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2010年11月18日木曜日

決断科学ノート-51(トップの意思決定と情報-11;経営者と数値・数理-3)

 化学工学会経営システム研究会のメンバーになってから四半世紀近くになる。発足時のメンバーは化学会社やエンジニアリング会社の取締役・部長が中心だった。その後多くのメンバーはさらに昇進し、新規事業や新製品開発に重要な役割を果たしてきた。経営者の決断と数理の関係を研究するには欠かせない、貴重な友人達である。今では引退し、現役時代の秘話を遠慮なく聞ける仲間に「ところでそれを決める時の数理の役割は如何?」と質すと、「数理なんか全く関係ない!引くにひけずやっている内に芽が出てきた」「顧客に請われ止むを得ず研究していたら、思わぬ展開をした」などと言う答えが大勢であった。“数理を今少し経営の意思決定に!”と念ずる者にとっては期待はずれの答えながら、経営とは意外とこんなものなのかと納得させられもした。とは言っても彼等も技術者、最初の立ち上げやその後の節目々々には数字を求め、それに基づく検討を行って、次のステップに進んでいる。そこには、結果は数字と大きく離れることになったものの、感性と数理のバランスがそれなり取れた判断の存在が見え隠れする。
 1980~90年代、東燃も新規事業開発(と言うより研究)に、熱に浮かされたように取り組んでいた。新エネルギー、新材料、バイオ、情報技術などがその対象だった。前回書いたように、東燃の投資案件は数理的なチェックが不可欠だったから、皆この手続きを踏んでいたはずである。TIGER構築の頃、新事業担当役員はNKHさん、この分野だけはどう意思決定が行われるのか、残念ながらその実態を垣間見る機会はなかった。
 ある時(確か1983年だったと思う)、珍しくNKHさん(当時常務)から私に呼び出しがかかった。直ぐに部屋に伺うと、数枚から成るレポートを手渡され「この中身を検討してコメントをくれ」と言う指示だった。その場でザーッと目を通すと、それはI社が販売しているプロセス制御用コンピュータシステムの国内販売予測データである。もともとこのシステムはE社とI社が共同開発、その後販売権がI社に移り全世界で商売を展開しているものである。東燃はこのシステムのわが国最初の導入者で、前年末から子会社を通じてその販売活動に協力していたものだ(私は実質的にその責任者だった)。NKHさんはこの資料が誰から渡され、何の目的でこれを検討せよと言ったのかは語らなかった。しかし、直感的に時々話題になる情報システム部門の分社化と関係するものだと思った。
 持ち帰った資料に記載された、適用業種別(石油・石油化学は当然のこと、鉄鋼、紙パルプ、電力・ガスなど)に算出された数字を見た第一印象は「何と楽観的な予測だろう!」と言うものだった。数日かけてその数字を精査し、私なりの見通しをまとめて報告に行った。オリジナルの数字の半分である。説明が終わると「そう言う分析が欲しかった」と言われ、この件はそれ以上進展しなかった。
 この体験から察するに、東燃の新規事業はNKHさんがどこかから入手した基ネタを、そのネタに近いスタッフ(主に研究所)に検討させ、その分析結果に基づいて断を下していたのではなかろうか?私の場合、与えられた課題は日常業務の延長線上にあったので、全く見当違いの数字を出す恐れは少なかった。しかし、先端新規事業では先の学会先輩諸氏が言うように、数値・数理による事業予測はほとんど不可能と言っていい。そこには段階的・多面的な数値(最終成否とは直接関係しない)チェック、つまり新しい投資評価基準と経験に培われた経営センスの組合せによる判断が必要だったはずである(形式的にこのようなステップを踏んでいたのかもしれないが、中断したプロジェクトは皆無だったように思う)。社運を賭した数々のプロジェクトに、どのような手順が踏まれたのか、そこにはどんな数値や数理が使われたのか、いまや知るすべもない。

 TIGER(東燃経営者情報システム)を材料に、11回にわたり“トップの意思決定と情報”について書いてきた。経営者に使ってもらえる(特に意思決定の場で)情報システムを実現したいと思う反面、情報システム以外の要素がここほど大きい分野はないと言うことも痛感した。1990年代後半からERP(Enterprise Resource Planning)と称する統合経営情報システムが導入されてきた。そこにある“経営ダッシュボード”と言う概念は、あたかも経営者がコックピットで計器を見ながら操縦するイメージを企業経営に持ち込もうとしている。しかし、パイロットは計器だけ見て飛んでいるわけではなく、そのデータを参考にしながら、自然環境や機の動きを直感的に判断し、経験に基づく将来予測をしながら操縦しているのだ。
 ERPの核は“結果データ”である(計画検討ツールもあるが)。これが生かされるのは自ら考え抜き、経営課題に対する仮説(論理的な因果関係)を作り出せる能力とそれを日々の行動に活かし、状況に応じて修正する環境対応力である。“数値・数理”を超えた経営センスを“それを基に”磨き上げていくようになれば、それが真の経営者情報システムといえるのだろう。
(トップの意思決定と情報;完)

2010年11月12日金曜日

決断科学ノート-50(トップの意思決定と情報-10;経営者と数値・数理-2)

