周辺の高い木々に囲まれた参道・寺務所は西日の影で薄暗く感じるほどだ。そこに突然現れたのが池を隔てて日の光に燦然と輝く“金閣”であった。ここもそれほど混雑しておらず、皆写真撮影に余念が無い。しかしあまりの反射光の強さに「これではハレーションを起こして、うまく撮れないのではないか?」と思うほどの明るさだった。後で見てみると、人物を入れた記念撮影はフラッシュを“強制発光”にして撮影したものだけが上手くコントラストの強さを殺していた。車を降りる際運転手さんが「風が無いといいのですがね」と言っていたが、やや微風があり池の面に映るそれはゆがんでしまっている。それでもこれほど美しい金閣を見られたことに大満足だった。
この夕日に映える金閣を愛でるために作られた、小高い丘にある夕佳亭(せきかてい;茶室)や不動堂などを見学し4時過ぎここをあとにした。
北の外れにある金閣から市内中心部(四条河原町)へは、次の予定(夕食)まで時間もあるので、路線バスで出た。これも京都に精通したメンバーがいるからである。
この路地が終わり三条の大通りへ出る手前、MRNさんが「ここもちょっと由緒のある寺なので見て行こう」と案内してくれたのは京都瑞泉寺。57歳にして初めて実子、秀頼を得た秀吉は、跡取りと定めていた甥(姉の子)、秀次を自害させ、一族の妻妾子女30余人を三条河原で殺害してこの付近に曝す。高瀬川を開削した京の豪商角倉了以は秀吉の死後それを弔うためにこの寺を建てたのだという。猫の額ほどの境内に小さな墓石がいくつか並んでおり、夕闇の中に彼らの怨念が漂っている雰囲気がした。
これは本番のお茶屋遊びとは違い、少し早い時間帯に観光用に店が客の求めに応じ提供するサービス(30分間;有料)。先ず番頭さんが挨拶し、これからの次第を説明。手元には携帯用コンポがある。舞妓が丁寧に挨拶する。名前は「ふく里」さん。少し酒席を移動し踊りが舞えるようスペースをつくる。今日はまだ正月の内、演題は失念したが、お目出度い曲に合わせて一舞いしてくれる。その後衣装の説明などがあり、しばらく宴席に侍り皆と話や記念撮影などする。
おじいさんたちは大満足。残りの時間、お開きまで話はこれだけだった。
(次回;最終回;平等院・伏見)
(写真はクリックすると拡大します)
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