2024年1月31日水曜日

今月の本棚-186(2024年1月分)

 

<今月読んだ本>

1)裏切り者は誰だったのか(ハワード・ブラム);原書房

2)ビジネス教養としての最新科学トピックス(茜灯里)集英社(新書)

3)戦争の新しい10のルール(ショーン・マクフェルト);中央公論新社

4)お客さん物語(稲田俊輔);新潮社(新書)

5)シベリア鉄道三度目の正直(中野吉宏);17出版

6)計算する生命(森田真生);新潮社(文庫)

 

<愚評昧説>

1)裏切り者は誰だったのか

CIA上層部に潜むKGBの二重スパイ、その追及は組織内抗争を呼び、敗れた防諜担当官は一人その謎に挑戦、裏切り者を特定する-

 


2003年から2005年にかけてロシアビジネスに関わった。対象は石油精製工場だから地方ばかり、観光をするような名所も時間も無く、唯一モスクワだけが気分転換の場所、赤の広場とその周辺に在る、クレムリン、グム百貨店、聖ワシリイ教会などは何度か訪れ、定宿だったホテルとこの間だけは一人で地下鉄も利用できるほどだった。これらの最寄り駅はルビヤンカ駅、深い地下から地上に出ると目の前にジェルジンスキー(KGBの前身GPU初代長官名)広場があり、その一角に数々のスパイ小説や諜報戦ノンフィクションに登場する旧KGB本部が在る。こんなところで警官にパスポートチェック(観光客が集まるところなので小遣い稼ぎをやっている)など受けると、拷問や処刑シーンを連想し、ドキッとさせられる。

冷戦期の世界三大諜報機関は、このKGBと英国のMI-6(対外諜報局)、それに米国のCIAだ。中でもKGBは攻めも守りも最強と言われており、戦前の早い時期からMI-6に浸透、ケンブリッジ大学学生時代から共産主義に共鳴していたキム・フィルビー等を取り込んでいる。フィルビーは1930年代に入局、戦後米国支局長も務め、1960年代トルコ経由でソ連に亡命するまで、二重スパイを暴かれずにいた。そしてCIAの中にも、二重スパイが長年気づかれずに潜伏していたのだ。本書はこれを追ったCIA防諜部門担当官を主人公とするノンフィクションである。

本書の主人公とも言えるテネント・“ピート”・バグレー(1928年生れ)の家系は海軍一家、叔父のウィリアム・D.・リーヒはローズヴェルト大統領(陸海軍最高司令官)の参謀長(大将、のち元帥)、二人の兄も海軍の将官(両人とも大将)、本人は視力に問題があり17歳でプリンストン大学に進学、戦時中は海兵隊中尉。戦後大学に復帰、卒業後1949年叔父の薦めもありCIAに入局。当初はウィーン、ジュネーヴなど支局勤務だが、やがてソ連圏部副部長を務めこととなり、本来主管であるジェームス・アングルトン防諜部長(1917年生れ、CIAの前身OSS時代から諜報の世界に入り、ロンドン支局時代にフィルビーと知り合い、フィルビーの米国支局長時代親密度を増す)とCIA内の“モグラ(内部に潜むソ連のスパイ)狩り”に当たる。

ピートがソ連スパイと初めて関わるのはジュネーヴ勤務時代の1962年、国連で行われていた軍縮管理会議のソ連代表団監視役であるKGB中佐ユーリー・イワノヴィッチ・ノセンコが接触してくる。長期逗留ですっかり西側世界の生活に浸りきり(酒と女)、カネ欲しさが動機である。CIA本部からも人を送り込みノセンコを尋問、「信用できる」と断を下す。ただ、彼は亡命を望まず、KGB内部のモグラになることも断わる。それでも隠密裏の連絡ルートは認め帰国する。1年半後その隠密ルートを通じてジュネーヴ出張を伝え、再会を求めてくる。今度は「奴らが疑いを持ち始めたので亡命したい」と亡命を希望。入国後長期にわたる徹底的な取り調べが行われる。ピートはこの段階でノセンコの転向に疑義を持ち、さらなる追及を主張するが、CIA内部から「やり過ぎ」の声が出て、ノセンコは解放され賠償金まで支払われ、CIAに採用される。モグラ狩り派の敗北、アングルトンは辞職、ピートはブラッセル支局長へと左遷。その後1976CIAを退職、そのまま居をブッラセルに定めて文筆活動などで過ごす日々だ。この間、核軍縮交渉の重要情報などがソ連に流れているとの噂が絶えず、モグラ存在疑惑は拭われていない。ノセンコは下位職位、どこかで高官とつながっているのではないか?

