2010年12月8日水曜日

黒部・飛騨を駆ける-3(宇奈月温泉・黒部渓谷)

 実は宇奈月温泉・黒部渓谷はこれで3回目になる。1989年、北陸電力本社で経営情報システム関係の研究会があった時が初回、2回目はその数年後黒部市のYKKで講演をした後である。いずれも夕刻着いて宴会、翌朝トロッコに乗って欅平まで往復した。それから20年近く経っているが、チョッと寂し気な街の佇まいはそれほど変わっていなかった。“寂し気”と表現したが“衰退した”と言う意味ではない。温泉地につきものの享楽的な雰囲気が無いのだ。良いことなのである。その主因は、観光客の目的が温泉以上にトロッコにあるからなのだと思う。皆長閑なトロッコの旅の背後に在る、壮絶な血と涙と汗にまみれた物語を想像しながらここに居るからに違いない。
 この日の宿泊先は「延楽」という、今回の旅で唯一の日本旅館である。とは言っても高層のコンクリート建て、黒部渓谷に面して並ぶ他のホテルと違いは無い。インターネットで種々の条件を入れて当たっているうちに、偶々宿泊プランの食事が「これなら良いかな?(年寄りにとって、種類・量が多過ぎないと感じた)」と思い決めた所である。部屋は和室で広さは充分、渓谷に面しているので景色も申し分ない。案内された時、渓の向かいの木々が一部紅葉してように見えたので「ここはもう紅葉が始まっているんですね?」と言ったところ、仲居さんが「いえ、今年の夏はこちらも猛暑で、害虫が大発生しそれで枯れた木が多いのです」とのこと。しかし、聞かなかったことにすれば、暮れなずむ中枯葉も紅葉も大差ないので悪い景観ではない。川原には大きな石がごろごろしている。その上を何かが動き回っている。よく見るとそれは猿だった。
 大浴場は同じように渓谷に面している。薄暮の山々を見ながら浸かっていると長丁場のドライブ疲れが次第に癒されていった。露天風呂は階が違うのでチョッと面倒だ。翌早朝出かけることにしよう。
 夕食はインターネットで調べた時、二つの選択肢があった。一つは当地の名物「白えびづくし」もう一つは「地場の食材を使った会席料理」である。白えびに惹かれるものがあったが、残念ながら甲穀類の殻にアレルギーのある私には選ぶわけにはいかない。富山湾の魚介類と富山牛の会席を堪能した。この料理にも僅かだが白えび料理(吸い物)があり、恐る恐る賞味してみたが、幸い何も起こらなかった。
 翌朝天気は曇り。9時発のトロッコに乗った。大正13年(1924年)黒部川の電源開発用に着手、昭和12年(1937年)欅平まで開通したものだ(20.1km)。この列車は団体客が多いと聞いていたので、席が取れるかどうか心配だったが何とかなった。昔の記憶でどちら側かが渓谷、反対が側は山肌なので席の選択が観光の楽しみを決めることは頭にあったが、正確には覚えていない。大勢の人の流れの中で進行方向右側に席を占めることになった。当たりだった。オレンジ色のミニ電気機関車に牽かれた、遊園地の乗り物と大差ない感じの車両の席は一列4人掛け、外気に晒されながら、断崖に張り付いて進むスリリングな小旅行が始まった。トンネルや洞門がいたるところにある。手を延ばせば壁に触れることが出来るほど近い。最初に現れるダムは出し平ダム、この水を利用する発電所は遥か下流にある。次に対岸に見えてくるのは黒部第2発電所。山は紅葉しているように見えるが一部は例の害虫による被害らしい。ふと下を見ると川原を整備する超大型ダンプやパワーシャベルが見える。どうやってここまで運び込んだのだろう。こんなことが気になりだした頃、渓谷はさらに狭く急傾斜になっていく。間もなく終点の欅平だ。
 欅平はその名の通り比較的平なので、さらに奥地の黒三・黒四開発の基地だった所だ。そこへつながるトロッコもあるのだがこれは一般開放されていない。さして広くない駅前広場(というよりテラス)は観光客でいっぱい。丁度きのこ祭りが行われており、無料できのこ汁が振舞われ、1時間を超える吹きさらしで冷え切った身体を温めてくれる。
 幸い晴れてきたので近くの奥鐘橋まで散策し、11時04分発の列車で戻った。帰りは追加料金360円を払い特別車両(窓ガラスがあり、車内は暖房されている)に乗り、うつらうつらしながら12時02分宇奈月駅到着。駅の食堂でうどんと富山名物鱒の押し寿司のセットを食した。
(次回;五箇山・白川郷)
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