2015年1月7日水曜日

決断科学ノートー2;情報サービス会社(SPIN)経営(第Ⅱ部)-5


2. 1988年経営トピックス-2TCSとそれに続くもの
この年は経営陣の一新の他にも、その後の経営に影響する大きな出来事が次々と起こった。今回からそれらを逐次紹介していきたい。その初めは技術系ビジネスの屋台骨であるTCSとそれに続くものの萌芽に関することである。
情報システム部門の分社化のきっかけは’80年代前半に東燃グループが作り上げたTCS(東燃コントロールシステム)にあることは何回か本欄で取り上げてきた。基本的にはIBMExxonが共同開発したIBM汎用機の上で動く、プロセス運転制御システムであるACS(所有権はIBM)と横河電機のディジタル制御システムCENTUMを一体化したものである。この一体化と日本化に東燃のノウハウが詰め込まれている。プラットフォームがIBM汎用機でACSの所有権もIBMにあるので、セ-ルスの前面活動は日本IBMが行うが、SPINはその後方支援を行うとともに、購入者から付加技術サービスを求められたときそれを提供するのが役割である。第Ⅰ部で述べたように、時期的に’70年代前半に導入された第1世代のプロセス制御コンピュータ(プロコン)の更新期にあり、引き合いは活況を呈していた。加えてアジアの新興国でも産業勃興期にあってコンピュータコントロールへの関心が高まってきていた。
日本におけるACSの販売は第一部でも紹介したように、石油・石油化学に留まらず、川崎製鉄(現JFE)、大阪ガス、旭硝子、林原(食薬)など広範に業種を広げ、日本IBMはグローバルに見ても、その販売でダントツのトップ、アジア・パシフィック傘下のユーザー向けセミナーを東京で開催するほどであった。この最初の成果は韓国油公(現SKエナジー)への導入で その技術サービスは全面的にSPINが提供したし、中国やインドのユーザーに工場見学の機会を作ったりして協力関係を強固なものにしていった。その結果IBM本社は日本における成功を、米国さらにはその他の国々に適用すべく、ACS販売推進組織を再構築する動きに出た。日本のビジネスモデル(日本IBMの専任組織とSPINのコラボレーション)をグローバルスタンダードに仕立てようと言うのである。
このために日本IBMから送られたのがOKNさんという人で、この人は日本の高校を出た後米国の大学に進みIBMに入社した、当時としては異色の人材。彼が先ず手掛けたのは日本での成功の大きな要因であるACSセミナー(IBM天城研修所で23日で開催)の内容をIBMのプロセス工業セールス・マーケッティング部門に説明・検討する会議で、そこに参加するようSPINに要請があった。
また同時期IBMACS開発部門(トロント在)との間で日本語環境のシステム拡張ビジネスの詰めも最終段階(購買部門のヒアリング)にあり、さらにACSとは全く関係ないのだが、昵懇だったノースウェスタン大経営大学院のマンハイム教授にワシントンDCで開催される“経営とIT”に関する会議へ誘われたことも含めて、久し振り(5年ぶり)に4月末から5月初旬にかけて北米へ出張することになった。
旅程は425日日本を発ち、先ずワシントンの会議に出席した後NYに行きOKNさんを含むIBMマーケティング・スタッフと会議を持ち、その後ACSの実働システムが在るニュージャージのExxonエンジニアリングセンターに近いパッシパニー・ヒルトンで天城ACSセミナーの短縮版を行う。この後ACSの開発部門があるトロントへ移動、購買部門と契約前の調整・確認を行い58日に帰国すると言う、日本の連休を利用したかなりきついスケジュールであった。
しかし、後で振り返ってみるとこの旅で得たモノは大きかった。先ずIBMにおける主要なACS関係者のほとんどと親しく知り合え、彼らがこの分野の協力業者やユーザーにSPINの存在を広めてくれたことがある。次いで、OKNさん始めIBMスタッフから北米におけるプロセス運転制御システム関連ビジネスの動向をつぶさに聞けたことである。中でも、これは後に詳述する予定であるが、元ExxonエンジニアリングエンターのOROperations Research;応用数学の一分野)の第一人者、Tom Bakerが独立創業したChesapeake Decision Sciences(CDS)と連絡をとってくれ、Tomに再会できたことである。

(次回;1988年経営トピックス;“TCSとそれに続くもの”つづく)


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