでそこにしてみた。二組しかテーブルの無い、渓流・道路がガラス越しに見渡せる、ロビーの一角がそれだった。ここで女将さんの挨拶があるかと期待したが、シャキッとした感じの、紺のチョッキとズボン姿の中年女性が給仕して終わった。翌朝チェックアウトする時も、この女性が対応してくれただけだった。「名物女将はどうしたのか?」 こんな疑念を残してこの旅の最終宿泊地を後にした。
 やがて、“女将さん疑念”は外から窺い知れぬ複雑な事情があることが分かってきた。女将さんは2007年頃子供を連れて帰米したと言うのである(離婚はしていないらしい)。その理由は、巷間の噂だが、2006年の建替えによる新和風建築が彼女の好みではなかったかららしい。温泉街でもこの建物が出来たとき、“周囲との調和を崩す”と随分非難されたこととも無縁ではなさそうだ。彼女は伝統的な日本を愛し、この地で頑張っていたのが、建替えによって全て壊れてしまった訳である。
 さらに驚くべきことは、この紀行を書くに当たり、ウェブで藤屋情報を整理していたところ、HPが閉じられ、この旅館が4月15日倒産していることが分かった。予約をしたのが3月下旬、宿泊したのが5月14日、宿で対応してくれたのは管財人の下で働いていた人々である。全く倒産の気配など感じさせなかったことが、せめてもの慰めである。新和風旅館の現在を米国人女将はどう思っているだろうか。
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2010年8月9日月曜日

奥の細道ドライブ紀行-8(銀山温泉)

 この旅行の準備を始める前には、銀山温泉のことは知らなかった。最後の日の観光スポットとして山寺を選んだことで、山形・宮城の温泉地を調べている時、鳴子と伴に候補として浮かび上がってきた。調べてみると古い銀鉱山跡があり、大正時代に建てられた多層木造建築の旅館街が残り、その風情が独特の雰囲気を作り出し、人気の温泉であることが分かってきた。さらに情報を集めていくと、あの「おしん」の中にも登場したと言う。これで決まりである。
 出立の朝、乳頭温泉は小雨だった。角館までは来た道を戻るのだが、途中で空が明るくなり、晴れ間こそないものの道も乾いてくる。この地方の幹線道路、国道13号線の大曲バイパスに出て南下する。横手盆地の中央部、十文字の道の駅で一休み。そこから無料の自動車専用道路、横手湯沢道路を走り、湯沢を経て雄勝(おがち)から再び一般道になる。幹線道路ゆえ、沿道の町々はほとんどバイパスが出来ており、ショッピングセンターやファミリーレストランなどが在って、車の旅の利便性はいいが、全国どこでも同じような情景なのが残念だ。
 雄勝で13号線と分かれ、本日のハイライトと期待する国道108号線(鬼首街道)に入り、鳴子温泉郷への山岳ドライブを楽しむ。途中に秋の宮という温泉場があるものの、町らしい町はないのでほとんど車は走っていない。しかし、道は舗装こそしてあるものの整備されていないので、曲がりは厳しい。秋田・山形の県境、鬼首峠までは上り、ここをトンネルで抜けるとあとは鳴子に向かって下りになる。12時過ぎ日本こけし館に到着。こけしに特別関心があったわけではないので、一通り見学して、近くにある遥かに鳴子市街を見下ろすレストランで蕎麦を食した。近くで採った山菜のてんぷらを、サービスでつけてくれたのが嬉しい。
 鳴子からは国道47号線を西に向かい、中山峠で再び山形県に入り、途中県道28号、29号に分け入って銀山温泉に、2時半頃到着した。
 温泉街は道路のどん詰まり、渓流(銀山川)の両側にあるのだが、道路は狭く、限られた業務用軽トラックが通行できるだけ。一般車は入口の橋(白銀橋)の手前までしか入れず、それぞれの旅館が用意する狭い駐車場に停めて、そこからは歩きになる。予約の時に指示されたとおり、橋の手前で電話をすると、印半纏の番頭さんがやってきて案内をしてくれた。白銀橋から川沿いの狭いコンクリート道路を進むと、両側に3層、4層の木造建てが見えてくる。その建物を河岸で写生や写真撮影をしている人達がいる。皆のお目当ては何と言っても「おしん」の舞台にもなった重要建造物指定の「能登屋」、橋からは最も奥にある。我々の宿泊先はここではなく、少し手前にある「旅館藤屋」、ここはここで銀山温泉を代表する旅館のひとつなのだが、それについては次回に譲る。
 チェックインすると直ぐ、明るいうちに銀山跡の見学に出かけた。温泉街の渓流は一番奥で滝になり、さらにその先を30分くらい登るとやっと延沢銀坑洞の入口に辿り着く。なにしろ500年前に栄えた鉱山なのでそれほど大規模な土木工事ができるわけはなく、ノミと金槌で開削した坑道は、狭く複雑に鉱脈に沿って穿たれている。出口までの時間は15分程度であったろうか、訪れる人も少ないので、チョッとした探検気分を味わった。帰りは途中から橋を渡って渓流の反対側に出て、滝が間近に見える山道をもどった。谷合の温泉街は薄暗くなり、寒さがチョッと堪えるほどになってきた。
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2010年8月1日日曜日

