2010年9月18日土曜日

決断科学ノート-44(トップの意思決定と情報-4;経営者と情報技術)

 入社したころ(1960年代初期)の話しだが、その時代コンピュータ利用は本業(例えば、製造計画や経理)である程度経験を積んで、最先端技術へ転換した人たちの世界だった。そのようにユーザー・バックグランドのある専門家だから、トップと共通領域での会話は和気藹々の雰囲気だったし、実務領域の話は最後まで聞いてくれた。しかし、それがコンピュータ技術(今なら情報技術;IT)そのものに及ぶと、「わしゃ、コンピュータは嫌いじゃ!」と突然会話の流れを断たれることがあったと言う。察するに、コンピュータの利用そのものが厭なのではなく、全く意味が理解出来ない専門用語や略号の羅列が、アレルギー反応を起こしてしまったのではないかと思う。
 1970年代になるとさすがに“好き・嫌い”で断が決することは無かったものの、依然としてトップや幹部のかなりは、“時代の趨勢として、これを用いて業務の改善や革新を図らなければならない、しかしどうも今ひとつ積極的になれない”という状態になってくる。この一因は、コンピュータ技術そのものが急速に深さと広さを増していくため、情報システム部門に特化した専門職(数理や電子など)を必要とするようになり、ユーザー智見を欠いたメンバーが増えてきたことがある。丁寧に話を聞くなり、解からないことは解からないとはっきり言ってくれればいいのだが、“えらい人”はなかなかプライドがそうすることを許さない。工場のSE管理職として一番力を割いたのはこの部分の“通訳”だったと言っていい。
 TIGERの時代(1980年代初期)に入ると、経営者・幹部のコンピュータ利用への関心は技術重点から利用効果・経済効果などに移り、一見技術アレルギー状態をクリアーしたように見えるのだが、次の問題が出現する。今度は道具の“操作”である。今のようなPCがあるわけではないし、通信環境もまるで交換手が介在する電話のように制約だらけである。無論日本語など使えない。プログラムは汎用機の中で動くのだから、気軽にアプリケーションを開発したり、修正したりすることも出来ない。ユーザーが利用できるCRT端末もごく限られたその部門の専門家に割り当てられているだけである。部長も課長も使っていない。それをいきなり役員に操作してもらおうと言うのである。
 スタッフ部門から聴き取り調査で得た情報を基に担当部門別に数十枚、全体では百枚を超える画面を作り、それに番号を付けて、ファンクションキーと数字キー、矢印キーだけでアクセス出来るようにした。端末の立ち上げは毎朝秘書室員が行い、各役員の手元に画面内容・番号とキーの対応表を置いて、それを参照しながら操作してもらう方式とした。取り扱いの説明は情報システムの担当者、各部門の担当者、秘書室員が各役員室に赴いて行った。キータッチ三回程度で所望の画面に到達できるので、この操作方法には抵抗が無かったようである。
 1982年春、社長以下役員も出席して、簡単な始動式をコンピュータ室で行いサービスを開始した。TIGERには各役員が各画面にアクセスするのをモニターするシステムが組み込まれており、一部の情報システム室員(部課長と開発担当者)はそれを閲覧することができた。当初は物珍しさもあってか、あれこれアクセスしていた。社長は数字には強い人、役員の過半は技術系、最年少の経理・財務担当役員は若き日米国の大学でコンピュータを学んでいる。不満を含めてどんどん注文がつくことを期待したがそんなことも無く、二ヶ月もするとほとんど使われなくなってしまう。
 専門用語、システムの仕組みと技術、導入効果そして自ら行う操作、時代々々のコンピュータ障壁を乗り越えてきたが、役員の日常業務処理にそぐわず(データ更新は早いもので一日ベース)、従来とあまりに違う情報授受方式(情報の解説・検討がない)が受け入れられるはずはなかったのである。つまり情報技術に難解なところが多々在るのは確かだが、これが経営者向け情報システム失敗の主因ではなく、提供する情報・データの内容(コンテンツ)と本人たちの意識改革(一人で熟慮し、経営センスを磨き、情報に問いかける)こそが真の問題点であったのだ。
(次回:(TIGERを離れて)経営者と実データ・情報)

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