<今月読んだ本>
1)宇宙の地政学(上、下)(ニール・D。タイソン他);原書房
2)和製英語(スティーブン・ウォルシュ);KADOKAWA(文庫)
3)トラックドライバーにも言わせて(橋本愛喜);新潮社(新書)
4)21世紀の日本(野口悠紀雄、今野浩・斎藤精一郎);東洋経済新報社(古書)
5)電子兵器「カミカゼ」を制す(NHK取材班);KADOKAWA(文庫)
6)地形の思想史(原武史);KADOKAWA
7)美を見極める力(白洲信哉);光文社(新書)
<愚評昧説>
1)宇宙の地政学
-天体物理学が関わった宇宙探査と地上支配の深い関係-
古来戦場の勝利は高地占拠によってもたらされてきた。日本人なら先ず日露戦争における203号高地を巡る戦いが思い浮かぶし、太平洋戦争末期硫黄島のスリバチ山に翻る星条旗は今でも海兵隊の象徴だ。
陸兵の高地占領に取って代わったのが飛行機、偵察や着弾観測、さらには爆撃機による直接攻撃、“高地”は地上から離れたのである。そして今、その“高地”はさらに宇宙に移ってきている。10cm単位での敵状把握、GPSによる侵攻作戦やミサイル誘導、ドローン機遠隔操縦を可能にする複雑な通信システム、いずれも人工衛星無くしては実現不可能だ。“宇宙を制するものが世界を制する”これが現代の戦争なのである。
しかし、スパイ衛星のレンズを天空に向ければ深遠な宇宙探査に役立つし、衛星望遠鏡で地上や衛星軌道を観測すれば、敵国(仮想を含む)の動きを偵察することも出来る(厳密には種々技術的課題はあるが)。実は天文学(やがて天体物理学となる)は有史以来戦争と深くかかわってきたのだ。
天体物理学者(タイソン)と同僚研究者(ラング)が宇宙を舞台とする軍事・産業と科学の関係を歴史的に辿り、露・中と熾烈な競争を繰り広げる米国の現状を紹介し、危機感をもって将来を展望する。上下2巻で七百頁弱「ぼやぼやしていると露・中に制宙権を奪われるぞ!」がグサッと伝わる大作である。
祭祀を司る占星術、それに欠かせない暦、季節・気候に合わせた祭事や軍事行動。航海の道標となるのは満天に輝く星々やそれを基とする六分儀あるいは磁石。肉眼での観測に制約が出てくるとレンズを使った望遠鏡や双眼鏡が考案される。それらは宇宙ばかりでなく海や陸でも大いに役立ち、当初は極秘兵器でもあったのだ。大航海時代以降、領土を確定・統治するために正確な地図が必要になる。緯度・経度の概念が出てくるがこの決定も容易ではない(特に経度)。正確な時計が不可欠なのだが当時の技術では限界がある。それが出来るようになると標準時の起点争いが起きる(緯度の0点を赤道にすることに問題はないが経度は英仏が互いに譲らない)。
古代から近代までの政治・宗教・軍事・産業の変遷を天文学との関係から詳述していく。例えば、磁石の発見・実用化、レンズ(鏡を含む)の設計・製作(大型になるほど色収差が大きくなるのでその修正法など)、クロノメーター(航海用精密時計)の開発、電磁波(電波)利用の発展、光学望遠鏡と電波望遠鏡の違いなど、どれひとつとってもここに書かれたことだけで物知りになった気分になれる。しかし、メインステージは宇宙。科学技術の進歩で天体物理学の世界は飛躍的に広がり精度も上がる。ここから核分裂・核融合のメカニズム解明も一段と進むようになっていったのだ(つまり原水爆開発との関係が深まる)。
歴史の流れを概観した後に続くのは現代の宇宙を巡る諸問題だ。第一の問題点は米国の宇宙政策。スプートニクでソ連に先行を許したことを挽回すべくケネディ大統領は人類初の月着陸を目指す。ここで使われるのは弾道ミサイル打ち上げのアトラスロケットだが主導権は非軍事部門のNASAが握り、スペースシャトル計画まではそれが続く。しかし、その後は議会が宇宙関連予算を著しく圧縮、今や人間を宇宙へ運ぶには大枚を払ってロシアに頼るしかない。実は、ここで浮いた宇宙関連予算は軍事部門に回り、NASAとは比べものにならない額に上がっているのだが、そこに民間の科学者(特に天文物理学者)が関与できる余地は著しく限られている。
第二の問題はロシアと中国の宇宙開発。ロシアはあのソ連崩壊の混乱の中でも宇宙開発体制だけは温存され、着々と技術革新を進め、何と米国の衛星打仕上げ用アトラスⅢ・Ⅴやアンタレスロケットのエンジンはロシア製(ロッキードなどが加わる合弁企業)なのだ!経済発展を遂げている中国の宇宙政策も侮れない。国際宇宙ステーション(ISS)計画発足当時参加を切望したが入れられず、独自計画を作成・実行、人間を打ち上げた第3の国となり、自国衛星の宇宙空間での破壊や世界最大の電波望遠鏡の建設など覇権争いに加わってきている。
