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2016年9月16日金曜日

呪われた旅-8

16.      ナミビアの首都
Windhoekはナミビアの首都である。街には議事堂も教会もある。右の写真が議事堂とそこから眺めた教会である。人口2百万の国の議事堂はこじんまりしているが南国の美しい風情を湛えている。
スーパーや立派なモールもあるが、道端で果物などを売る露店も出ている。近寄って写真を撮ろうとした、怖いお兄さんが来て首を掻き切る仕草をする。ここはアフリカで、近くの国では部族間の殺し合いが今でも行われていることを思い出しぞっとする。
スーパーに立ち寄るとMelittaBlue Mountainコーヒーの500gパックが600円くらいだったのでこれを購入。サウジではStarbucksでしかまともなコーヒーが買えないのでここ買ったが、安い。物の値段はそこの物価で決まることを改めて認識させられた。


17.      あとがき
A journey is like marriage. The certain way to be wrong is to think you control it.
John Steinbeck
始めこそ呪われた旅であったが色々あった。思わぬトラブルや、思わぬ幸運。息をのむ景色、不思議な植生。日本では到底経験し得ない事ばかりであった。「禍福は糾える縄の如し」思わぬトラブルの後の幸運。そもそもこのようなHappeningこそが旅の醍醐味である。そしてコントロールしようとしてもできないものなのである。
トラブルが大きければ大きいほどその旅は印象深いものとなるし、困難を乗り越えた先には、ある種の自信も得られる。今回の旅はそんなことを考えさせられる旅であった。ただ女性と一緒だったら、笑い話にもならない散々の評判だったに違いない。一人旅もいいものである。ナミビアは又行きたい国である。今度は北部の動物WonderlandCampingで行ってみたいと思う。
旅の写真集を以下にアップロードしたので、興味のある人は開いてみて下さい。Ctrlボタンを押しながら以下をクリックすると当該サイトに飛びます。


-懲りない旅人―

-完-

2016年9月8日木曜日

呪われた旅-7

15.    都市への帰還
5日目は一路Windhoekに帰還である。途中でQuivertree Forest Parkに立ち寄って7時間、600㎞の道のりである。どうかもうタイヤがバーストしないように祈りながらの帰還である。途中昼食のために地方の都市に立ち寄る。
ショッピングセンターのようなところだったが、回りはほとんどが黒人。派手な色使いの衣服が多いように感じた。やはり黒い肌には明るい色に衣服が似合う。黒い肌に地味な色では闇夜にカラスとなってしまう。この時ホッテントットのような人を見かけた。帰って調べてみると、やはりこの地域の原住民であった。女性の臀部が極端に突出しており、まさに4足歩行をしていた祖先が、ちょうど2足歩行を開始した直後といった形状である。Wikipediaによれば、やはりこの部族のDNAは人類最初の分岐を保持しているようだ。
この町の周りには灌漑農業が行われており、農業が主要産業のようである。アフリカで水を確保するのは容易ではなく数百メートルの井戸を掘る必要がある。昔、サヘル(サハラ砂漠の外周地域)を緑化するProjectに懸わったことがあるが、どんな乾燥地帯でも地下深くには化石水と呼ばれる水源があり、深く掘れば水を得ることができるようだ。しかし、これを汲み上げ続けた先に何が待ち受けているのか誰も知らないし、敢えて知らないようにしている。丁度石油同じように。
3時半ころにはWindhoekに帰ることが出来て、車を返却。窓ガラスもタイヤも保険でカバーされていることを知り一安心。車は洗浄され、タイヤを交換して翌日からまた貸し出されるとか。兎に角、この国の観光は急に注目されてきているようである。
最初と同じホテルに戻るが、ホテルに夕食はないようなので、レンタカー屋のお兄さんから聞いたレストランで最後の夕食を取ることにする。

店は観光スポットらしく、客はほとんどが外国人、ここで野生動物3種盛を注文する。3種とはKudo, Oryx, Springbokで、隣のコネチカットから来た大学の先生は5種盛でワニも食べていた。いずれの肉も赤身で、結構柔らかく癖もそれ程なくおいしく食べられた。野生?なのだから脂が無いのは当然か。この国はドイツの植民地だったので地元のビールは結構いけるという話だったが、下戸の小生はいつものコーラ。残念である。尤も、酒と食事が趣味ならナミビアは最後の選択だっただろうが。

(つづく)

