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2024年3月9日土曜日

一人参加の三陸ツアー(15)


15.ツアー総括(Summing up of the Tour


松島海岸を発ったのは15時過ぎ、再び三陸自動車道に戻り仙台東ICで国道4号線に下りて1545分仙台駅東に到着。ここで一旦自由行動、1705分(出発20分前)に団体指定改札集合となる。休憩・おみやげ・近隣観光・夕食、ご随意にとのこと。私は駅構内の牛タン横丁で牛タン弁当を調達、ドトールでしばし時間を潰す。往きの新幹線はグループ全体で一画を占め、前後左右とも同じメンバーだったが、帰途は皆とは別の席になった。三日も同じ行動が続くと、この方が気が休まる。約2時間、ロング缶と牛タン弁当を楽しんで、1928分東京駅着。ここでツアー解散。以下国内初参加のツアーを総括してみる。


・参加費;23日で約7万円。交通費(新幹線、バス)・宿泊費(1人部屋)、全行程ツアーコンダクター付きでこの価格は一応納得できる。


・この旅への期待は3点;①リアス海岸観光、②三陸鉄道リアス線乗車、③震災に関する見聞。全体として「マアこんなところか」と言ったところ、辛うじて70点くらい。ただ③に関しては、陸前高田の遺構・伝承館見学は期待以上であった。


・交通手段;専用バスで見所を回るので時間的に効率が良いし、荷物の運搬もほとんど不要。公共交通利用の個人旅行ではこうは行かない。おそらくもう1泊は必要だろう。ツアー参加の最大の利点はここにある。


・宿泊設備・サービス;すでに書いてきたように、すべて和(部屋、食事)中心で、この点で不満が残る。


・ツアー初参加全般;ツアーの基本は2人ベースが多く、一人参加では割高になるが、これは仕方がない。今回は参加人数42人、ツアーコンダクターは「上限いっぱい」と喜んでいたが、個人的にはこの半分くらいの規模を期待していたので、今後ツアー参加する場合は上限チェックを必須とする。リアス海岸観光の時間帯や三陸鉄道乗車区間も不満で、この辺りの情報を事前に確り確かめておくべきだった。こんな諸々の条件を考えると、少々不便でも一人旅にチャレンジすべきではないか、と思う日々である。

 

-完-

 

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2024年2月24日土曜日

一人参加の三陸ツアー(14)


14.松島(MastsushimaThe Bay of islands


1020分頃震災津波伝承館出発しばらく国道45号線を経て三陸自動車道に入る。天候は晴れたり降ったりと不安定、気仙沼湾は高架橋で通過、高さがかなりあり気仙沼中心部は遠望しかできないが新造が目立つ。宮城県に入り天候は回復、三滝堂SAでひと休み。ここら辺はまだ紅葉には早く、木々は緑だ。


1120SA発、バスは100kmhで爆走する。松島海岸ICで降りると、松島には向かわず再び国道45号線を南下、塩釜市の中心部に向かう。そこに在る「武田蒲鉾」が昼食場所になっているのだ。ここは老舗の蒲鉾店で工場が併設されている。この工場も津波に洗われたようだが、周辺も含めその痕跡は何処にも見られない。昼食はまぐろ丼と貧相な焼牡蠣2個、この旅で期待した牡蠣は結局これだけ。土産として保冷パック入りの生笹蒲鉾を購入する。


13時過ぎ蒲鉾店発、20分ほどで松島海岸駐車場着、これ以降15時まで自由行動だが、私も含め、大半のメンバーは湾内観光船に乗ることになっている。当初は定刻に出る通常の観光船利用となっていたが、前日添乗員が交渉し一隻貸し切りになり、料金も定期船より安く抑えられている。実は、この旅行プランを見た時松島は何度も来ているのであまり期待をしていなかったが、島巡りは初めてなのでオプションとして選んだ次第だ。


定員50名ほどの小型観光船が船着き場を出たのは14時少し前、松島湾内の小島(ほとんど岩に近いものも多数)を廻り、およそ30分程度の航海だったが波も穏やかで、海上から見る松島の景観をそれなりに楽しんだ。「まあ、こんなものか」という程度ではあるが。

 

(つづく)

 

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2024年2月13日火曜日

一人参加の三陸ツアー(13)