奥の細道ドライブ紀行-7(乳頭温泉)

 角館から乳頭温泉までは約40km、1時間半の走りだ。途中田沢湖に立寄っても5時過ぎには着ける。駐車場から町の北側を走る角館バイパスへ出て、しばらく東進すると町外れで角館街道(国道46号線)に合流する。低い山々の間を蛇行する道は交通量も少なく、雨も上がって、どこにでも在る日本的風景の中を、快調に駆け抜けていく。田沢湖駅近くで北へ向かう341号線に入る。観光地に向かうと言うのに、ときどき行き交うクルマは生活のための軽自動車くらいである。田沢湖への分岐路ではそれも無く。湖畔の駐車場には、旅館の送迎用のマイクロバスと数台のワゴン車が駐車しているものの、4時前と言うのに、人影も無く、迎えてくれたのは遅咲きの桜だけだった。セーターのうえにジャンパーを羽織り、湖面近くまで歩いてみたが、寒さと寂しい雰囲気に長居は無用。日本一の透明度を誇るこの湖も、いまはシーズン・オフなのだ。
 湖畔から341号線に戻り、そこから北東へ向かう県道127号線、194号線に分け入って、秋田・岩手県境に近い乳頭温泉に向かう。道は緩やかな上りで、ほとんど人家もクルマもみかけない。途中桜が満開の並木道が現れるが、そんなところにも人の気配は無い。道幅が狭まり、曲がりと上りがきつくなって、残雪が目立つようになる。おまけにガスさえ出て、フォグランプを点灯しながらの走行だ。温泉地帯に入っても、いわゆる温泉街は無く、点在する宿泊施設が見えたり、そこへの分岐路が現れる程度である。一度だけ道路際にある比較的大きなホテル前で、停車中の小型路線バスを追い抜いた。今日の最終地、妙乃湯はそんな山奥の道の端に在った。数台しか停められない旅館前の駐車場は幸い空いていた。到着時間は5時少し前。辺りは天候のせいもありほの暗い。
 この旅館の選択に特別の理由があったわけではない。インターネットで照会・予約でき、こちらの希望スケジュールに合うところを探した結果である。値段と景観(渓流側)で部屋を選んだ。地形に合わせて出来た、複雑な造りの建物のかなり奥部の部屋は、希望通り真下を雪解け水が音を立てて流れる位置に在った。部屋にはテレビもラジオも無かった(予め希望すれば無料で用意してくれることを、後で知った)。案内してくれた人は「ここには七の浴室があるので、是非全部お試しください」と言い、混浴や男女切替時間について注意をしてくれた。
 乳頭温泉の由来は、乳濁色の色にあった。しかし最近はこの源泉が枯れたようで、その色を楽しむことは出来ない。一部の温泉宿で人工的に着色したのが内部告発され、数ヶ月前TVで話題になったほどである。翌朝の入湯を含めて七つの浴場を全て巡ってみたが、いずれも無色から薄茶、“湯種よりは浴場”を楽しむ趣向のようだ。それでも林間の残雪と渓流を見渡せる野天風呂は、“冷と温”のコントラストが全身で感じられる素晴らしいものだった。
 夕食は和洋折衷の食堂で摂ることになっている。柱や床、それに食卓や椅子の茶色の木地と白い漆喰壁のシンプルな彩が、文明開化期の洋館のような雰囲気を醸し出している。食事は名物のきりたんぽ鍋が一応のメインだが、前菜、刺身から始まり、焼き物、煮物など盛り沢山、最後のご飯(無論秋田小町)はきのこ汁と漬物でいただく。このきのこ汁は絶品で、おかわりをしてしまった。
 給仕をしていた、女将さんと思しき中年女性が一時席を外した。食堂に隣接して帳場がある。席からは見えないが、明らかに英語で予約に関する電話対応をしている。外国人がここの雰囲気に浸った時、その感動はいかばかりかと想像し、鄙びた温泉場の国際化が嬉しかった。
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2010年7月24日土曜日

