2021年1月20日水曜日

活字中毒者の妄言-3


■身近な本屋

最寄り駅の周辺、よくでかける商店街、通勤・通学の途上、20年くらい前までは、何処にでも書店があり、特別買うあてが無くてもよく立ち寄ったものである。知らない土地でも時間調整に持って来いの場所だった。それが今では激減、アマゾンを代表とする通販や郊外のショッピングセンター内が多くなり、チョッと覗いたら思わぬ本に行き当たり新しい世界が開ける、と言うような“未知との遭遇”の機会が少なくなってしまった。昔よく行った本屋は今どうなっているのだろう?常々気になっていることを、今回は取り上げてみたい。



書店に行ってほしい本を買う。これが出来るようになったのは中学生になってから。しかし、小遣い別枠で許されていたのは学習参考書や問題集の類だけ、自ずと店は限られていた。通っていたのは御徒町中学校だったので、上野広小路と御徒町駅を結ぶ春日通に面し、松坂屋の向かいに在った「明正堂書店」を利用することが多かった。木造モルタル2階建て、学習書は2F、当時この辺では一番大きい書店だった。その後場所は春日通りと昭和通りの角(地下鉄仲御徒町駅)に建ったNTTビルに移り、一階フロア―全部を占めるほど往時に比べ大きくなっていたが10年ほど前に閉店してしまった。ネットで調べると、現在はアメ横の中に在るようだが、本屋に適当な場所とは思えない。

高校は上野高校、公園口から公園の中を抜け芸大の美術学部と音楽学部の間を通り、その先に在ったから、途中若干の飲食・休憩施設は見かけるものの商業施設は皆無。専ら利用したのは実家最寄り駅である松戸駅東口に在った「堀江良文堂」、ここで注文したものに協同出版社発行「日本航空機総集」がある。これはメーカー毎1巻となっており全部で8巻の予定であったが、配本は遅れに遅れ、就職するまでに4巻までしか出版されず、今保有するのはそこまでである(時間をかけて最後まで刊行されたが)。この本屋は小規模ながら千葉県北東部でフランチャイズ展開し、現在発祥の地にビルを建てそこが本社になっている。


大学時代は初回に書いたように、自動車・飛行機雑誌と教科書・専門書を除けば一番本を読まなかった時期である。学校の周辺、高田馬場からの通学路、古書店も含めおそらく
3040軒本屋があったと思うが馴染みの店は出来なかった。住んでいたのは小金井市、最寄り駅は武蔵境と是政を結ぶ西武多摩川線の新小金井。当時の中央線沿線は吉祥寺を過ぎれば国木田独歩「武蔵野」の世界がまだあちこちに残っていた。下宿していた祖母宅から駅まで近道するには栗林を抜けるような所だったから、乗換駅の武蔵境を含め書店の有無さえ定かに記憶していない。現在は東小金井駅が出来た他多摩川線も高架駅になり、武蔵境駅周辺も大変貌している。

1962年東燃に就職し配属になったのが和歌山工場。当時の住所は海草郡椒村(はじかみむら)、“かわいそう郡恥かき村”などと揶揄されていた所だ。最寄り駅は紀勢線初島だが駅前にはパチンコ屋、飲み屋、自転車屋くらいしかなかった。やがて市制がしかれ有田市に組み込まれその中心は箕島駅周辺となる。ここは急行停車駅でもあったが書店は一軒、初回触れた「田舎書房」(ピッタリの名前だ!)だけ。ここのご主人はサラリーマン、奥さんが一人で経営している小さな店。贔屓にして文庫や新書、月刊誌「Auto Sport」、三笠書房「ヘミングウェイ全集(全10巻)」などを購入したが、書棚に残るのは東都書房「世界推理小説体系(全24巻)」のみ。1969年私はこの地を離れたが、その後のマイカーブーム到来とともに有田川の南岸に渡る橋が新設され、国道も移って農地だった所が商業地として再開発されると駅周辺は衰退、「田舎書房」も消滅してしまった。

和歌山時代想い出の書店はもう一軒、これも初回紹介した「宮井平安堂」、当時は和歌山県で最大規模の書店かつ老舗(1893年創業)である。南海和歌山市駅とお城を結ぶ新町通りと「和歌山ブルース」で有名な“ぶらくり丁”の交差点付近と言う、言わば和歌山市の銀座4丁目に在った。1階は一般書籍・雑誌、2階が学習書・専門書となっており、一部洋書なども取り扱っていた。文化果つる有田に居ても御用聞きに来てくれるので大変重宝、英文写真週刊誌LIFEを定期講読、宇宙開発とヴェトナム戦争の最新情報はここから得ていた。そしてほとんど手つかずで専門書棚に置かれている岩波書店「基礎工学(全19巻)」も同店から購入したものだ。高度成長に合わせ一時期は市内に数軒支店を持ったものの、2011年全店閉店、2016年市駅付近のビルに文具・書籍を扱う店が再建されたと聞く。少し古いデータ(2000年→2010年)だが和歌山県は書店減少率No.1、有田だけでなく県全体が書籍文化と縁遠くなってきているようだ。