著者の主張は、民・軍が一体になって初めて、国際間の複雑で高度な宇宙問題で主導権を握れるのだから、月面着陸を目指した時代のように、軍に過度に偏重しない政策をとるべきだ、と言うところにある(あの時代米国の宇宙政策は世界(ソ連も含めて)から注目され絶賛されていた)。最後に「米国は常に戦争を問題解決の第一選択肢と考えるが、他国は最後の手段となる。これを改めることが出発点」と結ぶ(暗にトランプ政権を批判)。全く同感である。
著者(タイソン;1958年生)の学問的な業績はWikipediaなどを調べても特記されていない。一方で大統領府の科学諮問委員会委員やメディアでの科学番組コメンテーターとして知名度は高く、天体物理学の入門書などの著作も多い。それだけに本書も、面白い話題が満ち満ちており、大部であるにも拘らず、興味をもって最後まで読み続けた。9歳の時に初めて訪れたアメリカ自然史博物館ヘイデン・プラネタリウム館(NY)に魅せられその分野に進み(ハーバード大→テキサス大→コロンビア大)、現在その館長に収まると言う、幼き時の夢の実現キャリアパスが素晴らしい。
2)和製英語
-漢字伝来から日本人は外来語使い手の達人。でも最近のカタカナ英語は少々変だ-
日本人が通常使う文字には、漢字・ひらがな・カタカナ・アラビア数字・アルファベットの5種がある。しかもPC入力はローマ字で行い、これを変換して日本語の文章にする。こんなことを外国人と話題にすると大いに盛り上がる。世界でこんな多様な文字を使いこなすような国や民族は存在しないからだ。中華文明や欧米文化を取り込み、自家薬籠の物にして世界の趨勢に遅れをとらず今日まで来たのは、こんな器用なところにあったように思う。特に明治期欧米の技術や制度を導入するに当たり、先人たちが知恵を絞って案出した訳語は素晴らしい。おかげで高等教育も自国語で行えたのだから。そしてその一部は中国へ逆輸出されたくらいである(例;哲学)。しかし、昨今チョッとカタカナ英語が多すぎるような気がする。それも欧米人にも理解できないような。
先般気候変動に関する国際会議後の記者会見で、小泉進次郎環境大臣が「脱炭素に取り組むことは“セクシー”だ」と発言し、これに違和感を持った記者たちが「セクシーとはどういう意味か?」と問うと「そういう質問をすること自体セクシーではない」と最後まで明確な答えを示さず逃げて内外の話題となった。俗っぽい(国際会議などには相応しくない)米会話の常用語で「カッコいい」「イケてる」と言うような意味なのだが、未消化か語彙不足でそのような補足説明ができず、評判を落としたわけである。これは和製英語ではないのだが、言葉の真意と使う場面をきちんと押さえていないために生じた一種の誤解であり、知らずに使っている和製英語ではさらにそれが倍加することもあるのだ。本書はそんなカタカナ語化した英語(独語、仏語)について、滞日経験の長い英国人が指摘する、警告の小冊子である。
構成は誤解や間違いを五つに分類する。1)妄想を呼ぶ誤解(ハーフ、ヘディングシュート、モーニングサービス、スキンシップなど)、2)微妙な違い(カレーライス、フリーマーケット、クレーム、リフォーム、サインなど)、3)奇妙な語感(オールバック、フリーター、ハローワーク、マザコン、セクハラなど)、4)よくある間違い(マンション、スマート、タレント、バイキングなど)、5)恥ずかしい誤解(アメリカン、コック、グラビア、ヴァージンロードなど)。初めてそれらを聞いたときの英語国人の受け取り方・理解と正しい表現法を1行または数語で併記し、次いでやや詳しく違和感や誤解を、語源などを援用しながら解説する。
例えば、モーニングサービス(morning service)はmourning service(哀悼の儀式;葬儀)と誤解される。正しくはbreakfast menu。フリーマーケットはfree market(入場料・出店料の不要な自由市場)と日本では解釈されるが、本来はflea market(蚤の市)であること。オールバック(all back)が髪形の一種であることは想像外、「全員さがれ!」とサッカーで全員がゴール前を固めるシーンが先ず浮かぶ。タレント(talent)は才能・技芸であって、entertainer/celebrity/TV
personalityでないと通じない。ヴァージンロード(Virgin Road)はヴァージンになるための道/ヴァージンと称する女が並ぶ道?!正しくはdown the aisle。
奥が深いと思ったのは、著者は日本の新聞社や出版社で英字紙・誌の編集に携わることがあり、そこでnative