13.陸前高田-2Rikuzentakada2The Symbol of Hope


伝承館見学のあと震災・津波の遺構を巡ることになっていた。伝承館から真っすぐ浜に向かう道を進む。新設された長大な防潮堤の頂上には慰霊台が設けられ、その先は南に開けた湾になっている。


この浜は東西に延び、東側にかつては7万本の松が砂浜はるか彼方まで続いていたが、津波で松林は消滅、新たに植林された小さな松が一部復旧過程を見せているものの往時をしのばせる規模ではない。


堤防の西側を見ると気仙川の手前に一本だけ高い松が残っており、丁度クレーン車で何か作業が行われている。これがかの有名な“奇跡の一本松”である。ここまで高くはなくてもこんな松が“陸前高田の松原”を構成していたのだろう。


この松は震災直後いっとき「生き残った」と報じられたが、翌年枯死したことが確認され、人工物として再現したものである。その工程は、上部枝葉部は型取り後プラスティックでレプリカ作成、幹の部分は中をくり抜きカーボンファイバーで強化し自立させ、根の部分はコンクリート基礎で固め、一見自然に生えたような状態に再生した、言わば“復興のシンボル”に変じたものなのだ。


気仙川河口近くに無残な姿をさらす建物が残されている。正確にはどんな建物か詳らかではないが空調が多いことから宿泊施設(ガイドはホテルと言っていたが研修所か?)と思われる。これも震災遺構として、手を加えずにおかれている。町や村が被害を受け新設の建物や荒れ地になっているところは、このツアーのあちこちで見てきたが、この建物の被災状況は、地震と津波の恐ろしさを生々しく伝えるものとして価値がある。


川の対岸は更地になっているがその先にもコンクリート製の廃屋が遠望できる。これは気仙中学校で、教職員・生徒は津波来襲以前無事高いところに難を逃れたが、校舎は完全に波に洗われ、使い物にならなくなっている。小学校も近くにありここも人的被害は避けられたが、同様な被害にあい、両校とも現在は高地に再建されているとのことだった。

今回のツアー参加の目的の一つは、震災を見聞し復興状況を確かめることであったが、ここ陸前高田でそれが達成された。

 

(つづく)

 

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2024年2月10日土曜日

一人参加の三陸ツアー(12)


12.陸前高田-1Rikuzentakada1Tsumami Memorial


1114日(火)はやくもツアー三日目、最終日である。早朝ひと風呂浴びて朝食会場に行ってびっくり。昨日以上に洋食がお粗末。2007年引退以降全国津々浦々旅をしたが、これほど洋食が貧相なところ知らない。パンはロールパンのみで食パン無し、肉・たまご料理はスクランブルエッグとウィンナだけ。食器にメインディッシュ用フォーク、ナイフ、スプーン無く、あるのはフルーツ用、コーヒー用のみ。今までにも洋食を供さぬところに泊まったことは何度もあるが、その場合完全に和食スタイルに徹していた。これはこれで納得する。しかし“グランドホテル”でそれはないだろう!昨晩からこのホテルの経営が透けて見えていたが、客にそれが分かるようでは困る。ツアー会社の経営センスまで疑ってしまう。

820分ホテル出発、空は曇天だ。この日午前のメインイベントは陸前高田訪問。


陸前高田は東側に小さな半島があり、西側には気仙川が北へ遡行、市街は南に口を開けた湾の中央付近に開け、ここを
1417mの津波が押し寄せ、死者・行方不明者約1900人(人口約24千人)、浸水建物棟数は全家屋の43%に達している、石巻市に次ぐ(犠牲者約3700人)大規模被災地である。

釜石南ICで三陸自動車道をひたすら南下。この自動車道は高いところに建設されたためトンネルがやたら多い。通岡(かよおか)ICで国道45号線に下り陸前高田市内(といっても周辺は津波で洗い流された後整地された更地が過半)に入り、9時東日本大震災津波伝承館(いわてTSUNAMIメモリアル)の広大な駐車場に到着。この場所は本来県立高田病院が在った所だが、津波に襲われ職員・患者計30名が犠牲になり、病院機能を全く失ったため、他所に移った跡地。

建物は横に長大に伸びる2階建て、中央吹き抜け部で伝承館と道の駅で別れている。この吹き抜け部から海浜堤防に向けて直線歩道が延び、堤防頂上に犠牲者慰霊のモニュメントが在る。


