2012年4月1日日曜日

今月の本棚-43(2012年3月分)




<今月読んだ本>
1)ナチを欺いた死体(ベン・マキンタイアー);中央公論新社
2)54千円でアジア大横断(下川裕治):新潮社(文庫)
3)万里の長城は月から見えるの?(武田雅哉);講談社
4)英国の庭園(岩切正介);法政大学出版局
5)脱出空域(トマス・W・ヤング); 早川書房(文庫)

<愚評昧説>
1)ナチを欺いた死体
“英国人が真剣にやるのは戦争と道楽だけ”、 先月の「スエズ運河を消せ」で用いた格言を再び使うことで本書の紹介を始めたい。奇策で戦うところが同じなだけでなく、(主人公ではないが)登場人物に重なりもあるのだ。そして20096月の本欄で取り上げた「ナチが愛した二重スパイ」の書き出し“事実は小説より奇なり”もまたこの本の内容に相応しい言葉だろう。ちらほら見え隠れするスパイに見覚えがあるばかりではなく、著者が同じなのだ。
ヨーロッパ戦線における連合軍による大陸反攻作戦は、ノルマンディ上陸作戦(19446月)がよく知られている。しかしそれに先立つ194310月のシシリー島上陸作戦(ハスキー作戦)こそその先駆けであったのだ。バルカン半島から南仏にいたる地中海沿岸を“ヨーロッパの柔らかな下腹部”と見た連合軍は種々の上陸作戦を検討していた。北アフリカを抑えたあとのこの方面の上陸地点として、シシリーは本命中の本命だった(単なる橋頭堡としてばかりではなく、イタリアの戦線離脱を含め)。それは枢軸軍(と言っても実質ドイツ軍)にとっても同じであったに違いない。何とか敵の主力集中を防げないか?こうして始まるのが本書の主題“ミンスミート(ドライフルーツの洋酒漬けあるいは挽肉)作戦”である。
1943430日スペイン南部大西洋に面する漁村ブンタ・ウンブリア沖でイワシ魚をしていた漁民がトレンチコートを着た英国空軍将校の死体を引き上げる。トレンチコートにはカバンがくくり付けられていた。当時のスペインは一応中立の立場をとっていたが、フランコ政権は独伊の支援で成立したこともあり、親独的な色彩が強い。カバンの中の機密作戦情報がドイツの手に渡るのは確実だ(独マドリッド大使館員300余名の内約200名が情報将校!)。
イギリスが考え出した欺瞞作戦。その中心人物は英ユダヤ人社会の名家出身で辣腕弁護士の海軍情報士官(ユーイン・モンタギュー)とオックスフォードで地理学を専攻した空軍情報士官(チャールズ・チャムリー)、それに死体として国に貢献することになる行倒れ男の三人だ。
死体や戦利品が機密情報を持ち、それが敵を欺いた例はこれが初めてではない(例えばトロイの馬)。ドイツ軍の諜報活動の裏をかくためには、練りに練った周到なトリックが必要だ。(航空事故を想定した)死体の身元が割れないためにはその入手先(きちんとした家庭出身者はこんなことに使えない;肉親不明が条件)、軍籍、名前から恋人の存在、遭難前の行動(財布の中の領収書など)まで、味方からも疑われない準備・処理が行われる(件の海軍情報士官とその若い女性スタッフがそれぞれの役割を分担して何度もラブレターを交換するうちに妙な関係に進んでいく!)。死体が発見されなければ全く意味が無い。潜水艦で漁村近くまで運ぶのだが(一部士官以外の)乗組員にも知られたくない。死体収納特別容器の中身は “自動気象送信装置”と偽って艦内に納められる。死体がすんなり英国に返還されても作戦は不成功である。カバンの中身が確かめられてから引き取れるよう、外交も巧妙に展開しなければならない。作戦内容も正式な命令書よりは私信に情報をそれとなく書くほうが良い。筆跡を残すためマウントバッテン卿やモントゴメリー将軍まで利用してしまう。ここまでやるのか!の連続である。
まんまとこの作戦にかかったドイツは、ドーバーとシシリーに備え、フランスに温存していた装甲軍をギリシャに回す。欺瞞作戦の公式戦史はこの作戦を「大戦全体でおそらく最も成功した独立の欺瞞作戦」と評価している。
この話は1950年代モンタギューが許可を得て出版、大ベストセラー(初版3百万部)となり映画化もされたし(本人も出演)、これを材料に使った軍事サスペンス小説も書かれている。しかし原著の内容は当時の国際情勢と国の意向を忖度して、かなり事実とは違ったもののようだ。今回英国を代表するノンフィクション作家によって、未知の情報(特にドイツ側や作戦関係者周辺)が集められ、作戦自体とそれに関わる個人から国家の動きまでが正されたと言える(モンタギューの弟がソ連のスパイで、ソ連はハスキー作戦を正確につかんでいたことなどがその例)。