1978年二つの死がピートを動かすことになる。一つはモスクワ支局が確保したKGB内部のモグラの処刑、もう一つは元CIA分析官ジョン・ベイズリーの不可解な自殺事件である。無人の豪華ヨットがワシントンDCに近いチェサピーク湾に漂い、周辺海域での捜索の結果、潜水用錘を付けたベイズリーの腐乱死体が発見される。死体は十分な調査もせずベイズリーと断定され火葬、わずかな検視データも不信な点が散見される(特に身長)。この世界の金言「スパイに引退はない」をピートも踏襲。一私人として調査を開始、冷戦崩壊後のロシアや旧東独も訪れ、CIA内部のモグラを追及。ノセンコ、長期潜伏後CIA職員となった亡命チェコ人カール・ケッヘル(コロンビア大学時代はブレジンスキーの弟子)、ベイズリーの関係を解き明かし、「モグラの中心人物はベイズリー。彼はどこかで生きている」をうかがわせる言を残して201212月死去する。

著者は1948年生れ。ノンフィクション作家、元NYタイムズ記者。末尾に“情報源について”が設けられており、聴き取り調査に際し、ピートが取り組んだ“モグラ狩り”はCIA組織内部の名誉と個人の尊厳をかけた戦いであり、関係者がこれに触れることを快く思わなかったと記されている。

本書に詳しく触れられてはいないが、アングルトンは現役終局時モグラ恐怖症のような体をなす。この背景には、親しい仲のフィルビーの裏切りとヴェトナム戦争反対運動に対するジョンソン大統領の危機感があり、これらが過度なモグラ退治につながったようだ。先輩格の英MI-6では長官までモグラと疑われるような魑魅魍魎の世界。本書はアングルトンと軌を一にするピートの言動を中心に書かれている。それに反対の立場で書かれたものもあるようで、機会があったら読んでみたい。また、ここに述べられる話は半世紀以上前のこと。KGBは国内治安のFSB(ロシア連邦保安局)と対外諜報のSVR(ロシア対外諜報庁)に分割されたものの健在、現在のCIA対旧KGBの関係はいかにあるのか知りたい。そんな気を起こさせる一冊であった。

 

2)ビジネス教養としての最新科学トピックス

-分かり易い最新科学解説、本書要旨を話題の生成AIにまとめさせてみた-

 


小中学校を通じて理科は大好きで得意な科目だった。しかし、高校でその範囲が思っていた以上に広いことを知る。物理・化学・生物(動物・植物)・地学、そして教科としては無かったが天文学(物理学の一部ではあるが)もその範疇に含まれる。こうして分類してみると私の関心事は物理・化学に極端に偏っていたのだ。この傾向は社会人になってからさらに強まり、常識を欠いた結果自らの健康管理や庭木の手入れすらおぼつかなくなっている。本書を知ったのは新聞の短評、“教養として”に惹かれ、少しでも欠けている知識を補いたいと手にした。

著者は1971年生れ。経歴はかなりユニークだ。小中学生時代から生物や宇宙に関心が高かったようだが、慶応女子高から慶大(学部不明)に進んだ際、このような関心事を学ぶには適切でないと判断、翌年東大に入学、理学部地球惑星物理学科の学部・大学院で学び理学博士号を取得している。この後さらに農学部に転じ獣医医学科を卒業、獣医師の免許も保持している。この一連の教育研究過程は連続ではなく、理学部卒業後一旦朝日新聞に入社、ここでは記者として科学技術部門を担当、大学教員(東大、立命館大)も務めている。加えて、2020年には「オリンピックに駿馬は狂騒う」で日本ミステリー文学賞新人賞を受賞、現在日本推理作家協会のメンバーでもある。本書は、このマルチ・タレントがニューズウィーク日本版 Web掲載科学コラム「サイエンス・ナビゲーター」に寄稿してきた記事をまとめたものである。

