2022年7月31日日曜日

今月の本棚-168(2022年7月分)

 

<今月読んだ本>

1)諜報の技術-CIA長官回顧録-(アレン・ダレス);中央公論新社(文庫)

2)マンハッタンの狙撃手(ロバート・ポビ); 早川書房(文庫)

3)飛び立つ季節(沢木耕太郎);新潮社

4)ベリングキャット(エリオット・ヒギンズ);筑摩書房

5)裏横浜(八木澤高明);筑摩書房(新書)

6)屈辱の数学史(マット・パーカー);山と渓谷社

 

<愚評昧説>

1)謀略の技術-CIA長官回顧録-

-祖父・叔父・兄が国務長官、外交を熟知した名門出身CIA長官が情報戦を回顧する-

 


参議院選挙が終わった。直前に起こった安倍元首相射殺事件で統一教会を介した世襲が話題になっている。統一教会はかつて勝共連合と一体だったことから岸信介→安倍晋太郎→安倍信三とつながっているのだ。これは元首相にとっては結果としておおきな負の遺産だったわけである。参議院はともかく自民党の衆議院議員世襲は目に余る。これでは既得権(負も含む)墨守ガチガチ態勢を崩せるわけはなく、激変する世界に取り残されガラパゴス化は必定である。因みに私は自民党の政策には概ね賛同するのだが世襲は天皇制と家業だけにしてほしい。そんな世襲批判の中でこれは凄いと思ったのが本書の著者一族である。祖父のジョン・フォスターはハリソン大統領(19世紀末)の国務長官、義理の叔父ロバート・ランシングはウィルソン大統領の国務長官、兄ジョン・フォスター・ダレスはアイゼンハワー大統領のもとで国務長官を務めている。そして本人は同じ時期CIA長官である。国政レベルへのファミリーの関わりと言う点において、時宜的に我が国の世襲と比較しながら読む結果になった。

アレン・W・ダレスは1893年生れ。プリンストン大学卒業後一時期インドに滞在し1915年国務省に入省(5歳上の兄も既に在籍)、折しも第一次世界大戦のさ中、欧州で情報収集活動を担当する。本書の中で「外交官というより情報官だった」と述懐しているように、生粋の情報屋である。1926年一旦国務省を辞し弁護士に転ずるが、ここでも主として欧州事情通の経験を生かしている(ロンドン軍縮会議の法律顧問など)。第二次世界大戦が勃発すると、そこに目を付けたOSSOffice of Strategic Services;戦略情報局)にスカウトされスイスに駐在、ここで対独戦の諜報活動に従事、さらに対日終戦工作にも関わることになる。戦後トルーマン大統領下でOSSを中心にCIAが発足すると2代目ベデル・スミス陸軍大将(アイゼンハワー連合軍最高司令官参謀長、駐ソ大使)長官の時、その次官となる。長官就任は1953年から1961年までの8年間、冷戦の厳しい時期その任に当たっており、本書の中でもロシア(西欧・米国に関する猜疑心はこの時代から発している)・ソ連に関する諜報戦が、特に詳しく解説される。おそらく退任直後から本回顧録の執筆が始まったのであろう、原著の初版出版は1963年、その後2年近くかけ加筆修正が行われ、1965年(昭和40年)に改訂版が出ている(本書はこの改訂版の翻訳)。1969年病没(享年75歳)。

本書は孫子・旧約聖書に記された情報活動の歴史、米国におけるその発展史などから説き起こし、出版時の冷戦下における具体的な情報戦(例えば、高高度偵察機U-2撃墜事件、キューバ危機)、この当時の情報収集・分析技術(盗聴、コンピュータからU-2に代表される偵察)まで広範に取り上げているが、視点は“米国における情報活動はいかにあるべきか”に据えられている。それを、人材、組織、技術、国民性、敵国事情など各論に落とし込んで、自身の体験(公開できる範囲)を交えに述べていく。日本に関する活動は戦前・戦中における外務省・海軍の暗号解読に言及する場面がしばしば現れる。また、1950年代と言う早い時期から共産中国への警戒を強調している。見えてくるのは米国と言うのは、情報収集分析にしてもそれに基づく工作にしても、機密保持がかなり難しい国だと言うことである。「全体としてアメリカ人は秘匿さるべき事柄を喋り過ぎる傾向にある」「(ソ連は別としても)せめて英国並みに法体系が整えられれば」「CIAが影の政府などとんでもない」との苦言が多々呈せられている。しかしながら「CIAは信頼性の高い客観的な情報を意思決定者(国家安全保障会議;大統領)に提供することが使命だし、そう心がけてきた」との主張には、「大量破壊兵器の存在」情報を理由に起こした第2次イラク戦争を知る者にとって「ウーン?」となる。やはり回顧録の限界か、これが読後感である。

