2019年4月30日火曜日

今月の本棚-129(2019年4月分)



<今月読んだ本>
1)ファナックとインテルの戦略(柴田友厚);光文社(新書)
2)ドイツ帝国の正体(イエンス・ベルガ―);早川書房
3)大統領とハリウッド(村田晃嗣);中央公論新社(新書)
4)数学する人生-岡潔-(森田眞生編):新潮社(文庫)
5)「作戦」とは何か(中村好寿);中央公論新社
6)崩れる政治を立て直す(牧原出);講談社(新書)

<愚評昧説>
1)ファナックとインテルの戦略
-知られざる、世界の製造業を支える日本の工作機械技術-

大学では機械工学を学んだ。基幹となる科目は、材料力学・熱力学・流体力学の3力学、そこから材料加工(塑性、鋳鍛造、切削)・熱機関(ボイラー、内燃機関、タービン)、流体機械(ポンプ、圧縮機)などの具体的な機械類に関する学問が派生していく。その一つに“機械を作る機械”と言われる工作機械がある。地味な分野だが製造業の根底を支える重要な機械ゆえマザーマシンとも称される。
私が専攻したのはこれら主流分野とは一味異なる制御工学、分かり易い言葉ではオートメーション、学んでいた時代には、純然たる機械よりも電気・電子機器や装置工業を対象とした利用が進んでおり、“ガソリンエンジンの調速(回転数制御)”を卒業論文のテーマにしながら、石油会社に就職したのもそんな時代背景に依る。今、自動車エンジンが制御システムの塊であること、さらには自動運転普及が間近いことを見るとき、昔日の感がある。ロボットまたしかり。搬送機械(各種コンヴェア)は既にあったものの、今日のような変幻自在にマテリアルハンドリングが可能な産業用ロボットが出現する兆候はまるでなかった(私の出た研究室は後にロボット研究が中心となる)。ある意味、理論やアイディアが先走り過ぎていた領域とも言える。
伝統的・基盤的機械工学の粋工作機械と先端的な制御工学の融合にはしばし時間を要する。つまりICTの発展/普及である。就職後、計測制御学会誌で頻繁に目にする“稲葉清右衛門”と言う古風な名前が所属会社である富士通とともに脳裏に刻まれるようになっていった。今や世界一の工作機械制御システムメーカー、ファナック社生みの親である(95歳、いまだお元気なようだ!)。本書はそのファナックを中心とした「工作機械産業発展史」であり、そのファナックがインテルといかに深い関係にあったかを辿るものである。
工作機械と一口に言っても種々のものがある。旋盤、ボール盤(穴あけ)、フライス盤(立体加工)、中ぐり盤、平削り盤、歯切り盤(歯車)、研磨盤などが代表的だが、プラスチック成型機や放電・レーザー加工機、自動溶接機などもその範疇に加えることもある。そして、嘗てはそれぞれが単能機として生産販売されていたが、ICTを利用して複数の機能をこなすものが出現、マシニングセンターと呼ばれる。
約四半世紀の長きにわたり日本は工作機械生産高(金額)トップの座にあったが最近は中国が首位、しかし高性能機では依然先頭の位置に在り、これをドイツが追う形になっている。特に日本が強いのがCNCComputer Numerical Control;数値制御)装置付きのもの、ファナックを始め安川電機、三菱電機などがこれを生産している。世界市場で変化が激しかったのが米国、CNCのアイディアを1952年に試作実現(MIT)、1965年には世界全体の28%を占めていたものが1986年には10%に低下、現在も回復の兆しはない。何故か?ここが本書の一つの読みどころであり、ファナックが世界一になる因と重なる。
先に挙げた日本のCNCメーカーはいずれも工作機械メーカーではない。種々の工作機械を作っているのは、ヤマザキマザック、森DMG(ドイツとの合弁だが森精機がマジョリティ)、オークマ、東芝機械、牧野フライスなどの工作機械専業メーカーである。これらの会社はいずれも世界は無論、我が国においても決して大企業ではなく、自社で専用のCNCを開発するには経営資源が充分でなかった。一方ファナックは富士通の社内ベンチャーとしてスタート、研究開発段階では特定の工作機械メーカーと組むものの、最終的なゴールはあらゆる工作機械企業/機種を対象にしたい。ここから汎用標準志向が生まれ、そこに複数需要家とのコラボレーションが生じ、他の日本メーカーもこれに追随する。対して、米国の工作機械メーカーは既に市場を世界に広げており、規模も大きいので自社マシン専用のCNCを開発、工作機械との相性は良いが汎用性は無い。ここが勝負の分かれ目だったわけである。
ファナックがここに至るまでには種々の苦労がある。後に我が国ナンバーワンのコンピューターメーカーに転ずるものの、稲葉が新規事業開発者に指名された際(1956年)は電電ファミリーの通信機メーカー、自社コンピュータなど存在しない。初期の大きな成果は、正確な位置決めを行える電気・油圧パルスモータの発明(発想は電話用自動交換機から)と円弧と直線で機械部品の形状を計算するアルゴリズムの開発。制御の頭脳部分は、当初自社製専用機、やがて富士通本体の汎用機や工業用ミニコンなどをベースにCNCを開発していくのだが、工作機械本体より高価な制御装置は導入先が限られる。そこに現れたのがインテルである。インテルは一時メモリー用ICのトップランナーだったがやがて日本のメーカー(富士通を含む)に市場を奪われ、言わばファナック同様社内ベンチャー的にマイクロチップCPUMPU)の開発・生産を始める。最初の大手顧客は日本の電卓メーカービジコン社。次いで東芝系POS端末機メーカーテック社も採用、それら一連の動きにファナックが着目、1975CNC用に採用を決める。これはPCベンダー(IBMを含む)よりはるかに早い時期である。こうしてインテルとの連合がなり、両社に世界一への道が開けていったのだ。
今後の問題として、3Dプリンター出現に依る工作機械自身の変化、市販PC利用のCNC、中国の「製造2025」政策(工作機械は最重要品目のひとつ)などあるが、著者は積み上げてきた膨大なユーザー情報を含め、後発とはソフトノウハウ領域で相当差があると見ている。高性能工作機械あっての各種高品質製品である(母性原理;Copying Principle;部品はそれを加工する工作機械の精度を超えることは出来ない)。我が国製造業競争優位のために、その差を維持し続けて欲しいものである。
最後に、日米CNC盛衰の歴史を自動運転システム開発の世界に敷衍し、自社専用システム(各自動車会社)と汎用システム(グーグルなどの非自動車企業)の将来に問題を投げかける。果たして本流はどちらになるか?と。
著者は京大理学部卒業後ファナックに入社、開発技術者として10年余勤務した後筑波大学MBAコース修了、現在は技術経営戦略やイノヴェーション経営などを専門とする東北大学大学院経済研究科教授(工博)。実務を経験し内部事情に詳しい研究者ゆえ、現存する関係者(主に元富士通役員)への取材や社内資料にもアクセス可能、かなり特殊な世界だが、臨場感をもってファナックの発展過程が伝わる内容になっている。また、あとがきの中で「日本企業のディジタル化への遅ればかりが悲観的に指摘される昨今だが、目を向けている産業や企業に偏りがあるのではないだろうか」と疑義を呈している。全く同感である。

