<今月読んだ本>
1)ケンブリッジ・サーカス(柴田元幸);新潮社(文庫)
2)世界天才紀行(エリック・ワイナー);早川書房
3)ザ・スパイ(パウロ・コエーリョ);KADOKAWA(文庫)
4)ベストセラー・コード(ジョディ・アーチャー、マシュー・ジョッカーズ);日経BP社
5)ザ・サークル(デイヴ・エガーズ);早川書房
6)本と暮らせば(出久根達郎);草思社(文庫)
7)フランス外人部隊(野田力);KADOKAWA(新書)
<愚評昧説>
1)ケンブリッジ・サーカス
-翻訳界のスーパースターが語る幻想的来し方-
英国および旧植民地の大都会には“サーカス”と呼ばれる場所がよく在る。大きな円形の交差点(ロータリー)や広場で、日本人になじみのあるのは、屋台村とも言えるシンガポールのニュートン・サーカス辺りではなかろうか。半年ばかり滞在した英国でも、ロンドンに出かけた際ピカデリー・サーカスの周辺をうろついたことがあるし、本書の題名であるケンブリッジ・サーカスはスパイのおおもとMI-6(英国対外諜報部)の所在地としてつとに知っていた。だから、著者が著名な英文学者(東大名誉教授)で翻訳家であることを全く知らずに、「多分英国を題材にしたエッセイに違いない」と勝手に思い込んで本書を求めた。
書き出しは、六郷土手に近い少年時代から始まる。「あんたのお母さん、元気?」と道でばったり会ったおばさんが問う。次のシーンでは中華料理店の出前をしているおやじを見かける。いつも同じ方向に向かうので、どこに届けるのか確かめたく、自転車であと追うが見失ってしまう。「そうか(予想通り)自伝的エッセイか」と読み始めるが、おばさんやおやじの世界は昭和、“僕”は平成の世に居るのだ。一瞬「おばさんは認知症?」と早合点するが、さにあらず。奇妙な幻想世界が展開され、時代と自身が語られていく。「一体全体、この本は何なんだ?」 自伝?紀行文?対話集(英米作家との)?幻想小説?この答えは難しい。グリコの景品、漫画、ロックから学校生活、現代英米文学、教授・翻訳家としての日々、はては父母あるいは米国市民となった兄との関係まで、この調子で語られていくのだから。しかし、読後感は気持ちが良い。おそらく著者の人柄なのだろう、何かほのぼのした感に満たされる。特に、英米作家との交流では著者のみならず対談者も少年時代と現代を行き来し、読む者をホロリとさせられる場面もある(人気作家がウィリー・メイズのサイン入りボールを52年後にもらう話など)。なお、題名はまだ大学教養課程時代、一時英国に遊学し、ケンブリッジ・サーカスでバスを飛び降りた(現地の人の格好良さに憧れて)際転んだ想い出に因んでいる。
読後に著者を調べたところ“翻訳界のスーパースター”と言うのがあった。本書の過去・現代・未来を同時に描くユニークな作風から、単なる読み易い英文和訳に留まらない、原著者の意を充分汲んだ創意訳が行われ、それがこの名声につながっているのではなかろうか。
私にとって現代英米文学などほとんど無縁の世界。近いところでは、昨年のノーベル文学賞受賞者カズオ・イシグロの本を数年前に何冊か読んだことくらいしか記憶にない。しかし、本書を通じて、「柴田訳を少し読んでみるか」そんな気にさせてくれている。こんなことは半世紀近く前、常盤新平のエッセイがきっかけで、ピート・ハミルやアーウィン・ショウに手を出して以来のことである。
2)世界天才紀行
-天才は環境で作られる。IQや遺伝子とは無縁だ!-
