<今月読んだ本>
1)世界史を変えた異常気象(田家康);日本経済新聞出版社(文庫)
2)フューチャー・ウォー(ロバート・H・ラティフ);新潮社
3)独ソ戦(大木毅);岩波書店(新書)
4)スーパーカブはなぜ売れる(中部博): 集英社インターナショナル
5)RE:THINK(スティーブン・プール;早川書房
<愚評昧説>
1)世界史を変えた異常気象
-インカ帝国滅亡以降の異常気象史。すべてはエルニーニョだ!-
“電子計算機”と言う言葉を新聞紙上で初めて目にしたのは大学に入学して間もない頃だった。記憶に残るのは“IBM”と“気象庁”である。気象庁コンピュータ導入の歴史を調べてみると、1959年に科学技術計算用大型コンピュータIBM-704が数値天気予報のため設置され、これは我が国行政機関への初のコンピュータ採用であったため、大きな話題となったとある。最新のものは昨年6月から稼働している、全体システム構築は日立が行ったもので、心臓部を担うスーパーコンピュータにはCray‐XC-50が使用されている。
数値天気予報アイディアの歴史は古く、1920年頃英国人のルイス・フライ・リチャードソンが平面200kmメッシュ高さ5層のモデルに取り組んでいるが、(人力)計算量が膨大で失敗している。この時リチャードソンは「6万4千人の計算者が指揮者の下で同時に計算出来れば、予報は可能だ」とその夢を語る。一応成功と言われるのは、戦後フォン・ノイマン等が世界初のディジタル・コンピュータ“ENIAC”で行ったもので、カギは数値計算法にあった。爾後数値モデルによる天気予報は日常的なものとなり、気象衛星からのデータと相俟って、昨今では短期で適度の地域予報の信頼性はかなり高いものになっている。しかし、長期・広域となるとまだまだ難しい。ここには海洋と言う難物があるのだ。それも海流の海面下世界に至る情報が必要なのだ。
天候と歴史の関わりを表した本は特に軍事と農業に多く、戦史ファンとしてその種のノンフィクションを何冊か持っており、さして新鮮な感じはしなかったのだが、帯に“インカ帝国滅亡”とあり「これは知らなかった」と読むことになった。内容は今まで読んできたものとかなり異なるものだった。私が題を付けるなら“世界史を変えたエルニーニョ”とするだろう。そう、本書は海洋気象、特に現時点でも発生原因が突き止められていないエルニーニョ現象(併せてラニーニャ現象)と歴史上の異変を関連付けるものだったからである。それも太平洋に限らずインド洋や大西洋におよぶ地球規模の影響を著者なりの視点で分析し、インカ帝国滅亡から1970年代初期の世界食糧危機まで、自然現象のみならずそれに対する統治政策や軍事作戦を詳述しその策の是非を問うていく。
エルニーニョは太平洋東部赤道より少し南(ペルー近海)で数年置きに生じる2~3℃の海面温度の上昇(ラニーニャは1~2℃の低下)。大まかな発生原因は南極方面から北上するペルー海流(フンボルト寒流)と赤道付近を東流する反赤道暖流の衝突だが、これに貿易風や偏西風が絡み、地球全体に異常気象をもたらす。
ここで取り上げられる世界史上の出来事は;インカ帝国滅亡(16世紀)、イースター島への先住民渡来(インカの伝承;16世紀以前)、インドの大飢饉(19世)、独ソ戦(モスクワ攻防戦、スタ-リングラード攻防戦)、世界食糧危機(1972年~73年)、の五つ。
本書は、その時代の古文書(主に西欧の文献)や伝説などを追い、気象と関わる社会的な出来事を説明すると伴に往時の気象学(地球物理学)の研究状況を解説し、今日に至るエルニーニョ研究の過程を詳らかにしていく。今や地球環境問題に直結するので世界規模で海洋関連観測データ同時採取が必須。このため国際協力と新観測技術開発が欠かせない。気象衛星など宇宙空間に比べ目立つことの少ない分野だけに、本書から得るものは多かった。ただ食糧危機(ペルーでのアンチョビ漁や我が国農政など)では必要以上に気象から離れた政策批判が目立ち興を削ぐ。これは後述の著者経歴からきていいるのだろう。
因みにさんざん読んできた独ソ戦、あの戦いが異例の厳寒下で戦われたことはいずれの本にも詳しく状況が語られているが、エルニーニョと関連付けたものは記憶にない。これはハドレー循環と呼ばれる現象で、偏西風を介してエルニーニョが極地気象に異変を与えた、と言うのが戦後の専門家の分析結果だとある。