章立ては宇宙、医療、地球・環境、生物、アートとテクノロジーの5章。宇宙のみ5編、あとは6編、計29編のテーマを「何が新しいか?」「どこが凄いか?」に注力して解説する。大部分は私の不得意科目、大いに啓発された。唯一身近に感じたのは“「ChatGPT」の科学への応用と危険性”。「ChatGPTは流暢に嘘をつく」と警告しつつ「今後は「ネット検索」から「ChatGPTのような AIに相談」する時代に変わりそうだ」と予測する。そこで私も本書について生成AIGooglebard(チャットタイプではない)に要旨をまとめさせてみた。以下設問とその回答の一部である(<内>がAIとのやりとり)。

 

設問;<茜灯里著「ビジネス教養としての最新科学トピックス」の要旨をまとめなさい>

Bardの回答;<本書の冒頭で、著者は「ビジネスパーソンにとって、科学の知識は必須である」と主張しています。現代社会は、科学技術の進歩によって大きく変化しています。ビジネスパーソンが、科学の最新動向を理解していなければ、変化する社会に対応できず、競争に勝つことは難しくなるでしょう。

(中略)

本書は、ビジネスパーソンだけでなく、科学に興味のあるすべての人におすすめの1冊です。科学の最新動向を理解することで、より豊かで充実した人生を送ることができるでしょう。以下に、本書で取り上げられているトピックの中から、いくつかを具体的に紹介します。

・宇宙視点のSDGs

本書では、宇宙から見た地球環境の問題や、宇宙開発がSDGsの達成にどのように貢献できるのかについて解説されています。例えば、地球温暖化によって氷河が融解し、海面が上昇している問題は、宇宙から見るとより一層深刻に感じられます。また、宇宙開発によって得られた技術は、地球環境の保全や再生エネルギーの開発などに活用することができます。

・新型コロナのまとめと展望

本書では、新型コロナの発生から現在までの経緯や、今後の展望について解説されています。新型コロナは、人類の歴史上でもまれな規模のパンデミックを引き起こしました。本書では、新型コロナの発生と拡大の原因、ワクチンや治療法の開発状況、今後の感染対策などについて、最新の知見に基づいてわかりやすく解説されています。

・両親がオスのマウス誕生

本書では、遺伝子編集技術によって、両親がオスのマウスが誕生したという研究について解説されています。この研究は、これまで不可能と考えられていた、性別を決定する遺伝子を操作する技術の開発に成功したことを意味します。本書では、この研究が今後どのように応用される可能性があるのかについて、考察されています。

ChatGPTの危険性

本書では、大規模言語モデルであるChatGPTの危険性について解説されています。ChatGPTは、テキストやコードの膨大なデータセットで学習されており、人間のようなテキストを生成することができます。しかし、ChatGPTは、人間の感情や意図を理解することができないため、悪意のある目的で使用される可能性があると指摘されています。本書では、ChatGPTの安全な利用方法について、考察されています。

これらのトピックは、いずれも現代社会において重要な意味を持つものです。本書を読んで、最新の科学動向を理解し、ビジネスや生活に役立てましょう。>

 

表層感は免れないものの、誤りはなく、まずまずのまとめと評価する(Good;合格)。

 

3)戦争の新しい10のルール

-第二次世界大戦後延々と続く戦争・紛争は非通常戦争。現代そして将来の戦い方を10の視点で提示する新戦争論-

 


太平洋戦争(大東亜戦争)を主に中国戦線で戦った兵士が戦後著した戦史や戦記を読むと、あの戦線が泥沼化していたことは認識していても、負け戦とは思っていなかったような表現を目にする。一部陸軍上層部が終戦の詔勅に抗したのも、こんな空気を反映していたに違いない。ヴェトナム戦争に関し、実戦従軍者が「戦争には負けたが、戦闘で負けたことは無かった」との言辞を残し、未だそれを語るのも同じ趣むきと言えよう。太平洋戦争を振り返り、現代の戦争・紛争を見るとき、日中戦争こそその出発点かもしれないと思ったりする。つまり、兵器の数や性能あるいは兵士の訓練・資質は一先ず置いて、同種の兵器で同種の兵士が正面で相対して戦う戦争ではなかったという意味においてである。

