<今月読んだ本(9月)>1)外務省革新官僚(戸部良一);中央公論新社(新書)
2)外交官が見た「中国人の対日観」(道上尚史);文藝春秋社(新書)
3)「BC級裁判」を読む(井上亮、半藤利一ほか);日本経済新聞出版社
4)ツーリスト(上、下)(オレン・スタンハウアー);早川書房(文庫)
5)ローマ人の物語(38,39,40)(塩野七生);新潮社(文庫)
6)マンチュリアン・リポート(浅田次郎);講談社
<愚評昧説>
1)外務省革新官僚
昭和史の中にあらわれる“革新官僚”とは、日中戦争(支那事変)の全面化にともなう国家経済を、強い行政の力で統制しようとする一部官僚(代表的な人物は岸信介)のことである。従って所属する省庁は、産業・資源政策と深く関わる商工省、逓信省、農林省、企画院などがそれらである。そんな理解だったので、この本のタイトルを見たときの第一印象は「エッ!外務省?」という驚きと疑問であった。
読んでみると、時代と出現の背景は完全に重なる(満洲事変→支那事変→大東亜戦争)のだが、前出の革新官僚と連携したものではなく、三国同盟締結時の駐イタリア大使、白鳥敏夫とその周辺に在った、外務省独自の活動グループであることがわかった。因みに白鳥は岸同様、極東裁判ではA級戦犯として裁かれ(終身禁固)、巣鴨に服役中癌で死亡している。
第一次世界大戦後名目的には大国の一角(国際連盟の常任理事国)を占めるようになった日本は、さらなる国力強化を目指し、軍事力で中国大陸への勢力拡大を図っていくのだが、そこには当然既得権者、欧米列強との軋轢を生ずる。「維新後手本としてきたな欧米流の外交手法では所詮彼等に勝てない!」「独自の外交理念を作り上げよう!」こんな思いが若手・中堅外務官僚の中に湧いてくる(実際は人事・キャリアパスに対する不満もあるのだが)。
彼等は“混乱する中国政治情勢の安定化”“アジア植民地の解放”、のちの大東亜共栄圏構想に通ずる外交を目指す。これを支えるものとして武士道や神道からアイデアを借りた「外交指導原理綱領」を纏め上げ、“皇道外交”なるものを提唱するようになる。
伝統的な欧米協調外交推進の中心人物、幣原喜重郎の愛弟子でもあった白鳥は当初はこのような動きからは距離を置いていたのだがやがて転向、激しい言論活動で“ファシスト”と呼ばれるようになっていく(駐イタリア大使前)。何故彼はそうなったか?満州事変、国際連盟脱退、三国同盟、日ソ中立条約など戦前・戦中におけるこれらわが国の帰趨を決した重要な国際関係における彼の言動を追いながら、その疑問を問い詰めていくのが本書のメインストーリーである。
彼は1940年駐イタリア大使を最後に依願退職するが、彼を外務次官・外相候補として強力に押し出した若手革新官僚は戦後見事に変身、外務次官や駐米大使へと栄達を窮めていく。変り身の早さこそ、わが国外交官の生き残り手段なのであろうか。
2)外交官が見た「中国人の対日観」 尖閣諸島問題が発生する前に読んだ本である。読んだ直後の中国感と現時点では随分違ってしまった。とは言ってもそれは国と国との関係であって、人と人の関係は別だ。
この本は、2007年から9年まで中国公使(広報・文化担当)を務めた人の、いわば草の根外交(無論公的なものが多いのだが、比較的日常レベル・若い人レベルの交流)に基づく中国人の対日観の実態を紹介したものである。
一言でまとめると、最近の活発な経済活動と行動の自由化で、若い世代が日本の実情を自ら知る機会が多くなり、対日感情は著しく改善されてきている、と言うことである。それも当初はポップカルチャーのようなところに目が向いているのが、だんだん社会の内面を見るようになってきており、長所短所とも深いところで評価できるようになってきているようだ。例えば、先進国で海外移住希望者が最も少ない日本を“良い国”と評価することなどにその例が見られる。一方で、内向きでそこそこの生活で満足する覇気の無さを、社会の衰退と危惧する声もある。具体的には勉強時間や海外留学志望を比較するといまや雲泥の差である。
