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2011年2月10日木曜日

写真紀行-冬の京都を巡る-(6)平等院・伏見

 いよいよこの旅行も最終日。生憎天気は曇りで寒い。ホテルをチェックアウトして京都駅に向かい、8時36分発の奈良行き快速電車に乗る。伏見に住むMRNさんとは宇治駅で待ち合わせることになっている。通勤時だが下りの電車はがらがらだ。京都は大都会だが、市街地は意外に狭い。10分もしないうちに電車は丘陵地帯を走っている。やがて宇治川の鉄橋を渡るともう宇治駅だ。電車内に外国人(白人)夫婦が居たが彼らは宇治では降りない。多分奈良まで出かけるのだろう。
 平等院は高校の修学旅行が最後である。駅周辺の記憶は無いが、高架駅で駅前広場も広々と整備されていることから、当時とは全く違っているはずだ。道々KWBさんとMRNさんが少年時代の思い出を語っている。宇治川の源流、琵琶湖畔の瀬田から川沿いにここまで歩いたことがあるようだ。
 平等院の境内に入ると先ず目に付いたのは一本の幹から広がる巨大な藤棚。植木屋が裸の枝を剪定している。シーズンには見る者を圧すること必定である。十円硬貨に採用されている鳳凰堂の見学は時間制で案内がつく。しかし、開始時刻は9時半。少し時間があるので、池の周りを散歩などして時間を過ごす。寒い!
 黒いスーツを着た女性の案内は、中心部の中堂の中で行われる(撮影禁止)。ここには金色に輝く国宝の阿弥陀如来が収められ(光背・天蓋を含む)、その周辺の壁には雲の中を飛んでいる52体(これも国宝;一部は博物館蔵)の菩薩像が取り付けられている。柱や梁の一部には色褪せた朱色が残り、往時の華やかさが偲ばれる。
 宝物の一部は、鳳凰殿の景観を壊さぬようその背後の小山に半地下式で作られた博物館(鳳翔館)に収められているので、そこも見学。その後これも国宝の鐘楼をみて、南門から出た。そこから宇治川を渡りこれも世界遺産の一部である宇治上神社を詣でて京阪宇治駅へ向かった。
 京阪宇治駅から中書島駅まで5人一緒だが、ここで枚方に居る弟さんを訪ねるSKIさんと別れ、残りの4人は京阪本線に乗り換えて、京都方面一駅目の伏見桃山駅まで行き、伏見巡りを始める。最初に訪れたのは薩摩藩士が同士討ちをしたり、竜馬が襲われそれをお龍さんが逃すことになる寺田屋。観光バスが行き交う、何やら下町ぽい場所にそれがあり、今でも“旅籠”寺田屋の看板がかかっていた。
 次いで出かけたのは伏見の造り酒屋の並ぶ一帯。川の複雑な流れとそこに穿たれた運河に沿って倉庫や酒作りの作業場がある。ここら辺はMRNさんの散歩コース、一段と案内に熱が入る。月桂冠の本社近くに来たとき、向こうの方からやけに背の高い男がゆっくり歩きながら、お供二人(男と女)とやってきた。昨年日経新聞に“私の履歴書”を書いた会長である。男は露払い、女性は背中を支えている。書面から感じた覇気は全く無い。
 昼食の予定はこの月桂冠の経営する「月の蔵」の予定だった。しかし、今日は有志参加ということになっていたので予約をしていなかった。どうやら観光コース人気スポットのようで、大分待たなければならない。幸い酒蔵を改築した食事場所はここだけではない。MRNさんは直ぐに近くの、焼き鳥を売り物にする店へ案内してくれた。美味しい伏見の新酒を味わいながら、身体を暖めこの旅の総仕上げをした。
(冬の京都を巡る;完)