奥の細道ドライブ紀行-6(角館)

 川沿いの駐車場は、町の北西に位置する。武家屋敷は東側に南北に長く連なり、お土産物屋や食事をする所は概ね南側を東西に延びている。インターネットで調べ、予定した昼食場所は、この観光長方形エリアの更に外、駐車場とは対角線の南東に位置する。小降りの雨の中を、町の土地勘をつかむため、徒歩でそこへ向かった。武家屋敷通りと並行する一筋西側の道を歩いているのだが、平日のこんな天気でも、観光客や遠足の生徒が多い。なかなか人気のあるところなのだ。
 訪ねる所は「むら咲」という秋田郷土料理の店である。街の賑わいとはチョッと離れた場所に在り、地味な店構えで好ましい。中に入ると普通の食堂と変わらない。妙に民芸調でないのが更に良い。先客は、背広を着た土地のサラリーマンと思しき人が座敷に三人だけ。代表的なメニューは、きりたんぽ鍋、比内地鶏焼などだが、これらは今夜乳頭温泉で出る可能性があるし、昼食にはやや重い感がする。そこで「武家飯」というのを試みることにした。これは昔の武家の食事を模したもので、一汁四菜から成り、たんぱく質は鯉の甘露煮だけ、あとはとんぶりや旬菜など地場の野菜の煮物やお浸し、漬物などである。味付けは、甘露煮を除けば全体に淡白で、ご飯の量が抑えられるのは、現代風なのかもしれない。どれほど当時を反映しているのか分からないが、面白い経験だった。値段は1500円である。
 昼食の後は本日のメインエベント、武家屋敷巡りである。ここ角館は秋田藩の支藩(藩主の弟の系統)なので、それほど大きな城下町ではない。町がつくられたのは1620年。武家屋敷のエリア(内町)はほぼ当時のままのプロットで残っている(個々の家は改修されたり、建替えられたりしているが)。
 内町中央を南北に貫く(中央部で僅かにクランク状なるが)、よく景観保全された通りがメインストリートで、鬱蒼とした木立が通りに覆いかぶさるように茂っている。その両側(特に東側)に数軒の武家屋敷が残り、公開されている。それぞれの家には家格があるので、規模は大小だが、敷地の広さがたっぷりあり、町並みに品がある。
 一軒を除き、屋外を巡って見学するのだが、戸・障子は全て開け放たれているので、おおよその部屋の配置や室内の様子をつかむことが出来、往時の武家の生活ぶりを偲ぶことが出来る。“質素”“静謐”“侘び”など言う言葉が相応しい、日々の暮らしであったに違いない。
 城下町の風情を一部に残す町々は、全国いたるところにあるが、概ね都市化の波に洗われ、全体的な雰囲気は映画のセットのような景観である。しかし、幸いここは地方の小都市、商業主義が来る前に規制が加えられたのであろう、その時代を充分味わうことができ、今回の旅の主役は期待通りの役割を果たしてくれた。
 秋田新幹線の開通は、首都圏からこの町への観光を飛躍的に容易にしている。町の発展には極めて望ましいことだが、“都会の喧騒”が無縁であることを願って止まない。
 このあと樺細工工芸館を観て、駐車場近くの土産物屋で、コーヒーと生もろこしで出来た菓子を味わい、3時20分乳頭温泉ヘ向かいエンジンをスタートさせた。
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2010年7月13日火曜日