題目に“ルール”がある。原文でも“Rules”だからこれに異を唱えるつもりはないが、日本語のルールは規範・規則・原則の意味合いが強い。しかし、ここでの本意は、形態・仕方・捉え方が相応しい。「新しい10種の戦争の捉え方とその戦い方」がより適切だろう。

本旨は、欧米の国家安全保障関係者・軍人は通常戦争(兵器対兵器、正規軍対正規軍の戦い、核兵器を含む)を前提に国家戦略や軍備を整えているが、それは誤りであり、新しい戦争に備える新戦略策定・体制整備を進めるべきと訴えるところにある。

ルール1「通常戦争は死んだ」;これが全編を通す通奏低音である。それ故に最大の紙数を割きこの内容説明を多面的に行う。ゲリラ戦・宗教戦争・反政府活動(およびその鎮圧)・分離独立運動・各種のテロ・偽情報による選挙戦介入・海賊行為・心理戦・サイバー・ウォー・不法領有宣言・資源簒奪・傭兵や軍事会社による代行・部族間抗争・覇権誇示。現在行われている戦いは、非通常戦が圧倒的に多い。また国家が関与してもなかなか“戦争”と言わない。米国議会が宣戦布告した戦争は第二次世界大戦(真珠湾後)が最後であり、朝鮮戦争から直近のシリア戦争まで行われていない。原著の出版は2019年ゆえ今次のウクライナ戦争には触れていないが、ロシアは「特別軍事作戦」と呼称しており“戦争”を避けている。

これらの戦いは慢性的に発生し無秩序に進められているので「終わりなき戦争」となる。一旦争いが治まっても「戦争でもない平和でもない状態が続く」(ルール3)。地域の安定化には人心の掌握が欠かせないと言われるが、現実は力とカネ(経済)である(ルール4「民衆の心は重要でない」)。

この種の戦いでは最新兵器は勝敗に関係せず、ステルス戦闘機・空母・原潜が和平の決定因子となった例はない。ルール2「テクノロジーは救いにならない」。一方で情報・難民・不法移民・イデオロギーそして世論誘導が効果的な兵器に転じる。確かに、ロシア・ベラルーシを経由しEU内に流れ込む中東難民、メキシコ国境を目指す中南米からの不法移民は、銃弾より効果的な侵略と言えるし、ヴェトナム戦争の帰結は戦場でなく国際世論と米国内の反戦活動で決まった。ルール5「最高の兵器は銃弾を撃たない」。

軍事組織しかり。大規模常設軍が力を発揮し和平をもたらしたことはない。むしろ高度に訓練され、実戦経験豊かな特殊部隊や軍事会社を状況に応じて活用し、紛争鎮圧に当たらせる方が手っ取り早くかつ経済的に事態平定が図れる。また自国民兵士の死を恐れる風潮は随所に見られことから「傭兵が復活する」(ルール6)。ここでは外人部隊や軍事会社の現実や得失に詳しく触れる。

この傭兵活用は国家の統治力が弱いところで増加傾向にある。要人の警護と私権行使、多国籍企業の資産保護、メガ教会による新十字軍、自社船の海賊対策などがその例だ。ルール7「新しいタイプの世界パワーが支配する」。

この背景には富の偏在と国家の退潮がある。アフリカ・中南米・中東には破綻国家が多数存在、麻薬カルテルのような犯罪組織・カリフ支配・企業による統治・軍閥・テロ組織・エスニック集団・傭兵領主が実質的な力を持ち、ルール8「国家の関与しない戦争の時代がやってきている」。

通常戦とは異なり、正規軍とハイテク兵器が主役を務めない現代の戦争・紛争は言わば「影の戦争」(ルール9)。偽情報に依る世論操作や報道戦、三戦(心理戦・情報戦・法律戦)が主役の座を占める。「影は剣より強し」。これに先んじているのはロシア(偽情報超大国)・中国(兵は詭道なり;三戦戦略)。欧米は独自の「影の戦争」様式を開発すべきと著者は主張する。例えば、ロシア・イランに対して原油価格を暴落させる策を見つけるような。

