2010年10月9日土曜日

決断科学ノート-46(トップの意思決定と情報-6;経営者と情報システム部門-1)

 TIGER(経営者向け情報システム)プロジェクトに関わるようになって、経営者と経営情報や情報技術について学び、試行錯誤する中で、もう一つ問題意識を持たされたのが、経営者と情報システム部門の関係である。
 工場のシステム部門は計測・制御・情報を技術部の下のシステム技術課で扱っていた。技術部長は概ねプロセス技術(化学工学)出身者が務めるので、人事や予算はともかく、日常業務はシステム技術課長が工場トップ(工場長、各部長)と直に話し合うことが多かった。担当者も同席して工場長室で打ち合わせや説明会を持つこともしばしばあったし、所轄官公庁や報道機関の来場に同席させられることもあり、他の技術部門と異なる存在と感じるようなことも無かった(むしろ近かった)。
 しかし、工場勤務20年を経て初めて本社に着てみると、どうも本社機能の中で異質な位置付けにあるように感じてならなかった。他の部署はよく担当役員が部長席辺りに出かけてきて雑談などしたり、チョッとした打ち合わせなど行っている。また部課長が役員室を気軽に訪れている。それに対して情報システム室へ担当役員(副社長)がやってくることは全く無かったし、役員室を訪れるのは稟議書の決裁印をもらうときくらいであった。
 副社長は一人しか居らず、そのポジションはかなり特殊なものである(置かれないこともある)。情報システム室が発足した当時は和歌山工場勤務で、この部門とほとんど関わりが無い仕事だったので、何故副社長直轄組織となったかは知らなかったが、後年ここへ赴任したとき聞かされた話しは、「事務系・技術系を問わず、経営の中枢を担う重要な部門だから」と言うものだった。しかし、実態はどちらかが握ると問題が生ずる恐れがあるのでここに落着いたのではなかろうか?
 私が入社した頃は、まだ情報システム室は存在せず、コンピュータに関係のある組織は、経理部機械計算課、製造部数理計画課それにプラント運転・制御関係では技術部計装技術課があり、その他プラント設計関係で技術部製油技術課や機械技術課に若干のスタッフがいた。それがIBM大型汎用機360導入と利用分野の広がりを契機に、1969年先ず機械計算課と数理計画課をまとめて機械計算室が発足、その後1974年計装技術課の一部機能を移して情報システム室になっていく。管理職や中堅スタッフは元の組織の育成計画で育ち、キャリアパスを歩んで行くのでそれへの帰属意識も強い。さらに60年代半ばから技術進歩著しいこの分野に、先輩達よりはるかに新しい知識と意欲を持った、数理工学、経営工学などを学んだ新人たちが加わってきていた。既存の担当役員制では、よほど力のある人でないと治まらないのである。
 こういう組織進化の背景はあらゆる面で組織運営を難しくしていく。人事管理(評価・育成)は四本(経理・製造・技術・IT専門)建て、組織理念(伝統ある組織では不要だが)は玉虫色のスローガン、組織戦略・戦術もなかなか整理しきれない(例えば優先度付けが紛糾する)。これでは他の組織からつけ込まれるのは必定である。役員もそんな社内の空気を薄々感じ取っていたに違いない。内部の人間はこのフラストレーションを“最新技術”に向けていく。“経営の中枢を握る重要な機能”と期待されながら、さらに役員・上級管理職、ユーザー部門との乖離が拡大する。
 この状態は業界・学会の集まりや、後年の情報ビジネスを通じて、わが国企業では程度の差こそあれ同じような状態であることを知った。如何にこれを正すかが同職種の仲間の共通の悩みであったのだ。
(つづく)

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