本訳書(単行本は19659月刊)の問題はその翻訳にある。訳者鹿島守之助は元外交官(本書出版時は鹿島建設会長)、まえがきによれば外務省関係者が翻訳に関わっていると記されている。おそらく監訳者なのだろう。内容は正しく訳されているようだが、日本語として読みにくいのだ。単なる外国語精通者と著述家の違いを終始感じながらなんとか読み終えた。原題は“The Craft of Intelligence”、Craftを単純に“技術”と訳したことにも素人翻訳の一端が窺える。Craftには“ずる賢い仕組み”のようなネガティブな意味もあり、ここで述べられているのは狭義の技術ばかりでなく、適任者の資質や機密保持のための法整備など広範な“諜報の仕組み”とでも言うべき内容、TechnologyTechniqueEngineering ではないことに考慮すべきだった。

 

2)マンハッタンの狙撃手

-厳冬のマンハッタン、謎の狙撃手がつぎつぎと治安関係者を襲う。左眼・左手・左足を失った大学教授の元FBI捜査官はクリスマスまでに犯人を突き止められるか?-

 


初めて外国に出かける機会を持ったのは19706月、ニュージャージー州に在ったExxonエンジニアリング・センター(ERE)を訪れた。当時は日本から東海岸へ無着陸で飛べる飛行機は無く、アラスカのフェアバンクスで給油・入国審査を経た後JFK空港が最終到着地だった。つまり私にとって初体験の外国大都市はニューヨーク・マンハッタン、爾来ERE訪問ばかりでなく、IBMのセールス・オフィスでも頻繁に打ち合わせを持ったし、東燃のNY事務所もロックフェラー・センターに在ったから、ここは世界で最も多く立ち寄った場所になる。加えて、米大学MBAコースの同級生で、この地で育ち住まいも仕事もここに在る友人が居たので、単なるビジネス旅行者に留まらないマンハッタン探訪を経験できた。そのマンハッタンを舞台にするスナイパー(狙撃手)小説、記憶に残る土地勘をどこまで楽しめるか、そんな思いで本書を手にした。

スナイパー小説と言えば何と言ってもスティーブン・ハンターの「スワーガー・シリーズ」祖父を含め親子三代わたる凄腕の狙撃手が活躍する。その最新作「囚われのスナイパー」が出て間もないのだが、シリーズ物も20話近くになるとどうしても既視感が鼻につく。本邦初翻訳を優先したわけである。土地勘、初物、いずれも期待以上だった。

クリスマスも近い日、積もる雪で徐行する車が狙撃される。弾丸は運転者の頭部を砕き、床を突き抜け道路にめり込んでいる。徹甲弾でなければこんなことは起こらない。場所はパーク・アヴェニューと42ndストリートの交差点付近だ。今はコロンビア大学天文物理学教授となっている元FBI捜査官ルーカスに協力依頼が来る。数理に秀でた彼に発射地点を特定してもらうためである。ルーカスがFBIを去った理由は捜査活動中に左下肢・左腕・左眼を失ったことによる(義足・義手・義眼)。二度と現場に戻らないと誓って今の職に在るのだが、主任捜査官は被害者がルーカスの元同僚であることを告げ、なかば命令口調で彼の協力を乞う。直ぐに第二の狙撃事件が起こる。今度はイーストリバーに在るルーズヴェルト島とマンハッタンを結ぶロープウェイ(通称トラム;観光ではなく島民の足)の室内、マンハッタン島のターミナルに着いたところで、前者同様頭部を撃ち抜かれる。被害者は中年女性だ。身元を調べるとATF(アルコール・タバコ・火器・爆発物取締局)の捜査官であることが分かる。ルーカスが突き止めた発射点はいずれも1000m近い遠距離、それも雪の舞う中、並みの狙撃手ではない。政府筋が入手した情報でイスラム過激派フランス人が容疑者として浮かんでくるが、主任捜査官もルーカスもそれには懐疑的、間もなくそれが証明される。在米イスラム過激派の導師がウエストサイドのモスク前で第三の犠牲者となる。何のための殺人か?犯人は何者なのか?舞台はワイオミングの田舎町、ロングアイランドと移り、ついに狙撃者とルーカスが直接対決する。

