<今月読んだ本>
1)ベルリンに堕ちる闇(サイモン・スカロウ);早川書房(文庫)
2)ドイツ・ナショナリズム(今野元); 中央公論新社(新書)
3)遠い太鼓(村上春樹);講談社(文庫)
4)ソーニャ~ゾルゲが愛した工作員~(ベン・マッキンタイアー);中央公論新社
5)リヒトホーフェン~撃墜王とその一族~(森貴史);中央公論新社(新書)
6)戦国日本の軍事革命(藤田達生);中央公論新社(新書)
<愚評昧説>
1)ベルリンに堕ちる闇
-非ナチ党員の敏腕警部補がゲシュタポ局長特命で挑む幹部党員夫人殺人事件-
軍事制度に比べ警察のそれは国や時代により変化し分かりにくい。例えば、我が国に戦前存在した特別高等警察(特高)、これは専ら国内治安維持を目的としたもので、一般的な刑事事件は取り扱わない。そうは言っても治安維持と刑事事件は無関係ではないし、また国内ですべてが解決できるわけでもない。米国のCIAとFBI、さらには州以下の自治体警察、英国のMI-6(海外諜報)とMI-5(国内治安)、内務省管轄下の一般(刑事・交通など)警察、旧ソ連におけるKGBの存在(国境警備を含むので軍隊に近い警察組織)、に広義の警察機能の複雑さが窺える。さらに、一党独裁の国家では党の保安を図るため直轄の治安組織を設けることがよく見られる。ナチス党の親衛隊(SS)配下には国家保安本部(SD)がありさらにその下にゲジュタポ局(秘密警察)がつながっている。一方内務省管轄下に犯罪事件を扱う一般刑事警察が存在するのだが、その長官はSSトップのヒムラーが兼務している。このような状況下で起こった殺人事件が本書の主題である。
第二次世界大戦開戦3か月を経た12月、英仏は対独宣戦布告をしたものの本格的な戦闘は起こっていない。いわゆる“まやかしの戦争”と言われた時期である。それでも時々飛来する宣伝ビラ散布の英爆撃機を警戒してベルリンの夜は灯火管制下にある。そんな凍てつく暗夜、駅構内の引き込み線内で、かつて人気を博した映画女優の絞殺死体が見つかる。
捜査に当たるのはシェンケ警部補、一時期メルセデスベンツ・シルバーアロー号を駆って一世を風靡したレーシングドライバーだが、事故で重傷を負い今は犯罪捜査を担当する警察官になり、食糧配給切符偽造事件を追っている。所轄署は殺人事件とは管轄外だ。また信条によって世の風潮に逆らいナチス党への入党を拒否している。そのシェンケに突然ゲシュタポ局長ハインリッヒ・ミュラー大佐(実在;ユダヤ人虐殺首謀者の一人)から呼び出しがかかり、本事件を担当するよう命じられる。「管轄外の私に何故?」の質問に対して大佐は「君が有能な刑事でかつナチス党員でないからだ」と答え、「必要なことは人事を含めすべて思いのままにして良い」とお墨付きの書面を渡す。ただし早期解決が必須(事件発生は19日、クリスマス前に犯人逮捕)、失敗した場合は厳しい処分が待っていることも告げられる。
党が関わりたくないのは被害者の夫がナチスの有力な法律家であるからだ。もし犯人が党員だったら党の勢力図が一変する可能性さえある。失敗した場合非党員ならスケープゴートにできる。
党員法律家と被害者である妻の関係;人気を失った妻は金目当て年の離れた男と結婚、夫はそれでも彼女を自らのものにしておきたい。夫は知らぬが妻の浮名は知る人ぞ知る。事件当夜も国防軍情報部(アプヴェーア)のドルナー大佐とパーティーに出席している。ただ、このパーティーで些細なことで二人は仲たがい、元女優は席を立って一人駅に向かう。当然容疑者として目を付けられるのは夫とドルナーだ。シェンケ警部補は偽造配給券捜査チームを全員引き連れて所轄署に乗り込み、この二人を徹底的に洗っていくが逮捕に至る証拠は出てこない。類似の殺人事件は無いか、事件になっていない変死は無いか、捜査は多面におよぶが見通しは暗い。苛立つミュラー局長はチームに若手のゲシュタポ軍曹を送り込み、シェンケの行動を逐一監視・報告させる。サイドストーリーとなるのは、国防軍情報部長官ヴィルヘルム・カナリス提督(実在;戦争末期反ヒトラー活動容疑で処刑)の姪であるカリン・カナリスとシェンケの関係。恋人カリンはシェンケ以上にナチス批判派でしばしばそれを口外する。本筋と脇筋を結ぶのはかのアプヴェーアの大佐。ナチス党保安本部とアプヴェーアの組織間闘争は史実でもある。はたして彼は犯人なのか?