2016年9月3日土曜日

呪われた旅-6

12.      高級リゾートホテル
夜半に到着したホテルは周りの岩を利用した、Sesriemと同じGondwana Groupが運営する魅力的なホテルであった。同じホテルに2泊したかったのだが、既に予約が一杯で近くの同Groupのホテルに移らざるをえなかった。やはりHigh Seasonには早めの予約が必要である。
宿泊客はほとんどが白人であり、多分黒人社会とは別姓会なのであろう。多分と書いたのは周りにほとんど人影が無く黒人社会を目にすることが出来なかったからである。このような荒野では生活手段も限られているであろうから、だれもいないのである。そんな訳で、この旅行中危険を感じることはほとんどなかった。

2.      Quiver Tree
Quiverとは矢立のことであり、ブッシュマンがこの木の枝を削って矢立にしたことから由来しているらしい。木とは言ってもアロエの一種であり、世界でもこの辺りにしか自生していない。その昔にはPlant Hunterの標的だったに違いない。この国に来た人は皆その独特な形状に驚かされることになる。世界はオモシロイ!


3.      Fish River Canyon

この辺りの地形はナミブ砂漠を含めて、約8000万年前に形成されたと言われており、世界最古の砂漠と称されている。このGround Canyonのような渓谷もその頃に形成されたようですが、今では河はすっかり干上がっており、削り取られた大地のみが残っている。夕日に映える渓谷を期待していたが、どうやらそれを鑑賞するためには四駆でしか行けない反対側にあと日かけて行かねばならない様である。

(つづく)

2016年8月21日日曜日

呪われた旅-5

10.      最大の試練
順調に走行を続けて400㎞程走ったところで道は舗装路になった。快適に時速120㎞で暫く走っていたその時、ドーン!車がよろける。何が起こったのだ?車をわきに寄せ外に出てみると、タイヤがバーストしている。パンクまでは覚悟していたが、バースト!タイヤの外周5㎝くらいの処で全周にわたってタイヤが切れている。きっとStanding Waveが発生したのであろう。偶々120㎞という速度とタイヤの固有周期がマッチした のではないかと思い以後時速120㎞で長く走ることは控えた。それにしても見事に破壊されている。
交換タイヤは2本用意されているので、いつもの要領でジャッキをシャシーの下に置きジャッキアップして破れたタイヤを取り外す。タイヤを外してからはたと気が付いた。このままでは交換タイヤを取り付けられない。新タイヤを取り付けるのに高さが足りない。この四駆は後輪板バネなので、シャシーを上げると板バネが伸びて車軸が下がってしまう。ジャッキはシャシーではなく板バネの下に置くべきなのだ。しかし既に時遅し。このままジャッキを緩めれば車体が傾き転倒しかねない。もう一度取り外したタイヤを取り付けようと試みるが、重いし破損しているので元のネジ穴にはめられない。日は暮れてくるし、回りに人はいないし、体力も消耗してきてメゲそうになる。最初に良く考えてから行動すべきだったと後悔ばかりが先に立つ。しかし、ここで諦めるわけにはいかない。衛星電話で電話したところで救助に来るには何時間もかかるだろう。気力を取り戻し、回りを見まわし、石を捜す。少し小さいが枕ほどの大きさの石をドラムの下に置き、ドラムが重さで変形しないように祈りながら慎重にジャッキを下す。一応安定を保ったところで急いでジャッキを板バネの下に移動してタイヤを交換する。四駆のタイヤは重いので、手では持ち上げられない。ジャッキの高さを調整して、タイヤの下にバールを入れて梃子の働きで一気にネジ穴に装着。何とか日のあるうちに修理を終えることが出来た。一気に疲れがでてきて暫くその場にとどまる。