 経営者や管理者が共通して関心を持つ数字は、何と言ってもお金に関する情報である。“共通”と言う視点で整理すると、それは為替、株価、金利などの外部情報と、経費や設備投資それに収支などに関する内部情報がある。この他に経営上重要な数字として資金の調達や運用などが入ってくるが、これは専ら経理・財務部門の専管事項と言える。
 会計関連業務への電算機利用は技術系よりも遥かに歴史があり、TIGER構築時には統合はされていないものの、一般会計(国の予算区分で言う意味とは異なり、経費予算の立案・執行状況など)、販売会計、貯蔵品会計などが個別にバッチベースで走っていたし、設備投資に関してはこれら会計システムとの結合を部分的に実現していた、COMPACS(COnstruction and Maintenance/Planning And Control System )と呼ばれるシステムが実用に供せられていた。これらの一部情報はTIGERでも提供していたのだが、処理頻度は早いもので月次ベース(あとは四半期、半年)なので、スタッフがその時説明すればそれで充分だった。つまり閉じたルーチンワークの中でことが決して行った(担当者の苦労は在ったが)。
 設備投資に関する意思決定は、成熟社会到来前の装置工業にとって最重要経営課題であった。投資金額も大きいし、その回収にも時間がかかる。それ故に比較的広範な人々・部門がこれに関わってくる。需給見通しは、海外情勢や国策と深い関わりを持つ企画部門と生産・物流活動全般に責任を持つ製造部門がまとめていく。価格動向や為替の見通しや資金・収支見通しでは経理・財務部門がベースになる数字を整備する。設備の新設や改造を実際に行う技術部門は技術的施策とそれによる経済効果を取りまとめる。社内審査をパスした案件はさらに大株主、E社・M社との調整を要する。その時の共通判断基準となるのが投資回収率である。
 比較的実現のシナリオがわかりやすく、投資金額が小額の場合は単純なペイアウト・イヤー法(回収年限で判定)でもいいが、複雑なもの・期間を要するものはDCF(Discount Cash Flow)リターン法で判定される。これは回収までの期間から投資の現在額を評価するもので(翌年回収できる場合と10年後に回収できる場合とでは、回収率によって現在の価値が変わる;その時の金利が参考基準)、個々の稟議書は、技術的実現可能性が説明でき、この回収率をクリアーしていればまず実行可能となる。その時の金利や将来の原料・製品価格、人件費などが効いてくるので、(簡単な)数理に基づく計算方法ながら、この判定基準数値は主計局機能を担当する経理部予算課が決定する。
 あるとき(TIGER後)、回収率にやや楽観的なところがある(一応基準はギリギリ超えていたが)工場用コンピュータ利用投資案件を、何とか技術部の了解を取り付け、次いで経理部に説明に行った。当時経理部長は同期のFJM君だったので、率直に経済性に関するこちらの問題意識を打ち明けた。即座に返ってきた言葉は「省エネルギー関係ならその程度の不確定要素はいいよ。長期的に見れば、エネルギー・コストは現在使っているものより上がると見ているんだ」ということであった。その後の経緯はその通りになった。
 この判定基準の柔軟な運用が彼一人の決断だったのか、あるいは役員や関係先との合意だったのかは不明だが、ここにはヨーカ堂の鈴木敏文氏が日ごろ主張している「経営者は仮説を建て、それを常に検証せよ」という考え方に共通するものがある。TIGERはここまで踏み込んだ情報創造のベースを提供できていなかったが、システムの有無に関わらずそういう資質を持った人はいるのである。道具より経営センス(感性)を、と言うことであろうか。
(次回:新規事業と数字)

2010年11月6日土曜日

決断科学ノート-49(トップの意思決定と情報-9;経営者と数値・数理-1)

 TIGER(経営者情報システム)で提供した情報は全て数字情報であった。それ等は日常スタッフ部門が提供しているもので、その際にはただそれを渡すのではなく、何らかのコメントや解説が加えられ、場合によって質疑が交わされるのが常である。よほど問題意識を明確の持ち、常日頃自らモニターしている数字でない限り、数字だけでは経営情報にはならない。TIGERの失敗はそこにあったといえる。この項では経営上の意思決定と数値・数理について考えてみたい。
 このブログ立ち上げの主旨は「決断においてもっと数理を!」と言うことである。それは日本的経営が慣習や経験あるいは人間関係に過度に依存していると考えるからである。一方にMBA教育に対する数値偏重に批判・欠点のあることも承知した上で、「もう少しバラランス良く」との思いが伝わることを願っている。
 経営課題に対する数値・数理アプローチは、経験やしきたりに比べより論理的・客観的である(と思われる)。大きな環境変化があったときなどには、従来のやり方では方向を誤る恐れもある。二度にわたる石油危機(特に第一回目;1973年)では石油・石油化学会社の経営(原料調達・生産・物流・販売)は混乱を極めた。もしあのとき全社や各工場のLPモデル(一次多項式の巨大な数学モデル)を保有し駆使できていなければ、失ったものは大きかったろう。当時本社製造部長、軍隊なら参謀本部作戦部長とも言える職に在ったKNIさんから当時の対応策にご苦労された話を聞いたことがある。
 原料(原油)供給と製品販売は株主のE社・M社が行うので、東燃の経営余地は限られている。無論グループ全体の最適化を前提に需給計画の大枠は決まるのだが、それぞれの会社は独立の法人であるから、国策も考慮しながら個別の最適化を実現したいと考える。E社もM社もLP利用では先輩格。簡単にはこちらの要求がすんなり通らない。とは言え情実や人間関係で泣き落としが通じる相手でもないし、株主として政治的な力を使ってくるわけでもない(後年当時の先方の担当者と話した時、「何度そうしたいと思ったか知れなかった」と語っていたが)。ロジック対ロジックの戦いである。
 数値・数理に基づく意思決定は、一見公平で納得感があるように見えるが、それ故に注意も要る。最近話題のTPP(Trans-Pacific Partnership;環太平洋経済協定)では、同じ政府の中で、内閣府は年間4兆円のプラス、農林水産省は8兆円のマイナスと出している。つまり前提条件・境界条件が異なれば数学の答えはこれほど大きく変わるのである。
 当時の製造担当取締役はTIさん(後に副社長になり情報システムも担当)、この人は工場の装置運転畑から転じた人で、SVOC(スタンダードヴァキューム社)に出張しLP導入の切っ掛けを作った人でもある。製造部門も広い意味で技術系であるが、設計を主体とする技術部門よりはやや商売っ気のある人(金銭感覚に鋭い人;必ずしも個人として蓄財に長けているわけではない)が成功する傾向にある。TIさんはどうもそう言うタイプの人だったらしい。
 さて、石油危機到来後の需給計画(長期・中期・短期)をどうしていくか?自分でLPモデルを開発・運用したわけではないが、それに精通したTIさんから次から次へと検討課題が出される。LPの解は前提条件・境界条件よって大きく変動するが、どの因子によってそれが起こるのかは式が複雑・膨大なだけに容易に判明しない。TIさんは答えが自分の想定したものに近づかないと納得しない。彼は“交渉のロジック”を思い通りに組上げるためにLPを使っているのだ。これに製造部と情報システム室のスタッフが翻弄されていく。「最適とは何なのか?」と。
 しかし、経営者の経験・感性と数理のバランスと言う点で、この使い方は一つの模範的な例と言えるのではなかろうか。
 あれから約40年、最近の若い経営者の中には、使い勝手が飛躍的に向上したITツール(アプリケーション・ソフトを含む)を用いて、スタッフと対話しながら経営上の決断をする姿が現実のものとなってきている。TIさんのように、是非“俺のシナリオ”作りにIT・数理を活用してほしいものだ。
(次回テーマ:投資判断関連)