CNC装置理解のための参考動画;単能機として最も高度な工作機械フライス盤操作。これはCNCが導入される以前の熟練工によるその操作過程。加工物や切削工具の取付け/取替え、身体の動き(腰・肩・肘・膝・手首・指先)、各種測定器の利用、やすりを始めとした工具の取扱い;この匠の動きをICTに置き換えたものがCNC装置なのだ。ユーチューブ「TOKYO匠の技」より引用;https://www.youtube.com/watch?v=UOVxMv2hKSQ

2)ドイツ帝国の正体
-一見好調な経済/健全財政の範、資産/所得格差で見る実態は意外な姿だ-

グローバル化が日に日に進んでいる。私の住んでいる横浜の南の果てにもネパール人の営んでいるインド料理店があるし、駅の案内表示板には漢字・ひらがな・ローマ字・ハングルの4文字が併記。こんな世界との身近な関係、それぞれの人はどのように作り上げ、対応しているのだろうか。
私の“国際関係”は、主として石油とICTの十字路で行き交った人々だ。ここで得た友人/知人の存在は、対日関係がかなり厳しくても、メディア報道とは違った気持で受け止め、「政治家とメディアこそ諸悪の根源(両者とも国内で生きるしかすべはない)」と片付けられる。そんな中で、私が唯一好感の持てない大国がドイツである。日清戦争後の三国干渉から始まり黄禍論、果ては上海事変での国民党軍支援、この国は日本の国力を抑え込むために、あの手この手と陰険に振る舞ってきた歴史を持つ(例外は三国同盟のみ)。ドイツ人の名刺は10枚程度あるが友人/知人は皆無、他の国とは付き合いの濃さが違う。だから私の対独観はかなり偏ったものだと承知した上で、最近とみに日本に批判的(EUにおける中国・韓国の代弁者の感さえある)なこの国の今を知っておく必要を感じ、本書を手にした。
著者はドイツ人ジャーナリスト、ドイツで大人気の政治ブログ「シュピーゲルフェヒター」の執筆者。残念ながらその程度しか、解説を含めて著者像は記されていない。情報・データがしっかりした内容から、かなり優れたジャーナリストと推察できる。また、フランス人や日本人でなく、その国の人間が書いたところに本書の価値がある(外国人バイアスがかからない)。
取り上げるテーマは、ドイツにおける“格差社会”、その点で帯にある「ドイツ版ピケティ」はぴったりだが、ピケティがアングロサクソン型資本主義(新古典主義)全体を対象にしたのに対し、本書はドイツの土地所有に関する歴史と戦後の経済政策や税制、企業経営環境に絞り込んでおり、より国内事情を深耕したものと言える。この具体性を持った展開から、論旨;1990年代までドイツは比較的資産が公平に分配されている国だった、しかしその後格差が拡大、その根源は保守(キリスト教民主同盟;CDU)・革新(社会民主党;SDP)両党の政策にあった。特に富裕層に対する所得税と遺産相続税が問題だ。今やそれは限界にきている;の理解は容易に進む。
分析の基となるのは所得と資産に関する数字である。著者は先ずこれらに疑問を呈する。特に富裕層のそれが如何に把握し難いかを、国勢調査の方法や行政の情報開示姿勢まで踏み込んで質し、公開情報に独自の分析を加えて推算値を算出する。次いで非富裕層のそれらについても検証、社会的な背景を踏まえ、他国と単純比較して騒ぎ立てることに警告を発する。例えば「ドイツ一世帯当たりの資産はギリシャより少ない」などと言う流言飛語が如何に実態にそぐわぬかを、社会構成や福祉政策の違いから詳らかにする。つまり、ギリシャ人は家族主義で一世帯の人数(働き手)が多いこと、教育・医療・年金を国に頼れる社会ならばせっせと個人資産を蓄えようとはしないこと、に数字の魔術が潜んでいることを示す。しかし、こうして基本的な数字を正してみても、明らかに格差は拡大傾向にあり、その進み具合は急角度だ。どこに原因があるか?