間もなく二人の孫の誕生日がやってくる(二人とも10月生まれ)。私からの誕生日祝は本と決めている。上の子(男11歳)への選択は少年時代の自分に戻り、下の子(女7歳)へは家人にチョッと意見を求める。小学校時代は専ら図書室にあった少年少女世界名作全集や偉人伝を愛読していたから、どうしてもその傾向が強くなる。昨年は上の子にライト兄弟の伝記を、下の子には内外の童話を集めたものを贈った。偉人伝好みは今に持続し、科学者、技術者、政治家、軍人、外交官、起業家などの回顧録・伝記・評伝の類は毎年何冊か読んでいる。好きな偉人(天才)と旅行(紀行)、二重丸の題名に飛びついた。
本書の基本的な構成は、特定の時代、特定の場所に天才が複数出現した事実に基づき、それらの場所を訪れ時代を回顧し、その因を探る形になっている。それに先立ち、天才の定義として「新しく、意外性があり、同時に、役に立つアイディアが発想できる人;IQとは無関係」(AI研究者マーガレット・A・ボーデン)を採用し、19世紀の英遺伝学者・統計学者フランシス・ゴルトンの“遺伝的天才説”を否定して、凡人家系に一縷の望みを抱かせる。この“天才”をめぐる諸説の開陳・検証が言わば本書の眼目で、いささか鬱陶しき感無きにしも非ずだが、AIと人間の能力比較(シンギュラリティ論)が日常的な話題になるとき、冷静な目で天才を考える基礎知識を与えてくれる。
旅はアテネから始まる。ソクラテス、プラトン、アリストテレス、優れた哲学者たちは如何に生まれたか。あの陽光か?それは今も同じだが、爾来ギリシャに天才は誕生していない。古典ギリシャ時代は200年足らず、天才が生きたのは24年間に過ぎない。ここで著者は奇説を持ち出す。「歩行こそ創造の基だ」と。起きている間家にいるのは30分程度だと言うのだ。仕事は奴隷に任せればいい。次は「乱雑さ」である。当時の街並みはかなり酷いものだったらしいし、市場も混とんとしていた。こんな環境は、より良いものを求めてさらに先を目指す動機につながると言う考え方だ(ハーバード大学心理学者テレサ・アマビールの研究を援用)。それに何と言っても「民主主義」である。ここで著者は現地の案内人(アリストテレス!)と自由と民主主義(政治形態)それに天才の関係について議論を戦わせる。著者は「寡頭政治下でも天才は出現した」とこれに組しない。アテネに在住の識者との議論はとんでもない方向に発展し、天才を生んだ唯一の理由は「酒である」とチャーチルの飲酒癖(チャーチル遺伝子)を掘り下げ、挙句古代ギリシャ人を雄弁にした最大の理由は「さえない食事から気をそらすためだった」との珍説に至る。無論これが結論ではない。交戦的なスパルタ人のように引きこもることもなく、他の都市国家(ポリス)のように美食や華美にうつつを抜かすわけでもなく、棘のある混沌社会をしかと受け止め、それを寛容に受け入れる、他に向けて開かれた感性こそがアテネをアテネとたらしめたと結ぶ。
つづく訪問地は、マルコ・ポーロによって欧州に知らされた杭州(蘇軾(蘇東坡;詩人)、沈括(しんかつ;羅針盤発明者;中国のレオナルド・ダ・ヴィンチ))、フィレンツェ(ミケランジェロ、ダ・ヴィンチ、ボッティチェリ)、エディンバラ(アダム・スミス、ジェームス・ワット、コナン・ドイル、ディヴィッド・ヒューム;哲学者)、カルカッタ(タゴール;詩人;アジア人初のノーベル賞受賞者、ジャガディッシュ・ボース;初期の半導体発見者、マルコーニに先立つ無線の先駆者)、ウイーン、ここだけは2章にわたる(第1章;ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェン、第2章;アインシュタイン、フロイド、クリムト;画家、ツヴァイク;作家、マーラー)、そして最後はシリコンバレー(ヒューレットとパッカード、スティーヴ・ジョブス)。いずれの章も天才個人の業績や人生に軽く触れるものの、本筋は何故この時代この地に彼らが出現したのかを、アテネ同様知能・才能研究者の甲論乙駁を交えつつ、著者なりの結論に落とし込んでいく。天才を生む下地は、社会と家庭にあり、三つのD:Disorder(無秩序)、Diversity(多様性)、Discernment(選別力)に子供の時からさらすことがカギだと総括する(著者は9歳の娘をそれに従って育てていこうとしている)。