ナチス絶頂下のベルリンにおける実在の事件(Sバーンマーダー;これが執筆ヒントのようだ)や人物あるいは社会情勢(ユダヤ人問題など)を上手く援用、登場人物一人一人の世界観や性格描写に意を用い、意外な結末に持っていくストーリー展開に海外歴史ミステリーの醍醐味を堪能した。
著者は1962年生れ、歴史教師の経験を持つ英国人の歴史小説家。本作品は初めてのミステリーと紹介にある。
2)ドイツ・ナショナリズム
-時に暴走するも今や覇権国の一つ。その依って来たる民族性を2000年のスパンで分析する-
個人的なドイツ観は“愛憎半ばす”と本欄でドイツを取り上げる度に枕詞のように使ってきた。近代史を辿る時どう見ても親日的な国とは思えない。憎の来る由縁は、日清戦争における三国干渉、日露戦争のけしかけ役、ドイツ皇帝の黄禍論、日中戦争の於ける国民党支援、最近ではメルケル首相の対中政策(日本パッシング)や福島原発事故に対する反日世論など。愛の部分は専門として学んだ機械工学関係、航空機・戦車・潜水艦を始めとする兵器技術から趣味の自動車まで一目も二目も置く存在。所有した外国車2台はいずれもドイツ車、「さすが発祥の国」と納得させるものだった。しかし、日独技術格差はブランド価値を除きほぼ解消、電子技術やその組み合わせでは、工作機械のようにむしろ我が国が先行する例もある。1980年代には米国と併せて世界経済を牽引する3台の機関車に例えられた日独だが、1990年代以降国際関係(環境問題などを含む)では大差がつき、EUの主導国ばかりでなく覇権国の一つに変じつつあるのがドイツだ。愛憎と技術は一先ず置き、この国を改めて考察してみよう、そんな動機で本書を手にした。
“ナショナリズム”のタイトルはプロイセン中心としたドイツ帝国誕生やナチスによる第三帝国なる仇花を連想させるが、本書の内容はそのような一時的なものでは無く、西暦9年から現在におよぶ2000年にわたるドイツ史を辿るものである。その焦点は全体的な通史ではなく、民族あるいは国家としての欧州域における存在感に当てられる。2000年と言う長期をこのような角度で俯瞰・分析した上で現在のナショナリズムを評価する。因みに西暦9年はゲルマン諸民族連合がトイトブルクの森(現ドイツ北西部ニーダーザクセン州)でローマ軍を破り、その侵攻を止めた年である。これによりローマのゲルマン内版図はその西部・南部が限界となる。つまり、当時の「普遍」的世界であったローマとは異な「固有」の民族意識がこの年萌芽したと見るのだ。爾後この「固有」と「普遍」を行き来するのがドイツ・ナショナリズムの特質と捉え、この仮説に基づいてその変化を分析する。そこから、ある時はローマに田舎者扱いにされ、近世では英仏中心の西欧観の外周に置かれながら、今や主体性を持って欧州指導の引き受け手となったドイツの姿が見えてくるわけである。ドイツ「固有」の価値観が「普遍」化するのは、決して近代だけでは無いことが理解できる。
この「固有」と「普遍」は二者択一ではなく、状況に応じて「固有」が「普遍」化したり、「普遍」が「固有」化したりする。例えば、9世紀に神聖ローマ帝国の盟主となるとゲルマン「固有」意識が薄れローマの「普遍」性と融合、それが統治の根幹を成すようになっていく。またウィルヘルム2世治下のドイツ帝国、ナチスの勃興はドイツ「固有」を「新普遍」化するための「旧普遍」に対する挑戦であった。
戦後のドイツ連邦共和国(西独)は西欧的「普遍」価値を尊重し、やがてドイツ民主共和国(東独)を併呑して欧州の指導国となってゆくが、その姿勢は控えめなもので、米英仏から優等生として認められる。しかしながら統一後の不況から脱した後ドイツ「固有」の価値観とも言える環境政策や財政政策を欧州全体さらには世界に「普遍」化する言動が経済力と相俟って「道徳の棍棒」を振り回すドイツととられ、他の西欧諸国の苛立ち・反発が顕在化してきている。