著者紹介はカバーにごく簡単にしか記されていない(専門バックグラウンド不明)。少し調べてみて意外な経歴が分かった。1981年横浜国大経済学部卒→農林中央金庫→農林漁業信用基金漁業部長→2001年気象予報士資格取得。推察に過ぎないが、農漁業エコノミストとしての必要性からこの世界に関わり、異常気象史の専門家になった人なのだ。
2)フューチャー・ウォー
-安直な未来戦争予測ではなく、高度専門化した軍隊と国家・社会の姿と問題点を浮かび上がらせる-
歴史に学ぶのはそこから得た知見を日常に生かすことにある。過去を知ってこれからに備える。私の場合、軍事技術史をあれこれ調べてきたのは、技術変化の激しいIT施策をいかに進めていくべきかを、革新的な兵器が次々に出現しそれが戦略兵器に成長する過程をつぶさに追うことによって、適切なヒントを得られるのではないかと考えたからである。決して“将来の戦争”の姿を自分なりに予測しようなどとの動機ではない。従って調査対象期間は第2次世界大戦で終わっている。最近の“将来の戦争”おける関心事は、専ら先端IT面への好奇心からであり、それほど体系だったものではない。にもかかわらず、この種の本が数多出版されている中で、本書に惹かれたのは、このようなジャンルはあまり得意とも思えない“新潮社”から出ていたからである。そしてその着目点は正解だった。つまりただの“
ロボコップ“物ではななかった。
著者はROTC(予備役将校訓練課程)で奨学金を得て物理学博士号を取得した後米陸軍に入隊(歩兵)、途中で空軍に転籍しNORAD(北米航空宇宙防衛司令部)副司令官、最後はNRO(国家偵察局)を率い2006年少将で退役したバリバリの職業軍人である。この間、SDIプロジェクトメンバーを務めたり、DARPA(国防高等計画局)のマネージメントに携わったりと、米国先端軍事技術の現場にも身を置いている。一方でハーバード大学ケネディ行政大学院にも学び、行政・政治にも関わるという、多彩な経歴の持ち主。問題意識の深さが納得できた。
導入部はこの種の本の多くと同様、既に実用化あるいは研究開発段階にある数々の最新兵器を紹介。ドローン、戦闘ロボット、AI利用、サイバー戦、兵士の身体機能増強剤や遠隔戦意モニタリングーシステム、標的のDNAを埋め込まれそれを追尾する銃弾などがそれらだ。この章で浮かび上がってくる問題点は、米軍の技術過信と兵士の高度な専門職化、そこから発する一般国民との乖離、機械力への依存性、それら兵器を使用する場合の責任の所在(政権や政治家、軍のリーダ)、兵士の心理、新兵器に対す道徳観・倫理観、などである。無論これらは独立した課題ではない。次章以下では複雑に絡み合う新兵器の後ろに潜む問題点を露わにし、それについて著者の考えを披歴する。
例えば、兵士の専門職化。ヴェトナム戦争終結後米軍は志願制となっている。これには様々な理由があるが兵器の高度化もその一つ。徴兵制時代にはどこにも軍人あるいはそれを送りだした家庭や退役者が居り、軍民のつながりは身近なものだった。しかし今はひどい距離感が生じ、戦場でいかに振る舞うべきか?どのような兵器を使うのが妥当か?広く論ずる場が失われ、これが一線で戦う兵士の戦意や倫理観に影響してきている。この国民との一体感欠如は政治レベルにもおよんでおり、志願制以降(徴兵制にくらべ政治的逆風が少ない)、力の行使に訴える例が増えてきている(第二次世界大戦後海外展開65回)。
例えば、広義の機械力への依存性。大量の情報とAIを組み合わせた戦闘意思決定システの下、敵兵と民衆の区別がつき難い現代の戦場で、兵士は自分の判断とAI指示のいずれに従うべきか?責任はどこに?また、見えない者を殺傷することには抵抗感が少ない。兵器の高度化はそれを助長する。戦闘能力ばかりでなく、ここにも道徳観・倫理観、そして責任の所在を問い質す課題が生じている。
例えば、生理・神経科学。兵士の体力強化、痛みの除去、戦意を維持しての不眠時間の延長などの研究がもたらす薬害・心理的障害や一般社会への影響(ヴェトナム戦争におけるマリファナのような)、どこまで許されるのか?