将来、戦争の勝利は物理的な戦場ではなく、情報空間において決するとし、戦術より大戦略(国家戦略)注視を喚起する。ルール10「勝利は交換可能である」;この例として、第一次世界大戦時ドイツがロシア革命を利用、スイスに居たレーニンを封印列車でペテログラード(現サンクトペテルブルク)へ送り届け、東部戦線において休戦をもたらしたことを一例としている。

「戦争の戦い方は、兵士たちがそれを実践する前に進化を遂げている」「我々は選択の時を迎えている」と結ぶ。

著者は1969年生れ、ブラウン大学卒業後米陸軍第82空挺師団の将校としてイラク戦争に従軍、その後ハーバード大学行政大学院修士、ロンドン・スクール・オブ・エコノミックスで博士号を取得。この間民間軍事企業にも深く関わっている。現在はジョージタウン大学教授(戦略学)。

本書は上記のような著者経歴(実戦参加、軍事会社勤務)もあり、そこでの事例が豊富に援用され、対応策はロシア・中国を意識し具体的だ。しかし、主眼は米国・米軍に置かれているので、他の国(日本を含む)でも適用できるかどうかは要検討。そんな読後感を持った。

 

4)お客さん物語

-飲食店の納入業者・従業員・料理人・経営者すべてを経験した人物による顧客観察記。私も店を観察してきました-

 


1986年インドで開かれたプラント制御システムに関する国際学会に参加、この時カレーを中心にしたインド料理を堪能した(し過ぎて胃腸をやられたが、ヴェジタリアン料理で回復した)。爾来インド料理は好みのエスニック料理の一つとなり、国内は無論海外でも各所でインド料理(といってもほとんどカレーだが)を食している。我が町にも一軒“南インド料理”と銘うったレストラン(というより食堂)があり、数種のカレーをセットにしたランチをときどき楽しんでいる。こんな話から始めたのは、著者が南インド料理店を東京・大阪・名古屋などに展開する「エリックサウス」の総料理長だからである。

先に取り上げた“最新科学トピックス”の著者同様、この人の経歴もかなり特異なものだ。本書の中で断片的に語られるものや付加情報から整理してみると、1970年鹿児島生れ、ラサール高校から京大経済学部に進み、卒業後サントリー入社(主に営業)、27歳で退職し居酒屋やファミリーレストランの従業員などを経て仲間と現在の「エリックサウス(会社名;円相フードサービス)」を設立、現在同社専務取締役兼総料理長。学生時代からサラリーマン以外の仕事に就きたかったことがあとがきに記されている。19歳の時考えたそれは、①CDを出す(バンドをやっていた)、②飲食店を出す、③本を出す。現状から見ると、そのすべてをかなえたようで、ある意味“凄い人”だ。

内容は、飲食店を訪れる顧客について、客・従業員(店員、料理人)・経営者・納入業者(サントリー時代)としての実体験を基に、332編のエッセイで語っていく。

対象になる店は、街の食堂・居酒屋・ラーメン屋・ファミリーレストラン・珈琲店などカジュアルなものばかりで、老舗料亭や有名ホテルのレストランは皆無。それだけに話が身近に感じられるし、客として教えられることが多い。この種の店に共通するのは、どこも損益がギリギリのところで経営されており、チョッとした経営管理(特に客扱い)の違いでプラスマイナスが分かれることだ。

先ず客扱いについて23紹介してみよう。1)お客を何と呼ぶか;お客さん・お客様、これが店と奥(調理場など)で同じか、違うか。奥での選択肢には“客”もある。著者の経験によれば、チェーン店でこれがしっかりしているところは、総じて経営が安定していると言う。因みに、「エリックサウス」では“お客様”と呼ぶように指導しているとのこと。2)常連と一見客の扱い;零細な店や薄利多売を旨とする店では“リピート客(常連)”の割合が経営安定化のカギとなる。これを増やすには常連を満足させつつ一見客にも注意を払う必要がある。自身の店で起こった小トラブルで、その難しさと解決例を紹介する。例えば、常連客仲間の一人だけが早く来て席取りをすることは断わり、全員揃うまで行列に並ばせない。3)一人客の扱い;混雑する食事時、テーブル席しかない店では一人客の扱いに苦慮する。一人客を積極的に受け入れる考えなら、店側はカウンター席を設けるべきだし、客もそのような店を先ず選ぶべきだ。実は一人客の支払い額は複数人より人単価が高い傾向があり、うまく取り込めれば経営改善につながるのだ。一人客は食事だけでなく酒とサカナを合わせることが多く、特に酒類の販売は利益率が高く大歓迎。

