2008年12月6日土曜日

滞英記ー12

Letter from Lancaster-12
2007年8月11日

 当地もやっと明るい日差しと気温が、夏らしさを感じさせるようになってきました。機会が無かった半そでのポロシャツを着て本報告を書いています。現在の最大のニュースは口蹄疫です。人口が6千万人に対し、羊2千3百万頭、牛1千万頭、豚5百万頭、主食が肉の国ですから大変なことです。それも動物保健衛生研究所が発生源と言うことで政府も対応に大わらわです。ブラウン首相は就任以来、テロ、洪水そして本件と対応に休まる間もありません。英国人の評価は、知識人とほとんど交わる機会が無い私に今ひとつ分かりまりませんが、TVで観る限り、先頭に立ち問題に取組んでいるように見受けられます。派閥のお神輿に乗っているだけの、日本のトップとは大違いの印象です。このリーダシップもあるのかスーパーの食肉売り場はそれ以前と何ら変わりません。
 本レポートは時々お断りしているように、自分の滞英記録を兼ね、何とか単なる週報でなく“英国”を理解するテーマを選びながら書いています。その点では、“旅”はいくらでも材料を提供してくれます。しかし、研究テーマは<ORの起源>、<指導者の意思決定>、更に<この二つの関係>にあるので、単なる紀行文にならぬよう心がけています。
 今回はこのところ続いた旅の報告から離れ、異変続きの旅から自宅に帰着し開いた郵便受けから話を始めます。<市民税督促状来たる>です。これと関連して、この国における社会人としての<身分と信用、そして仲間>の2編で今回の報告をまとめました。

 研究の方は、先週Mauriceから薦められ、彼が大学図書館から借り出してくれた「O.R. in World War 2-Operational Research against the U-boat-」と言う本を読み始めました。当時沿岸防衛軍団(Coastal Command)でブラッケットと伴に対Uボート作戦へのOR適用に従事した、Waddingtonと言う生物遺伝学者(CBE;Commander of British Empire;Knightに次ぐ勲爵士)がまとめたものです。オリジナルは終戦直後に書かれましたが、冷戦で出版を禁じられ、1973年ようやく日の目を見たものです。今まで目を通してきた本に比べ、数式なども多くそれが機密に関わることは確かでしょう。相当歯ごたえがありそうですが、書き出しから引き込まれています。防空システム(主役は戦闘機軍団)から始め、その実績を踏まえた横展開の第一段階がこの対Uボート作戦です。私の研究もここから第2段階に入ります。