「普遍」的価値は常に序列を生む。つまり「普遍」化に遅れたものを劣者とする。EU内では他国を、国内では旧東独民を見下すドイツに、オバマ政権の後にトランプ政権が誕生したような激変がいつ起こらないとも限らない、と言うのが著者のまとめである。
歴史的に見て、領土・統治者・統治形態はめまぐるしく変転、近代ドイツの国家としての成立は19世紀後半、いまだ2世紀に満たない。それを2000年と言う長期で捉え、そのナショナリズムを「固有」「普遍」と言う視点で分析するのは極めてユニーク。ドイツを見る目に新しい視座を与えてくれた。しかし、“おわりに”に記された「国際社会における日本の立場は、もうドイツには及ばない」のひと言は日本人として大いに考えさせられるところだ。
著者は1983年生れ、ベルリン大学哲学部歴史学科で学んだ欧州国際政治史、ドイツ政治史の専門家、PhD・博士号(法学)取得者、愛知県立大学外国語学部教授。
3)遠い太鼓
-超ベストセラー「ノルウェーの森」は如何に書かれたか。滞欧3年の紀行エッセイが明らかにする-
本欄-163(本年2月分)で同じ著者の「やがて哀しき外国語」を紹介した(1994年購入のものの再読)。著者が1991年春から1993年秋まで約2年半プリンストン大学客員研究員・講師として滞米した紀行エッセイである。その中に、この渡米前欧州に3年間居を構え創作活動を行っていたことが記されており、1千万部を超える超ベストセラーとなった「ノルウェーの森」がその一つであることを知った。村上作品はジャズの解説書やノモンハンを訪れたルポルタージュは読んでいるものの、小説は一切読んでいないのだが、「ノルウェーの森」の驚異的な販売数は記憶にあったから、その創作過程をうかがえるなら是非読んでみたいと思い探し当てたのが本書である。書題は「遠い太鼓に誘われて 私は長い旅に出た 古い外套に身を包み すべてをあとに残して」(トルコの古い唄)から来ている。
著者はバックパッカーを含め欧州を何度か旅しているが、長期逗留はこの時が初めて。本書や既読の他の著書および関連情報も含めて、今回の旅の背景を簡単にまとめてみたい。1949年生れ、早大文学部演劇専修(1968年入学、1975年7年かけて卒業)。1971年学生結婚。1974年より1981年までジャズ喫茶(夜はバー)を経営、この間1979年「風の歌を聴け」で群像新人賞受賞、執筆活動が活発化、1981年創作専業となる。1985年には「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」で谷崎潤一郎賞を受賞し人気作家となっていく。創作と併せて多くの翻訳(主に米小説)を手掛けていることから英語には不自由しないようだが、イタリア語を始めこの滞欧記で訪れる国々の言葉には通じていない。また人気作家と言ってもこの時期経済的に海外で贅沢な生活を送れるほど豊かではなかったようだ。ただし、「ノルウェーの森」がベストセラーになってからはやや事情は異なってきたことが窺える(ランチャの新車を購入する)。
さて動機である。先ず、常々40歳を人生の節目と考えており「それまでに何かを残したい」と考えていたことである。旅に出た時は37歳であった。次に、長編小説を書くときは他の仕事を放り出して徹底的にそれ一つに集中してきた。従って仕事のペースは速い。しかし、ある程度人気が出てきたこともあり日本における環境は落ち着きがなくなってきていた。これが長旅に駆り立てる理由だった。