資産に大きな割合を占めるのは我が国同様不動産だ。ここでは大土地所有の歴史を手短にたどる。ドイツは領邦国家がまとまって出来上がる。王・領主と臣下の関係は土地の授受と密接に結び付き、戦前は多くの大土地所有者(概ね旧貴族と教会)が存在した。戦後それらは、復興のために国(西ドイツ)に召し上げられるのだが(最高50%)、その時点での土地評価額に相当する金額を長期(30年)にわたり国家に払うことで、所有権を回復する仕組みになっていた。その後の目覚ましい経済成長で所有する土地価格は急騰、これが所有者の莫大な財産となり(資産インフレ)、加えて低い資産税(世界で最も低い国の一つ。本書で固定資産税という用語は出てこない)と相続税、持てる者と持たらず者の格差を作り出し、中産階級の固定資産形成を難しくしている(自宅所有世帯は50%以下、OECD加盟国ではスイスの36%に次いで低い)。
次の対象は所得。多くの勤労者や個人企業経営者にとってこれは賃金や利益である。各国から移民が仕事を求めてこの国にやって来ることから、さぞ恵まれた環境にあると思いきや、中産階級の中核を成す高学歴者の職場はミスマッチングが目立ち、必ずしも望む仕事に就けない。1993年以降賃金はほとんど横這い状況。個人企業はスーパーや量販店におされてじり貧。一方でクローズアップされるのは資産が生み出す所得、地代・家賃や株式配当である。日本同様一般庶民の株式保有は極めて少なく、古からの資産家(配当ベストテンには、BMWオーナー家、ポルシェ一族(フォルクスワーゲン)、メルク家、シーメンス家、ヘンケル家などが名を連ねる)や正体がはっきり追えないヘッジファンドに大きく偏っている。そしてこれらの所得に関する税は、45%の通常の所得税ではなく、25%の資本収益税で済まされる。またこのような税制を批判してしかるべきメディア(主に新聞)も特定のファミリーに寡占されており、そこからの政治献金と相俟って、税制批判に矛先が向かわない。
独特の社会的市場経済システム(かつての日本同様国家主導の資本主義)が大きく崩れ出すのは、レーガノミックス、サッチャーの国営・公営企業の民営化と時代を同じくする。SDPのシュレーダー(独)政権の下から始まり、CUDのメルケルがそれを加速させる。公的年金の民間生命保険(年金;運用リスクが大きい)へのシフト、公営集合住宅の縮小と民営アパートの増大、中産階級の資産・所得は富裕層(家主)や大企業(保険会社)に移り、格差はますます拡大する。結果;上位80万人の資産と残り8千万人(下位20%はほとんど資産無し)のそれが同額となり、ジニ係数(ゼロが貧富の差なし、1が最大格差;以下に示す数値は著者が独自に諸データから推算したもの)は0.78(露;0.91、中;0.69、仏;0.68、英;0.67、日;0.55、何故か米はない)となる。一見健全に見える財政バランスも広義の社会福祉民営化やインフラ投資の圧縮で実現しているのだ。
原題は“ドイツは誰のものか?”。答えは、古くからの大地主、伝統的資産家、一部の戦後成金(特にスーパー創業者)それに国際金融資本である。国を国民の下に取り戻すためには大胆な税制を中心とした社会改革(戦後のように富裕層の財産のかなりの部分を国が取り上げる)しかない!である。
読後感;とにかくそろえたデータ(多面的に検証)が凄い。これをベースに戦後ドイツ政治経済が辿ってきた道を踏まえ、今日の惨状を章ごとに簡明(図・表を多用)かつ定量的に要約するので、説得力抜群。依然嫌らしい国と思っているが、多くの国民には同情の念すらわいてきた。ピケティブームに便乗し、自分の意見に都合の良いデータだけ抽出し、TVや新聞あるいは本などでごちゃごちゃ言っている、我が国の学者やエコノミスト、評論家、ジャーナリストに「少しは本書の爪の垢でも煎じて飲め!」と言ってやりたくなった。