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2011年2月6日日曜日

写真紀行-冬の京都を巡る-(5);金閣寺と舞妓

 祇王寺を出るとしばらく東に進み薬師寺と言う、これも由緒のありそうな寺の境内を抜け、タクシーの拾えそうな道に出た。運よく個人タクシーが一台やってきたので、無線でもう一台仲間を呼んでもらい、分乗して金閣寺に向かった。運転手に「金閣寺まで」と言うと「お客さん、今が一番良い時間ですよ」と応じてきた。時刻は3時過ぎ、西日が一段と強くなってきているのだ。車は広沢の池の南側を通り、御室を経て、仁和寺、竜安寺などよく知られた寺々の前を通り、20分ほどで大文字山の懐にある金閣寺(金閣鹿苑寺)に到着した。
 周辺の高い木々に囲まれた参道・寺務所は西日の影で薄暗く感じるほどだ。そこに突然現れたのが池を隔てて日の光に燦然と輝く“金閣”であった。ここもそれほど混雑しておらず、皆写真撮影に余念が無い。しかしあまりの反射光の強さに「これではハレーションを起こして、うまく撮れないのではないか?」と思うほどの明るさだった。後で見てみると、人物を入れた記念撮影はフラッシュを“強制発光”にして撮影したものだけが上手くコントラストの強さを殺していた。車を降りる際運転手さんが「風が無いといいのですがね」と言っていたが、やや微風があり池の面に映るそれはゆがんでしまっている。それでもこれほど美しい金閣を見られたことに大満足だった。
 この夕日に映える金閣を愛でるために作られた、小高い丘にある夕佳亭(せきかてい;茶室)や不動堂などを見学し4時過ぎここをあとにした。
 北の外れにある金閣から市内中心部(四条河原町)へは、次の予定(夕食)まで時間もあるので、路線バスで出た。これも京都に精通したメンバーがいるからである。
 四条川原町で下車、三条近くまで北に上り高瀬川に出て、今度は川沿いに木屋町通りを南へ下る。まあ東京で言えば赤坂という感じだ。昔は風情があったのかも知れぬが、何やら風俗ぽい店が散見される。四条まで出て今度は一筋東の先斗町の路地のような狭い道を北へ戻る。ここはさすがに派手な店は無く、門燈や表札だけの置屋やお茶屋らしきものが軒を接して延々と続く。まだ薄暮なので舞妓さんが歩く時間には早いのか、通行人は我々のような観光客風情が大半である。
 この路地が終わり三条の大通りへ出る手前、MRNさんが「ここもちょっと由緒のある寺なので見て行こう」と案内してくれたのは京都瑞泉寺。57歳にして初めて実子、秀頼を得た秀吉は、跡取りと定めていた甥(姉の子)、秀次を自害させ、一族の妻妾子女30余人を三条河原で殺害してこの付近に曝す。高瀬川を開削した京の豪商角倉了以は秀吉の死後それを弔うためにこの寺を建てたのだという。猫の額ほどの境内に小さな墓石がいくつか並んでおり、夕闇の中に彼らの怨念が漂っている雰囲気がした。
 そこから広い御池通り渡りさらに二条に向かうと今日の会食場所、「がんこ高瀬川二条苑」がある。外壁に大きな石が積まれた角倉別邸の庭を生かした料理屋なのだ。昨日の「坂の上」に比べると大衆的で賑やかだが、我々は坪庭・床の間もある落ち着いた和室が用意されている。料理は昨晩同様京懐石だ。それが半ばまで進んだとき、仲居さんが「舞妓さんが参りました」と言ってくる。やがて印半纏を来た番頭さん(?)に案内され、本日の主役登場である。
 これは本番のお茶屋遊びとは違い、少し早い時間帯に観光用に店が客の求めに応じ提供するサービス(30分間;有料)。先ず番頭さんが挨拶し、これからの次第を説明。手元には携帯用コンポがある。舞妓が丁寧に挨拶する。名前は「ふく里」さん。少し酒席を移動し踊りが舞えるようスペースをつくる。今日はまだ正月の内、演題は失念したが、お目出度い曲に合わせて一舞いしてくれる。その後衣装の説明などがあり、しばらく宴席に侍り皆と話や記念撮影などする。
 ふく里さんは何と東京初台の出身。現在20歳。話の経緯から中学卒業後この世界に入り、京言葉や立居振る舞いからはじまり踊りの稽古まで厳しい修行を積んできたようだ。今の舞妓は大方京都以外の出身者とのこと。彼女の居る置屋は舞妓五人・芸妓二人が所属、人数は多い方らしい。異世界体験の30分はアッという間に過ぎ、丁寧に挨拶をして去って行った。
 おじいさんたちは大満足。残りの時間、お開きまで話はこれだけだった。
(次回;最終回;平等院・伏見)
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2011年1月29日土曜日