著者はアメリカのジャーナリスト、ニューヨークタイムズ記者を経てNPR(アメリカ公共放送)の特派員としてニューデリー、東京、エルサレムなどに滞在経験がある。広いジャンルの天才について、とにかくよく調査・研究していることが伝わる内容で(取材源、参考文献の明記)、少々疲れるが、読み応えのある作品だった。
3)ザ・スパイ
-スパイとして処刑された先駆的女性解放論者、マタ・ハリ-
インドネシアには仕事を含め何度か出かけている。個人旅行ではバリ島。仕事では首都ジャカルタを始め、陸軍落下傘部隊急襲で有名なスマトラ島のパレンバン、海軍の管轄下にあったボルネオ島のバリックパパン、ジャワ島では古都ジョクジャカルタからクルマで南に2時間近くかかる珊瑚海に面したチラチャップ、いずれも大規模な製油所がある所だ。ジョクジャカルタは世界遺産の仏教遺跡ボロブドールに近く、そこを見学したりホテルで民族舞踊など楽しんだりした。インドからこの辺りまでよく見られる、首と手足が独立してギクシャク動くような踊りが印象的で、終演後白人の子供が舞台に上がり真似をして、食事中の観客の笑いを誘っていた。1980年代半ばのこと、空港の小役人や国営企業の幹部が賄賂らしきものを受け取るシーンを垣間見ることもあったが、総じて好印象の国である。戦中の進駐時に関しても占領支配した製油所で悪い話は聞かなかった。むしろ、聞こえてきたのはオランダによる長いインドネシア(蘭印)統治による愚民・文盲政策、分割統治(蘭人>現地支配階級>華僑>一般現地人)、(輸出競争力のある作物の)強制栽培、(反抗者に対する)弾圧の数々。独立戦争で敗残の日本兵が頼りにされたわけである。本書の主人公マタ・ハリ(本名マルガレータ・ゼレ)はオランダ人、彼女の数奇な運命を決したのがこの特権階級の一人としての蘭印滞在なのである。
少女時代は乗馬やダンスを習うことが出来る豊かな家庭で育つが、父が投資に失敗、両親は離婚し、彼女を含む子供たちは親戚に引き取られ、早くから自活を余儀なくされる。新聞広告にあった“花嫁求む”の記事に応じて歳の離れたオランダ軍大尉と結婚し蘭印に渡る。そこで2児をもうけるが夫の女癖の悪さに悩まされ、その憂さを民族舞踊で晴らしていく(この間の話がかなり長いので、現地生活;蘭人と現地人の関係が分かる)。さらに息子を幼児期に失ったこともあり(現地人乳母による他殺)、離婚してこの地を離れ、パリに居住するようになる。ここで生活のために如何にも南アジア風の怪しげな衣装で、それらしい踊りを舞って話題を呼ぶ(実質はストリップ)。初めは富豪や芸術家(ピカソやモジリアーニとも交流)あるいは彼らのパトロンの屋敷で演じていたそれが、エージェントの目に留まり、ミラノのスカラ座に出演するほど人気を集める。当然各国の政治家・軍人・財界人たちが言寄ってくるのを最大限に利用、もともと強い自己顕示欲と虚飾な生活に憧れる質、カネのために言わば彼らの高級娼婦の役割も務める。やがて第一次世界大戦が始まると、中立オランダ国籍を利用して欧州各国を行き来し、本人が気づかぬうちに独仏のスパイ下部組織と関わるようになる(本書によれば、ほとんど役に立たつような立場にはなかった)。戦線は膠着、フランスの戦死者は予想をはるかに超え、政府や軍部を非難する世論が高まると、生贄が必要になってくる。醜聞を恐れる国の上層部にとって、評判を落としていた彼女は格好の材料、二重スパイに仕立てて銃殺刑に処す。つまり世論操作と厄介払いのための処刑であった。哀れな最期に蘭印なかりせばの感をおぼえた。