checker(最終的な英文チェック担当)と呼ばれたときの話である。英国人にとってnativeとは植民地人を意味し“原住民調査官”が一瞬頭をよぎったと言う話。これは英国人特有で米国人にはないとのこと。また、英語以外の外来語(独語;トラウマ、ノイローゼ、仏語;オードブル、など)もカタカナ表示されるので英語と誤解されており、そこから生ずる喜悲劇も披歴される。
明治期の日本洋化を漫画で風刺したのは英人発行の「ジャパン・パンチ」そこには日本人に対する蔑みが感じられるが、本書にまったくその感はない。むしろカタカナ英語の誤解を自らの無知ととらえ謙虚に学ぼうとするところもあり、独特のユーモアと相俟って、楽しく読めた一冊であった。
著者は言語教育哲学専攻の作家、若い頃4年間滞日、2004年から再来日して英語関連の仕事に従事している。
3)トラックドライバーにも言わせて
-傍若無人なトラック野郎!と毛嫌いしてきたが、本書を読んで少し同情-
13年間乗り続けたスポーツカーと本年1月に別れた。このクルマで全国津々浦々、宗谷岬から指宿まで5万5千キロ走った。楽しいドライブ行でいつも鬱陶しさを感じたのは大型トラックの多いことである。特に東名・名神・山陽道はトラック街道の感さえあり、四囲を塞がれるような場面を何度も体験した。英国では追い越し車線はトラック走行禁止だし、ドイツでは週末全線通行禁止、両国がスポーツカー先進国であり、レースに強いのもこんなところに一因があるように思う。今や国の経済を支える中核製造業となった自動車の技術発展のためにも、乗用車が走り易い交通政策・体系を採用してほしい、こんな思いを残しながら2月に運転免許証を返納した。しかし、トラックドライバーにも言い分はあるらしい。では聞いてみよう。
著者は大型車免許を持ち、一時期自営の中小企業で金属加工製品の輸送を行っていた女性。実はお嬢さん育ちで、大学卒業1か月半前まではシンガーソングライターを目指して米国の音楽大学へ留学するための語学研修の受け入れ先まで決めていた。ところが経営者である父親がくも膜下出血で倒れ(幸い命は助かったものの記憶障害が残る)、留学を止め経理担当だった母親を助け家業に携わることになる。その家業は他社で作られた金型を細密研磨仕上げする企業で最終製品を顧客に届けるとともに営業活動を行うのが彼女の仕事である。普通免許は既に取得しており乗用車の運転は出来るのだが、4トン以上の大型車は運転できない。話は教習所での大型免許取得講習から始まる。
年齢は不詳だが内容から推察すると40歳前半ではないかと思われる。すると講習時期は約4半世紀前、この時代女性が大型免許に挑戦するのは極めてまれ、男性でもいきなり普通から大型を目指すのは皆無に近く、大方は4トン車を経ての教習である。従って教官を始め教習仲間からも好奇心をもって扱われる(好意的に)。ここで語られるのは普通車と大型車の運転技術の違いである。特にブレーキの特性がまるで異なり、空荷と荷積み状態ではさらにその差が大きい。また、内輪差のことは乗用車で体験し頭で分かっていてもキャブオーバー型(エンジンが座席下や背後にある)ではボンネット型と大違い。真っ直ぐ走らせることすら初心者には難しいのだ。
免許を取得し、いよいよ実際に運転してみるとまた新たな課題が次々に現れる。スピードリミッター―が装備されているので追い越しも容易でなない。ブレーキの動力源が空気圧(乗用車は油圧)のために渋滞などで頻繁に踏んでいると空気圧が低下してしまう。それを避けるために前を空けると乗用車に割り込まれる。追突回避にまた間隔を空けざるを得ない。運転技術以外にも、昼食やトイレの場所が簡単に見つからない。
ビジネスのしきたりや道路施策にも問題山積み。最大の難事はジャストインタイムである。遅れることだけでなく早過ぎるのも顧客から厳しくとがめられる。これに深夜割引料金や実稼働時間精算制、働き方改革による連続運転時制限などのしわ寄せが加わると、ドライ―バーに肉体のみならず精神的にも大きなストレスを与えることになる。さらに、顧客や荷物によってはその積み下ろしも運送会社(つまりドライバー)の責務となることが多い。事故が起きれば、最終的には不起訴・無罪になっても先ず大型車の運転手が拘束・逮捕される。小泉(実質は竹中)規制緩和で参入者が急増、それによって収入は確実に低下。
我が国貨物輸送の9割はトラックが担う。今はプロとしての矜持で何とか維持できているが、ここも高齢化が進み、既にドライバー不足が社会問題化しつつある。求人倍率は全職種1.61倍に対してドライバーは3.26倍!ならば外国人労働者との意見もあるが、これも運転免許証(2種免許は国際免許不可)とビザ(入管法や留学ビザの就業時間制限など)の壁で現状では実現不可だ。また、出来たとしても法律外で荷扱いの丁寧さなど世界一の日本スタンダードを教え込むには時間がかかる。ここで期待されるのが女性の活用。しかし、労働環境の改善、さらに女性固有の問題(生理など)に対する配慮が実現しなければそれも難しい。
