<今月読んだ本>
1) 幻の航空母艦(大内建二):光人社(文庫)
2) MOVE(Rosabeth M.
Kanter):Norton
3) アメリカ海軍に学ぶ「最強チーム」のつくり方(マイケル・アブラショフ):三笠書房(文庫)
4) シネマの極道(日下部五朗):新潮社(文庫)
5) 大村 智(馬場錬成):中央公論新社
<愚評昧説>
1)幻の航空母艦
事実上日本が世界に先駆けて近代戦略軍事システムとして完成させ、実戦力化した空母機動部隊に対する興味は尽きない。本書は日本海軍だけを取り上げたものではないのだが、こんな本が出るとつい手が出てしまう。ここでいう“幻”は決して架空のものではなく(構想や実験段階で終わったものも一部あるが)、大部分は設計・建造・進水したものの、第2次世界大戦時に間に合わなかったり、実戦に投入されなかった空母である。
日米英の三国だけが空母を本格的に運用してきたことは、本欄で縷々紹介してきた(8月にも「激闘の空母機動部隊」を取り上げている)。本書の導入部でもこの3国における空母誕生と発展の歴史、特に空母の用途や砲力か航空力かが問われ、のちに守旧と非難される大艦巨砲主義が必ずしも我が国独特の現象ではなかったことや集中運用が極めてユニークな発想であったことが概説される。それ故に同じような艦種でありながら、技術の欠如や運用方法の不徹底・不整合から実戦で本来の働きが出来なかった艦(種)が主に取り上げられる。
その代表例の一つが護衛空母である。これは主に戦時標準型商船を空母に仕立て直した小型空母で、英国は専ら護送船団用に、米国は太平洋における島嶼作戦航空戦力の主力としてそれなりに活躍の場を与えられたのに対して、我が国のそれは専ら航空機運搬船の役割に留まり直接的な戦力にはなっていなかった。つまり“幻”の空母だったわけである。この違いを生じた決定的な要因はカタパルト(航空機射出装置;火薬式、圧搾空気式、油圧式それに蒸気式がある。第2次世界大戦で米英空母に用いられたのは油圧式)の有無にあった。我が国の護衛空母にはそれが装備されていなかったので、短い甲板から、高性能の艦上爆撃機・雷撃機を発艦することが出来なかったのである(短い距離で離着艦できる練習機に爆装して対潜哨戒を行ったりした)。米軍は太平洋戦域における商船改造護衛空母の有効性に着目して新型軽空母(ボーグ級、カサブランカ級)の量産に着手するが実戦配備前に戦いは終わり、これも“幻”の空母となってしまう。
本書に記された主要3ヶ国の“幻の空母”は上記のような実戦に間に合わなかったものや戦艦・巡洋艦に飛行甲板を設けて砲力と航空力を兼ね備えようとしたものなど、一応まともな軍艦である。しかし英国の計画・実験した“ハバカク”と呼ばれた奇抜な空母?はSFもどきである。これは特殊人造氷ブロックで海上に基地を構築する計画である。実際カナダで基礎実験を行い、木材チップを混入した氷ブロックの強度は目的に適い容易に解けないことも分かるが、天然氷より比重が重く、水面下に沈下することはないものの、滑走路面が海面すれすれになることから中止になっている。
興味深い話題はむしろこの3国以外の国の空母である。ドイツもフランスもイタリアも建造に着手あるいは進水させているし、ソ連にも計画は確実に存在した。
ドイツは“グラーフ・ツェッペリン”(15センチ砲を16門も装備、まるで巡洋艦)を進水(本書表紙)させるところまで進めながら、水上艦不信のヒトラーの一声で一旦建造中止(1940年7月)、1942年3月工事が再開されるものの、再び1943年1月中止命令が出て終戦まで係留され、戦後ソ連が押収し1946年3月バルト海をレニングラードに向け曳航中自身が敷設した機雷に触れ沈没、ソ連は1948年浮揚させるが使い物にならず解体される。一説には“赤城”から学んだとも言われるが、カタパルト(圧搾空気式らしい)を装備していた点では、それを実用化できなかった日本海軍より技術的には進んでいたところもある。