ルール違反を二つ。一つは“コース料理受難の時代”と題する話。イタリアン・レストランでコース料理を注文した女性、順番に運ばれてくる料理に手を付けず、あとの料理を早く出すよう催促する。全部テーブルに並べてインスタグラム用写真を撮りたかったのだ。第二話、スペアリブで有名な店、サラダバーも充実していてわずかな追加料金で利用できる。サラダやドリンクばかりでなくご飯もの・パスタなどもそろえている。二人連れの女性客が何度もサラダバーを往復する。やがてメインのスペアリブが来た。そこで彼女たちが言ったのは「これ、持ち帰りにしてください」!ある種の“無銭飲食”だ!

軽食も提供するようなチェーン珈琲店では仕事を持ち込む客も少なくない。そんな中にキャッチセールスを目的で利用する者がいる。彼らを如何に追い出すか。あるいは、これに勧誘されている客に、如何に警告を発するか。SNSで発信される店の評価をどう解釈し対応していくか(悪い評価を詳しく分析)。先代の高い評判を継いだ二代目経営者・料理人は常連の批判を如何に受け止めるべきか。「接客」と言う概念を欠きながら流行っている店。たかが大衆向け飲食店、しかし意外とその奥が深いことを知った。客も確り観察されている。要注意!

著者のエスニック料理に関する考え方;日本人好みの調理をせず、現地を忠実に再現するよう心がける。奇妙・珍妙な和食を海外(特に米国))で“ご馳走”になった経験から、これには納得。と言うわけで24日(水)用事のついでに八重洲地下街の「エリックサウス」でカレーランチ(4種を選択;マトン・チキン・野菜・豆が四つの小カップに配される)を摂ってみた。入口(通路側全面開放)に面した席から見える範囲は全席カウンター、純南インド風かどうかは判断できないが(コメは日本米使用)、日本風カレーとは全く異なる調理、我が町のものとほぼ同じ味わいに満足した。因みに料金は、4種基本1459円+92円(マトン付加分)=1551円也(税込み)。今どきの都心の昼食としては適正価格だろう。

 

5)シベリア鉄道三度目の正直

-乗り合わせた乗客、列車の乗務員、駅員と物売り、入出国管理官。一期一会を主体にしたユニークな鉄道旅行記-

 


ロシアの大規模石油精製・石油化学工場の多くはウラル山脈西側、ヴォルガ河中流域東側に在る。第二次世界大戦当時この地帯に油田が多数存在したからだ。しかし、現在では原油が枯渇し、チュメニに代表されるシベリア産原油をパイプライン輸送して生産活動を続けている。2003年~4年サラトフ州の州都サマラの周辺に在るシズラニ、クイビシェフ(スタ-リーンの盟友の名、現サマラ)、ノボ(新)クイビシェフの3製油所を何度か訪問した。後2ケ所の製油所へ出かけるときは空路を利用したが、シズラニ(最もモスクワに近い)は往路・復路とも夜行列車だった。そしてこの路線は、モスクワのヤロスラヴリ駅からサマラを経てチャリヤビンスクで本線につながるシベリア鉄道の主要支線の一つ、車両は本線と同様と聞かされた。一晩とはいえ、外国での夜行列車の旅は忘れえぬ想い出だ。そんなセンチメンタルジャーニーを反芻したく本書を手にした。

かなり変わった本だ。先ず、著者は1961年生れ、著述業でも旅行家でもなく、大学卒業後のスタートは婦人用雑貨の行商、今はそれに関する卸売業を営んでいるようだ。数字から始まる妙な出版社名、自家本中心の小出版社らしい。本書はA5版約180頁、見開きの左半分はカラー写真右が記事。紙質や写真印刷から評価すると価格2千円は安い。これだけで買って得をした気分になれる。旅に関しては「シベリア鉄道 初級講座」というブログを運営しており、これは同分野の隠れたバイブルで多くのファンが存在する。とは言ってもシベリア鉄道利用体験は本報告を含めて3回だけ。情報に価値があるのは、旅先で出会った人々との濃密で長い交流にあることが読んでみて分かってくる。実にマメな人なのだ。

