<今月読んだ本>
1)揚陸艦艇入門(大内建二);光人社(文庫)
2)アメリカは日本経済の復活を知っている(浜田宏一);講談社
3)ドイツものしり紀行(紅山雪夫);新潮社(文庫)
4)中国人民解放軍の内幕(富坂聡);文芸春秋社(新書)
5)In Command of History(David Reynolds);Random House
<愚評昧説>
1)揚陸艦艇入門
兵器が呱々の声を上げ、それが戦略兵器に成長するまでの過程を調べることを長く続けている。特に、飛行機・戦車・潜水艦の発達はその運用方法も含めて、ITを経営に役立てるためのヒントを数多く与えてくれた。中でも第2次世界大戦における米・英・ソ・独のこれら軍事システムには学ぶところ大であった。それに反して日本に関しては、海軍における機動部隊を除くと、兵器単独でもシステムとしても世界に誇れるものがほとんど無い、とこの本を読むまで思っていた。ところが機械技術力では全く評価していなかった日本陸軍に、優れた発想の兵器があったことを知らされた。上陸用舟艇である。
この本の題目に“艦艇”とあるとこらから専らハードウェア中心の解説書と思い手に取ったが、内容は“渡洋兵員輸送システム”と言う運用システム(ソフトウェア)を含む視点から書かれており、思わぬ収穫があった。そして、優れた発想から作り出された世界初の本格的上陸用舟艇(大発)が、上位・関連システムの未整備ゆえに本来の力を発揮できぬまま中途半端な使われ方に終わったことも教えられることになる。日本軍から多くを学びより高度なシステムを実現し、それで圧し捲ってきたのは、機動部隊同様米軍であった。
海から陸を攻める発想は海洋国家から芽生える。近代戦の上陸作戦として有名なのは第一次世界大戦におけるダーダネルス海峡に面したガリポリ半島への英仏軍の攻撃である。この時は輸送船からカッターに乗り移った兵士が手漕ぎで敵前上陸を行った。待ち構えるトルコ軍に徹底的に叩かれ大損害を出して、早々に撤退することになる(この作戦は当時英国海相だったチャーチルが起案したもので、この失敗が第2次世界大戦における上陸作戦にトラウマとなって彼に付きまとうのは、本欄5)In Command of Historyにしばしば援用される)。英国はこれに懲りてハシケ改良型の舟艇を試みるが、機動力に劣り実用化には至らない。
それに対して日本陸軍は大きさの異なる二つのタイプの、船の前方が上陸時に前に倒れ渡り板となる舟艇を試作する。小発(小発動艇)、大発(大発動艇)がそれで、完成はそれぞれ1924年、1928年である。実戦への投入は1932年の上海事変、揚子江河口河岸に陸軍部隊を成功裏に上陸させている。この作戦は当時中立国だった米国が写真を撮るなど確り観察・調査しており、その後の米軍上陸用舟艇(1938年開発開始)は、細部は異なるものの明らかにこれから学んだことが窺える。
大発・小発は太平洋戦争ではマレー半島(コタバル)上陸作戦などに使われ威力を発揮している。しかし、激戦地ガダルカナルでは、全体輸送システムとしての欠陥が露になる。例えば、浜辺に兵器や物資を陸揚げするまではいいのだが、未整地をジャングルまで迅速に荷物を移動させる手段が全く考えられておらず、野天に曝された貴重な機材を空爆で失ってしまうことが頻発する。
大発・小発は太平洋戦争ではマレー半島(コタバル)上陸作戦などに使われ威力を発揮している。しかし、激戦地ガダルカナルでは、全体輸送システムとしての欠陥が露になる。例えば、浜辺に兵器や物資を陸揚げするまではいいのだが、未整地をジャングルまで迅速に荷物を移動させる手段が全く考えられておらず、野天に曝された貴重な機材を空爆で失ってしまうことが頻発する。
