16.長崎-4
ホテルモントレ―でランチを済ませ、外に出ると暑いくらいの陽気だ(ビールを飲んだせいもあるが)。保存工事中の旧英国領事館前を経て路面電車の築町(つきまち)停留所まで10分くらい歩くのだがこれが結構つらい。ここから1系統の赤迫(あかせこ)行きに乘る。この路線は出島などを経てJR長崎駅前を通り北に向かう線で、大波止通り(国道202・206号線)と言う長崎のメインストリートを走る路線、官庁や大学病院なども沿線に在るので、地元の乗客も多く観光客主体だった朝の5系統とは違い、完全に市民生活のための交通手段であることが分かる。築町を出てJR長崎駅、さらにJR浦上駅も過ぎてやっと平和公園の最寄り駅松山町に到着、20分くらいかかっている。
停留所を降りて東へ向かうと、やや上りの動く歩道があらわれ、その終点が平和公園への入口となる。遥か先に天と東に真っ直ぐ手を伸ばした平和祈念象が見え、そこへ向かう道の植え込みには花々が咲き緑に彩を添える。平日の午後とあって観光客はさほど多くないが、何組かの外国人カップルや小グループが祈念像の前で写真を撮ったり、説明書きに見入ったりして、ここが爆心中心地であること(厳密には数百メータ―南だが)を確認しているようである。
この辺りには沢山被爆の遺構(学校、刑務所、防空壕など)や記念施設(平和祈念館、永井隆記念館など)が在るのだが、あとのスケジュールも考え、有名どころだけでパスすることにする。
次に向かったのは浦上天主堂。祈念像の裏からショートカットの狭い道があり東へ傾斜している。こちら側の崖の上から谷を隔ててその特徴のある二本の鐘楼が望める。緑の山をバックにレンガ色が晴天下にまぶしく光っている。無論オリジナル(1914年完成)は原爆で崩壊、現在のものは1959年外観を模して完成し、その後増改築したものである。
祈念像、原爆資料館と並ぶランドマークゆえ、観光客も見かけるが、この日は高校生のグループが多く、どうやらカソリック系の学校の修学旅行のようだった。中を覗くとわりと質素だが近代的な造りで、正面のステンドグラスだけがカソリックの雰囲気を醸し出す唯一の存在だった。
ここを出ると商店が並ぶ通りを先ほど下りた松山町停留所の方に向かい、途中で道を確認して、この地の最後の訪問先、原爆資料館に向かう。浦上天主堂からは一旦下って、再び上りになるので、強い日差しの中で辛い行程。喉の渇きも堪える。
平和公園、天主堂と廻って一番混んでいたのはここだった。各種団体旅行、修学旅行の他に我々のような個人見学者も少なくない。中の展示は半世紀以上前(従って現在の様子は知らない)に訪れた広島の原爆記念館に比べ、規模は小さいが展示方法はジオラマ風、全体に暗く、こちらの方が視覚的な臨場感に富む。一方被爆者(死者を含む)の姿(写真)も広島に比べて抑制された感じで(ジオラマには人形は無かった)、冷静に被害状況を直視できた。戦争の悲惨さを伝えるのにどちらが効果的なのか?私はここの方が優れているように感じた。
外の暑さと館内見学の緊張感で喉はカラカラ、被爆者の苦しみを偲びつつ、カフェテリアでの冷たいレモンスカッシュで渇きを癒した。
(写真はクリックすると拡大します)
(次回;長崎;つづく)
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