11.釜石(Kamaishi;Ex-Steel Town)
この日のメインイベントは三陸鉄道乗車でおわり、あとは陸中山田に先回りしていたバスで宿泊地釜石へ向かうだけ。15時ごろ駅前を出発、高所を走る三陸自動車道を南下、大槌ICで国道45号線に下りると釜石へ向かうが、途中で鵜住居(うのすまい)に寄り、広い駐車場を備えた体育館前で下車する。この一帯もリアス式海岸の奥部で津波に流されたが、全面的な復興工事が終わっており、川を隔てた先には何やらスタジアムが見える。釜石と言えば製鉄とラグビー、流された小学校・中学校の跡地に新設された国際級ラグビー場、2019年のワールドカップも開催された所だった。体育館に併設された土産物店で、夜食用地ビールとうにあられを購入、小規模な震災関連展示のある“いのちをつなぐ未来館”を見学して釜石中心部に向かう。
16時15分頃宿泊先“陸中海岸グランドホテル到着。釜石湾の最奥部にあり、市街地よりも港湾地区の趣き。すでに高炉はなくなっているものの、工場地帯のど真ん中で、観光地の雰囲気は皆無だ。地形から、沖合では6mくらいの津波がこの辺りに達した時は15m近くになったとのこと。ホテルも被害を受けたが、確りした鉄筋コンクリート造りであったため、建物自体はそのまま使え、現在その痕跡はほとんど残っていない。
指定された部屋は407号室(4階)、製鉄所関係者が利用するなら洋室もあるとはずと期待したが、ここも前夜と同じ和室。広さは申し分ないがどうも落ち着かない。
大浴場でひと風呂浴びて18時から宴会場で夕食。メニューは海産物中心のフルコースだが、特記するような料理はなかった。
震災が2011年、高炉廃止が2012年。現在は線材生産と電力事業のみ。震災前の人口は約4万人が現在は3万人強。一泊のホテル滞在でも厳しい経営状態がそここにうかがえる。
我が国製鉄史の中では記念すべき場所(幕末に国産磁鉄鉱原料の高炉が稼働)、現役時代大学の友人が勤務している時に訪れていれば、別の興味が沸いたかもしれないが、「何でこんな殺風景な所に泊まらせるんだ?」が率直な当地の感想である。
(つづく)
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