システム的な発想が全く無かったわけではない。これら舟艇の運用は当初貨物船に兵員と伴に搭載し、デリック(クレーン)で海面に下す方式からスタートするのだが(上海、コタバルはこの方式のまま)、それでは時間がかかることから、上海作戦の後、艦内格納甲板にこれを収納、兵員を舟艇に乗せてから船尾海面部へ向けて送り出す方式の、舟艇母艦(外形は一見貨客船のように見える)、神州丸を開発している(竣工1935年、総トン数8100、兵員2800名(最大)、大発30隻、小発20隻搭載)。この船の存在は極秘で、ロイド船舶名簿にも登録されず戦後まで国民には知らされなかったようだ。同型船が11隻建造されているが、到底これだけでは間に合わず、多く作戦は徴用貨物船で実施され、それが種々の問題を起す。
貨物船は本来大勢の人間を乗せるように作られてはいない。給食・就寝・排泄・照明・換気・船内移動どれをとっても仮設で間に合わせなければならない。ハッチの上は何段にも大発・小発が積み上げられ、航海中兵士は原則として甲板に出ることすら許されない。基地近くの港湾から作戦地まで、遠距離を劣悪な条件下で運ばれる。戦意は低下するし、潜水艦攻撃の犠牲者が桁違いに多いのもそのせいである。これに対して米軍は客船あるいは貨客船で作戦地近くの基地まで運ばれ、ここで現地に慣れるためにしばらく留まり、数日の航海で上陸作戦を行う。船速の違い(客船は軍艦より速い)、制海・制空権を握っていることもあるが、人員の被害は極めて少ない(貨客船に準じた戦時設計の兵員専用輸送船52隻は1隻も戦禍にあっていない!)。
最前線の兵器は同じようなものを使っていても、全体システムの考え方(戦術)と戦況によって有効性に大きな違いが生じたわけである。これは現代のITと経営にも共通する重要な留意点とも言える。
2)アメリカは日本経済の復活を知っている
金融問題はとりわけ難しいし、こう言う題目の本(直近の社会状況を売りにする)はまず買わないのだが、本欄の読者である東燃同期の友人から「面白いから是非」とのメールが入り読むことになった。
著者の名前を知ったのは、安部内閣発足で内閣官房参与になり、ときどき新聞紙上で見るようになってからである。本の帯には“ノーベル経済学賞候補”などとあり有名な学者のようだが、私は全く知らなかった。また、この本を読んでも学者としての凄さはまるで分らなかった。
“面白い”本であることは間違いなかった。ただし“週刊誌を読むように”と言う但し書き付きで。中身の大半は日銀の政策批判(インフレを悪としてその抑制を基本とする金融政策、結果として長期デフレをもたらした。だから金融緩和をして円安にすれば、輸出産業の勢いが復活し、景気も回復、税収も増えて財政も改善する。なぜこんな分りきったことを日銀は出来ないのか?!)、特に“教え子”である白川総裁に対する罵詈雑言(言葉は丁寧だが)が始めから終わりまで繰り返し出てくる。デフレ脱却は望むところだが、読んでいて白川さんの反論も少しは聞きたくなるほど、とにかく徹底的に叩き捲くるのだ。反す刀は財務省やメディアにもおよび、自説であるリフレ(ターゲットインフレ;2%)に少しでも反する言動には容赦しない。
確かに、著者の意見を反映したアベノミックス(現段階では口先だけだが)で、株価も上がり為替も円安に転じたことは一見評価できるのだが、財政規律や円安の負の面(震災による原発停止で足下を見られ、ただでさえ高い価格のLNGを買わされているエネルギー支出がどれだけ上昇するのか、恐ろしい気がしていた。そして早くもその不安は1月の貿易収支にはっきり現れてきている)への言及があまりに安易に見えるのだ。こんな簡単なロジックで、日本経済が立ち直るのか?この疑問を元日経新聞の論説委員兼編集委員だった友人にぶつけてみた。答えは「デフレ脱却は一筋縄ではいかない」だった。