3)大統領とハリウッド
-皆リンカーンを目指す米大統領、映画を通した米国政治通史-

いよいよ平成が終わり令和が始まる。本書を読みながらフッと思ったのは(米大統領と比すべきことではないが)「今上(平成)天皇が映画に登場したことはあるだろうか?」との疑問である。波乱に満ちた昭和時代は、戦後太平洋戦争に関わる映画が数多く制作され、遠景や影のような形も含め、著名な俳優たちが昭和天皇を演じていた。私の記憶に強く残るのは1967年公開の東宝映画「日本のいちばん長い日」、ポツダム宣言受諾から終戦の詔勅(玉音放送)が発せられるまでを描いた作品である。監督;岡本喜八、鈴木貫太郎首相;笠智衆、阿南惟幾(これちか)陸軍大臣;三船敏郎、米内光政海軍大臣;山村聰、そして昭和天皇は松本幸四郎(八代目)が扮した。それに対し今上陛下が即位後映画で取り上げられることはなかったように思う。ただ、皇太子時代ご学友だった藤島泰輔が小説「孤獨の人」を出版、ベストセラーとなり、これが日活で映画化されたことは、観てはいないのだが、こちらも多感な高校生だったからよく覚えている。右翼や学習院の反対で大騒ぎになったのである(出演した在校生は退学処分になった)。そんな我が国にくらべ、映画俳優が大統領になってしまうような国では、大統領が登場する多くの作品が作られている。本書はそれらを、歴史を辿り、当時の社会情勢を背景にしながら、解説するものである。
米国大統領選は有権者が選挙代理人を選び、その代理人が大統領を選ぶシステムになっている。つまり厳密な意味で直接選挙ではない。今回のトランプ対ヒラリー戦でも得票数ではヒラリーが僅かに上回っていた。しかし、あまねく有権者に認知してもらわなければならないと言う点においては直接選挙と事情は同じだ。欧州各国や日本と異なり、広大な国土に散在するその選挙民に如何に候補者として売り込み、政治理念や政策を理解させ、支持を取り付けるかは工夫のしどころである。新聞、鉄道、通信、ラジオ、映画、TVそしてネットへと中核媒体は変化してきた。その中で映画/映画人の影響力は依然大きい。本書では、個々の大統領と映画の関係を語るばかりでなく、政治における映画の果たしてきた役割をリンカーンからトランプまでたどり、米国政治史を概観する。
総じて反権力志向が強いハリウッドとワシントン(政治家)の関係は常に緊張関係をはらむ。マッカーシズムが荒れ狂った1950年代はその頂点とも言えるが、ヴェトナム戦争時のニクソン、ジョンソンそして今のトランプ政権、いずれも決して良好な関係とは言えない。一方で国家非常時、特に第二次世界大戦では戦意高揚のために映画ほど役に立つものはなかった。ローズベルト大統領はラジオで国民に直接語り掛けるとともに、ハリウッドを最大限に利用する(アカデミー賞授賞式に初めてメッセージを贈った大統領)。政治家の方がセレブを宣伝材料とするケース、俳優の方が積極的に接近するケース、双方それなりに利用価値ありと認め合っているのだ。そこから大統領(レーガン)や知事(シュワルツェネッガー)、市長(クリント・イーストウッド)も生まれる。古いところではゲイリー・クーパーやクラーク・ゲーブル、バートランカスターから、フランク・シナトラ、サミー・デイヴィスJr、近くは「彼が大統領?見習いか?」とやった反トランプのハリソン・フォード、ロバート・デ・ニーロ、メリル・ストリーブまで、皆さん政治が大好きなのだ。本書の読み方第1部(そのような構成になっいるわけではない)は、この実在人物に関する話題である。そして第2部はハリウッドに描かれ、登用された大統領たちである。