奥の細道ドライブ紀行-5(角館へ)

 5月13日、朝起きると昨夜の雨は上がっていない。今日も雨中走行になりそうだ。朝食にロビーへ降りると、結構人の動きがある。昨日チェックインした時はフロントも手持ち無沙汰、駐車場もどこでもとめられる状態だった。夜は飲み屋(魚民)になっていた所が食堂で、そこも混雑している。駅近くのビジネスホテルからだろう、ほとんどはビジネスマンだ。ここ酒田は、観光よりは産業なのだとあらためて知らされる。
 8時半にチェックアウト。カーナビで角館観光情報センターを目標に“有料道路”を外してルートチェックする。海岸沿いの国道7号線を北上、本荘で内陸に向かう105号線に入り、大曲を経て角館街道を走るルートを選んでくる。これで良いのだ。角館までの予定走行距離は約170km、計画段階で示された所要時間は5時間弱。距離に比べると時間がかかり過ぎる気がしたが、今回のカーナビでは約4時間となり納得。
 酒田市街を出ると雨も小降りになり、間欠ワイパーで充分になる。7号線の海側に厚みのある防砂林が続き、そこから陸側には広々した水田が広がっている。畦の間隔が長く生産性が高そうだ。本間家の歴史的遺産が、今につながっていることが見てとれる。
 秋田との県境に近い吹浦(ふくら)は、東側を走るバイパスでかわすのだがその後のカーナビの動きがおかしい。本線と合流して一本に戻るはずが、二本の並行路が残ったまま、実際には曇天の暗い海が見えているのに、その山側を走っているように表示し、やがて動かなくなってしまった。仕方が無いので一旦車を停めて目的地を再設定して、正常に戻した。いまもってこの時の誤動作の原因はわかっていない。
 羽後本荘から内陸に向かう国道105号線に入る。秋田県中央部を東西に横切る道だから、交通量も人家も少ない山道を想像していたが、小集落や町が断続的に現れる。高低も少なく、関東平野の準幹線道路を走るのと大きな違いはない。チョッと期待外れだ。
 最初の休憩は大内の道の駅でとった。ここは観光客も立寄ることも想定し、トイレや休憩施設の建屋もあるものの、客は全くいなかった。賑わっているのは、地元の人が利用する食品市場や集会場の方なのだ。駅と言うよりコミュニティ・センターと言ったところである。雨も止んで明るくなり、時間の余裕もあったので、周辺を歩いてみると、何と道の駅の裏に鉄道の駅が在った!羽越本線の羽後岩谷(うごいわや)駅である。今や道路の駅のほうが遥かに存在感がある。これも時代の流れなのだ。
 大曲(大仙市)まで来ると中小都市の感を呈してきて、景観が安っぽくゴチャゴチャしてくる。観光地を走るという気分は全くしないし、地方都市らしい特色も無い。ただ何となく活気があるのが救いだ。ここを過ぎると105号線が<角館街道>と呼ばれるようになり、道にもやや落ち着きが戻る。ゴールも間近だ。やがて道がカーナビ上で鉄道と並走するようになると間もなく、踏切を渡ってUターンする感じで駅横の駐車場が見つかった。目指す観光情報センターはその駐車場に隣接して在った。
 この案内所で聞くと、武家屋敷は街中なのでここからはまだかなり距離のあること、長時間駐車場はさらにその先の檜木内(ひのきない)川沿いに市営駐車場が在ることを教えてくれ、良く出来た観光案内図に、観光スポットと駐車場への道筋を書き込んでくれた。 駐車場への到着時間は12時少し前、自宅から酒田経由でここまでの距離は703kmだった。再び雨が降り始めていた。(写真はダブルクリックすると拡大します

2010年6月30日水曜日

奥の細道ドライブ紀行-4(酒田)