高名な学者らしからぬ、論調と書きっぷりに疑問を持ちつつ“あとがき”を読んで、少しそれが納得できた。この本は経済政策決定過程の「人間学」を描こうと思って書いた。つまり「社会学」として書いたのだと言う(週刊誌的に、センセーショナルに書く)。因みに、東燃時代社長(のち日銀政策委員会審議委員;少数意見の“緩和継続”を主張)だった中原さんの名前が何度か出てくる。次期日銀総裁・副総裁選びもどうやら著者の意向通りに進んでいるようだ。毎年年末に「間違いだらけの財政・金融政策選び」でもシリーズ出版して、関係者を棚卸しするのも面白いかもしれない、などと思った。
日銀総裁が決まればほとんど意味の無い本(その点でも週刊誌的)だから、興味のある方は、既にAmazonに古本が沢山出ているので、それをお求めください。
3)ドイツものしり紀行
極めて良質の旅行案内書である。“良質”とは、自ら何度もその地に赴き、町に留まり、交通機関を利用し、日本人の嗜好や興味を踏まえた上で書かれていることが確り伝わってくるからである。例えば、写真撮影。どんな季節のどんな時間帯、どこから(乗り物の乗車位置も含めて)撮ればいいか、を丁寧に解説する。教会の秘宝は何か?秘宝たるゆえんは何か?それはどこにあるのか?見落としがちなそれを教えてくれる。郷土史や宗教史あるいは言語史とも言える特殊なところにも目配りが効いている。
著者は私よりはかなり年輩の方である。経歴もかなり変わっている。旧制中学から大学検定(このことは相当な努力家であることの証と言える)で東大法学部に進み、旅行会社に長く勤務後、旅行作家に転じている。英語・ドイツ語は極めて堪能、他にフランス語・イタリア語・スペイン語にも通じていることをホームページで知った(ただこのHPには、簡単な経歴紹介しかなく、息子さんを介して著者に連絡する窓口に過ぎない)。
数年の内にヨーロッパの何カ国かを訪ねてみたいと思っている。先月の本欄でも紹介したようにドイツはその一つである。適当な案内書を探していたところ見つけたのが本書であった。文庫本なのに美しいカラー写真が印象的だ。これも無論本人の撮影である。手描きと思われる城郭都市の詳しい案内図も多分手ずから描いたものであろう。ワインの説明も味わったものでなければ表現できない言い回しだ。この手作り感こそ、この本の最大の価値と言える。
“ものしりシリーズ”として、イギリス、フランス、イタリア、スペイン、イスラムやヨーロッパ(神話・キリスト教編、くらしとグルメ編)が出ており、いずれ読んでみたいと思っている。
4)中国人民解放軍の内幕
1945年(昭和20年)小学校(国民学校)に入学。初めての夏休みの終わる頃にはソ連軍が進駐して来た。続いて国民党軍(蒋介石軍)が満州の首都、新京(現長春)の支配者に変わるが、直ぐに八路軍(共産党軍;パーロ)に追い出される。翌年7月の引き揚げまで、三度変わった為政者の中で、八路軍は規律もよく、街の治安も確りしていた。日本人にも親切で、子供たちは彼らに付いて歩き回り、銃を撃つのを間近に見ることさえした(市外に居る国民党軍への物資補給の輸送機を歩兵銃で撃つ。無論当らない)。この八路軍が人民解放軍の中でもエリート軍集団になっていったことは後年父から知らされた。
一昨年の巡視船への漁船体当たり事件に発した尖閣諸島を巡る緊張状態は、昨年の同島国有化を契機に一気にエスカレート、週刊誌などでは軍事衝突さえ間近と煽り立てる。しかし、中国外務省の見解はしばしば報道されるものの、軍は黙して語らない。何を考えているのだろうか?これが本書への第一の関心事。
第二は学童時代の微かな印象と現在の中国経済発展のギャップに関することである。ソ連軍、国民党軍は強盗・殺人したい放題、身近にそれを体験もしている。それに引きかえ八路軍の清廉潔白さは際立っていた。あの時代の中国人民が共産党支持に回ったのは、ここにあったはずである。あれから60余年、経済は資本主義に転じ、沿海部だけとれば、多くの人々は先進国と変わらぬ生活を享受、拝金主義がいたるところに蔓延っている。こんな社会情勢下で兵士たちは今でも清貧の心を失っていないのだろうか?農村の変わらぬ貧しさに感ずることはないのだろうか?政治の在り方を見直そうとする動きはないのだろうか?