背景描写もなかなか凝っている。ルーカスの住居は高級住宅街のアッパーイーストサイド(セントラルパークの東側)、それもガレージ別棟の戸建てだ!大学教授が住めるような家ではない。さらにロングアイランドに別荘もある。しかも、ルーカスはシングルマザーに幼児期捨てられ、養親のもとを転々としてきたのだ。家族(妻と養子たち)、人種差別(ルーカスの助手は黒人女性捜査官)、キリスト教原理主義者、腕利きの銃工、市警や地方保安官との関係、FBIの情報収集分析、優れたサスペンス小説の楽しみはこのようなところにある。

さて、私のセンチメンタルジャーニーである。マンハッタンで定宿にしていたのは、名前は忘れたがスイス航空系のホテル、一面はパーク・アヴェニューに向いている。グランドセントラル駅へは徒歩で南へ下れば直ぐ。42ndストリートはミュージカルのタイトルになるほど有名な通りだ。つまり、最初の狙撃点は頻繁に行き交っていた所なのだ。ルーズヴェルト島のロープウェイに乗ったことはないが、並行するクウィーンズボロ橋はJFK空港利用でよく通過しそれを見ている。第2の犯行現場も直ぐに分かった。ルーカスを乗せたSUVが雪の中を疾走するイーストリバー沿いのフランクリン・ルーズヴェルト・ドライブウェイもJFK、ラガーディア空港との行き来で何度も通っている。極めつけはロングアイランドである。南西端はJFK空港、ここからこの“長い島”は北東に延び先端のモントーク岬はマサチューセッツ州近くに達する。かの友人は、クウィーンズに住居を持っていたのだが、引退後の住まいをロングアイランドに建設中で、完成間近いそれを見に行こうとある休日誘ってくれ、夫人ともども一日かけてモントーク岬まで往復したことがある。マンハッタンへの隣接地は住宅街だが先に進むにつれ農地・牧場、さらに入り江や森があらわれ、豪邸が点在する高級リゾート地の趣きに変わっていく。そして対決の場となるモントーク岬では灯台にも上ったし、初めて大西洋の水にも触れた。友人と関わるのはそれだけではない。ケイリー・グランドを彷彿とさせる美男の彼はポーランド系移民の子孫、子供時代をマンハッタンのスラムとして有名なイーストエンド・バワリー地区で送り、大学職員年金運用機構のメールボーイをスタートに夜学に通いながら職種をステップアップ、私が会ったとき(1983年)には総務部長のような役職まで出世していた。読みながら、苦学力行し成功者となる点で、いまはロングアイランドで余生を送る彼とルーカスが重なってきた。

 

3)飛び立つ季節

-足かけ3年にわたるコロナ禍、ボツボツ旅に飛び立ってもいいのではないか、そんな思いで綴られた旅行エッセイ-

 