 酒田は古くから栄えた、日本海の港湾・商業都市、また米どころとして知られている。藩主の居城は隣の鶴岡だが、「本間様にはおよびもせぬが、せめてなりたやお殿様」と詠われた、本間家の在所である。海運、金融と事業を広げ、それを元手に灌漑や砂防林で水田を拡大、庄内藩や米沢藩のような近隣の藩のみならず、仙台の伊達藩まで支援するほどの財力を持ち、戦後の農地改革まで日本一の大地主であった。 従って酒田の見所は、この本間家の残したものに尽きる。それは、本間旧本邸、別邸(美術館を併設)と山居倉庫の三ヶ所である。
 小降りではあるが雨はまだ続いている。フロントで聞くと「何処にも無料駐車場があります」 と言うことなので、クルマで出かけることにする。町に入ったときから気になっていたのは、歴史のある町にしては、町並みも家々も、何か薄っぺらい感じがする。しかし、町の中心部に位置する、旧本邸だけはさすがに風格がある。33.6m(幅)×16.5m(奥行き)の壮大な木造平屋は、これだけ大きいと当時の照明技術では、外縁の部屋を除けば明かりが入らない。「こんな所で生活するのは、いかに立派でもチョッとなー」と感じさせる。それもそのはず、ここは自宅ではなく、1768年幕府の巡検使宿泊用につくられ、藩主酒田家に献上されたものであるとのこと。普段の生活の場ではないのだ。
 周囲の家々との違いは、大きさも然ることながら、昭和51年10月の大火の際にも倉や土塀、庭の樹木に守られて、ここだけ焼け残ったことが、それを際立たせているのだ(周辺の家はその後作られたので、全くバランスがとれていない。“薄っぺらさ”はそこからきている)。戦時中は軍の司令部、戦後は市の公民館として使われていたこともあるようだが、現在は復元され元の姿に戻っている。道路を隔てた向かい側に「お店」と称する建物があり、ここが商社のオフィスだったわけだが、どうやら大火で焼かれた後新築したようだ。当時の風景画を見るとこの「お店」に隣接して、家族や使用人の居住区が在ったやに推察される。
 次に訪れたのは酒田駅近くの別邸である。ここには美術館が併設され、本間家が藩主たちから拝領した美術品などが展示されている。ガイドブックには無休とあったが、展示物の入れ替えが行われており、残念ながら公開されていなかった。しかし、庭園(鶴舞園)で有名な別館そのものは見学できた。江戸末期(1813年築)この辺は町外れ、晴れた日には鳥海山が庭園の遥か先に遠望でき、見事な借景を形作ったと言う。大正以降は“酒田の迎賓館”となり、昭和天皇も皇太子時代お泊まりになっている。庭に面した部分はガラス障子で構成され、座敷からの、回遊式庭園の眺めはが素晴らしい。このガラスは明治期に入れられたもので、手漉きのため表面に微妙な凹凸があるのも、時代を感じさせる。
 最後の観光スポットは、山居倉庫である。これは商港として栄えた、酒田のいにしえを今に残す建物である。倉庫の形状は山型の建て屋をいくつも連ねて一棟とするもので、現存するのは最上川河口、酒田港の一角に在る一群だけだが、往時は港湾地区の至る所にあったらしい。いまでも現役の農業用倉庫として使われており、そこに観光施設が併設されている。最上川に通ずる新井田川に面して、掘割が切られている所なども残っており、水運輸送の歴史を偲ぶことの出来る、貴重な文化遺産といえる。
 この日の夕食は、日本海の魚を味わいたかったので、インターネットで調べ、ホテルから歩いていける「こい勢」と言う寿司屋にした。駅から比較的近いこともあり、地元のサラリーマンと思しき客が数人入っていた。席は全てカウンター、板さんと歓談しながら、地酒の「初孫」で、“おまかせにぎり”を堪能した。ネタはほとんど地元産、いか、ノド黒、カワハギ、太刀魚、ズワイガニ、マグロ(和歌山)とウニ(北海道)だけが他所のものだった。
 雨の帰路、まだ8時だと言うのに、駅へ通ずる通りに人影はなかった。
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2010年6月22日火曜日

奥の細道ドライブ紀行-3(酒田へ)