第一の疑念に関しては、第一章の“米中「新冷戦」は海に始まる”から第二章の“空母によせる海軍の幻想”で取り上げられる。これによれば、中国が(失地回復を)目指す領土の範囲は、尖閣諸島どころか、歴代中国の最大版図、乾隆帝時代のその領域であることを、諸資料・情報から説明する。そしてこの海洋部分は、最近セミナーで聞いた海上自衛隊幹部の講演内容ともほぼ一致する(論拠は大陸棚に依るが)。
尖閣諸島への軍事行動の可能性として、漁船衝突事件後の解放軍内部で議論になった内容を機密(人民解放軍内の文書レベル(低い方から);「内部閲覧」「秘密」「機密」「絶秘」「核心秘(これは文書としてのこさないレベル)」)扱いの文書で紹介する。タイトルは<尖閣諸島沖漁船衝突事件発生後の両国関係の現況と軍事情勢に対する分析に関する報告>、回覧先トップは副総参謀長。作成者は<人民解放軍総参謀部情報部> 軍内の“軍情務虚会(対策会議)”の資料として作成されたと考えられるとしている。
内容をごく簡略化すると、「日本は強硬路線に凝り固まっている」「中国領海内でのこの行動は満州事変の恥辱にも匹敵する」「手垢の付いた示威行動では埒があかない」「政治・軍事が一致した戦略で事に当ることが不可欠だ」
これを受けて採るべき対策として、「政治分野」では「友好政策を暫定的に放棄する」「FTAなどの交渉を打ち切る」「贅沢品・高級品の輸入禁止、対中投資の禁止」「レアーアースなどの輸出差し止め」「日本企業社員・旅行者の拘束」「必要があれば、武官・外交官を捕らえる」 このうちのいくつかは実際適用されている。
では「軍事分野」ではどうするか。「尖閣諸島周辺で三軍合同の大演習実施」「大型魚政船、大型海監船の継続派遣」「チャンスを見て海軍陸戦隊と特殊部隊を上陸させ、世界に向け主権の存在を訴える(ただしこれは短期間に留め、碑などを設置するだけ)」 これに当る特殊部隊は瀋陽軍区の蛙人(フログマン;水中工作員)部隊とすることまで書かれていた。この軍事面での行動は、演習や上陸は無いものの、大型公船巡回は今も行われている。外に出ない声も、内部では厳しく論じられ、実行に移されているのだ。
第二の疑問点(発足当時の理想と現実)についても、いくつかの章でこれに該当する話が紹介されていた。先ず、第三章“実権を綱引きする「党と軍」”で、わが国の半可な中国通が決まって口にする「解放軍は党の軍隊で、国民のものではありませんよ」が如何に浅薄なことかを数々の角度から示す。やはり党と軍は一枚岩ではないのだ。例えば、最高意思決定機関である党中央政治局会議常務委員会、党軍事委員会、党総書記の間で“統帥権”を巡る暗闘が属人的に行われてきたこと、軍組織のトップに位置する総参謀部の権限が微妙に制約されていること、行政の地区割りと軍区は複雑な形で分断されて、地方軍閥形成防止を図っていること、などがあげられる。
この問題は第四章“「第二砲兵」は主力か、異分子か”でさらに別の角度から論じられる。第二砲兵とは核とミサイルを専門に扱う第4の軍種(陸軍・海軍・空軍と別組織で同等)で、ここは総参謀部の管轄ではなく、党軍事委員会の直轄組織なのである。この他にも党の指示だけで動く特殊部隊が北京や地方にあり(皆エリート部隊)、解放軍が純然たる党の軍隊ではないものになりつつあることを、教えてくれる。