<市民税督促状来たる>
 歴史的洪水の中を一日遅れでやっと戻った夕方、家に入る前にフラット入口に在る郵便受けを見てみました。ジャンクメールが投入口まで溢れています。その中に茶封筒が混ざっていました。“やっと何か来たな”と思い部屋に落ち着くと直ぐ開いてみました。それは予想に反し、市役所からの市民税督促状でした。
 “やっと”の背景は以下のようなことです。5月に不動産屋と契約した際、担当の女性が「契約が出来たので、直ぐ入居通知を電力会社、ガス会社とCity Councilに送っておきます」と言うので「支払い方法はどうなりますか?(この時はCity Council(市役所)よりは電力・ガス代が頭にあった)」と聞くと、「四半期ごとに支払うことになります」との返事がありました。3月末、6月末、9月末、12月末と言うことです(水道代も同じですがこの時はその話は出ませんでした。また電話代は一ヶ月単位です)。“やっと来たか”と待っていたのはこれらの支払い請求書と市民税の“納税領収書”でした。
1)市民税
 6月初め市役所から封書が来ました。6月から来年3月までの市民税(州を含む地方税)の支払い税額通知です。税額は各月と総額が示されています。裏には支払い方法が各種記載されていますが、銀行振り込みを勧めており、その部分だけは少し詳細な説明があります。月額納税額は121ポンドです。短期滞在者でもごみの収集を始め、見えないサービス(道路のメンテナンスのような)でお世話になっているわけですから税金を払うことは納得です。
 二つの点で疑義があったので、タウンホールへ出かけました(行政機関としての市役所は;City Council、建物としての市役所は;タウンホール)。二つの疑義とは、第一は;ビザ無し入国なので滞在は6ヶ月限度、10月中旬に帰国するため何月分まで納めなければならないかと言う点、第二は;短期滞在者扱いで銀行口座が開けないのでどのような支払い方法が適当か、です。
 タウンホールは以前ご説明した、川中島型市街中心の直ぐ外側、東側にあり実用に供されている建物では市内で一番重厚な雰囲気を持ったものです(これ以外にはお城と修道院がありますが)。ファサード(正面玄関)は英国人の好きなパルテノン風、階段を上がった入り口左右には戦闘斧が一対に立てかけられています。これは9時に出され、3時に終われます。諸事務の受付はこの時間までです。
 日本での経験から、入口に受付があり、そこで指示され税務課のような所へ行くことを予想しましましたが、玄関ホールに入ると左側にカウンターがありその中に数人の黒いスーツを着た女性がいました。ホールの右側にはコの字型に椅子が並べてあり真ん中にテーブルが置かれています。順番待ちや書類照合などに使われているようです。よく見るとカウンターは単なる受付ではなく、頻繁に相談者が来ると思しき用件の対応場所でもあるのです。“Council Tax”は確りここにありました。比較的空いており、直ぐに中年の女性が対応してくれました。来訪の趣旨、身分などを説明し、第一の疑義について質したところ、即座に「分かりました。では9月分の支払いまでしてください。それが納税されたら再度ここへ来てください」と明快に答えてくれました。第二の点については、郵便局で支払う方法、インターネットで支払う方法を簡単に教えてくれました。インターネットの市役所ホームページ(HP)は支払い請求の書類に記載されており、そこへアクセスし、納税者番号とクレジットカード番号を入力するだけでよいとのことでした。「簡単ですよ!」「9月分まで纏めて払ってもいいですか?」「もちろんです」と言うような按配で市役所訪問を終えました。
 数日後(6月初旬)HPにアクセスすると、簡単に納税のページまで達しました。そこへ税額(初めてなので一括は止めて、6月分のみ)を入れ、クレジットカード番号を入れて先に進むと“Accept”と出てきたので、この画面をコピーしてMSワードに貼り付けました。これはプリンターを持っていないため、何かあったときの証拠として保存したわけです。これで完了。実際の支払期限は7月1日ですが早々と納税したわけです。
 7月中旬からこの納税に対する何らかの通知が、電子メールか郵便で来るはず、と待っていたところへ来たのが督促状だったわけです。「何だ?これは!」
 督促状には、「貴殿は未だに6月分の市民税121ポンドを納税していない。ついては7月28日までに納税すること。もし納税せず、さらに一週間が過ぎると、年額相当を一括払うことになるのでご承知おきを。もし、一括納入が不能の場合…。本件に不服のある場合は…」とあります。再度「何だ?これは!」です。
 ブリストルから帰ったのが21日(土)、22日は日曜日。23日(月)から24日(火)にかけヨークへの旅行を入れてあったので、出かけられるのは25日(水)しかありません。