 天気予報通り、5月12日朝の横浜は曇りだった。本日の予定は酒田まで行き、この日の内に本間本邸、別邸(本間美術館)を観て、出来れは北前船で栄えた時代から残る、最上川河口の倉庫地帯、山居(さんきょ)倉庫を訪れたい。これらを観る時間を3時間とすると、2時頃には酒田に着きたい。ナビタイムでの所要予測時間は約7時間。そこから逆算して出発時刻は7時少し前となった。東北道への道は一昨年の仙台・平泉行きでわかってはいたが、首都高中央環状線での分岐路(小菅JCT、江北JCT)車線確認のため、カーナビで蓮田SAをゴールにルート探査を行い、少し遠回りになるが葛西JCT経由を選択した。
 平日の通勤時間帯に、都心方面へドライブすることは滅多にない。ベイブリッジまでは追い越し車線は空いていいたが、そこからはトラックが増え、三車線とも長い貨物列車のようにつながって走る状態だ。しかし流れはスムーズで、これらかの長距離ドライブの助走としては、車間だけを注意していればいいので、むしろ好ましいともいえる。葛西JCTで常磐道・東北道方面に向かう中央環状に入ると、四ツ木付近から渋滞が始まり、それは東北道へ分岐する江北JCTまで続いたが、そこを抜けると混み具合が緩和され、走りやすくなってきた。一旦490km台に落ちていた次の給油地点までの距離が、500kmを超えた数字を示すようになる。蓮田SA到着は8時20分、約1時間半は予定より約20分早い。
 関東平野を北へ向かう道は、平坦で“走りの楽しみ”を欠く、特に住宅地域は高い防音壁で囲われ、土地どちの特徴を垣間見ることもできない。やっと様子が変わり、旅らしい景色になってくるのは那須を過ぎてからである。ここまで来ると車線は片道2車線に減じているが、交通量も減っているので、走りを堪能する運転が出来る。気をつけなければならないのは、覆面パトカーと自動速度取締機だ。郡山を過ぎると空も明るくなり、遥か左手に吾妻連峰が見え隠れする。やがて東北道の最終休憩予定地、福島・宮城県境の国見SAに11時20分に到着。ここまでの距離は約360km、埼玉北部から燃費はグーンと伸び、残給油距離は300km。これなら酒田まで無給油で行ける。エッソの酒田SSをカーナビに設定する。必要な情報は、酒田ICを出た後のSSまでのルートだ。
 村田JCTで東北道に別れ山形道に入る。ここからは初めての道。しばらくは今までと変わらぬドライブが続くが、蔵王越えが楽しみだ。 しかしこの期待は、あっけなくトンネルで破られた。新しい道路ほど近代土木技術の恩恵を受けるが、走りの楽しさはその分減ずる。帰りのルートは一般道(蔵王エコーライン)にしよう!山形市街を遠望しながら、盆地の西端に位置する寒河江(さがえ)のサービスエリアに12時20分到着(写真)。ここで昼食とする。ときどき薄日がさし、北には雪を被った月山が望める。山形道に入るとトラックがほとんど走っていなかったが、このSAにもその姿は無く、業務用のライトバンが目立つ。仙台や山形を拠点とするセールスやサービスの仕事に使われているのであろう。食堂のメニューも地方色は無く、ありふれたものばかりだ。 親子丼を食してみたが、ただ腹にたまったと言う感触しか残らなかった。
 寒河江を出ると、道はオレンジ色のポールで区分された対向2車線になって朝日山地に入り、山間を抜ける登りとなる。天気もどんよりとした曇り空に変わってくる。月山近くでは北斜面に雪が残り、霧雨模様で間欠ワイパーを稼動させる。有料区間は月山ICで一旦途切れ、次の湯殿山ICまでは一般道になるのだが、併走する国道112号線とは別に、月山花笠ラインと呼ばれる専用道路になっているので、実質的にはそれまでの道と変わらない。さすがに高速ワインディングは厳しくなり、この雨中山岳走行はやや緊張した。アップダウンと加速・減速で燃費も一気に低下してくる。
 湯殿山を下り降りると、雨に煙る広々とした庄内平野が見えてくる。日本を代表する米どころ、きれいに整地された田植え前の田圃が見事だ(農業機械の高効率が窺える)。天気が良ければ、日本海も見晴るかすことが出来たに違いない。しかし、この頃には雨も強くなり、酒田市内へ向かうルート確認に神経を使うので、景色を楽しむ余裕はない。カーナビの案内でエッソ・エキスプレス(セルフ)酒田SSに着いたのは2時過ぎ、家からの距離は554km、給油量は50L。11km/Lは、首都高の渋滞と山岳道路を考慮すれば、良い数字である。
 駅前のアルファーワン酒田チェックインは2時半になった。予定より30分遅れたが、昼食などの休憩時間を考えれば、所要時間は若干計画より短い。フロントで聞くと、三ヶ所の観光に要する時間は2時間程度。3時からで問題はないとのこと。
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2010年6月13日日曜日