2.      まだ終わってない?
そのまま旅を続けて日のあるうちに宿に到着の予定だった。だった、しかし予定の地点に宿は無い。どうやらGoogle Mapで地点を入れた時に間違えたようだ。
左図の青色のルートが一番妥当なルートであるが、Sesriemを出た時に真っすぐ下に降りてきたので少し時間がかかった。この間ナビは図の灰色のルートを推奨していたのか、最初から東に行くよう誘導する。すっかりナビに対する信用を無くして簡単なGoogle地図と方向感覚だけでゼーハイムまで来た。予定地点はこの近辺までだったが、宿は無い。B4の舗装路を東に走っているときにゼーハイムで右Fish Riverという看板を見る。ナビはそのまま直進するよう指示する。辺りは真っ黒で、手元にこの付近を表示する地図も正確な宿の場所を表示した上の様な地図もない。絶対にここを右折すべきと思ったが、夜間にダートを走ったことが無く月明りもない状況下で目的地も定かでない道を走るのは危険と感じて、ナビを信じることにした。ナビはどうやら舗装された道路を出来る限り走るように設定されていたようだ。ゼーハイムから延々と赤で示された道を走ることになった。
B1に戻って延々と南下。流石にB1150㎞くらい走ったところで給油所を発見。この国では給油所もB1ですら100㎞に1ヶ所あればいい方である。その為か、この車には補助タンクもあり、100L以上入る。この大回りで3時間近くを浪費して9時半ごろにやっと宿に到着。この日ほとんど1000㎞も走ったことになる。
タイヤのトラブルがなければ、明るい内に分岐点に来ていただろうから、正しいルートを通って、晩飯にも間に合っていたと思う。ドライブにはやはりナビではなく正確な地図と正しい方向感覚が必要であることを改めて確認した出来事であった。ナビ、くそくらえ!
因みに、帰りは宿で地図を見つけたので青のダート道を通って1時間半ほどでゼーハイム付近まで戻ることが出来た。結構整備されており、後悔しきりであった。

2016年8月16日火曜日

呪われた旅-4

8.     Dart道路を走る
C24に入ってすぐに被害を受ける。すれ違いざまに石礫の攻撃を受け、フロントガラスに大きな傷が出来る。何で俺に?最初の日に?保険でカバーされていたかどうか分からなかったから結構ショックであった。取敢えず運転に支障はなかったのは不幸中の幸い。
道路は中央が高いので、左によると左への分力が生じ、右へハンドルを切って走る必要がある。戻るときが問題となる、急に戻ると車が右に流れるのでカウンターをあてることになるが、タイミングによって尻を振ることになる。そうなると制御することは困難となり、車は回転し始める。危うく事故になりかけたこともあったが、車が少ないこともあって一命をとりとめることが出来た。LuckyポイントJ。その後、左への寄りすぎには十分注意をはらいつつ慎重に運転するにつれ、Dart走行にも慣れてきて時速100㎞くらいで走行できるようになった。勿論まっすぐで対向車がいない状況だけである。
周りは荒野である。Namibian砂漠が延々と広がっている。時々高いところに鳥の巣と思われる異様な光景も展開するが、それ以上不思議なことはこんな荒野の人影も見えないような土地なのにほとんどの土地がフェンスで区切られていることである。きっと、人影が無いことをいいことに白人どもが囲い込みを行っているに違いない。この巣も電柱の上に作られている。鳥には囲いは有効ではないらしい。
その後は順調なドライブが続き10時にWindhoekをでてから5時間ほどでSesriem近くの最初の宿に到着した。ここには2泊の予定であったが、例のTrouble1泊はCancelとなってしまった(勿論有料)。約500㎞を走ったので、Googleでの距離の1.5倍くらい走った感じである。
ここはGondwana Groupが経営するLodgeの一つで砂漠に建てられた高級リゾートホテルという趣である。ここでも中国人の進出は目につき、10人以上の団体が「ナミビアの自然を撮る会」主催の海外Tourといった趣で、高倍率の望遠レンズを装備した高級カメラをぶら下げて周りを徘徊していた。庭?には水飲み場が設えられており、野生のOryxがウロウロしていて野趣を演出していた。
その夜、念願の星空観察を行おうと宿から少し離れて夜空を眺めた。満天の星が輝いていたが、あまりに数が多すぎてどれが南十字星かマゼラン星雲かさっぱり分からなかった。やはりガイドが必要である。天の川は最初夜空の雲かと見惑い、星とは気付か なかった。考えてみれば、漆黒の闇に雲など見えるはずはないのであるが、もう随分長く天の川を見ていないので分からなかった。絞りを開放にして撮った写真があるが、奇妙なことにおかしな光の動きが映っている。この間夜空を眺めていたのだが、肉眼では何も確認出来ていないが、ご覧のように数秒間の間にレの字のように光が移動している。UFOがこちらのカメラに気付き高速で移動したとしか考えられない。不思議なこともあるものだ。

