2010年11月18日木曜日

決断科学ノート-51(トップの意思決定と情報-11;経営者と数値・数理-3)

 化学工学会経営システム研究会のメンバーになってから四半世紀近くになる。発足時のメンバーは化学会社やエンジニアリング会社の取締役・部長が中心だった。その後多くのメンバーはさらに昇進し、新規事業や新製品開発に重要な役割を果たしてきた。経営者の決断と数理の関係を研究するには欠かせない、貴重な友人達である。今では引退し、現役時代の秘話を遠慮なく聞ける仲間に「ところでそれを決める時の数理の役割は如何?」と質すと、「数理なんか全く関係ない!引くにひけずやっている内に芽が出てきた」「顧客に請われ止むを得ず研究していたら、思わぬ展開をした」などと言う答えが大勢であった。“数理を今少し経営の意思決定に!”と念ずる者にとっては期待はずれの答えながら、経営とは意外とこんなものなのかと納得させられもした。とは言っても彼等も技術者、最初の立ち上げやその後の節目々々には数字を求め、それに基づく検討を行って、次のステップに進んでいる。そこには、結果は数字と大きく離れることになったものの、感性と数理のバランスがそれなり取れた判断の存在が見え隠れする。
 1980~90年代、東燃も新規事業開発(と言うより研究)に、熱に浮かされたように取り組んでいた。新エネルギー、新材料、バイオ、情報技術などがその対象だった。前回書いたように、東燃の投資案件は数理的なチェックが不可欠だったから、皆この手続きを踏んでいたはずである。TIGER構築の頃、新事業担当役員はNKHさん、この分野だけはどう意思決定が行われるのか、残念ながらその実態を垣間見る機会はなかった。
 ある時(確か1983年だったと思う)、珍しくNKHさん(当時常務)から私に呼び出しがかかった。直ぐに部屋に伺うと、数枚から成るレポートを手渡され「この中身を検討してコメントをくれ」と言う指示だった。その場でザーッと目を通すと、それはI社が販売しているプロセス制御用コンピュータシステムの国内販売予測データである。もともとこのシステムはE社とI社が共同開発、その後販売権がI社に移り全世界で商売を展開しているものである。東燃はこのシステムのわが国最初の導入者で、前年末から子会社を通じてその販売活動に協力していたものだ(私は実質的にその責任者だった)。NKHさんはこの資料が誰から渡され、何の目的でこれを検討せよと言ったのかは語らなかった。しかし、直感的に時々話題になる情報システム部門の分社化と関係するものだと思った。
 持ち帰った資料に記載された、適用業種別(石油・石油化学は当然のこと、鉄鋼、紙パルプ、電力・ガスなど)に算出された数字を見た第一印象は「何と楽観的な予測だろう!」と言うものだった。数日かけてその数字を精査し、私なりの見通しをまとめて報告に行った。オリジナルの数字の半分である。説明が終わると「そう言う分析が欲しかった」と言われ、この件はそれ以上進展しなかった。
 この体験から察するに、東燃の新規事業はNKHさんがどこかから入手した基ネタを、そのネタに近いスタッフ(主に研究所)に検討させ、その分析結果に基づいて断を下していたのではなかろうか?私の場合、与えられた課題は日常業務の延長線上にあったので、全く見当違いの数字を出す恐れは少なかった。しかし、先端新規事業では先の学会先輩諸氏が言うように、数値・数理による事業予測はほとんど不可能と言っていい。そこには段階的・多面的な数値(最終成否とは直接関係しない)チェック、つまり新しい投資評価基準と経験に培われた経営センスの組合せによる判断が必要だったはずである(形式的にこのようなステップを踏んでいたのかもしれないが、中断したプロジェクトは皆無だったように思う)。社運を賭した数々のプロジェクトに、どのような手順が踏まれたのか、そこにはどんな数値や数理が使われたのか、いまや知るすべもない。

 TIGER(東燃経営者情報システム)を材料に、11回にわたり“トップの意思決定と情報”について書いてきた。経営者に使ってもらえる(特に意思決定の場で)情報システムを実現したいと思う反面、情報システム以外の要素がここほど大きい分野はないと言うことも痛感した。1990年代後半からERP(Enterprise Resource Planning)と称する統合経営情報システムが導入されてきた。そこにある“経営ダッシュボード”と言う概念は、あたかも経営者がコックピットで計器を見ながら操縦するイメージを企業経営に持ち込もうとしている。しかし、パイロットは計器だけ見て飛んでいるわけではなく、そのデータを参考にしながら、自然環境や機の動きを直感的に判断し、経験に基づく将来予測をしながら操縦しているのだ。
 ERPの核は“結果データ”である(計画検討ツールもあるが)。これが生かされるのは自ら考え抜き、経営課題に対する仮説(論理的な因果関係)を作り出せる能力とそれを日々の行動に活かし、状況に応じて修正する環境対応力である。“数値・数理”を超えた経営センスを“それを基に”磨き上げていくようになれば、それが真の経営者情報システムといえるのだろう。
(トップの意思決定と情報;完)

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