奥の細道ドライブ紀行-2(計画立案-2)

  大まかなルートと宿泊地を決めたら、次に日々の行動計画と宿泊施設を検討する。今回の場合、酒田・乳頭温泉・銀山温泉に泊まることにしたが、初日の酒田は地方の産業都市で、それほど観光スポットは無い。一方翌日角館で充分時間を取りたいので、少ない見所をこの日に見てしまいたい。自宅から酒田までの走行距離はおおよそ550km、途中の休憩を含めれば7時間は見ておきたい。こういうタイトなスケジュールは日本旅館や観光ホテルは向かないし、もったいない。その点ビジネスホテルは計画変更が容易で使い勝手もいい。時間の余裕度に応じて夕食の場所を決めることも出来る。 インターネットで駅周辺のホテルを当たり、アルファーワン酒田に決める。
 翌日の予定は、酒田から日本海に沿う国道7号線を走り、羽後本荘 付近で東北東へ向かう道を取り、角館に達してそこで昼以降を過ごして、夕方田沢湖経由で乳頭温泉に達する。走行距離は200km足らずだが、温泉の在り場所はかなり山深く、先は行き止まり、温泉旅館の数も限られている。これもインターネットで予約状況が調べられるので、空室情報・料金・景観・部屋の設備などを調べ、妙乃湯と言う旅館を選んだ。
 三日目は角館付近までは来た道を戻り、東北中央部の幹線国道である7号線を南下、湯沢付近で国道108号線へ岐かれ鳴子に至る。ここを観光した後、銀山温泉に至り、ここで徳川時代初期の銀鉱跡を訪ねる。予想走行距離は約220kmだが山岳道路が多く時間は7時間くらいかかりそうだ。ここは比較的古くから開けた温泉場で、旅館は十数件ある。この中で最も有名なのは「おしん」にも登場した能登屋である。木造4階建て文科省の重要建造物に指定されている。しかしここをインターネットで調べたところ気になる情報が出てきた。外見は見事な木造だが、中はコンクリート部分が多いこと。大きな旅館だけに団体客も多く、それがカラオケをやると客室まで聞こえてくると言うのである。そこでそれとは対極にあるこじんまりした宿を探し、客室8室の旅館藤屋に泊まることにした。
 宿泊場所の絞込みには主にその地の観光協会などのホームページにアクセスしたり、楽天の「ぐるナビ」などを利用するが、道路事情(特に、距離と時間)調査はNAVITIMEという無料ソフトを利用する。装備したカーナビが一番いいのだが狭い車内でエンジンをかけたまま行わなければならない(バッテリー消費が高い)ので計画段階では現実的でない。曜日・時間帯による混雑状況は日本道路交通情報センター(JARTIC)のホームページ(HP)で数週間前からモニターする。
 ルートが決まると、次に大事なのがガソリンスタンドである。OBとしてエッソ・モービル・ゼネラルは割引が効くので何としてもそこで入れたい。しかし、これらの会社のスタンドは大消費地偏在の傾向があり、地方では行き当たりばったりで探すと意外と見つからない。特に自動車専用道が問題である。三社共通のHPと道路地図でどの地域で補給するか候補店の住所・電話番号をメモしておく。今回最大の難点は自宅~酒田市内のルートで、単純計算では満タンで出発しても酒田ICまでギリギリである。この間は専用道で一軒も該当のスタンドは無く、一度一般道に下りるか、あるいはサービスエリアの他社スタンドで少量補給することも考える。
 トイレストップの場所も地方道では軽視できない。 幸い最近は“道の駅”が整備され、状況は改善されてきているが必ずしも道路際に在るわけではないので、事前にこれもHPで当たっておく。さらに観光地での駐車場なども必須情報だ。また一応自動速度取締機の設置場所(特に警告の出ていない一般道)も“専門誌”から得ておく(カーナビのオプションとして販売されているが購入していないので)。
 インターネット上の各種HP、道路地図、ガイドブック、以前のドライブ記録などでこれらを詰めていくのに一ヶ月くらいアッという間に経ってしまう。 それでもインターネットのご利益は大きい。あとは好天を願い、安全運転あるのみである。