展示物には押し流された小型消防車、橋梁の一部、種々の小物などあり、先ず物理的な被害状況を確認できる。また小ホールでは大型スクリーンによる映像説明もあり、震災による津波の破壊力を、臨場感をもって再現させている。他の震災場所にも小規模な展示説明コーナーはあったものの、これだけ大規模な所は無く、あの震災を他からの訪問者が学ぶには必須最適の施設と思われる。

 

(つづく)

 

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2024年2月3日土曜日

一人参加の三陸ツアー(11)


11.釜石(KamaishiEx-Steel Town

この日のメインイベントは三陸鉄道乗車でおわり、あとは陸中山田に先回りしていたバスで宿泊地釜石へ向かうだけ。15時ごろ駅前を出発、高所を走る三陸自動車道を南下、大槌ICで国道45号線に下りると釜石へ向かうが、途中で鵜住居(うのすまい)に寄り、広い駐車場を備えた体育館前で下車する。この一帯もリアス式海岸の奥部で津波に流されたが、全面的な復興工事が終わっており、川を隔てた先には何やらスタジアムが見える。釜石と言えば製鉄とラグビー、流された小学校・中学校の跡地に新設された国際級ラグビー場、2019年のワールドカップも開催された所だった。体育館に併設された土産物店で、夜食用地ビールとうにあられを購入、小規模な震災関連展示のある“いのちをつなぐ未来館”を見学して釜石中心部に向かう。


1615分頃宿泊先“陸中海岸グランドホテル到着。釜石湾の最奥部にあり、市街地よりも港湾地区の趣き。すでに高炉はなくなっているものの、工場地帯のど真ん中で、観光地の雰囲気は皆無だ。地形から、沖合では6mくらいの津波がこの辺りに達した時は15m近くになったとのこと。ホテルも被害を受けたが、確りした鉄筋コンクリート造りであったため、建物自体はそのまま使え、現在その痕跡はほとんど残っていない。

指定された部屋は407号室(4階)、製鉄所関係者が利用するなら洋室もあるとはずと期待したが、ここも前夜と同じ和室。広さは申し分ないがどうも落ち着かない。


大浴場でひと風呂浴びて18時から宴会場で夕食。メニューは海産物中心のフルコースだが、特記するような料理はなかった。

震災が2011年、高炉廃止が2012年。現在は線材生産と電力事業のみ。震災前の人口は約4万人が現在は3万人強。一泊のホテル滞在でも厳しい経営状態がそここにうかがえる。

我が国製鉄史の中では記念すべき場所(幕末に国産磁鉄鉱原料の高炉が稼働)、現役時代大学の友人が勤務している時に訪れていれば、別の興味が沸いたかもしれないが、「何でこんな殺風景な所に泊まらせるんだ?」が率直な当地の感想である。

 

(つづく)

 

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2024年1月31日水曜日

一人参加の三陸ツアー(10)


 

10.三陸鉄道リアス線(Sanriku Railway Rias Line after the disaster

本来なら北の久慈から南の盛(さかり)まで全線163km、途中で宿泊・観光しながら乗り潰したかったが、ツアーゆえ宮古から陸中山田までの一部区間乗車となった。距離はわずか26.5km


地域振興策の一環なのだろう団体改札口は別にあり、プラットフォームへの入場も優先される。既に2両編成のディーゼルカーが入線していたので、これが終点盛までの編成と考えていたが、乗降口は先頭の車両、運転席のすぐ後ろの一ヶ所のみ。一両だけで運行するワンマンカーなのだ。丁度高校下校時、都会のラッシュアワー並み混雑となり、ところどころで高校生が観光客に席を譲っている。私は幸い海岸窓側に席を確保していたが、何か被災地の人に申し訳ない気分になる。



1413分宮古駅発。次の駅磯鶏(そけい)はまだ宮古市街の内だが空き地が目立ち建っている家も新しい。おそらく津波に洗われたに違いない。この景観は数駅つづき、本来は水田だったと思われる場所も雑草に覆われ荒れ地と化している。海から少し離れてきても同様だから、相当奥まで海水が押し寄せたのだろう。