2010年10月28日木曜日

決断科学ノート-48(トップの意思決定と情報-8;経営者と情報システム部門-3)

 NKHさんの副社長は社長含みだった。経営システム(経営会議の創設など)は彼のイニシアティヴで大幅に変わっていった。その一つとして、副社長直轄であった情報システム室は情報システム部となり技術担当取締役の主管となった。それまでとは違い担当役員が部屋にやってくるようになったが、何となく役割が軽くなったような気がしないでもなかった。この役員は若手課長時代、LP導入には大活躍しその後も製油部長や工場長を経験した人なのだが、この時にはIT活用に関して、もう往時の情熱を維持してはいなかったからだ。それに対して副社長はこの分野に一方ならず関心が高かった。
 この時期部門の大変革をもたらすいくつかの動きが始まっている。一つは本社の大幅な業務合理化とそれに伴う、情報装備の一新プロジェクト。それと1983年に始めた技術子会社におけるシステム技術の外販をきっかけとした、情報サービス子会社設立の検討である。
 販売を持たない特殊な会社ゆえ、工場の情報化は業界でも先頭を走っていたものの、本社は必ずしもそうではなかった。OAブーム到来の中で、その環境改善要望の声が本社スタッフの中で高まっていた。表計算ソフトを組み込んだ特殊なPC(SORD)やスダンドアローン型のワープロ(TOSWORD)などの導入でお茶を濁していたものの、とても全社的な業務革新につながるものではなかった。本社システムの難しさは、定型的な数値処理中心の工場システムとは違い、文書(それも日本語)を扱うところにあった。当時のIBMはこの日本語処理で著しい遅れがあり、これを国産機に置き換える必要が出てきた。それが実現したのは1983年の晩秋である(このメインフレーム入れ替えプロジェクトについては本ノートで別途報告予定)。
 この新しい機械をベースに本社事務業務改革を支援するプロジェクトとしてTIGER-Ⅱ計画が立ち上がった。これは失敗に終わった経営者情報システム、TIGERの名誉回復(失敗を糊塗する?)を込めて名付けられたものである。今度のシステムは役員が直接使うシステムではなく、役員に情報提供するスタッフ業務に焦点を当てたものになった。結論から言えばこれが正解であった。役員とそれを支えるスタッフ、そのスタッフと一心同体でシステム開発を行う部員の間に、密なコミュニケーションの場が醸成され、使い物になるシステムが出来上がったのである。
 プロジェクトは大掛かりなもので、相当数のシステム開発要員を集め、育成する必要があった。また事務系のSEが始めてIBM以外のコンピューターと本格的に取り組む機会を作った。一方で全工場共通の次世代プロセス・コンピュータ(TCS;Tonen Control System)導入は山を越し、1983年春から外販ビジネスに着手していた。TIGER-Ⅱはまだ開発途上にあったものの、完成後の人材活用を考慮して、事務系を含めた外販ビジネスを新規事業として立ち上げる話が、1984年になると副社長周辺から出てくる。
 1985年7月、大部分の情報システム部員は新会社、システムプラザ(SPIN)に移り、本社機構は情報システム関連業務の全社的企画推進を主体とする、少人数のシステム計画部として生まれ変わることになったのである。軍隊で言えば参謀本部機能を残し、実戦部隊は分社化したということである。この考え方はその後の情報サービス業務のアウトソーシングの流れなどから見て、決して間違ってはいなかったと思う。
 今企業内のIT利用に関して望まれていることは、自社の経営戦略・戦術に精通しかつ急速な進歩と広がり持つIT利用に関する知識を持つCIO(Chief Information Officer;必ずしもITの専門家ではない)、参謀としてそれを支える少数の、広い視野を持ち冷めた目で技術動向を見極められる部員の存在であろう。
 社長の一言から発したTIGER(経営者情報システム)の失敗は、企業経営・経営者・情報技術・情報システム部門に関してその後四半世紀にわたって、私を悩まし続け、叱咤し続けてくれた教科書と言える。
(経営者と情報システム部門:完)

2010年10月16日土曜日

決断科学ノート-47(トップの意思決定と情報-7;経営者と情報システム部門-2)