フランスは1927年戦艦転用の“ベアルン”を完成させているが、運用方法が定まらず艦上機の開発もせぬままツーロン軍港に留まり続けている。その後ドイツの空母建造計画を知り“ジョッフル”の建造を決め1938年11月起工するが建造途上で解体してしまう。
イタリアは1940年11月タラント軍港を英空母イラストリアスに急襲され、戦艦3隻を失う。これを契機に空母2隻の建造を決めが新造は時間がかかることから客船ローマ(3万トン)の改造でいくことになる。折しもドイツではグラーフ・ツェッペリンが建造中止となり航空機昇降エレベータやカタパルトはそれを転用することになりジェノヴァで改造工事が進められるが、完成前にイタリアは降伏してしまう。
これらに共通するのは国家戦略あるいは海軍戦略の上で空母をどう位置付けるのかが曖昧なまま、「他国が持つなら自分たちも持たねば」の思いに駆られた感が強い。
空母本体以上に問題なのは搭載する艦上機の開発や運用である。1隻しかない空母のために新機開発を行う手間ひま費用の他にも、空軍が独立していた独仏伊は運用上の縄張り争いも陰に陽にあったようである。これは英軍にも存在し、艦上機の開発は滞りがちであった(独戦艦ビスマルク撃沈に貢献した艦上攻撃機ソードフィッシュは複葉機である!)。日米は最後まで独立空軍を持たなかった(米空軍の独立は戦後、陸軍航空軍が分離しただけで海軍航空隊は参加せず)。それ故に空母が本来の力を発揮できたとも言える。そして米海軍は空軍独立に際しても、一体化に執拗に抵抗(当時のフォレスタル海軍長官自死はこれと深く関係すると言われている)、今に独自の航空兵力を維持している。
実は私にとって本書の読みどころは、新しい兵器(空母・艦載機)を戦略軍事システムに昇華させるプロセスにある。それが経営におけるIT利用と重なるところが多々あるからだ。リーダーの考え方、経営戦略、組織の在り方、技術の役割(IT利用における“カタパルト”は何だろう?)。ITを“幻”にしないための留意点・ヒントが次々と行間から湧き上がってくるのだ。
2)MOVE
語学力低下を少しでも遅らせるために、年5~6冊は英書に取り組みたいと思っているがなかなか達成できない。手持ちは戦史・兵器・伝記を中心にかなりあるのだが、今年はこれでたった2冊目に過ぎない。それも珍しく上記以外のジャンルである。
内容は米国の交通インフラ(除く水運)に関するも、題名の“MOVE”は第一義として地理的移動を表すが、社会階層の移動(格差解消)、更にはインフラ充実のために“行動を起こせ!”との意味も含んでいる。そしてそのためには「適切なリーダーの出現が必要である」と訴えるのが本書の論旨である。著者はハーバードビジネススクール(HBS)で“リーダーシップ論”を講ずる女性教授、本書は日経ビジネスオンライン上の対談で知った。
先ず説かれるのは現在の米国交通インフラの惨状である。鉄道にしても、自動車とハイウェイにしても、航空にしても一時は世界をリードしてきたにもかかわらず、いずれの分野でも更新の遅れや隘路解決に停滞が目立って、生産性ばかりでなく市民生活全体を制約する主因になってきていることを、歴史を振り返りながら詳らかにしていく。
例えば鉄道による長距離旅客輸送である。かつて大陸横断鉄道が黄金時代だったこともあるのに、今や日本の新幹線を始め、四囲八達する欧州の高速鉄道網さらには急速に近代化する中国の鉄道と比べ見る影もない。何故こうなったのか?大きな転換期は第2次世界大戦後、特にアイゼンハワー政権時代に国家安全保障政策の一環として進められたハイウェイ建設と民間航空振興策にあると指摘。鉄道に比べより移動の自由(万が一の避難)があると考えられ投資を傾斜させ、自動車利用社会を築いていく。利用頻度の落ちた鉄道の更新・保守はないがしろになり、悪循環に陥っていく。一朝有事の際ハイウェイが使い物にならないのは、日頃の渋滞やハリケーン・カトリーナの際の混乱で明らかだ。