最も制作本数が多いのは歴代大統領人気No.1のリンカーン、当然 内容も好意的だ。一章を割いてリンカーン映画の系譜をたどる。現職で初めて暗殺された大統領、19世紀最大規模の戦争、南北戦争を戦った大統領、題材に事欠かない。また、写真は残るが、音声も映像もない時代の人物ゆえ作る者・演じる者に自由度が大きい。数々の名作が制作され、のちの大統領がこれを範とする傾向さえ生む。ホワイトハウスでは大統領やその家族が映画を楽しむ会がしばしば催されるが、その嚆矢となったのは19153月ウィルソン大統領と家族が観た「国民の創生」、南北戦争とリンカーン暗殺を主題とするものである。戦争の危機が迫ると、国民の気持ちを一つにまとめたい。リンカーンほどそれに適した存在はない。1939年ジョン・フォード監督、ヘンリー・フォンダ主演の「若き日のリンカーン」が人気を博す。
現役で暗殺されたと言うことでは、ジョン・F・ケネディ大統領がこれに重なる。現実世界ではハリウッド女優と数々の浮名を流したような人物だが、映画では若々しいリーダーとして描いたいくつもの作品が制作され、“第二のリンカーン”として神格化されていく(因みに暗殺されたとき乗っていたオープンカーはリンカーン)。しかし、ケネディ家には暗部ある。赤狩りで一時名を成したジョセフ・マッカーシー上院議員はアイルランド系、ケネディ家と同じだ。ジョンの父親、ジョセフ・ケネディは彼のスポンサー、多くの映画人(チャップリンを含む)追放に一役買っている。
映画が描く善玉がJFKなら悪玉はハリウッドの近くで生まれ育ったリチャード・ニクソン大統領。ウォーターゲート事件を扱った「大統領の陰謀」はそれを暴いたワシントンポストの二人の若手記者をダスティン・ホフマン(カール・バーンスタイン)とロバート・レッドフォード(ボブ・ウッドワード;昨年秋トランプ大統領を描いた「恐怖の男」を上梓)が演じ、四つのアカデミー賞を受賞している。ただし、ニクソンは出てこない。
そしていよいよ「銀幕の大統領」レーガンの登場である。若い頃俳優組合の委員長を務めながらマッカーシーの非米委員会に協力するなど政治には早くから関わり、カリフォルニア州知事そして大統領にまで昇りつめる。就任式は「ハリウッド都へ行く」(これは戦前ヒットした政治映画「スミス都へ行く」のパロディ)と言われるほど大勢のスターが参集した。大統領として発言する時、当意即妙で有名シーンの決めゼリフを使ったとも言う。暗殺未遂事件が起こった1980330日はアカデミー授賞式の日であったのも何かの因縁だろう。この事件は後にTVドラマ化されている。真っ当な役以外にもレーガンの言動は映画の中で利用される。「バック・トゥー・ザ・フューチャー3」では過去に戻った博士が、レーガンが大統領と知り「副大統領はジェリー・ルイス(50年代人気のあった喜劇俳優)かい?」とやる。しかし、揶揄されたわりには、退任時の支持率は就任時を10ポイント以上上回ったと言うからハッピーエンドと言える。
内容の濃淡はともかく、トルーマン、アイゼンハワー以下オバマ、トランプまで戦後の歴代大統領はすべて映画と絡めて棚卸しされる。
映画ファンにとっては興味深い話満載だが、芯はかなり真面目な米国政治通史、興味本位の際物では決してない。ハリウッドの反権力(経営者以外)の根底にリベラリズムがあり、それを醸成してきた優れたユダヤ系監督・脚本家・俳優の存在が浮かび上がってくることなどその一例と言える。
著者は201316年同志社大学学長を務めた法学・政治学研究者。こんな先生に一般教養で巡り合えていたら“大学教育における教養”の意味を少しは正当に解釈できたかも知れない。