鬱陶しいと思ったトラックの運転に、これだけ過酷なことを知って、もう少しこちらも彼らを慮る運転をすべきだったと自省しきりの心境である。
著者は10年間ドライバーを続けた後引き続き経営者として家業に従事、2013年事業廃業(倒産ではない)後渡米(NY)し日系メディアのレポーターなどを務めて、現在はブルーカラーの労働問題、災害対策、ジェンダー問題などに取り組むフリーライター。
4)21世紀の日本
-「10倍経済」「労働時間半減」傘寿の俊秀たちが若き日々描いた21世紀の日本-
1968年(昭和43年)刊の古書である。何故そんな本を今読むのか?3人の著者は皆1940年(昭和15年)生れ、生年は私が1年早いが同時代の人達と言っていい。しかも今年傘寿を迎える著者はその後それぞれの専門分野で活躍、野口悠紀雄は一橋大学名誉教授、今野浩は東京工業大学名誉教授、斎藤精一郎は立教大学名誉教授となっている。本書は加筆修正されたようだが、骨子は明治100年を記念して政府(佐藤内閣)が公募した同題目の懸賞論文で最優秀賞を獲得した作品である。因みにこの時の次席は池口小太郎(堺屋太一)であった。応募論文は本書発刊以前(取り掛かったのは昭和41年)に書かれており著者は20歳代半ば、のちに名を成す著名人が若き日々何を考え、21世紀をどのように想定していたかを、自分の来し方と重ねながら、日本の歩んできた道を振り返ってみたいと思ったのが読む動機である。
3人の著者には共通するものがある。先ず日比谷高校の同期生、東大も専攻は異なるが(野口、今野は工学部、斎藤は経済学部)入学・学部卒業は同年。最初から学者を目指したのではなく、一旦実社会に出た後30歳代前半で学者に転じており、発刊時野口は大蔵省(工学部出身者だが行政職キャリア)、今野は電力中央研究所、斎藤は日本銀行にそれぞれ勤務している。このため論文が仕上がるまで土曜日の午後から翌日曜日にかけ徹夜の議論・執筆が続いたとまえがきにある。若さを感じさせる一こまだ。
1964年の東京オリンピックと1970年の大阪万博の間、我が国の経済発展は目覚ましく、その勢いに乗って未来論は隆盛を極めていた。著者はそのような風潮を未来予測の知的遊戯とみなし、論文執筆方針を“具体的”、“総合的”なところに置くことにする。具体的とは反論可能、総合的とは諸事象の斉合性を意味する。また、来るべき時代の生き方・社会のあり様を考察するに際して、機能主義とヒューマニズムに焦点を当てることを決める。おそらくこのような論文執筆に対する基本方針を明確に打ち出したことが、議論を深め論旨を分かり易く納得出来るものにし、最優秀賞受賞につながったと推察する。
本書が示す21世紀像を象徴する言葉は二つ。「10倍経済社会」と「労働時間半減」である。基準は1965年で40年後の2005年を目標年とする。「10倍経済社会」は現在のGDPと考えられる。「労働時間半減」は法定労働時間と見ていいだろう。2005年の実績と比較すると、GDPは38兆円(名目)から503兆円と10倍をはるかに凌駕する数字になっている(実質は122兆円から488兆円と4倍)。労働時間は週48時間から40時間と半減には遠く及ばない。ただ、本書を今読む意義は予測の当否を論ずることではなく、細部とプロセスに注視して、政策立案・遂行や社会変革の違いあるいは予測の前提を考察することで、これからの日本を考えるところにある。そのような視点で読み進めていくと、興味深い洞察・提言が多々あり「さすが!」と思わせる内容なのである。
安直な未来論は、科学技術の発展を楽観的に展望してユートピアを描くものが多い。対して本書は人口論から始めるところに論理展開の堅実性を感じる。この予想は必ずしも現状とは合致していないが、女性の社会進出やそれに基づく年齢別出生率あるいは老齢化など、個々には今我々が直面している問題を先取りした視点が確り据えられ、農業セクターから工業やサービス分野への大規模な労働力シフトを想定したり、老齢化に伴う社会福祉負担増も読み込んでいる。
人口と並んで重要な着眼点は食料とエネルギー。食糧対策では、如何に農業が零細で低生産性であるかを示したうえで、農業部門からの労働力シフトを前提に、集約化による大規模営農体系を提案する。また、エネルギーについては、こここそ「10倍経済社会」達成のカギととらえ、顕在しつつあった大気汚染問題も踏まえて、電力をその中心にすべきと提言する。ただ、火力発電の効率が限界に近付いているので原子力発電(当時は建設段階)に目を向けながら、ウラン資源の希少性と使用済み燃料処理の問題から、核分裂発電よりは核融合(増殖炉)発電の実用化が急務と訴える。