旅の始まりは1986年10月ローマから始まり1989年10月のローマで終わる。しかし3年間ローマにだけ留まっていたわけではない。ここはベースキャンプなのだ。ローマをベースにしたのは気候が第一、他の欧州の冬は厳しい。もう一つは古い友人の一人がここに居たことによる。そこから出歩いた先はシシリー、トスカナなどイタリア国内ばかりでなく、ギリシャの島々、ロンドンさらには何度か短期間東京にも戻っている。一時帰国の理由は主として出版社との打ち合わせだが、自動車運転免許証取得もある。欧州に居てクルマを所有・運転できないことが如何に不自由かを痛感したからだ。
創作の旅で頻繁に訪れるのはギリシャ。最初に居を構えたのはアテネの南東方向にあるスペッツ島の個人所有別荘、オフシーズンで貸しに出ていたのだ。美しいエーゲ海を目の前に書くことに集中できる理想的な住まいと現地を訪ねず契約。しかし、観光客皆無ではホテルもレストランもほとんど閉めており、英語も通じず、チョッとした日常の用足しにも不自由、おまけに嵐に襲われ散々な目にあう。ミコノス島、クレタ島、レスボス島、ロードス島すべてシーズンを外して滞在した多くの島で異次元体験をする。ギリシャは島々ばかりではなく、何とマラトン・アテネ間のフルマラソンに参加、完走している。
イタリアの話は不快な話題が多い。「ノルウェーの森」は主にシシリー島のパレルモで書かれるのだが、治安の悪さ(マフィアの横行)や無愛想な人々で悪印象。またベースであるローマの犯罪(スリ、かっぱらい;スクーターによる夫人のハンドバッグ強奪事件、これでパスポート・航空券を失うが、それに対する警察の対応の悪さ)、交通事情(渋滞・駐車難・バスの運行)、公務員(特に郵便)サービスのいい加減さ、が何度も取り上げられる。原稿の郵送などとても信頼できず(友人が日本から送ってくれた冷麦が結局届かなかった)、「ダンス・・・」の仕上げはロンドンで行い、そこから日本宛てに送ることにしたほどだ。新車で購入したランチアがオーストリア旅行中突如動かなくなるのもイタリアならではの出来事である。楽しい話で印象的なのはワインに関する話題。喫茶バーの経営でかなり酒(ワイン以外を含む)に精通しているらしく(かつ強い)、「通ではない」と断わりながらトスカナの小規模なワイナリーや民宿を訪ね歩く旅は「出来ることなら私もしてみたい」と叶わぬ旅情をかきたてられる。またジャズに関しては解説書を出すほどだが、クラッシック音楽の知見もなかなかのもの、オペラを含むその蘊蓄も読みどころだ。今度の旅は夫人同伴、作家の創作以外の日常が垣間見えるのも本書の興味深いところだ(意外と規則正しい健康的な生活を堅持)。
外国滞在記はとかく「xxxでは」調の外国礼賛あるいは蔑視型になりがちだが前回紹介の「やがて哀しき外国語」同様自然体で3年間の外国生活が描かれ嫌味を全く感じさせない。それが村上文学の基調なのかな、と思ったりもする。
4)ソーニャ~ゾルゲが愛した工作員~
-ドイツ系ユダヤ人として生まれ、93歳の天寿を全うした凄腕ソ連女スパイ。彼女によって原爆開発は4年早まった-
リヒヤルト・ゾルゲ、昭和史否世界スパイ史に名を留める著名なソ連スパイ。父ドイツ人母ロシア人の子として1895年バクー(現アゼルバイジャン)で誕生、大学はドイツで学び第一次世界大戦にも従軍、戦後ドイツ共産党員になる。コミンテルン(国際共産主義運動)の一員としてモスクワで訓練受けてソ連国防軍情報部(GPU;ゲー・ぺー・ウー)に採用され、ドイツ人ジャーナリストとしてスパイ活動を開始する。最初の任地は上海、1930年より国民党と中国共産党(中共)および日本軍の動きを探る。ここで彼のネットワークに組み込まれるのが、米国共産党のシンパでジャーンリストのアグネス・スメドレーや朝日新聞記者の尾崎秀実(ほつみ)である。ゾルゲの次の活動地は日本、1933年秋に来日し最初は駐日ドイツ大使館に食い込み、ここでナチス党にも加わって信頼を得る。