2)54千円でアジア大横断
1月の本欄で紹介した「世界最悪の鉄道旅行」が面白かったので、同じ著者の本をまとめて購入した。その中の一冊である。前回が鉄道であったのに対して、今度はバスである。実施時期は2006年、道筋は東京から出発し日韓(博多→釜山)と韓中(仁川→丹東;北朝鮮国境)間はフェリーを使ってタイ・ミャンマー国境まで。ミャンマーは外国人に開放されていないので、一度帰国して空路インドに入り、バングラディッシュでできるだけミャンマーに近づいて反転、西へ向かいインド、パキスタン、イランを経て、トルコのイスタンブールに至る。
このルートは、陸路ヨーロッパに向かうわが国バックパッカーの古典的バイブルとも言える、沢木耕太郎の「深夜特急」と重なる。大きく違うのは二点、あの当時は中国が開放されておらず、香港・マカオが出発点で後はマレー半島を南下シンガポールで一度切れ、次の出発点はインドからになる。第二点は、そしてこれが最も異なる点だが、沢木の場合は一ヶ所に比較的長く滞在してその土地の人や社会を深耕するところに面白味がある。一方下川は、売りでもある“乗物(今回はバス)”を主題にストーリーを組み立てる。私の興味はかなり乗物に比重がかかるので、バランスはこちらの方が良い。それでも単なる乗物マニアの書き物と違い、道程や駅周辺の風物、車内の人々の動きを通して鋭く社会観察を行っているので、旅の深みが伝わってくる。
例えば、大阪から博多まで極安深夜バスを利用するのだが、何か車内の雰囲気が刺々しい(迷惑行為の注意などが事細かに告げられる。乗客の交流は全く無い)。それに引きかえ、南アジアを走るバス(主に長距離路線バス)は車両も混雑も酷いものだが、人々には他人と共存することを楽しむ風がある。この理由を、他に選択肢(空路、新幹線、デラックス寝台バス等)があるのに、この極安バスに乗らざるを得なかった差別感に求め、貧富の差はあっても選択肢の無い南アジアのそれと比較して、分析していくところなどにうかがうことができる。
著者は既に50歳を超えている。しかし、そのタフネスに驚かされる。どの土地でも次のバスがどうなるかは分からない。着いたら直ぐ次を探し、できるだけ前へ進もうとする。結果車内泊3泊、4泊が頻繁に起こる。それも豪華バスではなく、路線バスやマイクロバスなどの中で寝るのだ。時には腹痛や風邪にも罹る。空路と違い陸路の通関手続きも出たとこ勝負が多い。英語とタイ語は達者なようだが、その他の言葉は通じない中で、とにかく何とかしてしまう。だからこそ、お国柄、お人柄が読む者に伝わってくるのだ。
54千円”はバス代とフェリー代だけ(東京-博多:18百円を含む)。日数は27日間。2000円/日である。宿泊や飲食は含まれていないが、これもほとんど現地の中以下のクラス。
来月分(再び鉄道物)も読み始めています。