写真紀行-冬の京都を巡る-(4);嵐山から嵯峨野へ

 桂離宮後発組は1時間後のスタート。合流場所は阪急嵐山線を降り、桂川の渡月橋を渡り、川沿いの茶店と言うことになっていた。出発前に店の名前もMRNさんから指示されていたのだが、先発のSKIさんも私も名前を失念。ぶらぶら歩いているとちょうど開けたばかりの茶店があったので一休みすることにした。川に面して緋毛氈を敷いた縁台が設え、その一角だけうまく風が当たらない。明るい光の中で、豆腐田楽で一杯やりながら、後発組を待つことにした。
 後発組は離宮から直接タクシーでやってきたので、11時半頃に合流。しばし川に沿って歩き保津川(桂川上流)下りの下船地点まで行き、そこから東に開ける嵐山公園の上り道に取り付いた。この辺はシーズン(桜、紅葉)には人で溢れ返るようだが、今日は我々だけである。

 昼食は天竜寺に近い湯豆腐の「竹むら」で採ることになっているので、嵐山公園のあとは嵯峨野方面へ道をとり、途中「丹下作善」で有名な、大河内伝次郎の別邸(ここの庭も素晴らしいようだが、今回はパス)があるところで折れて天竜寺の外縁をなす竹林を抜けることにする。さすがにここには観光客が出ているが、それでも混雑するほどではない。手入れの行き届いた竹林はただの竹薮とは違い、天を突くほど高く伸びて、見る者を圧倒する。
 「竹むら」は天竜寺へは2,3分、大衆的な感じの店で、熱燗と湯豆腐で午前の疲れを癒し、午後の活力を補給するのに適当な所であった。
 天竜寺は後醍醐天皇の菩提寺として足利尊氏が創建したもの。世界遺産になっているが、何度も大火に遭っているので、建物よりは庭園に価値がある。我々の観光も庭園見学だけにした。なんといっても有名なのは本堂(大方丈)を囲む小石を綺麗に掃いて作られた部分だが、苔や先ほど見た竹林、それに桜と紅葉、ときには木々を覆う雪景色も季節によって堪能できる。ここも今日は静か、出たのはあの竹林につながる北門だった。
 再び竹林をもどり、大河内邸前で東に向かい、山陰本線の “トロッコ嵐山”駅(旧線、新線がここで分かれ、旧線は保津川下りの出発点まで観光路線になっている)を下に見ながら嵯峨野へ向かう。それほど市内から離れていないのだが、まるで山里である。北山杉の産地も近く、並木にもその独特の育成方法を見ることが出来る(根元から数本の枝を垂直方向に分ける)。

 嵯峨野散策のゴールは祇王寺、平清盛に愛された白拍子(祇王)が、やがてその寵を失い剃髪して篭ったのがこの寺。尼寺である。こじんまりしているが、如何にも世捨て人の隠れ住む地に相応しい。寺と言うより庵の雰囲気、さびしい場所・佇まいが往時をそのまま偲ばせる。京都が人々を惹きつけるのは清水や金閣ばかりでないことを、しっかり体験した。
(次回;金閣寺と舞妓)


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2011年1月25日火曜日

写真紀行-冬の京都を巡る-(3);桂離宮

 桂離宮は元宮家の別荘として17世紀に建てられたもの。今でもその管理は宮内庁が行い、事前申し込みをして、許可された者のみ見学が許される。見学希望日と申し込み手続きの間にあまり日がなかったのでどうなるか危惧されたが、その方面に知人がいるSZKさんの努力で12日午前の見学がOKとなった。ただし、ある人数以上のグループは一度にまとめることは出来ず、9時と10時のスタートに分けられた。私はSZKさん、それにこの見学を切願していた建築の専門家、SKIさんと一緒の先発組みだった。