それとともに旧知の尾崎を中心にスパイ網を構築、当初はドイツ関連(ドイツ国内、日独関係)情報主体であったが、1938年近衛内閣が発足するとそのブレーンとなった尾崎より日本の高度政治・軍事情報を密かに入手、モスクワに通報する。ドイツのソ連侵攻警告を何度も送るがこれはスターリンに無視される。しかし、独軍侵攻後日本の南進が有力との報は東部ソ連軍の欧州戦線大規模移動につながりソ連の危機を救う。この功により戦後ソ連邦英雄の称号が贈られるが、その時ゾルゲはこの世に居なかった。1939年来米国帰りの共産党員を密かに追っていた特高が彼につながる人脈をたどり1941年太平洋戦争を前に尾崎、ゾルゲ等を逮捕、1944年処刑していたのだ。この凄腕スパイが上海でスカウトした工作員の一人が本書の主人公ウルズラ・クチンスキー(暗号名ソーニャ)である。
ウルズラは1907年生まれのドイツ系ユダヤ人で6人兄妹の長女。祖父の代に財を成し父は人口統計学者。ロシア革命が成り、第一次世界大戦に敗れたドイツでは共産党への期待が高く、女学生の彼女もそれに惹かれ、家族の反対をよそに街頭デモなどに参加するようになる。この政治意識と伴に反体制へと突き動かす動機は女性差別に対するそれだ。兄はベルリン大学で学び米国留学するほどだが共産党員、父は政治活動はしないもののシンパである。こんな環境から彼女もやがて入党。女性の大学進学は叶わぬことから女学校卒業後は出版社に職を得るが満たされない日々を送る。そんな時4歳年上のルドルフ・ハンブルガー(ルディ;彼も党員ではないが共産主義信奉者、ユダヤ人)と知りあい、二人は1929年秋結婚する。しかし国内経済の混乱や大恐慌の影響もあり、ベルリン工科大学建築家で学んだルディも国内では仕事が見つからず、友人の伝で上海租界の工作局で働くことになり、二人は1930年7月シベリア鉄道経由で上海に向かう。
ルディの仕事は順調だが植民地同様の租界は活動的な女性にとっては退屈至極、そこで友人となるのが中共の宣伝役とも言えるアグネス・スメドレー、ここからゾルゲにつながり、ルディも了解の上でGRUの工作員になっていく。この時二人の間に長男(ミヒャエル)が誕生している。
先ず訓練のためにモスクワへ。ルディを上海に残しミヒャエル(3歳)と陸路チェコに在るルディの祖父母の別荘に向かい、そこに子供を預けウルズラは単身モスクワで通信技術を含むスパイ訓練を受ける。最初の任地は奉天(現瀋陽)、日本の動きを探るのが任務だ。これにはヨハン・パトラと言う上官が同行、仮想夫婦としてふるまわなければならない。ミヒャエルを引き取りイタリアのトリエステ経由で海路上海へ。ルディとの再会も束の間、通信機の部品などを取りそろえ3人(ウルズラ、ミヒャエル、ヨハン)は奉天に向かう。スパイとは言え男と女しばらくするとウルズラはヨハンの子を懐妊、やがて奉天のスパイ網の一端が崩れ3人は急遽上海に逃げ、その際ウルズラはヨハンの子を身ごもっていることをルディに告げ認知を乞う。ここでも人の良いルディはそれを許し、1935年ウルズラとミヒャエルは次の活動拠点ワルシャワへ旅立つ。今度はドイツとポーランドの動きを探るのだ。ナチスドイツ政権は既に1年余ユダヤ人排斥は活発化しておりウルズラの両親・兄妹は英国に逃れている。ワルシャワで生まれた長女ニーナの面倒を見てくれるのはウルズラの乳母であったオロ(純粋のドイツ人)。1939年9月ドイツのポーランド侵攻、ワルシャワの次は中立国スイス・ジュネーブでの情報収集、昇進したウルズラの下にスペイン市民戦争に参加し、共和国軍側で戦った二人の英国共産党員が加わる。しかし、ここも中立国とは言え安泰ではない。国内に跋扈するスパイたちをスイス官憲が追い、国外追放するのだ。おまけにウルズラの旅券有効期限が迫っており切れるとドイツへ送還、確実に絶滅収容所入りだ。やむを得ず2度目の仮想結婚をし、英国へ逃れることを目論む。