また、兵器高度化が軍産複合体の実態を一段と見え難くしてきていること、きちんと編集されていな断片的メディア報道や戦争を扱う映画のエンターテインメント化が、兵士の立場から見て、いかに軍の実像を歪めているかにも触れ、一方で志願制になってからの構成員比率にマイノリティ増加が見て取れること、民間軍事業者の委託・雇用が増えていること(非戦闘域を含む;56万人)、上級士官の一般社会情報収集源に偏りが見られること(保守系のfOxが多い;ペンタゴンのいたるとこで放映されている)など内部事情も明かし、米国社会の軍事に関する無知・無理解を訴える。伝わってくるのは「今や軍事技術は大きな変曲点にあるのだが、政治家や一般国民はあまりにもそれに無頓着だ。戦う専門家にエールを送るだけでなく、自身の問題として考えてくれ!」という現場からの悲痛な叫び声である。志願制である自衛隊、最近は災害出動などで日常的な存在になってきているが、同種の問題が内在しているのではなかろうか?
軍事技術・行動の拠って立つ社会基盤に目を据えて論ずる本書は、国防問題は無論、ディジタルテクノロジー社会の将来を考える上でも大いに参考になった。
3)独ソ戦
-1970年代につくり上げられた独ソ戦史の全面的見直し。それは絶滅戦争・収奪戦争だった-
前著“フューチャー・ウォー”の購読動機はテーマと出版社のアンマッチングだった。今回は著者と出版社の組合せに眼が行った。新書とは言え岩波は人文科学・社会科学を専門とする学者にとってはその業績を一段と高められる場として憧憬の的である(個人的には左翼権威主義的で大嫌いだが)。一方著者は最近本欄(-130(5月))で「「砂漠の狐」ロンメル(角川書店)」で取り上げ、それなりの評価をしたものの、訳書を除けば一流出版社から出ているものはない。また軍事史家となっているが、ゲームソフトのシナリオ作家を兼ねており、一流歴史家のイメージからは遠い。「何故この人が岩波から?」の好奇心に駆られて読むこととなった。
独ソ戦に関する書物は1970年代に既に出尽くした感があった。政治史から説き起こすもの、独裁者を対比するもの(ヒトラーvsスターリン)、モスクワやスターリングラードの攻防戦、クルスク大戦車戦、ベルリン陥落など、私の書架にあるものも大体その時期のものである。
何が違うか?先ず1970年代までに出来上がっていた独ソ戦史観がドイツの将軍たちの回顧録・日記・裁判における証言、あるいはナチスに近い人間の著作に基づいたものであり、その信憑性を検証する動きが西ドイツや英国の研究者によって進められ、1970年代後半から大幅な修正が行われていること。その見直し・修正結果が我が国の独ソ戦史に反映されず、’70年代史観のままであることを、英独の研究過程に言及して、正そうとする。
第2は、ソ連崩壊後世に出てきた資料に基づく独ソ戦の実態である。戦後の“大祖国戦争”プロパガンダが西側の史観に影響を与えたばかりか、自国の歴史観さえ大きく歪めてきたことを露わにする。
見えてきたのは、独ソ戦開始は決してヒトラー一人の意思ではなく、国防軍中枢(逃げ切ったハルダー参謀総長も)もほとんど開戦に賛成だったこと。国防軍がソ連軍の力を見下していたこと。国防軍は善、ナチスは悪と言う、戦後の西ドイツの主張ははなはだ疑問であること。一方のソ連にも数々の予兆がありながらスターリンのみならず政治指導部がこれを無視(これは旧来から指摘されている)、軍のドクトリン(軍事行動指針)も実情に合うよう整えられておらず初戦で大敗することになったこと。また自国民を含め戦場における残虐な行為が随所に見られ、ドイツの占領民の扱い方によってはのちのち苦戦が避けられた可能性が無きにしも有らずだったこと。