 担当役員(副社長)と情報システム部門の日常的なコミュニケーションが薄かったからと言って、役員がコンピュータに無関心であった訳ではない。むしろ関係はそれぞれの立場で、当時のわが国企業人としては極めて深かったと言っていい。切っ掛けは、資本・技術提携していたExxon・Mobilからのグループ内利用情報や米国出張・留学で間近に見知った活用事例である。
 初代の情報システム部門(機械計算室)主管役員は副社長のMTYさん。TIGER(経営者情報システム)はこの人のあだ名に由来する。本人がコンピュータと直接関わることは無かったが、このポジションに着く前に、コンピュータ施策に関し難しい決断を行っている。それはグループ初のプロセスコンピュータ導入に関するものである。
 昭和41年、当時プラント運転制御用コンピュータはグループのいずれの工場にも導入されていなかった。丁度和歌山工場大規模拡張工事OG-1プロジェクトと石油化学の中心装置第二スチームクラッカーの建設が終わり、両工場は次のステップとしてそれら新設プラントでコンピュータ最適化制御計画を立ち上げていた。和歌山ではナフサ改質装置(HF)、石油化学ではナフサ分解装置(SC)がその対象だった。
 グループ初のコンピュータ・コントロールを二つ併走するにはあまりにもリスクが多い。一つに絞りそれを成功させてから次に移る、というのが経営陣や本社部長の基本的な考えであった。どちらにするか?和歌山を代表する実務計画推進者はOG-1のプロセス主任設計技師格のOHBさん、石油化学はこれもプロセスエンジニアからSEに転じたISDさん。入社は1年違い。二人とも典型的な闘将タイプで、話し合いで簡単に片付く状況ではなかった。そこでこの問題をSE委員会に諮ることになった。この組織は、それまで主としてSE施策(機械計算室が行う汎用機運用管理を除く)に関する調査・研究、教育・啓蒙を主務としており、それほどややこしい経営問題を取り扱っていなかった。委員長は東燃技術担当取締役(機械・材料が一応専門だが新技術を勉強しておらず、先輩エンジニアから陰でバカにされていた)、石油化学の技術担当が副委員長、本社・各工場の技術部長が委員で、本社技術部計装技術課が事務局を務めていた。議論は紛糾、非力な委員長の下で決着がつくはずもなく、石油化学の副社長も務め、東燃副社長になっても非常勤として残っていたMTYさんに最終決定を委ねることになったのである。結果はSC計画優先であった。今でもこれは正しい決断だったと思う(HFの最適化制御は経済効果も含めると成功例が少ない)。
 OHBさんはこれが理由で退社し、のちに自ら起こした情報サービス会社を店頭市場に上場させている。コンピュータ利用を巡る大事件として、和歌山工場勤務時代の忘れ難い出来事である。
 このSE委員会はその後間もなく解散。汎用機からプロコンまで全てをカバーする電算機情報システム委員会がそれを継ぐように昭和44年5月に発足し、MTYさんが初代委員長となっている。
 二人目の担当副社長は、製造畑出身のTIさん。本格的にコンピュータに関心を持ったのは昭和34年米国で開かれた、スタンダードヴァキューム(SVOC)主催のOperations Evaluation & Planning Courseに参加してからのようだ。しばらくすると本社製造部内にLP研究グループが発足し、やがてそれが数理計画課に発展していく。TIさん自身はLPモデルを構築したわけではないが、LP利用には極めて積極的で、自分の納得できる答えが出るまで何度も条件を変えて最適計算を行わせ、それをもって取引先との交渉に当たったという。
 コンピュータ利用に関する考え方も一本筋が通っており「先ず上の、大きい問題解決にコンピュータを利用し漸次下に下ろしていく」ことを主張していた。工場に居る時分はこの考え方に強く抵抗を感じたものであるが、“考え方があること”には瞠目した。
 三人目の副社長は、企画・経理・財務畑を長く担当したNKHさんである。それまでの二人が実務を通じてコンピュータに関わってきたのとは異なる背景を持つ。世代も遥かに若く、昭和30年代半ばにバーバード大経済学部大学院修士課程で学んだNKHさんは、経営をシステムとして捉えその中でコンピュータの役割が重要性を増してくるとの信念を早くから持っていた。従って情報システム部門が狭義の技術偏重になっていることに不満もあったようである。ただ、副社長になるまで管轄下になかったので、そのような声が直接我々に伝わることはほとんどなかった。
 また、早くから新事業の一環として、情報サービス部門の分社化に関心を持っており、SPIN誕生は彼がいなければ実現していなかったであろう。
 以上見てきたように、三者ともコンピュータ(のちのIT)に深く関わってきた背景を擁しているのだが、それでも情報システム部門間との意思疎通が上手く行っていたとは言い難い。ITとは経営者にとって何か特殊なものなのだろうか?何が特殊なのであろうか?部門の側に何か問題があるのだろうか?のちの時代に話題になってくるSISやCIO(Chief Information Officer )などと合わせて、そんな疑問が拭い去れず、“OR起源研究”への思いが募っていく。
(つづく)

2010年10月9日土曜日

決断科学ノート-46(トップの意思決定と情報-6;経営者と情報システム部門-1)