マタ・ハリが有名な女スパイであることは承知していたが、その活動内容は全く知らなかった。漠然と、ハニートラップ(色仕掛け)で極秘情報に近づいた凄腕スパイと勝手に思い込んでいたが、本書によって「とてもスパイなどと呼べる者ではなく。むしろ権力を振り回す男を手玉に取って翻弄する、ある種のフェミニスト」が実態であると教えられた。スパイ物への期待は全く削がれたが、既存男社会の枠組みに、女を武器に果敢に最後まで立ち向かう姿はよく伝わってくる作品であった。
著者はブラジル人作家(1947年生)。青春時代、マタ・ハリは古い慣習にとらわれない美貌の悪女として、ヒッピー時代のアイコン的存在であり、それに惹かれて本書に取り組んだ、と訳者あとがきにある。基本的にノンフィクションだが一人称(マタ・ハリの言葉)で書かれているので伝記とは異なり、小説を読むような面白さがあるのも、このような視座をもって描かれているからであろう。
4)ベストセラー・コード
-ベストセラー分析アルゴリズム開発物語、確率は80%超!-
国立情報学研究所がAIによる東大入試に挑戦させていた“東ロボ君”をあきらめたのは一昨年の秋。理由は国語問題の意味解釈にあった。これで直ぐ浮かんだのが「今日は雨降る天気にあらず」。初めて聞いたのは中学生の時だったと記憶するが、今日の天気が雨とも晴とも解釈できる。これほどトリッキーでなくても、文章の意を正確に読み取ることは決して易しいことではない。まして書くことはそれ以上に難事である。それでもスポーツ記事などの一部にAI利用が実用化されてきている。やがてはベストセラー小説もAIで書かれる時代が来るのだろうか。本書はその疑問への第一歩、“ベストセラーと非ベストセラーに違いがあるか否か”を、コンピュータに大量の本を読ませ、そこから構築したビッグ(テキスト)データを解析した結果である。明らかに“違いはある”、別の言い方をすれば“ベストセラーは予想できる”のだ。
まず本書執筆に至る背景をかいつまんで紹介すると、著者の一人ジョディはペンギンブックスの編集者を経て英文学博士号取得のためスタンフォード大学に学び、その後一時アップルでも働いたジャーナリスト。もう一人の著者マシューはスタンフォード大学の文学ラボの創設者を経てネブラスカ大学で英文学を講ずる、「計量文献学」の第一人者。二人の接点はスタンフォードである。この時代に二人が取り組んだのが5年をかけた“ベストセラー・メーター”と称する文章解析アルゴリズム(モデル)の開発である。解析モデルの種類は;テーマとトピックモデル(用語を含む)、プロットモデル(物語の展開;話題変化(ポジティブ、ネガティブ)のパターンを七つのタイプに分ける)、文体モデル(品詞の選択と構文)、(登場人物、特に主人公の)キャラクターモデル、の4種とその統合モデル。毎週掲載されるニューヨークタイムズのベストセラーリストから500冊、非ベストセラーから4500冊、計5000冊(過去30年間、すべて小説)を選びモデルにかけ、検証を行った結果が本書の内容である。
各モデルの詳細は追記として巻末にまとめられるが、各章でも留意点が語られる。例えは、テーマ・トピック分析で“bar”とある時、これを“棒”と採るか“酒場”と採るかの判定を、相当長い前後の文章から相関関係を調べ、そこから結論を出すようにしている。文体構造では品詞の使い方、題名に対するTheの有無の影響など。また、プロット分析では英国の文学者ブッカーによる古典的な分類法から最新のMRIを用いた神経文学研究まで動員する。さらに、モデルの外にあるマーケティング活動や作家の知名度に対する配慮なども怠りない。本書で初めて知った“計量文献学”の最前線を知り、ただただ感心するばかりであった。