しかし、この戦争は「収奪戦争」「絶滅戦争」の性格が強く、行くところまで行かざるを得なかった(ドイス軍の作戦目標はモスクワ攻略やウラル以西のヨーロッパ制圧にあったとしても)と著者は結論付ける。
作戦内容や戦闘場面にさして目新しいところはないが、’70年代独ソ戦史観を持つ者(私を含む)にとって、この本は“独ソ戦史の変遷史”とも言えるもので、後年の研究で歴史が変わる面白さを改め知らされた。これは前述の「「砂漠の狐」ロンメル」と同じ手法で、岩波はこの“変遷史”アプローチに注目したのではなかろうか。
4)スーパーカブはなぜ売れる
-1億台突破!動力による移動手段史上No.1の驚異的製造・販売の背景を探る-
1962年春入社を控えた私のもとに会社から一通の手紙が届いた。内容は本社での短期導入教育後和歌山工場で行われる長期研修の準備に関するものだった。そこには寝具の他自転車があればそれも送るようにと記されていた。幸い友人からもらった中古自転車を持っていたのでそれを寮宛てに送った。寮と工場の間は2㎞くらい離れているので通勤(ばかりでなく工場内移動)のためには不可欠なのだ。寮に入って羨ましいと思ったのは先輩たちの原付バイクである。とにかく行動範囲が違うのだ。休日など20㎞北の“大都会”和歌山市(まともな書店はここにしかない)辺りまで気軽に出かけて行く。そのバイクで圧倒的に多かったのがホンダのスーパーカブ(以下カブ)、初任給2万円の時代に6万円近い価格「いつかはクラウン」ならぬ「いつかはカブ」の思いだったから、先輩が出張中「乗ってていいよ」などとなると小躍りした。結局2年後に職場の先輩がスズキの80㏄のバイクを譲ってくれたので、カブを所有することはなかったが、いまでもカブを見かけると、あの当時を思い出す。本書は1958年に世に出てから60年、いまだに基本デザインを変えず世界で生産・販売され続け、2017年累計1億台に達したそのカブの偉業達成の背景、経緯を詳らかにするものである。
著者は動力で動く4輪車・2輪車を“モビリティ”と呼ぶ。そのモビリティ生産量ナンバー3はt型フォード;1500万台(1908~1927)、ナンバー2はvwビートル(初代・二代目);2150万台(1945~2003年)そして桁違いのナンバー1がスーパーカブ(1958~)なのだ。この三者に共通するのは強烈な個性を持つ技術者の発想から生まれたこと、始めから庶民の夢を実現しようと狙っていたことである。根本のビジネスモデルが従来のものと異なるのだ。T型やビートルはともかく、カブの場合それまで男性的・趣味的イメージが強かった“オートバイ”から脱し女性も含む一般の人が日常的に乗れるモビリティを目指したのだ。
1956年に開発が始まるカブの要件は;ステップスルー(跨がない)、このために座席の下にガソリンタンクを置く、揃えた両足を守る泥除け、道路状態の良くないところでも安全に走破できる17インチタイヤ、片手が自由になるセミオートマティッククラッチ、エンジンメカをむき出しにしない、4ストロークエンジン、軽量化のためのプラスチック利用。この要件は基本的に今も変わっておらず、超ベストセラーの大きな要因でもある。無論ここにすんなり落とし込めたわけではない。それぞれが導かれてくる、言わば“スーパーカブ前史”があり、その経緯を訪ねて行くところが、本書の前半部、言わば技術編と言える
