わが国の自動車産業、特に乗用車(スポーツカーを含む)の将来に不安を感じ出して久しい。その因は、メーカーの経営戦略、諸自動車行政にあるが、加えて自動車ジャーナリズムにも問題がある。これから数回ここをテーマに論じてみたい。
半世紀前自動車好きの学生だった頃、二つの自動車雑誌があった。一つは「モーターファン」、もう一つは「モーターマガジン」である。前者の創刊は戦前、それも1925年である。戦争中は休刊しているが、早くも戦後二年目の1947年には復刊している。オートバイからトラックまで、技術解説、試乗記、加えて大量の広告や中古車情報など、自動車なんでもありの、分厚いてんこ盛りの雑誌だった。それに比べるとモーターマガジンは1955年創刊、グラビアが多く、乗用車中心に外国車の紹介なども載せていた。当時は少なかった乗用車オーナーの家庭に育った親友に見せられ、その垢抜けた感じに印象付けられた。
まだまだクルマの個人所有は高嶺の花、この時代の記事には、ジャーナリズムに欠かせない“評論(批判)”はほとんど無かった。
まだまだクルマの個人所有は高嶺の花、この時代の記事には、ジャーナリズムに欠かせない“評論(批判)”はほとんど無かった。
1962年(就職の年)「CARグラフィック(CG)」が創刊された。それまでの自動車雑誌と異なり、所有者・運転者の視点で車を取り上げ、創刊に携わった小林章太郎らの優れた評価レポートが売りものだった。国際的なレースや海外自動車ショウの紹介は国外に目を向ける機会を提供し、その点でも時代を画する出版物と言えた。またその名の通り美しい写真が多く(従って高価)、マイカー時代を先取りする革新的な位置を占め、その後のわが国自動車ジャーナリズムの手本となって行く。ただ、次回書くようにネガティブな面での影響も決して少なくない。
就職してから定期的に購読していた自動車雑誌は、モーターマガジン社が発行していた「Auto
Sports」、それに米国の自動車雑誌「Road &
Track」である。モータースポーツの黎明期、鈴鹿や富士スピードウェイで行われる各種レースは、やっとマイカー(中古車)を手にした私にとって、“次”を夢見る材料を与えてくれた。
海外旅行と海外高級スポーツカーは夢のまた夢であった時代、Road & Trackはそれを垣間見るチャンスを与えてくれた。特に印象的だったのは、最新のスポーツカーやクーペを駆って米国内を長距離ドライブする記事で、“運転の楽しみ”を教えてくれた。四国へ。山陰へ、能登へと走ったのはこの影響である。この雑誌は長い歴史があるが未だに命脈を保っている。
再び自動車雑誌を手にするのは1996年から。CGと同じ出版社が出す「NAVI」である。この雑誌に惹かれたのは、ほとんどがグラビアで記事に自動車ハード以外の情報(ファッション、建築・家具、芸術、料理など)が多いことだった。“自動車文化”雑誌と呼んでもいいかもしれない作りだったからである。それから数年後NAVIの隣に「ENGINE(新潮社)」と言う雑誌が並んでいた。一瞬コピーかと思うほど作りが似ている。よく見るとNAVIの企画段階から携わり、長くその編集長だった鈴木正文がENGINEの編集長になっていた。あとで知るとNAVIの編集方針を巡り何か論争があったようで、鈴木が退社、彼の目指す新しい雑誌としてENGINEが立ち上げられたのだ。
この間雑誌ではないが、自動車ジャーナリズムの歴史に残る本が出版される。1976年から毎年発行された「間違いだらけの自動車選び」である。ほとんどの国産乗用車を網羅し、徳大寺有恒の切れ味のいい評価が、30年に及ぶロングセラーを可能にした。
かつて書店の自動車コーナーは立ち読みで近づけないほど混雑していたが、今はそれほどでもない。NAVIは2010年4月号をもって休刊(事実上廃刊)。鈴木も昨年末でENGINEの編集者を降りた(多分定年)。自動車ジャーナリズムに変化の兆しがみえている。
(次回;コンテンツ)
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