科学技術面では、他の未来論同様情報化社会到来を中核に展開されるが、驚かされるのは人工知能(AI;本書の中では人工“頭脳”)の実用化を予測しており、具体的にスーパーハイウェイを自動運転するクルマも登場する。「労働時間半減」実現の手段はこのAIによるのだ。国土改造の主役は長距離および大都市環状リニア―モーターカーシステム。これに依り首都圏-中京圏-京阪神圏が一つの経済圏になると想定する。AIと言いリニア―モーターカーと言い既に夢ではなくなっている。
さて、ICTをベースにした働き方改革(日本的経営;終身雇用・年功序列・企業内組合のすべてが変わる。ホワイトカラーは専門職とそれらの組合せを図るコーディネータ職になっていく。また女性の就労が増えその役割が高まっていく)で「労働時間半減」を実現した社会はどんなものか。農業は大規模集約化と機械化で人口は激減、工場は都市から一掃され外縁部や地方に移り自動化が極限まで進む。一方で知的業務を行う人口は増加し都市に集中する。ここの住居は高層集合住宅、機能的ではあるがスペースは限られる。そこで第2の住居を自然環境に恵まれた地方に持ち、その間をリニア―モーターカーやスーパーハイウェイを利用して結ぶ生活を送るようになる。こうなると“余暇”の概念が“仕事の余り時間”ではなく、仕事と対の位置付けになり、ボランティア活動や趣味、あるいは新たな知識習得・教育に費やす時間が増え、職場とは異なるもう一つのコミュニティが作られ、仕事中心の社会とは別社会が出現する。これを著者は「高度文化社会」と名付ける。この二元社会論は現代から将来を見通す場合にも充分魅力的だ。当にユートピアの世界であるが、残念ながらそれはいまだ実現していない。
この40年間現実社会では、経済面だけに限っても、変動相場制への移行、二度の石油危機、日米経済戦争、バブル経済とその崩壊、を経験している。いずれも当時予想など全く不可能な事象である(石油資源枯渇論はあったが)。
本書は、21世紀の日本はどうあるべきか、そこに至る道程は如何なるものか、前途に横たわる問題点を如何に解決するか、を提言するもので、結果で評価すべきものではない。著者の意図通り、内容は総合的で具体的なものであり、論旨の展開、データ、前提条件、制約条件が明確に記され、現実との比較も“10倍や半減”以外に処々で出来て、興味深く読み終えた。20歳代半ばでこれだけのものをまとめられた力が三人の今日をあらしめたとあらためて確認した次第である。
唯一物足りなさを感じたことは、(後知恵であることは承知の上で)「国際社会における21世紀の日本」がごく限られた点(伝統社会と高度文化社会の対比)でしか触れられていないことである。国際関係こそ、その後の日本の行く末に最も影響を与えた因子だけに惜しい。
5)電子兵器「カミカゼ」を制す
-“マリアナの七面鳥撃ち”、未熟だったのは零戦乗りではなく電子技術だ-
昨春からあるICT企業のホームページに“軍事技術史に学ぶICT活用法”と題した連載コラム記事を寄稿している。これに際して第二次世界大戦における戦略兵器(飛行機、戦車、潜水艦、空母)を調べていて、優れた電子システムを欠いては、いくら強力な兵器でもただの金属の塊に過ぎないと言うことに気付いた。ならば「次のテーマは電子技術にしよう」と資料を探していて見つけたのが本書である。その元となっているのはNHKが1992年末から6回にわたり放映していたドキュメンタリー番組「太平洋戦争 日本の敗因」シリーズの第3回目である。
さすがNHK!とても個人で活動するノンフィクション作家では簡単に迫れない領域(軍事企業、兵器研究開発機関、大学の研究保存施設)まで立ち入って綿密な取材を行っている。取り上げられるのは三つの兵器、レーダーと近接信管それに無線電話だ。特に近接信管(砲弾自身に超小型レーダーが組み込まれ、航空機を検知すると起爆させる装置;Variable Time Fuse;VT信管;実際は時限信管ではないが機密保持のため名付けられた)については、我が国でここまで詳しく解説している一般向け図書はないのではないか。
電波(電磁波)は文字通り電気の波である。この波(搬送波)に断続信号を乗せたのが無線電信、音声を乗せたのが放送や無線電話、映像を点に分解して乗せたのが電送写真やTVである。この搬送波の波長は人為的に長くしたり短くしたりすることができる。また前方に在る障害物によって反射され、特に金属は反射率が高い。小さな対象物探知には波長の短いものが優れ、短波は超短波、極超短波と目的に応じて波長を短くしていく。以上は本書の中で系統立てて説明していないが、電子兵器を理解する上の基本知識なので敢えて記した。兵器としてのカギは、超短波・極超短波を如何に作り出し安定的に発信できるかにかかり、この点で日米の違いを探るのが番組の胆だったからである。