一回目の旅は1982年大学時代の夏休み、ノルウェイ在住のペンフレンドを訪ねるためにシベリア鉄道を利用する。ウラジオストクは開港されておらず、横浜からナホトカに向かい、そこからハバロフスクに出てシベリア鉄道に乗り、モスクワ→レニングラード→ヘルシンキ→オスロに至る。帰途は空路で鉄道利用はない。本書(2016年の旅)の中でこの時知り合った外国人(主にロシア人)が何人か登場する。冷戦時代を含み30余年彼等と接触を保っていたのだ。

二回目の旅は2000年、ソ連崩壊で激変したロシア、自らも家庭を持ち仕事が安定してきたことから、2度目の訪問を思い立つ。そこに観光旅行はごく限られ、社会の変容と友人達との再会が主目的となっている。ルートは大阪からフェリーで上海に渡り、北京からモスクワへ向かう国際列車に乗車、モンゴルを経てイルクーツクでシベリア鉄道に入る。モスクワ、サンクトペテルブルクで旧友たちと再会を喜び合い、欧州の一部を観光した後、何とニューヨークに移住したロシア人夫婦を訪ね、そこから大陸横断鉄道を利用し西海岸に至って、日本に帰国する世界一周の旅だ。

交流はこちらから出かけるだけでは無い。訪問先のロシア人ばかりでなく長距離列車で仲間になった欧米人などが来日すれば家族で歓待する。こんな縁で、カウントされない3回目の短期訪露も2003年に起こる。訪日経験もある女性の結婚式に招かれ、夫人とともにサンクトペテルブルグへ空路出かけるのだ(披露宴の写真付きで長い解説ある)。

そして“三度目”が今回である。ルートは2000年と同様、上海を経由して北京からイルクーツクに至り、ここからモスクワに向かう「ロシア号」での34日の旅である。上海から北京へは以前には無かった新幹線を利用、北京-イルクーツク間は2000年との対比で中国鉄道の変化を語る。行列の割り込みはなくなったし、車両も清潔になり、軌間が異なるゆえの台車交換の時間も短縮されている。総じて“中国鉄道侮るべからず”の基調だ。

著者は外国語に堪能ではない。英会話は多少出来るが、ロシア語や中国語はほとんど話せない。長続きする人間関係のカギは写真にある。景色や列車の写真もあるが、大部分は人物。相席した乗客や乗務員を撮り、連絡先を確認して後日郵送する。あるいは即席携帯印刷装置で出力しその場で渡す。家族に託す。今回のイルクーツクでは、16年前撮影した住所不明の老婆の写真を同じ場所で人々に聞いて回り、残念ながら天に召されたことを知らされる。

イルクーツクから34日、モスクワ・ヤロスラヴリ駅到着。車掌や駅員の写真と彼らとの別れを語り、前回・前々回の旅で記憶に残るトイレの変容などを確り映像として残し、一泊した後ロシア新幹線「はやぶさ号」でモスクワからサンクトペテルブルクに向かう。ここには多数親しい友人が待っており4泊して彼等と再会する。それまで3回の旅で別々に記念撮影を行った友人達と「いつかここで再会しよう」と約した場所、「モイカ(著者の娘の名前(萌架)でもある)運河の橋の上」、そこで関係者の写真を残すことになる。“三度目の正直”はこのことだったのだ。

景観や食べ物あるいは固有のエンターテインメント、そして乗物中心の外国旅行記とは趣の異なる、人中心の旅。自身の往路・復路各1泊の寝台車体験、体臭の強いロシア人たちとの同行を思い出しつつ、“センチメンタルジャーニーこそ究極の旅”、そんな感で読み終えた。アンケート用返信はがきの注意書き(部分要約)に「零細出版社の経営は厳しい。ネットや中古書店への販売はご遠慮いただきたい」とある。私にとっては永久保存書、決してそんなことはしない。

 

6)計算する生命

-幼児の計数は指折(身体)から始まり、最新科学は人工知能(脳)を出現させた。しかし数学の発展に欠かせなかったのは哲学(精神)と説く-

 