9.  旅のハイライトDune45
旭に輝くDuneを撮影すべく朝食弁当を貰って朝5時に宿を後にする。Duneは国立公園内にあり、朝6時半にしか開かない。公園入口に着くと既に何台かの車が同じように入園待ちをしている。
実は公園内にもロッジがあり、そちらに宿泊したかったのだが間違えて今回の宿を予約してしまった。後で分かったが、公園内のロッジは既に満室で予約はいずれにしろ出来なかったようだ。High Seasonは3か月くらい前には予約した方がいいみたい。
公園内には右も左のDuneが一杯。Dune45はその中でも姿の美しさで知られ、ポスターなどで度々紹介されている。ここに野生のOryxが歩いていれば、最高の撮影チャンスであるが、そう都合よく現れるはずもない。Duneは何億年もかけて大西洋からの強風と砂が作り上げた芸術作品であり、自然の力には圧倒される。
途中にDuneを歩いて登れるスポットが用意されていたが、砂が崩れるので中々すたすたとは登れない。最後まで登頂することを放棄し途中から下山することにする。言い訳ながら、もし当初の日程なら最後まで頑張っていただろう。
公園内を何十キロか走った先に、ここからは四駆以外走行禁止区域があり、車の走行を制限していた。こっちは四駆なのでここに踏み入れたが、途中でスタック。公園内のパトロールが車の空気圧を抜いて脱出を手伝ってくれた。流石は国立公園と思っていたが、チップを要求され世界標準の厳しさを味わう。それ以上行くとまたスタックしそうでここでメゲテしまって引き返す。何度も言うようだが、当初日程だったら最後まで行っていた。
午前10時ごろに公園を後にしてFish Riverに向かう。今日も500㎞くらいは走らなければならない。今から出れば明るいうちには目的地に着けるはず。ナビを次の目的地にセットして出発するも、ナビの指示は反対方向。Googleで事前に調べてあった地図と方向感覚を頼りに一路南下。眼前には7色の砂漠が地球の原初風景を思わせる幻想的な眺望を提供してくれる。すれ違う車もなく、見渡す限りの荒野。このような環境にいると、守ってくれる自然もなく神はアッラーのみであると実感させられる。

この時奇妙なことに気付いた。南に向かっているのに太陽が後ろにある。そうか!ここは南半球なのだ。お蔭で眼前の風景はいつも輝いて見える。頭では理解できるが、やはり違和感がある。この話には後日談があり、Jeddahからの帰り、フィリピン人のタクシー運転手とこの話をしていたのだが、突然彼が方位磁石を持ってないかと聞く。「今は北に向かっているはずなのに何で太陽は右にあるのだ」と聞く。確かに影は右から左に伸びている。きっと一時的に東に向かっているのではと言って、ナビをつけさせたが、確かに北を指して移動している。そこで気が付いた。今は夏至に近く、サウジは北回帰線近くあるため、太陽は東から真上を通って西に移動する。つまり影は、午前中は常に東から西に、午後は西から東に延びることになる。この時は11時頃だったので、太陽は右(東)に見えたのだ。日本の常識が世界の常識ではないことを改めて自覚させられた出来事だった。

(つづく)


2016年8月11日木曜日

呪われた旅-3

5.      Addis Ababa (Ethiopia)

雨の中Hotelへ。期せずして、世界でも最貧国の一つであるエチオピアの実情に触れる機会を得た。Hotelの送迎ドライバーが俺の稼ぎは月に$120で子供もいると哀れなことを言う。町では労働者が今時つるはしを使って工事をしている。恐らく若者にはつるはしと言ってもイメージがわくまい。ついつい手持ちのSAR 501500円)札をチ ップに渡す。フェンスのトタンに色を塗り少しでも気分を盛り上げようとする態度が人間の営みを感じさせる。町には何かの切符を売る少年。そういえば、昔は電車の切符をおばちゃんから買っていたよな。回数券のおまけ分がおばちゃんの稼ぎであった。どこでも人間は生きるためにたくましい。
2.      Double Bookingその後
例によって、追加の航空切符はOrbitzから買わざるを得なかった(その他は売り切れていた)ので今更Cancelは出来ない。処が、良く見るとこの切符はBusinessになっている。まあUS170なので棄ててもいいかと思って買ったのだが、Air NamibiaBusinessの搭乗券をもらおうとしたらなんとCancelされている。きっとBusinessと間違えて予約されたのでOrbitzが勝手にCancelしたに違いない。しかし、こちらはEthiopianの別の切符があったのでそちらを使って無事に搭乗券をGet! 後日確認したところ確かにCancelされていた。別の切符が偶々あったからよかったが、Orbitzは本当にひどい会社である。二度と使うかL 従って、結果として$170の余分な金を使わずに済んだことは、この旅行中でのLuckyポイントJ

