2024年2月10日土曜日

一人参加の三陸ツアー(12)


12.陸前高田-1Rikuzentakada1Tsumami Memorial


1114日(火)はやくもツアー三日目、最終日である。早朝ひと風呂浴びて朝食会場に行ってびっくり。昨日以上に洋食がお粗末。2007年引退以降全国津々浦々旅をしたが、これほど洋食が貧相なところ知らない。パンはロールパンのみで食パン無し、肉・たまご料理はスクランブルエッグとウィンナだけ。食器にメインディッシュ用フォーク、ナイフ、スプーン無く、あるのはフルーツ用、コーヒー用のみ。今までにも洋食を供さぬところに泊まったことは何度もあるが、その場合完全に和食スタイルに徹していた。これはこれで納得する。しかし“グランドホテル”でそれはないだろう!昨晩からこのホテルの経営が透けて見えていたが、客にそれが分かるようでは困る。ツアー会社の経営センスまで疑ってしまう。

820分ホテル出発、空は曇天だ。この日午前のメインイベントは陸前高田訪問。


陸前高田は東側に小さな半島があり、西側には気仙川が北へ遡行、市街は南に口を開けた湾の中央付近に開け、ここを
1417mの津波が押し寄せ、死者・行方不明者約1900人(人口約24千人)、浸水建物棟数は全家屋の43%に達している、石巻市に次ぐ(犠牲者約3700人)大規模被災地である。

釜石南ICで三陸自動車道をひたすら南下。この自動車道は高いところに建設されたためトンネルがやたら多い。通岡(かよおか)ICで国道45号線に下り陸前高田市内(といっても周辺は津波で洗い流された後整地された更地が過半)に入り、9時東日本大震災津波伝承館(いわてTSUNAMIメモリアル)の広大な駐車場に到着。この場所は本来県立高田病院が在った所だが、津波に襲われ職員・患者計30名が犠牲になり、病院機能を全く失ったため、他所に移った跡地。

建物は横に長大に伸びる2階建て、中央吹き抜け部で伝承館と道の駅で別れている。この吹き抜け部から海浜堤防に向けて直線歩道が延び、堤防頂上に犠牲者慰霊のモニュメントが在る。


展示物には押し流された小型消防車、橋梁の一部、種々の小物などあり、先ず物理的な被害状況を確認できる。また小ホールでは大型スクリーンによる映像説明もあり、震災による津波の破壊力を、臨場感をもって再現させている。他の震災場所にも小規模な展示説明コーナーはあったものの、これだけ大規模な所は無く、あの震災を他からの訪問者が学ぶには必須最適の施設と思われる。

 

(つづく)

 

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