川崎工場勤務時代は駅ビルの本屋を比較的よく利用したが、特に馴染みの店と言うほどではない。それが出来たのが1981年の本社転勤。竹橋のパレスサイドビルは毎日新聞の本陣だからしっかりした書店があった。「流水書房」はもともと洋書の流通業者だったようで、小さいながら洋書売り場が別に設けられており、その点でも使い勝手が良かった。毎日昼休みの大半はここで過ごし、給料天引きで沢山購入していたから高価な本(写真集や事典など)は分割払いもしてくれるほど融通の利く店になった。ある時、会社の先輩である松野さんと言う人が注文した本が私に届いた。返品に行くと店長が「松野さんと眞殿さんは同じ会社のお得意さんなので、配達のものが一字違いを間違えたようです」と言われ、それまでそれほど親しくなかった松野さんと昵懇になるようなことも生じた。この流水書房も各所にチェーン店を展開し、一時は青山ブックセンターの経営も引き受けたと言うが、経営に行き詰まり、パレスサイド店を始め多くの店を閉め、今は資本関係も変わったと聞く。

勤務先で「流水書房」が行きつけの店になる一方、自宅付近(久里浜)では「平坂書房」の北久里浜店をよく利用し、自宅を金沢文庫に移してからも土曜日の水泳で北久里浜まで出かけていたので、クラブを退会する2007年まで随分ここで求めている。この書店は1951年に横須賀中心部の平坂で創業、以降横須賀市を中心に横浜南部まで支店を広げ手広く商売をしていたのだが2017年に全店閉店してしまった。

オフィスは竹橋から飯田橋、恵比寿と移りその都度駅周辺の書店を利用しているが、立ち寄り回数と購入数量と言う点では恵比寿駅アトレの「有隣堂」が際立っている。「有隣堂」は横浜発祥で伊勢佐木町に本店があり、横浜西口地下街にも大規模な店舗があってよく利用する。この西口地下街店はコミック店、児童図書店などが別置されており、孫のリクウェストに応えるのにたいそう便利だ。書店が次々に消える中、あまり退勢を感じさせないのも良い。同様に元気な存在は全国チェーンの「熊澤書店」、しょっちゅう出かけるヨーカ堂能見台店内にもあり、ポイントカードを持っている。また沿線の上大岡には「八重洲ブックセンター」があり、ここもよく利用している。ただ、最近の大型チェーン店は大規模なショッピングセンターや商業ビルの一画にあり、書店独特の雰囲気を欠くのは残念だ。小さくても本だけに囲まれた空間は別世界だから。


行きつけと言うわけではないが神保町界隈の書店街に触れておきたい。都心部の学校に通っていたから、ここは早くから知っていたし、年に数回は出かけていた。とは言っても古書に興味は無かったから、新刊書が揃う店、そこで一番大きい「三省堂」でだいたい用は済んだし、あとはすずらん通りの「東京堂」あたりに立ち寄る程度だった。頻繁に出かけるようになるのは竹橋の本社に勤務するようになってからである。一応徒歩圏、昼食時はチョッと時間がきつかったが、退社後この街をぶらつきお茶の水駅やや神保町駅から帰宅するルートが出来た。狙いは軍事技術や乗り物(主として航空機)の古本である。その過程で見つけたのが、神保町の交差点から靖国神社に向かい岩波ビルの
23ブロック先の横町を左に入ったところにある「文華堂」、その種の本で埋まっている。あの辺りに出かければ必ず立ち寄っていたが、ここ23年行っていない。いまどうなっているやら?ここで見つけたソ連やドイツの軍事図書翻訳物など、今は出版社も消え失せたものが多数軍事コーナーに収まっている。

最後は「丸善」本店。ここも高校時代から知っていたが、頻繁に利用するのは竹橋勤務以降。通勤路線が都営浅草線と直結する京浜急行だったから日本橋(江戸橋)が東西線との乗換駅。定時帰宅できるときはよくここで過ごした。主に求めたものは洋書、Tom Clancyの「Hunt Red October(レッドオクトーバーを追え!)」やJack Higginsの「The Eagle has Landed(鷲は舞い降りた)」それにPenguin Military History シリーズなど、中でも英国宣戦布告193993日から終戦の194558日に至る「The Bomber Command War Diaries(爆撃機軍団戦闘日誌;800page)」は掘り出し物だった。また2007年渡英前、ここで求めたThomas Cookの「European Timetable」には大変お世話になった。しかし、ビルが建て替えられてからは一度も出かけていない。洋書はアマゾンの通販が早いし安い。

1999年から2017年まで書店数は22,300から12,500に激減、書店逍遥の楽しみが、歳もあってついつい通販頼りになり、だんだん失われつつあるのが悲しい。

 

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