 われわれを含めて朝一番の見学者は15人程度。それだけが参観者休憩所に入ることを許される。ここでビデオ案内を見た後、職員による見学注意事項の説明がある。「残念なことですが、現在池のメンテナンスが行われており、水がかなり抜かれています。ただ、庭園作りの専門家にはむしろこの方が参考になるかもしれません」とのコメントがある。それと思しき人は見当たらなかったが、ここはその種の人々にとって学習・研究の場でもあるのだ。
 素人の浅知恵でこの庭園は小堀遠州の作とばかり思っていたが、渡されたパンフレットには「遠州は直接関与していないが、遠州好みの技法が随所にみられる」とある。どやら複数の弟子たちとオーナー、智仁(としひと)親王(後陽成天皇の弟)の趣味趣向が合わされた成果であるようだ。
 ルートは表門(現在でも皇室関係者専用)の内側にもうひとつ設けられた御幸門から始まり、時計方向に複雑に入り組んだ池を巡る。途中には山や浜を模した風景、休憩所、茶室などがあり、どこにも景色を愛でるための一工夫がされている。例えば遠近感や高低感の強調(錯覚)や、窓で切り取られる景観の違い(同じ部屋に居て、一方の窓からは山、他方の窓から海)、時間と季節による月(枝越しの月、池に映る月)の変化、踏み石の種類・構成による雰囲気の違い(フォーマル、カジュアル、その中間)、ふすまの柄や違い棚の作りにもそれなりの意味付けがあるようだ。石灯籠だけでも何種もあり、 これだけを調査研究の対象にする見学者もいるという。

 最後は住居である、古書院・中書院・新御殿となるが、ここだけは外観だけしか見学できない。付帯する広い芝庭は蹴鞠などを行うところである。
 新緑や紅葉の季節に、満々と水をたたえた池を巡る景観はさぞかし心打つものだろう。案内者は「私は梅雨が一番だと思います。苔の緑が素晴らしいんです」と言う。しかし冬の真盛り、木々の葉が落ちることで、すべてを見渡せるのも一興であった。
 このチャンスを作ってくれたSZKさんは所用で、阪急桂駅で別れ、一人横浜に帰って行った。
(次回;嵐山・嵯峨野)
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2011年1月22日土曜日

写真紀行-冬の京都を巡る-(2);産寧坂から高台寺へ

 京都は、学会・リクルートやビジネスでは比較的よく訪ねている町だ。しかし“観光”と言うことになると、極めて限られた思い出しかない。初めての京都は中学の修学旅行。次は高校の修学旅行である。社会人になってからは和歌山工場時代にドライブで一度、大学の研究室仲間が大阪赴任中比叡山から滋賀県の坂本へ抜けた旅、それに小学生だった息子と梅小路の機関車館を訪れたことくらいである。清水寺、知恩院、金閣寺は京都旅行の定番、観光バスや車を利用して何度か見学し、点としての記憶はよく残っている。それから半世紀以上経た今回の違いは、線と面で京を眺めるところにある。つまり、老体には堪える徒歩観光なのだ!
 清水坂を少し西へ下り、七味屋の角を北へ折れる。そこから始まるのが産寧(さんねい)坂、最初は石段である。スケッチを好くするSZKさんが「この途中から見える五重塔は絵になるんだよね」と言いながら西を向く。残念ながら西日が強く写真にはならない。二年坂へ続くこの一帯は景観保存地区に指定されており、建物にはいろいろ規制があるようだが、現在は左右に土産物屋や茶店などが軒を連ねている。MRNさんが「シーズンはごった返していますよ」と言いながら盛時を解説してくれる。
 二年坂の突き当たりはもう高台寺の境内、ここは秀吉の正室、ねね(北政所)が秀吉の冥福を祈るために建立した寺である。写真の階段と手すりが写っているのが重要文化財の霊屋(おたまや)である。庭も竜安寺のように小石を掃いてきれいに作られている。
 ここを出てさらに北へ進む道が“ねねの道”で、円山公園に至る。公園の一角に坂本竜馬と中岡慎太郎の銅像があった。街中に幕末を残すものはほとんどないので、彼らにとって、良い落ち着き場所なのかもしれない。
 MRNさんが「知恩院への正面の道は階段がきつから」と裏道をとって先ず国宝の大鐘楼に行く。ここも幸い人が少なく、ゆっくり記念撮影ができる。そこから下ると御影堂。確かにこのルートは楽だ。
 このあと八坂神社などへよるグループと別れ、SZKさんと私は一旦駅近くのホテルへ戻り、6時から八坂の京懐石の料亭「坂の上」でひらかれた全員集合の夕食会に出た。ここはSKIさんのご縁で地元の方に紹介してもらったが、場所と言い料理と言い京都を堪能させてくれるものだった。
 ほろ酔い気分で店を出て、四条通りからえびす神社に向かう。ここは十日えびすなので今日(十一日)は“あと”えびすだが屋台と人出が凄い。だいたい東京の酉の市と同じ趣だが、境内に控えている(福笹を手渡す)のは巫女さんではなく、舞妓さん!さすが京都!
(次回;桂離宮)