今度の相手は部下の英国人工作員レン・バートン。しかし、両人とも共産主義者として入国管理機関のブラックリストに載っており、なかなかOKが出ない。その間ウルズラはレンとの子供を身ごもる(英国で生まれる次男ピーター)。やっと結婚が認められスイス→南仏→スペイン→ポルトガルと逃避行を続けリスボンから出た船がリヴァプールに着いたのは1941年2月、ここで待ち受けるMI-5(国内諜報機関)の取り調べを何とか潜り抜け、先に渡英していた両親や兄妹と合流。さらに住まいをコッツウォルズに移してスパイ活動を継続する。今度は同盟国英国の対ソ動向を窺うのだ。ここで役立つのは学者として著名人に接触する機会が多い父親。この段階で父にはソ連のスパイであることを打ち明けている。独ソ戦の開始もあり英国の対ソ政策は最重要関心事、ウルズラへの期待は大きい(本人には知らされていないが大佐の階級が与えられている。女性の大佐はGRU初)。
英国での大ヒットは英米共同で秘密裏に進められていた原爆開発プロジェクト(マンハッタン計画)。ウルズラの網に主要メンバーの一人物理学者のクラウス・フックス(ドイツ人、共産党員、戦前英国へ亡命)がかかる。ここからもたらされた原爆情報はソ連のそれを4年早めたと後に言われるほどかけがえのないものだった。
海外勤務終焉は1947年2月、フックスの逮捕がきっかけとなりMI-5の追及をかわして下の子二人(ミヒャエルは英国の大学に在学)を連れて同月東独へ逃れる。住まいは生まれ故郷のベルリン、1955年最初の夫ルディと20年ぶりの再会も果たす。1989年ベルリンの壁が崩壊した時には82歳、2000年7月没(享年93歳)、その2か月プーチンロシア大統領は「GRUのスーパー工作員」として友好勲章を授与する。超一級のスパイの証だ。
著者はタイムズのコラムニスト・副主筆から作家に転じた人。既刊作品「KGBの男」「ナチを欺いた死体(映画「ミンスミート作戦」の原作)」「英国の二重スパイシステム」「キム・フィルビー」はすべて本欄で紹介しており、綿密な調査を基にした詳細かつ臨場感のある作風はノンフィクションのジョン・ル・カレと称されるほど。今回も多数の文献に当たるほか、遺族(特にミヒャエル、ピーター;両人とも学者、ニーナは高校教師)や旧東ドイツ秘密警察(シュタージ)職員への聞き取り調査も行ってソーニャの公私両面を深耕、Lover(愛人)・Mother(母親)・Soldier(戦士)・Spy(スパイ)を偏りなく描き出している。因みに、この副題はル・カレの名作「Tinker(鋳掛屋)・Tailor(仕立屋)・Soldier(戦士)・Spy(スパイ)」のオマージュである。
5)リヒトホーフェン~撃墜王とその一族~
-撃墜王の伝記と思ったが羊肉は7割、残り3割は狗肉。しかし、これが意外と珍味だった-
来年はライト兄弟のフライヤー号が空を飛んで120年目になる。いまだ発展途上にあるITを一先ず置けば、人類によって発明された道具の進歩と言う点において、これほど早いものはなかろう。
我が国の空への活動が許されたのは占領も終わりに近づいた1951年、航空雑誌で知った世界は子供心(と言っても中学生だが)をかきたて、航空技術者への夢を膨らませた。諸般の経緯でそれは叶わなかったものの、“三つ子の魂百まで(83歳だが)”、この間模型作りや航空雑誌で飛行機への関心は持続している。それもあって航空に画期をもたらした人物の伝記類は一通りそろっている。ライト兄弟、リンドバーグ、ゲーリング、ハインケル(独航空機設計製造者)、ドーリットル(日本本土初爆撃)、ハルトマン(史上最多の撃墜王;352機)、中島知久平(中島飛行機(現スバル)生みの親)などなど。しかし、空戦の歴史に欠かせない人物、第一次世界大戦の撃墜王(80機)マンフレート・フォン・リヒトホーフェン(通称レッド・バロン;赤い男爵;乗機・編隊機を赤に塗装)に関しては、伝記のように一冊にまとめられたものはない。本書の主題・副題を目にして飛びついた次第である。