筆者は韓国の大学でも学び、彼の地での大使館勤務経験もある。そこから日中韓の文化比較も行いながら中国人の対日観を見つめる場面も登場し、新鮮な比較論によってあらためて中国と外交官を見直す機会を与えてくれた。
3)「BC級裁判」を読む
市ヶ谷で行われた極東裁判が戦争遂行を行った国家指導者を裁く裁判であったのに対し、BC級裁判とは戦場での個々の戦争犯罪行為を、個人の責任に帰して裁いたものである。A級戦犯として処刑されたのは7名だが、BC級では984名が死刑判決を受けた(のちに減刑された人も居るが、大多数は処刑)。最も早かったのはフィリピン防衛戦の司令官、山下奉文大将で1945年10月に裁判が始まり、翌46年2月に絞死刑になっている。これはA級戦犯の死刑執行よりも早い。“熱いうちに早く決着をつける”BC級裁判の代表例と言っていい。
本書は2009年9月から9月にかけて日経新聞朝刊に連載されたものを基にし、“戦場に架ける橋”で有名な泰麺鉄道捕虜虐待、シンガポール華僑集団虐殺、南京虐殺、B29搭乗員処刑など代表事例を類似事例毎に分類して章立て、各章毎に連載の取りまとめ役(井上)と半藤利一、秦郁彦、保阪正康と言う昭和史・戦史専門家が検証・議論する形式でまとめられている。連載の基となった資料は、法務省が保管し、その存在が長く秘匿され、2002年から徐々に公開され始めた膨大な裁判関連文書である。
これを読んでBC級裁判の難しさ、納得感の無さの根源が;日本が俘虜に関するジュネーブ条約を正式批准しておらず、「準用する」との回答にとどめたことで、将官を含めて兵士はほとんど内容を知らなかったこと;それを裁くに際して対象者を、命令者にするか執行者かが連合国側にもはっきりしなかったこと、がある。
また、裁判が現地で行われ、ある種の復讐劇であったことから拙速に行われ、事実確認がいい加減だったり、組織的な責任回避策を見抜けなかったりする例も多く、読んでいて辛くなる事件も決して少なくない。例えば、語学が出来、通訳を務めたゆえに現地の人や捕虜に名前を覚えられ、あたかも彼が命令者のように受け取られ処刑された例などは、その下級将校が実際にはそのいずれでもないだけに、やりきれない思いがする。
戦場の異常心理が引き起こす戦争犯罪は、常識では考えられないような残酷なものが多々見受けられるが、それがその国の歴史や思想(例えば“生きて虜囚の辱めを受けず”;これ自身本来の意味とは異なるらしい)、文化に根ざす面も強く、この本はある意味当時の日本・日本人を知る材料を提供しているともいえる。
4)ツーリスト
第二次世界大戦は半世紀以上前に終わり、冷戦構造も壊れた。スパイミステリーの舞台は政治テロや、経済犯罪に移ってきているが、対峙する組織が非対称形のため、今ひとつスケールが小さく、面白味や緊迫感を欠く。グレアム・グリーン(第三の男)、レン・デイトン(ベルリンの葬送)、ジョン・ル・カレ(寒い国から帰ってきたスパイ)今いずこ、と言う時代がここ10数年続き「もうこの分野は消えるのか?」と思っていたところに登場したよく出来たスパイ小説である。
登場する組織はCIAと国家安全保障省、それにKGBのOBや英国のM6とフランス情報部が絡む。冷戦の終結でCIAの予算は絞られ、一方で911同時多発テロ後設立された国家安全保障省が弱り目のCIAの縄張りに切り込んでくる。そんな時“ツーリスト”と呼ばれる一匹狼のCIA工作員達の周辺で不可解な事件が散発的に起こる。互いにその存在を知らされていないツーリストの一人が、テロ事件の殺し屋を追う過程でそれが一連の繋がりを持つのではないかと疑い、単独捜査を始める。事件の解明を望まない組織は彼に刺客を放つ。