各章の終わりにはそれぞれのモデルが選び出したトップ10がリストアップされる。私はほとんど小説を読まないので内容は全く不明だが、スティーブン・キングやパトリシア・コーンウェル、トム・クランシーなど有名作家やダ・ヴィンチ・コードのような我が国でもベストセラーとなったような作品名が並ぶ。つまり、これらのモデルの分析結果は、80%以上の確率で、ベストセラー可否判定が行えたのだ。そして総合ベスト100のトップは、次項で取り上げるデイブ・エカーズの「ザ・サークル」になった。
エピローグ、では「コンピュータは小説を書けるのか」をAIによるシンギュラリティ(技術的転換点)の提唱者カーツワイルや村上春樹の文章にも触れ、「短いものなら意表を突く面白いものが読めるかもしれない」としながら、「私たちにその気はない(モデルによる小説執筆)」と結ぶ。東ロボ君は受験をあきらめたが、それは文章の意味を正しく理解するのが難しいからであった。一方本書はコンピュータが本を読んだことで興味深い本に仕上がっている。この違いは“意味解釈”と“パターン認識”にある。読むと言う行為もまだまだAIと人間の間に大きな隔たりがあるわけで、「書くなど別次元!」はしごく真っ当な結論である。
「文学とITがここまで関わってきているのか!」と大変刺激を受けた。おそらく“本年のベストスリー”に残る一冊になるだろう。
5)ザ・サークル
-ベストセラー・メーターがNo.1に選んだ、身近に迫る近未来情報化社会-
前著を読んで、5000冊のなかからベストセラー・メーターが最高得点を与えた本書を直ぐAmazonに発注した。NYタイムズベストセラーリストに何週も連続しても出ていたにもかかわらず、著者たちは読んでおらず、結果が出てから読み直し、改めてモデルの正しさを確認することになる作品である。近未来の巨大IT会社“サークル社”、前著の解説では「グーグルとフェースブック(FB)の婚外子にアップルのハードウェアを着せたような会社」(極めて上手い表現だ)、を舞台とするハイテック社会小説である。
主人公メイは東部のエリート大学を卒業後、郷里(カリフォルニア)の公社に就職するが、大学時代の先輩でルームメイトであったアンに誘われ、シリコンバレーに在るサークル社に転職する。この会社は、天才SEが発明したユーザーのニーズとツールを一つにまとめるある種のOS(トゥルーユー)で急成長、2万に近い従業員が未来都市のようなキャンパス(事業所)で仕事だけでなく各種の同好会(サークル)活動も活発に行っている。このサークルは社内のインナーサークルのみならず、数億のトゥルユーユーザーが作るアウターサークルともつながっている。新入りのスタートはカスタマーサービス部門から。サービスはニコ(いいね)マークやコメントで評価され、メイはたちまちこの部門の上位に達するが、仕事以外の活動まで評価対象になるとは考えていなかった。注意を受けると、意欲的な彼女はこの面でも好成績をあげていく。つまりすべての行動に参加し、個人の透明性をアップすることが常時求められる。この透明性追求は言わばサークル社のミッション、個人に留まらず、家族、サークル、各種コミュニティ、そして政治まで展開することを目論んでいる。そのために安価で小型のワイヤレスカメラや情報受送信システムを開発し、普及させていく。
アンはメイが入社当時“ギャング・オブ・フォーティーズ(40人のリーダー達)”と呼ばれる要職にあるが、やがてメイに超されてしまう。メイこそ透明化社会への欠かせぬ人材と、天才SE(従業員の前に決して姿を現さない)以外の二人の共同経営者に認められたからである。透明性の最終目標は直接民主主義(地方政治から国際政治まで)の実現、早くそれに取り組んだ政治家ほど有利な立場(当選しやすい)に立てるので、雪崩を打ってサークル社の試みを取り入れていく。