当日朝直ぐにタウンホールへ出かけました。残された日にちは僅かです。玄関入口に立てかけられた戦闘斧が、今にもガツンと頭の上へ振り下ろされるような、悲壮な気分です。朝一番なので黒いスーツの女性職員たちはPCを立ち上げるなど準備に追われています。それでも間もなく市民サービスが始まり、私よりも先に来ていた2,3人が相談に入りましたが簡単に済み、10分もしない内に私の番が来ました。今回は若い女性です。「おはようございます。ご用件は?」「実はこれが届いたもんで」と督促状を示すと、ニッコリしながら(あなたもこの件で来たのね?)と言う感じで対応してくれました。「HPにアクセスし、6月上旬に払ったつもりですが、初めてなので何か不都合があったかも知れません。そちらのコンピューターに何か残っていないでしょうか?」「(画面をチェックしながら)何も記録はありませんね」「こちらは証拠を残しておいたんです。納税の最後の画面を。ここでPCを立ち上げさせてもらってもいいですか?ハードコピーのシステムが無いもんで」「どうぞ」 カウンターは水平で無くこちらに向けて傾斜しており、傾斜面には案内などが書かれています。他の荷物を持っているとPCの操作も覚束ない。彼女が他の荷物を預かってくれる。やっと画面が出たのでPCを渡すと「ウォ!」とビックリ。無理も無い。画面はHPの最終ページをコピーし、これをMSワードに貼り付け、そこに日本語で私がいろいろコメントを書き込んだものだったからである。「すみません。納税画面のほかに私がコメントを書いたものです。このHPの画面をみてください」「アーァ これね!あなたこの後4桁のコード入れましたか?」「エッ!?何ですかその4桁のコード?」「暗証番号よ。こちらから通知するの。それを入れて納税が完了するのよ」 “ガツーン”戦闘斧が振り下ろされた瞬間です。「(チョッと嘲笑気味に)簡単だから家に帰って直ぐやってみて」「いや これから郵便局へ行って払ってきます。郵便局での支払いはどうすればいいんですか?指定の用紙か何か必要ですか?」「何にも要らないわ。最初にお届けした納税請求通知書があるでしょう(持参していたのでそれを見せる)?このバーコードのところを“ピッ”とやるだけ。簡単よ!グッドラック!バイバイ!」 
2か月分(7月分も合せて払うため)の現金をATMで引出し、郵便局で現金と通知書を出すと“ピッ!”。1000ポンドを超える追徴税、戦闘斧の一撃を辛うじてかわした一瞬です。
2)英国の個人税 不動産に関わる税や相続税のように、私には関係ない税金は別にして、この市民税を始め所得税や消費税はどうなっているのでしょうか?当初の渡英計画では、1年滞在のビザを取得し本格的にこちらで市民生活を送ることになるので、一通り税金に関する情報収集をしました。当地へ来てからも折を見てこの問題を聞いてみたりしています。正確な実態把握が出来ているわけではありませんが、大よそ理解していることを整理してみます(このメールをお送りしている方には、英国在住経験者もいらっしゃいますので、間違えがありましたらご指摘ください)。
①市民税(住民税)
 私の税額はどう決まったんだろう?適正なのだろうか?日本では住民税は所得の確定申告に基づいて算出され、5月の終わり頃通知が来ます。このルールだと、私の場合英国では所得が無いので算出ベースがありません。色々調べてみると、どうやらここの住民税の算出基準は、居住地域によって決まるようです。日本の固定資産税の算出法と類似しています。