私の第二の疑問点は党と軍を対立軸で見る以上に、資本主義下における解放軍内部での利権争いや汚職をくりかえす、権力者と一般兵士の間の不協和音の存在である。これについては第五章“軍系企業というブラックボックス”および第七章“宇宙と腐敗、進化する軍の光と影”でそれを知ることが出来た。軍のリストラと近代化は大佐級の退役軍人をも悲惨な生活環境に追い込む一方で、膨大は軍用地を使った不動産事業、海外への兵器輸出を仲介する軍系商社の存在、軍管轄の鉄道部における巨額不正取引、などによる蓄財が横行しており、当に「解放軍、おまえもか!」の状況を呈しているようだ。さらに、陰湿なのは軍隊内部の賄賂の日常化である。解放軍兵士になることが選民の入口であることから、採否決定者への賄賂、訓練の厳しさを避けるための賄賂、職種や勤務地に配慮してもらうための賄賂、昇進のための賄賂、チマチマした金銭のやり取りが、下々で行われている様子とこれに対する内部告発の例も紹介される。
第六章の“サイバー空間で戦う「非対象戦争」を始め、他の章でも着々と進んでいる軍近代化の姿を具体的に示しつつ、そこに内在する固有の問題点もカバーし、解放軍を知る入門書としてバランスのとれた好著と評価できる。
著者は北京大学中文系で学んだジャーナリスト。尖閣諸島問題について、船長を「起訴するか否か」を国内の政治闘争材料にして事態がエスカレートしたことや、石原知事が騒ぎ、それを受けた拙速な島の国有化で問題が先鋭化したことに対して、「それが本当に国益に適っているのか?」と疑問を投げかけている。あるセミナーで、自衛官が「東京都に買わせておけば、あそこまで行かなかったかもしれませんね」と語ったことと一脈通じるところがあり、現場や内部事情に詳しい人達の意見として納得するところがあった。(政治家とマスメディアは“外交と安全保障に口を出すな”の心境である)
5)In Command of History <歴史を操る>
先ずお断りしておきたいのは、「これはチャーチルの『第二次世界大戦回顧録』の読後感ではなく、その『第二次世界大戦回顧録』をケンブリッジ大学の歴史学教授が調査・分析した研究結果をノンフィクションにしたものである」ことである。なぜこんな但し書きで書き始めるかと言うと、今までこの本を読んでいることを話したり、メールした相手が皆『第二次世界大戦回顧録』を読んでいると誤解したからである。
今月は大半の時間をこの本を読むことに費やした。そして、この本ほど歴史と言うものについてあれこれ考えさせられた本は無かった。被害者を逆手にとって、中国や韓国がしばしば口にする「正しい歴史認識」など、一度この本を精読してから発言して欲しいものである。つまり、社会学者のベンヤミンが喝破したように「歴史は本質的に勝者の歴史である他にない」ことの見本である。そして、その勝者、チャーチルは、戦争の勝者であるばかりでなく、国内・同盟国の政治家たちの中にあっても勝者であったが故に、書けた歴史でもあることが本書で明らかにされる。