舞台はスロベニアに発し、ヴェニス、テネシー、パリ、ニューヨーク、ベルリン、ジュネーブさらにニュージャージへ頻々と転じる。背景にある国際政治問題はスーダンの石油。主人公を翻弄する胡散臭い中国人やロシア人の脇役。そして長官からツーリストに至るCIA組織の複雑な構造。加えて謎に包まれた主人公の少年時代。これだけ縦横に錯綜した仕掛けを、読者を混乱させること無く最後まで文中に引き込む力量は、ワシントンポストや雑誌タイムの高い評価通りである。
5)ローマ人の物語(38,39,40)
何度かこの欄で紹介した長編。時代は紀元4世紀、もうローマ帝国の滅亡も近い。今回の3巻の副題は“キリストの勝利”。いよいよ司教(当時はまだ皇教ではない)が皇帝より上位の存在となるまでの話である。世襲を確かなものにするためには「神によって任じられた」とする必要があったのだ。
6)マンチュリアン・リポート
日本人流行作家のハードカバーなどここ数十年買ったことは無いし、浅田次郎の作品も読んだことは無い。今回は“マンチュリアン(満洲)”に惹かれて衝動買いした。主題は“張作霖爆殺事件”である。事件そのものは多くの出版物が既刊されており、特に目新しいものは無い。しかし、これは小説なので、北京をおさえながら「何故彼は皇帝を名乗らなかったか?」「何故(危険が待ちうける)奉天に帰ろうと思ったのか?」を解き明かすミステリー仕立てにしたところに、従来の出版物とは異なる特色がある。
主人公は二人(?)。一人は天皇を都合のいいように利用している陸軍上層部を批判した文書配布の罪で服役中の下級将校。もう一人は、擬人化された張作霖の乗る列車を牽引する蒸気機関車。下級将校の文書に共感をおぼえた天皇が、彼に爆殺事件の真相究明を特命し、彼の地から天皇宛に送られてくるのが“マンチュリアン・レポート”である。ミステリーとは言っても、核心は張作霖の心の内を探ることなので、いくら周辺の事実を積み上げても推論の域を脱しないので、その点では本格的ミステリーの緊迫感は無い。
むしろ個人的に面白かったのは第二の主人公、機関車の語りである。実はこの機関車は清朝末期の実力者、西太后に李鴻章が贈ったお召し列車の機関車なのである。英国製のこの機関車とそれに引かれる御料車の話は乗り物ファンの興味を惹かずにはおかない。この列車の試運転は製作地のスウィンドン(コッツウォルズに近い)からロンドンのパディントン駅に向けて行われ、パディントン駅では鉄道ファンのアルバート皇太子も見学に訪れたと言う。その際、御料車内部の見学を所望されたが、製作者は丁重にお断りをしたようだ。その理由はヴィクトリア女王の御料車とは比べものにならない豪華な仕立てだったからである。手すりや窓枠は真鍮ではなく金箔、絨緞は羊毛ではなく絹、ランプカバーは薄く削がれた水晶、テーブルや棚は大理石では無く一枚板の翡翠だったというのだ。
この列車は西太后が先祖の墓参りに奉天に行く時(1908年)一度使われただけで、長く北京駅近郊の車庫の中に保存され、次のお努めが四半世紀後の爆殺事件の時なのだ。満洲を語る書物ではこの爆殺事件は欠かせないので何度も目にしているが、あの列車がそんな由緒あるものと教えてくれた本は無かった。結局私にとってこの本の価値はこの点に尽きる。
(写真はクリックすると拡大します)
2010年10月1日金曜日
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