結論から言えば、生誕から25歳での戦死までの短い生涯を一通り分かり易くまとめられている点で買って損は無かったが、羊頭7割狗肉3割、何か不快感の残る本だった。不満の部分は肉料理の組合せにある。副題の“その一族”がそれだ。序章の“リヒトホーフェンの家系”を読み始めた時嫌な予感がした。これが延々と続くのだ。“赤い男爵”がシュレージェン地方(現ポーランド領)の貴族の末裔であることは知っていたが、その祖先を辿り“リヒトホーフェン”と“フォン”ばかりの家系講釈が延々と続くのである。著者の目論見はリヒトホーフェン兄弟(弟ローターもエース戦闘機乗り)と同姓の姉妹(エルゼとフリーダ)に関する話を一冊の本にまとめることにあったのだ。これが実の姉妹や従姉妹・又従姉妹あるいは叔母くらいなら許せるのだが、同姓以外は共通点の無い二人を“一族”としてまとめてしまうのだ。牽強付会の何物でもない。著者もこれは気になっていたのであろう、結びで「撃墜王とその弟に関心いただいた読者には姉妹の2章は蛇足だったかもしれない」と断わった上で、それでも「(たまたま)同姓の二組を描写することで同時代の全く異なる断面を供覧したかった」とし「100年ほど前の巨大な転換期を多面的にとらえる契機としてもらえれば、幸いである」と終える。信じられない論法だ。
本書は235頁から成り序章と結びを除けば220頁、その構成は4章から成り、第1章はマンフレートでここに110頁、第2章はローターに30頁が割かれ、残り2章はエルザ・フリーダ姉妹で80頁となる。この配分から見れば“買って損は無かった”と言える。マンフレートの少年期からの孤独指向、狩猟に対する異常とも言える関心と腕前を知ると後の撃墜王の理解が一層深まったし、ローターについて兄同様プール・ル・メリット(軍人に与えられる最高の勲章;別称ブルー・マックス)受賞のエース・パイロットであったことを本書で初めて知ったのも収穫だった。ただ、戦史や技術史としての深みは無く、その点では軽い内容のものだ。
では私にとっては蛇足であったエルザとフリーダの章はどうだったか。これが予想外のおまけだったのである。エルザはマックス・ヴェーヴァ―の弟子かつ愛人(夫も子供もいるが)、ドイツ女性初の博士号取得者(裏にヴェーヴァ―の存在がある)。妹のエルザも年の離れた英国人と結婚後子供をもうけるが、遥か年下のD.H.ローレンス(チャタレー夫人の著者)と駆け落ちする。つまり、チャタレー夫人のモデルなのである。姉妹の男関係の乱れにあぜんとさせられた。著者は他の行動を含め当時は制約の多かった女性の社会活動活発化の先駆者として二人を捉えており、本職の研究もそこにあるようだ。狗の肉もたまには珍味と言うところか。しかし、羊料理と一緒盛りはいただけない。
著者は1970年生れ、ベルリン・フンボルト大学でPhDを取得したドイツ文化論、ヨーロッパ紀行文学の専門家、関西大学文学部教授。
6)戦国日本の軍事革命
-軍事革命中世日本版、鉄炮普及はアジア最速で進み、統一国家実現の決め手となった-
軍事革命(the Revolution in Military Affairs;RMA)なる言葉は4半世紀前から使われ始め、当初はサイバー兵器やメディア対策のようなITを主体とする軍事技術や作戦を意味していた。これが最近ではAI、ロボット、ドローン、衛星技術さらには遺伝子利用なども取り込んだ新たな兵器・作戦・戦場を想定したものに発展してきている。ただ、既刊の出版物は技術先行・ハードウェア重視で狭義の作戦を語る傾向が強く、新兵器の運用(兵站を含む)、人材育成や組織改編、さらにはそれを支える社会システムなどソフトウェア面が希薄になっている(米軍の教本など専門書は別として)。同じ兵器を等しく持っても考え方・運用、つまりソフト次第で大差が出る例は枚挙に暇がない。制空権が戦いの決定力との認識は第一次世界大戦末期から各国とも共有したが、空母を集中運用する機動部隊と言う発想を先行させた我が海軍が太平洋での戦い前半戦をリードしたのはその好例だろう。