さて、研究対象の「チャーチル第二次世界大戦回顧録」である。構想がスタートするのは1945年7月、まだ日本との戦いは終わっていない時期。1948年の第1巻から1953年最終巻、第6巻が出るまで、構想段階から数えれば8年もかけた大作である。最終巻が発刊された1953年チャーチルはノーベル文学賞を受賞するが、この作品がその受賞に大きく寄与していることは間違いない。戦いの当事者(指導者)が書いた戦記としてはカエサルの「ガリア戦記」(全8巻)と比肩するとの評価もあり、その後多くの現代史、戦史に引用されている(つまり“正しい歴史”と見られている)。
私も1970年代に河出書房新社から発行された訳本(ハードカバー)を当時購入し読んでいるのだが、本書でオリジナルが6巻であることを知り、訳本が何故4巻なのか疑問に思っていた。本書を読み進むうち終章近くで、1958年「6巻はあまりにも量が多すぎる。一巻にまとめた要約本を作ろう」と言うことで、4分冊のそれが発刊されていることが明らかになった。読んだと思っていた「回顧録」がその要約版であったことはチョッとショックだったが、一方で本書を通じて、オリジナルの欠陥(添付資料(メモ、電報、議事録など)が多すぎる。一般読者には関心の持てない話題が多い)も指摘されていたから、エキスを読んだという安堵感も得られた。ではオリジナルの翻訳は無かったのか?本書の中で翻訳権を巡る出版社とのやり取りの中で“日本”が含まれていたことから、気になっていた。調べてみると、昭和24年から30年にかけて毎日新聞社から何と全24分冊として発行されているのである。しかしAmazonで古本を探しても全分冊揃ったものは無かった。
現代史の中に組み込まれつつある歴史書を研究するとは、いかなることであろうか?その概要を紹介しよう。
基本的に骨格を成すのは、6巻それぞれの執筆環境(チャーチル家の家計、健康状態を含む)・経過、内容調査分析(ここが核心)、評価(書物の内容ばかりでなく、政治指導者、軍事指導者としても)である。約530頁の内470頁がそれに割かれている。残りの60頁余は数頁のプロローグを除き、本論に入る前の、動機、構想、執筆環境準備(例えば、首相時代の私邸(借家)の継続使用を本人が切望、をどう解決したか)、執筆チーム編成、執筆料と税金対策、資料(自分が現役時代書いたり、発したメモ・電報、閣議・会談議事録、講演原稿など)と情報開示・検閲問題、著作権・出版権(先買権、二次出版権)、この間のチャーチルの政治的立場の変化(1945年7月の総選挙に敗れたことが執筆の大きな動機となるが、保守党の重鎮であることは変わらない。その間、冷戦構造の認知者・警告者として、国内外で戦時と異なった役割を期待されるようになる;これが“回顧録”内容に微妙に影響してくる)などに使われる。これだけで5章を費やすが、いずれも後の本論検証に不可欠な予備知識だけに、丁寧な解説は“先への期待”を十二分に醸成してくれる、美味しいアペタイザーである。
動機はカネである。選挙敗北によって首相の身分を失った時、チャーチル家の家計は火の車、贅沢が身に付いた一家(特にチャーチル自身の一流好み)の支出を支えるものは彼の執筆活動以外にないのだ。実は若い下級将校時代から彼の文才はつとに知られており、戦前・戦中にも著作・講演活動で収入を得ていた実績がある。あの戦いを指導した連合国三巨頭の内、ルーズヴェルトは4月に他界、スターリンが執筆する可能性は皆無だ。残る生き証人チャーチルしかいない、書かせるのは野に下った今しかない!