この段階でメイが発案し、二人の共同経営者(天才SEを除く)が作り出した標語が;「秘密とは嘘だ」「分かち合い(個人の抱える私的な問題共有化)は思いやり」「プライバシーは盗み」である。
ここに至る前から「この小説は、あれが下地だな」と感じ始めていた。あれとは1949年発刊のジョージ・オーウェル著「1984年」である。世界は3分割されており、ビッグブラーザー(モデルはスターリン)に人々の日常生活が常時監視される全体主義国家を描いた、当時のベストセラーである。そこでの標語は;「戦争は平和である」「自由は屈従である」「無知は力である」。二つの小説の時代は70年離れているものの“監視社会”に対する警告、ディストピア(反ユートピア)小説と言う点で共通する。異なるのは、本書では明るい局面が多い点である。
原著の出版は2013年、ここに登場するツールには既に製品化されているアップルウォッチに似たものもある。また、行政が整備する個人情報に関する社会的な問題、特に詳細なプロフィール収集なども、IT企業の方が行政の先を行く事態を生じているところも現状を反映する。本書の中で関係者に「費用の面で我々に到底およばない」と言わせる場面で連想するのはグーグルやFBだ。つまり、SFと見るよりは社会小説ととらえるべき性格を持つものである。
さて前著“ベストセラー・コード”と本書の関係である。英語と日本語の違いから、用語や構文に関する点はベストセラー・メーターは適用出来ないものの、トピック・テーマモデルのアルゴリズム「中心テーマ(本書の場合ハイテックによる監視社会あるいはプライバシー問題)は全体の1/3、あとの2/3はそれ以外のこと」やプロットモデルのパターンの一つ「明るい場面と暗い場面の適度な周期性(強さも含め)」などはメーター通りで、ページターナー(ページをめくって読み進まずにはいられない)と言う点で私もその状態に陥った。しかし「1984年」がちらつき出してからは、専ら興味はそれとの比較とハイテックに向いてしまい、今一つストーリー展開に興が乗らなかった。漠然と先が読めるような気がしたからである。翻訳単行本の出版は2014年12月、初版で終わっているから、我が国ではベストセラーにはならなかったのだろう。この辺りがベストセラー・メーターの限界(言語や社会環境の違い)を示しているようだ。
6)本と暮らせば
-古書店主・作家が描く、書籍・作家・出版に関わる実話・秘話満載の随筆集-
著者は1944年生まれ、5歳下だが中学卒業後集団就職で上京した人だから、社会人生活からすればほぼ同世代と言っていいだろう。時代が重なる人の話は共感をおぼえるところが多い。1993年直木賞を取った、古書店を舞台にした「佃島ふたり書房」を読んで、その哀歓を帯びた、しかし決して暗くない人物描写と本の知識に惹かれて、ときどきエッセイを読むようになった(受賞作品以外小説は読んだことはない)。本書はその最新版である。75話の内、古書店業界誌に寄稿したエッセイが35、各誌・紙に掲載された書評が34、残りは文庫本などの解説、当然ながらすべて本に関わる話題である。
大量の本や多彩な作家をネタに書籍にまつわる本を書く人は結構居る。評論家の立花隆、自身のブログ“千夜千冊”を連載している松岡正剛などその代表だろう。しかし、彼らの作品は、面白いのだが、読中・読後に疲れを感じる(目いっぱい知識開陳に励む、教訓めく 理屈っぽい)。それに比べ、深い蘊蓄を傾けながらも、語り口が軽妙な著者の作品は、気分転換・息抜きに最適だ。今回もそれを実感した。