本書を書店で目にした時真っ先に惹かれたのは“軍事革命”だが、次に気になったのは副題にある“鉄炮”、「また長篠の戦いか」と手に取るのを躊躇したが、最後の“統治”が気になり頁を繰ると“鉛インゴットの出土位置と流通ルート”の図が出てきた。最近の遺跡発掘研究の成果である。「これは従来の鉄砲伝来ものとは違う!(鉄砲本体以外のことを詳しく書いたものを初めて見た)」と購入を決した。
先ず鉄炮伝来から普及までを解説する。ここではその普及速度がアジア最速でることが強調される。国産化がきわめて早期に達成されるのだが、ここでは日本刀の鍛造技術と刀鍛冶の存在が大きい。この過程で堺、近江国友、近江日野、紀伊根来などに鉄炮鍛冶集団が発生する。これと並んで重要なのが武器商人の存在、弾となる鉛や硝石は国内には存在せず、中国や東南アジアから輸入となる。朝鮮半島から中国地方経由か九州南部から西向かうルートはいずれも堺や近江に集まる。これが先述の図で説明される。ここで暗躍するのがイエズス会の宣教師たち、彼らの裏面は死の商人だったわけだ。もう一つ欠かせないのが砲術師、弾の製作、火薬の調合、射撃の指導(高度な算術を駆使)、早期導入の大名らに学んだ砲術師は引っ張りだこで諸国を巡る。鉄炮を大量使用するためには人材育成が欠かせない。ここは砲術師に足軽を訓練させて常傭プロ化する。また独立の専門集団を形成するものもあり、伊賀衆・甲賀衆・根来衆・雑賀衆などが代表例、強力な傭兵集団となって大名、国人領主に抱えられる。
何と言っても数は力。長篠の戦いで信長勢は千丁以上の鉄炮を揃えている。また同数の戦いでは弾や火薬の保有量が勝敗を分けている。つまり兵站力の差である。これには充分な財力が不可欠、「信長検地」をはじめ財政基盤強化策が種々打ち出される。また配下大名への報酬を従来の貫高制(金銭)から石高制(米穀)に改め領地移動を容易にして彼らをあやつる。このような諸統治策を一旦鉄炮から離れて縷々説明、当時の天下統一推進の難しさを示す。この中で初めて知ったのは秀吉の朝鮮征伐失敗の一因。武士は先ず仕える大名に忠誠を尽くすので他藩の日本人に同胞意識が薄く、各大名軍がばらばらに戦って戦況不利に陥ることがしばしば起こっていることだ。近くで信長や秀吉が手綱を引き締めていれば成功してもそれ統一統率力を欠くと戦力が著しく低下する。国内戦でも言えることだが鉄炮は集中運用がカギ。総大将に指揮権を集中するために陣立書(または図;現代の戦闘序列)や軍法が現れるのもこの時代。
長篠の戦いを起点に、小牧・長久手の戦い、大坂の陣(冬、夏)、関ケ原の戦い、島原の乱(最後の国内大戦争)などにおける野戦や攻城戦を分析、鉄炮隊の大規模運用つまり軍事革命がもたらした最大の成果は、在地領主制の否定に依る統一国家誕生にあったと結ぶ。
鉄炮が常に登場しながら主題はあくまでも領地・国家の統治、ソフトへの踏み込みが深いく、軍事革命の本質理解のために適切な内容と評価する。ただ構成が時代順でなく同じ話題を、視点を変えて繰り返すところが多々あり冗長感を免れない。それとこれは日本史研究の宿命かも知れぬが、細かなところを問題視する姿勢が気になる。
著者は1958年生れ、日本近世国家成立史専攻、三重大学教育学部教授。
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