 TIGER(経営者向け情報システム)プロジェクトに関わるようになって、経営者と経営情報や情報技術について学び、試行錯誤する中で、もう一つ問題意識を持たされたのが、経営者と情報システム部門の関係である。
 工場のシステム部門は計測・制御・情報を技術部の下のシステム技術課で扱っていた。技術部長は概ねプロセス技術(化学工学)出身者が務めるので、人事や予算はともかく、日常業務はシステム技術課長が工場トップ(工場長、各部長)と直に話し合うことが多かった。担当者も同席して工場長室で打ち合わせや説明会を持つこともしばしばあったし、所轄官公庁や報道機関の来場に同席させられることもあり、他の技術部門と異なる存在と感じるようなことも無かった(むしろ近かった)。
 しかし、工場勤務20年を経て初めて本社に着てみると、どうも本社機能の中で異質な位置付けにあるように感じてならなかった。他の部署はよく担当役員が部長席辺りに出かけてきて雑談などしたり、チョッとした打ち合わせなど行っている。また部課長が役員室を気軽に訪れている。それに対して情報システム室へ担当役員(副社長)がやってくることは全く無かったし、役員室を訪れるのは稟議書の決裁印をもらうときくらいであった。
 副社長は一人しか居らず、そのポジションはかなり特殊なものである(置かれないこともある)。情報システム室が発足した当時は和歌山工場勤務で、この部門とほとんど関わりが無い仕事だったので、何故副社長直轄組織となったかは知らなかったが、後年ここへ赴任したとき聞かされた話しは、「事務系・技術系を問わず、経営の中枢を担う重要な部門だから」と言うものだった。しかし、実態はどちらかが握ると問題が生ずる恐れがあるのでここに落着いたのではなかろうか?
 私が入社した頃は、まだ情報システム室は存在せず、コンピュータに関係のある組織は、経理部機械計算課、製造部数理計画課それにプラント運転・制御関係では技術部計装技術課があり、その他プラント設計関係で技術部製油技術課や機械技術課に若干のスタッフがいた。それがIBM大型汎用機360導入と利用分野の広がりを契機に、1969年先ず機械計算課と数理計画課をまとめて機械計算室が発足、その後1974年計装技術課の一部機能を移して情報システム室になっていく。管理職や中堅スタッフは元の組織の育成計画で育ち、キャリアパスを歩んで行くのでそれへの帰属意識も強い。さらに60年代半ばから技術進歩著しいこの分野に、先輩達よりはるかに新しい知識と意欲を持った、数理工学、経営工学などを学んだ新人たちが加わってきていた。既存の担当役員制では、よほど力のある人でないと治まらないのである。
 こういう組織進化の背景はあらゆる面で組織運営を難しくしていく。人事管理(評価・育成)は四本(経理・製造・技術・IT専門)建て、組織理念(伝統ある組織では不要だが)は玉虫色のスローガン、組織戦略・戦術もなかなか整理しきれない(例えば優先度付けが紛糾する)。これでは他の組織からつけ込まれるのは必定である。役員もそんな社内の空気を薄々感じ取っていたに違いない。内部の人間はこのフラストレーションを“最新技術”に向けていく。“経営の中枢を握る重要な機能”と期待されながら、さらに役員・上級管理職、ユーザー部門との乖離が拡大する。
 この状態は業界・学会の集まりや、後年の情報ビジネスを通じて、わが国企業では程度の差こそあれ同じような状態であることを知った。如何にこれを正すかが同職種の仲間の共通の悩みであったのだ。
(つづく)

2010年9月23日木曜日

決断科学ノート-45(トップの意思決定と情報-5;経営者と実データ・情報)

 経営情報システムの謳い文句の一つに“ビジネス最前線のデータや情報(工場の操業状況や販売実績など)を経営者や経営幹部がリアルタイムで把握できる”というのがある。TIGERを構築している時期にはまだ技術的にも経済的にもそのような環境ではなかったが、「やがてはそんなシステムに発展させたい」という夢はあった。しかし、一方で工場に長く勤務した経験から、「そうなると工場独自の管理はやりにくくなるな」と、こんなシステムに対する疑問も起こった。
 工場でエマージェンシー(大規模なプラント運転異常や緊急停止)などが起こった時、一応フォーマルな情報伝達ラインは決められているのだが、部門間・個人ベースのインフォーマルラインも動き出し、多忙な時に電話対応に時間を取られたり、タイミングや信頼性に問題があるデータや情報が独り歩きすることが無いわけではなかった。こんなときプラント運転の状況をリアルタイムで本社スタッフが見られたら、当面の現場対応は工場に任せ、現在の運転状況やトラブル発生時のデータを基に技術的分析や商売上の対応策を、工場を煩わせることなく進めることが出来る。だが、場合によって、データが直ちに見えるだけに、運転方法に口を出したくなる恐れもあるのだ。もしそれが役員レベルだったら・・・。
 この杞憂(?)は1990年代ITの進歩に依り現実のこととなった。SPIN(東燃システムプラザ)時代、特殊なデータ圧縮技術でプラント運転データを正確に記憶・解析できるソフトを某大手石油会社に納入した。本社の製造課長には「あのシステムで工場がよく見えるようになった」と感謝される反面、工場担当者からは「皆見えてしまうんで、チョッとね・・・」との愚痴も聞かれた(とは言ってもここ10年の大掛かりなM&Aで数を増した全製油所にこのソフトが採用され、経営に役立てていただいている)。
 それでもプラント運転データのような物理的データを自動処理するようなシステムは、経営を根本から誤らせたり、混乱させるようなことはまず無い(皆無ではないが)。問題は人手を介するデータ・情報である。例えば販売データの場合、先ず本当に受注できたのかどうかが曖昧なことがある。次にそれは正しいとしても、価格付けやどんな販売手段(店頭での並べ方など)を取ったかが影響してくる。嘗て学会である乳酸飲料会社のシステムの話を聞いた時、発表者も苦笑しながら話していたが、季節変動要因は考慮してあったが、所有するプロ野球球団の優勝まではパラメーターとして織り込んでおらず、そのまま取り込まれたデータがその後の需要予測に影響してしまったことがあると話していた。
 同じような時期、経営トップに資する情報システム、SIS(Strategic use of Information Systems;戦略的情報システム)の話題が巷間を賑わすようになってくる。そんな中で牛丼チェーンを展開していた大手が経営に行き詰る。再建に当たったスーパーの関連情報システム会社役員は「倒産の一因は、社長のところに各フランチャイズ店の情報が逐一上がり、これに社長が一喜一憂、次から次と指示を出し、現場が大混乱したことにある」と語っていた。最前線から上がってくる情報に、その場しのぎの兵力逐次投入でガダルカナル転進を余儀なくされた大本営の姿がそこに重なる。
 一方、セブンイレブンのPOS(Point of Sales;販売管理)システム成功談が雑誌や経営書で紹介されていた。印象的だったのはヨーカ堂グループ総帥の鈴木敏文氏の「もちろん小売業にとって売上データ収集のスピードと精度は重要だが、それにも増して大切なことは、経営者や管理者が市場の動きに対する商売上の仮説や文脈を作り上げ、それを日々検証するために情報システムを使うことだ」と述べていたことである。日常の業務管理システムから提供される実データ・情報を経営の視点で使いこなす。経営者・管理者向け情報システムの在り方について、これほど的を射た見解を未だ目にしていない。ここには第二次世界大戦における英国の危機を救ったOR適用の考え方と共通するものがある。消費低迷で次々とスーパー経営が不振に陥る中、ヨーカ堂グループが健闘している理由はこんな経営者と情報のかかわりにあると考えるのは穿ち過ぎだろうか?
(次回;経営者と情報システム部門)