近距離都市鉄道またしかり。復員軍人を吸収した郊外都市の誕生・発展はハイウェイ建設と相俟って自動車通勤に置き換わってしまう。鉄道やバスで通勤するのは自家用車を持てない貧しい者に残された交通手段の象徴のように見られて、運行や保守さらには安全確保が杜撰になって、斜陽の一途をたどっていく。この公共交通機関の退潮は社会の移動性にも影響しており、貧しい地域は一層発展から取り残され格差の拡大をもたらしている。
しかし、この一見豊かで自由な自動車交通が過度に進んで都市周辺の渋滞は今や目を覆うばかり、時間ばかりか環境劣化や道路補修の手間と費用も無視できない状況下にある。空路も同様。空港の混雑、航空便の遅れは日常茶飯事、ここでも人々の生産性を低下させ、環境問題は深刻化している。
この現状分析を踏まえ次に解説するのは、交通インフラ劣化改善への取り組み例である。つまり、このような状況を誰も放置しておいていいとは思っていないので、国、州、大都市やその周辺の地方自治体あるいはそこで運輸事業を行っている事業体(私営、公営)がそれなりに改善努力している姿である。例えは、同じ鉄道でも再建に成功している貨物輸送(これは明らかにトラック輸送からモーダルシフトの傾向にある。特にNAFTAの関係で南北(カナダ、メキシコ)を結ぶ路線の輸送量が増加している)、ITを利用したカーシェアリングや駐車場管理、近距離鉄道の再整備や新規路線建設、自転車専用道路の新設などを取り上げ、それを推進するために解決しなければならない課題、取り組んでいる組織や人について一つ一つ具体的(個人名まであげて)に紹介していく。ここで分かってくるのは種々の利害関係者の複雑な絡み合いで、政治・行政・経済は無論、雇用(インフラ整備やその維持に関わる)や地域社会構成(人種など)などの問題を含み、一筋縄ではいかないこの種のプロジェクト推進の姿である。
この事例紹介をさらに一歩進めて1章(The Will and Wallet;意思と財布)を割いて詳細説明されるのがマイアミ市とそれに隣接するダッジ島を結ぶ“マイアミ港トンネルプロジェクト”である。マイアミ港(現在全米9位、パナマ運河拡張後はさらに高まる)はリゾート地マイアミ海岸に隣接するダッジ島にあるのだが、その間は古い開閉橋で結ばれコンテナー・トレーラーはリゾート地区の海岸道路を通過する必要がある。ここではしばしば大渋滞も起こり、運輸業、観光業そして市民生活にも負の影響が大きい。そこで島からリゾート地区外のハイウェイまでトンネル化する計画が持ち上がり、それが実現するまでの話である。工事開始は2011年7月、開通は2014年7月で工事そのものは3年と短期間であるが、20代前半の若い市の土木エンジニアがこれを提言したのは1982年、その後彼は交通局長まで上りつめ退職後もこのプロジェクトに加わり合意形成まで30年弱を要した過程こそ、インフラ・プロジェクトの難しさを余りなく語り尽すものである。計画実行が認められるまでに取り組んだ課題は、ルート決定、資金集めとその回収方法、運営・保守に関する費用捻出方法、工事方法とリゾート環境への配慮それに地域住民に対する還元(雇用など)など多岐にわたる。彼の夢と意思が課題を一つ一つ解決していく話は、4つのPolitical Roundと3つMoney Roundから成り、舞台劇を観るような塩梅で進行していく。この構成はいかにもケースメソッドを売り物にするHBSらしいが、理解を助けるためにはなかなか上手い手法である。
大規模インフラ・プロジェクトは利害関係者が多い。国、州・市などの地方自治体、地域住民、投資機関、施工業者、運営組織さらには環境団体などがあり、どこかで齟齬をきたすと動きが取れなくなる。また、既存インフラの改造・更新・保守は広く共感を呼ぶビジョンを描き難い。だからこそリーダーの役割・資質が問われるのである。この捉え方は確かにインフラ整備の核心を突いている。