3)万里の長城は月から見えるの?
アポロ11号の月面着陸の後「月から万里の長城が見える」と宇宙飛行士が言った、と言う話を何かの機会に聞いた。その時はその信憑性を確かめることまで思い至らず、それを信じていた。2003年中国初の宇宙飛行士が地球周回飛行を行い、着陸後のインタヴューで「万里の長城は見えなかった」と答え、彼の地でチョッとした騒ぎが起こっていることをニュースで知らされたが、更なる興味を覚えることは無かった。これは自然科学の中で、天文学や宇宙物理にほとんど関心がないことと中国を訪問する機会も無く、親しい知人も皆無だったことに依るのだろう。
2004年仕事で北京に出かけ、八達嶺(北京郊外北)の長城を訪れる機会を得、その威容に圧倒された。以後宇宙はともかく“長城”への関心はいや増すばかりである。そこへ出たのがこの本である。
著者は中国文学の研究者(北海道大学教授)。中国留学もしているし、留学生の受入も継続してあるようだ。従って、切り口は技術的であるよりも、歴史的・社会的なものである。とは言っても導入部では簡単に数学的・生理的な解説(他の人が行った結果)が行われるので、その面の検証もきっちり行われる。つまり「月面から、肉眼で、見えるはずはない」のである。では何故こんな話が広く流布され信じられてきたのか(特に現代中国において)?これが本書のテーマである。
自国の宇宙飛行士による「長城は見えなかった」発言は、先ず教育界に大論争を巻き起こす。愛国心醸成に熱心な中国では、小学校の教科書に「アメリカの宇宙飛行士も月から見ることの出来た、偉大な人工構造物」として紹介され、民族・国家の誇りとして長く教えられてきたのだった。教育の現場で、学会で、政治指導者たちの世界でその真否、記載内容の扱いに侃々諤々の議論が戦わされる。結果、この話は教材から消えるのだが、それでも「月からはともかく、地球周回宇宙船からは見える」「物理的条件が整えば見える可能性はある」など“見える”説はしぶとく生き残っている。何故中国・中国人はこのことにこだわるのだろう?
話は中国の歴史、特に長城を巡るそれに遡る。中国人自身のなかではどうか。ヨーロッパ人が中国と往来を始めてからはどうか。日本人は。著者の研究領域に近いところから「月から見える長城」がだんだん具体化してくる。例えば、19世紀の英国旅行家ジャーナリストが『極東の人びとと政治』の中で「・・・長城は、月から見ることのできる地球上で唯一の人間の手になる建造物であるという評判を享受している」と紹介していたり、多分これに影響されたのだろう、1904年岡倉天心が『日本の目覚め』の黄禍論反論文中で「・・・長城は月から見えるほどの長さをもつ地球上唯一の建造物といわれるが、この長さこそ、「黄禍論」」などありえないことを示す、巨大な歴史的証拠である」と書き残している。つまり、“月から見える”説は早くに西欧で生まれ、中国文明を誇大表現する言葉として流布されていたのだ。これに加えて、中国人のお国自慢好き、共産中国の国威発揚政策が重なり「“宇宙飛行士”が見た」と転じてしまったのが真相なのである。
見える・見えないを歴史的に辿ったあと、これを巡る人々の動きを追うところも面白い。巧みに自説を変説させる高名な学者の姿や現場教員の苦労話などに、現代中国社会の一面をうかがうこともできる。
“研究者”ゆえか、歴史的解説(前半)では引用が極めて多い(注・参考文献だけで40頁/270頁)。まるで引用をつないでいるような構成で読みにくいのが惜しい。

