1981年9月、私は和歌山工場7年、川崎工場12年半、19年6ヶ月におよぶ工場勤務を終え、本社情報システム室数理システム課長として赴任することになる(これ以降工場勤務はしてない)。計測・制御技術部門からスタートした者にとっては些か異例なキャリアパスである。この課の前身は製造部数理計画課、発足当初は製造関係の技術者(応用化学出身者;初代、2代目)がそのポストにつき、1974年情報システム室に改組されてからはコンピュータ技術を専門にするシステムエンジニア(数学専攻;3代目;前任者)のISKさんがその任に当たっていた。技術系列での異動なら技術部制御システム課の役職に就くのが順当なとだが、比較的早くコンピュータと関わってきたので(その分計測制御分野の経験が浅い)、このような道を辿ることになったのであろう。チャレンジングなポジションに心踊ると伴に緊張感も強く感じた。
数理システム課の仕事は、先ず伝統のOR手法(Operations Research;線形計画法、統計手法、シミュレーション技法を用いた応用数理)の適用、各種(化学・機械・制御)技術計算プログラムの開発・保守・運用、本社メインフレームの保守・運用とそれに関わる技術調査、制御用コンピュータの基幹システム(アプリケーションは技術部)開発・保守、またExxon・Mobilや関係会社・工場情報システム部門とのコーディネーションが主なところである。この内自ら手がけたことのある業務は制御用コンピュータ関連だけだったから、ほとんどゼロベースからのスタートだった。
情報システム室にはもう一つ機械計算課という組織があった。ここはパンチカードシステム導入時経理部IBM課(さすがに直ぐ改名されが)としてスタ-トした、東燃で最も古い歴史を持つ事務系のコンピュータ利用を推進する部門である。メインフレームを共用することから、この課も事務系アプリケーションの保守・運用に関わっており、事務系・技術系の違いはあったが席を並べて仕事をしていた。
機械計算課の仕事は日締め・月締めのルーチンワークが多く、そこでの取り扱いデータが大量で、最終的に金額データとして、会計や税務に使われることから、入力データのチェックと複雑なプラントで構成される工場のインプット(原料)とアウトプット(製品・半製品)のバランス計算(製油統計と呼ばれていた)には細心の注意が必要だった。そのため組織構成が、チェッカー/オペレータ/プログラマーとチーム分けされていた。数人、あるいは一人の専門家でおのおの仕事をこなす数理システム課とは、組織文化がかなり異なっていた。
一つのメインフレームを共用し、一つの部レベルの組織でありながら、そのキャリアパス、組織文化の異なる二つの下位組織を持つ情報システム室は新米課長にとって、些か戸惑うことの多いところだった。救いだったのは、赴任当時の室長は製造部数理計画課草分けのOTBさん、次長は計測制御システムに関する全東燃の第一人者MTKさん、機械計算課長は同期のMYIさんだったから、誰とも気楽に話し合える関係だったことである。
加えて、組織のベクトルが合ってくる二つのプロジェクトが動きつつあった。一つはこの年5月から検討が始まった、経営者向け情報システム、TIGERプロジェクト(決断科学ノート-41~52;トップの意思決定と情報;決断科学、IT)。もうひとつは今回のテーマとなる次期メインフレームの検討である。しかこの両者が合体して大きな変化につながってくるとは、この時期誰も全く予想していなかった。
(次回;TIGERと日本語システム)
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