感染者数では過去の6波を超すコロナ第7波が猖獗をきわめる昨今だが、連休直後はGo to解禁も話題になるほど夏に向けての行動見通しは楽観的だった。私も長い蟄居生活がやっと終えられるかと期待し、あれこれ旅の計画を考えていた。大分まで飛行機で飛び別府や由布院、熊本を巡る旅、青函トンネルをくぐり五稜郭を訪ねる旅、東日本大震災後の三陸リアス線を辿る旅などなど。そのために前月紹介した宮脇俊三「日本探見二泊三日」にも目を通したが、本書もその一環だった。しばしば本欄で書いているように、私は著者のノンフィクション作品ファンである。ただ国内旅行に関するそれは意外に少なく、20206月に取り上げた「旅のつばくろ」が最初のはずである。そして2年ぶりにその続編となる本書が6月に出版され、即購入した。“続”とせず“飛び立つ季節”としたのは、著者もボツボツ本格的な旅が始まっても良い頃と考えたとあとがきに記されている。残念ながらそれは叶わぬが、せめて誌上旅行を楽しもう。

本シリーズはJR東日本月刊広報誌「トランヴェール」に連載されている旅行エッセイ。今回の旅は20167年頃実施したものが中心(直近のものもあるが)、35編からなり出版元の営業域から東日本が多いが、松江、萩、柳川、臼杵など西日本・九州もいくつか取り上げられている。鉄道会社の広報誌とは言え、乗物や旅程、景色、史跡名所、グルメ紹介は控えめで、少年時代の想い出を含む旅の心象を、静かに語る筆致が反って旅心を誘う。また、一編一編がすべて完結でなく、ときに数編連載だったり訪問地でつながったりする。また、時間や空間を越えて思わぬ話題を結び付け、読み物としての深みを増している。そして一見旅行ガイド風でないにもかかわらず、何か旅の哲学あるいは極意のようなことが時にははっきりと時にはそれとなく記されているのだ。

時空を超える例で面白かったのは、天保12年(1849年)他界した幕府御用人村尾嘉陵(かりょう)が残した「江戸近郊道しるべ」を読みその足跡の一つを辿る日帰りウォーキング(片道)である。屋敷跡と思われる靖国神社をスタートし三軒茶屋を経て九品仏に至る道筋を古地図などに当たりルートを確定(概ね246号線)、実施するのである。著者の歩数で33千歩(約26km)。嘉陵はこの時72歳、しかも往復だったから6万歩以上歩いたことになり、著者を驚かすとともに力を与えてくれたようだ。これは私にとり身近な旅のヒントにもなった。

旅哲学・極意の例;夜間の移動を避ける(長距離旅行の初めは16歳春休みの東北一周旅行。11泊の内夜行列車車中泊が7泊、ほとんど景観を見ていない)。名所・名跡・名物・逸話の“周辺”に目を向ける(例えば、白虎隊では自刃した者ばかりでなく生き残った人物。吉田松陰ならその「旅日記」;ここには通説となっていた「学に博して後遠遊する」の逆説となる「旅に出てから学ぶ」とあり、著者の若き日の旅「深夜特急」はこれがきっかけとなっている)。二晩以上泊る時は食事処・居酒屋は同じ店を利用する。これでその土地に対する知識・親しみは桁違いに上がる(これは山口瞳に教わる。山口は一泊は旅行でないと考えていたふしがある)。旅に“期待”は重要だが“期待し過ぎない”ことがさらに重要。ここから“思いがけず感”が生まれ、それこそが旅の醍醐味。旅にリスクはつきものだが基本的に“性善説”で臨む(私見;これは国内に限るべきだろうが)。

私が訪れたことのある町や地域も複数登場するが“周辺”の情報収集を怠り、見逃したところがいくつもある(例えば、会津若松南西部柳津(只見線)に在る齋藤清(版画家)美術館。柳津は2度クルマで通過している)。今秋が“飛び立つ季節”になり再訪の機会があることを念じながら読み終えた。

 

4)ベリングキャット

SNSの公開情報をチェックすることから始まった安楽椅子探偵。趣味が高じて国家の陰謀まで詳らかにする。その手の内を一般公開-

 