日米空母機動部隊が激突した海戦には、珊瑚海海戦(1942年5月)、ミッドウェイ海戦(1942年6月)、それにマリアナ沖海戦(1944年6月)がある。本書で取り上げられるのは最後のマリアナ沖海戦。絶対国防圏の一画を担うサイパン島を巡る攻防戦、ここを失えば本土が長距離爆撃機の航続距離内に入る。既に守勢に転じていた日本にとって国運を賭ける戦いである。米海軍は第5艦隊麾下第58機動部隊(司令官ミッチャー中将);空母15隻(旗艦レキシントン)、搭載航空機956機。艦艇総数93隻。対する日本海軍は第一機動艦隊(司令官小沢治三郎中将);空母9隻(旗艦大鳳)、搭載航空機473機、艦艇総数73隻。日本側にはこれに基地航空隊も加わることになっていたからほぼ互角に近い。この戦いの結果は、大鳳・翔鶴・飛鷹沈没、他4空母大破、未帰還航空機395機、戦死者・行方不明者2451名。米軍はごく軽微な艦艇の損傷程度。完敗である。戦後の日本側の敗因分析では、ミッドウェイ海戦でベテランパイロットを多く失い、錬成期間が充分でない未熟な搭乗員にあるとしているが、この番組作成過程で分かってきたのは電子技術の遅れである。つまり、レーダー、近接信管それに無線電話が比較にならぬくらい劣っていたのだ。
この3種について、兵器開発思想の違い(攻撃重視の日本ではレーダーは守り兵器として軽視。艦上戦闘機の防御力の違い)、先端科学技術への取り組み体制(米;大統領直轄の組織と動員数;VT信管開発だけでも1000人、英国との協力体制;超短波発信のためのマグネトロン真空管技術導入。日;陸海軍別々で個人への依存度が高い。ドイツ技術の導入(潜水艦を利用するが失敗))、開発者(科学者・技術者)と運用者(軍人)の協力関係、実用化へのプロセスと生産技術(信頼性;日本の電子部品、特に真空管の信頼性の低さ、小型化、軽量化、操作性、生産性)など多角的に分析し、あの戦いを決したのは電子兵器と結論付ける。
小沢が採用したのはアウトレンジ作戦、零戦の長大な航続距離を生かし米艦上機の攻撃範囲外から敵艦隊を襲うと言う作戦である。レーダー探知を避けるため攻撃域に近づいたら低空飛行を行ってこれを避ける戦法だった。しかし、種々のレーダー(長距離用、低空用、高度測定用、射撃管制用など)を装備した米艦(特にレキシントン、ここに戦闘指令室(Combat Information Center)が設けられていた)は早くから編隊を察知、攻撃隊の規模や高度を時々刻々把握し、艦隊上空の護衛戦闘機に無線電話で連絡、守りを固めて待ち構えていた。戦い方は高空からの一撃離脱戦法、空戦性能の良い零戦に勝つ唯一の手法だ。無線電話を装備しない日本機編隊は空戦に入ると協調行動が出来ず、未熟なパイロットは格好の餌食。何とか戦闘機をかわした攻撃隊は高角砲の射撃レーダーで照準され、近接信管装着の砲弾で次々と撃ち落とされる。のちに“マリアナの七面鳥撃ち”と呼ばれることになる惨劇がこうして演じられたわけである。
勝者として人や資料が残る米側のみならず、日本側も生還したパイロットや当時の技術者(技術士官や電気科・通信科兵士を含む)への聴き取りを行い、大学などに残る古い研究報告書やフィルムなどを掘り起こして、双方の状況を出来るだけ客観的に把握し、比較しようとした姿勢がうかがえる内容だ。映像(観てはいないが)より遥かに私にとっては資料として価値のある一冊であった。
6)地形の思想史
-地形が育んだ日本人の精神構造、天皇家を中心に鉄チャン学者が辿る紀行エッセイ-
鉄道物は好きなジャンルで数多く読んできたし、本欄で何冊も紹介してきた。この分野では宮脇俊三が突出した存在だが、本書の著者に依るものも奥行きがあり悪くない(鉄道そのものと周辺関連情報のバランスが良く、必ず新しい発見がある)。二人ともしっかりした本業があるからだろう。宮脇は中央公論社の編集者・役員だったし、本書の著者は政治思想史専攻の学者である(明治学院大学名誉教授)。新聞広告で本書を知り著者名とタイトルの“地形”がら“思想史”はひとまず置いて、鉄道が連想されて購入リストに加えてあった。折しもコロナ騒動で蟄居状態、そのストレスを書上旅行で発散すべく取り寄せた。
本書は基本的に一話一地形で語られる紀行エッセイである。岬・峠・島・麓・湾・台・半島の7話から成り、それぞれの土地で日本人の精神構造形成に関わると思われる事件や活動あるいは人物を絡ませる。土地の歴史を辿る紀行文はよくある型で、司馬遼太郎の「街道をゆく」はその代表だろう。ただ、この種の多くの紀行文の登場人物は統治者あるいは武将がクローズアップされるのに対し、本書にはそれらは全く出てこず、神話の時代(天照大神や神武天皇、日本武尊など)を含め天皇・皇族との関係に焦点が絞られ、特に昭和天皇は土地々々で援用される。これは、著者が学者になる以前日本経済新聞社に勤務し宮内庁担当記者を務めていたこと、学者になってからも天皇制を代表的な研究分野としていたことによるものと推察する。