この要件の中で個人的に興味持ったのは、当時小型オートバイ(スクーターを含む)の世界では圧倒的な主流を占めていた2ストロークにせず4ストロークに決したことである。構造が簡単ゆえに生産が容易で安価に出来る2ストロークを捨て、敢えて技術開発の難しい4ストロークに挑んだ点である。燃費(初代カブ90㎞/ℓ)・騒音・排気の点で4ストロークの時代が来ると読んだ、本田宗一郎の先見性と執念の結実したものなのだ。事実現時点で2ストロークは趣味性の高いものを除き絶滅機種となっている。もう一点は17インチタイヤの採用である。その背景にはジュノーと言うスクーターの失敗にある。当時は都内でもいたるところ未舗装道路だった。小さなタイヤ径では安全性を保てない。逆に大型バイクのような大きくて太いタイヤでは重くて操作性が悪くかつ値も張る。17インチが最適と決めても大手タイヤメーカーはそのサイズは生産していない。後発でバイクタイヤに進出したばかりの井上護謨工業がそれを受けてくれる。ベストセラー誕生の秘話の一つと言える。
後半は経営・営業編。これだけの数が売れたのはグローバルマーケットを開拓したからだ。この部分ではホンダ神話に宗一郎と並んで登場する藤澤武夫が主役になる。ホンダの製品輸出はそれまで商社経由だったがこれでは市場と距離があった。藤澤はカブ開発がスタートすると間もなく輸出戦略策定に着手、専任社員を東南アジア、米国、欧州に派遣し2年間かけて徹底的な市場調査と人脈づくりを行う。この調査結果では東南アジアが最有望、欧州は小型バイクの市場は大きいが有力地場企業の存在と保護主義的な傾向が壁になる。米国におけるオートバイは趣味性が強く、大型を含めて年間6万台ほどしか売れていないとのことだった。藤澤はここで「人気が無いことこそ可能性大」「米国で売れないものは世界に通用しない」と逆張りにでる(無論そこには突出した経済力と所得の高い消費者の存在があるのだが)。こうして1959年ホンダアメリカが立ち上がる。紆余曲折はあるが“アウトドア&スポーツ”戦略が功を奏し爆発的にヒットする。1963年のキャンペーンポスターには自由な左手にサーフボードを抱えた半裸の若者が描かれている。
しかしEC(EUの前身)保護主義の下、地域での生産を求められ、ベルギーに工場を建設するもなかなか経営は軌道に乗らない。既に世界のオートバイレ-スを席巻していたにも拘らずである。そこにはアジアからの新参者に主導権を奪われたことに対する恨みつらみも垣間見える(これはF-1やスキーのノルディック競技でも見かける欧州人のいやらしさだ)。
東南アジアのモータリゼーションは2輪車から。本書の中で各国事情が紹介されるが面白いのはヴェトナム(世帯2輪車保有率;90%)。カブタイプのバイクは中国のコピー製品(中国は世界最大の“スーパーカブタイプ”生産国)も“ホンダ”と呼ばれる。そして一時カブのシェアーはこのコピー商品に取って代わられるのだが、品質(特に耐久性)の違いが理解され、着々と失地回復が進んでいる。中古車の価値が比較にならないのだ。
現在カブが売られている国は160カ国以上、生産国は15カ国。1億台達成記念式典で社長は「次の目標は2億台」と宣したと言う。益々の発展を祈念したい。
著者はジャーナリスト出身のノンフィクション作家。本書のベースは1990年代の中国から最近の南米まで、経営者からカブのユーザーまで、幅広い情報源から成り、手作り感(ネット臭のしない)がよく伝わって内容に好感が持てる。
5)RE:THINK
-アイディアの素は歴史の中に潜んでいる。古さこそ最新の新しさだ!-
高校生時代は洋画ファンだった。主にアメリカ映画だが内容はともかく、日本語の題名に惹きつけられたものも少なくない。哀愁;Waterloo Bridge、慕情:Love is Many-Splendored Thing、旅情;Summertime、など今では古臭く感じる言葉だが、原語をカタカナ化した最近のタイトルにくらべると翻訳者(あるいは命名者)の知的レベルの差を痛感する。「熟慮;Hard Thinking;した結果だろうな」と。
