41年前のセンチメンタル・ジャーニーに重なるのは伊良湖岬のフェリーからになる。前回は時間の関係でもう少し遅い便に乗ったので昼食もフェリーターミナルで摂ったが、旨いものがある訳でも無いので、少し遅くなるが鳥羽で摂ることにした。下船間際に彼に昼食を何処で摂ればいいか聞いてみた。「鳥羽駅の近くに何軒かあります。途中だから案内しましょう。私が手を窓から出しますからそこで左へ曲がってください。直ぐに何軒か料理屋や食堂が在りますから」と言って先導してくれた。初対面の際のこちらの無愛想が申し訳なかった。
車の停めやすい料理屋に入ると、もう1時半だというのによく客が入っている。間近に海があるのでメニューはほとんど魚。海鮮どんぶりを旅の第一食とした。伊勢えびの頭が入った味噌汁なども出て、味はまずまずだったが値段は確実に観光価格だ。
もう2時過ぎ。伊勢神宮に詣でてさらに賢島のホテルに夕刻着くためにはそれほど余裕は無い。鳥羽の市街を出ると直ぐに伊勢志摩スカイラインに入り、それに続く伊勢道路を経て神宮内宮へと急いだ。平日だったことが幸いし無料駐車場も空きがあった。
内宮詣では中学の修学旅行以来56年ぶりである。あの時は東京駅発の夜行列車でどこか最寄り駅まで来て、そこからボンネット型(エンジン部分が前に突き出している)の観光バスで内宮と二見が浦の夫婦岩を見たことだけは記憶に残っているが、なにせ早朝の到着で眠かったことのほうがまず思い出される。
その時のかすかに残る記憶は五十鈴川を跨ぐ橋の両側に鳥居のある宇治橋だが、残念なことに今回は20年毎の遷宮に備えて架け替え工事中。この神宮のシンボルとも言える橋を渡ることは出来なかった。
木々に囲まれた広い砂利道を、一の鳥居、二の鳥居を経て、最深部の御正宮に至る参道やそれぞれ役割を持つ建物は世界のどんな宗教施設に比べても清楚さと自然との一体感で類を見ない。仏教寺院も含めて他の施設はおどろおどろしさや暗さ、それにある種のこけおどしを感じたが、ここにそれは無い。日本文化を具象化したものがこの神宮であると言っても良いだろう。そこここに英語やフランス語のガイドが付いた外国人グループツアーを見かけたが、彼等はこれをどう感じるのだろうか?
一巡して門前の商店街を冷やかしていると、例の「赤福」の休憩所が在った。一連の食品偽装騒動で真っ先にやられたが、経営者の謝罪が一番潔い感じがした。これもこの聖地所在の故なのであろうか?遅い3時のおやつに「抹茶氷」を縁台に座っていただいた。暑い午後、長時間の徒歩参観の疲れが一気に払拭された。
本来の参拝順とは逆になったが、この後少し離れて配置された、内宮に比べると小規模な外宮を参拝して伊勢参りを終えた。
実はこの外宮には修学旅行では訪れておらず、2001年ブリヂストンの招待でF1ジャパングランプリが鈴鹿サーキットで開催された時に来ている。前日の予選を見たあと津のビジネスホテルに泊まり、翌日の本番は昼からだったので、同行していた息子が「伊勢神宮に行きたい」と言うので案内した。その時は内宮・外宮の二つがある事を知らず、駅から近いここを訪れ「(こんなに小さくなかったはずだ)」と思いつつ参拝した。今回の旅の計画中それを知り、二日後和歌山でこの誤りを告げることになる。
間もなく5時だが、幸い初夏の日はまだ高い。今日の最終目的地、賢島までもうひと走りだ。
伊勢・志摩・鳥羽はほぼ正三角形を成す。伊勢から志摩を経て賢島に至る主要道路は、伊勢→鳥羽→志摩と三角形の二辺を走る国道167号線であるが、今日唯一の山道ドライブを楽しめ、ショートカット(伊勢→志摩)の伊勢道路(県道32号)を行くことにする。志摩半島は小さな半島でそれほど高い山も無いが適度なアップダウンがあって、交通量も少ない。ワインディングする道の運転を堪能するにはもってこいだ。しかし、日が傾きつつあるので、谷合は仄暗い所もある。西日のとのコントラストが強くなるので、運転には万全の注意が必要だ。老いた目が光の変化についていけないのだ。それでも途中に町の無いこの道の運転は第一日目の仕上げとして、最後の楽しみを与えてくれた。6時少し前無事今夜の宿、志摩観光ホテルに到着した。
この日の走行距離はおおよそ400kmであった。
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