3.      憧れのナミビア
ナミビアへの入国に先立って入国票を書かされるのは何処の国も同じなのだが、変わっているのはエボラ発生国での滞在経験が質問されていることだ。流石アフリカ。7時半頃Windhoek近郊のHosea国際空港に着陸。飛行機をタラップから降りる。ここまでは何処にでもある風景。しかし、普通はそこで待っているバスがいて、それで空港ターミナルに向かうのだが、バスがいない。皆歩いてターミナルに向かっている。首都の国際空港か?どう見ても地方の田舎空港。駐機している飛行機も3機くらい。(-)
空港では電話で連絡しておいたレンタカー会社が迎えに来てくれていた。とても親切な会社でナミビア旅行の際にはお勧めできる(Namvic Tours and Safaris)。話が飛ぶが、実は私が所有する携帯は海外不可。偶々Skype電話チケットを買っていたので、iPadを使ってSkypeからレンタカー会社とかホテルとかに事前に連絡できた。これもLuckyポイントJ。今回はパソコンを持っていかなかったのだが、iPadが大活躍だった。
WindhoekではHilltop Guest Houseという中級のHotelだったのだが、違約金なしに1日の宿泊を2日の宿泊に変更してくれた。LuckyポイントJ
翌日おいしい朝食をテラスでいただき、レンタカー会社へ。今は冬なので朝晩は少し冷えるが、太陽が昇ると30度前後にもなる。空気が乾燥しているのでそれほど暑くは感じない。7月に入ると、ナミビアはHigh Seasonになるので、旅行費用も値上がりするが、このHotelは朝食付きでNAD 8956300円)と結構お得だ。
高いHotelでも朝食付きで1万円前後で、街で帰りにBlue Mountain500gのコーヒー粉を買ったが、600円くらいという事で、物価は日本の7割から半分くらいというところだろうか。
借りた車は日産の2015年モデル、3L Dieselの四駆トラック。Full Time 4Dではないマニュアル車なのだが、右ハンドルなので違和感なく運転できた。この車はCamp仕様で、屋根にはテントが、荷台には冷蔵庫、炊飯用品といった基材が積んであったのだが、要らないのでテントとか炊事道具は外してもらった。余談となるが、この国ではCamp場が良く整備されていて、テントで移動するTourもあるくらいです。
レンタカー会社からスペアタイヤだのコンプレッサーだのの使い方の事前説明、見えるところに荷物を置かない事とかの注意事項の指導を受ける。その中に衛星電話は非常時以外に使わないという注意があり、携帯のSIMカードをくれて通常はこれで連絡するよう言われる。近くのスーパーに寄ってSIMカードを手持ちのiPhone 6につけてもらおうとしたのだが、サイズが合わない。iPhone 6SIMカードは小さいので、通常のSIMカードをSIMカッターと呼ばれるカッターでサイズ変更しなければならないのだが、これを持っていないという、時間もなかったので取敢えず飲み物を買いこんで車の冷蔵庫に積み込み、いよいよ出発。遂に最後まで電話は使えなかった。
道路は日本と同じ左通行。この国はドイツの植民地であったので今でも多くのドイツ人が観光に来ているが、経済的には隣の南アと密接につながっており、南アとの往来も頻繁なので、その影響で左通行になったようだ。
先ずは国道1号線(B1)を一路南下。Sesriemという砂漠を目指す。ここはDune(砂丘)で有名なところ。B国道は舗装されているのですが、片道1車線。最高時速は120㎞なので、ぶつかれば即死。しかし、B1でも走っている車は稀。側道には猿も見える。田舎の県道を走っているイメージ。後から知ったのだが、この国は人口が2百万、国土は日本の2倍以上。という事で、人口密度はモンゴルに次いで2番目に低いという事でした。時々すれ違う車に注意していればそれ程危険は感じないが、夜間にトラックとすれ違う時には流石に緊張する。
100㎞くらい走った後C24へ。C2級国道で、その下はDC以降はDart道路になる。

おことわり;写真コピーばかりでなく章立ての数字の変更もできません(5.だけは正しい)。悪しからず。

(つづく)