おそらく乗物と模型作り好きが高じた結果だろう、小学生の時から技術者志望だった。従って、数学の重要性は周辺からも言われたし、自覚もしていた。これもあって中学時代までは数学で苦労したという記憶はない。しかし、高校、大学と進むに従い、苦手な分野が出てきた。高校の場合受験指向が強く、面白さを欠いたことや必要性が見えにくかったことが原因だったような気がする。大学でも12年次は同様、必須科目として講じられた集合論や写像などの話は今一つ“わかった感”を得られず、良い成績を取れなかった。写像が理解できるようになったのは、選択科目の応用数学でフーリエ変換やラプラス変換を習い、制御工学との関係が身近になってからである。抽象度の高い数学の理解を深めるカギは、解法に取り組むと同時に、その概念がどのような背景・経緯で生み出されたか、それが数学史上どのような意味を持つか、その後どんな形で発展したか、を学ぶことが必要だと思っている。その観点で、本書は数学発展に画期をもたらした、いくつかの概念を理解するのにピッタリの内容、そこには写像も含まれていた。

題名の“生命”に深い意味がある。計算の原初は数を数えること(計数)。幼児がそれを覚えるのは指を使うことから始まる。しかし、指本来の用途は物をつかむことであって、一本一本指を動かして計数するのは相当進化してからのようだ。ここから中間を端折り現代の数学に飛ぶと、スーパーコンピューターや人工知能(AI)は、まだ“知能(脳)”の段階に留まり、人工的な生命機能全体(物理的な身体ばかりでなく、精神を含む)で数学する世界には至っていない。その道程にはどんな課題が横たわるか。将来見通しを含む長く深い数学発展史を常に“生命”を意識しながらたどるのが本書の流れである。

原初の計数はともかく、現在の数学の原点はギリシャ文明に発する。ここでは哲学(精神)と数学が表裏一体の世界を構成し、論理的にきちっとした説明が重視される。そこでもっとも好まれたのが図形に依る証明である。代表はユークリッドの「幾何学原論」だ。この「原論」はアラビア文明を経てキリスト世界に伝えられ、その整然とした演繹手法が秩序を重んじるカトリックの教理説明規範として転用される。長く教会の手に在ったこの「原論」を教義世界から解き放つのがルネ・デカルト(15961650)、彼はイエズス会の教育課程(ラフレーシュ学院;8年半)でそれを学び、図形に縛られていた幾何学を方程式で解く方式「代数幾何学」を発明し、新しい数学発展の基盤を作り上げる。これが世に出るのは「方法序説」の一章“幾何学”においてであり、哲学思考の一環だったのである。その後の代数学の発展を見るとき、これは数学史上の画期であった。

次に著者が数学史上の偉業とクローズアップするのは、ベルンハルト・リーマン(18261866)の足跡である。リーマン積分・リーマン面・リーマン多様体・リーマン/ゼータ関数などなど、現代数学を語る時その存在は欠かせない。代数と幾何学を一体化した世界はX軸とY軸の二次元平面で表せる(あるいはZ軸を設けて三次元空間を表現)。この軸に相当するものを平面に転じ多平面(x平面、y平面、z平面;リーマン面)の世界(多様体)を想定することで、異なる数学分野を統一的に論ずることが出来るようになったのだ。リーマンがこれら理論を発表した時代(1850年代、ゲッチンゲン大学)数学科は哲学部に属しており、ここでも数学と哲学(精神)は不可分と考えられていたのだ。

数学発展の原点・節目となる代表者3人で本書の一部を紹介したが、0(ゼロ)の発見、演算記号の発明、虚数・複素数に至る発想、など興味深い話題が豊富。現状の認知科学や人工知能研究にも触れ、最後は知能に留まらない「計算と生命の雑種(ハイブリッド)」の到来を予測して結ぶ。数学を教養として学ぶに適当な読み物と言えよう。

著者は1985年生れ、東大工学部から理学部数学科に転じ、現在は独立数学者として研究・執筆・講演・数学塾(受験目的ではない)運営などに当たっている。本欄で既刊書2冊「数学する身体」「数学する人生(岡潔)」を紹介している。

 

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