古書との出会い・思い、現存しない発行元の探索、書籍分類目録の笑える間違い(例えば、羅馬(ローマ)を動物の部に)、作家に関するチョッとした知られざる断面(例えば、誤字の多かった漱石の手紙、関東大震災で失われた与謝野晶子の膨大な源氏物語訳;晶子は再度初めから訳す、志賀直哉と弟の相続争い)、書かれた内容や使用されている文字(特に固有名詞)に対する疑問(例えば、竜馬か龍馬か、あるいは“啄”木は正しくなく、猪子部分に楔(くさび;ゝ)が入るのが正しくそれなしでは“きつつき”)、大出版社の落丁、古書ビジネスの現状(例えば、全集物の価格暴落)、地方のユニークな書店(例えば、漱石第5高等学校教授時代親しかった熊本の書店;現存、あるいは目の悪い客に概要を説明する書店主)、新しいところでは、3.11地震で崩れ落ちふと手にした本から発する想い出、電子図書に対する私見、書評に関する評(しっかり読まずに、解説などを基に書かれた書評が意外と多いこと)、ノンフィクションで取り上げられた主人公が日本語訳出版直前に殺人を犯し、急遽内容変更をしたこと、などなど面白い話題が満載である。読みたくなる本が多数、取りあえず汽車旅をテーマとしたアンソロジー(同じテーマのものとに複数の作品が編集された本)を発注・入手した。
本欄は“愚評”と記したことから“書評”と取られがちだが、中心テーマは“私とこの本の関わり+ダイジェスト”にあり、その観点からは、本書もそれに近い性格で大いに勉強になった(とてもその域に達することは出来ないが)。また、目的である気分転換・息抜きには、話題が多い割に長さが適度(1話4頁程度)で、中断しても、気ままに楽しく読み進めることが出来る。これは優れたエッセイの評価点の一つだ。
7)フランス外人部隊
-在隊6年半、アフガンでも戦った日本人兵士による外人部隊の全貌-
中学生時代に飛行機に惹かれて以来、軍事に関する雑学知識追求に未だ興味が尽きない。関心は兵器と数理(つまり工学、理学)にあるが、新兵器に関わる兵種・軍種誕生の経緯、さらには軍編成の歴史におよぶこともある。市民軍(ギリシャ、初期のローマ)、傭兵(中世までの欧州)、国民軍(ナポレオン以降、徴兵)。ユニークなのが外人部隊。創設当時は植民地統治の補助的軍事力、現在でもそう呼ばれるものもあるが、実体は民間軍事会社による一種の傭兵、国内治安維持やテロ対策が主目的である。現存する唯一の例外が本書のテーマである“フランス外人部隊(8千人)”、ここだけは正規軍の一部なのである(つまり傭兵ではない)。ナポレオン時代欧州に猛威を振るった国民軍は、相次ぐ戦争により著しく戦力低下させ(兵役につける壮丁の激減)、世界に広がる植民地の反政府活動制圧や住民保護を本国人だけで賄うことが出来ず、1831年部隊を創設し当初はその役割を担わせる。普仏戦争からは対外戦争にも投入され、第1次世界大戦では欠かせぬ戦力となる。第2次世界大戦後よく知られているのはインドシナやアルジェリア(長くここに本部が置かれていた)における対植民地独立戦争。ここら辺までは映画にもなり一応日本人にも知られているところだが、それ以降の経緯は情報が限られていた(その種の本がまったく出版されなかったわけではないが)。書店に平積みされた本書を見て「角川なら大丈夫だろう」と読んでみることになった。
著者は1979年生まれ。高校卒業後海外進出と災害救助に関心を持ち、生き方を模索したのち、2004年10月入隊を目的に渡仏、首尾よく合格(25歳)。5年と定められた部隊勤務の除隊少し前所属部隊のアフガニスタン派遣が決まり、1年半契約を延長しそれに参加、計6年半の在隊経験を持つ(2011年4月除隊、最終階級上級伍長;2009年12月)。所属したのは六つある連隊(歩兵1、騎兵(機甲)1、工兵2(一つは山岳工兵)、空挺1、混成1)の中で最強と言われるコルシカ島に基地を置く空挺連隊。連隊は5中隊編成で、これもそれぞれ専門特化任務を持つ(市街地、山岳、水陸両用、狙撃・爆破、整備(現在は砂漠))。著者は第2中隊(山岳)を希望するが第3中隊(水陸両用)に配属される。個人としての特技資格(希望ではなく指名)は装甲車操縦と衛生。海外派遣はアフガンの他、コートジボアール、ジブチ、ガボンにそれぞれ数カ月治安維持や訓練(ガボン;ジャングル戦)のため滞在している。なお、著者名は志願時与えられた仮名(姓、名の頭文字(N、R)だけ本名と同じだが、実名は選抜試験合格後でないと名乗れない。著者は除隊までこの仮名を使い続ける)。