4)数学する人生-岡潔-
-俗世を捨て、念仏を唱えながら解き明かした難題。「数学は禅である」-

小学校入学来、分かった時・解けた時の爽快感が抜群だったのは算数である。他の教科では決して味わえない気分だ。一方で、ジワーッと時間をかけて知識欲が満たされてくるのは歴史である。しかし、数学は進級・進学するに従い分からぬことが多くなり、今ではその歴史を辿ることにのみ関心が移ってしまっている。だから最近好んで読むジャンルは、数学の歴史や数学者の伝記・随想など。本書を手に取った動機もそんなところにある。
岡潔の名前は文化勲章受賞時(1960年)から知っていたし、メディアがその奇人変人ぶりを面白おかしく報じていたのも記憶に残っている。しかし当時は技術者教育を受けている真っただ中、純粋数学の世界に興味は全くなく、断片的に目にする仙人のような暮らしぶりにも関心はなかった。忘れかけていた人物が半世紀以上経て書籍出版案内で伝えられたとき「アッ!この人が居た。読んでおかなければ」となった次第である。本書は岡の自著ではなく、若い数学者が講義録、エッセイ、小論文、投稿週間日記、夫人の書き物などを集め編集したものである。従って、岡を系統立てて理解するには適していないものの、常人には奇異とも思える生き方について、その根源が漠然と見えてくる内容である。
純粋数学の未到領域を開拓するには、前提条件設定や論理展開に既存の知識や枠組みを超えた発想が必要で、そこを探るところが最も基本となる挑戦域らしい。その発想の手掛かりを岡は禅(道元禅師の教え)に見出し、「表現法は異なるが、禅と数学の本質は同じだ」と悟る(?)ことになる(1個、1人の1は意味を持つが、裸の数字1は何なのだろう?)。また論理で理解するのではなく“情緒”こそ数学理解の根源だとする(ここで言う情緒は一般に膾炙される意味とは異なり、岡自身 その“情緒”を何度も説明する;スミレが美しいと感じるその美しさは自分と他の人とでは違いがある)。当に禅問答なのだが、こうしたところから純粋数学が世界を広げ、それが応用数学につながり、さらに工学など実用数学の適用域を広げていったことを考えると、(既に解法が分かっている)問題解答に喜びを見つけていた浅学の徒に、あらためて数学の奥の深さ、凄さを教えてくれた(理解できたわけではないが・・・)。数学は確かに哲学の一つなのだと。
このような独特の世界観に何故至ったのか?これも編集された諸文から探るしかない。1901年生れ、旧制三高から京大理学部物理学科に進み3年次に数学科に変わる。卒業後講師(1925年、結婚)、助教授(1929年、28歳)、同年フランス留学(パリ大学ポアンカレ研究所中心)、3年間滞仏、ここで生涯の研究テーマとなる多変数複素関数論(当時の最先端分野)の一課題(ハルトークスの逆問題)に取り組むきっかけをつかむ。ここまでは若き研究者として順風満帆に見える。1932年帰国を前に広島文理科大学(現広島大学)助教授に任ぜられる。この異動(京大助教授→広島文理科大助教授)をどう解釈したらいいのか不明だが、ここからしばらくすると理解に苦しむ経歴が続く。1938年既に2児(長女、長男)があるのに休職して郷里和歌山県紀見村へ帰郷。1940年大学を自ら辞職、前後して京大より理学博士の学位授与。1941年何と北大理学部“研究補助員!”(単身赴任)に就いたあと翌年はそれも辞して再び和歌山に戻っている。1948年無職の田舎暮らしの中、第7論文がフランス数学会に受理される。翌1949年奈良女子大学教授に就任、その後第8論文が日本数学会欧文誌に掲載、このあたりで研究課題に対する業績が認められ、1951年学士院賞受賞、1960年文化勲章受章となっていく。広島文理科大学を辞めてから奈良女子大学に就職する間約10年、戦争を挟んだ混乱期、実家は大地主などではないから(父親は日露戦争後保険外交員をしている)、生活が相当苦しかったことは夫人の一文からも推察できる(売り食いをして何とかしのいだ)。一方で、念仏を唱えながら、重要な論文が一つ一つ発表されていくのもこの期間なのである。
修験者のような日常から大発見が生まれる。このきっかけはやはり在仏体験にあるようだ。優れた西洋数学の後ろに厚いラテン文化が在ることを感じたいたことが滞仏記の中に出てくる。フランスに居ながら在仏邦人を通じて、考古学や俳句、日本文学などそれまでの日本では触れたこともない分野に関心を高めていく。「外国に出てあらためて日本を再認識する」、ある意味よくあるパターンだが、ここから種々の日本文化の根幹共通因子を探ろうとするところは、やはり常人とは違う発想だろう。多くの芭蕉の句の奥に道元禅師の教えを感じ取り帰国後それに傾注していく。行き着いた先が「日本の数学は日本文化に基づくべき」である。
本書は先にも述べたように岡の自著ではない。編者は最初に、岡が奈良女子大を停年退官したあと勤務した京都産業大学の定年退任最終講義を持ってくる。ここで岡は持論の知・情・意・情緒論を展開しながら、西洋の時間と空間の枠内にとどまる学問を批判し、五感では把握し得ない世界の存在を示唆して結ぶ。ぼんやりと言わんとすることが見えてきたような気がするのは歳のせいか、はたまた編者の力か。この最終講義は1971年、経済成長に伴う社会問題(例えば公害)続出の時代、それからおよそ半世紀、科学・技術では欧米に追いつき、一部は追い越した感のある我が国は昨今停滞の局面に転じている。あらためて岡の主張に耳を傾け学ぶ時が来ているのではなかろうか。科学・技術のみならず企業経営もまたしかり。
編者は1985年生まれ、東大文科2類に入学しながらITヴェンチャービジネスに惹かれ理学部数学科に転じ、卒業はできたものの大学院進学に失敗、数学道場を主宰したのち現在は在野で研究活動に励んでいる異才。「数学する身体」で2016年度小林秀雄賞(文芸評論)を受賞していることからも、常人離れした岡潔の紹介者として適任の人物と推察する。