現在我が国では政府もメディアも業界も“インフラ輸出”を声高に唱えている。本書を読んでちょっと気になったのは、輸送システムそのもの“最新技術”は必ずしも決定力ではなく、むしろ既存資産活用、運用・保守などを含めたトータルサービス(IT利用など)とそれに要する長期にわたる経済性を説得できることがカギである。リニア-を三日月回廊(ボストンからアトランタに至る東部人口密集地帯)、テキサス、カリフォルニアに売り込むのは適当なのか?インドネシアへの高速鉄道売込みに失敗したのは、このような視点を欠いていたからではないのか?読後にこんな懸念が去来した。
3)アメリカ海軍に学ぶ「最強チーム」のつくり方
妙な動機で普段あまり買わぬような本を買ってしまうことがある。どうしても小銭が必要だが生憎1万円札が1枚しかない。次の会合までには少し時間がある。本屋で時間を潰し、お釣りをもらえばいい。本書はこんな状況下で求めた本である。この手の軍事を下地に経営指南を行うような本は現役時代ならともかく、今は先ず見向きもしないのだが、同じ新刊書が何冊も棚に横並びになっていて、嫌でも目を惹く。しかし、題名が如何にも安直でビジネスパーソン向けの狙いが見え見え。一瞬、逡巡する。それでも「アメリカ海軍」に負けて手にしてしまった。パラパラっと書き出しに目を通し「ウン?これは名画“ケイン号の叛乱”の冒頭シーンではないか!」となり落とされてしまった。
“ケイン号の叛乱”はピュリッツァー賞受賞作品の小説を映画化したのもので、第2次世界大戦中の老朽駆逐艦を舞台に繰り広げられる、厳格な新任艦長と古参乗組員の葛藤がついに暴風の中で副長による艦長解任につながり、それが叛乱として裁かれる軍法会議劇である。1955年度のアカデミー作品賞・主演男優賞(ハンフリー・ボガ-ド)・助演賞などにノミネ-トされた名作である(結局賞は獲れなかったが)。高校生の時観て感銘を受けDVDを購入して今でも時折再生を楽しんでいる。
その冒頭は、大学から将校訓練課程を経てこの駆逐艦に配属になった新任少尉の乗艦シーンから始まる。いたるところに錆が浮いた汚い艦、水兵たちの服装はだらしないし行動も締まりがない。着任挨拶に艦長室に赴くと艦長はシャツ裸で威厳は全くない。幸いなことに艦長は出航前に交代、少尉には理想(厳格で、細かいことにもビシビシと部下を指導する)と思える新艦長(ハンフリー・ボガード)と代わる。少尉は新艦長の崇拝者となるが、士官を含め以前からの乗組員とは合わない。やがて嵐の中で艦長の隠された本性が現れ、心神喪失状態になった艦長に代わり副長の大尉(ヴァン・ジョンスン)が指揮を執って転覆の危機を乗り切るのだが・・・。
本書の舞台は太平洋艦隊に所属する最新鋭のイージス艦“ベンフォルド” (当時はサンディエゴ、本年10月より横須賀が母港)、新任艦長の著者は艦長交代式のあまりの堅苦しさに辟易とする。案の定旧艦長の退任を惜しむ雰囲気はどこにもない。艦内の人間関係は「課せられた義務さえ果たせばいい」とギスギスしている。「これではいけない!」艦を一体化するための新任艦長の意識改革“It’s Your Ship”(本書原題)が始まる。
先ず士官と下士官・兵が別に摂る食事を自らは下士官・兵と一緒に摂る。行列も士官優先をやめて最後に並ぶ。300名を超す乗組員全員の名前、家族構成を覚え気軽に声をかけるだけでなく、家族の誕生日にはお祝いのメッセージを送る。こうして人心掌握をすると、次にはアイディア提案制度を設けたり、資格取得者には階級を越えて代役を務めさせたりして、誇りと自信を持たせて一人一人の士気を高めていく。さらに戦技競技(ミサイル命中率を競う)に向けては厳しい訓練を課し、目標を達成すると艦長差配で褒賞を与え、チームとしての向上心を刺激する。上下の意思疎通の良さがカギと分かれば、時には艦長と戦隊あるいは艦隊司令官との通話内容も艦内放送で流してしまう。