2010年9月18日土曜日

決断科学ノート-44(トップの意思決定と情報-4;経営者と情報技術)

 入社したころ(1960年代初期)の話しだが、その時代コンピュータ利用は本業(例えば、製造計画や経理)である程度経験を積んで、最先端技術へ転換した人たちの世界だった。そのようにユーザー・バックグランドのある専門家だから、トップと共通領域での会話は和気藹々の雰囲気だったし、実務領域の話は最後まで聞いてくれた。しかし、それがコンピュータ技術(今なら情報技術;IT)そのものに及ぶと、「わしゃ、コンピュータは嫌いじゃ!」と突然会話の流れを断たれることがあったと言う。察するに、コンピュータの利用そのものが厭なのではなく、全く意味が理解出来ない専門用語や略号の羅列が、アレルギー反応を起こしてしまったのではないかと思う。
 1970年代になるとさすがに“好き・嫌い”で断が決することは無かったものの、依然としてトップや幹部のかなりは、“時代の趨勢として、これを用いて業務の改善や革新を図らなければならない、しかしどうも今ひとつ積極的になれない”という状態になってくる。この一因は、コンピュータ技術そのものが急速に深さと広さを増していくため、情報システム部門に特化した専門職(数理や電子など)を必要とするようになり、ユーザー智見を欠いたメンバーが増えてきたことがある。丁寧に話を聞くなり、解からないことは解からないとはっきり言ってくれればいいのだが、“えらい人”はなかなかプライドがそうすることを許さない。工場のSE管理職として一番力を割いたのはこの部分の“通訳”だったと言っていい。
 TIGERの時代(1980年代初期)に入ると、経営者・幹部のコンピュータ利用への関心は技術重点から利用効果・経済効果などに移り、一見技術アレルギー状態をクリアーしたように見えるのだが、次の問題が出現する。今度は道具の“操作”である。今のようなPCがあるわけではないし、通信環境もまるで交換手が介在する電話のように制約だらけである。無論日本語など使えない。プログラムは汎用機の中で動くのだから、気軽にアプリケーションを開発したり、修正したりすることも出来ない。ユーザーが利用できるCRT端末もごく限られたその部門の専門家に割り当てられているだけである。部長も課長も使っていない。それをいきなり役員に操作してもらおうと言うのである。
 スタッフ部門から聴き取り調査で得た情報を基に担当部門別に数十枚、全体では百枚を超える画面を作り、それに番号を付けて、ファンクションキーと数字キー、矢印キーだけでアクセス出来るようにした。端末の立ち上げは毎朝秘書室員が行い、各役員の手元に画面内容・番号とキーの対応表を置いて、それを参照しながら操作してもらう方式とした。取り扱いの説明は情報システムの担当者、各部門の担当者、秘書室員が各役員室に赴いて行った。キータッチ三回程度で所望の画面に到達できるので、この操作方法には抵抗が無かったようである。
 1982年春、社長以下役員も出席して、簡単な始動式をコンピュータ室で行いサービスを開始した。TIGERには各役員が各画面にアクセスするのをモニターするシステムが組み込まれており、一部の情報システム室員(部課長と開発担当者)はそれを閲覧することができた。当初は物珍しさもあってか、あれこれアクセスしていた。社長は数字には強い人、役員の過半は技術系、最年少の経理・財務担当役員は若き日米国の大学でコンピュータを学んでいる。不満を含めてどんどん注文がつくことを期待したがそんなことも無く、二ヶ月もするとほとんど使われなくなってしまう。
 専門用語、システムの仕組みと技術、導入効果そして自ら行う操作、時代々々のコンピュータ障壁を乗り越えてきたが、役員の日常業務処理にそぐわず(データ更新は早いもので一日ベース)、従来とあまりに違う情報授受方式(情報の解説・検討がない)が受け入れられるはずはなかったのである。つまり情報技術に難解なところが多々在るのは確かだが、これが経営者向け情報システム失敗の主因ではなく、提供する情報・データの内容(コンテンツ)と本人たちの意識改革(一人で熟慮し、経営センスを磨き、情報に問いかける)こそが真の問題点であったのだ。
(次回:(TIGERを離れて)経営者と実データ・情報)

2010年9月11日土曜日

決断科学ノート-43(トップの意思決定と情報-3;トップ・スタッフ間コミュニケーション)