 額については、自分でもここに住んでそれなりの見返りを期待するならこれくらいは仕方が無いのかな?と思っています。しかし、その見返りについては十分それを享受できていないのではないか?とも思っています。たとえば市内を走るバスのみならず、鉄道もシニア割引(市内のバスは高齢者は無料)あるようで、その資格取得がよく分からないため、一般の料金を払ってこれらを利用しています。これはブリストルを訪ねた際、ジェフから「一つ言うのを忘れていたことがある。鉄道は往復買ってしまったか?シニア割引が適用できるはずだったんだ」と言う具合です。市内バスの方はどうやら一定期間以上居住している人に与えられる証明書のようなものが必要で、皆さんそれを提示し、乗車券を発券してもらっています。Mauriceに始めて会った時「昨秋65歳になったのでバスの無料パスを持っているんだ」と嬉しそうに語っていました。バス会社はこの発券に基づいて、しかるべき収入を得ているのでしょう。
 具体的税額(月額約3万円)について最近Mauriceに話したところ、「リーズナブルだ」と言っていました。
②消費税(付加価値税;VAT)
 17.5%です!とんでもなく高いです!ただし、食料品は無税です!VAT導入時には、食料品の他に、燃料代、電気料金、子供の衣服も無税(VAT適用外)だったそうですが、電気料金は環境問題対応から8%、17.5%と引き上げられ、現在は他の物と変わりません。燃料代はガソリンに関する限りVATはありません。しかし1リッター約1ポンド(250円!ただしこれは為替レートのマジックで、生活感覚に基づけば180円位の感覚です。それでもガソリン代はかなり高いですが)もするところから、日本のガソリン税に相当するものが高い割合を占めていると考えられます。二重課税をしないと言うことでしょう。子供の衣服は無税のままのようです。
 “ゆりかごから墓場まで”福祉政策に優れた国だからこんなにVATが高いのかと思うと、これは英国だけが突出しているわけではなく、欧州の主要国家は概ねこのようなレベルにあるようです。
③所得税 VATでお金の流れの出口を確り抑えて税金を取る。日本の入口主義(所得ベース)とは全く逆に見えます。それでは英国では所得税はあるんでしょうか?もちろんあります。低所得の非課税限界がどれくらいか分かりせんが、40%と23%(多分)の2段階です。この境界値も掴んでいません。
 このようなシンプルな2段階方式になったのはサッチャー政権からで、それ以前は日本同様累進的にもっと多くの区分に分かれていたようです。サッチャー首相は、経済の活性化の鍵を富裕層の消費・投資意欲にあると考え、税金の“フラット化”を掛け声に2段階にしたそうです。制定当初は40%と25%でしたが、25%側は何度かの修正で現在は23%のようです。支出側(経費)をどこまで認めているのかも全く不明ですが、この税率は決して低いものではありません。
 よく調べてみると、この所得税と言うのはわが国で、いわゆる所得税の他に厚生年金、失業保険、健康保険を含むものであることが分かりました。また、通常の勤労者は概ね40%が適用されているようで大変な負担である推察できます。

