アテネからの便は多く、我々は少し早い便だったのでホテルに着いたのは昼前、部屋の準備が出来ていなとのこと。仕方なく二人でロビーのコーヒーハウスで軽く一杯やりながら、準備が整うのを待つことにした。この3年間の、互いの仕事を取り巻く環境変化や共通の知人の話などをしているなかで「日本人が少しハードワークのペースを緩めてくれれば、世界中がハッピーになるんだがな」と彼がつぶやいたことが記憶に残っている。いまや攻守は逆転し韓国企業の躍進が著しい。振り返ってみると、その転換点はどうもあの時期にあるように思えてならない。
ロードス島は2時と8時を長径とする楕円形の島。空港は短径の11時、中心街は2時の位置にある。学会の会場であり宿泊場所でもあるImperial Palace Hotelは、空港と市街地との中間点に在るリゾートホテル。部屋はかなり上階の海側、下に広がるビーチの先は青いエーゲ海、その遥か彼方にトルコの陸影が遠望できる。午後になるとESCAPEの参加者が続々と女性・子供を交えて到着する。ヨーロッパのヴァケーションにはチョッと早いが、大学は実質的に年度末を迎え自由な時間がとれる時期、家族を連れて一足早目の休みをエンジョイしようという魂胆なのだ。3時頃オープンした受付で登録をするとプログラムや参加者リストが渡される。それを見ると300名を超す参加者があることがわかる。さすがに英、仏、独それにホスト国ギリシャが多いが、ヨーロッパのほとんどの国を網羅している。ヨーロッパ以外ではアメリカが最も多く約30名、それに次ぐのが韓国の12名である。日本人の名前は東工大の仲勇治先生と三菱化学の名取さん、それに私の僅か3名であった。その他旧知のPSE人をリストの中に多数発見しその中にはジョージの名前もあった。何と、国際プログラム委員会委員長である。しかし、8時からプールサイドで開かれたウェルカムパ-ティーでこれらの人々に会うことは無かった(日本人二人は遅い到着だった)。
ESCAPEのプログラム構成は45分の招待講演が二つ、これは大広間で全体会議になる。その後は並列セッションでテーマ別の会場に別れて1時過ぎまで。昼食後5時まではシエスタ(昼寝時間だが観光に出かける人が多い)で、5時から8時まで並列セッションが続く。この他にポスターセッション(ポスター形式の発表を時間割無しで、関心のある人が集まると始める)もあり全体の発表数は200件程度になる。発表・ディスカッションは全て英語。資料は概ねその場で配られる。
招待講演は三日間で6件、5件が企業から、その内2件(三菱化学の名取さんの講演は当時水島工場で進められていた「21世紀のプラント」;初日のトップ。私は二日目の二番手)が日本で、当時のわが国製造業に対する世界の関心が高かったことをうかがわせる。しかし、並列セッションの大半は大学からの発表で、日本の学会同様細部(実験・数理・シミュレーション)の話が多く、PSEが袋小路(理論と現場の乖離)に入り込んでいると強く感じさせられたものである。
二日目の自分の講演は、時間ギリギリで終え質問は一件、今ひとつ納得のいくものではなかったが橋本先生に託された大任を果たすことができホッとした。その夜のフォーマル・ディナーをこんな気分で迎えることになる。
(つづく)
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