1998年私が創設準備段階から関わってきた情報技術サービス会社が親会社大株主の要求で他社に営業権を譲渡されることになった。当時米国のいくつかの会社と日本におけるソフトウェア販売独占契約を交わしており、契約が継続できるよう交渉に出かけた。すると最も古く10年前から付き合いのある会社も米国の大手化学ソフトウェア会社(NASDAQ上場)に買収されることを知らされた。創業者はExxon時代から付き合いのあるこの世界では知名度の高いエンジニア、製品の評判も彼の名前同様高かったので買収額は日本円にして数百億円と聞かされた。その支払いの大部分は買収側企業の株式、彼も大株主として経営陣の一角に加わるとのこと。ひとまず安心したが、彼がその会社にいつまで留まるか気掛かりであった。と言うのもその大企業はいくつもの化学プロセス向け中小ソフトウェア会社を買収して業容拡大、しばらくすると創業者が去るのが常だったからである。そこで、その大企業の経営情報をインターネットで調べることを思いつき、何を情報源とすべきかあれこれ試行錯誤し発見したのが株式の取引情報である。何とインサイダー(経営陣・大株主)の売買情報が個人名・数量・日にちまで日々公開されているのである。私の友人、その夫人や息子あるいはCEOCFOの取引が手に取るようにわかるのだ。これは、我が社の対応策検討推進におおいに役立った。

公開情報を丹念に集め分析すれば、企業経営のみならず、国家戦略、戦況、犯罪捜査から迷子のペットまで探ることができる。本書はそれを実施している組織(ある種のNGO)の主宰者が明かす事例の数々である。組織名は“Bellingcat”、イソップ物語の“猫に鈴(Belling the Cat)”に由来、本書のタイトルもここからきている。彼は寓話とは違い猫に鈴をつけるのだが。

著者は1979年生まれの英国人。巻末の著者紹介には最近の活動しか記されていないが、Wikipedia(英語版)にはジャーナリスト、ブロガー、兵器研究家とある。しかし、本文の中で「軍事はアマチュアだった」と書かれているし、本来は金融関係の仕事に携わっていたことがうかがえる。スマフォの普及時期(2008年頃)からネット上の公開情報を探り、自身のブログに投稿していたことが今日への出発点となっている。また、Wikipediaにシリア内戦調査中失職したとのコメントもあり当初は趣味が高じた「安楽椅子探偵」と言うところだったらしい。

取り上げられている事例は、アラブの春、これと連鎖するエジプト革命・シリア内戦・イエメン内戦、第一次ウクライナ戦争、マレーシア航空第17便撃墜事件、米大統領選介入、スクリパリ(元KGB、二重スパイ)父娘毒殺未遂事件、アレクセイ・ナワリヌイ(反プーチン政治家)毒殺未遂事件などロシアと関係付けられるものが多いが、米国の白人至上主義活動、ニュージーランドのイスラム教徒銃撃事件、ISISによるパリテロ事件など非ロシア案件も少なくない。

当初は個人的好奇心でユーチューブの動画などを見て既存メディア情報をチェック、ブログ投稿するところから始まり、その記事を読んだ者が関連情報を寄せ次第に仲間が増えていく。そこから主要メディアや政府発表とは異なる事件の断面を発信、これが既存メディアに注目されるようになり、知名度が上がりさらに協力者や関心を寄せる者が集まってくる。その中には、ガーディアン、BBC、タイムズ、CNNNYタイムズ、ウォールストリートジャーナルなどがあり、知名度のみならず権威も加わり、今や欧州を中心に40名を超す常勤スタッフ抱える規模になっている(この他情報提供者、協力者、ファン多数)。

情報源の基本はオープンソース(公開情報)、ツイッター、フェースブック、ユーチューブ(動画)、ブログ、インスタグラム、写真(衛星写真を含む)、グーグルマップやストリートヴューなどがとっかかりとなるが、細部を検証するためには、電話帳や通話記録、個人のメールや旅行記録、住所録・家系図、クルマの登録記録、時には兵器の取り扱い情報まで調べ、グーグルアース・マップ・ストリートビューや衛星写真を利用し「ジオロケーション法」なる場所や時刻(映像の光と影から)の特定方法を考案して詰めていく。こんな作業にはその道の専門家もボランティアで協力してくれる。例えば、ソ連時代の兵器に精通したフィンランド元砲兵や不発弾専門のWebサイトがその一例である。

