本来、このブログはトップの決断と情報の関係について、体験や意見を紹介するものであるが、ここのところドライブ記や私的国際関係論などで主題を等閑にしてしまった。3ヶ月ぶりに再開したので、引き続きご笑覧いただきたい。
ここで言う情報リテラシーは情報技術(IT)に関する知識ではなく、経営トップが何かを決する時の、情報に対する依存度とその内容に関することである。
その対象を大別すると、①下(主に本社スタッフ部門)から上がってくる案件に対する決断と②自らが問題提起するケースがある。①の場合、口頭説明による内諾から公式の決断を求められ場合まで種々の意思決定がある。日常業務処理の多くはスピードを重視して口頭で行われるが、公式決裁は承認規定によって、それぞれの職位での承認対象・権限が決められている。経営トップが関わる案件は書類(稟議書など)を作り、取締役会や経営会議で最終承認をもらうことになる。そこでは手順や必要情報がかなり定型化されているので、“見かけ上”役員によってそれほど情報リテラシーの差が顕著にあらわれることは無い。それに対して②の場合は、問題提起の意図や背景あるいはその適否について、日ごろの情報収集・分析努力(スタッフに行わせることを含めて)とそれに基づく思考方法に依って個人差が大きく出てくる。一見唯々諾々と部下の説明に頷き、若干の質問や意見を述べるだけのように見えても、日ごろ自らの意思決定ロジックを鍛えている人は、何か予期せぬことが起こった時、条件変更や選択肢検討の指示内容、アクションのタイミングが適切である。
時代をTIGER構築時(‘80年代前半)に戻すと、緩やかになったとはいえGDPは右肩上がりだったし、エネルギーや素材産業は国策による各種の規制もあり、突発的な異変(例えば大きな事故や国際紛争)を除けば、経営判断は概ね国の政策、同業他社動向、過去の事例や欧米の傾向に従って断を下せば、大きな誤りを犯すことは無かった(資金運用、新規事業などには他産業同様のリスクはあったが・・・)。こんな状態に長く置かれると、自らの視点で経営情報を集めこれを分析し、施策を打ち出すために情報を利用するというような環境がなかなか醸成され難い。
若干の例外は、製造部門と経理・財務関係である。会社の性格上(販売を持たない)製造関係の情報システムは業界でもトップクラスにあったから、その面での情報活用(例えば工場・プラントの運転効率改善)は活発で、情報リテラシーは極めて高かった。また、経理・財務は金融環境が時々刻々変わるので、それに対応するため早くから社外情報収集に工夫を凝らしていた。しかし、当時の感触ではこれら部門担当トップの情報リテラシーが高いというよりも、スタッフの一部(部課長)に優れた人が居たと言うのが実態であった。
この辺の事情は同じエネルギー産業でも販売を扱うところでは経営施策に情報活用度が高く、消費財メーカーやサービス産業では更にそれへ依存する度合いが大きいので、経営トップの情報リテラシーも当時から大型基幹産業よりも高かったと言える。
それ等の業界で、経営情報システムが上手く行っている例を注意深く調べてみると二つのことに気がついた。一つは経営トップ自身が常に商品やマーケットなどの動きに対して、経験やそれに基づく感性を用いて仮説(予測モデル)を作り上げ、その仮説検証に情報を利用していること、二つ目はそこへの情報提供は何でも生のまま上げるのではなく、タイミング調整やフィルターの役目をスタッフやシステムに負わせていることであった。これは単なる経営者個人の資質と言うよりは、組織としての情報リテラシーとも言える。経営者向け情報システムの真の狙いは何か?そこに生の情報が本当に必要か?付加情報は不要か?提供のタイミングは?など情報技術(IT)検討以前にやらねばならぬ課題が山積みしていた。それを端折って構築したTIGERが使い物にならなかったのは、内部・外部情報とは別の失敗要因だった。
2000年を前に何度目かの経営情報システムブームが起きた。“リアルタイムで現場の情報が取れます”“皆で情報を共有できます”“期間(月間、四半期など)収支が期末翌日には出ます”良いこと尽くめのうたい文句だが、いまだに20数年前が繰り返されている例は枚挙に暇が無い。情報技術は間違いなく革新されているが、トップ周辺の情報リテラシーがどこまで向上しているか、疑問の残るところである。
(次回予定;トップ・スタッフ間コミュニケーション)
2010年8月31日火曜日
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