 トップの情報リテラシー以外にも、経営者向け情報システム(TIGER)構築には種々問題はあったが、とにかく何か作らねばならない。どんな情報が日常的にスタッフからトップにあげられているか、あるいはトップから求められているか、トップとスタッフはそのためにどんなコミュニケーションを行っているか、を調査することから始めた。各部門スタッフ(主として部・課長クラス)への聴き取り調査である。これを通して更なる問題点が露わになってくる。
1)本社コンピュータに内在し、定期的にスタッフ部門を通じてトップに提供されるデータは、全体経営情報の中で僅かな割合である;
 現在のインターネット環境のようなものが存在せず、為替レート、原油価格、タンカーレートなど重要外部データが簡単にコンピュータ内に取り込めなかった。このような情報の収集・分析はスタッフの重要な業務であった。
2)経営に資する情報(特に外部情報)は簡単に数値化できないものが多い。数値化出来ていてもそれだけで決断できない;
 例えば国のエネルギー政策に関する情報などは、専任の担当者が居て、長い付き合いから微妙な情報をひき出し、トップに報告していた。また、生産計画用LPモデルで最適解が求まったからと言って、それで一義的に決まるものではない。
3)外部データを含めて、提供されるデータはスタッフの解説があって初めて経営情報に変じる;
 この仕事はスタッフの存在意義そのものであり、この分析・解説なくしてはデータもただの数字に過ぎない。ユーザー経験の少ない情報システム関係者はなかなかこの領域に踏み込めなかった。
4)担当役員はその部門出身者が務めることが多く、縦のコミュニケーションは深耕されている;
 部長席の横には役員用の椅子が置かれ、会議机もあったので担当役員がよくそこで部課長と話し込んでいる姿があった(呼びつけるだけで、全く自室から出なかった人も居たが)。そこでの情報はトップにとってスタッフの意見を理解し断を下すのに役立つものだった。
5)各部門スタッフと担当役員は頻繁に情報や意見の交換を行うが、その内容は担当部門内で閉じ、役員間で共有することはほとんどない;
 これは役員同士仲が悪かったのではなく、長く続いた経営方式がそうさせたと見ている。当時の東燃には役員が一堂に会して行う経営会議は無かった。定例取締役会は在ったが、エッソ、モービルの非常勤役員と常勤役員の儀礼的・形式的会合の場であると聞かされていた。重要案件の決裁は、事前に部長レベルで調整し稟議書の決裁・合議の承認を主管役員までもらい、副社長、社長個別に説明し最終決裁に至る方式であった。本社常勤役員は、監査役を除くと、人事・総務、企画、経理・財務、製造・製品開発、技術・環境安全・購買の5名に、副社長(秘書室、情報システム室)、社長、会長の計8名。各役員は個室を持ちそこへ出向いて説明するが、既に担当部門から聞かされているか、スタッフが同席するのでそれほど面倒なことにならなかった(担当案件で、どうしても承認印をもらえぬことを一度だけ体験しが、それについては別途本ノートで取り上げる予定である)。
 この聴き取り調査によって、トップ・スタッフ間の経営情報のやりとりが大分見えてきた。また、いろいろな面で情報システム関係者にとって勉強になった。しかし、当時の経営方式とIT環境では、真に役立つものが出来ると到底思えなかった。それでも情報システム室開闢以来の“経営トップから声をかけられたプロジェクト”を止めるわけにはいかなかった。経営者自身の声を聞くことも無く「外部情報は手入力でもいい。部門ごとの紙芝居でもいい」と突っ走っていく。
(次回予定;経営者とIT)

2010年8月31日火曜日

決断科学ノート-42(トップの意思決定と情報-2;情報リテラシー)

 本来、このブログはトップの決断と情報の関係について、体験や意見を紹介するものであるが、ここのところドライブ記や私的国際関係論などで主題を等閑にしてしまった。3ヶ月ぶりに再開したので、引き続きご笑覧いただきたい。

 ここで言う情報リテラシーは情報技術(IT)に関する知識ではなく、経営トップが何かを決する時の、情報に対する依存度とその内容に関することである。
 その対象を大別すると、①下(主に本社スタッフ部門)から上がってくる案件に対する決断と②自らが問題提起するケースがある。①の場合、口頭説明による内諾から公式の決断を求められ場合まで種々の意思決定がある。日常業務処理の多くはスピードを重視して口頭で行われるが、公式決裁は承認規定によって、それぞれの職位での承認対象・権限が決められている。経営トップが関わる案件は書類(稟議書など)を作り、取締役会や経営会議で最終承認をもらうことになる。そこでは手順や必要情報がかなり定型化されているので、“見かけ上”役員によってそれほど情報リテラシーの差が顕著にあらわれることは無い。それに対して②の場合は、問題提起の意図や背景あるいはその適否について、日ごろの情報収集・分析努力(スタッフに行わせることを含めて)とそれに基づく思考方法に依って個人差が大きく出てくる。一見唯々諾々と部下の説明に頷き、若干の質問や意見を述べるだけのように見えても、日ごろ自らの意思決定ロジックを鍛えている人は、何か予期せぬことが起こった時、条件変更や選択肢検討の指示内容、アクションのタイミングが適切である。
 時代をTIGER構築時(‘80年代前半)に戻すと、緩やかになったとはいえGDPは右肩上がりだったし、エネルギーや素材産業は国策による各種の規制もあり、突発的な異変(例えば大きな事故や国際紛争)を除けば、経営判断は概ね国の政策、同業他社動向、過去の事例や欧米の傾向に従って断を下せば、大きな誤りを犯すことは無かった(資金運用、新規事業などには他産業同様のリスクはあったが・・・)。こんな状態に長く置かれると、自らの視点で経営情報を集めこれを分析し、施策を打ち出すために情報を利用するというような環境がなかなか醸成され難い。
 若干の例外は、製造部門と経理・財務関係である。会社の性格上(販売を持たない)製造関係の情報システムは業界でもトップクラスにあったから、その面での情報活用(例えば工場・プラントの運転効率改善)は活発で、情報リテラシーは極めて高かった。また、経理・財務は金融環境が時々刻々変わるので、それに対応するため早くから社外情報収集に工夫を凝らしていた。しかし、当時の感触ではこれら部門担当トップの情報リテラシーが高いというよりも、スタッフの一部(部課長)に優れた人が居たと言うのが実態であった。
 この辺の事情は同じエネルギー産業でも販売を扱うところでは経営施策に情報活用度が高く、消費財メーカーやサービス産業では更にそれへ依存する度合いが大きいので、経営トップの情報リテラシーも当時から大型基幹産業よりも高かったと言える。
 それ等の業界で、経営情報システムが上手く行っている例を注意深く調べてみると二つのことに気がついた。一つは経営トップ自身が常に商品やマーケットなどの動きに対して、経験やそれに基づく感性を用いて仮説(予測モデル)を作り上げ、その仮説検証に情報を利用していること、二つ目はそこへの情報提供は何でも生のまま上げるのではなく、タイミング調整やフィルターの役目をスタッフやシステムに負わせていることであった。これは単なる経営者個人の資質と言うよりは、組織としての情報リテラシーとも言える。経営者向け情報システムの真の狙いは何か?そこに生の情報が本当に必要か?付加情報は不要か?提供のタイミングは?など情報技術(IT)検討以前にやらねばならぬ課題が山積みしていた。それを端折って構築したTIGERが使い物にならなかったのは、内部・外部情報とは別の失敗要因だった。
 2000年を前に何度目かの経営情報システムブームが起きた。“リアルタイムで現場の情報が取れます”“皆で情報を共有できます”“期間(月間、四半期など)収支が期末翌日には出ます”良いこと尽くめのうたい文句だが、いまだに20数年前が繰り返されている例は枚挙に暇が無い。情報技術は間違いなく革新されているが、トップ周辺の情報リテラシーがどこまで向上しているか、疑問の残るところである。
(次回予定;トップ・スタッフ間コミュニケーション)