出版社は競って了解を取り付けようとする。「先買権(印税とは別)を£250,000($1M)でどうでしょう?」「で税金はどうなるかな?」 調べてみると個人でこれだけの一時収入があると97.5%!!! デリー・テレグラフの社主、カムローズ卿(出版社も保有)が、節税対策のために信託組織(家族と少数の友人;先月紹介した“PROF”の主人公、リンデマンもその一人)を作りそこに権利(著作権など)を預託する仕組みを提案する。所望の家も彼が買い取り、チャーチルの死まで無償供与し、死後はナショナルトラストに寄付することにする。全ては先買権を得るためである。二次出版権を得たもの中でも写真雑誌ライフとニューヨーク・タイムスは別格だ。ライフは写真付きで著作のつまみ食いが許されるし、NYタイムスはハードカバーに先だって連載(選択・要約可)を開始する権利を得る。その代償は出版権料のほかに、執筆陣がワーキング・ヴァケーション(変な言葉だが)で毎夏・冬南仏やモロッコに滞在する費用を全額負担することだ。ヨーロッパの出版代理人は英語圏以外を全てカバーする。日本語版も彼の取り扱い範疇だ。
出版社は競って了解を取り付けようとする。「先買権(印税とは別)を£250,000($1M)でどうでしょう?」「で税金はどうなるかな?」 調べてみると個人でこれだけの一時収入があると97.5%!!! デリー・テレグラフの社主、カムローズ卿(出版社も保有)が、節税対策のために信託組織(家族と少数の友人;先月紹介した“PROF”の主人公、リンデマンもその一人)を作りそこに権利(著作権など)を預託する仕組みを提案する。所望の家も彼が買い取り、チャーチルの死まで無償供与し、死後はナショナルトラストに寄付することにする。全ては先買権を得るためである。二次出版権を得たもの中でも写真雑誌ライフとニューヨーク・タイムスは別格だ。ライフは写真付きで著作のつまみ食いが許されるし、NYタイムスはハードカバーに先だって連載(選択・要約可)を開始する権利を得る。その代償は出版権料のほかに、執筆陣がワーキング・ヴァケーション(変な言葉だが)で毎夏・冬南仏やモロッコに滞在する費用を全額負担することだ。ヨーロッパの出版代理人は英語圏以外を全てカバーする。日本語版も彼の取り扱い範疇だ。
この出版権料を巡ってはのちにいろいろ問題(巻数;当初は5巻が6巻になる、執筆の遅れ、内容に対する注文など)を発生するが、最終的に信託組織(チャーチル家)が得た収入は日本円で60億円程度(単行本;英国で2百万部、米国でも2百万部、新聞・雑誌連載、TV化など)と推定される。執筆チーム(数人の軍人・歴史学者、タイピスト)の人件費が必要だったものの、チャーチル家の期待は充分に叶えられた。
本来公的な情報をベースに書くものの権利を元首相とはいえ個人に所属させていいのか?情報開示問題も含めて、当然問題になるが、老獪なチャーチルは戦前・戦中から、実は巧妙な手を打っていた。第一世界大戦時の首相、ロイド・ジョージは戦後回顧録を出版するが、それに対してこの様な議論が起きなかったことを主張、チェンバレンの宥和政策を支持したその前の首相、ボールドウィンが回顧録を書くに際して“首相経験者自らが執筆すする際の情報開示規定”を作り(この時チャーチルが首相)、それを自らにも適用した、などがそれである。因みに、宥和政策推進者として汚名を着せられたチェンバレンの未亡人が名誉回復を願って伝記作家にチェンバレン伝執筆を依頼、その伝記作家がチェンバレンの資料開示を求めるが「本人でない」ことを理由に拒否される(これもチャーチルが首相当時)。些細なところでも確り“歴史を操っている(In Command)”のである。