艦隊におけるベンフォルドの評価が高まると任務はきつくなる。それに報いるためには更なる慰労策を講ずることも必要だ。本来は先任艦長順に入港・上陸するのを、司令官に(それなりの屁理屈をつけて)直訴して最優先順位を獲得して乗組員の自由時間を増やす。米艦内は飲酒禁止である。にも拘らずビールを大量に発注し艦内に積み込むよう部下に命じる。上級士官さえ「艦長、それだけはやめてください」と訴えるが意に介しない。ペルシャ湾での厳しい実戦任務が明けると、基地近くで台船を雇い本艦に横付け、そこで大ビアパーティを決行する。
結果として、戦技トップ、資格取得者トップ、退職者最低など艦隊の模範艦として艦長ばかりでなく、艦、乗組員も高い評価を受けるようになる。
以上は本書のごく一端だが、かなり型破りな艦長であることは理解できるだろう。見方によっては“奇をてらう”感無きにしも非ずだが、「アメリカ海軍ってこんなに自由裁量が許されるのか!ケイン号とは真逆だ!」と驚かされた。
経営指南書としての形態と内容が整えられているので、その意に沿った読み方もできるが、私としては“現代アメリカ海軍内幕物”として大いに楽しんだ(著者がここの地位に至るまでのキャリアも適宜紹介されるが、兵学校の成績は下位であったにもかかわらず、一時期国防長官のスタッフ(志願し、試験で合格、主にスケジュール調整担当)を務め、その時の働きが高く評価され、その後のポストや行動に影響していることなど、米海軍内の人事施策を垣間見ることも出来た)。
著者は大佐で退役するが、これだけの実績を挙げただけに、当然更なる昇進が可能であったらしい。しかし、長い海上生活で次の人生が断たれることに満足できず、経営コンサルタントに転ずる。なかなかの才人、ここでも大成功、本書はビジネス書として全米ベストセラーにもなっている(更に、本書に依って“ベンフォルド”も一般の人に知られるようになった)。
4)シネマの極道
ドライブ旅行中にも読み物は持っていく。長い時間集中できないからエッセイの様に一話が短いものか、あまり前後のつながりや行間に込められた意味を考えなくてもいい軽いものになる。今回の四国ドライブで選んだのは本書である。「たまにはこんなくだらないジャンルもありか」と平積みの一冊を求めた。映画の話だからである。
中学生時代からの映画ファンである。しかし、思い返してみても日本映画で記憶に残るものは少ない(黒澤の娯楽作品や映画祭の入賞作品程度)。洋画に比べ観た本数が桁違い、最盛期(高校・大学時代)でも平均すれば年に1、2本と言うとこであろう。中でも東映作品など全く観たことがない。(時代劇というのもおこがましい)チャンバラ、任侠、博徒、ヤクザでは金を払って観ようなどと言う気が起きなかった(今も観る気はない)。本書はその東映(否、日本映画)を代表するプロデューサーの半生記である。
著者が大学を出て東映に入社したのは1957年(昭和32年)、我が国映画人口のピークは翌1958年の12億3千万人、当に日本映画の黄金時代にこの世界に入る。しかしTVの普及もありそこを頂上に早くも1962年(昭和37年)には6億6千万人に半減、現在は1億7千万人と斜陽の一途をたどることになる。この激動の中で東映生き残りの道を切り開いてきたのが著者なのである。
映画全盛時代の業界は、先ず邦画対洋画が7対3、この邦画市場で東映は
1956年来ぶっちぎりのトップ(配収成績)を走り、2位の松竹に大差をつけている。それもあり57年度は大量採用、全体では96人も採用されるが、芸術職は僅か5人、監督志望だった著者だけは身体が大きい(身長180cm)ことが理由で製作部門にまわされる。つまり体力がないと務まらない職種なのだ!