(計画立案の項おわり)

2010年5月28日金曜日

奥の細道ドライブ紀行-1(計画立案-1)


 芭蕉が深川の庵を発ち、東北・北陸の旅に出たのは元禄2年3月27日、新暦では1689年5月16日である。ほぼそれと重なる5月12日早朝家を出て、3泊4日で山形・秋田方面を駆け抜けた。東北地方だけで3ヶ月もかけた往時の旅とは比ぶべくもないが、大きな都会をほとんど含まないルートは、随所にあの紀行を偲ぶ情景が残されていた。総走行距離1500kmのドライブ行をしばし振り返ってみたい。
 久し振りの長距離ドライブに出かけようと思い立った時“おくのほそ道”は念頭になかった。あったのは「秋田へ行こう!武家屋敷の残る角館は是非行きたい」である。全国都道府県の内、未だに足を踏み入れたことの無い所は本州では秋田県を残すのみである(その他に九州の長崎・佐賀・熊本の三県を訪れたことがない)。自らハンドルを握って走ったことの無い県は、青森・秋田・山形。秋田へ行けば山形も通る。青森県はむつ小川原備蓄基地にに駐在していた友人のクルマで周っているので、それほど執着するところがない。
 私にとって、旅の楽しみの過半は計画立案にある。だから、海外でも国内でもツアーにそのまま参加することは論外である。その点自分の車での長距離ドライブは完全にテーラーメイド、あらゆる希望を盛り込むことが可能だ。しかし、実際には制約や条件・希望があり、自ずと実行案は絞られてくる。先ず日程である。時期を連休明けにできることは引退者の特権だ。出来れば未知の地を走るのだから、昨年の紀伊半島ドライブ同様4泊5日にしたい。これに対して家内の希望は3泊4日だと言う。理由を質したわけではないが、高齢の両親への気遣い、乗り物にあまり強くない体質がその背景にあるようだ。
 4泊をベースに考えている時は、関越か磐越自動車道で新潟に出て、そこからひたすら日本海を左手に見ながら北上し、一日の仕上げは美しい夕日を楽しむ案だった。しかし、この地方に詳しい自動車ディーラーのセールスマンは「新潟から秋田まで海岸風景はほとんど変わらないのでお勧めではありません。山形・秋田を走るなら内陸部のほうが面白いですよ」と言う。宿泊数が3泊になったことを考慮すると、山形の日本海側で1泊、秋田で是非訪れたいと思っている角館周辺で1泊、帰りは宮城か山形の山間部で1泊と、おおよその宿泊地の見当を付ける。
 初日は出来るだけ走りたい。そのためには自動車専用道路が延びているところが好ましい。東北道と山形道で到達できる酒田がこうして決まる。後の二ヶ所は温泉にしたい。角館の近くでは乳頭温泉が最も秘湯感覚のようだ。最終日は山寺(立石寺)を観光した後蔵王エコーラインを走って帰宅する。その条件から3泊目は銀山温泉が最有力になる。この段階では、銀山温泉が“おしん”や“千と千尋の神隠し”に登場する場所とは全く知らなかった。
 ルートは、長距離ドライブとなる初日と最終日は自動車専用道路、他の日は一般道路(県道か二桁・三桁の国道)にして、運転を楽しむことと地方の生活に身近に触れることを主眼に置くことにする。 計画の骨子はこうして決まった。見ると、首都高湾岸線は深川を通り、東北道では那須のサービスエリア(SA)や白河ICがある。山形道では月山の麓を通り最上川の河口酒田に至る。秋田から奥州中央部戻る道筋では鳴子に寄って大石田をかすめるし、最終日は立石寺にも寄る。宮城・岩手を除けば奇しくも“おくのほそ道”の舞台が随所に出現する結果になった。(つづく)

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