 出口だけでなく入口も確り抑える。これが英国の個人税制です。これで福祉国家が支えられているのです。この傾向はここ英国に留まらず、欧州先進各国に共通するもので、たくさん税金をとって“国家が個人の面倒をみる”社会を、理想と考える人達が多く存在し、しばしば社会主義を標榜する政党が政権の座につくわけです。現に英国の労働党は幅広く・根強い支持層に支えられ何度も国家運営の責務を担ってきました。英国人一人当たりのGDPが日本を超えるほど経済が活況を呈しているのは一人サッチャー女史の功績だけとも考えられません。ブレア労働党政権もこれに寄与しています。“主義だけ”が先行する日本の社会主義政党とは全く違う、地に足が着いた独自の政治理念がそれを可能にしているのです。“税金で賄えないならスーパーカジノご開帳だ!” これがブラウン労働党新政策です。自民党も民主党ももっと“税金の根本を問う”政策論争をして欲しいものです。そしてマスコミは、これを分かり易く国民に伝えてください。

<身分と信用、そして仲間> 初めてパスポートをもらった時(1970年)、葵の御紋の入った印籠でももった気分でした。“これさえあれば諸国漫遊自由自在だ”と。考えてみるまでも無いことですが、あれはただ“日本人”であることを証明しているだけで、それ以上のものではありません。“日本人だから良い人だ”とか“日本人だから信用できる”とはならないわけです。入出国管理やホテルなどではそれなりに身分を示す機能を持っていますが、外国社会で生活する上では殆ど効力はありません。随分昔のことですが、アメリカ滞在中の先輩が何かの折り「Identification(身分照明)は?」と問われたので、パスポートを見せたところそれではダメで「他のものはないか?」と再度問われたので、「これでどうですか?」と所属していたアメリカ化学工学会の会員証を見せたところ、「これで良いのよ」と言われ事なきを得たと言う話を聞いたことがあります。
 こちらへ来て一番痛切に感じていることは、自分(の身分)を相手(企業・人)に信用してもらうことです。企業に所属していた時はそれが信用になります。しかし自由人になり外国で生活しようとすると、自由であることが一番信用を欠くことなのです。自由がもっとも不自由と言う皮肉な自家撞着になってしまうのです。
 長期滞在可のビザ(例えば研究者ビザ)があれば、少なくとも日本のパスポートとは桁違いの信用が得られます。そして大学の客員研究員になっていたら、更に数等高い信用力になるでしょう。ひょっとするとそこらの英国人以上の信用力かもしれません。
 企業の一員と言うような信用力を含めて、公的・半公的な身分による信用の他に唯一ある他の信用力は“この国に銀行口座を持っている”ことです。しかし、開設のためには公的・半公的身分の証明が求められます。堂々巡りです。
 現金は信用には繋がりません(しかし、短期の問題解決には役立ちます。ただ、足下を見られるので“不平等条約”を飲まざるを得ません)。犯罪者と間違われるかもしれません。銀行口座開設審査が厳しくなった背景は、テロや麻薬ビジネス関連のカネの流れを絶つためだともいわれています。
 クレジットカードも限りなく現金に近い性格です。郵便局で税金を払う際、試しに「クレジットカードで払えますか?」と訪ねると、「クレジットカードは受け付けません。デビット・カード(銀行のキャッシュカード)はOKです」と返事が返ってきました。これも銀行口座がないと持てません。
 そんな訳で未だに、私には銀行口座はありません。曲がりなりにもここで生活出来ているのは、幸運に恵まれたとしか思えません。先ず、Maurice Kirby教授の紹介状が不動産屋では効力を発揮してくれました。電話加入では不動産屋の助けで何とかそれが実現しました。いずれも交渉初期に必ず“銀行口座はありますか?”と聞いてきました。このプロセスを辿ると、結局Mauriceの私に対する“信用”がその出発点になります。
 ビザがあり、銀行口座を持ち、税金を納めていても、この社会で生き抜いていくことの要件が揃ったわけではありません。“仲間”として認められる必要があります。
 ある会社の広報誌に対談者として呼ばれた人々を中心にしたサークルがあります。10年近く前、このサークルの勉強会が開催され、そこに講師として招かれた方の話です。当時大手商社の役員で、英国駐在中ご苦労された経験を題材に講演されました。この方のご専門は希金属(rare metal)取引で、日本人で初めてロンドン希金属取引市場正会員の資格を取得され、勇躍この修羅場に乗り込みました。しかし、ここでの取引を期待通りに行うためには、公開されている市場情報だけでは充分でなく、市場外で直接ビジネスとは関係なく仲間内で交わされる、何気ない話の中にこそ重要な情報が潜んでいることに気づきました。仲間として認められ、胸襟を開いた付き合いをしてもらうためにどうしたらいいか?考え抜いた末辿りついた結論は“シャーロックホームズの研究”です。もともと好きだったこともあり、やがて英国シャーロキアン協会の幹部もビックリするような研究成果を次々とあげ、それが取引所関係者に伝わっていきました。公的な資格だけではとても得られないような情報が、これによってもたらされ、やっと全うなメンバーとして活躍できるようになったと言うことです。
 “戦争と道楽だけは真面目にやる英国人” 本職を超えたところ・異なる分野に“のめり込むものを持つこと”は英国知識人の好む生き方です。ORもそのようなプロセスを経てモノになったと言っても過言ではありません。(因みに、彼の車で出かけたカントリーサイドのレストランで彼が打ち明けてくれた、次の研究テーマは“ウォーゲーム(兵棋演習)の歴史”だそうです。これがどう本業の経済史と関係してくるのか現時点では想像できません)
 “OR歴史研究”に対する関心が、Mauriceによって仲間として認めてもらえた主因ではあることに間違いありません。お互いに、ORそのものが専門ではありません。しかし、二人とも、私の好きな論語の一説(雍也7)「これを知る者はこれを好む者に如かず、これを好む者はこれを楽しむ者に如かず」の境地にあるのです。
 異なる分野で生きてきた人間が、共通する関心事で時空を越えた同志となり、その中で信用が生ずるのです。法制度や組織に依存する信用に比べ、遥かに高いレベルの個人対個人の信頼関係こそ“葵のご紋章”と言えます。


以上

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