本書の内容は、京都撮影所の製作進行係(実際は雑役夫)をスタートに2001年(平成13年)最後の作品「極道の妻(おんな)たち“地獄の道連れ”」で現役を終えるまでの、自ら体験・知見した映画界のあれこれを“実名”で語るものである。「オイオイ、そこまで書いてしまって大丈夫なのかい?!」と他人事ながら心配になる。
チャンバラ映画に陰りが見えると任侠もの(人生劇場など)に、これも10年すると客の入りが悪くなる、次は博徒(藤純子ものなど)に移り、さらに広島に発するヤクザ戦争を取り上げ(仁義なき戦いなど)、飽きられてくると再び歴史もの(柳生一族の陰謀など)に回帰、最後に「極妻(ゴクヅマ)」を立ち上げる。その都度東映は息を吹き返すのである。
プロデューサーの役割は当たりそうな題材を見つけることばかりではない。それを基にストーリーを作り上げる脚本家、監督、主だった俳優、カメラマンを決め最後の大課題は予算の確保である。独立したプロデューサーではないから経営陣の説得も大きな仕事だ。個人としての尊厳もそれなりに保たなければならない。「健さんの番外地シリーズ」と言われるよりも「日下部の極妻」にしたい。そうなると監督も主演女優も変えなければならない。その気になっていた監督や女優との関係を良好に保ち続けるためには気遣い・気配りも必要だ。「知性・理性よりは感性(それに体力)の世界なのだ!」が著者のプロデューサー観である。
「オイオイ、大丈夫かい?」の代表格はヤクザ物。脚本家の中には取材しないと書けない人がいる。書き上げた脚本は場合によってレビューしてもらう必要もある。公開された映画が怒りを買うこともある。この辺りの交渉はすべてプロデューサーが行うのだが、これらの話題にバンバン実名を書き連ねている。“緋牡丹博徒”で売り出した藤(富司)純子の父親(俊藤浩滋)がその筋の人とは聞いていたが、本書ではどこの組でどんな仕事をしていて、どんな経緯で東映のプロデューサーに転じ、経営者は彼をどう扱い、著者のヤクザ物(任侠物の多くが俊藤との共同制作になっている)をどう思っていたかなど、ごく内輪の関係者しか知らぬことも公開される。俳優移籍の裏話、有名俳優たちの男女関係、経営者と女優の関係(原節子に迫った男もいる)、芸能界相姦図そのものも随所で語られる。
若い頃の東映2大スター、市川歌右衛門と片岡千恵蔵の全盛時の立居振舞と晩年も興味深い。女出入りの激しかった歌右衛門は家族(北大路欣也など)に見捨てられ千葉の養老院で最期を迎える。対する千恵蔵も愛人はいたが家庭を大切にし、穏やかに生涯を終える。長男は銀行員、次男(植木基晴)はパイロットとなり現在はJALの社長を務めている。いずれの息子たちとも子供時代からの付き合いなのだ。「こんなことを知って何になるのだ!」と思いつつ、つい惹き込まれてしまった。
著者の名誉のために書いておきたいことは、決して大衆通俗作品だけをひたすら追い求めたわけではなく、1983年カンヌ映画祭で最高賞パルムドールを獲得した「楢山節考」も著者の製作である。志は高いところにあるのだが、「斜陽産業の中でやむなく」と言うのが実態のようだ。
こうして製作した映画は130本以上。いまや映画会社単独では資金手当てさえ苦しく、TV局や出版社の協力がないと製作もままならない。それにも拘わらず「映画作りは三日やったら辞められぬ」「プロデューサーをやらせれば、わたしの右に出るものはいない」「生まれ変わっても、わたしは映画プロデューサーになる」と断言して終わる本書は、購入動機とは異なり、一人の人間の壮絶な生涯をかけた生き方に触れ、胸打たれる読み応えのあるものだった。加えて戦後日本映画史と言ってもいい内容に別の価値も見つけた。これで490円は安い!