第1巻;タイトル;<巻き起こる嵐>は第一次世界大戦後の1919年から首相になる1940年までをカバーする。執筆時期は1946年から1948年。序章からつながるので、以後の共通事項となることの説明も多い。例えば執筆方法;①チャーチルが章立てを考え、②大まかな内容を語り、③それをタイピストが打ってドラフトを作り、④そのテーマに合った執筆協力者(シンジケート、4~5名;一部メンバーの入れ替えあり)が資料等を基に文章としてまとめる、⑤これをチャーチルが更に手を加え、②~⑤を何度も繰り返し、ゲラを完成させる。⑥これを友人・知人、出版人・スポンサー、検閲者(主に内閣府秘書長官とそのスタッフ、場合によって外務省や軍の役人)などに開示、それらのコメントに基づいて修正を加え、印刷原稿として仕上げる。
当然①の段階でチャーチルの関心事に採用テーマが絞られる。②の段階でシンジケートメンバーの知見によって内容の幅や深さが変わってくるし、資料選択でチャーチルに都合の悪いものは弾かれる可能性がある。⑥の段階では、国家・個人の名誉、公務上の機密、執筆時の国内・国際政治情勢、出版人の商売に関する感覚などが反映される。さらに、修正最終版にも事実とは微妙に異なる、チャーチルや検閲者の意向に副った表現に書き改められる。
本書は、この様な歴史書の偏り、嗜好、欺瞞、誘導、隠蔽、誇張、誤りを、関連情報(同時代人の回顧録・伝記と出版時の記事・書評が多い)あるいは最新情報(英国の外交文書は、非公開→50年→30年と変化)を駆使してあぶり出し、古典名著となりつつある「回顧録」の問題点・留意点を具体的に明らかにするとともに、何度か脳梗塞で倒れ、一方で首相復帰(1951年~55年)まで果たす、72歳から79歳の7年間の執筆活動にかけた信じられないエネルギーを、愛情をもって広く伝えることも意図している。<戦争を指導し、執筆に命をかけたチャーチル> 副題をこのように記していることが、単なる回想録評論でないことを如実に物語っていると言えるだろう。
第1巻の話題になるテーマは、開戦までの世界の紛争・戦争状況とそれらに対するチャーチルの関心・言動、ミュンヘン会談・宥和政策、失敗したノルウェー上陸作戦などである。例えば、ミュンヘン会談における宥和政策ではチェンバレンとそれを支持したボールドウィン前首相を回顧録の中で徹底的に非難しているが、ボールドウィン内閣で財務相を務めたチャーチルは、10年ルール(第一次大戦終結後10年間英国は軍縮に努める)を押し立てて、軍事費の大幅削減に剛腕を振るっているのだが、それが宥和政策に影響していることには一言も触れていない。また、ノルウェー上陸作戦は、前大戦のダーダネルス海峡ガリポリ半島への上陸作戦時海相としてこれを進め、大失敗に終わったことと、チェンバレン内閣の海相として再びノルウェーで作戦が不首尾に終わったことの関連や反省が全く無い。また、ファッシズム台頭と深い関係にあるスペイン市民戦争についても関心が極めて薄い。著者はこれらに関する回顧録の内容にチャーチルの作為を見て取り、それを批判する。
第1巻は米国で50万部、英国でも20万部を超え受注を停止するほど好調な売れ行きだったし、書評もおおむね好評だが、中には「これはチャーチル版“我が闘争”だ!」と言う痛烈なものもあった。
各巻の調査分析内容にはここに書ききれないほど興味深い話題に満ちている。いずれ本書特集の別冊「今月の本棚」を連載したいと思っている。ここでは第2巻以降のタイトルを以下に記し、それに代えることにする。
第2巻<最も輝かしい時>;1940年;首相就任、ダンケルク
第3巻<大同盟>1941年~1942年;独ソ戦、真珠湾
第4巻<運命の岐路>1942年~1943年;スターリングラード、ミッドウェイ
第5巻<縮まりゆく包囲網>1943年~1944年;ノルマンディー上陸
第6巻<勝利と悲劇>1944年~1945年;ヤルタ会談、原爆
プロローグ(本書の著者がチャーチルの心の内を慮って書いた台詞)
「Retirement, however comfortable, would be a
living death ! <引退?確かに快適だろうね。しかし、私から見れば生ける屍だ!> 」本書を読んで最後にグサリとやられた感じだ。チャーチルと比べる気はさらさらないが、怠惰な6年間に反省しきりの今日この頃である。
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