事例紹介の圧巻は20147月ウクライナ上空でミサイルにより撃墜されたマレーシア航空17便事件解明。ロシア、ウクライナ双方が同じ兵器を持つので責任を相手方に負わせようとする。命中後破壊落下したミサイルの断片に記された番号からそれを探り、ロシア・クルスク駐屯の第53対空旅団のものであることをつきとめ、ここが持つミサイルと発射機が演習の名の下に移動、親ロシア分離独立派の手に渡る経緯を明らかにする。さらに旅団組織や旅団長を含め部隊上級幹部の当時の挙動も調べ(ロシア人の投稿や兵隊が家族と交わしたメールなどから)、ロシア撃墜説を確定する。その内容は同年11月「<マレーシア航空17便>撃墜事件-分離独立派の<ブーク(ミサイルの名前)>はどこから来たか」としてまとめられ出版、17便の出発地オランダの検察当局がこれを基に行動を起こすことになる。

いずれの事件も情報収集・検証の細部が具体的に語られ、「こんな情報がオープンに得られるのか!」「こんなところから手掛かりをつかむのか!」の連続、民間OSINTOpen Source INTelligence)侮るべからずの感を強くした。このような活動を行うための運営理念・倫理観、リスク(担当者の肉体・心理から巧妙さを増すフェーク情報まで)、財務事情(クラウドファンディング、EUやグーグルの助成、共同作業に依る収入)など事件調査分析そのもの以外にも触れており、この種の活動全体を知る点でお薦めの一冊と言える。

 

5)裏横浜

-ハイカラ文化の発祥地横浜、そこに35年住んで初めて知った暗黒史、しかし暗さの感じない筆致に救われた-

 


19705月に結婚、最初の所帯は横浜市鶴見区にあった民間アパートからスタートした。長男が生まれると戸塚区に在った社宅アパートに移り、長女・次女はそこで誕生した。1980年初めての自宅を横須賀市に建てて転居、一旦横浜を離れるが1996年末金沢区に移転、現在に至っている。つまり、結婚来52年、その内35年を横浜市で過ごしたことになる。そして、おそらくここが終の棲家になるだろう。住んだことはないのだが本籍は祖先の地である兵庫県竜野市、生まれは満洲国新京市(現中国長春市)、引揚後の住まいは千葉県松戸市だが、小・中・高は台東区上野・御徒町界隈。「どちらのご出身?」と問われると返答に窮したものだが、今は「横浜です」と応ずる。しかし、実はあまり横浜のことを知らない。その理由は、暮らしてきたのが“ハイカラ文化”と縁のない周辺区であること、この地で生まれ育った親しい友人がいないことにある。“裏”にはいささか引っかかったが、“知らない横浜”と勝手に解釈、少しでも横浜を知ろうと読んでみることにした。

著者は1972年生まれの浜っ子、ノンフィクション作家。祖父は現在の東戸塚駅付近の農家の次男。私も住んだことのあるこの近辺は昭和14年まで鎌倉郡平戸村、横浜ではなかったのだ。著者の実家もこの近くに在り、神奈川区六角橋辺りで精肉・惣菜店を営んでいたようだ。小・中・高は地元、大学は東京であることが文中から察せられる。話の中に祖父や少年時代が頻繁に登場するからだ。大学時代から世界各地(主にアジア)をバックパッカーとして旅し、大学卒業後写真週刊誌のカメラマンを経てジャーナリズムの世界に入っている。

構成は八つの街・地域から成る。横浜スタジアム近辺、山下公園・みなとみらい地区、中華街、黄金町、寿町、鶴見、山手・元町地区、伊勢佐木町がそれらだ。鶴見を除けば“横浜”をイメージする狭義(主として中区、西区、南区)のそれである。そして“裏”は黄金町(麻薬・赤線)、寿町(ドヤ街)に代表される底辺社会に重きが置かれ、おしゃれな山手・元町も丘の上下関係あるいは隣接する寿町とのつながりで語られる。それぞれの場所に中心テーマがあり、横浜スタジアムでは大洋漁業とホエールズ(現ベイスターズ)の歴史、鶴見ではアントニオ猪木とブラジル移民、みなとみらいは赤レンガ倉庫の話が生糸につながりそこから富岡製糸工場(世界産業遺産)、八王子の養蚕農家さらに野麦峠(女工哀史)まで広がる。