こう書いてくると、極めて順調な人生を歩んできたように見えるが、ここに至る道は決して平坦ではなかったし、帰国後の生き方も必ずしも希望通りには行っていないように見える。取りあえず看護師の資格は取得したものの、貴重な経験を活かせるところが国内になかなか見つからないのだ(救急救命士(消防)は年齢制限)。「再び隊に戻ろうか」そんな気も去来すると結んでいる。
この方面に向かおうとした動機は阪神淡路大震災。中学3年生の時自衛隊の災害救助活動を見て憧れ、高校卒業後自衛隊を目指すが15回!不合格。中学生時代英国から派遣されていた外国語指導助手の影響で英語には入れ込むものの、理数は全く駄目だったらしい。自衛隊入試だけでなく、除隊後日本の看護師養成学校の入試にもそれで失敗している。初志を実現できるのは外人部隊しかない。国内のバックパッカー向け施設で働いていた時の伝手を頼って渡仏、徴募所(トゥールーズ)はフランス語以外通じず、願書もこの友人に書いてもらう。幸いフランス外人部隊では理数系の筆記試験は入隊後も含め皆無。面接試験担当官は日本人先輩隊員(その国の担当者がいないときは原則英語;隊員の国籍は約百カ国!知能テストや心理テストも日本語あり)、フランス語はとりあえず数字を数えるくらいの知識で何とかなる(宣誓だけは丸暗記する。また入隊後はフランス語教育コースが用意されている)。一方で、正式隊員採用が決まるまでにはいくつものハードルを超えなければならない。志願から正式隊員なるまでの期間は約5カ月。何段階にもわたる厳しい基礎選抜訓練(主に体力、行軍)と雑務(掃除から隊員OB老人ホーム勤務まで)の日々、採用倍率は10倍(著者の時は8.2倍)、同期が次々と脱落していく。希望連隊入隊は成績順、著者は最終課程まで残った50人中14位、人気連隊だけに通常のケースでは無理なのだが、この頃は“空挺はアルカトラズ(監獄)”との噂が蔓延、成績上位者の数人が歩兵にまわったため希望が叶う。しかし、噂通り訓練は過酷、水陸両用中隊では兵装(背嚢が特殊で浮きの役目を果たす)のまま海中への降下まである。
本書の内容は、志願から選抜に至る過程を各種選抜訓練から日常の隊内生活・処遇(給与・恩給)まで、特に日本人志願者への助言を含めて、概観する章、空挺連隊の組織編成や訓練内容を紹介する章、それにアフガンでの実戦体験(6カ月;NATO基準)を語る章(これが最初の章)、自らの思いと総括の章、の4章構成になっている。アフガンでの戦闘ではゲリラが潜む集落を捜索中、顔面を負傷した戦友の救助に当たる生々しいシーンもあるのだが(手当後搬送中のヘリコプター内で息を引き取る)、いずれの場面も極めて静かに語られ、人生観や死生観を問われると「アフガニスタンに行ったことは、個人的にはマイナス点は思いつきません。アフガニスタンで人生観が変わったとは思いません」「覚悟と言った大げさなことではありません。目の前のやるべきことをやろうと考えていれば、恐怖心は誤魔化せると言うだけです」と答える。真の勇者とはこんな人なのかもしれない。
期待通り際物ではなかった。盛り上がりは欠くが、著者の人柄(正直で真面目な人と推察)が伝わる淡々とした筆致に、勇ましい戦記物や一発勝負のジャーナリスティックな海外物ノンフィクションでは感じない、“本物観”をもってフランス外人部隊の現状を知ることが出来た。