5)「作戦」とは何か
-軽視されてきた「作戦」の意義を質す。だから戦略が誤用・乱用されてきたのだと-

軍事用語(兵器や階級は別にして)を知ったのは何をいつごろかだろうか?物心つく前に知っていたのは多分“兵隊さん”、これは「今日も学校へ行けるのは、兵隊さんのおかげです。・・・兵隊さんよありがとう」と言う歌を今でも部分的に歌えるからである。それから部隊・隊長などは小学校入学時には知っていた。一方で戦略・戦術などは、日本の空が占領下から解放され、飛行機雑誌に戦略空軍・戦術空軍などが表れてからだ。では“作戦”はどうだろう?小学校の卒業謝恩会、他のクラスが「ビルマの竪琴」を演じた。その時同級生の誰かが「あれはインパール作戦の話だ」と説明してくれた。記憶に残る最初の作戦はこれだったように思う。その後、映画・小説・ノンフィクションで頻繁に作戦を目にしてきたが、この言葉に特別な意味を感じたことはなかった。しかし、軍事に詳しい経営コンサルタントの友人が、企業経営における“戦略・戦術”と言う言葉の誤用・乱用を戒め、<目的、構想>である“戦略”と<時間/空間を伴う具体的な戦い方>である“戦術”の間に<実行計画>としての“作戦”を挟むことによって、戦略・戦術の曖昧さを正すことが出来るとフェースブックに記していた。これは“目からうろこ”であった。そんな折たまたま本書を書店で見かけ、早速読んでみることにした。
著者は1943年生れ。防衛大学校を卒業後陸上自衛隊の要職(幹部学校戦略教官、東北方面総監部幕僚)を務め、この間スタンフォード大学に学び、米海軍大学院講師、米国防大学客員研究員なども経験、最後は防衛研究所主任研究員で退官したバリバリの専門家である。以前(2001年)「軍事革命(RMA)」(中公新書)が出た際それを読んでおり、我が国には数少ない軍事“学者”のイメージが強く残っている。一つは言葉の定義付けがかなり厳密なこと、次は諸論の歴史的変遷を追うこと、それらを踏まえて諸外国の取り組み姿勢の変遷および現状を論述し、自衛隊のそれと対比、著者の考える“あるべき姿”を提言する手順であったこと、がそんな感を抱かせたのである。
用語の定義をそれらの歴史から説き起こす点、関連する諸家(軍人、軍学者)の説を概説する点は、前出の書および多くの社会科学系学術書に共通する構成だ。同じ語でも「」付は著者の定義に依るもの、「」が無いものは一般的な用法と言うほど言葉にこだわる。歴史展開と言う点では、ナポレオン前から第一次世界大戦前まで、その後冷戦期まで、ポスト冷戦期の3部構成になっている。用語解説の観点からは断然1部・2部が面白く、作戦の位置付け/意味もはっきりしてくる。第3部(著者としてはここ重点を置く)は国家対国家と言う戦争形態が崩れ、テロやゲリラを対象とする戦闘・紛争あるいはPKO活動が軍事行動の中心になってきているため、戦略(戦いの構想/目的)そのものが従来と大きく異なり、それが作戦に影響を及ぼしている(純然たる軍事行動以外の諸策の必要性;軍事制圧後の社会安定化)ことに重心がシフト、ここは現代戦争論と言った内容に変わる。
“作戦”の位置付けは戦略と戦術の間にあるものと明確に記すものの、歴史的に戦略・戦術の意味が時代や提唱者/援用者によって異なるため、作戦の概念が長くクローズアップしてこなかったとしている(特に、大戦略、政略、大戦術などとの使い分け)。この語を現在の位置付け/意味で意識的に使用した最初の人物は(大)モルトケ。クラウゼヴィッツの戦争論にある「戦争は他の手段をもってする政策の一部」に早くから異論を呈し、政治戦略と軍事戦略は上下関係ではなく、並列の位置に在るもので、「政治は軍事作戦に介入すべきでない」と普仏戦争におけるパリ砲撃(具体的軍事行動に対する計画)に反対したビスマルクを批判する。しかし、このような著名な軍人が作戦の役割を明示したにもかかわらず、ドイツを除く欧米各国では1980年代まで作戦(Operation)と言う用語は“封印”されてきた、と言うのが著者の見解である。これには読者として大いに疑問を持つ。例えば、ノルマンディー上陸作戦は上陸までをOperation Neptune、パリ解放までをOperation Overlordと正式に名付けているし、Operationは随所に使われている。どうも本意は、先に述べた戦略/戦術の曖昧性から<戦略-作戦-戦術>と言う形で公式に取り扱われてこなかったところにあるらしい。もう一つ、作戦が科学(サイエンス)と技能(アート)の重複域に在り、比較的科学性が勝る戦略/戦術に対して説明/理解し難いところに、普及しなかった因があるとしている。これは作戦の本質に迫る興味深い見方である。
援用される軍人・軍学者は、孫子、クラウゼヴィッツ、ジョミニ、モルトケ、フラー、リデル・ハート、トハチェフスキー、シュワルツコフ(湾岸戦争司令官)など。戦い方として紙数を割かれているのは、南北戦争からヴェトナム戦争に至る米軍の消耗戦(物量とテクノロジー重視)、ナポレオン戦争から第2次世界大戦までのロシア・ソ連の縦深作戦(作戦重視)。著者はそれぞれの国としての戦い方に一貫性があるととらえ、“作戦”の位置付け/意味付けの違いを対比、作戦優位こそ勝敗のカギであるにもかかわらず、米軍にはごく最近までそれを重視の考え方は無かったと。そしてそれに追随してきた自衛隊も問題山積と警告を発する。
企業経営にも数カ所でごく簡単に触れてはいるものの、本書は純然たる軍学の書である。作戦に関する理解を深めるために、作戦戦域、作戦手段(作戦機動、作戦火力、作戦情報、作戦予備、作戦兵站)などを詳細に説明するが、一般人が直感的に理解/引用できる簡潔な表現はない。従って“経営作戦”に活用するには、それなりの咀嚼力と創造力(一旦抽象化して自分の世界に投射する力)を要すること必定。それでもこのような一般向け書籍が無かったことを考えれば、経営戦略をうんぬんする前に読んでおきたい一冊とは言える。

