2021年7月10日土曜日

活字中毒者の妄言-19


自炊-蔵書の電子化-

自炊、言うまでもなく「自分で炊事すること」だが、1990年代末から、全く別の意味で使われ出した。所有する書籍を電子化することである。私がそれを身近に知ったのはブログを立ち上げた2008年のことだった。ブログ開設を薦めてくれた友人(MTIさん)が自らのブログに蔵書電子化を連載投稿したことによる。この人はもともと外資系コンピュータ企業の営業マン、現役時代それほど新技術に飛びつくような人ではなかったが、引退後大変身、ブログ開設は言うに及ばず、PCiPhoneiPad、アップルウォッチをネットとクラウド環境下で駆使、健康管理からキャッシュレスまで、個人DXの最先端を行っている。また最近のことだが、大学の研究室仲間(MNG君)が自炊を開始、驚くべき利用法に挑戦中、今回は彼らからの見聞を中心に、自炊を語ってみたい。

本格的な蔵書家に比べれば大した量ではないが、私も蔵書の扱いには苦労している。第一に保存・処分、第二に、これが一番大きいのだが、情報を探す際、それがどの本だったのか、本のどこに記されているのか、がなかなか見つからないことである。情報をディジタル化することでそれが容易になることは30年ほど前に野口悠紀雄「超整理法」を読んで知り、一部の情報はWordExcelの保存・検索機能を活用しているが、ピンポイントで書物の内容にまで行き着くことは出来ない。「確かあの本に書いてあったはずだ」が出発点となり、Excel化した図書カードで題名・著者・キーワード・読了時期を確認、一応分野別に収められた書棚を漁って目当ての本を探し出す、本が見つかると書き込み・赤線・付箋を頼りに目指す情報のありかを探っていく。下手をすると全頁を繰ることさえ生じ、生産性の悪いことおびただしい。もし全蔵書が電子化されていたらとの思いにしばしば駆られるが、あれこれ考えると、なかなか踏み切れない。



自炊の手順を大まかに辿ると以下のようになる。
1)本を綴じ代のところで切断する(やり方によって切断しなくても可能だが、切断が多い。このための専用カッターがある)→2)切断した本をコンピュータに読み取らせる(頁を繰って表裏をフィードし読み取らせるスキャナーがある)→3)読みこんだページを電子本として編集する(文字のディジタル化→本としての体裁を整える→書籍分類;専用ソフトがある)→電子化された本を保存する(量が多かったり、どこでも利用したいときにはクラウド環境が良い。無料クラウドでは容量が足りなくなる)→4)必要な時にPCや携帯端末に呼びだす。別の方法として、電子化を請け負う企業に本を送りUSBやダウンロードで受け取ることも可能だが、新刊書を買い直すくらいコストがかかるケースや著作権問題もあるから要注意だ。

メリットは先に挙げたような情報検索の容易性、保存問題の解消、どこでも端末さえあれば読める、字のサイズを変えられるなど多々あるが、乗り越えなければならないハードルもまた多い。先ず、長く愛蔵してきた本を切断し破棄する行為に耐えられるか?と言う精神的な問題がある。次は要する設備投資と手間暇、専用機器に関してはレンタルや中古機の調達と言う手段もあるが、手間は相当かかりそうで長期戦になる。最後は、そこまでやってメリットを真に享受できるかがある。更にその後の問題として、これから読む本をどうするかも悩ましい。読みたい本の大半が電子本として提供されるならいいが、求めた本をその都度切断・電子化・破棄する読書スタイルにはどうも馴染めそうにない。

では先人の二人はどうか?両氏とも本件に関し直に話をしたことはなく、あくいまでもブログやフェースブック(FB)への投稿あるいはメール交換から推察する域だが以下の通りである。

MTIさんの場合;比較的洋書ペーパーバックの冒険小説やミステリーが多いように見受けた。また「ゴルゴ13」のよぅな劇画もあり、私もこれを覗くチャンスをもった。電子化の動機は蔵書処分と言う面が強かったようだが、趣味のダイヴィングで海外に出かけることも多く、そんな時電子化が便利なことも理由として挙げている。仏教美術鑑賞にも関心が高く、今でもブログの記事はこの方面が多いことから、それらに関する書籍も保有していたと思われるが、リアルな本棚に最後に残ったのは父上の形見とも言える土門拳の写真集「古寺巡礼」だけとあったから、他はすべて処分したのだろう。きれいさっぱり本が消えた本棚と電子書棚の画面からその徹底ぶりが窺えた。ただ自炊に限らず生活のすべてを電子化(個人DX推進)するためクラウドを基本に自家システムを構築、海外の安価なところを探して利用していたが、その会社が他社に買収され、切り替えで苦労があったことがブログに記されていた。

MNG君の場合;もともと制御システムメーカーのソフトウェア事業統括者を務めたその道のヴェテラン、1990年代マレーシアに赴任する際は新潮文庫を満載した「電子文庫」を持参するほどの先駆者、今でもネット碁や地域のPC利用指導などでその経験を生かしている。中古のワークステーションまで調達して家内ネットワークも運用している桁違いのICT利用者である。専用カッターや読取り機はオークションで中古機を求め、数年前から自炊に励んでいる。FBで知る彼の蔵書は、囲碁・旅行(「地球の歩き方」)・歴史・科学(「ブルーバックス」など)と多彩で、どうやら整理の悪い古書店の様相を呈していたようだ。「溢れる書物を処分したい」との動機から自炊に踏み切ったことは他者と同様である。ただ、「電子化したが再び読むことがあるだろうか?」としばしば自問していることや古書店から全集などを依然取り寄せていることから、MTIさんほど徹底した電子化は感じられず、高度ディジタル技術マニアの“病膏肓に入る”状態ではなかろうかと勘繰っている。しかし、さすが高度マニア、驚くべき利用法に挑戦しているのだ。それはディジタル化した文書情報を音声で再現することである。再生完成度は今一つのようだが、就寝時にこれをかけ、いつの間にか寝入ると言うのだから驚く。既にオーディオブック(iPad+Kindleアプリ+書籍)が出ているものの、好みの本がすべてそろっているわけではない(本を再度求める必要がある)。やがて介護を受ける身を想定すると、これは使えそうな気がする。

さて、私はどうするか?これが問題だ!

 

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