天皇家と思想史と書くと重い内容が想像されるが、そんなことはない。ただ神道、特に各地の神社にまつわる話が多い。それも知られざる地方の神社だ。そして我々世代を天皇と近づける一こまが展開されるのだ。
第一話の“岬”。この岬は浜名湖の北辺に突き出したごく小さな半島(最寄り駅は西気賀;天浜線の無人駅)、現地ではプリンス岬と名付けられた場所である。プリンスとは現上皇(平成天皇)の意、皇太子時代美智子妃を始めご家族と毎夏ここに滞在したことから付近の人がそう呼ぶようになった。この岬には中小企業の保養所があり、そこを皇太子ご一家が借り上げていたのである。平屋建てで十畳一間、八畳二間、六畳と四畳半それぞれ一間、一般人の別荘としては十分だが、皇太子ご家族に相応しいとは到底思えない。ここから天皇家における家族関係の歴史が説かれる。このケースを除いて親子が短い期間でも一緒に暮らす実績は無く、極めて例外的な出来事だったのである。浩宮は近くにある小学生校で地元の子供とソフトボールに興じる(三番でサード)。ご一家は新しい国民との在り方を示したのである。この新しいライフスタイルも一代限り、徳仁皇太子が雅子妃と結ばれ愛子内親王が誕生してもこのような生活は送っていない。今の皇室は昭和以前に戻っているのである。
時節柄(コロナ騒動)驚愕しながら読み進めたのは第三話の“島”。取り上げられるのは、瀬戸内市長島と広島市に属する似島(江田島の西に在る小島)、共通項は「隔離」である。長島にはハンセン氏病患者を収容した愛生園が在る。これと深くかかわった貞明皇后(大正天皇の后)、国策としての隔離政策(現時点から考えると非人道的極まりない)の話である。
驚愕させられたのはここではなく似島である。日清戦争は大陸で戦われ大勢の陸軍兵士がそこに渡った。出発点は広島市の宇品港(太平洋戦争でも外地遠征の主要港)、帰還もここになる。大陸での戦いは敵軍以上に、コレラ・チフス・赤痢などの疫病に悩まされる。広島には大本営が置かれ、そこには明治天皇の御座所もある。広島でそして日本全国に伝染病が蔓延しては困る。帰還兵検疫のために当時世界最大規模の検疫・治癒施設、陸軍似島検疫所が設けられたのだ。我が国の衛生思想が体系立てて作り上げられていく原点である。当時の陸軍検疫部事務長官は後藤新平、検疫部長は児玉源太郎、いずれも日本近代史に残る偉人達だ。
島に二つの埠頭を作り、一つは帰還兵用、もう一つは検疫で異常が無かった者あるいは治癒施設で快復した者の離島用ときっちり分けている。ここを通過した帰還兵総数は14万人余、陣容概数は事務官100名、軍医を中心とする軍人150名、作業員200名。検疫内容も厳格だ。真っ裸にし、新しいふんどし一つを与えて検便を含め徹底的な身体検査を行い、異常の有無でその後の扱いを分ける。所持品は衣服を含めすべて蒸気窯で消毒する。無論異常が無くても一定期間島の施設にとどめ置かれる。戦争で国家財政も苦しい中、短期でのちの世に役立つ立派な施設を作り上げた点も評価できる。最後のお役目は原爆被爆者の処理施設(死体処理)としてである。それにひきかえコロナ対策は・・・。国家指導者の力量の違いを痛感させられた。
峠は大菩薩峠を中心に東京・山梨県境と日本共産党山村工作隊、麓は富士山麓の創価学会やオウムを含む各種宗教団体、湾は東京湾で日本武尊とオトタチバナ姫、台は相武台と陸軍士官学校、半島は大隅半島と男尊女卑。鉄道(廃線を含む)の話も出てくるし、どのテーマにも地図が理解を助けてくれ、旅の味わいもそれなりに楽しんだ。
7)美を見極める力
-欠け茶碗と高級外車、どちらが高いか?愚問に答える日本美術入門書-
運転免許証を返納、愛車を処分して長距離ドライブと言う趣味の大きな部分が欠落した。加えて補聴器が必須となり、微妙に音がひずんで音楽鑑賞も今一つ。新たな楽しみを見つけるべく美術や建築方面を模索中、ここのところ本欄でもそれに関する書籍(主に入門書)を紹介している。本書講読の動機もそこにある。手に取る気になったのは著者名、「もしや?」と思い略歴を見ると図星だった。白洲次郎・正子の孫である。さらに母は小林秀雄の長女。本人の経歴がいささか曖昧(細川護熙首相の公設秘書、古美術誌の編集者などとあるが)だが、家系から推察して早くから良い物に触れるチャンスがあったはず、と読んでみることになった。一言で言うと先月紹介した山口桂(クリスティーズ日本代表)「美意識の値段」の続編とも言える内容である。