横浜が他の大都市と異なるのは独特の歴史にある。幕末以降、開港・文明開化で大変貌、鉄道から食生活、スポーツまで欧米文化導入・普及地とし日本近代史に足跡を残し始めるまで、半農半漁の寒村に過ぎない。本書で取り上げられる土地の大部分は埋め立て地である(一部は江戸時代後半)。新たな時代、作られた土地、新しい商売・職種、他地方からの人の流入、ある意味荒野の開拓にも似た環境がわずか150年前に突然生ずるのだ。表の近代文化文明発展史はよく知られるところだが、必要悪とも言える“裏”も時代とともに大きく変わってきている。この短い歴史変遷をたどり現在と具体的に対比して見せるのが各章の流れ。ただ、不思議と重く暗いトーンになっていない。それは生まれ育った土地に対する思い入れから来ているように受け取れた。歴史調査、聞き取り調査をベースに置きながら、そこに自身の少年時代や両親・祖父母の話などを交える筆致がそうさせているのだ。

読んでいてまず浮かんだのは1963年に上映された黒澤明監督・三船敏郎主演の「天国と地獄」、丘の下の病院に勤務する貧しい研修医学生(山崎努)が丘の上の豪邸に住む三船家の息子(実際は間違えて運転手の子供)を誘拐し身代金を奪う話である(捜査主任仲代達矢)。丘の上の情景は山手界隈を連想させるし、黄金町は麻薬窟として描かれる。著者もこの映画を何度か引用するが、当時の黄金町の実態は映画と変わらなかったと関係者から裏付けを取っている(昼間から中毒者がうろつき、夜は無法者の街と化す)。また、豪邸のモデルは磯子に在ったひばり御殿とも重ねている。ひばりの実家はその下に在った貧相な商店街の魚屋。彼女は下から上へ移ったわけである。私が普段利用する交通機関は京浜急行、黄金町は最寄り駅と横浜駅の間に在る。沿線に沿う大岡川は桜並木の名所、シーズンにはこの界隈を散策するが、今や裏イメージはまるでない。それは著者が子供の頃釣りのために自転車で通った異臭漂う赤レンガ倉庫周辺の海も同じ、景観の激変と水質の改善に時代を感じている。

その土地を熟知し、愛する者が著した本、それがよく伝わる一冊だが、私の暮らしてきた所がどこも“本来の横浜”ではないことを改めて念押しもされた。

 

6)屈辱の数学史

-数学・数字にまつわるトラブルの数々。数学漫談家の笑い話で終わらないネタ本全面公開!-

 


夏休みに入った。小学生から大学生まで想い出作りの季節とも言える。受験準備に明けくれた高校、それから解放されアルバイトと旅行の大学。この二つはいわば本人次第の夏だが、小中学校の宿題は何とも鬱陶しいものだった。それでも社会科や理科、図工の自由研究は好きなものが選べたから割と早めに片付き、休み明けの発表会が楽しみだった。いけないのは読書の感想文、それに日記。特に日記は代わり映えしない毎日の出来事をいくつか列記する程度で済ませた。こんな70数年前の夏に思いをはせながらフッと浮かんだ疑問は、算数・数学の宿題はあっただろうか?どうも記憶にない。たまたま頭を過った数学に関する疑念から本書を読むことを思い立った。

24時間危険物を扱い、数年間にわたって連続運転する石油精製・石油化学にあって“安全操業”は至上命題である。当該業界に限らず、他のエネルギー産業(電力、ガス、原子力)・化学・鉄鋼・鉱業・土木建設・輸送(鉄道・自動車・船舶・航空機)などの事故について数多くの著書・文献を読み、そこから安全対策・維持のヒントを得てきた。それは研究開発から設計・製作・建設・運転・保守・廃棄に至る装置工業経営のあらゆる面におよぶ。そしてそこに共通するトラブルの原因は、人間と数字・数式・時間・単位の関わりである。本書は工学や生産に留まらず、社会活動全般にわたる数字にまつわるトラブルの数々を、いくつもの切り口から紹介し、それらの因となった数学的ミスに注意を喚起するものである。「「数学は重要でない」と言う発想が社会の中にある。これを改めたい」が著者の出版意図だ。原題は「A Comedy of Maths Errors(数学ミスの喜劇)」、多くの死者を伴う事故例もあるが、 “笑っちゃう話”や“笑うだけでは済まされない話”が大部分の、なかなか奥の深い愉快な本である。何と言っても、著者は高校数学教師を務めたことがあるものの、1980年生まれの人気英国人数学漫談家(スタンダップ・コメディアン)なのだから。