6)崩れる政治を立て直す
-繰り返される改革の失敗。「姑息な官邸主導ではダメ。官をその気にさせることがカギだ!」-

自由主義・民主主義を信奉し、総じてこれまでの日本の政治環境/施策はそれほど悪いものではなかったと思っている。不満はあまりにも世襲議員が多いことにある。北朝鮮は3代にわたる世襲。しかし、我が国では既に3代目・4代目国会議員が続出している(例えば、小泉4代、麻生・鳩山・安倍・河野3代)。つまり政治家が家業になっているのである。これでは組織防衛を本務と考えているような官僚(良質ではあるが)と相俟って、既得権が強固に守られ、激変する世界情勢に適合できず、ガラパゴス化するわけだ。折しも平成から令和に代わる時期、世襲は天皇制だけで良い(これだけは世界に類のないシステムであり、是非守っていきたい)。私も含め、こんな硬直化した政治状況を何としても変えなければならないと念じている人は多いはずである。世襲制はともかく、本書は、そんな願いを実現すべく行政改革をクールに研究する政治学者の表した、現状分析と改革提言の書である。
分析の対象となるのは小泉政権から第2次安倍政権までの構造改革(主として行政改革)。それぞれの政権が重視した改革対象項目、推進体制(議会・内閣・党・府省)、実行過程、制度変更結果、を個別に検証・評価して問題点を摘出、これを一般化して、今後の在り方を提言する。
行政改革の出発点は法律作り/改訂である。著者はこの段階を“制度の導入”と呼ぶ。先ず関係者(利害関係者、政権政党内、野党、この法律に基づく行政を行う官庁)の意見を集約し法案を作る。原案を作るのは主管府省の官僚が中心になるが、一つの府省で完結する法案は少なく、関連官庁間の調整が必須だ。この調整機能を長く果たしてきたのは事務次官会議。そのリーダーは事務担当官房副長官。そしてこの法案を最終チェエクするのは法制局。法制局長官は閣僚の一人だが、これも官僚である。内閣、特に首相が急所を握る官僚を如何に自家薬籠の内に取り込めるか、これが行政改革成否を左右する第一関門である。官僚を端から敵対勢力として排除すると、概ね改革は失敗する。第1次安倍政権、そして政治ショーしか出来なかった民主党政権がその代表例である。著者の行政改革観はドイツの社会学者にクラス・ルーマンの「行政改革は行政の自己改革能力の改革」にある。
法案が成ったからと言ってそれで制度運用がスムーズに進むわけではない。むしろここからが勝負である。本書ではこの過程を、“制度の作動”と名付け、特に深耕して“崩れる政治”の実態を明らかにし、“立て直し”の策を探っていく。改革成功の最重要因子は首相・内閣の力。それは個人のリーダーシップと政権下での(衆参両院)選挙に勝利することである。小泉内閣の、道路公団と郵政民営化はこうして一応所期の目的を達する。選挙のあとに粛々と法律を施行していくことにもそれなりの工夫が要る。内閣府の構成・強化が起点に在るが、(米国の大統領制をまねた)“強力なトップダウン”方式や“虎の威を借る(内閣府特務大臣、首相秘書官)”スタイルはどこかで躓く。つまり“官邸主導”の中身とフォローアップ体制である。官邸主導の留意点は人事、大臣/副大臣/政務官/次官/局長登用の納得性とそれらの間のチームワークが成否を決める。フォローアップ体制に関しては、例えは、経済財政諮問会議や総合科学技術会議のように、大臣と民間人がともにメンバーとなる組織が、法案作成ばかりでなくその後の法律適用状況を観察/評価することの効果を挙げている。
多くの改革の失敗は、第一段階の“制度導入”後直ちに第二段階の“制度作動”に持ち込んだことにある著者は分析、作動に移る前に「作動させるとどんなことが起こるかを予測することが必定」とし、そのためにある程度時間をかけて、実務を行う官僚や各種諮問委員会あるいは後述の独立機関を含めて、予測や対応策の検討を行うよう提言する。
現時点(第2次安倍内閣)の問題点は、政治主導を一層進めようとする内閣府の肥大化と人事で求心力を保とうとする姿勢である。予期せぬ人事で所轄大臣や事務次官を通ずる従来の指示・報告系統が乱され、実務を担当する下僚はその環境変化に追随できず疲弊して士気は低下、惰性あるいは忖度で業務を処理する状態に陥っている。その結果として、森友・加計問題における議事録に関する偽証あるいは厚生労働省のデータねつ造などが生じていると著者は見る。
このような状況を改善し改革を実らせるためには、政官の関係を敵対的な対立構造にせず、適度な緊張関係を続けながら、官僚をその気にさせ目指すゴールに向かうよう新制度を作動さすべきとの考え方を示す。そしてその際、政府組織内で一応独立機関となっている、内閣法制局、会計検査院、人事院、公文書管理委員会などの第三者機関が、さらに独立性を高め、政治・行政に影響力をおよぼせるようにすべきと主張する。
読んでいて、如何に政治と行政の関係に無知だったかを、具体的に知らされたのは、事務担当官房副長官と法制局長官の役割である。官庁全体をまとめていたのは副官房長官(ここは旧内務官僚(自治・厚生・労働・警察)の指定席だったが最近は経産省出身もいる。また首相秘書官との関係が微妙だ)、与野党が対決する中で両者が納得する法案の解釈を考えだしていたのは法制局長官(野党のみならず、政権政党にとっても解釈に幅が必要、ある意味煙たい存在)なのだ。これだけでも本書を読んだ甲斐はあった。行政学に関する諸学説、戦前からの我が国政官関係、理論展開の理解を助けるための図表、直近の多くの具体例など、初めて学ぶ者に取っつき易くまた分かり易い内容も評価できる。
著者は、1967年生れの政治学者。ロンドン・スクール・オブ・エコノミックス研究員、東北大学大学院法学研究科教授を経て、現在は東大先端科学技術センター教授。

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