前著と今回の共通点は対象が日本の伝統美術品・工芸品あるいは日本人が所有する海外(主に中国)のそれであること。異なる点は、前著が絵画中心であったのに対し、今回は道具類(漆器・陶器・磁器の茶器・花器・酒器・食器)が多く、ここに“使う”と言う視点が加わることだ。これは生前小林が「骨董はいじるもの。美術は鑑賞するもの」と書き残したことが影響しており、随所で引用される白洲正子の言動を含め、本書の特色と言える。絵画に関しては本阿弥光悦、俵屋宗達あるいは仏教画に触れるものの紙数は少なく、絵そのものよりもそれがばらされたり切り取られたりして“断簡”と呼ばれる作品に転じていく過程に力点が置かれる。このようなものも美術には違いないのだが、いわゆる“骨董”の色彩が強く、率直に言って私の興味の対象外である。しかし、今まで無縁だった分野を知ると言う点においては、充足した読後感を得た。
例えば「根来」。元は紀州根来に由来するようだが「根来に根来なし」と言われるように、朱漆器として一般名詞化している。根来の特色は下塗りが黒の漆、その上に朱の漆をかける。器として長年使い込み、手入れをしていくうちに上塗りの一部がすれて剥げてくる。朱の中に浮かび上がる黒の紋様がその価値を決めるのだ。黒澤明は根来の愛好家(数寄者)であった。彼が保有し映画「蜘蛛巣城」でも使われた瓶子(へいし;神前に献酒する際徳利の役目を果たす酒器)は、2002年クリスティーズのオークションで一個(本来は一対)約3千8百万円の値が付き、一躍Negoroの名を世界に高めた。
陶磁器は紙数も多く割かれ、国宝級から数寄者たちの間を転々とした名品、自ら所有するものまで、数々の作品が取り上げられる。手に取った時の感触(手取り)、茶碗の内側(見込み)、細かいひび模様(貫入り)、底の足の部分(高台)の粒状・縮れ状の模様(梅花皮;かいらぎ)、色合い(チョッとした不純物で予期せぬ色が出る。これがかえって価値を高めることがある;窯変→曜変)などがチェエクポイント。こうなると普段使いの物でもこれらを意識して見つめて来なければならないし、いくつも評価の高いものを身近に見ないと、簡単に善し悪しの判定が出来ない。ただその判断は、陶磁器に限らず、最終的には自分の感性で決めるべきとし、近い感性を持つ先人に指導を乞うことを薦める。
形のある物はしばしば壊れる。物によっては好事家同士の奪い合いで壊されることもある。これを見事に修復しかえって価値が上がることさえ生ずる。陶磁器の場合接着・修正に用いられるのは金と漆と記されているが技法は不明。この究極は古窯や既に廃棄・破壊された窯の周辺に散らばる破片を集めて器を作る“呼び継ぎ”と言う手法だ。多ピースのジグソーパズルもここまで難しくはないだろう。それらの写真に驚かされる。初めて知った世界である。
先に古い歌仙集や巻絵をばらしたり切断したりする“断簡”なる言葉を記した。分断した後掛け軸や掛物になって今に伝わるが、動機は基本的にカネを稼ぐためである。例えば、西本願寺が所有していた「本願寺本三十六人家集」(国宝)は代々天皇家に伝えられてきたものだが1549年本願寺に下賜され、昭和初期境内に女子大を建設するためその中の「伊勢集」の部分を分離・分割したもので(石山切)、10枚を一組としそれを平均2万円になるよう値付けして32組売り出している(総額64万円)。当時600円で戸建て住宅が買えた時代である。これを取り仕切ったのは三井を近代化発展させた益田孝(鈍翁)である。因みに、彼はその十年前に秋田の大名佐竹家蔵の「佐竹三十六歌仙絵」も同様に処分している。自分が一番良いものを手に入れたのは言うまでもない。これらの購入者は表装を施し客間や茶室にこれを飾り自慢するのである。
磁器は何と言っても中国だが清朝崩壊後かなりの名品が日本に流れてきている。それが今国際市場に出てきており、“日本に在った”ことが信用となり、オークションでの落札価格を高めている。これも影響して日本発の古美術品(例えば縄文時代の土偶;国内では軽視)は総じて国際市場で評価が高い。その“流出”を嘆き、仲介者を“国賊”と罵る人々が一部に居るが、広く日本美術の質の高さを認知させるためには一概に非難することは適当でない、と言うのが著者の持論である。
小林は「骨董はいじるもの。美術は鑑賞するもの」と言った。凡人に名器を手に取る機会は先ずない。鑑賞するために、そして本書で得た知識を確認するために、各地の国立美術館や収蔵館に出かけてみるか、今はそんな気分になっている。
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