5)大村 智-2億人を病魔から救った化学者-
ノーベル賞生理学・医学賞授賞が伝えられた直後に本書(2012年出版)を知り、直ぐ入手したと思ったが「時すでに遅し」であった。今回入手したのは発表後発刊の第4版(初版から何も改訂されていないようだから、正しくは第4刷)である。読んでみて分かったのは、ほとんどのメディアで伝えられていることが本書に書かれていることである。おそらく大村博士の伝記としてはその時点で唯一のものだったのであろう。著者・出版社の先見の明に先ずは敬意を払いたい。
毎年自然科学系のノーベル賞が決まると、先ず思うことは、どんな事なんだろう?次いで日本人なら、どんな人なんだろう?となる。ここで“どんな事なんだろう?”がそれなりに理解できないと“どんな人なんだろう”につながらない。本年度は物理学賞と生理学・医学賞2名が出たが、率直に言って梶田博士の「ニュートリノ質量発見」はチンプンカンプン、ご本人も「直ぐに何かに役に立つことではありません。物理学の地平線が少し先まで見えるようになってきたということでしょうか」とコメントしていた。それに比べると大村博士の「回虫(線虫)感染症治療薬発見」は分かり易い。新聞の解説で「最初は家畜に、次いで人間に適用して絶大な効果」とあり、“どんな事なんだろう?”の疑問も解けた。「それでは大村博士から」となったわけである。
本書の内容は大村の誕生から2010年頃までの実録伝記。時間をかけて本人から聞き取り調査したものがベースになっているようだ。それだけに全体として親近感を感じる。学歴・研究歴の詳細や注目されるエピソードについては新聞報道などで紹介されていることの繰り返しと言っていい(と言うよりも先にも書いたようにこの本が出典になっているに違いない)。従って研究活動や経歴の細部を追うよりは(私にとって生物分野は苦手なこともあり)、大村の生き方や人柄を知ることに重点を置いて読んだ。
分かってきたことは、本質的に素直で楽観的な人であること、上昇志向よりは現状にベストを尽くしその環境を少しでも良くしていこうと言うタイプであること、(優れた者に学ぶことの重要性は認めるものの)自分独自の考え方ややり方を尊ぶこと、(専門分野以外でも)課せられた責務は徹底的にやること、などである。そしてこれらの資質は育った家庭環境に大きく依存しているように読めた。
楽観的な性分は多分に豊かな農家の長男と言うところから来ているし、現状にベストを尽くし少しでも環境改善しようと努力するのも農業には大事なことである。母親は当時の女性としては珍しく高等女学校卒業後師範学校に進み、小学校の先生を長く続けた人だが、戦後農地改革で人を使えなくなると父を助けて農婦に転じる。ここでは毎日の農作業をきちんと日誌に残し、これを何年も続け年々作物の生育や品質改善につなげていく(養蚕では高い品質のものが生産でき収入もアップする)。博士はこの日誌を少年時代から見ており、そこから学ぶことは多かったようだ。
のちに運命の岐路とも思えるような選択でも根底にある楽観的な性格が幸いする。北里研究所から海外研究留学する際いくつかの大学に願書を出し、数校から受入れ許可の返事が来る。その中から一番初めに電報でOKをくれた大学(ウェスレーヤン大学)は手当てが最も低く、夫人に反対されたにもかかわらず「低いからには別の見返りがあるだろう」と“電報”の熱意を評価して決める。師事した教授は元メルク製薬研究所長、後年200億円を超える特許収入につながっていく。
帰国後所属していた研究室を引き継ぐことになるが、研究所の財政難で閉鎖を告げられると研究所と文書を交わして独立採算で存続させる。この辺りから単なる研究者ではなく「研究の経営」者としての才覚を発揮してくるのだが、その裏には200冊を超える経済・経営書から学ぶ責任感の強い努力家としての姿が浮かび上がる。結局副所長、所長と上りつめ、北里研究所の財務体質を大幅改善するとともにさらに進んで附属病院、北里大学との一体化(社団法人と学校法人を合併する)という難題に取り組みグループ全体の経営改革を成し遂げる(それにとどまらず埼玉に理想とする美術館もどきの病院を新設)。この実績が若い頃からの趣味であった美術鑑賞・収集と重なり、全く専門外の女子美大理事長職を務めることになるのだ。
女子美では2000年創立100年を記念して若手育成を目的とした私財提供の基金を設ける。最初の学校側の提案は“大村記念基金”だったが、この年9月に先立った夫人の名前を付して“大村文子記念基金”にしてもらう。1975年に乳がんの手術を受けて以降何度も転移とその処置を続けながら、大変気丈な人で終生大村を支え続ける。この夫婦愛に関しても本書で丁寧に描かれているが、おそらく大村が著者に語ったことであろう。ノーベル賞授賞決定直後も文化勲章授与式の後でも大村が夫人に対する感謝を口にしていたことと併せて、「この妻あって」が伝わってきた。
著者は東京理科大卒業後読売新聞社に記者として就職、編集委員・論説委員を務めたのち母校大学院教授(知的財産管理)になった人。大村も東理大で修士課程を修めていることから同窓と言うことになるので多少バイアスがかかっているかもしれぬが、読んでいて明るさ、暖かさ、ほのぼのした気分に浸れる良書であった。滅多にないことだが家内にも一読を奨めている。
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