導入は、1995年ペプシコーラが展開したポイント・キャンペーンから始まる。75ポイントのTシャツから始まり最高は700万ポイントで英国製ハリアー戦闘機(垂直上昇が出来る。推定価格2000万ドル)がもらえる。ペプシコの企画担当者は話題優先で価格など確かめずにキャンペーンを打ったが、これに真面目に挑戦した人がおり、700万ポイント(ペプシ70万ドル相当、この金額の小切手を法律家経由で送付)を集め「ハリアーをください」と申し入れたところ、「あれはジョーク」とかわされ裁判沙汰になる。結論は原告敗訴となるのだが判事がこれをジョークと認めるには大いに苦労している。人間が大きい数字の把握に弱い証しとして紹介する。

私が過去に読んだ数学ミスに類する事故は航空に関するものが多く、既知の話も取り上げられている。ヤード・ポンド法とメートル法を勘違いして給油、大型旅客機が緊急着陸した話が載っている。新しいところでは、20049月南カリフォルニア空域管制で起こった約800機におよぶ管制不能事件。ここで使われていたコンピュータの時間管理は4,294,967,295から1ミリ秒毎にカウントダウンする方式。この数字は4917時間247.296秒に相当し、これを超すと時間管理が出来ない。マニュアルでは30日でカウンターをリセットするよう定めていたのだがそれを失念、50日目に突入航空機との無線連絡が完全に断たれてしまったのだ。

確率の事例では高校教師時代の生徒の対応の見分け方の話が面白い。宿題として「コインを100回投げてその表裏の順序を書いて提出せよ」を課す。真面目に100回やる生徒と途中で止めあとは適当に並べた生徒を如何に見分けるか。途中で止める生徒は50%に近い。100回程度では50%に収斂しないのが現実なのだ。これと似たような話が脱税を目論む申告書を見破る手段として使われている。どんな人間も数の表記に癖があり、ごまかそうとする者は末尾の数字に05を避けるがその他の数字に規則性が残るのだ。さらに桁数の多いお金のデータは最上位から順に現れる数字の頻度が異なることが分かっており「ベンフォードの法則」として認められている。これを納税申告書に適用するとかなりの確度で虚偽申告を摘発できるのだと言う。我が国のマル査もこれを使っているのだろうか?

幾何に関する例も痛快だ。スポーツや道路標識で使われるピクトグラムと呼ばれる図形。英国のサッカー場を表す標識は円の中に六角形の白黒が散りばめられている。しかし、実際のボールは五角形の黒と六角形の白の組合せである(両者の写真あり)。全部六角形では球形にならないのだ!

測量例;ドイツ・スイス間の川にかかる橋の建設が双方から進められたが結合部で27cmも差を生じた。ドイツは北海を、スイスは地中海を海面基準としていたからだ。

最近の事例を中心にしているのでコンピュータ絡みが多い。十進法と二進法の違いからくる問題、プログラミングミス、スプレッドシート操作の限界、乱数に基づく暗号とその解読など、笑いながらも利用上の留意点として教えられることが多々あり、極めて優れた数学読本、楽しい数学に関する夏の想い出ができた。

それにしても邦訳題名が酷い!数学史は多少出てくるものの(例:ユリウス暦からグレゴリオ暦への切り替え;当初はカトリック世界のみだったから欧州歴史年号表記に混乱を生ずる)、“屈辱”は完全な誤訳。意図的に数学の印象を貶めるもの。編集者・出版社(書籍タイトル名決定者は著者・訳者ではなく編集者)に強烈な怒りを感じつつ読了した。

 

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