2010年5月31日月曜日

決断科学ノート-41(トップの意思決定と情報-1;内部情報と外部情報)

 このノートは「経営における意思決定の場で、IT・数理の利用を更に高めるには如何なる環境醸成が必要か」をまとめるための、素材やヒントを記録するために書いている。前回まで連載した“工場管理情報システム作り”では、課題の意思決定が迷走するプロセスを例示した。これからしばらくはトップ(必ずしも経営者ばかりで無く、政治家や軍事指導者を含む)が課題を“決断するために要する情報”について書いてゆく。
 1981年5月、当時川崎工場勤務だった私に「本社トップ向け経営情報システム開発検討の指示が出たので出てきて欲しい」との連絡があった。この時期和歌山や川崎の工場管理システム、プラント運転のための次世代システム、中央研究所におけるラボラトリー・インフォメーション・システムなど、多くの情報システムが開発あるいは運用をはじめており、関連案件稟議決裁か何かの折に、社長が「ぼつぼつ本社の経営者に資する情報システムも要るんじゃないか?」とつぶやいたことに端を発する話であった。この話はやがてTIGER(Tonen Information GEneration and Retrieveの略、彼が工場時代しばしば大声で咆哮するところからタイガーと綽名されていたことにおもねてつけられた)プロジェクトとなり、9月に本社へ転任するとそれを担当することになる。今回の話はこのプロジェクトそのものの紹介ではなく、初めて体験した経営トップと情報(システム)の関係についてである。
 工場に長く勤務していると工場幹部の日常の意思決定に必要な情報は見当がつく。いや非日常的なこと(運転異常や事故など)でもおおよそどんな情報がカギか想定できる。また、親しく話を聞くことも可能である。その点では実戦部隊は上から下まで一体である。しかし、本社経営陣に関わる情報ついては、担当業務として生産活動に関するLP(線形計画法)モデルによる生産計画の検討などがあるが、これはスタッフが運用し、結果を整理して情報提供している。直接的な数値・情報は稟議などの案件に関する特定情報を個別に準備することと定期的な情報提供(工場の生産実績や一般的な経営指標、新聞記事など;これらも実態はそれぞれの主管部門スタッフが解説する)くらいしか思い浮かばない。これは本社勤務経験がそれまで無かったこととはあまり関係なく、本社のベテランでも明快にトップの必要情報を提示するのは容易ではなかった。それは工場と違い、本社役員の扱う懸案事項が外部(取引先を含む)の環境変化に影響される部分が大きいことに因るからなのだ。
 つまり工場管理では内部情報(特にプラント運転情報)が主体になるのに対して、本社の経営管理では外部情報(例えば原油価格、為替レート、金利、タンカー運航状況、短期エネルギー政策、他社プラントの操業状況(事故など)、調達予定機器の価格)がより大きなウェートを占めるわけである。そしてこの外部情報は、定型的・自動的に収集できるものは少なく(標準的な原油価格や為替レートくらいは集められるが)、役員の性格やバックグラウンドによってその任に当たるスタッフが種類・質・量を慮り、提供方法を工夫して、その用に資するものである。
 それでも役員と頻繁に接触のある本社部課長にヒアリングし、“群盲象を撫でる”ようにして第一段階(内部データ、定例一般報告)の役員用情報システムを作り上げた。導入当初は物珍しさもあってまずまずのアクセス数だったが2,3ヶ月もすると全く使われなくなってしまった。
 1960年代末期、企業にコンピュータが導入され、ルーチン・ワーク(販売実績処理や経理処理など)への適用が軌道に乗ると、MIS(Management Information System)という三つ文字が賑々しく登場した。これからは経営者がコンピュータを使うのだと。これは当時の技術や経済性の観点で、一定期間(日、週、月)を対象とするバッチベースの“実績情報分析”の一部に留まった。その後も類似のシステムが一時話題になっては消えていった。それは技術的問題よりは、経営者が意思決定に必要な情報を絞り込むことの難しさと必要な外部情報入手がITの及ぶ範囲を超えたところに在ることに因るからである。真に経営判断に資する有効な情報システム構築は、インターネットが普及し、かなりの外部情報が収集し易くなった現在でも、まだまだゴールは遠い。
(次回予定;トップの情報リテラシー)