本の題名と帯のキャッチコピーは訳書に限らず編集者の特権らしい。それにしても本書の題名は何故こんな奇妙なものになったのだろう?先ずローマ字表現のまま、次に原題は“RETHINK”と途中にコロン:が入っていない。確かに原義直訳の“再考”やカタカナ化した“リシンク”では売れないだろう。だからと言って:を挟むことに何の意味があるのだろう。つまらぬことを読む前にいろいろ考えた末に達した結論は、メールタイトルで使う“Re:(~につて)”らしいと気がついた。“考えると言うことについて”となるわけである。「つまらぬことに頭を使わせるな!」が本書の“読前感”である。
私が編集者なら“科学における温故知新”とする。歴史に残る新発見・新発明のアイディアはそれ以前に生まれているが時代・社会がそれを許さなかっただけだ。逆に今もてはやされている革新的技術も将来評価を落とす可能性もある。と言うのが本書の論旨である。
比較的近しい例は電気自動車、初めて世に出たのは1837年スコットランド人に依るものだ。ロンドン警視総監も馬車の混雑と糞害が軽減されると歓迎する。これがパリやベルリンにもおよび電気タクシーとして普及していくが、バッテリー性能が問題で内燃機関に敗れる。しかしジグソーパズルの一片とも言える電池性能の飛躍的向上で今世紀テスラ―を始めとするEV車が陸続として出現している。発がん物質であるタールを含まない電子煙草(液状ニコチン+ドライアイスに似た発煙材;ニコチン風味の水蒸気)のアイディアは1965年米国で生まれるが、煙草会社や教育界からの反対で潰される。ようやく日の目を見るのは2003年中国においてである。しかし、これも逆風を受け現在EUは規制を検討中、ロスアンゼルスやニューヨークでは公園やバーでの喫煙は禁止されている。複数の国の公衆衛生機関が安全性の高さ統計的に表明しているにも拘らずである。ここに優れたアイディアが社会的・文化的な力で押さえこまれる例をみる。古代ギリシャ、ルネッサンス以前のヨーロッパには類似の例が数多く見られるのだ。
素粒子論もその古代ギリシャに発する。アテネの思索家デモクリトスは 物質を限りなく半分にしていくとどうなるかを考え抜いた末に現代の素粒子論に近い概念に至り、それは生体や精神にもおよぶと主張する。これがまずかった。当時権威を確立していたアリストテレスから「神聖な世界の統一性を乱すもの」と非難され、プラトンはデモクリトスの全著書の焚書を望んだと言う。彼の理論が開花するのはそれから2000年後である。
医療に関する例を一つ。19世紀病気の治療法として瀉血法があった。病気の元は血液中に在ると考え、人体から適度に血を抜くのである。これに使われたのが吸血動物のヒルである。病理学の進展とともに瀉血法は消えていたが1985年ヒルが出す唾液の成分に微細部分の縫合効果があることが発見され、超微小ヒルが医療用に培養されるようになった。
事例は、地球球形説、地動説(コペルニクスに欠けていた天球の概念)、ダーウィンに先んじていた進化論、のような自然科学分野に留まらず、軍事作戦やゲームの戦い方、ベーシックインカムの考え方(マルサスの人口論に言及)のような人文科学、社会科学までをもカバーする。また今日的は話題として宇宙開発、AIやデザイナーべイビー(中国の一人っ子政策、優生学との関連)なども取り上げられ、人類の歴史を「未来へ帰らせる;バック・トゥ・ザ・フューチャー」。確かに本書はアイディアに関しRETHINKさせられる本であった。
それにしてもこれだけ広範囲の領域をまとめた著者のエネルギーに感服するとともに、理解できる読者はどれほどいるのだろう?との疑問が去来した。これが読後感である。
著者はケンブリッジ大学で学んだ英人ジャーナリスト。
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