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2011年1月19日水曜日

写真紀行-冬の京都を巡る-(1);清水寺

 高齢の水泳仲間がいる。私を含めて7人。年齢は78歳~62歳、毎日曜日は泳いだ後ビールを飲みながら昼食を伴にする。メンバーには長州・水戸・京都出身がおり、よく幕末・維新が話題になる。8月の終わり頃だっただろうか、誰言うとなしに「一度皆で京都へ出かけよう」という話になった。こうして実現したのが今回の京都旅行である。
 メンバーの一人、最年長のMRNさんは私がクラブに入る前に郷里の京都へ帰り、横浜の旧宅に住む息子さんを訪ねがてら時々昼食会に参加していた。引退後の生活を充実させるため“京都検定”に挑戦、二級の資格を取得している。もう一人の京都出身者は大学で水球選手だったKWBさん。母上がご健在でその介護で定期的に京都通いをしている。長州藩のYSTさんはガス会社勤めをしながら京大に通い博士号を取ったのでこれも京都に詳しい。水戸藩のSZKさんは航空会社勤務が長かったこともあり、旅に詳しく薩長とは異なる視点で幕末史をみている。製鉄会社で構造物設計研究に長年携わり工学博士号を持つSKIさんは神社仏閣の木造建築にも一家言ある人。この京都行きにもっとも熱心だった、小泉元首相の高校時代の親友(首相を「純ちゃん」と呼べる)ANDさん。それに日本史全体に無知な私が加わっての7名である(いまだ仕事を持っているYSTさんは直前に不参加となり、最終的には6名の旅;写真;清水寺仁王門前ではご母堂見舞いのKWBさんも不参加で5人)。
 時期の決定は、MRNさんの助言で1月となった。桜・新緑(苔の鑑賞は梅雨)・紅葉の季節がベストだが、人出が凄まじく、遠景からの眺めはともかく、神社仏閣は動きがとれぬほどになるらしい。日にちはメンバーのスケジュールと、今回の旅のメイン・イヴェント、“桂離宮”見学許可日(12日午前)から決定。
 11日12時京都駅新幹線八条口集合。その日は清水寺→産寧坂→高台寺→ねねの道→円山公園→知恩院→八坂神社と廻って一旦ホテル(これは各自予約)にチェックイン、6時から八坂の京懐石「坂の上」で会食。そのあとはえびす様(その日は“あとえびす”)をひやかす。
 12日は午前中桂離宮見学→嵐山散策→豆腐料理「竹むら」で昼食、そのあと天竜寺→竹林を通って嵯峨野歩き→金閣寺→木屋町・先斗町をぶらつき→京都の豪商(高瀬川を自費で開削);角倉了以(すみのくらりょうい)の残した庭を売り物にする「がんこ高瀬川二条苑」で京料理と舞妓さんを楽しむ。
 13日は宇治平等院を見学後伏見へ移動し竜馬が襲われた「寺田屋」を見たあと月桂冠が経営する「月の蔵人」で昼食して自由行動となる。
 盛り沢山、京都人ならではの配慮である。 以下写真にコメントを付す形でこの旅を紹介する。
 清水寺は高校の修学旅行以来だから半世紀以上前だ。あの舞台が傾斜していることを今回初めて知った。
 冬の良さは、木々の葉が落ち、建物やその構造がよく見える点である。がっちりした舞台下部の柱の組み合わせが、往時の建築技術を余すことなく顕にしている。
(次回;清水から高台寺へ)
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