海岸が見える所は前日の島越駅から見たのと同じ高く厚い堤防が築かれ、河口は強力な水門で守られている。歴史を振り返れば、この地方は何度も津波に襲われている。次がいつになるかは予想もつかぬし、おそらく我々の世代はこの世にいないだろうが、今度の津波対策が効果を発揮するよう願うばかりだ。


1450分陸中山田駅着。ここで我々は下車する。駅舎の東側に海が見えており、駅の周辺はプレファブタイプの建物が多く、郵便局もその一つ。ローカル色は全く感じられない。駅舎もモダンな新築だから、駅の周辺は完全に洗い流され、整備再興されたのではなかろうか。短い鉄道旅だが震災と鉄道の関わりを観察するには、それなりに乗った甲斐があった。

(つづく)

 

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2024年1月23日火曜日

一人参加の三陸ツアー(9)


9.宮古(Miyako city where had devastating damage by tsumami


この日3番目の観光は、個人的には最も楽しみにしている三陸鉄道リアス線乗車だった。1320分頃に浄土ヶ浜を出発したバスは南北に走るこの地域の主要道路国道45号線を南下、そこからかつては宮古街道と呼ばれていた国道106号線に分岐して20分ほどで宮古駅に着いた。


気仙沼に次ぐ被災地では2番目、5万人の人口がある中都市。町は10mの津波に襲われ、人的被害は6百名を超す死者・行方不明者を出し、全壊家屋だけでも6千棟、半壊・一部損壊合わせると9千棟に達する。ただ、駅の周辺は道路や家屋の損壊はあったものの、津波の害は軽かったようで、建物に新築のものが見受けられるものの、その痕跡は感じられない。


どうやら市街中心は駅舎を隔てて駅広場路と反対側(南側)にあるらしい。南側に在る市役所が新しいところを視るとその可能性が高い。


列車の出発時刻は1413分、しばらく駅周辺を散策してみたが、殺風景な街並みで盛岡藩の外港という歴史を感じさせるものは皆無だった。しかし、戊辰戦争では榎本武揚の旧幕府海軍がこの沖に停泊し官軍と宮古湾海戦を戦ったから、じっくり海側を観光すれば、何か史跡を辿ることができたかもしれない。

 

(つづく)

 

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2024年1月19日金曜日

一人参加の三陸ツアー(8)


8.浄土ヶ浜(JodogahamaPure Land (of Buddhism) beach


鍾乳洞の龍泉洞を出発したのは10時半、バスはもと来た道を戻り、国道455号線・国道45号線を南下、やがて三陸道に入り、田老に達する。ここも震災の経害が大きかった所で町は壊滅、4千人余りの人口の内約200人の死者・行方不明者を出している。道路も家も新しく、それが被害の大きさを表している。


11時道の駅たろうに到着。ここの物産館で、少しは復興にお役に立てばとお土産の「真崎カットわかめ」と「蒸うに缶詰」を購入。この蒸うには家族新年会の際カナッペにして食したが、お薦めである。11時半道の駅出発。次の訪問地は、三陸を代表する景勝地として名高い浄土ヶ浜。

国道45号と三陸道を再び南下、新設の三陸道は山の中腹を走るためいくつものトンネルを超え、宮古ICで下道に下り1145分浄土ヶ浜レストハウス駐車場に到着。


この一帯も防波堤の破壊や遊歩道の流失など甚大な被害がありしばらくは観光どころではなかったようだが、そんな痕跡は全く無いほどきれいに復興している。

ここで団体行動は解散、13時まで自由行動となる(つまり昼食はツアーの中に含まれない)。観光はさっぱ船と呼ばれる船で海岸を海側するのが定番と案内書にある。私も出発前からそれに乗ることを予定していたし、同行の添乗員も事前案内をしてくれていたので、少し離れた乗り場に向かう。


船は6人が前を向いた3列の席に座る構造。救命胴衣装着してこの船に乗り込む。期待していたのは外海から断崖絶壁の海岸を見上げる観光だが、こんな船で大丈夫なのか?と思うようなサイズ。案の定外海には出ず小さな湾内を巡るだけだった。しかし、景観は変化に富み、曹洞宗の僧侶が「さながら浄土のごとし」と感嘆したことで名付けられた景色は、青松白砂、まるで大きな日本庭園のごときで、安全な小船旅を楽しんだ。あとはレストハウスで名物“浜ラーメン”の昼食を摂った。

 

(つづく)

 

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