4)英国の庭園
2007年渡英する前に知人からいただいた本である。その時は写真や庭園プロット図を中心に、興味のあるところだけ拾い読みした程度で、厚く重いこともあり、英国行きには帯同せず、書架に置いたままになっていた。今回読んでみて、行く前に確り読んでおくべきだったし、持って行くべきだったと反省している。
内容は“英国庭園変遷史兼ガイドブック”である。紹介されているのは30余の名園で、いずれも王侯・貴族や郷士(ジェントリー)の邸宅の庭である。それらの歴史的変遷を17世紀以降現代まで6章に分けて構成している。チョッと救われたのは、17世紀を残す庭園として、本書の二番目に登場するレヴァンス・ホール(居住していたランカスターの直ぐ北に在るマナー;大邸宅)と最後を飾る現代(と言っても20世紀初頭)の代表庭園、ブレニム宮殿(オックスフォードの西;チャーチルの生家)を見ていたことである。
イングリッシュガーデンはわが国でも大変人気がある。昨年の道東ドライブでも何ヶ所かそれを売り物にしているところを訪れた。一言で言うと“自然風庭園”である。ただこの自然風は、庶民(英国の中産階級)のバックヤード(内庭)をそのように仕立てたものの延長線で、ここに取り上げられるものとはかなり異なる。無論優れた小庭園が全く無いわけではないが、ほとんどは何百・何千エーカーと言う大規模なものばかりである。放牧地や遥か先の森まで含めて鑑賞するような“景観庭園”が代表的な“英国庭園”なのだ。
ヨーロッパ文化の辺境であった英国が、この景観庭園を生み出すには、それなりの歴史があった。ローマ帝国の皇帝・貴族の別荘の庭、高低差をテラス・階段・カスケード(段々滝)・彫像などで飾るイタリア庭園。見事な対称幾何学模様で構成し、樹木もそのように整えるフランス庭園。平地しかなくそこを花々で飾るオランダ庭園。最初はこれらの模倣から始まるが、やがて自然環境との共棲を目指す、独自の英国庭園へと発展してきたのだ。
景観庭園のモデルはルネッサンス以降の宗教画にある。天使が舞い、女神たちが集う絵の背景に明るい野山が描かれている。それを庭園として実現するのだ。それも見方を変えると何枚もの絵が連続するようにである。景観を作るためには領地内の村まで移動し、その維持に数十人の庭師が常傭される。庭にも流行がある。一旦作り上げたものを、時間をかけて変えていく。何十年も何代も、莫大な費用と時間をかけながらそれを続けるのだから大変だ。
個人がこれを維持できる時代はとうに過ぎ去っている(一部個人所有はあるが)。ここに紹介される庭園の大部分は、現在ナショナルトラストなど支援組織の所有となり、復元・維持が行われている。
著者はドイツ文学を修めた人だがインターカルチャー(文化交流?)を専門にしている(横浜国大教授)。果たしてこの庭園研究が本業なのかどうかは分からないが、英国のみならず、フランス、イタリアなどの庭園も現地調査しており、単なるガイドブックの域を超えて“西洋庭園学入門”の趣きもある奥の深い本だった。

5)脱出空域
冷戦構造崩壊後を舞台にした軍事サスペンスには、今ひとつ、積極的に読みたい意欲がわいてこない。国家対教条集団、正規軍対ゲリラ、政治経済対宗教、ハイテック対肉弾など非対称戦争は、ゴールが見えず、陰惨さばかりがクロ-ズアップするからだろう。どちらかと言うと殺人小説に近くなってしまうのだ。米空軍とアフガンテロの対決と言う典型的な最近の軍事サスペンスながら、この本を手に取ったのは、舞台が年代物(ヴェトナム戦争で使われた)の超大型軍用輸送機、C-5ギャラクシーであったからだ。飛行機のトラブルとそれへの対応は“技術小説”として大いに楽しめる可能性がある。そして、この本はその期待に応えてくれた。
アフガン警察の訓練所が自爆テロに襲われ、多数の死者・重傷者が出る。この重傷者をドイツに在る米軍の最先端医療センターに移送する。機内には医師や看護兵が乗り込み、飛行中も最低限の治療が行える、空飛ぶ救急病棟に変じている。しかし、機内のどこかに着陸の衝撃と低高度になると起爆する爆弾が仕掛けられていることが通告される。点検するとそれが圧力隔壁の外側、垂直尾翼の取り付け部にあることが分かるが、そこには爆弾以外に得体の知れないものもある。炭疽菌か?これを報告するとドイツは着陸を許可しない。やむなくスペインへ、さらにモロッコへついには核実験で今は無人島となった太平洋のジョンストン島へ向かわされる。3回の空中給油、経験したことの無い長時間飛行で老朽機の各部で起こる故障・性能低下、落雷と雹による通信システムの破損、火山の噴煙やハリケーンの影響とその回避、次から次へと起こる災厄をかわしながら、尾翼部の爆弾除去を行うのだが、そこは圧力隔壁の外、酸素ボンベを携行しての作業は遅々としてはかどらない。隔壁内外を行き来するために機内圧力を大幅に変化させなければならない。それによる患者の異変。4基あるエンジンの内2基は停止し、その1基からは炎も上がり始める・・・・。
そんな中で、ナビゲーター(航空士)出身の機長、士官学校を出て間もない副操縦士、湾岸戦争も体験したベテラン機関士(下士官)が難関を越すごとに信頼関係を強め、それぞれの任務を果たし、チームとして機能していく。
著者も軍用輸送機の航空士出身。臨場感のあるストーリ展開はもっともである。読んでいてクタクタになったが、大いに楽しんだ。
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